第三話

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*[[BACK>紺沌のナミダ]]  ----      第三LV <御対面カオス>   「アシュレイさん。興味が湧いたでしょう、その医車に」 「………………」  図星であった。  トレマルから医車の特徴を聞かされ、アシュレイはある人物を真っ先に想起してしまった。  情報が全て正しければ、間違いなく同一人物だろう。 「……だが、アイツは。もう死んでいる筈だ………信じられん!」  重々しく呟き、首を振るアシュレイ。  かなりの困惑が見て取れる。 「それにだ。もし万が一、アイツが生きていたとしよう。  俺はあいつに逢ったとき、何と言えばいい?何と言って、ヒトミの蘇生を頼めばいいんだ!  ……いや。考えるまでも無いか。だってアイツは、あの時に死んで…………いなかった、のか……?」  彼は、件の人物は既に死んだと考えている。  しかしそう断定は出来ないところに、トレマルは突け込んだ。 「これで尚更、訪ねてみる必要があるのではないですか?  ヒトミさんを生き返らせる事は最重要でしょうし、同時に気になる医車の生死も確認できるわけだ。  どうです、悪い話では無いと思われますがね」 「ぬぅ……」  アシュレイは頭を抱えている。  トレマルは、駄目押した。 「これは貴方だけの問題では無いのですよ。分かりますでしょう!」    頭を片手でぼりぼりと掻き。  ついに、アシュレイは決断した。 「あぁァァ!……仕方無ぇ。……さっさと行こうぜ、薫月亭へよ。そこに、やつは居るんだろ?」    二人はコロッセオを後にし、夕闇のラングフルク大通りを急ぐ。  夕陽に彩られたコロッセオは実に美しかったが、二人が振り返る事は無かった。  大通りは緩やかな傾斜になっており、降るぶん勢いもつきやすい。  無数のシミラーとすれ違いながら、コロッセオから四十分ばかり歩くと、いよいよ陽も沈んでしまった。  夜の色が街を染め始める時分となる。  深い青色になった通りをもうしばらく歩き、アシュレイ達は繁華街ではなく、“スラム”のほうへ進路をとった。  住居と住居の極めて狭い隙間を幾つも抜けていくと、やがて視界が開け、広場と沢山の建物が見える。  そこがスラムであり、古めかしい高いアーチがその入口である。  実際のところスラムとは名ばかりで、繁華街より裕福な民のほうが多い。あくまでこの区域を俗に称したものであった。  それというのも、教会の定めている歴史基準をオーバーしているものばかりなのだ。  看板のネオン、自動で開く入口のドアなど、探せばきりが無い。  しかしそもそも機械人を構成するのが、超越した科学技術である。  献金次第で、教会も建築物にそれらを設けることを見過ごしてくれるという。  ただ、それでも教会の理念を真面目に支持する者達が黙っていない。  彼らに追われるようにして、教会に反抗的な者、単純に奇をてらいたい者達が集まり住む。スラムとはそういう場だ。  アシュレイは、「いつも行っている酒場に少し寄るだけだ」と己に言い聞かせ、ゆっくりとアーチの下を潜った。  トレマルもそれに続く。   「薫月亭は、この先だったよな……」  夜空の明かりと店の光に導かれ、二人は無難に目的の店へと辿り着く。  外から見れば木造の、いたって普通な酒場に見える。  だがここの常連客でもあるアシュレイは、中が本当はどのような装いになっているか知っている。  普段ならば、すぐにでも入ってゆくところであったが……  急に立ち止まってしまったアシュレイに対し、トレマルが後ろから声をかける。 「足が、すくんでいるようですけど」  「……頼む。押してくれ」  トレマルはアシュレイの背中を押し、入口の階段を登らせた。  そのまま身体で扉を押し開けさせ、店内へ転がり込ませる。    薫月亭、内部。  中世から四百年ばかり先のモダンな装いをしており、外観とのギャップが凄まじい。  酒場というよりも、高級クラブといった言葉のほうが似合いそうである。  紫色の照明が店内を照らし、上品か下品かよく分からない曲が流れている。  この日はスーツを着込んだ体格様々な男たちが、店内中央のステージで静かに楽器を演奏。  そして彼らより一歩前に出るようにして、赤い燕尾服を着込んだ小柄な娘が唄っていた。  娘は目元だけを隠す、猫の顔を象ったような仮面をつけている。 「む……」  その歌姫は、常連のアシュレイでも初めて見る相手だった。  彼女は先に酒場に居付いていた客達に対し、自らの美貌と美声を存分に魅せている。 「消えゆく想い 繋ぎ止めたくて わたしはあなたを憎むでしょう———————  わたしはわたしを傷つける あなたを愛し 想うほどに———————」   まるで呪詛のような詞をなぞる声は甘く、切ない。  アシュレイは、歌姫に心を奪われた。  全て、あまりにアシュレイの欲望に忠実であったから。  歌姫は悩ましげな声をあげて身をよじり、しかも腰には黒い下着をつけているだけ。  太ももを半分以上を隠すロングソックスに、靴は黒のヒール。実に奇妙な取り合わせである。  店内の客はいずれも魂を抜かれたかの如く、娘に見入っている。  店は、娘の妖しさで満たされていた。   「………」  アシュレイもまたそれに倣うかのごとく……いや、導かれるようにして、ふらりとステージの最前席に座る。  彼はそこで、本来の目的を忘れてしまいかねないほどの悦に浸って、不思議な歌声を聴いた。  目を閉じると、そのまま二度と目覚められなくなるのでは。そんな想いに駆られるほどだ。  あまりの心地良さからか、アシュレイの脳裏に、最も幸せだった頃の情景が浮かぶ。  戦場でヒトミを救い出したところ意気投合し、妹のレラにも彼女を紹介してやったときのこと。  “なんだこの不埒な女は”と互いに口を尖らせるも、ヒトミとレラはすぐに打ち解け、三人での新生活が始まる。  素敵な、回想。アシュレイは、夢を見ている。  そんな夢の提供者である歌姫はというと、やはり一心不乱に歌い続けていた。  だが、ふと、一番前の席に視線を止める。  そこで髪を逆立てた、一人の男を発見する。  ——————沈黙。  ステージ上から可能な限り近付き、仮面のガラス玉越しに彼を、じっくりと凝視する。  じっと。じっ……と。  次いで、彼が両腕で大事そうに抱える、籠の中身さえも。  見透かしていた。  彼女の瞳は、誰に知られることなく紫色に輝いていた。  素晴らしい歌を中断し、何故たった一人の男だけを見つめているのか、客達には知る由も無い。  娘は唐突に歌うのを再開した。  けれど先程とは、声の調子が変わっている。   「無垢へ向け 赤い手紙を届けてみてはどうでしょう  それはきっと とろけながら流れていき 何もかも赤く染めてしまう  だから誰にも届かないでしょう  そんなこと最初から知っていて 分かりきっているけど  わたしはペンを走らせる この世で一番愛しい 貴方の為に——————」    静かで、押し殺すような声に、アシュレイが酔ったように見ていた幻想は急速に崩れていく。  彼ははっと我に返り、閉じていた眼を開くと、仮面の娘が目前に降り立っていた。   「どうしてこんなにも……いったい、いつから……  僕は息をすることが苦しくなってしまったのだろうね、兄さん」  それが、歌の終わりだった。アシュレイは呆然と娘を見返した。 (やはりお前は、俺の————)  アシュレイが何か言おうと試みるが、それよりも早く……  娘が信じられないほど強く、素早く動き、アシュレイから籠を引ったくった。 「あ!……なにッ?」  彼の狼狽を捨て置き、娘はそのままステージ上まで、ポニーテールと燕尾服をなびかせながら飛び退る。  そして籠から遠慮無く女の生首を取り出し、髪を掴んで掲げてみせた。  さらにそれを、ステージの床に叩きつける。  大きく跳ねてから、ごろごろと転がるヒトミの頭部。  一連の奇行を客達はパフォーマンスだとでも思っているのか、もしくは未だ歌の魔力が抜け切らぬのか。  皆はただぼんやりと眺めていたが、アシュレイだけは違っていた。 「おい……貴様ァ!」   今にもステージに駆け上がろうとする彼を、娘は声だけで制する。 「待ってッ!いいから、よく見て!」   娘の指差した先にあったのは、他ならぬヒトミの頭部だった。  だが、何か様子がおかしい。ごとごとと、振動しているのだ。 「なっ……?」    真っ黒いセミロングの髪が一瞬で、あたかも吸いこまれるかの如く頭の中へと消え、替わるように銀色の頭髪がばさっと生える。  さらに、顔の形にも変化が表れていた。眼の下にはクマのような黒い染みが広がり、瞳の色も緑から赤へ。  もはや、全く別人の顔立ちになっている。  口元に残忍な笑みを浮かべ、娘とアシュレイを交互に眺める。 「ヒ、ヒトミが……!」    驚愕するアシュレイに対し、当のヒトミが言い放った。 「ふははははははははッ、いつまで騙されてるんだよ。間抜けな野郎め!」  ヒトミ?の頭部がふわりと浮き上がると、首から大量のコードが伸びてきた。  ギュルギュルと耳障りな音を立てながら、おびただしい数のコードが木の枝のように何度も複雑に絡み合う。  そうやって、胴体、腕、脚、乳房———体の形を順に造っていく。  形が整うと、コードの表面を人の肌のように見える薄い膜がそれを覆っていく。  わずか数秒で、マネキンのように無機質な身体が形成される。  最後に口から一枚の長い法衣を吐き出すと、それを裸体の上から着込む。  こうして、仮面の娘と対峙するように、一人の女が出現した。  女はアシュレイを無視し、意気揚々と娘のほうに語りかける。  「さすが、お前はからくりにすぐ気付いたようだなァ……。やっっと見つけた。  会いたかったぜェ、”レラ・バンデット”。いや、今の名はティルミン・レラか」  その名を聞き、アシュレイはびくりと身体を硬直させる。  娘はそんな彼の様子を一目だけ見てから、静かに、仮面をとった。  あっと息を呑むアシュレイ。  間違いなかった。  三年ぶりに目撃する、実の妹の素顔だった。  仮面の娘————レラは、再度アシュレイを見つめたが、やはり何も言わない。  続いて店に居る人間達を見渡すと、悲痛な声で叫んだ。   「みんな………逃げて!この銀髪の女は………」  本人が、言葉を引き継ぐ。 「“エリザ・バミッシュ”!アタシはねェ。見境の無い、教会の雇われ殺し屋さァ!」  言うなり、天井に向けて左腕を突き出す。  法衣の袖がめくれると、なんと腕に装着されるようにして、連装銃が付いていた。そのまま天井へと連続で発砲する。  薬莢の飛び散る音と、物が破壊される音とで店内は大混乱に陥る。  噴煙や瓦礫が舞う中、店に居た者達はアシュレイと女二人を残し、皆あわてて逃げ出していく。  入れ違いに、情報屋のトレマルが飛びこんで来た。 「なっ、こ、これは何事ですか、レラ様!」  娘は苛立って叫んだ。 「うるさい!僕が聞きたいぞトレマル!どうして兄さんを連れてくるのに、オマケが居るんだッ?」 「あっはははは!オマケってのはアタシのことか?上物だろう、感謝しなァ!」  娘に飛びかかろうとするエリザ。  しかし何者かが、すかさず横から彼女を蹴り飛ばす。 「うぐぉっッ?」  不意を食らったエリザは見事なまでに吹き飛び、ステージ上に残されていた楽器へと衝突する。 ドラムを派手に破壊し、床に倒れ込んだ。 「いってェぇ……」 「……俺には今、聞きたいことが、たっぷりある」  指を鳴らしながらエリザに迫ったのは、アシュレイだった。  表情は怒りで燃えているようだが、それだけでは無かった。 「答えてくれるのは………どっちだ?」  次には寂しい声を出して、二人の女を見比べる。  彼の妹、レラは静かにアシュレイの傍へと歩み寄ると、そっと兄の手を引いた。 「……一緒に行きましょう。それすれば、何でも答えてあげる。ね、兄さん」  ほんのわずかに微笑むレラを見て、アシュレイは無言で頷き、レラに従うことにした。 「トレマル!車は用意できてるよね?」  やり取りを、店の入口という遠い所から見守っていたトレマルは、慌てて大声で答える。 「大丈夫です!ささ、お兄様を連れて早く!」 「くそう、逃がさねぇぞ……」  よろよろと立ち上がるエリザを無視して、レラを含んだ三人が店を後にする。    エリザがようやく起き上がった頃には、店の窓越しに、屋根の無い旧式の車が走り去っていくのが見えた。  エリザは思わず片足で床を踏みつけてしまう。 「畜生ッ!歴史基準を無視した物を使いやがって!まァ、アタシが言えた立場じゃないが……」  叩きつけられた際の衝撃で壊れてしまった銃器を見ながら、エリザは独り言を言う。  続いて法衣のポケットから小型無線機を取りだし、何者かと連絡を取る。 「……聞こえるかナンバー2。アタシだ、アタシ。しくじった。恐らく奴らの逃亡先は、ラングフルクの北にある大草原だ。  レラが”迎え”を待つとしたら、あそこしかない。先回りしろ」    エリザの予想通り彼らは車でラングフルクを出て、一気に草原へと向かっていた。  運転するのはトレマルである。 「…………」 「……………」  途中、誰も口を開こうとはしなかった。  まだ一息つける段階でないことは間違いなかったが、何か言いかけては、口を閉じるの繰り返しである。  目的地も近くなり、ようやくアシュレイが口にしたのは、 「久しぶりだな。月の夜のドライブなんてよ」  という一言だけだった。  レラは頷いたようだが、後方の席に座るアシュレイから、その表情は見取れなかった。  なおも沈黙が続く中、トレマルが努めて明るい声で言う。 「さぁて皆さん、着きましたよ!降りましょうか!」 「降りるよ、兄さん」 「……あぁ」    長時間の走行を経て、三人は揃って草原を踏んだ。  大草原の名に恥じず、見渡す限りの草、草、くさ、くさ、くさ……  それ以外は何も無い、そう表現しても差し支えない場所であった。  アシュレイは何故ここへ連れてこられたのか、まだ聞かされていない。 「なぁ、レラ」 「…………」  思いきってレラに色々と話そうとしたが、彼女は草むらをかき分け、どんどん離れていってしまう。  その姿がだいぶ小さくなるくらいまで離れると、月を仰いで、何やら祈りを捧げるような仕草をとっている。 (なんだ、一体?)  アシュレイがやや憮然としていると、隣にトレマルがやって来て説明する。 「レラ様は今、“迎え”を要請しているんです」 「迎え、だと?」 「ええ。これからは、レラ様の居城へ向かいます。その為の、ね」 「ふぅん、なるほどな」  これで疑問の一つが解決した。  しかし、まだまだアシュレイの抱いている疑問は数多い。  彼はその内の一つを口にした。 「ところでだ、トレマル。なんなんだその。レラ、”様”というのは」 「………あ、すみません。わし、貴方に言わなかったことが幾つかあるんです」  トレマルは急に控えめになりながら、語り出した。 「わしはレラ様とは既に何度も接触していて、よく雇われたりもするんですよ」 「……つまり、何か。今回は俺をアイツに引き合わせる為の芝居だったのか」 「はい。否定は、致しません。レラ様に頼まれたことを実行しました」 「ほほう。俺はまんまと乗せられたわけだな。まあ……レラが生きていた事は……複雑な心地だが、正直言って嬉しいよ」 「そう言って頂けると、わしも救われます」 「ふふん。じゃあ、せっかくだからもう一つ聞くぞ」  ここまでは笑顔だったアシュレイだが、次に突然真顔となって問う。 「……ずいぶんと手際が良かったよな」 「えっ…?」 「俺が医車を必要とするような状況下になった途端、あんたは現れた。そう、ヒトミがやられた直後だ……」  アシュレイがこれから何を問おうとしているかトレマルは気付き、うつむいた。  アシュレイはトレマルの顔を覗きこみながら、続ける。 「ヒトミが“死ぬ”という出来事に、あんたか、レラは、少なからず関わっていたんじゃないのか?」 「そ、それは……」  トレマルは即答できず、口篭もる。  アシュレイは溜め息をついた。トレマルは半分、答を言ったようなものであった。 「……酷ぇ冗談だな。だがこれも因果、報いか————」  彼が自虐的に笑うのを、トレマルは黙って見つめるしかなかい。  覚悟はしていたのだ。  そもそも最初の別れが、レラの裏切りから始まったものであったし。  しかしアシュレイは、せっかく再会した妹との距離が開いたことを、切に感じてしまう。  視線の先では未だ、レラが天に向けて祈っている。 「………」   アシュレイがそう認識した次の瞬間、こちらへ向けて、レラの身体が吹き飛ばされてきた。  前方で、突然の爆発が起きていた。 「な、なにいッ?」  アシュレイは身体を張ってレラをどうにか受け止め、草むらに下ろすとすぐさま容態を確かめた。  顔を歪めているが、幸いにも目立った外傷は無いようだ。 「おい大丈夫か?向こうで何が起こりやがった!」 「くぅっ……」 「ア、アシュレイさん!あれ!」  トレマルが怯えたように指し示した先には、なんという事だろうか。  ずんずんと接近してくる人影がある。  月光に照らされた素顔が見えるまで、それほど時間は要さなかった。  冷たい輝きで魅せる銀のパンクヘアと、血のように赤い眼。  さらに教会の青い法衣を纏った姿は、エリザ・バミッシュに間違いなかった。  先程とは異なり、耳にはピアスをつけ、ブーツも履いている。   「アッハッハ。どうだい、レラぁ。アタシはもう以前のアタシじゃ無いんだ!今日こそ引導を渡してやるゼ」  エリザは大声でこちらに向けて喋りながら、着実に歩いてくる。  トレマルは大いに驚いていた。 「信じられない……彼女のスペックでは、これほど早く追いつけるはずが無い!周囲に我々以外のシミラー反応も無かったというのに……」  対照的に、アシュレイは酒場の時よりもずっと落ち着いていた。エリザの顔をはっきりと正面から見据えて、 何か気付くこともあったようだ。  真剣な口調で、レラに問いただす。 「……おい、レラ。“迎え”というのは、後どれくらいで来る?」 「五分もかからない筈だけど……兄さん、まさか!」 「あの女は、俺が引き受けてやるよ」  アシュレイは片手を振ると、自らエリザのもとへと歩き始めた。  さらにズボンのポケットから、柄だけの剣を取り出す。  彼が柄に付いた小さなスイッチを押し続けると、たちまち刃が出現する。しかも刃は現れた途端、激しい炎に包まれる。  遠くからそれを目撃したエリザが、ひゅぅと口笛を吹いた。   「それは……ニド戦役の遺物、ファーヴニルだな!対エウレカ用の炎剣、面白い……」  武器を構えたアシュレイに対し、エリザは舌なめずりした。  するとエリザは、左の袖口から銃器ではなく、今回は三本の長い鉤爪を覗かせる。  そして頭を下げ、両腕を後方へやった姿勢で突っ走ってくる。   「アタシに寄越しなァ!」  そうやってアシュレイの懐へ一気に潜りこむと、相手の身をえぐるのを狙って、鉤爪を一気に振り上げた。  アシュレイはそれを大きく仰け反って避け、姿勢を戻しながらも剣を水平に振るう。  アシュレイの見事な反撃には、鉤爪を盾代わりにして凌ぐエリザ。 「フッ。こちとら、伊達に英雄をやってねぇよ。嬢ちゃん」 「なッ……?」  しかしアシュレイの武器の力が勝ったか、エリザは大きくよろめいた。  炎刃の熱が多少なりとも効いたようである。アシュレイは満足げにほくそ笑んだ。  エリザは身の危険を感じたのか後ろへ跳躍し、アシュレイから距離を取る。 「お返しだぁ、野郎ッ!」  彼女が距離を取ったのは回避の為だけではなかった。   ガチリ  何かが外れる音がした次には、飛来音。 「ぬっ!」  身に完全固定されていると思しき鉤爪だったが、エリザは飛び退りながらそれを撃ち出してきたのである。  鉤爪の先端がみるみるうちに、アシュレイの額目掛けて迫る。 (飛び道具かっ。そしてこの軌道。なるほど、考えたな。  避けると、後ろにいる二人に当たっちまう……!何とか剣で切り払うしか……)  アシュレイが難関に挑もうとした直前、後ろから大声がする。 「すぐそこをどいて、兄さん!」  緊迫したレラの叫びだ。 (馬鹿野郎。おまえらにツメが届いてもいいってのか!)  心の声でまくし立てるが、さらにレラの衝撃的な発言が続く。 「エリザ殺せないから!危ないよっ!」 (…………そっちかよ……)  アシュレイは慌てて側転すると、即座に無数の弾丸が彼のすぐ脇を疾走してゆく。  そのうちの数発だけは鉤爪の破壊に割かれ、残りの数百発がエリザのもとへと迫る。 「いィッ?」  驚愕しつつも、エリザの回避行動は素早かった。  直線の軌道を描き、その全てをまとめて回避することに成功する。 「レラめぇ……相変わらずフザけた奴だ!戦いに水まで差しやがって!アタシ、絶対に許さねェ!」    エリザが憤った内容については、アシュレイも苦笑混じりに同意してしまった。  レラは確かに妹ではあるが、最も得体の知れぬややこしい存在でもある。  アシュレイは背後を振り返り、遠くからきわどい援護射撃をしたレラの姿を見た。  アシュレイの予想通り、レラの片腕には、巨大な機関銃が装着されていた。  ついさっきまで所持してもいなかった代物を、いったいどこから引っ張り出したのか。  横に居るトレマルが持っていたわけでもあるまい。  きっと、“聖成”したのだろう。 「こんなもんじゃないよ、エリザ」  レラは機関銃を投げ捨てると、今度は自分の目前で、キーボードを打つ仕草を開始する。 (……“ヴァーチャルタイピング”か!)  アシュレイは、レラが次に何を聖成するのか興味深く見ていたが、エリザのほうはそんな悠長にしていられない。  エリザは手前のアシュレイを飛び越えるようにして、レラのもとへ急いだ。     “ヴァーチャルタイピング”。  タイピングプログラムを備えているシミラーならば、誰でも使用可能なスキルであり、物体の具現化を行う鍵のようなものである。  何もない虚空を、両手の指を使い、高速で“叩いて”いく。  プログラムを習得していない者には分からないが、使用者は決して、当てずっぽうにその動作を行っているわけではない。  レラは次々と呪詞(ワード)を紡いでいった。  ■エントリーネーム/ 「ティルミン・レラ」  指で叩かれた空間は、その部分だけ瞬時の光を放つ。  ■アクセスパスワード/ 「MELTYGIGS−666616」  次いで、宙に出現する透明なディスプレイ達が、レラを取り囲んでゆく。  コードさえ認識していれば、あらゆるシミラーが無線アクセス可能な四次元倉庫“MSC”(メガ・セイクリッド・コンピューター)に要請し、 そこから如何な物でも生み出せる(正確には、取り寄せられる)のだ。  兵器は勿論のこと、データの類、果ては飲料水に至るまで。  ■ダウンロードファイル名/ 「嘆き狂う混沌から生まれし醜悪不浄虫」  ■ファイルパスワード /「JUDGME……  “聖成”、直前。  しかし完了するかに見えた入力は、あと二文字というところで寸断された。 「“ヴァイルス・フィールド−球月”!」  レラの周囲を赤色の半球が一瞬取り囲み、ワードの追加入力・送受信を拒む。  浮かんでいたディスプレイは全て消滅してしまった。  レラよりも先にエリザが近距離から、アンチプログラムをタイピングしたのである。  「あら。止められるようになったんだ?」 「教会に鍛えられたカラダ……侮るんじゃない!」  ヴァーチャルタイピングの欠点は、入力中の本体がまったくの無防備になることにある。  実戦向きとは言い難いが、多対一の戦いにおいては有効だった。   「うふふ。まあ、別に僕が直接手を下す必要も無いじゃない。……そうでしょ、トレマル?」 「……はい。お嬢様!」 「ゲ……?」  いつの間にか、エリザの後方まで回り込んでいたトレマル。  見た目からは想像もつかないその俊敏さは、エリザにとって予想外だった。  トレマルは全体重を乗せて、エリザに体当たりをお見舞いする。 「うぐぅっ!」  アシュレイの居るほうへ大きく吹き飛ばされていくエリザ。 「やれやれ。今日はよく小娘が飛んでくるぜ……」  武器をしまったアシュレイは、頭を掻きながら垂直に跳び、吹き飛ぶ彼女を空中で捕まえた。  そのまま二人で着地し、羽交い締めの体勢へ持っていく。 「テメェ、この!は、離しやがれっ!」   エリザは必死で抵抗する。 「へっ。コロッセオの支配人室の時とは逆の構図だろ!俺もあまり手荒な真似はしたくねぇ、だがな。  あれからヒトミをどこへやったか……それだけは喋ってもらうぜ!」  エリザは、アシュレイの言葉にきょとんとした。 「……コロッセオ?支配人室?…………で、何だって?」 「とぼけるなよ!……カッシュ、とかいったか。てめえはあの野郎の傍に居たメイドじゃねえか。  その凶悪なツラ、間違いようが無ぇ」  自信たっぷりに背後で言い放つアシュレイに対し、エリザは何やら考えている。 「……あァ、あぁ。そういうことか。ヒーローさん、言っとくがね。そいつはアタシだけど、アタシ、ではないよ」 「はぁ?」 「“アタシ違い”、だ。カッシュのとこに居るアタシが、いま来ているかどうかは知らねェがな……」  もはやエリザは暴れるのさえやめて、不敵に笑っている。  何か不気味なものを感じ、アシュレイは彼女をさらに問い詰めた。  「…………てめえ、何を言っている?答えろ!」  「すぐに分かるさ。よく音を拾ってみろ。……ホラぁ。聴こえるだろ?」  ひゅっ ひゅっ  何かが、跳ねてくる音。その数、十……二十……七十……百……。  辺りを取り囲む、銀色の女たち。不揃いに揃った狂気の笑み。  各自、鉤爪を掲げている。  闇夜の中、遠くでらんらんと輝く無数の赤い眼。  レラとトレマルもその脅威に遭遇していた。 「レラ様、大変です!わしら、すっかり囲まれてしまいました……!」 「ええ。しかも個体は全て、”エリザ・バミッシュ”!」  アシュレイは周囲を見渡すと、溜め息をついた。 「なぁんてこった。悪趣味なモンもこんだけ集まりゃ、芸術のはじまりだな……」  アシュレイの隙をついて、彼に拘束されていたエリザが逃げ出し、集団に混じる。 「ひゃはははははは!アタシはね。今や教会に量産されてんだよ!」  レラ、トレマル、アシュレイは合流して、三人で背中を合わせる。  そんな三人を、エリザ達は二重三重に取り囲み、さらにその輪を縮めていく。  彼女らは歌う。  すきなものは、コロシ、コロシ、コロシアイ。  命令復唱……ティルミン・レラ、トレマル・チャリオットの捕獲。アシュレイ・バンデットの抹殺。  抵抗された場合は、九十五%までの破壊をキョカする。  くだらない、クダラナイ! ドーセなら全て、破壊スル!  ハカイスル!  ハカイスル!   「あいつを量産するなんて、そんなことするやつの顔が見たいな。……ごめんね兄さん、巻き込んじゃって」 「言うなよ。半分は、知った上でだろ?」  ぎょっ、とするレラ。流石に今その話をするのは不味かったか。  アシュレイは反省しつつ、話題を変える。 「それよりもだ。助かる手立てはあるのか!」  エリザ達との距離は、既に約四十メートルにまで縮まっていた。 「トレマル、時間はどうなの?」 「……ぴったりです、レラ様!」  腕時計を見ながら叫ぶトレマルの話に、レラは会心の笑みを浮かべた。  レラが、さっと服の右袖をまくる。  すると棘が無数に生えた不気味な右腕があらわになる。  アシュレイはそれを見て、面食らったようだ。  レラの右腕は灰色に染まっており、色白い彼女本来の素肌とは、明らかに異なる。  妖しく禍々しきもの……。  右腕が単体で、どくんどくんと不気味に脈動している。まるで、餌を欲しているかの如く。  レラは表情を暗くしながらも、強い調子で断言する。 「……大丈夫だよ、兄さん。こいつが、助けてくれる」  今にもエリザ達が飛びかかりそうな、その時だ。レラが力強く叫んだのは。 「来い———————————“ブリュッセン”!」  主の叫びに応じ、内側から激しく発光する灰色の腕。  直後、圧倒的な奇跡が必然として舞い込んだ。  突如として、風が吹き込む。  それは嵐と称すに相応しい。  草原はいっせいにびゅうぅうと大合唱する。  その場に居る者全員、吹き飛ばされまいと必死だ。   「レラッ!な、なんだってんだ、この風はッ!」  両腕を前方に出して可能な限り風を防ぎながら、アシュレイは大声で叫んだ。  この暴風の中では、声がどれだけ正確に伝わったか分からない。  だが、かろうじて眼を開けているアシュレイの眼に映ったのは、レラの口の動き。  僕 を 信 じ て 。  それと、鮮やかな微笑だった。   「……マズイ、あれはレラの超高空要塞だ!」  エリザ達の一体が叫んだ。  月を覆い隠すようにして突然、建造物が上空に出現している。  見た目は、中世の城そのもの。  ただし全てが真っ白に染められ、式場に運ばれるケーキのような印象を受ける。  だが、あの距離であの大きさ。どれほど巨大な建造物なのか、想像は難しくない。 「さぁ、回収してもらうよ!兄さん、トレマル、しっかり僕に掴まって!」  レラ達の周囲を紅い半透明な筒……それはトラクタービームだった……が包み込み、ふわりとした感覚が足元からやって来ていた。  二人はそれぞれ、レラの右手と左手を握る。  レラの灰色の右手を握っていたのは、アシュレイだ。  ぬるりとした感触が伝ってきたが、不思議と心地は悪くない。  三人は上空の“ブリュッセン”へ向け、浮かび上がり始める。 「逃すかァァ!」  圧倒されて動けなかったエリザ達の一体が正気に返り、夢中で鉤爪を飛ばして攻撃した。 「……うわぁっっ?」  途端に、情けない声を上げるトレマル。  鉤爪は三人のもとへ届くかに見え、思わず身構えるアシュレイとレラ。  ところが、その心配は無用だった。  “ブリュッセン”の至る所からにょきりと出現した無数の大砲が、敵を狙い撃ちしていく。  ドォーーーン  一つの鉄球弾が、まず迫っていた鉤爪を虫けらのごとく潰してしまう。  そのまま鉄球弾は地上に炸裂。多くのエリザを巻き込み、次々に葬り去る。  容赦無い攻撃は全く止む気配が無い。火力差は圧倒的のようだ。  頭部や胴体を吹き飛ばされて倒れる仲間を見ながら、敵は動揺していた。  「……こいつは、無理だぜ……」 「……キぃー!あんまり失くすと、また造ってもらえなくなるからなぁ〜!仕方無ェ、引き上げるッ!」 「みんな!黙ってアタシの言う通りにするぞ!」  エリザ達は素早く撤退を開始した。それを見計らうように、ブリュッセンからの攻撃はぴたりと止む。  地上との距離は、既に二百メートル以上も離れていた。  さらに上昇しながら、レラ達は三者三様の反応を見せている。 「ははははは!エリザめ、ざまぁ見ろ!」  勝ち誇るレラに、 「いやぁレラ様、正にドンピシャのタイミングでしたなぁ!」  楽しげなトレマル。 (無茶苦茶だな…………)  アシュレイは思わず片手で頭を抱えてしまっている。  トラクタービームに包まれた三人の身体はそのまま城の内部へ、するりと溶け込むようにして運ばれて行くのであった。  長い夜が終わる。  世界が徐々に朝の光を呼び込むさなか、ブリュッセンは音も無く、彼方へと飛び去っていった。   ---- *[[BACK>紺沌のナミダ]] 
*[[BACK>紺沌のナミダ]]  ----      第三LV <御対面カオス>   「アシュレイさん。興味が湧いたでしょう、その医車に」 「………………」  図星であった。  トレマルから医車の特徴を聞かされ、アシュレイはある人物を真っ先に想起してしまった。  情報が全て正しければ、間違いなく同一人物だろう。 「……だが、アイツは。もう死んでいる筈だ………信じられん!」  重々しく呟き、首を振るアシュレイ。  かなりの困惑が見て取れる。 「それにだ。もし万が一、アイツが生きていたとしよう。  俺はあいつに逢ったとき、何と言えばいい?何と言って、ヒトミの蘇生を頼めばいいんだ!  ……いや。考えるまでも無いか。だってアイツは、あの時に死んで…………いなかった、のか……?」  彼は、件の人物は既に死んだと考えている。  しかしそう断定は出来ないところに、トレマルは突け込んだ。 「これで尚更、訪ねてみる必要があるのではないですか?  ヒトミさんを生き返らせる事は最重要でしょうし、同時に気になる医車の生死も確認できるわけだ。  どうです、悪い話では無いと思われますがね」 「ぬぅ……」  アシュレイは頭を抱えている。  トレマルは、駄目押した。 「これは貴方だけの問題では無いのですよ。分かりますでしょう!」    頭を片手でぼりぼりと掻き。  ついに、アシュレイは決断した。 「あぁァァ!……仕方無ぇ。……さっさと行こうぜ、薫月亭へよ。そこに、居るんだろ?」    二人はコロッセオを後にし、夕闇のラングフルク大通りを急ぐ。  夕陽に彩られたコロッセオは実に美しかったが、二人が振り返る事は無かった。  大通りは緩やかな傾斜になっており、降るぶん勢いもつきやすい。  無数のシミラーとすれ違いながら、コロッセオから四十分ばかり歩くと、いよいよ陽も沈んでしまった。  夜の色が街を染め始める時分となる。  深い青色になった通りをもうしばらく歩き、アシュレイ達は繁華街ではなく、“スラム”のほうへ進路をとった。  住居と住居の極めて狭い隙間を幾つも抜けていくと、やがて視界が開け、広場と沢山の建物が見える。  そこがスラムであり、古めかしい高いアーチがその入口である。  実際のところスラムとは名ばかりで、繁華街より裕福な民のほうが多い。あくまでこの区域を俗に称したものであった。  それというのも、教会の定めている歴史基準をオーバーしているものばかりなのだ。  看板のネオン、自動で開く入口のドアなど、探せばきりが無い。  しかしそもそも機械人を構成するのが、超越した科学技術である。  献金次第で、教会も建築物にそれらを設けることを見過ごしてくれるという。  ただ、それでも教会の理念を真面目に支持する者達が黙っていない。  彼らに追われるようにして、教会に反抗的な者、単純に奇をてらいたい者達が集まり住む。スラムとはそういう場だ。  アシュレイは、「いつも行っている酒場に少し寄るだけだ」と己に言い聞かせ、ゆっくりとアーチの下を潜った。  トレマルもそれに続く。   「薫月亭は、この先だったよな……」  夜空の明かりと店の光に導かれ、二人は無難に目的の店へと辿り着く。  外から見れば木造の、いたって普通な酒場に見える。  だがここの常連客でもあるアシュレイは、中が本当はどのような装いになっているか知っている。  普段ならば、すぐにでも入ってゆくところであったが……  急に立ち止まってしまったアシュレイに対し、トレマルが後ろから声をかける。 「足が、すくんでいるようですけど」  「……頼む。押してくれ」  トレマルはアシュレイの背中を押し、入口の階段を登らせた。  そのまま身体で扉を押し開けさせ、店内へ転がり込ませる。    薫月亭、内部。  中世から四百年ばかり先のモダンな装いをしており、外観とのギャップが凄まじい。  酒場というよりも、高級クラブといった言葉のほうが似合いそうである。  紫色の照明が店内を照らし、上品か下品かよく分からない曲が流れている。  この日はスーツを着込んだ体格様々な男たちが、店内中央のステージで静かに楽器を演奏。  そして彼らより一歩前に出るようにして、赤い燕尾服を着込んだ小柄な娘が唄っていた。  娘は目元だけを隠す、猫の顔を象ったような仮面をつけている。 「む……」  その歌姫は、常連のアシュレイでも初めて見る相手だった。  彼女は先に酒場に居付いていた客達に対し、自らの美貌と美声を存分に魅せている。 「消えゆく想い 繋ぎ止めたくて わたしはあなたを憎むでしょう———————  わたしはわたしを傷つける あなたを愛し 想うほどに———————」   まるで呪詛のような詞をなぞる声は甘く、切ない。  アシュレイは、歌姫に心を奪われた。  全て、あまりにアシュレイの欲望に忠実であったから。  歌姫は悩ましげな声をあげて身をよじり、しかも腰には黒い下着をつけているだけ。  太ももを半分以上を隠すロングソックスに、靴は黒のヒール。実に奇妙な取り合わせである。  店内の客はいずれも魂を抜かれたかの如く、娘に見入っている。  店は、娘の妖しさで満たされていた。   「………」  アシュレイもまたそれに倣うかのごとく……いや、導かれるようにして、ふらりとステージの最前席に座る。  彼はそこで、本来の目的を忘れてしまいかねないほどの悦に浸って、不思議な歌声を聴いた。  目を閉じると、そのまま二度と目覚められなくなるのでは。そんな想いに駆られるほどだ。  あまりの心地良さからか、アシュレイの脳裏に、最も幸せだった頃の情景が浮かぶ。  戦場でヒトミを救い出したところ意気投合し、妹のレラにも彼女を紹介してやったときのこと。  “なんだこの不埒な女は”と互いに口を尖らせるも、ヒトミとレラはすぐに打ち解け、三人での新生活が始まる。  素敵な、回想。アシュレイは、夢を見ている。  そんな夢の提供者である歌姫はというと、やはり一心不乱に歌い続けていた。  だが、ふと、一番前の席に視線を止める。  そこで髪を逆立てた、一人の男を発見する。  ——————沈黙。  ステージ上から可能な限り近付き、仮面のガラス玉越しに彼を、じっくりと凝視する。  じっと。じっ……と。  次いで、彼が両腕で大事そうに抱える、籠の中身さえも。  見透かしていた。  彼女の瞳は、誰に知られることなく紫色に輝いていた。  素晴らしい歌を中断し、何故たった一人の男だけを見つめているのか、客達には知る由も無い。  娘は唐突に歌うのを再開した。  けれど先程とは、声の調子が変わっている。   「無垢へ向け 赤い手紙を届けてみてはどうでしょう  それはきっと とろけながら流れていき 何もかも赤く染めてしまう  だから誰にも届かないでしょう  そんなこと最初から知っていて 分かりきっているけど  わたしはペンを走らせる この世で一番愛しい 貴方の為に——————」    静かで、押し殺すような声に、アシュレイが酔ったように見ていた幻想は急速に崩れていく。  彼ははっと我に返り、閉じていた眼を開くと、仮面の娘が目前に降り立っていた。   「どうしてこんなにも……いったい、いつから……  僕は息をすることが苦しくなってしまったのだろうね、兄さん」  それが、歌の終わりだった。アシュレイは呆然と娘を見返した。 (やはりお前は、俺の————)  アシュレイが何か言おうと試みるが、それよりも早く……  娘が信じられないほど強く、素早く動き、アシュレイから籠を引ったくった。 「あ!……なにッ?」  彼の狼狽を捨て置き、娘はそのままステージ上まで、ポニーテールと燕尾服をなびかせながら飛び退る。  そして籠から遠慮無く女の生首を取り出し、髪を掴んで掲げてみせた。  さらにそれを、ステージの床に叩きつける。  大きく跳ねてから、ごろごろと転がるヒトミの頭部。  一連の奇行を客達はパフォーマンスだとでも思っているのか、もしくは未だ歌の魔力が抜け切らぬのか。  皆はただぼんやりと眺めていたが、アシュレイだけは違っていた。 「おい……貴様ァ!」   今にもステージに駆け上がろうとする彼を、娘は声だけで制する。 「待ってッ!いいから、よく見て!」   娘の指差した先にあったのは、他ならぬヒトミの頭部だった。  だが、何か様子がおかしい。ごとごとと、振動しているのだ。 「なっ……?」    真っ黒いセミロングの髪が一瞬で、あたかも吸いこまれるかの如く頭の中へと消え、替わるように銀色の頭髪がばさっと生える。  さらに、顔の形にも変化が表れていた。眼の下にはクマのような黒い染みが広がり、瞳の色も緑から赤へ。  もはや、全く別人の顔立ちになっている。  口元に残忍な笑みを浮かべ、娘とアシュレイを交互に眺める。 「ヒ、ヒトミが……!」    驚愕するアシュレイに対し、当のヒトミが言い放った。 「ふははははははははッ、いつまで騙されてるんだよ。間抜けな野郎め!」  ヒトミ?の頭部がふわりと浮き上がると、首から大量のコードが伸びてきた。  ギュルギュルと耳障りな音を立てながら、おびただしい数のコードが木の枝のように何度も複雑に絡み合う。  そうやって、胴体、腕、脚、乳房———体の形を順に造っていく。  形が整うと、コードの表面を人の肌のように見える薄い膜がそれを覆っていく。  わずか数秒で、マネキンのように無機質な身体が形成される。  最後に口から一枚の長い法衣を吐き出すと、それを裸体の上から着込む。  こうして、仮面の娘と対峙するように、一人の女が出現した。  女はアシュレイを無視し、意気揚々と娘のほうに語りかける。  「さすが、お前はからくりにすぐ気付いたようだなァ……。やっっと見つけた。  会いたかったぜェ、”レラ・バンデット”。いや、今の名はティルミン・レラか」  その名を聞き、アシュレイはびくりと身体を硬直させる。  娘はそんな彼の様子を一目だけ見てから、静かに、仮面をとった。  あっと息を呑むアシュレイ。  間違いなかった。  三年ぶりに目撃する、実の妹の素顔だった。  仮面の娘————レラは、再度アシュレイを見つめたが、やはり何も言わない。  続いて店に居る人間達を見渡すと、悲痛な声で叫んだ。   「みんな………逃げて!この銀髪の女は………」  本人が、言葉を引き継ぐ。 「“エリザ・バミッシュ”!アタシはねェ。見境の無い、教会の雇われ殺し屋さァ!」  言うなり、天井に向けて左腕を突き出す。  法衣の袖がめくれると、なんと腕に装着されるようにして、連装銃が付いていた。そのまま天井へと連続で発砲する。  薬莢の飛び散る音と、物が破壊される音とで店内は大混乱に陥る。  噴煙や瓦礫が舞う中、店に居た者達はアシュレイと女二人を残し、皆あわてて逃げ出していく。  入れ違いに、情報屋のトレマルが飛びこんで来た。 「なっ、こ、これは何事ですか、レラ様!」  娘は苛立って叫んだ。 「うるさい!僕が聞きたいぞトレマル!どうして兄さんを連れてくるのに、オマケが居るんだッ?」 「あっはははは!オマケってのはアタシのことか?上物だろう、感謝しなァ!」  娘に飛びかかろうとするエリザ。  しかし何者かが、すかさず横から彼女を蹴り飛ばす。 「うぐぉっッ?」  不意を食らったエリザは見事なまでに吹き飛び、ステージ上に残されていた楽器へと衝突する。 ドラムを派手に破壊し、床に倒れ込んだ。 「いってェぇ……」 「……俺には今、聞きたいことが、たっぷりある」  指を鳴らしながらエリザに迫ったのは、アシュレイだった。  表情は怒りで燃えているようだが、それだけでは無かった。 「答えてくれるのは………どっちだ?」  次には寂しい声を出して、二人の女を見比べる。  彼の妹、レラは静かにアシュレイの傍へと歩み寄ると、そっと兄の手を引いた。 「……一緒に行きましょう。それすれば、何でも答えてあげる。ね、兄さん」  ほんのわずかに微笑むレラを見て、アシュレイは無言で頷き、レラに従うことにした。 「トレマル!車は用意できてるよね?」  やり取りを、店の入口という遠い所から見守っていたトレマルは、慌てて大声で答える。 「大丈夫です!ささ、お兄様を連れて早く!」 「くそう、逃がさねぇぞ……」  よろよろと立ち上がるエリザを無視して、レラを含んだ三人が店を後にする。  エリザがようやく起き上がった頃には、店の窓越しに、屋根の無い旧式の車が走り出すのが見えた。  エリザは助走をつけた体当たりで窓を破壊し、レラ達の乗る車まで一気に跳躍する。 「ひぃ!」  車の扉に手をかけたエリザを見て、運転していたトレマルは悲鳴をあげる。 「!」  すかさず助手席のレラが、トレマルに代わって横からハンドルをきる。  車は大きく蛇行し、道に下半身を垂らしていたエリザはそれでもしばらく車にくらいついていたが、 「うぉ」  ついに振り飛ばされ、道をごろごろと凄い勢いで転がっていく。  近くの街灯に身をぶつけ、ようやく彼女は静止した。  その隙に、車は走り去っていく。  レラが身を乗り出し、あかんべえをするのが見えた。  車はすぐに、エリザの視界の外へ消えていく。  泥だらけのエリザは、倒れた姿勢のまま、思わず拳で道を殴りつけてしまう。 「畜生ッ!歴史基準を無視した物を使いやがって!まァ、アタシが言えた立場じゃないが……」  叩きつけられた際の衝撃で壊れてしまった銃器を見ながら、エリザは独り言を言う。  続いて法衣のポケットから小型無線機を取りだし、寝転がったまま何者かと連絡を取る。 「……あぁ、聞こえるかナンバー2。アタシだ、アタシ。しくじった。恐らく奴らの逃亡先は、ラングフルクの北にある大草原だ。  レラが”迎え”を待つとしたら、あそこしかない。先回りしろ!」    エリザの予想通り彼らは車でラングフルクを出て、一気に草原へと向かっていた。 「…………」 「……………」  途中、誰も口を開こうとはしなかった。  まだ一息つける段階でないことは間違いなかったが、何か言いかけては、口を閉じるの繰り返しである。  目的地も近くなり、ようやくアシュレイが口にしたのは、 「久しぶりだな。月の夜のドライブなんてよ」  という一言だけだった。  レラは頷いたようだが、後方の席に座るアシュレイから、その表情は見取れなかった。  なおも沈黙が続く中、トレマルが努めて明るい声で言う。 「さぁて皆さん、着きましたよ!降りましょうか!」 「降りるよ、兄さん」 「……あぁ」    長時間の走行を経て、三人は揃って草原を踏んだ。  大草原の名に恥じず、見渡す限りの草、草、くさ、くさ、くさ……  それ以外は何も無い、そう表現しても差し支えない場所であった。  アシュレイは何故ここへ連れてこられたのか、まだ聞かされていない。 「なぁ、レラ」 「…………」  思いきってレラに色々と話そうとしたが、彼女は草むらをかき分け、どんどん離れていってしまう。  その姿がだいぶ小さくなるくらいまで離れると、月を仰いで、何やら祈りを捧げるような仕草をとっている。 (なんだ、一体?)  アシュレイがやや憮然としていると、隣にトレマルがやって来て説明する。 「レラ様は今、“迎え”を要請しているんです」 「迎え、だと?」 「ええ。これからは、レラ様の居城へ向かいます。その為の、ね」 「ふぅん、なるほどな」  これで疑問の一つが解決した。  しかし、まだまだアシュレイの抱いている疑問は数多い。  彼はその内の一つを口にした。 「ところでだ、トレマル。なんなんだその。レラ、”様”というのは」 「………あ、すみません。わし、貴方に言わなかったことが幾つかあるんです」  トレマルは急に控えめになりながら、語り出した。 「わしはレラ様とは既に何度も接触していて、よく雇われたりもするんですよ」 「……つまり、何か。今回は俺をアイツに引き合わせる為の芝居だったのか」 「はい。否定は、致しません。レラ様に頼まれたことを実行しました」 「ほほう。俺はまんまと乗せられたわけだな。まあ……レラが生きていた事は……複雑な心地だが、正直言って嬉しいよ」 「そう言って頂けると、わしも救われます」 「ふふん。じゃあ、せっかくだからもう一つ聞くぞ」  ここまでは笑顔だったアシュレイだが、次に突然真顔となって問う。 「……ずいぶんと手際が良かったよな」 「えっ…?」 「俺が医車を必要とするような状況下になった途端、あんたは現れた。そう、ヒトミがやられた直後だ……」  アシュレイがこれから何を問おうとしているかトレマルは気付き、うつむいた。  アシュレイはトレマルの顔を覗きこみながら、続ける。 「ヒトミが“死ぬ”という出来事に、あんたか、レラは、少なからず関わっていたんじゃないのか?」 「そ、それは……」  トレマルは即答できず、口篭もる。  アシュレイは溜め息をついた。トレマルは半分、答を言ったようなものであった。 「……酷ぇ冗談だな。だがこれも因果、報いか————」  彼が自虐的に笑うのを、トレマルは黙って見つめるしかなかい。  覚悟はしていたのだ。  そもそも最初の別れが、レラの裏切りから始まったものであったし。  しかしアシュレイは、せっかく再会した妹との距離が開いたことを、切に感じてしまう。  視線の先では未だ、レラが天に向けて祈っている。 「………」   アシュレイがそう認識した次の瞬間、こちらへ向けて、レラの身体が吹き飛ばされてきた。  前方で、突然の爆発が起きていた。 「な、なにいッ?」  アシュレイは身体を張ってレラをどうにか受け止め、草むらに下ろすとすぐさま容態を確かめた。  顔を歪めているが、幸いにも目立った外傷は無いようだ。 「おい大丈夫か?向こうで何が起こりやがった!」 「くぅっ……」 「ア、アシュレイさん!あれ!」  トレマルが怯えたように指し示した先には、なんという事だろうか。  ずんずんと接近してくる人影がある。  月光に照らされた素顔が見えるまで、それほど時間は要さなかった。  冷たい輝きで魅せる銀のパンクヘアと、血のように赤い眼。  さらに教会の青い法衣を纏った姿は、エリザ・バミッシュに間違いなかった。  先程とは異なり、耳にはピアスをつけ、ブーツも履いている。   「アッハッハ。どうだい、レラぁ。アタシはもう以前のアタシじゃ無いんだ!今日こそ引導を渡してやるゼ」  エリザは大声でこちらに向けて喋りながら、着実に歩いてくる。  トレマルは大いに驚いていた。 「信じられない……彼女のスペックでは、これほど早く追いつけるはずが無い!周囲に我々以外のシミラー反応も無かったというのに……」  対照的に、アシュレイは酒場の時よりもずっと落ち着いていた。エリザの顔をはっきりと正面から見据えて、 何か気付くこともあったようだ。  真剣な口調で、レラに問いただす。 「……おい、レラ。“迎え”というのは、後どれくらいで来る?」 「五分もかからない筈だけど……兄さん、まさか!」 「あの女は、俺が引き受けてやるよ」  アシュレイは片手を振ると、自らエリザのもとへと歩き始めた。  さらにズボンのポケットから、柄だけの剣を取り出す。  彼が柄に付いた小さなスイッチを押し続けると、たちまち刃が出現する。しかも刃は現れた途端、激しい炎に包まれる。  遠くからそれを目撃したエリザが、ひゅぅと口笛を吹いた。   「それは……ニド戦役の遺物、ファーヴニルだな!対エウレカ用の炎剣、面白い……」  武器を構えたアシュレイに対し、エリザは舌なめずりした。  するとエリザは、左の袖口から銃器ではなく、今回は三本の長い鉤爪を覗かせる。  そして頭を下げ、両腕を後方へやった姿勢で突っ走ってくる。   「アタシに寄越しなァ!」  そうやってアシュレイの懐へ一気に潜りこむと、相手の身をえぐるのを狙って、鉤爪を一気に振り上げた。  アシュレイはそれを大きく仰け反って避け、姿勢を戻しながらも剣を水平に振るう。  アシュレイの見事な反撃には、鉤爪を盾代わりにして凌ぐエリザ。 「フッ。こちとら、伊達に英雄をやってねぇよ。嬢ちゃん」 「なッ……?」  しかしアシュレイの武器の力が勝ったか、エリザは大きくよろめいた。  炎刃の熱が多少なりとも効いたようである。アシュレイは満足げにほくそ笑んだ。  エリザは身の危険を感じたのか後ろへ跳躍し、アシュレイから距離を取る。 「お返しだぁ、野郎ッ!」  彼女が距離を取ったのは回避の為だけではなかった。   ガチリ  何かが外れる音がした次には、飛来音。 「ぬっ!」  身に完全固定されていると思しき鉤爪だったが、エリザは飛び退りながらそれを撃ち出してきたのである。  鉤爪の先端がみるみるうちに、アシュレイの額目掛けて迫る。 (飛び道具かっ。そしてこの軌道。なるほど、考えたな。  避けると、後ろにいる二人に当たっちまう……!何とか剣で切り払うしか……)  アシュレイが難関に挑もうとした直前、後ろから大声がする。 「すぐそこをどいて、兄さん!」  緊迫したレラの叫びだ。 (馬鹿野郎。おまえらにツメが届いてもいいってのか!)  心の声でまくし立てるが、さらにレラの衝撃的な発言が続く。 「エリザ殺せないから!危ないよっ!」 (…………そっちかよ……)  アシュレイは慌てて側転すると、即座に無数の弾丸が彼のすぐ脇を疾走してゆく。  そのうちの数発だけは鉤爪の破壊に割かれ、残りの数百発がエリザのもとへと迫る。 「いィッ?」  驚愕しつつも、エリザの回避行動は素早かった。  直線の軌道を描き、その全てをまとめて回避することに成功する。 「レラめぇ……相変わらずフザけた奴だ!戦いに水まで差しやがって!アタシ、絶対に許さねェ!」    エリザが憤った内容については、アシュレイも苦笑混じりに同意してしまった。  レラは確かに妹ではあるが、最も得体の知れぬややこしい存在でもある。  アシュレイは背後を振り返り、遠くからきわどい援護射撃をしたレラの姿を見た。  アシュレイの予想通り、レラの片腕には、巨大な機関銃が装着されていた。  ついさっきまで所持してもいなかった代物を、いったいどこから引っ張り出したのか。  横に居るトレマルが持っていたわけでもあるまい。  きっと、“聖成”したのだろう。 「こんなもんじゃないよ、エリザ」  レラは機関銃を投げ捨てると、今度は自分の目前で、キーボードを打つ仕草を開始する。 (……“ヴァーチャルタイピング”か!)  アシュレイは、レラが次に何を聖成するのか興味深く見ていたが、エリザのほうはそんな悠長にしていられない。  エリザは手前のアシュレイを飛び越えるようにして、レラのもとへ急いだ。     “ヴァーチャルタイピング”。  タイピングプログラムを備えているシミラーならば、誰でも使用可能なスキルであり、物体の具現化を行う鍵のようなものである。  何もない虚空を、両手の指を使い、高速で“叩いて”いく。  プログラムを習得していない者には分からないが、使用者は決して、当てずっぽうにその動作を行っているわけではない。  レラは次々と呪詞(ワード)を紡いでいった。  ■エントリーネーム/ 「ティルミン・レラ」  指で叩かれた空間は、その部分だけ瞬時の光を放つ。  ■アクセスパスワード/ 「MELTYGIGS−666616」  次いで、宙に出現する透明なディスプレイ達が、レラを取り囲んでゆく。  コードさえ認識していれば、あらゆるシミラーが無線アクセス可能な四次元倉庫“MSC”(メガ・セイクリッド・コンピューター)に要請し、 そこから如何な物でも生み出せる(正確には、取り寄せられる)のだ。  兵器は勿論のこと、データの類、果ては飲料水に至るまで。  ■ダウンロードファイル名/ 「嘆き狂う混沌から生まれし醜悪不浄虫」  ■ファイルパスワード /「JUDGME……  “聖成”、直前。  しかし完了するかに見えた入力は、あと二文字というところで寸断された。 「“ヴァイルス・フィールド−球月”!」  レラの周囲を赤色の半球が一瞬取り囲み、ワードの追加入力・送受信を拒む。  浮かんでいたディスプレイは全て消滅してしまった。  レラよりも先にエリザが近距離から、アンチプログラムをタイピングしたのである。  「あら。止められるようになったんだ?」 「教会に鍛えられたカラダ……侮るんじゃない!」  ヴァーチャルタイピングの欠点は、入力中の本体がまったくの無防備になることにある。  実戦向きとは言い難いが、多対一の戦いにおいては有効だった。   「うふふ。まあ、別に僕が直接手を下す必要も無いじゃない。……そうでしょ、トレマル?」 「……はい。お嬢様!」 「ゲ……?」  いつの間にか、エリザの後方まで回り込んでいたトレマル。  見た目からは想像もつかないその俊敏さは、エリザにとって予想外だった。  トレマルは全体重を乗せて、エリザに体当たりをお見舞いする。 「うぐぅっ!」  アシュレイの居るほうへ大きく吹き飛ばされていくエリザ。 「やれやれ。今日はよく小娘が飛んでくるぜ……」  武器をしまったアシュレイは、頭を掻きながら垂直に跳び、吹き飛ぶ彼女を空中で捕まえた。  そのまま二人で着地し、羽交い締めの体勢へ持っていく。 「テメェ、この!は、離しやがれっ!」   エリザは必死で抵抗する。 「へっ。コロッセオの支配人室の時とは逆の構図だろ!俺もあまり手荒な真似はしたくねぇ、だがな。  あれからヒトミをどこへやったか……それだけは喋ってもらうぜ!」  エリザは、アシュレイの言葉にきょとんとした。 「……コロッセオ?支配人室?…………で、何だって?」 「とぼけるなよ!……カッシュ、とかいったか。てめえはあの野郎の傍に居たメイドじゃねえか。  その凶悪なツラ、間違いようが無ぇ」  自信たっぷりに背後で言い放つアシュレイに対し、エリザは何やら考えている。 「……あァ、あぁ。そういうことか。ヒーローさん、言っとくがね。そいつはアタシだけど、アタシ、ではないよ」 「はぁ?」 「“アタシ違い”、だ。カッシュのとこに居るアタシが、いま来ているかどうかは知らねェがな……」  もはやエリザは暴れるのさえやめて、不敵に笑っている。  何か不気味なものを感じ、アシュレイは彼女をさらに問い詰めた。  「…………てめえ、何を言っている?答えろ!」  「すぐに分かるさ。よく音を拾ってみろ。……ホラぁ。聴こえるだろ?」  ひゅっ ひゅっ  何かが、跳ねてくる音。その数、十……二十……七十……百……。  辺りを取り囲む、銀色の女たち。不揃いに揃った狂気の笑み。  各自、鉤爪を掲げている。  闇夜の中、遠くでらんらんと輝く無数の赤い眼。  レラとトレマルもその脅威に遭遇していた。 「レラ様、大変です!わしら、すっかり囲まれてしまいました……!」 「ええ。しかも個体は全て、”エリザ・バミッシュ”!」  アシュレイは周囲を見渡すと、溜め息をついた。 「なぁんてこった。悪趣味なモンもこんだけ集まりゃ、芸術のはじまりだな……」  アシュレイの隙をついて、彼に拘束されていたエリザが逃げ出し、集団に混じる。 「ひゃはははははは!アタシはね。今や教会に量産されてんだよ!」  レラ、トレマル、アシュレイは合流して、三人で背中を合わせる。  そんな三人を、エリザ達は二重三重に取り囲み、さらにその輪を縮めていく。  彼女らは歌う。  すきなものは、コロシ、コロシ、コロシアイ。  命令復唱……ティルミン・レラ、トレマル・チャリオットの捕獲。アシュレイ・バンデットの抹殺。  抵抗された場合は、九十五%までの破壊をキョカする。  くだらない、クダラナイ! ドーセなら全て、破壊スル!  ハカイスル!  ハカイスル!   「あいつを量産するなんて、そんなことするやつの顔が見たいな。……ごめんね兄さん、巻き込んじゃって」 「言うなよ。半分は、知った上でだろ?」  ぎょっ、とするレラ。流石に今その話をするのは不味かったか。  アシュレイは反省しつつ、話題を変える。 「それよりもだ。助かる手立てはあるのか!」  エリザ達との距離は、既に約四十メートルにまで縮まっていた。 「トレマル、時間はどうなの?」 「……ぴったりです、レラ様!」  腕時計を見ながら叫ぶトレマルの話に、レラは会心の笑みを浮かべた。  レラが、さっと服の右袖をまくる。  すると棘が無数に生えた不気味な右腕があらわになる。  アシュレイはそれを見て、面食らったようだ。  レラの右腕は灰色に染まっており、色白い彼女本来の素肌とは、明らかに異なる。  妖しく禍々しきもの……。  右腕が単体で、どくんどくんと不気味に脈動している。まるで、餌を欲しているかの如く。  レラは表情を暗くしながらも、強い調子で断言する。 「……大丈夫だよ、兄さん。こいつが、助けてくれる」  今にもエリザ達が飛びかかりそうな、その時だ。レラが力強く叫んだのは。 「来い———————————“ブリュッセン”!」  主の叫びに応じ、内側から激しく発光する灰色の腕。  直後、圧倒的な奇跡が必然として舞い込んだ。  突如として、風が吹き込む。  それは嵐と称すに相応しい。  草原はいっせいにびゅうぅうと大合唱する。  その場に居る者全員、吹き飛ばされまいと必死だ。   「レラッ!な、なんだってんだ、この風はッ!」  両腕を前方に出して可能な限り風を防ぎながら、アシュレイは大声で叫んだ。  この暴風の中では、声がどれだけ正確に伝わったか分からない。  だが、かろうじて眼を開けているアシュレイの眼に映ったのは、レラの口の動き。  僕 を 信 じ て 。  それと、鮮やかな微笑だった。   「……マズイ、あれはレラの超高空要塞だ!」  エリザ達の一体が叫んだ。  月を覆い隠すようにして突然、建造物が上空に出現している。  見た目は、中世の城そのもの。  ただし全てが真っ白に染められ、式場に運ばれるケーキのような印象を受ける。  だが、あの距離であの大きさ。どれほど巨大な建造物なのか、想像は難しくない。 「さぁ、回収してもらうよ!兄さん、トレマル、しっかり僕に掴まって!」  レラ達の周囲を紅い半透明な筒……それはトラクタービームだった……が包み込み、ふわりとした感覚が足元からやって来ていた。  二人はそれぞれ、レラの右手と左手を握る。  レラの灰色の右手を握っていたのは、アシュレイだ。  ぬるりとした感触が伝ってきたが、不思議と心地は悪くない。  三人は上空の“ブリュッセン”へ向け、浮かび上がり始める。 「逃すかァァ!」  圧倒されて動けなかったエリザ達の一体が正気に返り、夢中で鉤爪を飛ばして攻撃した。 「……うわぁっっ?」  途端に、情けない声を上げるトレマル。  鉤爪は三人のもとへ届くかに見え、思わず身構えるアシュレイとレラ。  ところが、その心配は無用だった。  “ブリュッセン”の至る所からにょきりと出現した無数の大砲が、敵を狙い撃ちしていく。  ドォーーーン  一つの鉄球弾が、まず迫っていた鉤爪を虫けらのごとく潰してしまう。  そのまま鉄球弾は地上に炸裂。多くのエリザを巻き込み、次々に葬り去る。  容赦無い攻撃は全く止む気配が無い。火力差は圧倒的のようだ。  頭部や胴体を吹き飛ばされて倒れる仲間を見ながら、敵は動揺していた。  「……こいつは、無理だぜ……」 「……キぃー!あんまり失くすと、また造ってもらえなくなるからなぁ〜!仕方無ェ、引き上げるッ!」 「みんな!黙ってアタシの言う通りにするぞ!」  エリザ達は素早く撤退を開始した。それを見計らうように、ブリュッセンからの攻撃はぴたりと止む。  地上との距離は、既に二百メートル以上も離れていた。  さらに上昇しながら、レラ達は三者三様の反応を見せている。 「ははははは!エリザめ、ざまぁ見ろ!」  勝ち誇るレラに、 「いやぁレラ様、正にドンピシャのタイミングでしたなぁ!」  楽しげなトレマル。 (無茶苦茶だな…………)  アシュレイは思わず片手で頭を抱えてしまっている。  トラクタービームに包まれた三人の身体はそのまま城の内部へ、するりと溶け込むようにして運ばれて行くのであった。  長い夜が終わる。  世界が徐々に朝の光を呼び込むさなか、ブリュッセンは音も無く、彼方へと飛び去っていった。   ---- *[[BACK>紺沌のナミダ]] 

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