流血少女エピソード-雨竜院血雨-





 世界一有名な美姫の名は、血の滴った白雪の美しさに由来するという。
 「雪椿事件」の現場を見た者なら恐らくそれにも納得するであろう。
一面の白の中にある真紅の美しさは、それが血の赤であることも相俟ってぞっとするほどのものがあった、と発見者の1人は語っている。

 穢れを知らない心身を濡らすのは深い色の鮮血、雪に紅い椿を咲かす命なき少女たち。
――その中に首と胴体を切り離された者がいた。
犠牲となった風紀委員の中でも最も無残な最期を迎えた彼女には、この学園では珍しくないが、同性の恋人がいた。
雪に溶け込むような白い肌と髪を血で染めてカッと目を見開いた頭部を抱え、血のように紅い髪をした彼女はいつまでも泣いていた。

 これは2人の少女の、雪椿事件の以前から後、ハルマゲドンへと至るまでの運命を綴ったモノである。

◆◆◆◆◆

「自分から守ってあげたいって思ったの、ちさめちゃんが初めてだから」

山羊贄雛は恋人の顔を見つめ、そう言って微笑んだ。
優しげで、どこか痛々しくも思えるその表情に恋人・雨竜院血雨は胸を締め付けられる思いがした。

白いベッドの上、2人の少女が一糸纏わず向かい合っている。
血のように赤い髪をした少女・雨竜院血雨は手にしたカッターの刃を左手首に当て、すっと滑らせる。
柔肌に赤い線が引かれ、鮮血が音も無く零れた。

「飲んで……ヒナ」

「うん」

小柄な少女・山羊贄雛は血雨の細い手首の傷口に口をつけ、垂れる血潮を愛おしげに舐めとったばかりか新たに溢れるそれも音を立てて啜る。
 その光景は美しくも、余りに退廃的な匂いを漂わせてはいるが、しかしこの行為は吸血鬼の真似事でも、異常性癖によるものでも無い。

「これで、ちさめちゃんは私の『契約者』だから」

そう言って、また雛は笑う。

魔人能力「代わり雛」は契約した相手の死をも含めた一切の肉体的ダメージを引き受けるモノで、相手の血を吸うという今の行為は、契約書への調印にあたるそれであった。

「ヒナ……」

今更だが良いのか、と目で問う。
自分の前世からの業というべき魔人能力の安全装置となることを、彼女は引き受けたのだ。
彼女が一方的に自分の傷を引き受ける。それで良いのかと。

「もう、いい加減怒っちゃうよ」

それに対し珍しく、眉間に皺を寄せて雛は言った。

「……この前ね、前の前の『契約者』だったお爺さんが死んだの。病気で」

「でもそのことを知らされたとき、私ちっとも悲しくなかった」

「当然だよね、契約と解約のとき会ったっきりの相手だもん」

「……」

先ほどまでとは違い、その笑顔には自嘲の色が濃い。

魔人にとってその能力は唯一無二のアイデンティティであるとされているが、全てがそうと言うわけでは無い。
催眠や洗脳で能力の「認識」を植え付けられた人造魔人や、血雨のように前世からの因縁で生来能力を宿していた魔人。
彼らは自身の能力に対して何の思い入れも持たぬ者が多い。

雛もまた、その1人であった。
学園の研究者たちも驚くほどの生命力を持って誕生したが故に、「ダメージを引き受ける」という魔人能力を植え付けられたのである。
 学園の上層部に言われるままに暗殺の危険に晒される権力者と契約を結び、いつ来るやも知れぬ死に怯えていた。

「でも、今は自分がこの能力でとっても嬉しい」

「ちさめちゃんを守れるなら私、自分を誇れるから」

「私にそう思わせてくれたこと、感謝してるんだよ?」

そう言って、雛は血雨に口付けた。
突然のキスに大きく開かれた血雨の瞳は、やがてゆっくりと閉じられる。

 2人の可憐な唇が離れると、わずかに赤の混じった銀の糸が引かれる。
今度は血雨の方がやや不満気な顔をして雛を見つめると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
基本的に大人しい性格の雛だが、「こういうこと」ではいつも先手を打ってくるのだ。

 血雨がそのままじっと雛を見続けると、彼女の表情が笑みから不思議なそうなそれへと変わる。
血雨は雛の両肩を掴み、ベッドへと押し倒した。

「わっ……ちさめちゃんっ!?」

「今度は……私から、なんだから」

髪と同じくらいに真っ赤な顔でそう言う血雨を見上げて、雛もやや赤面し、こくりと頷く。

 自分は雛の能力に対して、何も返せない。
 ならば、彼女が私を守りたいと思えるよう、いくらでも愛を注ごう。
それが自分に払える、せめてもの契約料だ。

 血を舐められていたときから、貧しい胸が赤い翳りの奥が疼いて仕方ない。
雛の小さな手を血雨が握ると、雛もまた握り返す。
白と赤が、激しく絡み、交じり合った。

◆◆◆◆◆

「ちぃちゃん、遊びに来たよ~~」

「畢!?」

部活を終え、寮に帰る途中の血雨の前に、同い年の従姉妹・雨竜院畢が抱きついてきた。
 今日は学生寮の血雨の部屋に畢が泊まりに来ることになっていたのだが、血雨に寮に帰ってから出迎えるはずだったのを畢は待ちきれず、帰ってくるところを待ち伏せていたのだ。


「もう、ホントは寮に女子でも他校生が来ること自体校則違反なのに」

「見つかっても庇ってあげないんだからね」

寮の自室に着くと、血雨はそんな口調とは裏腹に嬉しそうに紅茶を淹れようとする。

 十束学園程では無いが、閉鎖的な環境である妃芽園に彼女が外部から遊びに来てくれることは本当に嬉しいのだ。
 思えば自分が十束学園にいた頃から彼女は兄弟姉妹や自分の姉と共に度々会いに来てくれていたのだが、当時の自分はずいぶんと冷たい対応をしていた気がする。
変わったのは、雛のおかげだろう。

「え~~今度はしーくんも連れてこようと思ってたのに」

「し、時雨は男でしょっ!」

そんなやり取りをしながら、紅茶を飲み、一段落すると畢がバックからあれこれ取り出す。
傘術の指導書や、ノート、筆記用具類。
今日のお泊り会は、近々行う予定の希望崎・妃芽園両校傘部合同合宿の打ち合わせも兼ねていた。

「他校の部活、それも男子もいるとこと合宿なんて大丈夫かな……」

「そこはヒナちゃんに上手く誤魔化してもらうしか無いよね……」

お泊り会をして悪巧み。
こんなことをするようになると、つい数カ月前の自分に想像できただろうか。
普通の女の子みたいに学校に通って、友だちも出来て、傘術を始めて、自分も初心者なのに部活まで作って。

制御不能のEFB能力者という危険過ぎる魔人として生まれ、一族の多くの大人たちから疎まれていた幼少時代。
十束学園に入れられてとりあえず死ぬことはなくなったが、そんな境遇から彼女は自分の全てを諦めるようになった。

 生きていられるなら生きればいいし、死ぬなら死ねばいい。
そんな風に無色の日常を、ただ過ごしていた。

 その頃のことを思い出す度に、血雨は怖くなる。
今ある眩いばかりの幸せな日々が、失われることが。

  歴史の浅い妃芽園でも血雨たちが編入する少し前にはハルマゲドンがあり、その爪痕はハッキリと残っている。
平和とは束の間のものと、知っているのだ。

「ちぃちゃんどうしたの?」

「う、ううん。なんでもないよ。課題が出てたなあって思い出しただけ」

浮かない顔になった血雨を不安げに見つめていた畢は彼女の言葉にホッとしたように笑う。

 こんな日常が、少しでも長く続きますように。
口に出すのは少々恥ずかしいそんな願いを、彼女は心中で呟いた。

 しかし、その願いはやはり儚く崩れ去る。次第に学園内では不穏な空気が濃くなりはじめ、山乃端一人狩りが始まり、そして雪椿事件へと至るのだ。

◆◆◆◆◆

――雪椿事件の2日後。
 他の犠牲になった少女たちと異なり、十束学園生まれの人造魔人である彼女に葬儀を開いてくれるような親族は存在しない。
その遺体も、十束学園の者たちが回収していった。

「ヒナ……」

何度も2人、愛しあったベッドの上に血雨は1人で腰を下ろしていた。
高二力フィールドも十束学園とは違い完全では無い、自殺衝動にいつ襲われるやも知れぬ。
「代わり雛」という安全装置を失った自分は恐らく近々連れ戻されるのだろう。

 血雨は無言のまま立ち上がり、窓を開けた。
見下ろせば雪の薄く積もった地面。
ここは3階だ、頭から落ちれば間違い無く即死のはず。
「紅雨禍上滴」の発動条件は「失血死」、即死すれば周囲に害を及ぼさずに済む。

 怪物が、口を開けて自分を待っているように思え、同時にそこに抵抗なく飛び込めそうな自分がいた。
 能力故の自殺衝動からでは無く、初めて自分から命を絶とうとしている。

「ヒナ……姉さん、待っててね」

ふわりと身を投げ出そうとした、そのときであった。

「だめえっ!!」

聴き慣れた声と、後ろから強い力で抱きつかれる、こちらもまた慣れた感触。
声の主は驚いた血雨を強引に引っ張って、2人揃って尻餅をついた。

「畢……」

振り返れば、そこにある畢の顔は、見たことの無い表情をしていた。
泣き腫らした目で、怒りを湛えている。
この子がこんな顔を、と血雨は驚く。

 畢は、雛を亡くした血雨が深く傷ついているだろうと寮に侵入し彼女の部屋まで来てみたところ今の場面に遭遇したのである。

「ボクも、お姉ちゃんとか、友達とか、たくさん死んじゃったけど……」

「でも死んじゃダメだよ……」

「……ヒナは、もう」

「ヒナちゃん、ちぃちゃんに生きてて欲しいから『契約』までしてくれたんでしょ?」

「……じゃあ……死んだってヒナちゃん、絶対怒るよ? ボクも死んじゃ……やだよぅ」

ボロボロと涙を零しながら、いつもとは違う様子で訴えかけてくる畢。
妃芽園どころではない血塗られた歴史を持つ希望崎生だから、好きな人がたくさんいるから、好きな人をたくさん亡くしたから、多分彼女はたくさん泣いてきたのだろう。
普段の明るい様子からは見て取れないそんな思いを、血雨は彼女の泣き顔に感じていた。

「そう……だね、ごめんね畢」

雛は死んでしまったけれど、こんなに思ってくれる人が他にもいるのだということが血雨には有難かった。
それに気づけるようになったのもきっと雛のおかげ。

「死ぬのは……やめるよ」

「うん」

ホッとした笑みを浮かべながら、ボロボロと涙を零す畢を血雨はぎゅっと抱き寄せた。
肩に落ちる涙が暖かった。

◆◆◆◆◆

「うん、決めたよ私……! 『ハルマゲドン』に出る」

両親とは別に、畢にも電話でそのことを伝えた。
雛に次ぐ恩人だから。

 畢は心配そうではあったが、決意が固いことはわかっているようで止めることはせず「死なないでね」と伝えた。

「死なないよ畢、……雛」

死ぬつもりは無いが、死んでもやらねばならないことがある。
雛も犠牲になった雪椿事件、そしてこのハルマゲドンを招いた、背後にある力。

それを突き止めなければ。

 畢に貰った愛傘「於加美乃神」をぎゅっと握り締める。

 しかし少女は気づいていない。
何故ハルマゲドン参戦という段階に至っても、十束学園の者が自分を迎えに来ないのか。
その理由に。

 高二力フィールド故に減衰された「紅雨禍上滴」は学園外にまで血の雨を降らせることは無い。
 ごく安全に、EFB能力を発動させられる。
 自分のこの決意も、「彼ら」のそんな思惑の内にあるということに。

 血の踊り場事件・雪椿事件・第1次ハルマゲドン――血の赤に彩られたこの学園を、少女たちを、次は血の雨が赤く染め上げるのかも知れない。



最終更新:2012年08月25日 11:07