戦う司書と絶望の賢者

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 研究施設内部。  廊下の一番奥に存在する外へと続く扉の前に一人の青年が立っていた。  逆立った銀髪が特徴の青年は、頭上のテレビ画面を見つめている。  画面には老科学者の姿が映し出されていた。 『さあ、『D』、お前の持つ才能も円熟期を迎えた。これより君をこの施設から出すことにする』  老科学者が告げる。  すると、青年の前にある扉が自動的に開いた。  奥には小さな部屋と金属製の扉がある。  青年はその小さな空間に足を踏み入れた。  同時に、スピーカーから老科学者の声が響いた。 『外に出るまでの扉は七つ。それぞれの扉を開けるには、扉のコンピュータに出された問題を解くこと』  言われるまでもなく、青年は扉横に設置してある画面に表示されていた問題に着手していた。  画面下に設置されているキーボードを素早く叩き、問いの答えを迷いなく打ち出してゆく。 『解答の正否は、こちらでモニターしている数十名の学者で判断する。世界最大の難問と呼ばれるものばかりだが、君なら解けるだろう。なにせ、』  金属製の扉が機械音と共に開く。  扉の向こうは、一つ目の部屋と同じ造りの小部屋だった。  行く手を阻む金属の扉。  その隣には、問題を映し出す画面と答えを入力するためのキーボード。  青年が画面の前へ駆け寄った。 『ここから出られたら、憎い私を殺すことができるのだからね』  老科学者の声が室内に響く。  答えを入力する青年の顔は冷たい氷のように無表情で、感情を読み取ることはできない。  だが、青年の心には老科学者への憎しみがあった。  母親から引き離され、この無機質な研究所に閉じ込められた。  エサをあげていたネズミを、「怒らせるため」というくだらない理由で殺された。  金属の扉が開く。  青年が駆け出した。 『君の『答えを出す者(アンサー・トーカー)』の才能が発揮されるのは学問に限らない』  青年を怒らせる行為。  老科学者はそれを繰り返し繰り返し何度も行ってきた。  三つ目の扉が開く。 『危険回避、難病の治療、憎い人間の殺し方、その全てに『答え』を出すことができる』  青年が怒りや憎しみの感情を持った時、彼の『答えを出す者(アンサー・トーカー)』は一番発揮される。  その能力はいかなる問いにも一瞬で答えを導き出すというものだ。  老科学者は彼のその能力を研究すると共に、彼に難問を解かせ利用していた。  彼の解いた問題の答えは、医療や技術の発展ではなく軍事目的に利用されている。  老科学者が彼に伝えたことだった。  青年は問題の答えを入力し、そして次々と扉を開いて行く。 『まさにスーパーマンだ!!』  母からの手紙を、内容が陳腐で品性の欠片もないと彼の目の前で破り捨てられた。  結局、彼は一度も母からの手紙を読むことはできなかった  唯一話し相手になってくれていたミス・グレースもいなくなった。  彼女は他の研究者と違い、彼に同情してくれていた。  だが、もう会うことはできない。  彼女を研究所から異動させたのは他でもない。  研究所の最高責任者であるこの老科学者だ。  寂しさと、老科学者に対する怒りと憎しみが増していった。 『君を敵に回したら、これほど怖い存在はいないだろう』  ここから出たらまず何をするか。  自由を手にしたら、何をするか。  母に会いたいと思う。  何かペットを飼いたいと思う。  ミス・グレースとまた話しをしたいと思う。  自分を利用した科学者達を、皆殺しにしたいと思う。  人殺しの協力を自分にさせたのだ。  当然の報いだと思う。 『そこで我々は……』  最後の扉が開いた。  扉の向こうには自由が待っている。  もうこんな研究所に居る必要も無い。  人殺しに使われる問題を解くことも無い。  これからは、自由に生きる事ができるのだ。 『君をこの研究施設ごと、北極の地にて破棄することに決めた』  青年を待っていたのは見渡す限りの氷雪だった。  空は曇り、雪が激しい風と共に吹き荒んでいる。  気温は氷点を大幅に下回り、青年の髪の毛や衣服がものの数秒で凍りついた。  およそ人が生きることのできる環境ではなかった。 『君の頭なら、もう答えは出ているハズだ。じきに爆発を起こす施設、大自然での無力さ。君がここで生き残れる可能性はゼロだよ。  君が扉を開けるために解いた問題の答えには感謝している』  入口前に設置してあるテレビ画面に青年が視線を移した。  彼ができることと言えば、それしかなかった。  画面に映る老科学者が、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて言葉を続ける。 『本土で見ていた学者たちもみな満足するものだ。これでまた、画期的な人殺しの道具ができよう』  あの問題の答えでまた人殺しの道具が作られる。  そんなことは予想できていたことだ。  自由を得たら、その本土の学者たち諸共、自分が出した『答え』と、答えによって生み出された産物をこの世から消し去るつもりだった。  『答えを出す者(アンサー・トーカー)』を使えば、可能なことのハズだった。  だが、それは北極に居る自分には不可能な事だったのだ。 『そう…最後に教えてあげよう。君のお母さんだがね、』  お母さん。  最後に会ってからもう何年も経っていた。  たまに送られてくる手紙は、全て目の前で破り捨てられた。  返事がないためか、ある時を境に手紙は来なくなっていた。  老科学者が言っていたように、自分の出した『答え』によって作られた兵器の犠牲者にはなっていないと思いたい。  生きていてほしい。  そう願っていた。  だが、老科学者の一言で彼は絶望に叩き落とされた。 『彼女はお金欲しさに君を我々に売ったんだよ。一万$というはした金でね』  考えてみれば、『答えを出す者(アンサー・トーカー)』が使えなくとも答えが出せた事だろう。  手紙が届いていたということは、青年の所在を母親は知っていたということだ。  警察への通報もないということは、青年が少年の頃にこの施設に閉じ込められたのは誘拐ではなく、 母親も納得済みでなんらかの取引があったということだ。  こんな単純な答えが出せなかったのは、最後まで母親を信じていたかったからだろうか。  その答えは、『答えを出す者(アンサー・トーカー)』でも出すことはできなかった。  唯一の肉親に裏切られた青年は気付いた。  自分から自由を奪い、利用し、人殺しの道具を喜々として作る学者たち。  金で実の息子を売り払った母親。  人間がどのような存在であるかを、青年は思い知らされた。  自分はなんのために生まれてきたのか。  ただただ、人殺しの道具を作るための『答え』を出すために生まれてきたのか。  こんな窮屈な所で人生の大半を失うために生まれてきたのか。  青年の両眼から、涙が流れた。 『君の最大の謎が解けたね。おめでとう……『D』……』  許せない。  自分を金と引き替えに売り払った母親が許せない。  自分を利用した学者達が許せない。  そして、その憎むべき者達の種族。自分も含めた人間という種が許せない。  彼の心を満たした絶望は怒りと憎しみに、青年がその能力を一番発揮する感情へと変貌した。  施設が爆発する直前、彼の『答えを出す者(アンサー・トーカー)』は遂に答えを導き出す。  ここから生き延びる方法。  学者たちを皆殺しにする方法。  この憎むべき世界を、滅ぼす方法。  研究施設が内部から炎と衝撃を吹き出した。  外壁が砕け、破片が周囲に飛散する。  だが、青年には生き延びる『答え』が瞬時に出せた。  安全地帯を導き出した青年は、無傷とはいかないものの軽傷を負うだけで爆発をやり過ごすことができた。  爆発が収まると、青年は即座に行動を開始する。  近くに落ちていた施設の破片で指を深く傷つけ、降りしきる雪の上へぼたぼたと血を垂らしていく。  指先が凍れば、近くでまだ煌々と燃え盛る炎へ指を近づけ、傷口を溶かし再び血で雪上に模様を描いていった。  自分の血で奇妙な陣を描き終えると、青年は文言を告げる。 「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバインオーグ。  降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。  ―――Anfang(セット)。  閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。繰り返すつどに五度。  ただ、満たされる刻を破却する。  告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。  聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。  誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」  これは召喚の呪文だ。  英霊を呼び出し、サーヴァントとして現界させる文言。  青年はこの詠唱に、二節の文言を加えた。 「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」  英霊とは、人間の英雄のことだ。  人間に絶望し、人間を憎悪している青年には、人間と協力する事などできなかった。  だが、英霊召喚は必須だった。  聖杯戦争。  あらゆる望みを叶える聖杯を巡る戦い。  その聖杯を手に入れるには、サーヴァントを召喚しマスターにならなければならない。  サーヴァントとの協力が必要不可欠だ。  しかし、青年はサーヴァントを信用できない。  人間は、いつ裏切るかわからない。  ならば、サーヴァントから理性を剥奪し裏切りなど考える事ができないようにしてしまえばいい。  青年が加えた二節の文言は『バーサーカー』を召喚するためのものだった。  バーサーカーは狂化により理性が剥奪されるクラスだ。  そして、理性を失う代わりにパラメーターが上昇する追加効果もある。  それは聖杯戦争の勝利に近付く付加価値だった。  青年にとっては、正に理想のクラスと言えた。 「汝三大の言魂を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」  青年が詠唱を終える。  同時に 血で描かれた魔法陣が光り輝き、突風を巻き起こす。  光と風が収まりを見せると、陣の上には人の姿が存在していた。  バーサーカーのクラスに呼び出されたためだろう。  肌は濃い褐色に変質し、長い黒髪はささくれ立っていた。  体つきを見るに、女性のサーヴァントであるらしい。  胸には、下手糞なうさぎのアップリケが付いていた。 「サーヴァントバーサーカー、呼びかけに応じて来てあげたわよ。あなたが私のマスターねえ?」  バーサーカーと名乗るサーヴァントが言葉を発したことで、青年は表情こそ変えてはいないが驚いていた。  バーサーカーとは狂化スキルにより、パラメータの上昇と引き換えに理性と思考能力を剥奪されるクラスである。  そのバーサーカーが淀みなく話すことなど本来ならばありえない。  にも関わらず、このサーヴァントは青年がマスターであるかを問うたのだ。  問われれば、答えをだすのが青年である。 「ああ、俺がお前を召喚したマスターだ。令呪もある」  青年が左手を上げた。  その甲には、確かに三画の痣が刻み込まれている。  ひび割れた石板のような、不思議な形の痣だった。 「これで契約は成立ね。それにしてもここどこよ? マスターも変な場所で召喚の儀式を行っものねえ」 「お前には関係のないことだ」  言って、青年はバーサーカーのステータスを見始めた。  マスターに与えられた能力だ。  マスターは自身のサーヴァントのステータスを視覚情報として知ることができる。  相手サーヴァントのステータスを見ることもできるが、自身のサーヴァントよりは得られる情報は少なくなる。  バーサーカーのパラメータは、幸運を除けば優秀過ぎる程高い。  狂化の恩恵のせいだろう。  狂化のランクもBと決して低いものではなく、目の前のサーヴァントは間違いなくバーサーカーであるはずだった。  ならば何故、バーサーカーは理性を保ち青年と会話ができるのか。  答えはバーサーカーの保有スキルにあった。  『失えぬ正気』。  バーサーカーの保有するそのスキルは、 屈強な戦士ですら殺してくれと懇願するような拷問を受け続けようと、精神を直接いじくられようと正気を保ち続けるスキルである。  何故このようなスキルをバーサーカーが保持しているのか。  青年とバーサーカーに魔力のパスが繋がっていたためだろうか、それとも『答えを出す者(アンサー・トーカー)』が発動したためだろうか。  疑問に思った瞬間、青年はバーサーカーの過去を追体験した。  青年が見たのは、あまりにも凄惨な、およそ人間に行われるべきではない悲惨な光景だった。  バーサーカー十二歳の春。  彼女は父に言われるままに拘束具で厳重に椅子に縛り付けられていた。  これが終われば、研究所の外に初めて連れて行ってくれると教えられていたからだ。  動物園というところに、デパートメントというところに、シネマシアターというところに、学校というところに、連れて行ってもらえるはずだった。  全てが終われば、自由になれるはずだった。  そう約束していたから、彼女は父的な存在であるマキアに一度も逆らわずに暮らしていたのだ。 「………があ、あぎいいぃ!」  彼女が絶叫する。  きつくきつく縛りあげられた拘束具のせいで、彼女は頭すら微動だにすることができない。  血の流れが止まった四肢の末端は鬱血し、石榴(ざくろ)のように変色している。 「まだ、快楽反応はありません。続行しますか?」  焼けた鉄の針を彼女の爪の中に押し込んだ男が言った。  マキアの部下の研究者だった。 「必要無い。再施術だ」  室内に響き渡る悲鳴を聞きながら、別の男が言い放った。  続行するかなどという確認は必要ない。  この少女が痛みに、破滅に、殺されることに喜びを感じるようになるまでこの行為は終わらない。 「魔法権利、発動。心魂外科手術、第二段階を実行する」  彼女は見動きは取れないが、意識はあった。  周囲の人間がやっていることもわかる。  父は───マキアは言った。  君の魂を改造し、被殺願望を植え付けると。  意味はわからなかったが、マキアが自分に悪いことをするはずがないと信じていた。  その結果がこれである。  彼女の前にある、手術台の上に何があるのかも見えた。  頭蓋骨の一部だった。  まぶたの上から水平に切断された半球だ。  彼女は、ただただ、恐ろしかった。  あんなものが、あそこにあるということは、自分は今、頭蓋骨を割られて、脳を露出させられているのだ。  こんなことをされて、生きていられるわけがない。  脳に見たこともない魔具が差し込まれている。  なのに自分はまだ生きている。 「うーん。チャコリーもされたから覚えてるけど、外からみると気持ち悪いねえ」  離れた所に立つ、彼女の妹的な存在であるチャコリーが言う。  彼女が、こんなにされている様を、笑いながら見ている。 「魔法権利、正常に施行されました。ハミュッツの生存の意思を消失させ、被殺願望へ転化します」   取り囲む魔術師たちが、恐ろしい文言を唱え続ける。  ハミュッツとは、バーサーカーの名なのだろう。  バーサーカーは恐ろしかった。  意識を失いたかった。  狂ってしまいたかった。  この狂った状況の中では、狂うしかないのだ。 「駄目だよハミ。世話焼けるなあ。心魂共有。ハミが狂うことを否定するよ」  しかし、チャコリーが、バーサーカーが正気を失うことすら阻む。  頭蓋骨の切断面から、血が流れ落ちて目に入った。  視界は赤く染まった。  涙と血が混ざりあい、口に入って塩と鉄の味がした。  恐怖のあまりに、さるぐつわを噛みしめる歯がへし折れていた。  大小便が垂れ流しで、臭いにむせかえりそうだった。  誰かの魔術が、バーサーカーの魂を根底から揺さぶって、破壊した。  目玉がぐるんと回転し、まぶたの裏が見えた。 「残念だなあ、ハミは、優しいお姉ちゃんだったのに。今日でお別れだね」  バーサーカーにも、感覚的に理解できた。  今、自分は自分でなくなっていく。  脳をいじくられ、魔術をかけられるたびに、自分が死んでいく。  自分が、見知らぬ自分に変わっていく。  何よりそれが恐怖だった。 「明日になったらハミは、単なる化物だ」 「チャコリー、よせ!」  マキアがチャコリーを咎めた。  だが、チャコリーはマキアの言葉を意に介さず、事実だけを述べる。 「だって、そうじゃない? 殺されることが快楽なんて、おかしいよ。化物だ。  まあ、化物でもいいんだけどね。ハミは、道具なんだから」  かくして、バーサーカー───ハミュッツ=メセタは生み出された。  世界を支配する魔王を殺すために存在する、おぞましい生きた道具は誕生した。  その後。  魂の改造施術が行われた日の後も地獄の日々が続いていた。  殺されることを最上の快楽とする人間を作り出す。  そんな無理のあることを実行するために、マキアとその配下の者たちは血のにじむような苦労を重ねていた。  ハミュッツに正気を保たせるために、彼らはあらゆる方法でハミュッツが狂わないようにしていた。  ハミュッツはそんな彼らを憎み、憎むために正気を保った。  正気を保たなければ、復讐を果たせないからだ。  ───これが、バーサーカーとして召喚されたハミュッツ=メセタが狂化してなお理性を保っていられる理由である。  この経験は、『失えぬ正気』というスキルとしてバーサーカーに現れていた。  バーサーカーの記憶を垣間見た青年は愕然とした。  バーサーカーもまた、自分と同じく研究施設で育った人間だった。  大人の目的のために、自分の意思とは関係なく閉じ込められ、目的のために利用される日々。  だが、彼女が受けたそれは、自分が受けた実験や研究などと比べ物にならない程惨たらしいものだった。  青年は、後悔した。  生きるためにサーヴァント召喚の儀式を行ったが、やらなければよかった。  自分も含め、人間に価値などないのだ。  このようなことをしでかす人間に、生きる価値があるはずがない。  それを思い知らされただけだった。  あのまま凍え死んだ方が、生き延びるよりもはるかにマシだったかもしれない。 「関係ないって………はあ。早くも、マスターとの信頼関係に溝ができちゃってるわねえ」 「黙れ」  青年が左手をかざした。  なんのためにバーサーカーを呼んだのか。  それは意思なき道具として使うためだ。  マキアとやらは意思を持つ生きた道具としてこの女を作ったらしいが、自分には関係ない。    『答えを出す者(アンサー・トーカー)』は自分が生き残る答えをもう導き出していた。  生きることも、死ぬことも同等に価値が無い。  どちらにも等しく価値が無いのなら、もう少し生きてみようと青年は思った。  違う景色。  今まで見たことのない、まだ見ぬ景色。  それを見てみたいと、聖杯に願ってみたいと、そう思った。  そのためには、聖杯戦争に勝利するためには、道具たるサーヴァントの理性は必要ないものだった。  サーヴァントは、『答えを出す者(アンサー・トーカー)』を使用する青年の指示を実行するだけの存在で良いからだ。  理性があれば、裏切りや自分の指示に従わない可能性がある。  理性がなければ、サーヴァントは何も考えずに指示に従う。  そちらの方がはるかに勝率は高い。  ……いや、それは単なる言い訳かもしれない。  青年は、人間を以前と同じように見れなくなっていた。  彼の境遇に唯一同情してくれ、他の人間よりは気を許すことのできたミス・グレースに対しても、今では他の人間と同じに思えてしまっている。  だからだろうか。  彼が、サーヴァントから理性を排し、人間の意思なき道具として使おうとしているのは。 「令呪をもって命じる。狂化のランクを上げ、理性を失え」  青年の左手に刻まれた令呪の一画が失われる。  同時に、バーサーカーにも変化が訪れた。  バーサーカーの顔は怒りの相を表し、その表情が固定される。  令呪が施行される直前、彼女がどんな表情をしていたのか。  理性を失えと命令され、どんな事を思ったのか。  それはもう、わからなくなっていた。  バーサーカーに残された理性は、戦闘に関する思考能力と、マスターとその指示を認識できるという程度のものだ。  狂化のランクアップに従い、強化の恩恵も増幅される。  青年が望んだ理想のサーヴァントと言えた。  これで、青年の意のままに行動する理想の道具が手に入ったのだ。  青年はその結果を確認しても表情を変えず、淡々とバーサーカーに指示を出していく。  まずはホッキョクグマを仕留めさせ、施設の焼け跡まで持ってこさせた。  ホッキョクグマの居場所は『答えを出す者(アンサー・トーカー)』で即座に突き止めることができた。  青年は施設の破片を使い、ホッキョクグマから毛皮を手に入れる。  焼け跡に残る炎で体を温めることで、作業は順調に進んでいた。  毛皮を剥いだホッキョクグマは食糧としても使える。  他にアザラシの肉を数頭分手に入れ、海に近い氷塊に吹雪から身を守る縦穴を作り、そこに篭って二月ほど海流に流されれば陸に辿りつける。  氷塊を海に浮かべるのはバーサーカーの力を使えば容易い。  青年は、淡々と漂流の準備を進めていった。  三ヶ月後。  とある研究所が壊滅した。  所内に居た者は全員死亡。  研究資料も機材も何もかもが破壊され、内部資料の復元は不可能となっていた。  外部からの襲撃者による破壊工作と見られるが、どのような手段で行ったのかは不明のままだ。  研究所からの最後の通信が確認されたのと同時刻。  壊滅した研究所から二十キロ離れた兵器工場も同様に壊滅させられていた。  このことから、組織的な犯行であると考えて捜査は進められている。  銃弾爆撃を受けたような破壊のされ方だったが、一発の銃弾も確認されていない。  鑑識を行った者は、瓦礫を銃弾よりも速い速度で断続的に撃ち込まれたようだと語っている。  だが、そんな兵器は確認されたことはない。  この後、五つの極秘研究施設と、四つの軍事工場が一週間の内に壊滅した。  犯人も犯行手段も未だ不明。  政府高官に顔の利く学者の一人が 「『D』だ……! 『D』が復讐に来たのだ……!!」  と知り合いの学者に通話した記録が残っているが、 電話をかけた学者も、電話を受け取った学者も軍事施設襲撃事件と同様の手口で殺害されているため『D』とは何かを知ることは不可能となった。  死者は、確認されているだけでも三百人を超えていた。  そして、軍事施設襲撃事件から一年と一ヶ月が経過した現在。  聖杯戦争が行われる地、日本に銀髪の青年が降り立った。  左手の甲には、ひび割れた石板のような、二画の不思議な痣がある。 (行くものは行かず、来るものは来ない)  青年が心の中で呪文を唱える。  バーサーカーの記憶から得た、魔術審議の文言だ。 (月は太陽。小鳥は魚。生者は骸。鋼鉄は朧)  世界の全ては、定められた公理の中にある。  物を投げれば地面に引かれ、人間は口から氷を出せない。  魔術審議とは、その定められた理を自らの意思をもって書き換え、世界の公理から逸脱した力を手に入れるための儀式である。  人は、この力を魔法権利、または魔術と言った。  青年はこれまでの間、毎日のように魔術審議を繰り返していた。  魔術を手に入れ、聖杯戦争を有利に進めるためだ。  青年はすでに『肉体強化』と『思考共有を送り返す』魔術を会得していた。  青年が魔術を習得する速さは、正に驚異的だった。  魔術審議とは、世界の公理を歪める行為だ。  故に、魔術審議を一度に進め過ぎると、混沌に近付き過ぎて、魂が世界の歪みに巻き込まれてりしまう。  そうなってしまうと、良くて廃人、悪くて死亡してしまうのだ。  そういうものであるから、通常、魔術を会得するにはどうしても数年かかる。  迷いを捨て、世界の公理に手を加えられるようになるまでですら一年の月日を要する。  肉体強化と思考共有を送り返す二つの魔術は、会得するのがそれほど難しいものではないが、 それでもその二つの魔術をものの数ヶ月で会得した事は充分に異常と言えた。  『答えを出す者(アンサー・トーカー)』で効率的な魔術の習得方法を知ったとしても、これ程早く魔術を習得するのは凡人には到底不可能だろう。  『答えを出す者(アンサー・トーカー)』と、バーサーカー以上の類まれなる魔術の才能、そして大量の人間の魂から抽出した膨大な魔力。  この三つが揃って、初めて半年と経たない内に二つの魔術を会得するに至ることができたのだ。  今、彼が新たに会得しようとしているのは雷の魔術だ。  魔術審議によって会得する魔術は、能力を限定することによってその効力を高めることができる。  青年が付けた制約は、呪文を唱えた時でなければ雷の魔術を出せないというもの。  一見簡単な制約に思えるが、それで充分だと青年は判断した。  それが一番しっくりくるような気がしたのだ。  雷の魔術は、制約を付けているとはいえ、最初に会得した二つの魔術とは比べ物にならない程難しく高度な魔術だ。  それでも一年と数ヶ月の魔術審議を経て、青年は『ザケル』を始めとした十を超える雷の呪文を習得していた。  だが、後一つ。  己の怒りを、憎しみの全てを雷として放出する最大の呪文の習得には、まだ時間がかかりそうだった。 (全ての現は夢にして、幻想は全ての現なり。あるものはなく、なきものはあり、万物を虚偽と定義して、これより、魔術審議を執り行う)  彼が公共機関を使う際に名乗った名前は『デュフォー』。  かつて『D』と呼ばれていた青年───デュフォーは、たっぷりと人間の魂を貯えさせたバーサーカーを携えて、 未だ見ぬ景色を求め、聖杯戦争の渦中へと自ら足を踏み出した。
 研究施設内部。  廊下の一番奥に存在する外へと続く扉の前に一人の青年が立っていた。  逆立った銀髪が特徴の青年は、頭上のテレビ画面を見つめている。  画面には老科学者の姿が映し出されていた。 『さあ、『D』、お前の持つ才能も円熟期を迎えた。これより君をこの施設から出すことにする』  老科学者が告げる。  すると、青年の前にある扉が自動的に開いた。  奥には小さな部屋と金属製の扉がある。  青年はその小さな空間に足を踏み入れた。  同時に、スピーカーから老科学者の声が響いた。 『外に出るまでの扉は七つ。それぞれの扉を開けるには、扉のコンピュータに出された問題を解くこと』  言われるまでもなく、青年は扉横に設置してある画面に表示されていた問題に着手していた。  画面下に設置されているキーボードを素早く叩き、問いの答えを迷いなく打ち出してゆく。 『解答の正否は、こちらでモニターしている数十名の学者で判断する。世界最大の難問と呼ばれるものばかりだが、君なら解けるだろう。なにせ、』  金属製の扉が機械音と共に開く。  扉の向こうは、一つ目の部屋と同じ造りの小部屋だった。  行く手を阻む金属の扉。  その隣には、問題を映し出す画面と答えを入力するためのキーボード。  青年が画面の前へ駆け寄った。 『ここから出られたら、憎い私を殺すことができるのだからね』  老科学者の声が室内に響く。  答えを入力する青年の顔は冷たい氷のように無表情で、感情を読み取ることはできない。  だが、青年の心には老科学者への憎しみがあった。  母親から引き離され、この無機質な研究所に閉じ込められた。  エサをあげていたネズミを、「怒らせるため」というくだらない理由で殺された。  金属の扉が開く。  青年が駆け出した。 『君の『答えを出す者(アンサー・トーカー)』の才能が発揮されるのは学問に限らない』  青年を怒らせる行為。  老科学者はそれを繰り返し繰り返し何度も行ってきた。  三つ目の扉が開く。 『危険回避、難病の治療、憎い人間の殺し方、その全てに『答え』を出すことができる』  青年が怒りや憎しみの感情を持った時、彼の『答えを出す者(アンサー・トーカー)』は一番発揮される。  その能力はいかなる問いにも一瞬で答えを導き出すというものだ。  老科学者は彼のその能力を研究すると共に、彼に難問を解かせ利用していた。  彼の解いた問題の答えは、医療や技術の発展ではなく軍事目的に利用されている。  老科学者が彼に伝えたことだった。  青年は問題の答えを入力し、そして次々と扉を開いて行く。 『まさにスーパーマンだ!!』  母からの手紙を、内容が陳腐で品性の欠片もないと彼の目の前で破り捨てられた。  結局、彼は一度も母からの手紙を読むことはできなかった  唯一話し相手になってくれていたミス・グレースもいなくなった。  彼女は他の研究者と違い、彼に同情してくれていた。  だが、もう会うことはできない。  彼女を研究所から異動させたのは他でもない。  研究所の最高責任者であるこの老科学者だ。  寂しさと、老科学者に対する怒りと憎しみが増していった。 『君を敵に回したら、これほど怖い存在はいないだろう』  ここから出たらまず何をするか。  自由を手にしたら、何をするか。  母に会いたいと思う。  何かペットを飼いたいと思う。  ミス・グレースとまた話しをしたいと思う。  自分を利用した科学者達を、皆殺しにしたいと思う。  人殺しの協力を自分にさせたのだ。  当然の報いだと思う。 『そこで我々は……』  最後の扉が開いた。  扉の向こうには自由が待っている。  もうこんな研究所に居る必要も無い。  人殺しに使われる問題を解くことも無い。  これからは、自由に生きる事ができるのだ。 『君をこの研究施設ごと、北極の地にて破棄することに決めた』  青年を待っていたのは見渡す限りの氷雪だった。  空は曇り、雪が激しい風と共に吹き荒んでいる。  気温は氷点を大幅に下回り、青年の髪の毛や衣服がものの数秒で凍りついた。  およそ人が生きることのできる環境ではなかった。 『君の頭なら、もう答えは出ているハズだ。じきに爆発を起こす施設、大自然での無力さ。君がここで生き残れる可能性はゼロだよ。  君が扉を開けるために解いた問題の答えには感謝している』  入口前に設置してあるテレビ画面に青年が視線を移した。  彼ができることと言えば、それしかなかった。  画面に映る老科学者が、いつもと変わらぬ笑みを浮かべて言葉を続ける。 『本土で見ていた学者たちもみな満足するものだ。これでまた、画期的な人殺しの道具ができよう』  あの問題の答えでまた人殺しの道具が作られる。  そんなことは予想できていたことだ。  自由を得たら、その本土の学者たち諸共、自分が出した『答え』と、答えによって生み出された産物をこの世から消し去るつもりだった。  『答えを出す者(アンサー・トーカー)』を使えば、可能なことのハズだった。  だが、それは北極に居る自分には不可能な事だったのだ。 『そう…最後に教えてあげよう。君のお母さんだがね、』  お母さん。  最後に会ってからもう何年も経っていた。  たまに送られてくる手紙は、全て目の前で破り捨てられた。  返事がないためか、ある時を境に手紙は来なくなっていた。  老科学者が言っていたように、自分の出した『答え』によって作られた兵器の犠牲者にはなっていないと思いたい。  生きていてほしい。  そう願っていた。  だが、老科学者の一言で彼は絶望に叩き落とされた。 『彼女はお金欲しさに君を我々に売ったんだよ。一万$というはした金でね』  考えてみれば、『答えを出す者(アンサー・トーカー)』が使えなくとも答えが出せた事だろう。  手紙が届いていたということは、青年の所在を母親は知っていたということだ。  警察への通報もないということは、青年が少年の頃にこの施設に閉じ込められたのは誘拐ではなく、 母親も納得済みでなんらかの取引があったということだ。  こんな単純な答えが出せなかったのは、最後まで母親を信じていたかったからだろうか。  その答えは、『答えを出す者(アンサー・トーカー)』でも出すことはできなかった。  唯一の肉親に裏切られた青年は気付いた。  自分から自由を奪い、利用し、人殺しの道具を喜々として作る学者たち。  金で実の息子を売り払った母親。  人間がどのような存在であるかを、青年は思い知らされた。  自分はなんのために生まれてきたのか。  ただただ、人殺しの道具を作るための『答え』を出すために生まれてきたのか。  こんな窮屈な所で人生の大半を失うために生まれてきたのか。  青年の両眼から、涙が流れた。 『君の最大の謎が解けたね。おめでとう……『D』……』  許せない。  自分を金と引き替えに売り払った母親が許せない。  自分を利用した学者達が許せない。  そして、その憎むべき者達の種族。自分も含めた人間という種が許せない。  彼の心を満たした絶望は怒りと憎しみに、青年がその能力を一番発揮する感情へと変貌した。  施設が爆発する直前、彼の『答えを出す者(アンサー・トーカー)』は遂に答えを導き出す。  ここから生き延びる方法。  学者たちを皆殺しにする方法。  この憎むべき世界を、滅ぼす方法。  研究施設が内部から炎と衝撃を吹き出した。  外壁が砕け、破片が周囲に飛散する。  だが、青年には生き延びる『答え』が瞬時に出せた。  安全地帯を導き出した青年は、無傷とはいかないものの軽傷を負うだけで爆発をやり過ごすことができた。  爆発が収まると、青年は即座に行動を開始する。  近くに落ちていた施設の破片で指を深く傷つけ、降りしきる雪の上へぼたぼたと血を垂らしていく。  指先が凍れば、近くでまだ煌々と燃え盛る炎へ指を近づけ、傷口を溶かし再び血で雪上に模様を描いていった。  自分の血で奇妙な陣を描き終えると、青年は文言を告げる。 「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。  降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。  ―――Anfang(セット)。  閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。閉じよ(満たせ)。繰り返すつどに五度。  ただ、満たされる刻を破却する。  告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。  聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。  誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」  これは召喚の呪文だ。  英霊を呼び出し、サーヴァントとして現界させる文言。  青年はこの詠唱に、二節の文言を加えた。 「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者」  英霊とは、人間の英雄のことだ。  人間に絶望し、人間を憎悪している青年には、人間と協力する事などできなかった。  だが、英霊召喚は必須だった。  聖杯戦争。  あらゆる望みを叶える聖杯を巡る戦い。  その聖杯を手に入れるには、サーヴァントを召喚しマスターにならなければならない。  サーヴァントとの協力が必要不可欠だ。  しかし、青年はサーヴァントを信用できない。  人間は、いつ裏切るかわからない。  ならば、サーヴァントから理性を剥奪し裏切りなど考える事ができないようにしてしまえばいい。  青年が加えた二節の文言は『バーサーカー』を召喚するためのものだった。  バーサーカーは狂化により理性が剥奪されるクラスだ。  そして、理性を失う代わりにパラメーターが上昇する追加効果もある。  それは聖杯戦争の勝利に近付く付加価値だった。  青年にとっては、正に理想のクラスと言えた。 「汝三大の言魂を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」  青年が詠唱を終える。  同時に 血で描かれた魔法陣が光り輝き、突風を巻き起こす。  光と風が収まりを見せると、陣の上には人の姿が存在していた。  バーサーカーのクラスに呼び出されたためだろう。  肌は濃い褐色に変質し、長い黒髪はささくれ立っていた。  体つきを見るに、女性のサーヴァントであるらしい。  胸には、下手糞なうさぎのアップリケが付いていた。 「サーヴァントバーサーカー、呼びかけに応じて来てあげたわよ。あなたが私のマスターねえ?」  バーサーカーと名乗るサーヴァントが言葉を発したことで、青年は表情こそ変えてはいないが驚いていた。  バーサーカーとは狂化スキルにより、パラメータの上昇と引き換えに理性と思考能力を剥奪されるクラスである。  そのバーサーカーが淀みなく話すことなど本来ならばありえない。  にも関わらず、このサーヴァントは青年がマスターであるかを問うたのだ。  問われれば、答えをだすのが青年である。 「ああ、俺がお前を召喚したマスターだ。令呪もある」  青年が左手を上げた。  その甲には、確かに三画の痣が刻み込まれている。  ひび割れた石板のような、不思議な形の痣だった。 「これで契約は成立ね。それにしてもここどこよ? マスターも変な場所で召喚の儀式を行っものねえ」 「お前には関係のないことだ」  言って、青年はバーサーカーのステータスを見始めた。  マスターに与えられた能力だ。  マスターは自身のサーヴァントのステータスを視覚情報として知ることができる。  相手サーヴァントのステータスを見ることもできるが、自身のサーヴァントよりは得られる情報は少なくなる。  バーサーカーのパラメータは、幸運を除けば優秀過ぎる程高い。  狂化の恩恵のせいだろう。  狂化のランクもBと決して低いものではなく、目の前のサーヴァントは間違いなくバーサーカーであるはずだった。  ならば何故、バーサーカーは理性を保ち青年と会話ができるのか。  答えはバーサーカーの保有スキルにあった。  『失えぬ正気』。  バーサーカーの保有するそのスキルは、 屈強な戦士ですら殺してくれと懇願するような拷問を受け続けようと、精神を直接いじくられようと正気を保ち続けるスキルである。  何故このようなスキルをバーサーカーが保持しているのか。  青年とバーサーカーに魔力のパスが繋がっていたためだろうか、それとも『答えを出す者(アンサー・トーカー)』が発動したためだろうか。  疑問に思った瞬間、青年はバーサーカーの過去を追体験した。  青年が見たのは、あまりにも凄惨な、およそ人間に行われるべきではない悲惨な光景だった。  バーサーカー十二歳の春。  彼女は父に言われるままに拘束具で厳重に椅子に縛り付けられていた。  これが終われば、研究所の外に初めて連れて行ってくれると教えられていたからだ。  動物園というところに、デパートメントというところに、シネマシアターというところに、学校というところに、連れて行ってもらえるはずだった。  全てが終われば、自由になれるはずだった。  そう約束していたから、彼女は父的な存在であるマキアに一度も逆らわずに暮らしていたのだ。 「………があ、あぎいいぃ!」  彼女が絶叫する。  きつくきつく縛りあげられた拘束具のせいで、彼女は頭すら微動だにすることができない。  血の流れが止まった四肢の末端は鬱血し、石榴(ざくろ)のように変色している。 「まだ、快楽反応はありません。続行しますか?」  焼けた鉄の針を彼女の爪の中に押し込んだ男が言った。  マキアの部下の研究者だった。 「必要無い。再施術だ」  室内に響き渡る悲鳴を聞きながら、別の男が言い放った。  続行するかなどという確認は必要ない。  この少女が痛みに、破滅に、殺されることに喜びを感じるようになるまでこの行為は終わらない。 「魔法権利、発動。心魂外科手術、第二段階を実行する」  彼女は見動きは取れないが、意識はあった。  周囲の人間がやっていることもわかる。  父は───マキアは言った。  君の魂を改造し、被殺願望を植え付けると。  意味はわからなかったが、マキアが自分に悪いことをするはずがないと信じていた。  その結果がこれである。  彼女の前にある、手術台の上に何があるのかも見えた。  頭蓋骨の一部だった。  まぶたの上から水平に切断された半球だ。  彼女は、ただただ、恐ろしかった。  あんなものが、あそこにあるということは、自分は今、頭蓋骨を割られて、脳を露出させられているのだ。  こんなことをされて、生きていられるわけがない。  脳に見たこともない魔具が差し込まれている。  なのに自分はまだ生きている。 「うーん。チャコリーもされたから覚えてるけど、外からみると気持ち悪いねえ」  離れた所に立つ、彼女の妹的な存在であるチャコリーが言う。  彼女が、こんなにされている様を、笑いながら見ている。 「魔法権利、正常に施行されました。ハミュッツの生存の意思を消失させ、被殺願望へ転化します」   取り囲む魔術師たちが、恐ろしい文言を唱え続ける。  ハミュッツとは、バーサーカーの名なのだろう。  バーサーカーは恐ろしかった。  意識を失いたかった。  狂ってしまいたかった。  この狂った状況の中では、狂うしかないのだ。 「駄目だよハミ。世話焼けるなあ。心魂共有。ハミが狂うことを否定するよ」  しかし、チャコリーが、バーサーカーが正気を失うことすら阻む。  頭蓋骨の切断面から、血が流れ落ちて目に入った。  視界は赤く染まった。  涙と血が混ざりあい、口に入って塩と鉄の味がした。  恐怖のあまりに、さるぐつわを噛みしめる歯がへし折れていた。  大小便が垂れ流しで、臭いにむせかえりそうだった。  誰かの魔術が、バーサーカーの魂を根底から揺さぶって、破壊した。  目玉がぐるんと回転し、まぶたの裏が見えた。 「残念だなあ、ハミは、優しいお姉ちゃんだったのに。今日でお別れだね」  バーサーカーにも、感覚的に理解できた。  今、自分は自分でなくなっていく。  脳をいじくられ、魔術をかけられるたびに、自分が死んでいく。  自分が、見知らぬ自分に変わっていく。  何よりそれが恐怖だった。 「明日になったらハミは、単なる化物だ」 「チャコリー、よせ!」  マキアがチャコリーを咎めた。  だが、チャコリーはマキアの言葉を意に介さず、事実だけを述べる。 「だって、そうじゃない? 殺されることが快楽なんて、おかしいよ。化物だ。  まあ、化物でもいいんだけどね。ハミは、道具なんだから」  かくして、バーサーカー───ハミュッツ=メセタは生み出された。  世界を支配する魔王を殺すために存在する、おぞましい生きた道具は誕生した。  その後。  魂の改造施術が行われた日の後も地獄の日々が続いていた。  殺されることを最上の快楽とする人間を作り出す。  そんな無理のあることを実行するために、マキアとその配下の者たちは血のにじむような苦労を重ねていた。  ハミュッツに正気を保たせるために、彼らはあらゆる方法でハミュッツが狂わないようにしていた。  ハミュッツはそんな彼らを憎み、憎むために正気を保った。  正気を保たなければ、復讐を果たせないからだ。  ───これが、バーサーカーとして召喚されたハミュッツ=メセタが狂化してなお理性を保っていられる理由である。  この経験は、『失えぬ正気』というスキルとしてバーサーカーに現れていた。  バーサーカーの記憶を垣間見た青年は愕然とした。  バーサーカーもまた、自分と同じく研究施設で育った人間だった。  大人の目的のために、自分の意思とは関係なく閉じ込められ、目的のために利用される日々。  だが、彼女が受けたそれは、自分が受けた実験や研究などと比べ物にならない程惨たらしいものだった。  青年は、後悔した。  生きるためにサーヴァント召喚の儀式を行ったが、やらなければよかった。  自分も含め、人間に価値などないのだ。  このようなことをしでかす人間に、生きる価値があるはずがない。  それを思い知らされただけだった。  あのまま凍え死んだ方が、生き延びるよりもはるかにマシだったかもしれない。 「関係ないって………はあ。早くも、マスターとの信頼関係に溝ができちゃってるわねえ」 「黙れ」  青年が左手をかざした。  なんのためにバーサーカーを呼んだのか。  それは意思なき道具として使うためだ。  マキアとやらは意思を持つ生きた道具としてこの女を作ったらしいが、自分には関係ない。    『答えを出す者(アンサー・トーカー)』は自分が生き残る答えをもう導き出していた。  生きることも、死ぬことも同等に価値が無い。  どちらにも等しく価値が無いのなら、もう少し生きてみようと青年は思った。  違う景色。  今まで見たことのない、まだ見ぬ景色。  それを見てみたいと、聖杯に願ってみたいと、そう思った。  そのためには、聖杯戦争に勝利するためには、道具たるサーヴァントの理性は必要ないものだった。  サーヴァントは、『答えを出す者(アンサー・トーカー)』を使用する青年の指示を実行するだけの存在で良いからだ。  理性があれば、裏切りや自分の指示に従わない可能性がある。  理性がなければ、サーヴァントは何も考えずに指示に従う。  そちらの方がはるかに勝率は高い。  ……いや、それは単なる言い訳かもしれない。  青年は、人間を以前と同じように見れなくなっていた。  彼の境遇に唯一同情してくれ、他の人間よりは気を許すことのできたミス・グレースに対しても、今では他の人間と同じに思えてしまっている。  だからだろうか。  彼が、サーヴァントから理性を排し、人間の意思なき道具として使おうとしているのは。 「令呪をもって命じる。狂化のランクを上げ、理性を失え」  青年の左手に刻まれた令呪の一画が失われる。  同時に、バーサーカーにも変化が訪れた。  バーサーカーの顔は怒りの相を表し、その表情が固定される。  令呪が施行される直前、彼女がどんな表情をしていたのか。  理性を失えと命令され、どんな事を思ったのか。  それはもう、わからなくなっていた。  バーサーカーに残された理性は、戦闘に関する思考能力と、マスターとその指示を認識できるという程度のものだ。  狂化のランクアップに従い、強化の恩恵も増幅される。  青年が望んだ理想のサーヴァントと言えた。  これで、青年の意のままに行動する理想の道具が手に入ったのだ。  青年はその結果を確認しても表情を変えず、淡々とバーサーカーに指示を出していく。  まずはホッキョクグマを仕留めさせ、施設の焼け跡まで持ってこさせた。  ホッキョクグマの居場所は『答えを出す者(アンサー・トーカー)』で即座に突き止めることができた。  青年は施設の破片を使い、ホッキョクグマから毛皮を手に入れる。  焼け跡に残る炎で体を温めることで、作業は順調に進んでいた。  毛皮を剥いだホッキョクグマは食糧としても使える。  他にアザラシの肉を数頭分手に入れ、海に近い氷塊に吹雪から身を守る縦穴を作り、そこに篭って二月ほど海流に流されれば陸に辿りつける。  氷塊を海に浮かべるのはバーサーカーの力を使えば容易い。  青年は、淡々と漂流の準備を進めていった。  三ヶ月後。  とある研究所が壊滅した。  所内に居た者は全員死亡。  研究資料も機材も何もかもが破壊され、内部資料の復元は不可能となっていた。  外部からの襲撃者による破壊工作と見られるが、どのような手段で行ったのかは不明のままだ。  研究所からの最後の通信が確認されたのと同時刻。  壊滅した研究所から二十キロ離れた兵器工場も同様に壊滅させられていた。  このことから、組織的な犯行であると考えて捜査は進められている。  銃弾爆撃を受けたような破壊のされ方だったが、一発の銃弾も確認されていない。  鑑識を行った者は、瓦礫を銃弾よりも速い速度で断続的に撃ち込まれたようだと語っている。  だが、そんな兵器は確認されたことはない。  この後、五つの極秘研究施設と、四つの軍事工場が一週間の内に壊滅した。  犯人も犯行手段も未だ不明。  政府高官に顔の利く学者の一人が 「『D』だ……! 『D』が復讐に来たのだ……!!」  と知り合いの学者に通話した記録が残っているが、 電話をかけた学者も、電話を受け取った学者も軍事施設襲撃事件と同様の手口で殺害されているため『D』とは何かを知ることは不可能となった。  死者は、確認されているだけでも三百人を超えていた。  そして、軍事施設襲撃事件から一年と一ヶ月が経過した現在。  聖杯戦争が行われる地、日本に銀髪の青年が降り立った。  左手の甲には、ひび割れた石板のような、二画の不思議な痣がある。 (行くものは行かず、来るものは来ない)  青年が心の中で呪文を唱える。  バーサーカーの記憶から得た、魔術審議の文言だ。 (月は太陽。小鳥は魚。生者は骸。鋼鉄は朧)  世界の全ては、定められた公理の中にある。  物を投げれば地面に引かれ、人間は口から氷を出せない。  魔術審議とは、その定められた理を自らの意思をもって書き換え、世界の公理から逸脱した力を手に入れるための儀式である。  人は、この力を魔法権利、または魔術と言った。  青年はこれまでの間、毎日のように魔術審議を繰り返していた。  魔術を手に入れ、聖杯戦争を有利に進めるためだ。  青年はすでに『肉体強化』と『思考共有を送り返す』魔術を会得していた。  青年が魔術を習得する速さは、正に驚異的だった。  魔術審議とは、世界の公理を歪める行為だ。  故に、魔術審議を一度に進め過ぎると、混沌に近付き過ぎて、魂が世界の歪みに巻き込まれてりしまう。  そうなってしまうと、良くて廃人、悪くて死亡してしまうのだ。  そういうものであるから、通常、魔術を会得するにはどうしても数年かかる。  迷いを捨て、世界の公理に手を加えられるようになるまでですら一年の月日を要する。  肉体強化と思考共有を送り返す二つの魔術は、会得するのがそれほど難しいものではないが、 それでもその二つの魔術をものの数ヶ月で会得した事は充分に異常と言えた。  『答えを出す者(アンサー・トーカー)』で効率的な魔術の習得方法を知ったとしても、これ程早く魔術を習得するのは凡人には到底不可能だろう。  『答えを出す者(アンサー・トーカー)』と、バーサーカー以上の類まれなる魔術の才能、そして大量の人間の魂から抽出した膨大な魔力。  この三つが揃って、初めて半年と経たない内に二つの魔術を会得するに至ることができたのだ。  今、彼が新たに会得しようとしているのは雷の魔術だ。  魔術審議によって会得する魔術は、能力を限定することによってその効力を高めることができる。  青年が付けた制約は、呪文を唱えた時でなければ雷の魔術を出せないというもの。  一見簡単な制約に思えるが、それで充分だと青年は判断した。  それが一番しっくりくるような気がしたのだ。  雷の魔術は、制約を付けているとはいえ、最初に会得した二つの魔術とは比べ物にならない程難しく高度な魔術だ。  それでも一年と数ヶ月の魔術審議を経て、青年は『ザケル』を始めとした十を超える雷の呪文を習得していた。  だが、後一つ。  己の怒りを、憎しみの全てを雷として放出する最大の呪文の習得には、まだ時間がかかりそうだった。 (全ての現は夢にして、幻想は全ての現なり。あるものはなく、なきものはあり、万物を虚偽と定義して、これより、魔術審議を執り行う)  彼が公共機関を使う際に名乗った名前は『デュフォー』。  かつて『D』と呼ばれていた青年───デュフォーは、たっぷりと人間の魂を貯えさせたバーサーカーを携えて、 未だ見ぬ景色を求め、聖杯戦争の渦中へと自ら足を踏み出した。

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