『空』


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ぼくは大切な人を。伊里野加奈を護れなかった。
伊里野の為に世界を敵に回すと決めても結局は口だけで。あの夏が終わる時、伊里野が宇宙人を倒す為に空へと還った日。
その日からぼくの日常はまたいつもと同じ、ぬるま湯に使っているような日々。
朝は目覚まし時計に嫌々ながら起こされて。朝食はパン、ご飯。気分次第で何を食べるかは考える。
まあ大抵は親の出されたものを食べるって結果になるんだけど。
朝食を食べた後は制服へと着替えてほんの少しの余裕をもって学校に登校する。

「おい聞いてくれよ浅羽。こいつさあ」「てめ、何言ってるんだよ。それは言わない約束だろ」
「うるせえ、別にいいだろ」「よくねえよばーか」「ねえねえ何の話をしてるのー。晶穂も気になるでしょー」
「わたしは別に……」

学校。ぼくよりも早く登校していた西久保と花村におはようと挨拶をする。
朝から元気な二人に流されてぼくは曖昧に笑う。掠れた笑い声を上げて結局なんなのさと苦笑交じりに聞いて。
そこに晶穂と清美が何だかんだで割り込んでくる。清美はニヤニヤ意地の悪い笑みを浮かべて。
晶穂は、どこか寂しそうな。少し上の空でぼくたちとは一線をおいて。
理由ならわかってる。一人、足りないんだ。

「浅羽特派員応答せよ! 浅羽特派員応答せよ!」「ちょっと! 何ほうけているのよ、次の新聞のネタについて考えないと」

放課後は部室で部長と晶穂と次に出す新聞の内容について議論する。もっとも、議論って言ってもただ騒いでるだけなんだけど。
それでもこのなんともいえない空間はぼくは好きだ。いや、好き「だった」。
後は家に帰って。ご飯を食べてお風呂に入って寝て。
また繰り返す。日常を何度も繰り返す。
足りない、やっぱりぼくにとっては何かが足りない。
伊里野がいないんだ。伊里野加奈がいないだけでぼくには眩しい朝の光も教室の喧騒も部長のくだらない話も美味しいご飯もつまらなくなってしまう。
彼女の犠牲でぼくたちの「世界」は救われた。あれだけ騒がれていた戦争も終わって。いたってありきたりで単純な言葉だけど。
伊里野が飛行機に乗って宇宙人と戦いに行ったからぼくたちはこうして当たり前を謳歌できている。
だけど。ぼくと伊里野の「世界」は救われない。抗っても抗っても足掻いても頑張っても救われない。
仕方ないことなんだよ。だってさ。伊里野はもう――。


「違う」

いやだ。そんなのはいやだ。認めてたまるものか。今も伊里野は宇宙人と戦っているんだ。
そんな根拠もない自信はぼくの胸を焦がす。だけどその一方で残酷な現実がぼくの胸を冷やすんだ。
仕方ないじゃないか。もう戻ってこないんだ、伊里野は。
苦しい。思い出すだけで胸が痛くなる。少しは吹っ切れたと思っていたのに結局はこの有様だ。
それでも、忘れてはいけない。なかったことにしてはいけない。
気づけばぼくは衝動的に外に出て。暗い道のりを古ぼけた自転車を漕ぎながら疾走していた。
何でか知らないけど無性に外に出たかった。ひんやりとした空気が火照った身体を冷やしてくれる。
そうして当てのない自転車の旅の終着点はあの丘だった。
目の前にあるのはぼくが夏の終わりに一日かけて作ったミステリーサークルだ。
これをつくることで夏を、伊里野とぼくの夏を終わらせよう。そう決意して作った自信作。
その決意の象徴の前でぼくは。

「伊里野に、会いたい」

吹っ切ったはずの弱音を吐く。未練がましい自分の心。だけど強い、どんなことをしてでも叶えたい願望。
例え世界を再び敵に回すとしても。ぼくは伊里野に会いたい。

「あの夏を、終わらせたくない……!」

一度だけでもいい。世界なんていらない、伊里野さえいればいい。
そう強く叫んだ瞬間。異変が起きた。
空気が変わる。得体のしれない何かが辺りに広がっていく。
逃げようか。そう思ったがもう遅い。
ぼくを置き去りにして事態は動き出してしまった。
光。ミステリーサークルの線が光っている。ぼくの望んだ願いに呼応して強く、強く。
夜暗の山が今だけは光が灯り昼間の明るさを戻している。

「なんだよ、これ」

光の収束が徐々に収まっていく。一面が白色だった視界も元の暗闇に戻り。

「ふう、眩しい光だったぜ」

ぼくの目の前に立つのは上半身裸のよくわからない男。
誰だ、こいつは。見るからに怪しい。そもそもどうやって現れたのだろうか、という疑問が真っ先に浮かび上がる。
思わず足が後ろへと下がってしまう。

「一応形式美は抑えておこう、あんたがおれの主人だな? 鑢七花だ、今後とも宜しく。というか寒っ!」

明らかに引いているぼくにニヤリと笑いかけるその姿は良くとも悪くともどちらとも取れる感じで。
右手をぼくの方へと伸ばし、手のひらを広げる。握手、なんだろうか。
あんな身なりでも握手という習慣は変わらないのか。

「あ、浅羽直之……です」

未だに何が起こったかをつかめていないぼくだけどたった一つだけわかること。
この男、鑢七花との出会いで夏の夜のプールの出会いと同じように世界は百八十度回転して姿を変えるのだろう。
風が吹く。ヒュウヒュウと肌寒い風が。だけどぼくの中にある熱は収まらない。
その熱の元にある強い願い。
もしかしたら――伊里野に会えるのかな。あの笑顔を取り戻すことが出来るのかな。
それならば。この手を取ることでぼくはその一歩を踏めるのなら。
もう迷いなんてしない。どんな「敵」とだって戦ってやる。

「あの夏を、終わらせない」
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