無題


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   ――俺は、運命って言葉が嫌いだ。

               ● ● ●


その日は朝から冷え込みが激しく、道行く人々がみな揃って厚いコートを着込んでいたことを覚えている。
木枯らしが吹きすさび、枯葉が舞い上がりくるくると回りながら俺の肩先を飛んでいく。空は淀み、灰色の雲が天上を覆っている。
誰も彼もすれ違う誰かのことなど気にも掛けることなく、ましてやその心中など想像だにせず歩いている。
そんな雑踏の中、俺は独りで考え事をしながら妹の入院する病院へと歩を進めていた。

俺、高倉冠葉の妹である高倉陽毬は、とある病をその身に抱えている。
現代医学では到底手に負えないと宣言された難病を患いながら、高倉陽毬は笑みを絶やさず暮らしていた。
俺、冠葉と。弟、晶馬と。妹、陽毬と。高倉家の三兄妹は、日常を穏やかに暮らしていた――そのはずだった。
しかしその日常は、三人で遊びに行った水族館で陽毬が倒れたあの日を境に一変してしまった。

目を閉じれば今でも思い出せる。
栗色の髪をばらばらと地面に広げ、力なく倒れた陽毬の姿が瞼の裏にありありと映し出される。
元々色白だった陽毬の肌から生気が抜け、顔は蒼白に染まっていた。
救急車に運ばれる間ずっと握っていた手からだんだんと温もりが消えていき、
代わりに胸の奥から恐怖が沸き上がってきたあのときのことを、俺は一生忘れないだろう。

心電図に映された命の鼓動が、段々と細く、少なくなっていく。
波形が、やがて直線に変わったとき――陽毬は、死んだ。

ああ――ここまでならば、とんだお涙頂戴劇だ。世界にごまんと存在する悲劇の一つに過ぎない。
この物語がその特異性を持つのは、ここからだった。
愛する妹を失った二人の兄が、悲しみの涙を流したそのとき、世界は三人の兄妹に、一つの奇跡をもたらした。
『生存戦略』が、発動したのだ。

死の淵の向こう側から生還した陽毬は、ペンギンの帽子をかぶり、誰ともしれない人格をその身に宿し、俺たちにこう告げた。


――きっと何者にもなれないお前たちに告げる。ピングドラムを手に入れるのだ。


陽毬の身体を乗っ取ったペンギン帽は、ピングドラムというアイテムを欲していた。
ピングドラムがあれば――陽毬の命は救われる。逆にピングドラムを手に入れることが出来なければ、陽毬の命は再び尽きる。
俺と晶馬に選択の余地などなかった。ピングドラムを手に入れる――それはあのときより、俺たちの中で何よりも優先すべき目的となったのだ。

しかし未だに俺たちは、ピングドラムを手に入れていない。

 ●

「あ、冠ちゃん!」
「ああ、陽毬。元気そうだな」
「いっぱい寝て、いっぱい食べてるもの。冠ちゃんのほうこそ大丈夫? なんだか顔色が良くないよ。
 あ、もしかして……! また晶ちゃんと喧嘩したの!? もう、兄弟いつも仲良くってあれだけ口酸っぱくして言ってるのにー!」
「喧嘩なんてしてないって。ちょっと用事が立て込んでただけだ」

それならいいんだけど、と陽毬はベッドの上で頬を膨らませる。
陽毬が再び倒れ、この病院に入院したのは二日前のことだ。

ペンギン帽は言う。
時間が、もうない――この娘の生命は燃え尽きようとしている。
お前から頂いた命の火も、あと残り僅かしか残っていない。
もうお前の命を分け与えることはできない――あれは、言うなれば初恋のようなもの。初めてのキスのようなもの。
一度過ぎた過去は取り戻そうとしても取り返せず、たとえ取り返せたところでそれはよく似た、しかしまったく別のものにしかならない。


陽毬と他愛のない世間話をしながら一緒にテレビを眺めた後、俺は病室を出て陽毬の担当医のいる診療室へと向かった。
薄暗い診療室に足を踏み入れると、結ばれた桃色の髪が真っ先に目に入る。
俺の入室に気付くと部屋の主は椅子ごと俺の方へと向き直り、その美しい顔に微笑みを浮かべた。

「やぁ、ごきげんよう高倉冠葉くん。相変わらず君のその視線、シビれるねぇ」
「前置きはいい。――約束の金だ」

渡瀬眞悧――二日前から陽毬の担当医になったこの男だけが、今の俺の希望だった。
俺は懐から取り出した札束の入った紙袋を、無造作に机の上に置いた。
陽毬の命を繋ぐ、赤いアンプル――眞悧に渡した金はその代金だった。
どこから手に入れているのか想像もつかないが、この男の提供する薬は、確かに陽毬の命を繋いでくれる。
眞悧の要求する金額は薬の代金としては法外なものだったが、金の工面などどうとでもしてやる。
陽毬の命を救う術が手に入るというのならば、他には何もいらないのだから。

「シビれるねぇ……よくこれだけの金を、この短期間で――」
「……薬は!」
「でも――これだと少し、薬の代金には足りないなぁ」

眞悧は顔色ひとつ変えず、俺が渡した金を机の上に置き直した。

「そんな……この前は、この額で……!」
「相場は生き物だからねぇ。昨日と今日。今と――今。この一瞬でさえ相場は変わり、命の額は揺れ動く。
 助かるはずだった運命が、残酷に仕分けされることだってある――だよねぇ?」

でも、と反意を込め、眞悧は言葉を続けた。

「君は、林檎が欲しいかい?」
「……? 何の話だ」
「ただのたとえ話だよ。妹さんの命を救う方法を、僕は知っている。この金は薬の代金には届かないが――林檎を得るには、値するかな」
「あるのか……陽毬を救う方法が!」
「あるのさ、妹さんを救う方法がね。聞きたいかい? ……だよねぇ」

眞悧の口から語られた内容は、冠葉の想像を超える非常識なものだった。
曰く、この街にはあらゆる願望を叶える万能の宝物が存在するという。
その名は――聖杯。
キリストの最後の晩餐に使われたとも、ゴルゴダの丘で滴る血を受けたとも云われる、伝説の聖遺物だ。
古来より人の世に紛れその知識を蓄え研鑽してきた魔術師たちが聖杯を賭けた争いを行う聖杯戦争――眞悧が言う林檎とは、その聖杯戦争に参加するチケット。
聖杯戦争に参加する者はマスターと呼ばれ、聖杯戦争時に限り召喚できる使い魔、サーヴァントを繰り最後の一騎になるまで戦い続けるという。
勿論、その過程で命を落とす者も少なくない――いや、殆どの者が命を落とすことになるだろう。
しかし最後の一組となったマスターとサーヴァントは、万物の願望機である聖杯の恩恵を受け、あらゆる望みを叶えることが出来ると。

あらゆる望みを叶えることが出来ると聞いたその瞬間、俺の心は固まった。

「俺は、いったいどうすればその聖杯戦争ってヤツに参加できる?」
「……シビれるねぇ」

左手を、と眞悧に促され、言葉の通り手を伸ばす。
眞悧の両手が俺の左手を包む。冷たくも、温かくもない。ただ肌触りだけは非常に良い。
まるで人間離れしているな、この先生は――と、そんなことを考えた瞬間のことだった。
鈍い痛みと熱が左手に走り――驚きに、思わず眞悧の手を払いのける。
しかし眞悧は手を払われたことなど意にも介さない様子で、

「――終わったよ。これで君は、今日から聖杯戦争を戦うマスターとなったわけだ」

あまりの呆気なさに軽く呆然としたが、マスターとしての証は、既に俺の左手に現れていた。
眞悧が言うにはこの三画の紋様は令呪という魔力の結晶らしい。
そしてこれは、そのままマスターの生命線にもなるという。


サーヴァントは人間の域を遥かに超えた高域の存在である。
マスターがサーヴァントを使役できるのは、令呪による強制的な支配があるからだ。
故に、その三画の令呪全てを費やしてもなお聖杯を得ることが出来なかったならば、
その者はマスターとしての資格を失い、サーヴァントに殺されることもありえる――らしい。

「サーヴァント? 心配しなくてもいいさ。令呪を得たならば――じきに召喚するときが来る」

さぁ、僕に出来るのはここまでだ。君の健闘を祈るよ、高倉冠葉くん――

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その日の深夜、俺は家からこっそりと抜け出し、陽毬のいる病院の屋上を訪れていた。
予感があった。俺がサーヴァントとやらと契約するのは、いまこのときなのだろうと。
この場所を選んだのは、今のこの決意を決して忘れないためだ。
俺は陽毬のために――聖杯を必ず手にする。愛する妹をこの手で守ってみせる。
だから陽毬を一番近くに感じられるこの場所で、俺はお前を呼ぼう。

「――――告げる。
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
 誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

突如、世界の有様が変わる。其処に大きな歪みが生まれ、形を成そうとするのが、魔術とやらに疎い俺でさえ感じられる。
嵐のように吹き荒れる魔力がサーヴァントの肉体に変わっていく様を、俺は瞬きもせずに見つめていた。
今このとき、俺の運命は世界を乗り換え、そして輪り始めたのだろう。

「問おう。お前が私のマスターか?」

魔力光が収束し、人の姿を取ったとき、そこにいたのは全身を紅に染めた一人の男。
このときの俺はまだ知らなかった。
この男が吸血鬼の真祖であり、誰よりも闘争を求めており、俺の日々は血の匂いなしには過ごせないものになってしまったことを。
このときの俺はまだ、陽毬を救うという使命感と、言葉にならない高揚に酔いしれていただけだった。

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――生存戦略、しましょうか!

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