◆ ◆

定時放送が響いて、殺し合いは加速する。
結論から言えば、棗恭介と伊吹風子にとってその放送は、意気を消沈させるものでしかなかった。
恭介のあの飄々とした態度はすっかり影を潜め、風子も騒ぎ立てることをせずにしゅんとしている。
互いに―――特に棗恭介の失ったものはあまりにも大きく、風子の悲しみよりも更に深いものだった。

長年、時間を共にした最高の親友、直枝理樹。
他の仲間達のようにずば抜けた個性は持っていなかったものの、バスターズ一の良識派として、誰からも愛される人間性を持った、こんなところで死んではいけない少年。
修学旅行の悲劇を乗り越え、未来へ進むべき存在だった。
彼にならば妹を託せる。彼と自らの妹、鈴に強さを与えるために、仲間の想いを踏みにじりもした。
愛すべき親友にありもしない幻を見せて暴走させ、愛すべき親友との勝負を卑怯な手段で制した。
そんな、憎まれてもおかしくないことを次々と犯した自分にまで、彼は手を差し伸べてれたのだ。


(あと、ほんの少しだったのに)


訪れる過酷な運命を乗り越えて生きていける強さを手にした二人の仲間に、別れを告げようとした。
結局それは叶わず仕舞いだったが、もはや何が起きたとしても、どんな奇跡があっても、あの優しい親友は戻らない。
再会さえ出来ないままに、彼は一人、このバトルロワイアルの中で没した。


「こんなのってねえよ………訳分かんねえよ、畜生っ!!」


びくっと身体を震わせる風子の姿が視界の片隅に写り、溜め息と共に沸き出た怒りを鎮める。
その怒りは、勿論この事態そのものの元凶たる主催者・シャルル達や、理樹を殺したどこの誰とも知れない人間にも向けられていたが―――他ならぬ自分自身への怒りもまた、大きかった。
だらだらと、事態を軽視してもいた自分が憎い。
馬鹿みたいな話をして、あの中学生と邂逅した際の行動も思い返すと自らの無能さにヘドが出る思いだ。


こんなことなら、一刻も早く行動を起こして、どんな手段を使ってでも理樹達を守ろうとするべきだった。
どんな手段を使ってでも―――たとえこの賑やかな少女を、永遠の眠りに陥れてでも。
主催側に反抗して正義の味方気取りなんて真似をしてしまったことが、既に間違いだったのだ。
物干し竿の柄を握る力が自然と強くなり、目線は風子の小さな身体に向く。
恭介の心は、親友の死を受けて、表面上のそれよりも遥かに動揺している。
弱った心に、悪魔が囁く。


鈴、と。


(鈴まで、失うかもしれない)


リトルバスターズの未来に必要な二人がどちらも死んでしまえば、それは最悪の終わり方だ。
繰り返した奇跡も、思い出も、親友の心も、何もかもが無駄になってしまう。
たとえこの物語の結末が、皆が笑える終わり方じゃなくとも、そんな悲しい終わり方だけは御免。
刀の刀身に映る自分の顔は酷いものだった。
思っていたよりも焦燥の色を隠せていないし、目の色はまともな人間のそれとは異なっている。

風子を見る。
先刻、放送が響く前まで当たり前のようにふざけていた少女が、心配そうな目で見ている。
自分でも分かるほど様子のおかしい自分への恐怖も少なからず含まれているのだろう、恭介の目から視線を逸らそうとせずにじっと見つめている。
それでも逃げ出そうとしないのは、彼女が自分とは違う人間であることの証明だ。

物干し竿を、見る。
異常に長い刀身。
これでなら、人間の首を一撃で切り落としてしまうことだって可能だろう。


◇ ◇


なあ、理樹。

俺達とお前が出会ってから、もう随分になるよな。

目に見えるほど塞ぎこんでたお前も、強くなった。

お前なら、鈴を守れると思ってたんだぜ。

奇跡という細いパイプで円環する世界を抜け出して生きていける。

そう思ってたのによ、どうしてだ。

どうして、お前が死んじまう。

ははっ、こんなこと言ったってお前が帰ってくる訳じゃないのは分かってるさ。

それでも、俺は言わずにはいられねえよ。

何で、こんなに理不尽なんだ。

この世界ってのは、どうしてこんな――――悲劇ばかりを引き起こす。

なあ、鈴、真人、謙吾、来ヶ谷。

俺は、どうすればいい?

俺達が繰り返した世界はもう崩れた。きっと奇跡は二度と起こらない。

そして理樹も、もういない。

お前らが大好きだったあいつは、死んじまった。

俺は、リトルバスターズのリーダーとして何をすべきなんだ?

『棗恭介』として―――どうすればいいんだ。

なあ、理樹。

お前なら、分かるか?

幾多の試練を超えて、俺を助けに来てくれたお前なら、俺がどうすればいいか答えてくれるか。

今ここで、俺はすぐにでも再スタートを切ることができる。

この伊吹風子を殺して、リトルバスターズの為に、鈴だけでも生き残らせる。

最悪、俺だけが生きて帰れば世界はもう一度、奇跡によって繋がるかもしれない。

バトルロワイアルの起きない未来に、物語をあるべき形に繋げられるかもしれない。

そうすれば、お前にももう一度会える。

リトルバスターズは終わらない。

なあ、答えてくれよ。どうしてそんな目で俺を見るんだ、理樹。

………そんな顔するなよ。

俺だって、もう疲れた。

何度も何度も一学期を繰り返して、その果てにこんなことになったんだ。

正直、泣きたいぜ。

俺達のやってきたことは、無駄だったってことになるんだからな。

真人。お前なら、意地でもこの殺し合いなんてしないだろう。

お前は馬鹿だからな。だがそれ故に、俺や謙吾とはまた違う強さを持っている。

謙吾。お前なら、覚悟を決めるだろうな。

お前はクールを装っているが、人一倍の熱いものを秘めている。

誰よりもリトルバスターズのことを想い、それを維持するためになら何だってする。それがお前の強さだ。

鈴―――お前は、怖いだろう。

お前は弱い。

リトルバスターズを失えば、すぐに壊れてしまう。

そんなお前は、理樹が死んだことを知ったらどうする?

………まぁ、泣くだろうな。鼻水垂らして、恥も外聞もなく泣き喚く。

その後、お前は――――どうする。

理樹のいない世界で、お前はどんな風に生きていく。

っはは、俺って奴はとことん情けねえな。

あれだけ大口叩いといて結局は人任せ。仲間がいないと生きていけない、弱い人間だ。

それで理樹と鈴のことを弱いなんて、よく言えたもんだぜ。

早く決めろよ、棗恭介。

お前はリトルバスターズのリーダーだろうが。

振り返ることなんてお前には許されない。

お前に出来ることは、進むことだけだろうが―――――――!!


……………………俺は。


――――――――――――――――――――――――――――――

『優勝して奇跡を繰り返す』


『鈴を優勝させる』


『伊吹と主催に立ち向かう』




ああ。そんなもん、考える方が馬鹿だった。

棗恭介もヤキが回ったもんだぜ。

リトルバスターズの為に俺が出来ることなんて最初から一つしかない。

奇跡を、繋ぐ。

幾多の命を奪ってでも虚構の世界を取り戻し、物語をあるべき形に。


考えるまでもねえ。

俺はリトルバスターズのリーダーだ。

なら、やるべきことはそれ以外に何もない。

文字通り骨身を削って戦って、誰も彼も構わずこの刀で袈裟斬りにするのみだ。

伊吹と主催に立ち向かう?論外だ。そんな綺麗事で現実はどうにもできない。

甘くねえんだよ、世界ってのは。

………らしくなかったな。この俺が、嘘の世界を繰り返してきた棗恭介が一時とはいえ綺麗事に身を委ねるなんて。

理解できた。棗恭介のすべきことは――――――




「――――あぁああ、まどろっこしい!!」


突然、恭介は物干し竿を床に投げ捨てて叫んだ。
『最悪の可能性』に身構えていた風子はその行動に目を白黒させるしかなかった。
てっきり、恭介は仲間の死を受けて修羅の道を往く決意を決めてしまったものだと思っていたのに。
目の前で悶絶するように顔を覆い隠している青年を見て、目をぱちぱちと瞬きさせる。
その様子はすっかりいつもの恭介のそれであり、先の影のある表情はすっかり消え去って、最初に出会った時からずっとそうだったように、話しやすい雰囲気を醸している。
しばらく、目を隠して天井を見上げる青年とそれを気の抜けたような顔で見つめる少女、という若干シュールレアリスムを感じさせる光景が続いたが、恭介は何事もなかったかのように手を下ろした。


「よし伊吹。行くぞ」
「ふざけないで下さい。風子一瞬覚悟しちゃいましたからね。いいからとっとと言いたいことを話してください」
「………はは。お前は優しいな、伊吹」


参ったな、と頭をボリボリ掻いて話を濁そうとする恭介。
しかし恭介は、内心風子の言葉に救われてもいた。
自分は一度、一瞬だろうとこの少女を殺そうと考えた。この細い首を、そこに転がっている長い刀で斬り飛ばしてやろうと考えた。
風子にもその殺意は伝わっていた。それなのに、彼女は恭介を責め立てようとしない。
『ふざけるな』と言っていながら、自らの抱えている問題を、話してほしいとも言ってくれている。
好奇心なんかではなく、心の底から恭介のことを案じてくれていることが伝わってきた。
それに応えられない自分の弱さに、恭介は苛立ちを覚える。

『殺し合い』に乗らないことを改めて決めた彼にとっては、風子の思いやりはすごくありがたい。


リトルバスターズのリーダーとしてなら、殺し合いに乗って、奇跡を繋ぐために生き残ることこそが最善、使命だ。
だが恭介は―――棗恭介という一人の人間は、それを良しとしなかった。
親友であり弟分のような存在だった少年との永遠の別れを知って、だからこそ殺し合いを否定する。
理樹は、誰かが犠牲になることで得られる結果を喜ぶような人間ではない。
誰からも直枝理樹という少年が好かれる所以を挙げるとすれば、そこなのだ。
理樹は優しい。
仲間には勿論、それがどんな人間であっても思いやりをもって接することが出来る優しさ。
今のリトルバスターズの人員だって、他ならない『普通の少年』と呼ばれる直枝理樹が集めてきた人間がかなりの割合を占めている。それだけ彼は、優しい。
その理樹が、他の誰かを犠牲にして幸せになって―――それを、素直に喜ぶ筈がない。

理樹に隠していればいい話だが、無二の親友を騙すことは恭介の良心が許さなかった。
散々仲間を傷付け、土足で踏み荒らしてきた自分が言うのも何だが、もし仮に全てを殺して奇跡を繋いだとして、それで他ならぬ棗恭介は満足できるのか。
そんなものは穢れた奇跡だ。
穢れた奇跡の果てに待つのは、ハッピーエンドじゃない。


何も残らない、無機質な終焉だ。


それを、恭介は認められない。
たとえリトルバスターズが崩れてしまっても、自分達の幸せだった時間に泥を塗ることは出来ない。
かけがえのない時間を汚してしまうことは、許されない。


リトルバスターズのリーダーとしてでなく、棗恭介としての結論だった。
胸を張ってこれが正しい選択だと言える自信はまだなかったが、きっと、そう言えるようにしてみせる。
このふざけた茶番を終わらせ、あの見慣れた風景に帰って―――そう、言えるように。
恭介もまた、強くなろうと決めた。


だが、まだ心の中にはいろいろな感情がごちゃごちゃと混在している。
理樹の死はそれだけ、棗恭介にとって大きな衝撃であった。
格好つけることは、まだ出来ない。
長い時を共にしてきた親友を失い、それをすぐに乗り越えられる程恭介は、強くない。
風子に話せば―――自分達リトルバスターズが立ち向かってきた過酷と、今の自分がどのような存在なのかを打ち明ければ、確かにもやもやとして感情は晴れ渡るかもしれない。
しかし、この感情は、自分自身で乗り越えなければいけない、そんな気がしていた。
誰かに委ねていいものじゃなく、自分が確かな強さを得るために、打ち倒すべき最初の敵(ステップ)。
こんなものも超えられないようじゃあ―――自分は本当に、駄目になってしまう。


「でも悪い、伊吹……今は聞かないでくれないか。お前に刃を向けようとしたことについては謝る。俺は二度と殺し合いに乗ろうなんて考えない、約束する」
「うー……本当ですね? 約束ですよっ」
「ああ―――約束する」


いつもの棗さんにようやく戻りましたね、と風子は子供のような笑顔で笑う。
殺されかけた相手にこんな風に笑えることを、恭介は凄いと思った。
この少女もまた、心に確かな強さを持っている。
井ノ原真人のような力強さや宮沢謙吾のような気高さとはまた違う、言うならば優しい強さ。
今は亡き親友のものにどこか近い優しさに、自然と恭介の顔も笑顔に綻ぶ。
リトルバスターズの一員として、伊吹風子という少女を加えてやるのはーー本当に、悪くない話だ。

もしも全てが終わったなら、正式にリトルバスターズのメンバーとして歓迎会を開いてやるのもいいな―――住んでいる場所がどれほど離れているかは分からないが、そこは何とかなるだろう。
考えるだけでワクワクしてくる。
同じような一学期の時間を延々と繰り返してきて、久しく忘れていた感情だ。
鈴は最初こそ借りてきた仔猫のようにびくびくするのだが、すぐに打ち解けて仲良くなる。
真人あたりは彼女と意気投合するかもしれない、それに突っ込みを入れるのが謙吾。
来ヶ谷の目に留まればセクハラ行為をされ、それが他のメンバーにも飛び火して……目に浮かぶようだ。
そこに―――そこに、一人の姿がないことだけが悲しいが、笑おう。

空の向こうの親友にも、新しいメンバーを紹介してやる。


(そいつは、最高に気持ちがいいな)


野球も、まだまだやり足りない。
勝ち取ってやろうじゃないか。
諦めていたハッピーエンドに、事故からの生還に―――そして、まずはバトルロワイアルに。


「何にやけてるんですか棗さん。気持ち悪いです」
「ひっど!? お前な、俺にだって笑う自由くらいあるわ!」
「えっ………!?」
「信じられないって顔を……お前は俺を何だと思っているんだ」
「頼れるロリコン変人ですっ!」
「頼れるという誉め言葉が後の二つのせいで霞んでいるーっ!!」


つい数分前の若干険悪な雰囲気など何処へやら、二人の会話は弾む。
おちょくられる恭介が突っ込み、時に墓穴を掘り時に風子に反逆の一手を打つ。
とても出会ったのが数時間前とは思えぬ会話は、端から見たなら兄妹か友人同士のようだった。
ここが殺し合いという極限の状況を忘れさせる程ヒートアップする掛け合い。棗恭介と伊吹風子、この二人が如何に『ノリが合う』二人だったかがよくわかる光景だ。
親友を失った恭介にはとてもありがたい慰め。


風子は、相手は覚えてこそいないものの、自分の願望を叶えてくれた優しい少女の死を知って、悲しんだ。
付き合った時間はそう長くない。
そして、相手は自分のことを覚えていない。
それでも、自分の為に行動してくれた『友達』が死んだのは―――悲しいことだった。
矢先に恭介が道を踏み外しそうになって、それから自らの力で持ち直した。
短い数分間にどれだけの感情の動きがあったか分からないが、今の自分に出来ることといえば、この沈んだ空気を晴らすことだけだと理解していた。
親友を亡くした恭介と、優しい友達を亡くした風子。
少女の気遣いは確かに、二人の間に漂っていた陰鬱な空気を吹き飛ばしていた。




しかし――――そこに、一発の銃声が轟く。




それは、幸運にも恭介、風子に当たることはなかった。
ちっ! という襲撃者の舌打ちが聞こえた時には、風子の手を引いて恭介が駆け出していた。
迂闊だった―――もしも相手が慎重な奴だったなら、自分と風子のどちらかが傷を負っていたかもしれないのに。恭介は内心で自分の無防備さに辟易する。
バン、バンと連続する銃声。しかし相手も焦っているのか、一発が恭介の肩を掠めた程度に止まった。
熱い、痛いというよりはただジリジリという熱さ。
生まれて初めて銃弾の痛みを知ったが、ここで怖じ気づいて止まることなんて出来る訳がない。
物干し竿を回収しそびれていることなどどうでもいい。
今は、この襲撃者を撒くことをしなければいけない。


一度目は救援だった。
二度目は交渉。
そして三度目は―――追い掛けっこ。



◆ ◇


「はぁっ、はぁっ………! あいつら、どこへ行った!?」


息を切らして、焦燥の色をありありと浮かべて、金髪の青年は怒気のこもった叫びをあげる。
春原陽平。二人の人間を殺害し、優勝することを目指す彼もまた、当然放送を聞いた。
そこで、彼の心にわずかな揺らぎが生じた。
知り合いの名前は一人だけだったが、それでも自分の知る人間が死んだという事実は大きい。
これまで殺してきた二人はいずれも見ず知らずの他人。だからこそ容赦なく、呵責の感情も無い訳ではなかったが、まだ耐えられるだけのそれだった。
放送で呼ばれた名前、古河渚。
親友たる青年、岡崎朋也の恋人。
関わりがそこまで深かった訳じゃない。
岡崎に比べればとても短い間だったが―――岡崎の心境を想像するだけで、胸が痛んだ。

恋人が死ぬ。
岡崎にとってかけがえのない存在――それが、古河渚だ。
一番大切な人を亡くすということは、どれほど悲しいのか。
春原は思う。
もしもこのバトルロワイアルに妹が、春原芽衣が参加させられていて、芽衣が死んだと知ればどうなるだろう。
きっと、自暴自棄になる。

妹一人守れないヘタレな自分を心の底から憎み、アホみたいなミスを犯して自滅するのが落ちだろう。
今頃あいつはどうしているだろうかと、考えていると突然、自分のしていることがとてもとても、罪深いものだという意識が急に起こったのだ。

春原の殺した二人も、誰かに大切に思われていたのかもしれない。
残された人がどんな想いを抱くのか。
ふと、そんな基本的なことを考えてしまった。
殺し合いに乗ると決めたその時から、捨て去った筈の感情。
堰を切ったように溢れ出す罪悪感が、彼の心に大きな苛立ちをもたらし―――冷静さを、失わせた。


ヘタレを脱却できない自分へのどうしようもない苛立ちを抱えて歩き、歩き、歩き、そして人の声に立ち止まる。
普段自分と岡崎がしているような、遠慮の無い会話の応酬。
とてもこの状況にはそぐわない賑やかな音声を聞いた春原は、狙いもつけず苛立ちに任せて引き金を引いた。
苛立ちがあった。どうして僕だけがこんな思いをしなきゃならないんだよ、という、やり場のない苛立ちと確かな罪悪感が同時に春原の心を責め立てる。
撃つ。撃つ。撃つ。しかし闇雲な射撃が逃亡者達にヒットすることはなく、銃口から空しく白煙が立ち上るのみ。
自らの不甲斐なさに、思い通りになってくれない現実に―――募る、苛立ち。


(何でだ)


春原は頭を抱える。そこだけ見ればギャグ漫画のように、大袈裟な仕草で金髪を掻き乱す。


(何で僕ばっかりがこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ)


訳がわからないまま連れてこられて、見せしめのように二人が殺された。
その光景には、春原とて胸糞悪いものを感じていた。
霧島佳乃と出会って、それでも初めの内は殺し合いなんてするものか、という意志があった。
それが、突然崩れた。芽衣の為に殺さなければならないと、佳乃との何気ない会話で、そう思ってしまった。柄にもなく、覚悟を決めてしまったのだ。
佳乃を殺した。
最期まで春原に刺されたことに疑問を抱きながらの、虚しい死。
名も知らぬ少年を殺した。
彼は見た感じ危なげだったし、危険人物だったのかもしれないが、自分が殺したことに変わりはない。

まさに一時の思いつきで、突発的な使命に駆られてしまった。
もしもあの時自分がヘタレの春原陽平でいられたなら、こんなことにはならなかっただろう。
こんな―――こんな気持ちには、ならなかっただろう。


「あははは。僕には結局ヘタレで生きるしか道はないんですね―――――って」


春原は息を深く、深く吸い込んだ。
普段学校で親友の青年としているコントじみたやり取りのように、しかし絶大な怒りに任せて、春原陽平は声を張り上げる。用心だとか、春原の中にそんな細かいことを気にしている余裕はなかった。


「ふざけんじゃねえよ、この野郎ぉおおおおおおぉおっ!!!」


理不尽なこの世界に、狂いきった神様の采配に、春原陽平は激怒する。
その往く道が殺人の道だとしても、彼にはその怒りを押し殺すことなど出来なかった。
こんなことさえ起きなければ、何一つ歯車は狂わず―――古河渚が死ぬことも、なかったのだ。
十三人の人間が死ぬことはなかったし、自分のように手を汚すものだって現れなかった筈だ。
決して届くことのない怒りをぶちまけ、春原は荒い息を吐く。

少しだけクールダウンした思考を回らせ、何よりまずはここを離れることにする。
あれだけ叫べば、それを聞き付けた他の参加者がやって来てもおかしくない。
それに、さっき逃した二人も―――みすみす逃がしてやる気はなかった。


「………だけどさ」


足を、二人の逃げていった方向に向ける。
覚悟の証として銃の柄を強く握り締め、打って変わって悲しげな顔で、ぽつりと呟く。


「もし最初にお前に会えてたら、きっとこんなことにはなんなかったよなぁ、岡崎」


何処かで悲しみに暮れているだろう親友の名前を呼んで、少しだけ胸が痛んだ。
彼はどうしているだろう。

渚の死を知って冷静を保てているとは思えないが、何やかんや上手くやりそうだと、勝手ながら思う。
頭の中はごちゃごちゃ、整理なんてとても出来ちゃいない。
それでも、自分の役割に従う。
二人を殺さないと―――春原は、疲弊の色を隠すことなく表し、歩き出すのだった。


□ □


「棗さんっ! どうしますか、きっとまだ諦めてないですよ」
「だろうな……あいつは冷静じゃなかった。諦めるなんて利口な判断をするとは思えない」

肩のかすり傷に軽く応急処置を施しながら、恭介は苦笑した。
はっきり言って、その笑いの中には自分への嘲笑が混じっている。
リトルバスターズのリーダーにあるまじき失態。自分と風子のどちらか、もしくは両方が死んでいたかもしれない。
やはりまだこんな状況には適応できないようで、風子は焦燥の色を滲ませている。
物干し竿を失ってしまった彼に残っている武装は海軍用船上槍(フリウリスピア)のみ。
風子には一応護身用にFN-Five Sevenを持たせているものの、彼女に戦わせるのは避けたかった。
危なっかしいだとか、そういう以前に、棗恭介の意思だ。
光の中で暮らしていた女の子に銃を使わせて人間を殺傷させるのは、スマートな手段とは言えない。
いざとなれば彼女に頑張ってもらう時が来ないとも限らないが、出来るだけ避けて通りたい道ではある。


(………逃げるか戦うか、二つに一つだな。しかし、戦えば否応なしに危険が付き纏う。逆に逃げたとしても、相手は銃だ、無防備な背中を向けるのも得策とは言い難い……。
クソッ、せめてもっと遠くに走っておくんだったな。伊吹の体力の心配をしたつもりだったんだが)


どうすべきか。いくつかパターンは想像できるが、どれも納得のいくものではなかった。
こんな時こそ、リトルバスターズの仲間たちが居たなら、まさに無数の作戦が講じられるのだが――どう文句を言ったところでここには二人しかいない。
二人で出来ることを考えるのは難しい。まして風子はほぼ、言っちゃ悪いが戦力外の存在だ。


(こっちは一人、相手も一人。ただしこっち側にはか弱いお姫様が一人……難しいな)


しかし、不謹慎ではあるがやり甲斐のあるミッションだとも、思えた。
条件は厳しい。
クリア難易度は低いが運に左右される。
運が良ければあっさりとクリア出来るが、運が悪ければその場でゲームオーバーだ。
このミッションを攻略する手段を、棗恭介は思考する。


「棗さん、ここは逃げましょう。鉢合わせてしまわないように、賭けるしかありませんよっ」
「いや……少しだけ待ってくれ。絶対にお前には傷を付けさせない。いざとなったらお前だけでも逃がす」
「国民的アニメの大長編みたいに都合よく作戦が思い付くわけないですよっ! 最悪ですっ」


――――――――ん。


その何気ない会話の中で、何かが恭介の頭の中に突っかかった。
国民的アニメ。
子供の頃から見てきたアニメなんかでは、こういう危機的状況を乗り越える為にどうする?
単純だが、多くの場合は身代わりとなる何かを用意して敵を撒くだろう。


「それだ」
「はい?」
「行くぞ伊吹。ミッション、スタートだ」


白い歯を覗かせて、棗恭介はにやりと笑った。
耳打ちでその概要を聞かされた風子は最初こそ何か言いたげだったが―――すぐに、もうどうにでもなれの精神に目覚めたらしい。
それでこそリトルバスターズの一員だ、と恭介は思う。

制限時間は不明。
十秒かもしれなければ、もしかしたら永遠かもしれない。
成功確率は不明。
零かもしれないが、百かもしれない。
そしてそれを必ず百にする、それがリトルバスターズだ。
『リーダー』は、静かにミッションの開始を告げる――――――。


■ ■


「あぁ……くそっ! どこに行きやがったんだ、あいつら!!」


誰の目から見ても冷静とはとても言えないような心理状態で、春原は足音を隠そうともせずに校内を闊歩する。
二人の人間を仕留めた凶器を片手に、苛立ち任せで無駄撃ちをしないように必死に堪えていた。
何も喋らずに歩いていると、春原の記憶、何だかんだで楽しかった学園生活の思い出が去来する。
殺し合いの何処かで深い哀しみに暮れているであろう岡崎朋也。
坂上智代は、こうしている間にも生徒会長として正義を執行しているのだろうか。彼女ならば、同じく殺し合いを善しとしない面子を束ねていそうだ。
古河渚は、あの大人しい女の子は、もういない。

そう考えるだけで春原の心は、岡崎への同情めいた感情に包まれる。

こんなもの、ただの甘えでしかない。
自分の犯した罪から逃げるために、親友を案じるという善の行為に身を預けているだけ。
自分の尻拭いも出来ないヘタレを脱しようとして、むしろ悪化させてしまったような気さえ、する。


(………物音?)


自己嫌悪に陥りかけていた春原を唐突に引き戻したのは、下の階から響く物音だった。
何かを運搬しては設置し、運搬しては設置し―――というような、単純作業を連想させる音。
時折挟まる教室のドアの開閉音に、更に耳を澄ませば僅かながら人の話し声さえ聞こえる。
春原は、不敵な―――だが、やはりぎこちない―――笑顔を浮かべ、出来る限り足音を潜めて歩く。

見つけた、間違いなくさっきの二人だ。
何をしているのかは知らないが、どんな対策を講じたところでこちらは銃。
その威力は、先程の少年で実証済みである。
もはや袋の鼠。そのささやかな対策すら撃ち壊し、ここで確実に二人の参加者を減らしておく。
『春原陽平』ではなく、『殺人犯』の心で考えた。
大分手慣れた手付きでベレッタM92を弄び、静かに静かに、下階の二人の元へと向かう。
小綺麗な階段を降りて行く。物音が止んでいたが、ここまでくればもう気付かれても構わない。
さてどんなことをしてくるのかね―――、と、階段を降りきって廊下の先を見据えた瞬間。


「な、何だこりゃ? ははは、子供のお遊びかよ」


――――廊下の至る所に、大量のゴミ箱が設置されていた。


意気込んでやって来た春原からすれば拍子抜けもいいところだ。
ゴミ箱の中に隠れてやり過ごそうとするなんて、あまりにも安易な手段。
春原は笑いながらベレッタM92を構えると、手近なゴミ箱を一つ、銃撃した。
耳をつんざくような破裂音から一瞬遅れてゴミ箱が倒れる―――中には誰もいない。
風穴を開けて倒れたゴミ箱を乱暴に足で蹴り飛ばし、手近なもう一つにぶつけた。ゴミ箱は動かない。

当たりだ、と思い春原はベレッタM92の引き金を何の躊躇もなく引く。
しかし、その中に人の姿はない。
中に入っていたのは段ボールを丸めて、ガムテープで床に固定したダミーのみ。
こんな子供騙しに引っ掛かった事実に確かな怒りを覚えながらも、春原は三発目の弾丸を放つ。しかしその中身はまたも空。人どころか物の一つもない。
弾丸の残りは既に七発を切っている。


「ちっ! また外れかよ!?」


いい加減にしてくれ、と春原は思う。
残っているゴミ箱の数は三個。
近くに『器具室』と書かれた教室がある為、恐らくはそこから持ってきたのだろう。
こんな小細工にそれだけの手間を掛けるぐらいなら少しでも遠く離れておけばいいものを―――。
引き金を三度、引く。
狙いも定めない闇雲な射撃ではあったが、それらは全てゴミ箱に命中。
そして、春原陽平は―――驚愕した。


「いない………!?」
「いざ、覚悟ぅっ! うまっうー!!」


呆然としている春原の背中に、丁度彼が素通りした器具室から飛び出してきた人影が勢いのある飛び蹴りを喰らわせた。
綺麗に入ったその一撃の衝撃に春原は跳ね飛ばされ、ベレッタM92を思わず取り落としてしまう。

人影―――顔面を趣味の悪い奇抜なマスクで覆い隠した不審な人物―――は素早くそれを拾い上げると、自分のディパックに詰め込んでしまった。
圧倒的な一瞬に春原はしばらく呆けた面をしていたが、自分が一杯食わされたことに気付く。
廊下一面にゴミ箱が置かれていれば、状況が状況なだけに、中に誰かが隠れていると思うだろう。
しかしそれはブラフ。
本命は、殺人犯をノックアウトするための一撃を完璧に決めること―――!


「て、てめえ! 銃を返しやがれ!」
「返す馬鹿がいるか! うまうー……っと。へっ、俺達の勝ちみたいだな」


マスクを外すと、端正な顔立ちの青年の姿が露になった。
何であんな変な格好をしていたのかと不思議に思ってしまう。
本当はあのマスクは、装着した者の身体能力を格段に向上させるアイテムであったことなど、春原には知る由もない。

ディパックにはまだ、一本のサバイバルナイフが入っている。
これを使って突進でもすれば、運が良ければあの青年に刺さってくれるかもしれない。
マスクを外した青年、棗恭介と春原の視線がぶつかる。
どうするか。先の動きを見るに、彼のよく知る生徒会長と同等クラスの身体能力を持っているとみていい。
春原の葛藤を見透かしたような恭介の眼が腹立たしい。
だが、同時に隙だらけでもある。
今なら、闇雲な突進でも十分ナイフを刺せるだろう。
未だ逃げたもう一人の所在が分からないのが気がかりだったが、ここで排除しておくのもいい。
どうせ、いずれ死んで貰う命だ。
覚悟を決めた春原が、そのディパックから一人の少女を殺めた刃を取り出し、構える。


「春原さん………どうして」


開け放されたままの器具室から、幼い声がした。
聞き覚えのある声だった。

「伊吹っ! 今は危険だって―――」

慌てて静止しようとする恭介の隙も、春原の眼には入らない。
姿を現した少女。
小柄で童顔、春原の同学年に比べれば随分と幼く見える。
春原陽平は彼女を知らない。

記憶の中から消え去っていて、忘れ去っている。
伊吹風子の記憶にだけは残っている、一方通行の思い出。
彼女からすれば、彼もまた大切な友人だ。
春原は、何故だか進めずにいた。
この見知らぬ少女を殺してはいけない、そんな観念に捉われてしまう。
潜在的に眠る『忘れ去った筈の記憶』が、風子との思い出を盾に春原を止めていた。
つまり、春原陽平には、知り合いを殺す度胸が、欠けている。
そんなことにも気付けず、棗恭介に組伏せられるまで、何か行動を起こすことさえ忘れてしまっていた。


「っく、離せ! 僕は―――」
「いいから大人しくしておけっての。別にお前の首を獲ったりする気はない」
「そうですよ春原さん」
「…………ふざけんなよ、ほんと」


自分の不甲斐なさに歯噛みしながら、春原は奇妙な感覚を必死に拭い去る。
伊吹風子。彼女の姿を見てから―――どうしても、あれだけ強く固めた覚悟が揺らいでいるのだ。
殺してはいけない、と思ってしまう。
殺したくない、ではなく殺してはいけない。
春原の中の最低限の道徳心が、殺意を良心で圧迫していた。
さっきだって、無理をしてでも突撃すべきだったのだ。
そうすれば、この厄介な男を殺せずとも、傷は負わせられたろう。
ベレッタM92もサバイバルナイフも、既に春原の手にはない。
これでは優勝どころか、まともに生き延びることさえ難しい。

恭介は、春原を押さえ込みながら、一つの疑問を懐いていた。
ひとえに、風子と襲撃者―――春原の、温度差。
記憶に齟齬が生じている。
だが思い出は微かに春原の中に残っている。
これではまるで、『永遠の一学期』のようだ。



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最終更新:2012年06月17日 23:40