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梁山泊関係者一覧


個別ページを作ってない人物の一覧。

● 尹舜 (いんしゅん)/神駆馬
1107年生まれ。代州・雁門出身。
1124年(17歳)から皇甫端の従者のような事をし、獣医の技術を仕込まれる。
のち馬匹・牧の管理を担当。

● 欧元 (おうげん)
欧鵬の甥を名乗り、楊令の従者となる。正体は青蓮寺の暗殺者である周杳

● 郝嬌 (かくきょう)
1094年生まれ。郝思文陳娥の娘、郝瑾の妹。

● 郝令 (かくれい)
蘇端の、改名前の漢名。郝瑾楊令から取った。

● 韓伯竜 (かんはくりゅう)
1097年生まれ。韓世忠の異母弟、劉彦宗の弟子。
童貫戦の頃、大城で傭兵をしていたところを楊令公孫勝に説得され、入山。

● 牛直 (ぎゅうちょく)
1114年生まれ。西夏の商人の子で、父は税金が払えず役人に連行された先で首を吊った。
中興府で武松と出会い、しばらく従者をしたあと、盛栄の元で働く。

● 喬道清 (きょうどうせい)/喬冽 (きょうれつ)
1099年生まれ。元の名が喬冽で、韓伯竜の部下だった。
韓伯竜の入山の際、公孫勝の従者となる。その後、出家して喬道清と名乗る。
褚律と共に諜報などを担当。

● 倪雲 (げいうん)/捲毛虎
1082年生まれ。
1104年(22歳)以前から李俊の弟分で、楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた4人組のひとり。
同年、李俊らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。

● 郤妁 (げきしゃく)
1110年生まれ。子午山の近くの出身。生家は裕福だったが、両親が目の前で殺される。

● 源太 (げんた)
生年不明。土地に絡む問題で日本を追われ、五郎と共に瓊英の交易船に乗って梁山泊入り。

● 黄鉞 (こうえつ)/獅殺将
1088年生まれ。もとは田虎の軍におり、張清と共に入山。
1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。
その後は花飛麟軍・呼延凌軍で騎馬隊の指揮。

● 黄表 (こうひょう)/九頭虫
1094年生まれ。
張清軍の下級将校、のち花飛麟軍の旗手。

● 高平 (こうへい)/鉄釥豺
1090年生まれ。
兵を志望して二竜山へ入山するが鍛冶に回され、1105年(15歳)から湯隆に師事する。
水塞陥落時は水軍に所属していた。

● 五郎 (ごろう)
生年不明。土地に絡む問題で日本を追われ、源太と共に瓊英の交易船に乗って梁山泊入り。

● 山士奇 (さんしき)/魑刺将
1090年生まれ。もとは田虎の軍におり、張清と共に入山。
1115年からの流浪では将校見習い、北の塞を築く頃に上級将校へ昇格。
その後は郭盛軍で歩兵の指揮。

● 周印 (しゅういん)
1103年生まれ。代州・五台出身。
郭盛軍にて、宋禁軍との戦の最中、党厳・鳳元と共に上級将校に抜擢される。

● 朱樺 (しゅか)
朱貴朱富の異母妹。忻州にいたところを李俊に呼び寄せられ、武邑で食堂を始める。
洪水で行方不明。

● 朱杏 (しゅきょう)
朱貴朱富の姪。忻州にいたところを李俊に呼び寄せられ、武邑で食堂を始める。
洪水で行方不明。

● 荀響 (じゅんきょう)
1089年生まれ。
水滸伝時代に入山し、李応の重装備部隊の将校となる。
流浪の時代には李媛につき従い、そのまま重装備部隊の上級将校となる。
李媛の死後は昇格した田忠に代わって秦容軍の将校となるが、戦死。

● 鐘玄 (しょうげん)
1095年生まれ。元は晋州の田舎役人、『替天行道』を読み梁山泊へ。
呼延灼軍の将校、のち呼延凌軍の上級将校。

● 上青 (じょうせい)/太湖蛟
1076年生まれ。李俊の弟分の一人で、リーダー格。楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた。
1104年(28歳)李俊らが梁山泊に合流し、闇塩の商いを譲られる。
水滸伝時代末~流浪時代には、梁山湖からの撤退・太湖の拠点づくりに関わる。
のち西域の大きな湖のそばに商館を構え、物資の管理をする。

● 譙丹 (しょうたん)
1096年生まれ。元は渭州軍の下級将校。
鮑旭の副官、のち郭盛軍の上級将校。

● 徐絢 (じょけん)
1104年生まれ。両親は西域の人間らしく、白人風の容姿。
1110年(6歳)頃、京兆府の商人に引き取られ妾となる。
1117年(13歳)、商人が殺され、戴宗に拾われる。以降、梁山泊の間諜となりハニートラップを担当。
開放府の妓館に潜入中、任務で侯真と出会い、男と女の関係に。
南宋建国時の混乱に乗じて太祖系の系図を持ち逃げするが、死亡。

● 岑諒 (しんりょう)
1082年生まれ。周通戦死の際、既に桃花山の兵だった。
張清の推薦で鮑旭軍の上級将校に、そののち退役し、女房と宿屋を営む。

● 盛栄 (せいえい)/紡鵺
1084年生まれ。
水滸時代の梁山泊で補給部隊の一員として頭角を現すが、賄賂を受け取るなどの不正が発覚。
そのため李立に左手首から先を斬り落とされ、出奔した。
その後は独自に商人として成功を収め、再び梁山泊に接近。

● 蒼貴 (そうき)
1106年生まれ。
花飛麟軍所属。鄧広により兵卒から下級将校に上げられ、鄧広の負傷後に上級将校へ。

● 曾潤 (そうじゅん)/遠鐘児
1098年生まれ。洞宮山に新兵として入山。兄は梁山泊の兵で、戦死。
馬麟軍の上級将校、調練担当を経て郭盛軍の指揮官。

● 宋万 (そうまん)
生年不明、本名も不明。元は方臘警固隊の隊長で、名前など過去の一切は捨てていた。
宋万に似ていたことから、呉用(趙仁)に同じ名前を与えられる。
方臘軍壊滅後、生き残りの兵と共に梁山泊に入山。

● 祖永 (そえい)/摸着雲
1094年生まれ。杜遷の甥。生前の杜遷から時々手紙を貰っていたことから、洞宮山へ入山。
新兵の頃、宋軍の残党狩りで負傷するが、白勝の手術で命を救われる。

● 蘇琪 (そき)/照夜玉
1098年生まれ。燕雲十六州出身で、親は漢人。
段景住に見いだされて皇甫端の助手になり、楊令にスカウトされ黒騎兵になる。

● 蘇端 (そたん)/斑貓王
1096年生まれ。女真族出身。
元は漢名を「郝令」と名乗っていたが、段景住にたしなめられ、蘇琪と皇甫端から字を取って改名。
郝瑾の副官で、のち巡邏隊の隊長に任ぜられる。

● 蘇良 (そりょう)
1099年生まれ。文祥の一番弟子で医師。
清河郊外の養生所で民衆の診察を担当。

● 孫安 (そんあん)
生年不明。韓伯竜軍の将校。

● 張敬 (ちょうけい)/波濤児
1098年生まれ。張横の長男、張平の兄。叔父の張順に潜水の技を仕込まれ育つ。
張順の死後、潜水部隊の隊長。

● (ちょうりん)/急単舸
1096年生まれ。1106年(10歳)造船所に売られ、さらにのち宋水軍に徴用(?)される。
梁山泊水軍に拿捕された宋水軍船の船底に隠れていたのを阮小二に見つかり、助けられ、弟子入りする。
以降、造船を担当。

● 褚律 (ちょりつ)/白打鬼
1098年生まれ。元は婁敏中の体術の弟子。
方臘軍の壊滅後、呉用に従って梁山泊へ。諜報などを担当。

● 鄭応 (ていおう)/糊塗蟋
1095年生まれ。代州の闘蟋を育てて売る家の次男。
役人に恨みをもって水滸伝時代の梁山泊に入山し、桃花山・二竜山を経て林冲騎馬隊に。
楊令伝の時代になり、史進遊撃隊の上級将校に。

● 狄成 (てきせい)/痩臉熊
1088年生まれ。用心棒の父親と共に旅をしていたが、父は賊徒に殺される。
1101年(13歳)李俊に引き取られる。その翌年、上青に預けられ、楡柳荘を拠点に盗品の商いをする。
1104年(16歳)李俊らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。
梁山泊合流後は赤手隊の隊長となる。

● 田忠 (でんちゅう)
1100年生まれ。
鮑旭軍の上級将校、のち秦容軍の歩兵指揮官。郭盛死後はその軍を受け継ぐ。

● 田峯 (でんぽう)
1096年生まれ。
鍛冶職人で、高平の一番弟子。

● 党厳 (とうげん)
1101年生まれ。北京大名府出身。
郭盛軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・鳳元と共に上級将校に抜擢される。
のち郭盛の副官。

● 鄧広 (とうこう)/列缺鬼
1082年生まれ。
水滸伝時代に兵卒として桃花山に入山。
楊令伝時代になり、董進に推挙され花飛麟軍の上級将校。
岳家軍との戦いで負傷し、調練担当・予備兵の将校。

● 董進 (とうしん)/神ビ倦?(読本288頁)
1090年生まれ。水滸伝時代からの史進遊撃隊の兵。
呼延灼戦で仲間の死を目の当たりにし戦に出られなくなるが、杜興により立ち直る。
楊令伝時代に上級将校に。昇格した穆凌に代わって花飛麟軍の上級将校に。

● 馬雲 (ばうん)
薬師。9年間、薛永に師事した。
洞宮山に薬草園を作り、交易用の薬草の栽培を指揮。16人の弟子がいる。

● 馬霊 (ばれい)
韓伯竜軍の将校、のちその軍を率いて本塞の防衛。

● 班光 (はんこう)/御竜子
1105年生まれ。父親は牧の経営者で、反権力思想の持ち主。
1118年、13歳のとき、父により段景住に預けられる。
父の死後に史進の従者となり、やがて副官に。耶律越里に代わって楊令軍の指揮官に。

● 費保 (ひほう)/赤鬚竜
1080年生まれ。李俊の弟分の一人。
1104年(24歳)以前から李俊の弟分で、楡柳荘を拠点に盗品の商いをしていた4人組のひとり。
同年、李俊らが梁山泊に合流した際、闇塩の商いを譲られる。

● 文祥 (ぶんしょう)/小華佗
安道全の弟子。水滸伝時代から医師として働く。流浪の時代は洞庭山の医師。のち本塞の養生所の責任者。
蘇良と他二名の弟子がいる。

● 鳳元 (ほうげん)
1102年生まれ。蘇州・昆山出身。
郭盛軍にて、宋禁軍との戦の最中、周印・党厳と共に上級将校に抜擢される。
童貫戦で戦死。

● 毛定 (もうてい)
1081年生まれ。安道全の弟子。外科手術が得意で、内科は不得意。
はじめ呼延灼軍に随伴、童貫戦で本塞の養生所に戻り、再び外へ出て洞庭山、束城と異動を繰り替えす。

● 耶律越里 (やりつえつり)/門神
1095年生まれ。熟女真で、父は女真族、母は遼人。斡離不の甥。
少年の頃、阿骨打の決起に加わり、やがて楊令の旗下に。
楊令旗下のまま梁山泊へも入山するが、撻懶の要請で金軍に加わり、蒙古と戦う。

● 葉敬 (ようけい)/赤竜児
1103年生まれ。梁山泊領内にある葉家荘の保正の息子。
梁山泊の兵役を拒否して楊令に闘いを挑むが勝てず、梁山泊正規軍に加わる。史進に鍛えられ、遊撃隊の指揮官に。

● 陸博 (りくはく)
1078年生まれ。
鍛冶職人で、湯隆の弟子だったが、腕前を評価されてはいなかった。
高平の代になって部下を統率する力を評価され、副官格になる。

● 劉策 (りゅうさく)
1090年生まれ。
大工で、李雲の一番弟子。

● 呂晥(りょかん)
1083年生まれ。
水滸伝時代から凌振の部下で、楊令伝時代に大砲部隊の隊長に。
洪水以降、行方不明。