第二部 プロローグ

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*[[BACK>その他の小説]]  ----   プロローグ <攻奇心は猫をも生き返らす> 聖暦3354年 -神無月 九日- 男は、とてつもなく運が良かった。 男は他の“シミラー”(機械人)よりずっと恵まれた容姿をもって創られた。 これが第一の幸運である。 “司命工場”は世界の人口を保つため、数ヶ月に一度、数百体のシミラーを生産する。 しかしゴールドジュエルの不足や経費削減が叫ばれる昨今の世、どうしても不良体は多くなる。 一体の美男子を創るコストと、百体の醜男を創るコストは釣り合うもので、 男もせいぜい中の上くらいの顔立ちをもって生まれて来るはずだった。 ところが蓋を開けてみれば、どう間違ったのか、 男はファッションモデルとして生産されたシミラーを凌ぐほどの容姿と気品を備えていた。 いったんはその成人男性型に、当初とは異なる人生プランを与えようかと 管理側のシミラーも考慮したほどである。が、結局はその手間を惜しまれ、 「女型シミラーを視線だけで虜にする一般人」として、男は世に送り出された。 そんな男を指名購入したのは、開発されてから五十年を過ぎようかという成人女性型だった。 見た目は二十歳のままの彼女が、夫として生まれたばかりの男を選んだのは、機械人社会では珍しくもないことである。 妻は夫を容姿だけで選び、後のことは何とでもなると考えていた。 それもまた、男にとっては幸運なことだった。 一年が過ぎ、二年が過ぎ、男の人生は豊かなものだった。 背景には第三の幸運がある。いかにして自らの容姿を利用し、人を欺くか。 その術を早々に身につけ、良心などというものと縁を切ったのだった。 ただし、金づるである妻との縁は、あちらが望んでも切ろうとはしない。 うまくやっている。 全くもってうまくやっている。 順風満帆という言葉では表現しきれないほど、男は悠々と日々を送っていた。 抱いた女型の数は三十を超え、そろそろ別の女型と関係を結ぼうと考えていた。 そこへ、ついに第四の幸運が転がり込む。 男がぶらりと立ち寄った“ラングフルク”の街。 彼の理想通りの女型が通りを歩き、すっと路地裏へと消えて行った。 正確には少女型であろう。 一瞬男と目を合わせた女は、遠くではあったが実にあどけない笑みを浮かべている、ように見えた。 男は心が昂るのを感じながら、そっと後を追う。 男もまた路地裏に入ると、少し前方を先ほどの少女が歩いている。 光を浴びていなくとも輝いて見える緑色の髪、尻にかかるほど長く、歩調に合わせ行儀よくなびいていた。 肩が露な黒のキャミソールの上から、白のボレロを羽織っている。 細いベルトを腰に巻き、その色は赤い。 すらりとした長い両足は、白のパンツで綺麗に覆われている。黒いブーツだけは男物のようだ。 後ろ姿だけでも魅力的である。 流行からはいささかピントのズレたファッションであるが、男は彼女を視界に入れたまま放さなかった。 変な服装の女ほど、下着の趣味からして凝っているものだ。 ごくりと唾を飲み込み、うずく下半身を堪えながら、少女とは慎重に距離をとって歩く。 それにしても、いったいどこへ行こうというのか。 土地勘の無い男であっても、この先には何も無いような気がしていた。 通りに看板など出てはいなかったし、いわゆる隠れ家的な店でもあるのだろうか。 時刻は昼を過ぎたばかりだ。仮にそれが酒場だとしたら、少々時間が早い。 ひょっとしたら誰かとの待ち合わせに、人目につかない場所を選んだだけかもしれない。 もしこの先に自分以外の男が居るとしたら失望を隠せないが、そうであっても諦めるのには惜しい。 強引な手段を用いてでも手に入れたい、既にその後のことまで考える。 男は少女に悟られないように歩き続けていた。狭い路地は大変入り組んでおり、 浮浪者をまたぎ、野良猫を見かけ、かび臭い匂いすら感じながら、黙ってついて行く。 そして、少女が何度目かの角を曲がったときだ。 男もそれに続いてみて、驚きの声をあげた。 「……えっ……?」 そこは、十人ばかりならどうにか集まれそうな空き地だった。 広場というには些か狭過ぎるが、町外れの公園のような赴きがある。 場所としては、倉庫か何かの裏手だろうか。 周りをずんぐりとした背の高い建物に囲まれ、光はほとんど遮られている。 遠い昔に廃棄されたものなのか、壊れた木箱と、その中から得体の知れない機材がはみ出している。 男は何も、その光景に驚いたわけではない。 空き地には、誰も居なかった。追っていた少女を含めて。 (行き止まり?) 男が呆気にとられていると、不意に真後ろから可愛らしい声がかかる。 「ようこそ、イケてるお兄さん」 驚いて振り返ると、いったんは周囲を見渡したはずだが……すぐ背後に、例の少女が立っていた。 相手は男より幾らか小柄だ。男が視線を落とすと、間近で彼女の顔を見ることとなった。 後ろ髪同様に前髪をかなり長くし、中央で分けたそれを真っすぐに垂らしていた。切れ長のまつげに彩られた 猫のような瞳は、流れる前髪でわずかに隠され、口元ではずいぶんと物騒な笑みを浮かべられている。 小悪魔的、などといった言葉ならあったはずだが、 そんなものでは言い表せないほど不気味で、同時にぞっとするほど可愛かった。 「や、やぁ……」 挨拶出来たことだけでも上出来だろう。あまりにも出現が唐突ということもあったし、 何より男は緊張でひきつった笑みを浮かべていた。 (どうしてだ。今まで見たどんな女型より違って見えるな。すごくどきどきする) 女型にここまで動揺する自分が信じられなかった。 少女はウインクすると、そんな男に対して言い放つ。 「無理ないかも。だってわたしは、男だしねぇ」 「……あぁっ?」 「うん。案外キミは、ショタ趣味のほうこそあるんではないかいね?」 首をかしげながら、両手を後ろで組んで片足はあげている。 今度はわずかばかり毒を含んだ色声。可愛い。本当に可愛い。 しかし、男、だと? このほっそりとした丸みのある身体で? シミラーの肉体は、決して全てが機械で造られているわけではない。 確かに薄皮一枚の下は金属が通っているわけだが、個体によっては足や腕のほとんどが生身であるケースもある。 相手が無造作に伸ばしてきた手を握り、男は、本体の内部データを閲覧させてもらう。 伝わって来る情報は、確かに、目前のシミラーの性別は男だと示している。 「ねっ」 あげく、笑いながら股間を指差されると、 もはや男は驚きを超えて憤慨したが、本来なら騒ぎ立てるポイントはそこではない。 少女……のような少年は話を続けた。 「ぜひぜひ、わたしとイイことして欲しいんだけどね」 「ふ、ふざけるな!俺にそんな趣味は断じて無い!」 「せっかくここまで来てくれたんでしょ。何事も経験だよ?」 「そんな経験ならお断りだ!……俺は帰るぞ!」 そう言うと男は少年を押しのけて、来た道を戻ろうとした。 すると今度は、道を遮るようにして、一人の人物が上から降ってきた。 全身をすっぽりと黒衣で覆っていて、頭にすら黒頭巾。まるで黒い照る照る坊主である。 「……?」 一体何処から?それは、分からない。 まるで舞い散る花びらのように、静かに地面へと足を下ろす、その音が静かに木霊した。 それだけは分かった。 ややあって、新たに現れた人物は口を開いた。 黒頭巾によって口元しか見えない。毒々しい紫色の紅が塗られた唇は鮮やかに動く。 「さっさと “オペ”にかかりなさいよ、ミゲル?」 事務的な口調であったが、明らかに女の声色である。 黒いマントの内側から伸ばされた剥き出しの腕はほっそりしていて、小枝のようだった。 ただし指先は鋭く、上下白で着飾った少年を指差していた。 「待ってよ、シスベリア。わたしは段取りを大切にしようと思ってて。  インフォームドコンセントって知ってるでしょ?これから患者の身に何が起きるか説明をしてだね……」 少年は相変わらず可愛らしい声を出して、身振り手振りで訴えている。 少年にシスベリアと呼ばれた女は、軽く溜め息をついた。 いよいよもってわけが分からなくなった男は、今度こそ一切を無視して立ち去ろうとした。 ところが、女に片腕を掴まれる。 「うぅ!」 凄まじい、力だった。 「そんなことならね、あたしがやるわ……」 さらに掴まれた腕に、爪をたてられる。服の袖ごしに、女の五本の爪は深々と食い込んだようだった。 ぶじゅっという人工皮膚を貫通する音に続き、機具の激しく軋む音、鮮血によって彩られる。 「うがぁっ!」 男が叫んで身をよじるも、女はまったく容赦してくれなかった。 女はうんと顔を近付けると、囁きを漏らす。 「てめえはね、心が病んでいるんだ。だから、心臓を取り替えようと思う」 宣告は氷のように響き渡った。 心臓。 シミラーにとって、唯一例外無く生身である部分。 男は女の爪先から、何かが、自分の身体に流れ込んでくるのを感じた。 「うひっ?」 ひどく、心地が悪い。 腕が信じられない勢いで痙攣し、内側から何かが飛び出そうとしては、そのたびに男の腕は瘤のように膨れ上がり、 その何かはいたって順調に、身体の中心部を目指しているようだった。 「おぼっ!うぼ!!」 どうして俺が、こんな目に? 苦しさのどこかで、大きく目を剥いた男はそのようなことを考えていた。 口から大量の泡を吐き、それでも二人の男女は平然としている。 「じゃあミゲル、仕上げをお願い」 「はいはい、姐さん」 こ、このミゲルとかいうやつを、尾けたせいで…… 「そうだねぇい。自業自得じゃないかいな?」 少年は笑っていた。醜くゆがみきった男の顔を直視して。 少年は後ろ手にメスを持っていた。 そのメスが男の胸に突き刺さり、波打つ何かが直に抜き取られたのは、直後のことである。 ところが不思議なことに、血はほとんど出なかった。 穴の開いた肉体の真ん中を、内側から肉の壁が修復したのだった。 途端、男は全ての動きを止め、シスベリアという女にもたれかかっていた。 女は黙って、男の胸に耳を押し当てている。 頭巾をとった女は、見事な銀髪をしていた。 「どうですか姐さん?」 「…………成功よ」 初めて、シスベリアも、ミゲルも、心から笑った。 「素晴らしいね。麻酔無しのオペなんて、なかなか出来るもんじゃないよ」 少年と女の笑い声が路地裏に響く中、 男は眼を覚まそうとしていた。瞳の色を、深紫に変えて……… ---- *[[BACK>その他の小説]] 
*[[BACK>その他の小説]]  ----   プロローグ <攻奇心は猫をも生き返らす> 聖暦3354年 -神無月 九日- 男は、とてつもなく運が良かった。 男は他の“シミラー”(機械人)よりずっと恵まれた容姿をもって創られた。 これが第一の幸運である。 “司命工場”は世界の人口を保つため、数ヶ月に一度、数百体のシミラーを生産する。 しかしゴールドジュエルの不足や経費削減が叫ばれる昨今の世、どうしても不良体は多くなる。 一体の美男子を創るコストと、百体の醜男を創るコストは釣り合うもので、 男もせいぜい中の上くらいの顔立ちをもって生まれて来るはずだった。 ところが蓋を開けてみれば、どう間違ったのか、 男はファッションモデルとして生産されたシミラーを凌ぐほどの容姿と気品を備えていたのだ。 いったんはその成人男性型に、当初とは異なる人生プランを与えようかと 管理側のシミラーも考慮したほどである。が、結局はその手間を惜しまれ、 「女型シミラーを視線だけで虜にする一般人」として、男は世に送り出された。 そんな男を指名購入したのは、開発されてから五十年を過ぎようかという成人女性型だった。 見た目は二十歳のままの彼女が、夫として生まれたばかりの男を選んだのは、機械人社会では珍しくもないことである。 妻は夫を容姿だけで選び、後のことは何とでもなると考えていた。 それもまた、男にとっては幸運なことだった。 一年が過ぎ、二年が過ぎ、男の人生は豊かなものだった。 背景には第三の幸運がある。いかにして自らの容姿を利用し、人を欺くか。 その術を早々にマスターし、良心などというものと縁を切ったのだった。 ただし、金づるである妻との縁は、あちらが望んでも切ろうとはしない。 うまくやっている。 全くもってうまくやっている。 順風満帆という言葉では表現しきれないほど、男は悠々と日々を送っていた。 抱いた女型の数は三十を超え、そろそろ新たな女型と関係を結ぼうと考えていた。 そこへ、ついに第四の幸運が転がり込む。 男がぶらりと立ち寄った“ラングフルク”の街。 青空の下、大勢のシミラーが歩いている。 そんな中、彼の理想通りの女型が通りを歩き、すっと路地裏へと消えて行った。 正確には少女型であろう。 一瞬男と目を合わせた少女は、遠くではあったが実にあどけない笑みを浮かべている、ように見えた。 男は心が昂るのを感じながら、そっと後を追う。 男もまた路地裏に入ると、少し前方を先ほどの少女が歩いている。 光を浴びていなくとも輝いて見える緑色の髪は尻にかかるほど長く、歩調に合わせ行儀よくなびいていた。 肩が露な黒のキャミソールの上から、白のボレロを羽織っている。 細いベルトを腰に巻き、その色は赤い。 すらりとした長い両足は、白のパンツで綺麗に覆われている。黒いブーツだけは男物のようだ。 後ろ姿だけでも充分に魅力的である。 流行からはいささかピントのズレたファッションであるが、男は彼女を視界に入れたまま放さなかった。 変な服装の女ほど、下着の趣味からして凝っているものだ。 ごくりと唾を飲み込み、下半身のうずきを堪えながら、少女とは慎重に距離をとって歩く。 それにしても、いったいどこへ行こうというのか。 土地勘の無い男であっても、この先には何も無いような気がしていた。 通りに看板など出てはいなかったし、いわゆる隠れ家的な店でもあるのだろうか。 時刻は昼を過ぎたばかりだ。仮にそれが酒場だとしたら、少々時間が早い。 ひょっとしたら誰かとの待ち合わせに、人目につかない場所を選んだだけかもしれない。 もしこの先に自分以外の男が居るとしたら失望を隠せないが、そうであっても諦めるのには惜しい。 強引な手段を用いてでも手に入れたい、既にその後のことまで考える。 男は少女に悟られないように歩き続けていた。狭い路地は大変入り組んでおり、 浮浪者をまたぎ、野良猫を見かけ、かび臭い匂いすら感じながら、黙ってついて行く。 そして、少女が何度目かの角を右に曲がったときだ。 男もそれに続いてみて、驚きの声をあげた。 「……えっ……?」 そこは、十人ばかりならどうにか集まれそうな空き地だった。 広場と呼ぶには些か狭過ぎるが、町外れの公園のような趣きがある。 場所としては、倉庫か何かの裏手だろうか。 周りをずんぐりとした背の高い建物に囲まれ、光はほとんど遮られている。 遠い昔に廃棄されたものなのか、壊れた木箱と、その中から得体の知れない機材がはみ出している。 男は何も、その光景に驚いたわけではない。 空き地には、誰も居なかった。追っていた少女を含めて。 (行き止まり?) 男が呆気にとられていると、不意に真後ろから可愛らしい声がかかる。 「ようこそ、イケてるお兄さん」 驚いて振り返ると、いったんは周囲を見渡したはずだが……すぐ背後に、例の少女が立っていた。 相手は、男より幾らか小柄だ。男が視線を落とすと、間近で彼女の顔を見ることとなった。 後ろ髪と同様に前髪をかなり長くし、中央で分けたそれを真っすぐに垂らしていた。切れ長のまつげに彩られた 猫のような瞳は、流れる前髪でわずかに隠され、口元にはずいぶんと物騒な笑みを浮かべられている。 小悪魔的という言葉ならあったはずだが、 そんなものでは言い表せないほど不気味で、同時にぞっとするほど可愛かった。 「や、やぁ……」 挨拶出来たことだけでも上出来だろう。あまりに出現が唐突ということもあったし、 何より男は緊張でひきつった笑みを浮かべていた。 (どうしてだ。今まで見たどんな女型より違って見えるな。すごくどきどきする) 女型にここまで動揺する自分が信じられなかった。 少女はウインクすると、そんな男に対して言い放つ。 「無理ないかも。だってわたしは、男だしねぇ」 「……あぁっ?」 「うん。案外キミは、ショタ趣味のほうこそあるんではないかいね?」 首をかしげながら、両手を後ろで組んで片足はあげている。 今度はわずかばかり棘を含んだ色声。可愛い。本当に可愛い。 しかし、男、だと? このほっそりとした丸みのある身体で? シミラーの肉体は、決して全てが機械で造られているわけではない。 確かに薄皮一枚の下は金属が通っているわけだが、個体によっては足や腕のほとんどが生身であるケースもある。 相手が無造作に伸ばしてきた手を握り、男は、本体の内部データを閲覧させてもらう。 伝わって来る情報は、確かに、目前のシミラーの性別は男だと示している。 「ねっ」 あげく、笑いながら股間を指差されると、 もはや男は驚きを超えて憤慨したが、本来なら騒ぎ立てるポイントはそこではない。 少女……のような少年は話を続けた。 「ぜひぜひ、わたしとイイことして欲しいんだけどね」 「ふ、ふざけるな!俺にそんな趣味は断じて無い!」 「せっかくここまで来てくれたんでしょ。何事も経験だよ?」 「そんな経験ならお断りだ!……俺は帰るぞ!」 そう言うと男は少年を押しのけて、来た道を戻ろうとした。 すると今度は、道を遮るようにして、一人の人物が上から降ってきた。 全身をすっぽりと黒衣で覆っていて、頭にすら黒頭巾。まるで黒い照る照る坊主である。 「……?」 一体何処から?それは、分からない。 まるで舞い散る花びらのように、静かに地面へと足を下ろす、その音が静かに木霊した。 それだけは分かった。 ややあって、新たに現れた人物は口を開いた。 黒頭巾によって口元しか見えない。毒々しい紫色の紅が塗られた唇は鮮やかに動く。 「さっさと “オペ”にかかりなさいよ、ミゲル?」 事務的な口調であったが、明らかに女の声色である。 黒いマントの内側から伸ばされた剥き出しの腕はほっそりしていて、小枝のようだった。 ただし指先は鋭く、上下白で着飾った少年を指差していた。 「待ってよぉ、シスベリア。わたしは段取りを大切にしようと思ってて。  インフォームドコンセントって知ってるでしょ?これから患者の身に何が起きるか説明をしてだね……」 少年は相変わらず可愛らしい声を出して、身振り手振りで訴えている。 少年にシスベリアと呼ばれた女は、軽く溜め息をついた。 (えぇい……なんなんだこいつらは!) いよいよもってわけが分からなくなった男は、今度こそ一切を無視して立ち去ろうとした。 ところが、女にいきなり片腕を掴まれる。 「うぅ!」 凄まじい、力だった。 「そんなことならね、あたしがやるわ……」 さらに、掴まれた腕に爪をたてられる。服の袖ごしに、女の五本の爪は深々と食い込んだようだった。 ぶじゅっという人工皮膚を貫通する音に続き、機具の激しく軋む音、鮮血によって彩られる。 「うがぁっ!」 男が叫んで身をよじるも、女はまったく容赦してくれなかった。 女はうんと顔を近付けると、囁きを漏らす。 「てめえはね、心が病んでいるんだ。だから、心臓を取り替えようと思う」 宣告は氷のように響き渡った。 心臓。 シミラーにとって、唯一例外無く生身である部分。 男は女の爪先から、何かが、自分の身体に流れ込んでくるのを感じた。 「うひっ?」 ひどく、心地が悪い。 腕が信じられない勢いで痙攣し、内側から何かが飛び出そうとしては、そのたびに男の腕は巨大なコブが出来たように膨れ上がり、 その何かはいたって順調に、身体の中心部を目指しているようだった。 「おぼっ!うぼ!!」 どうして俺が、こんな目に? 苦しさのどこかで、大きく目を剥いた男はそのようなことを考えていた。 口から大量の泡を吐き、それでも二人の男女は平然としている。 「じゃあミゲル、仕上げをお願い」 「はいはい、姐さん」 こ、このミゲルとかいうやつを、尾けたせいで…… 「そうだねぇい。自業自得じゃないかいな?」 少年は笑っていた。醜くゆがみきった男の顔を直視して。 少年は後ろ手にメスを持っていた。 掲げられたそのメスは、男の胸に突き刺される。 波打つ何かが直に抜き取られたのは、直後のことである。 ところが不思議なことに、血はほとんど出なかった。 穴の開いた肉体の真ん中を、内側から肉の壁が修復したのだった。 途端、男は全ての動きを止め、シスベリアという女にもたれかかっていた。 女は黙って、男の胸に耳を押し当てている。 やがて男の身体を無造作に片手で押し倒すと、女はゆっくりと頭巾をとった。 見事な銀髪をしていた。 わずかな風にそよがれた素顔には、表情が無い。 「どうですか姐さん?」 「…………成功よ」 初めて、シスベリアも、ミゲルも、心から笑った。 「素晴らしいね。麻酔無しのオペなんて、なかなか出来るもんじゃないよ」 ミゲルは、肉の袋を先端にぶら下げたメスを持って言う。 真っ白いボレロにぼたぼたと血が垂れている。 「麻酔を使うのも惜しいわ」 「違いないや」 少年と女の笑い声が路地裏に響く中、 二人の足下に転がる男は、眼を覚まそうとしていた。 瞳の色を、深紫に変えて……… ---- *[[BACK>その他の小説]] 

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