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梁山泊関係者 - (2014/04/11 (金) 22:09:38) のソース

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個別ページを作ってない人物の一覧。

● 尹舜 (いんしゅん)/神駆馬
1107年生まれ。代州・雁門出身。
1124年(17歳)から[[皇甫端]]の従者のような事をし、獣医の技術を仕込まれる。
のち馬匹・牧の管理を担当。

● 欧元 (おうげん)
[[欧鵬]]の甥を名乗り、[[楊令]]の従者となる。正体は青蓮寺の暗殺者である[[周杳>青蓮寺関係者]]。

● 郝嬌 (かくきょう)
1094年生まれ。[[郝思文]]と[[陳娥>郝思文]]の娘、[[郝瑾]]の妹。

● 郝令 (かくれい)
蘇端の、改名前の漢名。[[郝瑾]]と[[楊令]]から取った。

● 韓伯竜 (かんはくりゅう)
1097年生まれ。[[韓世忠]]の異母弟、[[劉彦宗]]の弟子。
[[童貫]]戦の頃、大城で傭兵をしていたところを[[楊令]]や[[公孫勝]]に説得され、入山。

● 牛直 (ぎゅうちょく)
1114年生まれ。西夏の商人の子で、父は税金が払えず役人に連行された先で首を吊った。
中興府で[[武松]]と出会い、しばらく従者をしたあと、盛栄の元で働く。

● 喬道清 (きょうどうせい)/喬冽 (きょうれつ)
1099年生まれ。元の名が喬冽で、韓伯竜の部下だった。
韓伯竜の入山の際、[[公孫勝]]の従者となる。その後、出家して喬道清と名乗る。
褚律と共に諜報などを担当。

● 倪雲 (げいうん)/捲毛虎
1082年生まれ。
1104年(22歳)以前から[[李俊]]の弟分で、楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた4人組のひとり。
同年、[[李俊]]らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。

● 郤妁 (げきしゃく)
1110年生まれ。子午山の近くの出身。生家は裕福だったが、両親が目の前で殺される。

● 源太 (げんた)
生年不明。土地に絡む問題で日本を追われ、五郎と共に[[瓊英]]の交易船に乗って梁山泊入り。

● 黄鉞 (こうえつ)/獅殺将
1088年生まれ。もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。
1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。
その後は[[花飛麟]]軍・[[呼延凌]]軍で騎馬隊の指揮。

● 黄表 (こうひょう)/九頭虫
1094年生まれ。
[[張清]]軍の下級将校、のち[[花飛麟]]軍の旗手。

● 高平 (こうへい)/鉄釥豺
1090年生まれ。
兵を志望して二竜山へ入山するが鍛冶に回され、1105年(15歳)から[[湯隆]]に師事する。
水塞陥落時は水軍に所属していた。

● 五郎 (ごろう)
生年不明。土地に絡む問題で日本を追われ、源太と共に[[瓊英]]の交易船に乗って梁山泊入り。

● 山士奇 (さんしき)/魑刺将
1090年生まれ。もとは[[田虎]]の軍におり、[[張清]]と共に入山。
1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。
その後は[[郭盛]]軍で歩兵の指揮。

● 周印 (しゅういん)
1103年生まれ。代州・五台出身。
[[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、党厳・鳳元と共に上級将校に抜擢される。

● 朱樺 (しゅか)
[[朱貴]]・[[朱富]]の異母妹。忻州にいたところを[[李俊]]に呼び寄せられ、武邑で食堂を始める。
洪水で行方不明。

● 朱杏 (しゅきょう)
[[朱貴]]・[[朱富]]の姪。忻州にいたところを[[李俊]]に呼び寄せられ、武邑で食堂を始める。
洪水で行方不明。

● 荀響 (じゅんきょう)
1089年生まれ。
水滸伝時代に入山し、[[李応]]の重装備部隊の将校となる。
流浪の時代には[[李媛]]につき従い、そのまま重装備部隊の上級将校となる。
[[李媛]]の死後は昇格した田忠に代わって[[秦容]]軍の将校となるが、戦死。

● 鐘玄 (しょうげん)
1095年生まれ。元は晋州の田舎役人、『替天行道』を読み梁山泊へ。
[[呼延灼]]軍の将校、のち[[呼延凌]]軍の上級将校。

● 上青 (じょうせい)/太湖蛟
1076年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人で、リーダー格。楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた。
1104年(28歳)[[李俊]]らが梁山泊に合流し、闇塩の商いを譲られる。
水滸伝時代末~流浪時代には、梁山湖からの撤退・太湖の拠点づくりに関わる。
のち西域の大きな湖のそばに商館を構え、物資の管理をする。

● 譙丹 (しょうたん)
1096年生まれ。元は渭州軍の下級将校。
[[鮑旭]]の副官、のち[[郭盛]]軍の上級将校。

● 徐絢 (じょけん)
1104年生まれ。両親は西域の人間らしく、白人風の容姿。
1110年(6歳)頃、京兆府の商人に引き取られ妾となる。
1117年(13歳)、商人が殺され、[[戴宗]]に拾われる。以降、梁山泊の間諜となりハニートラップを担当。
開放府の妓館に潜入中、任務で[[侯真]]と出会い、男と女の関係に。
南宋建国時の混乱に乗じて太祖系の系図を持ち逃げするが、死亡。

● 岑諒 (しんりょう)
1082年生まれ。[[周通]]戦死の際、既に桃花山の兵だった。
[[張清]]の推薦で[[鮑旭]]軍の上級将校に、そののち退役し、女房と宿屋を営む。

● 盛栄 (せいえい)/紡鵺
1084年生まれ。
水滸時代の梁山泊で補給部隊の一員として頭角を現すが、賄賂を受け取るなどの不正が発覚。
そのため[[李立]]に左手首から先を斬り落とされ、出奔した。
その後は独自に商人として成功を収め、再び梁山泊に接近。

● 蒼貴 (そうき)
1106年生まれ。
[[花飛麟]]軍所属。鄧広により兵卒から下級将校に上げられ、鄧広の負傷後に上級将校へ。

● 曾潤 (そうじゅん)/遠鐘児
1098年生まれ。洞宮山に新兵として入山。兄は梁山泊の兵で、戦死。
[[馬麟]]軍の上級将校、調練担当を経て[[郭盛]]軍の指揮官。

● 宋万 (そうまん)
生年不明、本名も不明。元は[[方臘]]警固隊の隊長で、名前など過去の一切は捨てていた。
[[宋万>宋万(水滸伝)]]に似ていたことから、[[呉用(趙仁)>呉用]]に同じ名前を与えられる。
[[方臘]]軍壊滅後、生き残りの兵と共に梁山泊に入山。

● 祖永 (そえい)/摸着雲
1094年生まれ。[[杜遷]]の甥。生前の[[杜遷]]から時々手紙を貰っていたことから、洞宮山へ入山。
新兵の頃、宋軍の残党狩りで負傷するが、[[白勝]]の手術で命を救われる。

● 蘇琪 (そき)/照夜玉
1098年生まれ。燕雲十六州出身で、親は漢人。
[[段景住]]に見いだされて[[皇甫端]]の助手になり、[[楊令]]にスカウトされ黒騎兵になる。

● 蘇端 (そたん)/斑貓王
1096年生まれ。女真族出身。
元は漢名を「郝令」と名乗っていたが、[[段景住]]にたしなめられ、蘇琪と[[皇甫端]]から字を取って改名。
[[郝瑾]]の副官で、のち巡邏隊の隊長に任ぜられる。

● 蘇良 (そりょう)
1099年生まれ。文祥の一番弟子で医師。
清河郊外の養生所で民衆の診察を担当。

● 孫安 (そんあん)
生年不明。韓伯竜軍の将校。

● 張敬 (ちょうけい)/波濤児
1098年生まれ。[[張横]]の長男、[[張平]]の兄。叔父の[[張順]]に潜水の技を仕込まれ育つ。
[[張順]]の死後、潜水部隊の隊長。

●  (ちょうりん)/急単舸
1096年生まれ。1106年(10歳)造船所に売られ、さらにのち宋水軍に徴用(?)される。
梁山泊水軍に拿捕された宋水軍船の船底に隠れていたのを[[阮小二]]に見つかり、助けられ、弟子入りする。
以降、造船を担当。

● 褚律 (ちょりつ)/白打鬼
1098年生まれ。元は[[婁敏中>方臘軍関係者]]の体術の弟子。
[[方臘]]軍の壊滅後、[[呉用]]に従って梁山泊へ。諜報などを担当。

● 鄭応 (ていおう)/糊塗蟋
1095年生まれ。代州の闘蟋を育てて売る家の次男。
役人に恨みをもって水滸伝時代の梁山泊に入山し、桃花山・二竜山を経て[[林冲]]騎馬隊に。
楊令伝の時代になり、[[史進]]遊撃隊の上級将校に。

● 狄成 (てきせい)/痩臉熊
1088年生まれ。用心棒の父親と共に旅をしていたが、父は賊徒に殺される。
1101年(13歳)[[李俊]]に引き取られる。その翌年、上青に預けられ、楡柳荘を拠点に盗品の商いをする。
1104年(16歳)[[李俊]]らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。
梁山泊合流後は赤手隊の隊長となる。

● 田忠 (でんちゅう)
1100年生まれ。
[[鮑旭]]軍の上級将校、のち[[秦容]]軍の歩兵指揮官。[[郭盛]]死後はその軍を受け継ぐ。

● 田峯 (でんぽう)
1096年生まれ。
鍛冶職人で、高平の一番弟子。

● 党厳 (とうげん)
1101年生まれ。北京大名府出身。
[[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・鳳元と共に上級将校に抜擢される。
のち[[郭盛]]の副官。

● 鄧広 (とうこう)/列缺鬼
1082年生まれ。
水滸伝時代に兵卒として桃花山に入山。
楊令伝時代になり、董進に推挙され[[花飛麟]]軍の上級将校。
岳家軍との戦いで負傷し、調練担当・予備兵の将校。

● 董進 (とうしん)/神ビ倦?(読本288頁)
1090年生まれ。水滸伝時代からの[[史進]]遊撃隊の兵。
[[呼延灼]]戦で仲間の死を目の当たりにし戦に出られなくなるが、[[杜興]]により立ち直る。
楊令伝時代に上級将校に。昇格した[[穆凌>呼延凌]]に代わって[[花飛麟]]軍の上級将校に。

● 馬雲 (ばうん)
薬師。9年間、[[薛永]]に師事した。
洞宮山に薬草園を作り、交易用の薬草の栽培を指揮。16人の弟子がいる。

● 馬霊 (ばれい)
韓伯竜軍の将校、のちその軍を率いて本塞の防衛。

● 班光 (はんこう)/御竜子
1105年生まれ。父親は牧の経営者で、反権力思想の持ち主。
1118年、13歳のとき、父により[[段景住]]に預けられる。
父の死後に[[史進]]の従者となり、やがて副官に。耶律越里に代わって楊令軍の指揮官に。

● 費保 (ひほう)/赤鬚竜
1080年生まれ。[[李俊]]の弟分の一人。
1104年(24歳)以前から[[李俊]]の弟分で、楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた4人組のひとり。
同年、[[李俊]]らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。

● 文祥 (ぶんしょう)/小華佗
[[安道全]]の弟子。水滸伝時代から医師として働く。流浪の時代は洞庭山の医師。のち本塞の養生所の責任者。
蘇良と他二名の弟子がいる。

● 鳳元 (ほうげん)
1102年生まれ。蘇州・昆山出身。
[[郭盛]]軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・党厳と共に上級将校に抜擢される。
[[童貫]]戦で戦死。

● 毛定 (もうてい)
1081年生まれ。[[安道全]]の弟子。外科手術が得意で、内科は不得意。
はじめ[[呼延灼]]軍に随伴、[[童貫]]戦で本塞の養生所に戻り、再び外へ出て洞庭山、束城と異動を繰り替えす。

● 耶律越里 (やりつえつり)/門神
1095年生まれ。熟女真で、父は女真族、母は遼人。[[斡離不]]の甥。
少年の頃、[[阿骨打]]の決起に加わり、やがて[[楊令]]の旗下に。
[[楊令]]旗下のまま梁山泊へも入山するが、[[撻懶]]の要請で金軍に加わり、蒙古と戦う。

● 葉敬 (ようけい)/赤竜児
1103年生まれ。梁山泊領内にある葉家荘の保正の息子。
梁山泊の兵役を拒否して[[楊令]]に闘いを挑むが勝てず、梁山泊正規軍に加わる。[[史進]]に鍛えられ、遊撃隊の指揮官に。

● 陸博 (りくはく)
1078年生まれ。
鍛冶職人で、[[湯隆]]の弟子だったが、腕前を評価されてはいなかった。
高平の代になって部下を統率する力を評価され、副官格になる。

● 劉策 (りゅうさく)
1090年生まれ。
大工で、[[李雲]]の一番弟子。

● 呂晥(りょかん)
1083年生まれ。
水滸伝時代から[[凌振]]の部下で、楊令伝時代に大砲部隊の隊長に。
洪水以降、行方不明。