巻 | 歳 | 年 | 月 | 出 来 事 |
0 | 1053 | 出生。 | ||
S2 | 14- | 1067 以降 | 神宗の代(徽宗の二代前、史実 1067-1085)に科挙に合格し、役人となる。 | |
S2 | 16- | 1069 以降 | 宰相・王安石(史実 1069-1076)に心酔し、彼の政策立案機関である青蓮寺に参加(立ち上げ?) | |
S2 | 23 | 1076 | 王安石が罷免され、神宗が改革を引き継ぐ。 | |
S2 | 32 | 1085 | 神宗崩御。青蓮寺が裏の仕事をするようになる。 | |
S2 | 47 | 1100 | 徽宗即位。この頃には青蓮寺は巨大な力を持っている。 | |
S2 | 48 | 1101 | 蔡京が宰相となったとき(史実ではこの年)最初に王和の軍の創設を認めさせる。 | |
S2 | 50 | 1103 | 年始 | 地方巡検視・楊志の報告を聞く。 蔡京に、呼延灼を高俅軍強化に使うよう進言。 |
夏 | 生辰綱強奪事件について、李富・呉達と会議。 蔡京に青蓮寺の増員を認めさせる。 | |||
S3 | 年末 | 梁山泊の動向を気にかけており、それについて李富・呉達に報告を求める。 手の者500名が致死軍に殲滅される。 | ||
51 | 1104 | 年始 | 手の者が殲滅された件について、青蓮寺の幹部4人を集めて会議。 これ以前、高俅に軍の出動を打診して断られている。 | |
S4 | 夏 | 呉達から朱仝・宋江らの逃亡について報告を受け、直ちに李富を調査に送る。 | ||
秋 | 闇軍と致死軍の争闘についての報告を、何恭と共に聞く。 李富に対し、馬桂を使った楊志暗殺を暗に指示。 |