『日本人の他界観を探る―三途の川―』

『日本人の他界観を探る―三途の川―』さいたま川の博物館、1999年

(1)境界としての川
 日本人は、いつ頃からこの世とあの世を分ける境界としての川を、意識するようになったのでしょうか。
 新潟県岩船郡朝日村には、県営奥三面ダム建設にともない昭和63年から平成10年の11年間、調査が行われた奥三面遺跡があります。この遺跡は、縄文時代後期から晩期(約3500年前~2400年前)まで栄えたムラの跡です。
 このムラに住んでいた縄文人達は、計画的に土木工事を行い、自分たちにとって住みやすいムラを作り上げていきました。なかでも、竪穴住居などがあり日常の生活をしている場所(この世)と墓などがある神聖は場所(あの世)を意識的に分けるように、川の付け替え工事をしたと思われる遺構が発見されました。この事実から、縄文時代には、この世とあの世を分ける境界としての川を意識していたのではないかと考えられ、今後の研究が注目されます。
 また、『日本書紀』には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国(あの世)から帰ったときに川で禊ぎをしたとあります。この世とあの世の境界として意識された川の存在は、むかしからあったようです。


(2)仏教のあの世
 古今東西、世界にあるさまざま宗教には、人が死んでからの世界(あの世)や地獄に関することが語り伝えられています。私たち日本人になじみの深い宗教である仏教でも、5世紀にインドで著され、仏教の世界観について述べている『倶舎論』の中に、人が死んでからの地獄の世界について書かれています。
 『倶舎論』によると、私たちが現在生きている場所である「贍部洲」の下に八熱地獄があるとしています。八熱地獄とは、等活、黒縄、衆合、号叫、大叫、炎熱、大熱、無間の各地獄のことですが、死んでから八熱地獄に行くまでの行程については、書かれていません。
最終更新:2011年12月10日 22:12