青蓮寺関係者一覧
● 王和 (おうわ)
青蓮寺が持つ闇の軍の初代指揮官。
蔡京が宰相となったとき(史実では1101年)に創設された時からの隊長。
1104年夏頃、李富の旅に警固のため同道する。
1104年秋頃、致死軍との全面的な対決を指揮。
公孫勝を負傷させる。
● 何恭 (かきょう)
1067年生まれ。
袁明時代の幹部で、最年少。
当初は民政担当、
聞煥章加入以降は
聞煥章・
李富の下につく。
● 赫元 (かくげん)
1084年生まれ。
李師師の側近で、妓館の青蓮寺のNo.2。
● 羌肆 (きょうし)
1092年生まれ。闇の軍の三代目指揮官。育ての親は王和、師は高廉。
● 高廉 (こうれん)
闇の軍の二代目指揮官。
1104年夏頃、李富の命令により安丘の守備軍の半数を粛清。
● 扈成 (こせい)/扈僊 (こせん)
1085年生まれ。
扈三娘の兄。祝家荘戦の頃は開放府へ遊学しており、のち科挙に通る。
名を「扈僊」と偽り、
聞煥章の元で働くようになる。
● 呉達 (ごたつ)
袁明時代の幹部。1103年時点で40代以上、唯一の軍人出身者。当初は地方軍担当。
1104年夏、
朱仝の鄆城からの逃亡に叛乱の匂いを察知し、これが
宋江の正体を暴くことにつながる。
聞煥章加入以降は
聞煥章・
李富の下につく。
● 周炳 (しゅうへい)
1092年生まれ。両親とも青蓮寺の手の者で、父は
樊瑞に殺され、母も致死軍による青蓮寺殲滅戦で死んだ。
李富の護衛役。
● 周杳 (しゅうよう)
1114年生まれ。周炳の従弟。両親とも青蓮寺の手の者で、北京大名府で死んだ。
暗殺者となり、
欧鵬の甥の
欧元を名乗って梁山泊に潜入。
● 蒼英 (そうえい)
袁明時代の幹部。1064~1066年生まれ。
当初は禁軍担当、
聞煥章加入以降は
聞煥章・
李富の下につく。
最終更新:2014年04月03日 22:01