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001



どうしましょう。
誰か助けてください。
撫子を救ってください。
目の前にいる悪鬼から。
初対面の人を悪鬼呼ばわりなんて失礼だと言うかもしれません。
ですが、だったら撫子のいるこの場に来てみてください。
ええ、判っています。解っています。
目の前にいるのは確かに人間です。
撫子の常識で捉えるならば、間違いなく人間です。
けれど、例え常識の上ではそうでも、感情が反発してしまいます。
認めたくない事実というやつです。
あの顔を、あの風貌を見てしまったら。
そして、あの目で睨まれてしまったら。
目の前の人間をまともな人間とは思えません。
なので、撫子は目の前にいるそれを、“悪鬼”と呼ぶことにします。敬称略です。
別にいいですよね。撫子がそう呼んでいるだけなのですから。
さて、その悪鬼ですが。
百歩譲っても『かたぎ』の人ではありません。
風貌から気配から、なにからなにまで厳めしいです。
そんな風に顔で人を判断するのは、本来失礼極まりないことなのでしょう。
けれど、怖いものは怖いのです。
心理的に――本能的に。
人間は第一印象ですべてが決まります。
だからこそ、他人から良く思われたい人間は、多少無理をしてでも、猫を被ろうとします。
仮面を被ろうとします。
ですが、それを否定する人間はいません。
仮面を被っている人間に対して、蔑むことも罵ることも憐れむこともしないのです。
当然でしょう――人は誰しも、仮面を被って生きているのですから。
他人を糾弾するどころか、否定すらできるはずがありません。
それが事実です。現実です。真実です。
たかだか十余年しか生きていない撫子が言うにはおこがましい台詞かもしれませんが。
それでも確信をついている――真理だと言っても過言ではないと思います。
長々と語ってしまいました。
要するに、撫子の目の前の悪鬼に対する第一印象は恐怖だけ、ということです。
何が怖いって、ただ顔が怖いというだけではありません。
傷を負っているにも拘らず、満面の笑顔なのです。
笑顔の仮面を張り付けたかのようです。
悪鬼の肩と腹部からは、血がどくどくと流れています。
かなり痛そうです。
ていうか痛くないわけがありません。
でも悪鬼は幸せそうです。ヒールックハッピーです。
今はやりの『どえむ』というやつでしょうか。
痛めつければ痛めつけるほど、それが快感に繋がる性格――性質でしょうか?
どちらにせよ、嫌悪感を抱かずにはいられません。
間違えました。
悪寒を感じずにはいられません。
がくがくぶるぶるです。
そうして体を震わせながら、撫子は立ちすくんでいます。
さっきから目の前といいつつ、悪鬼との距離は十メートル近くありました。
けれど撫子には、悪鬼がかなり近くにいるように思えました。
悪鬼の身体が大きく見えるのです。
プレッシャーというやつでしょうか。
あの吸血鬼の少女、忍ちゃんと似た空気を纏っています。
ヒトではない存在特有のそれを。
やっぱり人間とは思えません。
ぶっちゃけ超恐いです。
どうしてこんなことになったのでしょう。
どうしてこんな怖い思いを――しんどい思いをしなくちゃならないのでしょう。
ああ、誰か。
いえ――暦お兄ちゃん。
どうか助けに来てください。
悪鬼の魔の手から、撫子を救ってください。



002



状況が呑み込めない人もいるでしょう。
だから説明することにします。
正直に言うと、撫子の中でもぐちゃぐちゃしていたので纏めたかったのです。
この混濁した状況を。
この困惑した感情を。
撫子の中でどうにか纏めたかったのです。
ではいきますね。
――遡ること千年前。
なんて、もちろん嘘です。
事実無根です。根も葉もないです。でっちあげです。
撫子は嘘吐きなのです。
虚偽の発言で他人を欺いた女です。
悪逆非道です。生きている価値もありません。
とまあ、ちょっと『じぎゃくてき』になってみました。
深い理由も浅い理由もありません。
単なる気まぐれ、いえ、ただの気晴らしと言ったほうが正しいでしょう。
撫子流、ストレス発散術です。
巻き込んでごめんなさい。謝罪します。
本当は、正確な時間はわかりません。
これは嘘ではないです。
五分前かも知れないし、十分前かも知れません。
とにかく、数分前ということにしておきましょう。
数分前、撫子はクチナワさん――腕に巻き付いた神様に起こされました。
放送が始まる直前に起こしてくれるよう頼んでおいたのです。
文字通りの神頼みです。
神様に頼むことにしては小さいですが。
目を覚まして数秒後に放送が始まりました。
その正確さにおいては、クチナワさんは評価できます。
流石は神様です。
口煩くなければより神様らしいのですが。

「おいおい、神様に向かって口煩いとはあんまりじゃねぇか?」
「…………」
「それに、俺が全く喋らなかったら、撫子ちゃんだって不安だろう?
 殺し合いの中でも撫子ちゃんが平常心でいられるように、こうして喋っているんだぜ」

こんなふうに延々と喋りかけてくるので、煩くて仕方がありません。

「口が減らないなぁ撫子ちゃんは。そもそも神様ってのは人間を導く存在だぜ?
 そして導くためには言葉が必要不可欠なんだ――少々口煩くても我慢して欲しいね」
「……クチナワさんの言葉は人を導くものじゃなくて、ただの茶々でしょ?」

しゃしゃ、とクチナワさんは笑って口を閉じました。
様子を見るに図星のようです。
さぞかし耳が痛いでしょうね――あれ?

「クチナワさん、蛇って耳はあったっけ?」
「ああん?……鼓膜はあるが、耳たぶはねえよ。蛇は空気中の音を聞き取れない。
鼓膜や耳が退化しちまってるからな。その代わりに下顎で地面の振動を感知しているんだ」

やけに細かく教えてくれました。
そうですか、耳は退化してしまったんですね。
じゃあいくら苦言を呈したとしても、クチナワさんの耳は痛くも痒くもないのでしょう。
まあ、神様に苦言を呈することなどないでしょうが。
もしそんな人がいたとしたら、どれだけ怖いもの知らずなんだ、って話ですよね。

「撫子ちゃん、話が逸れまくってるぜ」
「え……?」

そうでした。
撫子は状況を纏めようとしていたのでした。
混濁した状況を纏めようとしたら、話が混濁していました。
さっさと話を進めましょうか。
これ以上だらだらと話していると、文字数稼ぎと思われかねません。
実際のところ、その通りなのかもしれませんけどね。
話は逸れまくりましたが、今度こそ回想シーンです。
撫子としては、思い出したくもない記憶ですが――見たいというのなら、どうぞ。



003



撫子はクチナワさんに茶々を入れられつつ、放送を聴いていました。

『悲しいですか?嬉しいですか?何も感じませんか?
脱出を目指しているあなたに問います。あなたは大事な人を失ってでもその理想を掲げられますか?
ゲームに乗っているあなたに問います。この結果にあなたは満足出来ますか?』

放送は、確かこんな問いかけで締めくくられました。
ですが撫子は、問いかけられて特に何かを考えることはしませんでした。
郷田と名乗った女の人の声は、あからさまに挑発をしていました。
『あおり』というやつです。
参加者の人々の心を揺さぶろうとしたのでしょう。
それくらい人生経験の貧しい、中学生の撫子でもわかります。
だからむやみに挑発に乗ろうとはしなかったのです。
――いや、実際のところは、考えるのがしんどかっただけなんですけど。

「しゃしゃ、正直だねぇ。まぁ、ああいう挑発には乗らなくて正解だと思うぜ」
「…………」
「ああん?どうしたんだい撫子ちゃん。蛇が蛙に呑まれたみたいな顔をして」
「クチナワさんと意見が合うなんて……」

まったくもって意外でした。

「そんなに驚かれるとは心外だな」
「だって、クチナワさんは良い神様には見えなかったから……」
「おいおい、それは流石に言い過ぎだろ。神権侵害だぜ撫子ちゃん」

人権侵害ならぬ神権侵害とは。
そんな恐ろしいこと、誰がしようと考えるのでしょう。

「そこまで大それたことをする気はないよ」
「というか俺様は撫子ちゃんが揺さぶられなかったことにびっくりだよ。
 十四人も死んでいるんだぜ?暦お兄ちゃんが死ぬ可能性だってあるぜ?」
「えっ!?」

揺さぶられました。
見事に揺さぶられました。
そうか、暦お兄ちゃんが死ぬ可能性も――。

「って、いやいやいやいや。それはないよ、クチナワさん」
「ああん?どうしてだよ撫子ちゃん」
「暦お兄ちゃんが死ぬ可能性なんて、漫画の長期連載でストーリーが破綻しない可能性くらい低いよ」
「なんでそこを漫画で例えようと思ったんだよ……」

クチナワさんはそういいますが、撫子は信じて疑いません。
長く連載を続けていれば、矛盾が出てきてしまうのは当然です。
その矛盾を抱えてでも話を進めることで、愛される作品になっていくのですから。
かの有名な、キン肉星の王子が主人公の漫画だって――。

「あー、いいかな撫子ちゃん」
「え……なに、クチナワさん。正義超人と悪魔超人の長きにわたる戦いの歴史を聞きたいのかな?」
「いや、興味ないから。それより暦お兄ちゃんのことだよ」
「……ああ、そっか」

そうでした、すっかり忘れていました。
撫子の様子を見たクチナワさんは、まるで溜息をつくように首をもたげました。
『へきえき』させてしまったのかもしれません。
そうですよね。いい加減、しつこいですよね。
それじゃあ本題に入りましょうか。

「暦お兄ちゃんがタッグを組むなら、アシュラマンだと思うよ」
「なるほど……って、なんでだよ!!」
「だって魔界の王子(プリンス)だよ?暦お兄ちゃんの相棒としてぴったりだよ!」
「いや、そこじゃなくて……」
「怒り、笑い、冷血の三つの顔を持つアシュラマンと、吸血鬼と人間の二つの顔を持っている暦お兄ちゃん。
 この上なくシンクロしているよ!まさに夢のタッグだよ!!」
「…………」

あれ、返事がありません。
ただのしかばねなのでしょうか。
それとも抜け殻なのでしょうか。
あるいは――ただの白いシュシュになってしまったのでしょうか。

「撫子ちゃん。仏の顔も三度まで、って知ってるかい?」
「えっと……仏様のご慈悲は三度までしか受けられないってことだっけ」

考えてみれば妙な話です。
何人をも救済する立場の仏様なのに、三度までしかその救済を受けられないというのは。
酷いです。不条理です。
でも、なんでクチナワさんは突然そんなことを言い出したのでしょう。

「俺様は神様だから、厳密には仏とは違うんだがな。
まあ何が言いたいかっていうと、とっとと話を進めようぜってことだよ」
「話……?」
「ああん?まさか冗談でなく、ワザとでもなく、さっきの話をしてたってのかい、撫子ちゃんは?
 ……おいおい、大丈夫か?いやどう考えても大丈夫じゃあねえか……」

話とはなんでしょうか。
呆然とする撫子に対して、クチナワさんはなにやら呟いています。
何があったのでしょうか。当然あったのでしょうが。
まったく見当もつきません。
見当をつけようともしませんでした。
考えるのもしんどかったので、ぼんやりしていました。
すると、数分したころでしょうか、クチナワさんが口を開きました。

「……なるほど、どうやら少々壊れちまってるようだな」
「え?」
「いや、いいんだ。形ある物は必ず壊れて、いずれは滅びるんだからな。
 撫子ちゃん、受け止めるのは難しいかもしれないけど、それでも目の前の現実から目を逸らしちゃ駄目だ」

クチナワさんが真面目な事を言い出したので、撫子は反応が追いつきません。
どうしたというのでしょう。

「しゃしゃ、分かってるとは思うが、これはバトルロワイアル――純然たる殺し合いだ。
 そして殺し合いをさせるのが目的の主催者共は、参加者のパワーバランスを調整している筈だ。
 圧倒的で、理不尽で、桁外れな能力は、全部弱体化してると見ていい。
例えば“死ににくい能力(チカラ)”なんてのも弱体化させられてるだろうさ」
「ど、どうしたのクチナワさん、急にそんなこと……」

やっと反応が追いついた撫子は、慌ててクチナワさんに向かって話しかけました。
けれど、クチナワさんは全く話を止める気配はありません。

「急に? 俺は最初から、至って真面目だぜ?
この殺し合い――主催者曰く“ゲーム”についてもな。
撫子ちゃん、ゲームで一番楽しい瞬間はなんだ?ああん?
持てる限りの技術を総動員して勝負に挑み、その結果得た勝利だろう?
所謂“劇的な勝利”だ。弱者が強者に勝つ瞬間を、主催者共は希求してやがる。
だから弱体化の制限をかけるんだ――強者が弱者を嬲り殺しにしないように、ゲームが簡単に終わらないように。
 この島では不死性なんて意味がない。最強なんてただの称号だ。起こりうる可能性は無限大だ。
もう解ったろ――この島では、大好きな暦お兄ちゃんが死ぬことだってありえる」
「…………」

勢いよく捲し立てるクチナワさん。
いつにも増して『じょうぜつ』になっているように感じます。
撫子はそれに対して何もしませんでした。
何も返せませんでした。
最後の部分は、聞くまいと両手で耳を塞ぎました。
これほどまでに、自分が蛇だったらよかったと思ったことはないというくらい。
強い力で、耳を抑えつけました。
けれど、そんなことに意味はなく。
しっかりと、はっきりと――クチナワさんの言葉は、撫子の耳に入ってきました。
心に刻み込まれた、といってもいいでしょう。

「と、とにかく……」

二の句が継げなければ、誤魔化しの言葉も、意味をなしません。
自分でも分かるほどに弱々しく呟いた瞬間、心――ではなく、腕が急激に震えました。
かなり痛いです。激痛です。
これと同じ痛みを、撫子はつい最近経験しています。

「これは……クチナワさん!?」
「ああ。例の反応だ……近いぜ!」

クチナワさんが興奮していることからも、間違いないでしょう。
撫子の償いの証となる、クチナワさんのご神体。
この震えは、それを感じたときのクチナワさんの反応です。
つまり、この近くにご神体があるということです。

「さあ撫子ちゃん、二時の方向だ!」
「に、二時……?こっちでいいのかな?」
「ああ、さあ速く!!」
「う、うん……分かったから、この震えを止められないかな?痛くて堪らないよ」
「ああん?……悪いが、ご神体が見つかるまでの辛抱だ」

撫子の提案はすぐに却下されました。
仕方がありません。
とにかく今は、クチナワさんのダウジングに頼るしかなさそうです。
撫子は二時の方向へと走りました。
また誤作動でなければいいな。
そんな希望と不安を、半々に抱きながら。



004



結局のところ、誤作動でした。
残念無念ということです。
ダウジングが示した場所、それは地図にも載っていた祠でした。
神社や神宮ではなく、小さな祠。
クチナワさんのご神体がある場所としては相応しい――そう撫子は思ったのですが。

「ふっ……お嬢ちゃん、どうやらまた誤作動しちまったようだ、すまねぇな」

祠を含めた周囲を探し尽くした後になって、クチナワさんはそう言いました。
いつもと声色を変えているのは、誤魔化しのつもりでしょうか。
そうはいきません。
十分弱とはいえ、撫子は頑張ったのです。

「……また、なの?」
「ああん?だから謝っただろうが、しつこい子は嫌われるぜ?」

なんということでしょう。
誤作動をしたのはクチナワさんだというのに、まるで悪気がありません。
天上から目線です。
神様だけに。

「……とにかく、これからどうするの?また当てもなく歩き回るの?」
「しゃしゃ、それしかねぇだろうな」
「えぇ……」

無慈悲なクチナワさんの言葉に、項垂れてしまいます。
さながら蛇の様に。
我ながら下手な例えですね。
ともあれ、これでクチナワさんの失敗は二度目です。
神様にだって失敗くらいあるでしょうが、それでも信頼度は大幅ダウンといっていいでしょう。

「おいおい、すべからく神様が全知全能で完全無欠だなんて、誰が決めたんだい?
 不始末を起こした神々なんてごまんといるぜ?――日本だけで八百万もいるんだからな、しゃしゃしゃ」

おや、今の発言はグレーじゃないでしょうか。
八百万の神に謝っておいた方が賢明ですね。
そういうクチナワさんですが、神に期待をしてしまうのは仕方がないと思います。
期待をしてしまう――押し付けてしまう。
人は何か、自分に成せないことを他人に押し付けようとする傾向があるように思えます。
その対象として――こういっては失礼でしょうが――最も手軽なのが、神様なのではないでしょうか。

「しゃしゃ、そうだなぁ……困ったときの神頼み、という言葉もあるしな」
「うん……。だから神様を名乗る以上、撫子がクチナワさんに過度な期待をしちゃうのは仕方ないよ」

そう、クチナワさんが撫子に無条件に信頼されたように。
撫子が笹藪先生から学級委員長の役目を押し付けられたように。
他人から重すぎる期待をされてしまうのは、仕方がないのでしょう。
神という、全知全能をイメージする相手ならなおのこと。
神と同列に自己を、撫子を語るのはおこがましいですが、それはそれとして。

「とにかく、もう誤作動は止めて欲しいな」
「善処するさ、しゃしゃ」

軽薄な態度を崩さないクチナワさん。
はあ、と撫子がこれ見よがしに溜息をついても、ただ笑っているだけです。
まったくもって不遜です。
本当に神様ですか、あなた。
本当なら文句の一つもいってやるべきなのでしょうが――撫子は早々に諦めました。
しんどいことは嫌いですから。

「……近くに、人がいる気配がするな」
「え?」

諦めた途端、クチナワさんがそう言いだしました。
あまりにも唐突過ぎて、妙な声を上げてしまいました。

「しかも一人や二人じゃねぇ……少なくとも五人はいるな」
「こ、暦お兄ちゃんは……いるのかな?」
「しゃしゃ、今居るここじゃ分からない、としか言えないな――近付いてみるかい?」

クチナワさんは、愉快そうに笑ってからそう問いました。
人と接触することが嫌な撫子を、その声は試しているように思えました。
つまり――お前にできるのか、と。
巫山戯るように。
嘲るように。
そして試された撫子は――躊躇わずに頷きました。

「うん。暦お兄ちゃんがいるかもしれないなら、行くよ」
「恋する乙女はこうも積極的になるものなんだな――あるいは、障害がなくなるかもしれないから、か?」
「……どういう意味?」
「気にしなくていい。それじゃ、行こうか」

撫子の質問には答えず、方向を指図するクチナワさん。
真意を見せないこの不遜な神様に対して、若干不信感を強めながらも、撫子は黙って歩きます。
暦お兄ちゃんと会えるかもしれない。
なんといっても、撫子の心を動かしていたのはその可能性です。
人がいっぱいいるという状況は悩みどころですが――我慢できないことはありません。
それよりも懸念すべきは、ある可能性です。

「もし暦お兄ちゃんがいなかったら、そのときは一目散に逃げるからね」
「あぁん?いいぜ、分かったよ」

クチナワさんは呆れたように、一応の了承をしてくれました。
そして、歩くこと一分弱。
今までは聞こえなかった音が、撫子の耳に響いてきました。
時代劇でしばしば耳にする、剣と剣がぶつかり合う効果音に似たそれ。
いわゆる剣戟というやつです。

「く、クチナワさん……これって、誰かが戦っているんだよね?」
「しゃしゃ。そうみてぇだなあ」

飄々とした態度を崩さないクチナワさん。
この神様は、何故こんなにも余裕があるのでしょうか。
余裕そうに見えて、その実、何も考えていないだけなのかもしれません。

「はぁ……」

項垂れてため息をついてしまいます。
太陽が昇って、周囲は充分明るくなったと言えますが、それでも木々に覆われた森の中にいると暗い気分になります。
さながら沢山の人間に囲まれているような。

「しゃしゃ、ビビりすぎだぜ」
「う、うん」

そんな考えも、クチナワさんにばっさり切り捨てられました。
ああ無情です。
神様らしからぬ残酷な物言いに、無性に腹が立ちます。
――いえ、神様なんて、いつの世も残酷なものなのでしょうが。

「さあ、早く行こうぜ、撫子ちゃん。文字数稼ぎも大概にしなきゃいけねぇだろ?あぁん?」
「……うん、そうだね」

さておき、とりあえずはクチナワさんの言葉に従います。
後半に何を言っていたのかは全く解りませんが(我ながら棒読みです)、時間を無駄にできないのは確かです。
覚悟を決めて、撫子は戦闘音のする方へと近づいて行きました。
そして、その現場に出遭いました。

「ひっ……!」

そこでは、四人の男女(プラス虎)が戦っていました。
構図としては、三人の高校生くらいの男女対、一人の大柄な男の人でしょうか。
その中でも一際撫子の目を引いたのは、大柄な男の人でした。
奇抜な髪型といい、着ている羽織のようなものといい、興味を引くところは幾つもありました。
ですが、それ以前にその男は、まるで化け物のような威圧感を発していました。
見ただけで、つい悲鳴を漏らしてしまうくらいの。

「い、いや……」

悲鳴を漏らしたということは、つまり恐怖を感じたということで。
殺し合いに現実感を持っていなかった撫子は、このとき初めて――死の恐怖を実感したということです。
目の前の、荒々しく剣を振るう大男に。
より詳しく言えば、男の背中が発する威圧感――そして、全身から溢れる殺気に。

「いやだよ……」

さて、考えてもみてください。
しんどいことが大嫌い、人間関係が大の苦手、そんな千石撫子という大人しい少女がいました。
大人らしい、じゃありません。大人しい、です。
むしろ精神は未熟です。
そんな撫子が、殺し合いという残酷な舞台に立たされて、あまつさえ日本刀を持たされて。
ストレスを微塵も感じないでいられると思いますか。

「嫌だよ、暦お兄ちゃん……」

当然答えはノーです。
ストレスも、ついでに死の気配も、ばりばり感じていました。
ただ、撫子は持ち前のスルースキルで、それらを回避してきたに過ぎなかったのです。
俯いて、黙って、事なきを得る。
撫子にとって、それがトラブルから逃げる常套手段だったのですから。

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――」

では、それが通じないことを知ったとき、撫子はどうしたのでしょうか。
化け物じみた大男から感じ取った強大な殺気。
比喩的に表現するならば、死の香り、とでもいうのでしょう。
しかも、暦お兄ちゃんが死ぬ可能性もあるとクチナワさんに言われた直後のことです。
精神がブレブレの状態でのことです。
無視は出来ません。
回避も出来ません。
反抗も出来ません。
この状況を改善しようにも、それだけの力を持ち合わせていないのです。
では、撫子は一体どうしたのでしょうか。

「――――――!!!!!」

正解は単純明快。
つまらないとも月並みであるともいえるもの。
膨大な量のストレスに押し潰されたせいで起きること。
それはいわゆる――発狂、でした。



005



さて。
これにて回想は一段落したことになります。
実際は、この後「ざんぱくとう」の解号を錯乱気味に叫んで、悪鬼に刀を突き刺すところまでですけれど。
尺の都合という名の作者の都合が――いえ、なんでもないです。
各自脳内保管を済ませて頂ければ嬉しいです。
発狂して叫びながら大男に向かって刀を突き刺す少女の画です。
………………。
…………。
……。
はい。
ご想像できましたでしょうか。
それでは、先に進ませて貰います。



006



「ほぉ……またガキが現れやがった」

悪鬼に突き刺した刀が撫子のもとに戻って来たとき(どういう仕組みなのでしょうか)、悪鬼はそう言いました。
三人の男女は言葉もなく、立ち尽くしています。
それが当然の反応だと思います。
異常なのは、刺されたのに平然としている悪鬼です。

「…………」

ひ弱な少女なら卒倒してしまう程のオーラを、目の前の悪鬼はこれでもかと向けてきます。
撫子が普段通りの撫子ならば、当然気絶していたでしょう。
ですが、発狂した今なら話は別です。
普通の精神状態ではないのですから。
最高に「ハイ」ってやつ――では、ないですけど。
似たようなものだと考えてください。
冒頭でやけに撫子が饒舌だったのも、発狂したのが原因です。

「おいおい、こじつけにもほどがあるぜ撫子ちゃん」

クチナワさんが何か言っていますが無視します。
いくら普通の精神状態ではないとはいえ、この状況で平然と返事ができるほど撫子は強くありません。
なにせ、目の前に悪鬼がいる、絶体絶命のピンチなのですから。

「……発狂しても、この状況がピンチだってことは分かるんだな」

クチナワさんがぼそっと言いました。
確かに、ピンチをピンチと思えるくらいには、平常心が戻ってきたということなのでしょう。
できれば戻ってきて欲しくなかった、とも思いますが。
ハイな状態なら何でもできる気がしますが、ロウな状態では何一つできない、それが撫子です。

「なんで市丸の刀を持っているのかは知らねえが……
俺に攻撃してきたってことは、俺と戦いてえってことだよな?」

悪鬼はそう問いかけてきました。
ひどい勘違いです。どれだけ決闘が好きなんですか。
そう言ってやりたい気持ちでいっぱいでしたが、かといって言う度胸はありません。
結果、無言を貫き通すことにしました。

「どうなんだ?はっきりしろよ」

どん、という擬音が聞こえた気がして、悪鬼の発するプレッシャーが増しました。
撫子は、着ている服の裾をぎゅっと握りしめました。
無言を貫き通せるのか不安です。
このまま貫き通していたら、怒って斬りかかられそうです。
かといって「ついかっとなってやった」と言ったところで、状況が良くなるとは思えません。
いわば詰み状態です。
殺される未来しか見えません。
どうしたらいいのか、撫子には状況を打開する策が浮かびません。
とにかく、とか、さておき、とか、そんな単純な言葉で誤魔化せる状況でもありません。
悪鬼はゆっくりと、地面に草履の擦れる音をさせながらこちらに近づいてきます。
一歩。二歩。三歩。
威圧感はどんどん増していきます。
そして、とうとう撫子が膨大なプレッシャーに耐えきれず、気絶しかけたとき。

「おい、待てよ」
「ああん?」

撫子と悪鬼の間に、男の人が立っていました。



007



「お前の相手は俺だ。この女の子は関係ない」

目の前に立った男の人は、そう言いました。
まさか庇われるとは思っても見なかったので(期待をしていなかったといえば嘘になりますが)驚きました。
一先ずは助かったと考えて良さそうです。

「あぁ?……そうかい、そこまで言うんだから楽しませてくれよ?」

対する悪鬼は少し不満そうな顔をしましたが、すぐに笑みを浮かべました。
相手は関係なく、とにかく闘えればいいのでしょう。
生粋の戦闘狂――存外、悪鬼という呼び名は間違っていなかったかもしれません。
そんなことを考えていたとき、撫子の後ろから声がかけられました。

「人吉っ!無茶をするな!ここは一旦、体勢を立て直そう!」

声をかけた男の人は、木にもたれかかって、肩で息をしていました。
よく見ると体中傷だらけで、かなり疲れているように見えます。
もう一人、声は発しませんでしたが、女の人も近くにいました。
あ、あと虎も忘れてはいけませんね。

「いや……それをさせてくれる相手じゃない」

人吉と呼ばれた男の人は、振り返らずにそう言いました。
そして、勇敢にも悪鬼に近付いて行きました。
死すら覚悟した行動。
その行動を見た二人は、黙ってしまいました。
何も言えなかった、というのが正確かもしれません。

「へへ……わかってるじゃねぇか」
「行くぜ、眼帯野郎」

そう告げた人吉さんの眼。
強い覚悟をした人間の眼。
あれを見てしまったら、気軽に声をかけることはできません。

「さっさと始めようぜ。……手応えがねえなんてことは、許さねえからな?」

悪鬼は相も変わらず殺気を放っています。
けれども人吉さんは、それに臆することなく悪鬼の前に立ち続けます。
背中は泥で汚れていましたが、とても力強く見えました。

「言われなくても、俺は、お前を倒す」

人吉さんが返したのは、最小限の言葉。
殺気を受けても微動だにしない、その後ろ姿。
極限まで集中しているのが、傍目から見ていても分かります。

「……いいねぇ。強い闘気が滲み出ているぜ」

それに比べて悪鬼は、余裕そうに『しぎゃくてき』な笑みを浮かべています。
これから起こる決闘に興奮しているのか、とても楽しそうです。

「カッ!俺は強くなんかねぇよ――強く在りたいだけだ。
 誰よりも正しい、いや、正しすぎる女の子の為に、な」

なにごとか呟いてから、人吉さんはゆっくりと、格闘家のような構えを取りました。
ただ、撫子のような素人から見ても、肩に力が入りすぎています。
やはり緊張しているのでしょう。
それでも悪鬼の目の前に立ち続けていられるのには、尊敬します。

「おいおい、力むなよ――全力で来い」

悪鬼は人吉さんの緊張に、当然のように気付いているようです。
刀を構えることもせず、リラックスしたように立っています。
緊張した様子など、欠片ほども見受けられません。
果たして、人吉さんはこの悪鬼を打ち倒すことができるのでしょうか。

「…………」

さて――ここで、唐突にですが視点を変えさせてもらいます。
ずっと撫子の視点から紡いできたこの話を、人吉さんの視点へと変えます。
さながら、欲視力(パラサイトシーイング)のように。
やはり傍観者としての視点からでは、決闘にも臨場感がでませんしね。
不自然な変わり方かもしれませんが――まあ、原作者も同じですから問題はないでしょう。
それでは、続きをどうぞ。


―――――

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