プレランド


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ブレランド、われらが祖国
自由と勇気の国よ
とこしえなれ、熊と王冠
われらが愛する山河を統べたまえ
ブレランド、われらが祖国
黄金と驚異の国よ
いつも歌わん汝が歌を
われらが愛する山河に響かせん……

――ブレランド国歌『ブレランド賛歌』



 ブレランドがその他の人間の国とは明らかに異なる発展を遂げたのは、ひとえに中央からの隔たりの賜物であったと言える。のちに五つ国となるいくつかの人間の集落がサイオン海峡を取り囲む肥沃な土地に根を下ろしたのに対し、ブレランド人の祖先たちはブレイ川の河岸にとどまることに、むしろ封じ込められているような窮屈さを感じていた。そこで彼らは現在のアラルダスクにほど近い最初の入植地をはやばやと捨て去り、ブレイ川に沿って南下、やがて満足のゆく土地を見出すにいたる。こうして今のヴァシロンドを中心に、ロートの前身ともいうべき国が築かれた。
 ところが、この辺境の国はそこで拡張をやめなかった。ほどなくして、より広い土地とより大きな自由を求める人々がこんどは南西に向けて移動を開始したのである。ブレゴール・ファーストキングが先ブレランドの入植者の大半を率いてハウリング川がダガー川に注ぐ沃土に移住し、そこにロートの国を打ち立てたのは、今から2,400年前のことであった。
 いっぽう、時代は前後するが、ラザーの企図した探検隊がコーヴェアの東海岸にたどり着き、内陸への移住をおこなうなかで、ラザーの副官のなかで最も有力な者が新大陸南岸の地図作成に乗り出した。堂々たる軍艦4隻と1千を超える戦士たちを引き連れ、マレオンはコーヴェア大陸の南岸を踏査する。その途次、ゴブリンやノーム、リザードフォークの集落を見つけては掠奪を繰り返したため、マレオンはいつしか“強奪者”のあだ名を奉られるようになった。やがて――ラザーが彼らをこの新大陸に連れてきてから25年後――、マレオンはダガー川の支流、ザ・ヒルト(“柄つ か”の意)に船団を乗り入れた。
 断崖絶壁の上に建つ古代都市――後世、大陸最大の都邑に発展する街――を初めて見たマレオンは、探検家および海賊としての日々が終わりを告げたことを悟った。マレオンとその忠実な戦士たちはそこに住んでいたゴブリンを征服して奴隷化し、古代遺跡の上に要塞を築く。かつてのドゥールシャーラット、そして未来のシャーンを、マレオンは手中に収めたのである。マレオンはそこを、シャーラットと命名した。
 それから600年の歳月をかけて、マレオンと配下の戦士たち、そして彼らの子孫たちは、シャーラットをザ・ヒルトの畔に建つ富裕な一大都市へと発展させた。そのころすでに、ダガー川を500マイルほど北にさかのぼったところには、ブレゴール・ファーストキングが打ち立てたロートの国があった。この2つの勢力が衝突するのは必然だったと言える。ブレゴールはシャーラットを掌中に収めようとしたが、マレオンの末裔たちはこれを拒む。ブレゴールは包囲攻撃を1年近く続けたすえにウィザードの軍団を投入、都市を完膚なきまでに破壊させた。シャーラットは滅んだが、ブレゴールは瓦礫の山と化した都市を占領し、街の名をシャーンと改めた。その後、800年以上の月日がたつあいだ、塔が次々に建つなどして街は成長を遂げ、ついにはロート王国第2の宝石とまで言われるようになる。
 しかし、そうしたシャーンの繁栄も、マーク戦争の末期には失われてしまう。当時、“塔の街”には特異型ドラゴンマーク勢力の残党が立てこもっていた。純粋マークを持つドラゴンマーク氏族の連合軍による猛攻撃に屈するよりはと、特異型マークの指導者たちはみずからの秘術の力を見せつけ、配下の軍勢もろとも華々しく散る道を選ぶ。こうしてシャーンはふたたび廃墟と化し、以後500年以上ものあいだ顧みられることもなく打ち捨てられていたのである。
 やがて“塔の街”を救いにやってきたのは新たに統一王国を打ち立てたガリファーⅠ世だった。王国暦35年、王国の南を守る堡塁にしようという心積もりから、ガリファー王はシャーンの再建を命じる。廃墟の一部を人が住めるようにするのにさえ5年以上の月日を要し、今ある群塔が廃墟の上に建ち並ぶにはさらに50年の歳月を費やしたものの、王国暦150年には、シャーンはブレランドのみらならずガリファー王国全土で最も強大な都市への道を着実に歩み出していたのである。 その間、シャーン以外の地域も発展を遂げ、それぞれに繁栄を謳歌していた。ブレランドは諸外国とのつながりを維持し続け、ガリファー統一王国に組み込まれてからは、王国きっての有力地方として高い評価をほしいままにした。しかしそのいっぽうで、首都ロートが五つ国の残り4カ国の権力中枢から遠く離れているという事実が下地となり、新しい考えかたや生きかたが次々に生まれるようになった。いかに繁栄し、存在感を増そうとも、諸外国からは常に“辺境”とみなされてきたブレランドである。そして“辺境”だからこそ、そこでは「個人の自由」や「奪うことのできない権利」や「個人の考え」といった新しい思想が芽生え、育っていったとも言える。
 こんにちのブレランドは、世襲貴族制と議会制を折衷した穏健な君主国として異彩を放っている(議会は独立王国ブレランドが誕生する前からすでに存在し、当時はガリファー王国の総督によるブレランド統治を補佐していた。それが王国暦895年、最終戦争勃発後まもなく、ローン女王の命で名実ともに公権力の一翼を担うことになったのである)。もちろん、君主制を廃止し、選挙によって選ばれた指導者が元首になるべきだという意見もあるが、ボラネルはいまだ王の地位にとどまり、その権威は揺らぐ気配がない。それでも、底知れない国力、途方もない多様性、市民の大多数に与えられた大きな自由といった特性は、ブレランド以外の国ではとうていお目にかかれないものばかりだ。市民に与えられる機会はそれこそ無限であり、都市部で生まれて地方へと波及してゆく思想や思潮の豊かさは真の驚きに値する。

戦後のブレランド



 ブレランドは最終戦争という暴風雨を驚くほど巧みに乗り切った。国土の広さ、国民のたくましさと決意、そして豊富な資源――これらを武器に、ブレランドは他国が退くときにも踏みとどまり、戦略的な同盟関係に頼らず独自路線を貫くことができたのである。いっぽうで、最終戦争を通じてブレランドはいくつかの友好国をつくっており、なかでもズィラーゴとの結びつきは戦争が終結した今でも失われていない。
 ブレランドの中央部と南部地方には、1世紀におよんだ戦争の直接的災禍はほとんどおよばなかった。とはいえ、友人や恋人や家族の誰一人失わずに終戦を迎えたブレランド人は皆無である。たとえばロートとガレススパイアの北部に広がる農村地帯は侵略の屈辱をこうむることこそなかったものの、ブレランドの名誉と栄光のために戦うべく出征して命を落としたのは、そうした農村に住む農夫たちの息子であり娘だったのである。彼らは国境地帯で侵略軍を撃退し、また国境を越え、そのときそのときで祖国の敵と考えられた国に攻め込んだ。
 こんにちなお、ブレランドの国境地帯には厚い防備がほどこされ、厳重な警戒態勢が敷かれている。それも、戦争の爪痕を修復すべく、再建工事がおこなわれているすぐ傍らでである。西方では、オークボーンとシャドウロック砦がドロアームからの侵入に神経をとがらせている。北部のドラム砦は、アンデールとエルデン・リーチとの境界線を監視するのが役目だ。ちなみにここは、最終戦争史上最も激烈な戦闘のいくつかがおこなわれ、両陣営の兵士が大勢命を落とした地方である。スレインとの国境はソード砦とブレイ・クロッシングが守り、ダーグーンに通じるいくつかの峠道にはスターンゲートが目を光らせている。そして、おそらく現時点で最も忙しい防衛拠点と言えるのがカンランだ。ここではモーンランドを取り巻くデッドグレイ・ミストの向こうからやってくるさまざな脅威を相手に、騎士や戦士が絶え間ない戦いを繰り広げているのである。 ブレランドはなにしろ進歩的な国である。それゆえ、平和裏にやってくる者は心から歓迎し、まっとうな働きに対してはまっとうな稼ぎを約束する。ただ、その進歩性が――とりわけ大都市において――、まっとうでない仕事で稼ぎたいという不心得者たちに居場所を提供している面も否めない。また、この国はスローンホールド体制の維持に力を注いでいるが、それには戦争よりも平和が望ましい道行きと信じるボラネル王の意向が反映されているのである。
 ボラネル王はブレランド国民の大多数から心底敬愛されている。残念ながら、そのボラネル王にもこのところ老いの兆候が目立つようになった。さりとて王子、王女たちのなかには老境を迎えた父王が持つ知性とカリスマ性の片鱗さえのぞかせる者がいないときている。ブレランドの国力はボラネル王の指導力あってのことだというのが大方の見かたであり、国外の敵対勢力の多くは彼の死を今や遅しと待ち望んでいる。このままでは、ブレランドの地方部に触手を動かすあまたの勢力の望みが現実のものとなってしまうのではないだろうか? そしてもしボラネル王がみまかれば、ブレランドもまた崩壊してしまうのでは?

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