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2003年7月14日~8月11日 *[[日球ドーム]]開発旅行@上海 2003年7月14日~8月11日の約1ヶ月間、上海の街を奔走して、現行モデルの製作に力を注ぎ込んだ。 学生時代に海外を旅して以来の異国であり、初めてのアジア。新鮮な体験が多かった。 面白い事に、現地人と間違えられること多数。 そのエピソードとしては、二胡という中国の民族楽器が欲しくて、14年間日本で働いていた通訳の方と一緒に街を巡り、楽器店に入った際、いきなり上海語で話しかけられた。自分が上海人に、彼が日本人に見えたらしい。現地人が間違えるほど、上海人っぽくみえたらしい。そんな事もあってか、結果的に上海には強い愛着を覚えている。 #ref(http://nikkyuu.com/pictures/nikkyuuki/030801.JPG,x="320,y=240) そんな中、ジョイント、構造材、天幕などのデザインを伝える為、通訳を通して、現地の業者と交渉してまわった。大平野にある上海近郊には竹林がない為、竹加工業者は上海から車で一日かけて走ったところにある龍遊(ロンユウ)という街まで、泊りがけで出かけたりもした。 試行錯誤しながらも、大きな問題は発生せず、無事完成した。 実は、上海に来る直前に、電動丸ノコで左手首を切り、10針を縫う大怪我(奇跡的に腱は無傷だった。)をするなど、ここに到るまでの道のりは厳しく険しかったが、その分、得られた喜びは人知れず大きかった。 この旅行をして一つ気がかりなのは、上海の凄まじい都市化の波だ。 この流れが上海から中国全土に及ぶ時、日本の10倍のエネルギーで環境破壊が進むのではないか…と思わせる勢いである。 その行方をしっかりと見守り、同じ間違いを起こさせないようにするのは、同じアジアの一員であり、同じグローバル化の波を超えて来た日本に大きな役割があると痛切に感じた。
2003年7月14日~8月11日 *[[日球ドーム]]開発旅行@上海 2003年7月14日~8月11日の約1ヶ月間、上海の街を奔走して、現行モデルの製作に力を注ぎ込んだ。 学生時代に海外を旅して以来の異国であり、初めてのアジア。新鮮な体験が多かった。 面白い事に、現地人と間違えられること多数。 そのエピソードとしては、二胡という中国の民族楽器が欲しくて、14年間日本で働いていた通訳の方と一緒に街を巡り、楽器店に入った際、いきなり上海語で話しかけられた。自分が上海人に、彼が日本人に見えたらしい。現地人が間違えるほど、上海人っぽくみえたらしい。そんな事もあってか、結果的に上海には強い愛着を覚えている。 #ref(http://nanahito.com/pictures/nikkyuuki/030801.JPG,x="320,y=240) そんな中、ジョイント、構造材、天幕などのデザインを伝える為、通訳を通して、現地の業者と交渉してまわった。大平野にある上海近郊には竹林がない為、竹加工業者は上海から車で一日かけて走ったところにある龍遊(ロンユウ)という街まで、泊りがけで出かけたりもした。 試行錯誤しながらも、大きな問題は発生せず、無事完成した。 実は、上海に来る直前に、電動丸ノコで左手首を切り、10針を縫う大怪我(奇跡的に腱は無傷だった。)をするなど、ここに到るまでの道のりは厳しく険しかったが、その分、得られた喜びは人知れず大きかった。 この旅行をして一つ気がかりなのは、上海の凄まじい都市化の波だ。 この流れが上海から中国全土に及ぶ時、日本の10倍のエネルギーで環境破壊が進むのではないか…と思わせる勢いである。 その行方をしっかりと見守り、同じ間違いを起こさせないようにするのは、同じアジアの一員であり、同じグローバル化の波を超えて来た日本に大きな役割があると痛切に感じた。

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