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流血少女エピソード-一八七二三-






 『花と蛇・2』


 眠りは、死。
 己という意識を手放し、闇へと堕ちる。
 何処までも何処までも、深く深く。
 死を迎えた身体は現世より隔絶され、只の肉塊と化す。
 それは生きとし生けるもの、全ての末路。
 だとするならば。
 目覚めは生誕。
 死の暗闇を乗り越え、再び光の世界へ生まれ変わる。
 繰り返す死と再生。円環の蛇。
 目を覚ました私の名は──────衿串中(えりくし・ふぁいれくしあ)。


 「た、た、た、大変です、お姉さまっ!」
 我ながら騒々しい事この上ない足音を立て、空気の振動で含羞草が閉じてしまいそうな勢いで私は寮部屋の扉をノックした。
 「開いております。どうぞお入りになって」
 慌てた口調の私とは対照的に、出迎えた部屋の主の声は涼やかでいてしっとりとした雨上がりの爽やかな薫風。天女が奏でる天上の音色。
 「失礼します!」
 「まぁ、いつにもまして随分と元気の宜しい事でいらっしゃいますね」
 お姉さまは相手が目下の者であろうと、決して丁寧な態度を崩す事は無い。いや、そもそも目下という概念が無いのかもしれない。誰に対しても別け隔てなく、微笑みを絶やさない人なのだから。
 童女を見守る聖母のような、慈愛に満ちた柔らかな微笑。汚れ多きこの世界にあって、彼女の優しい美しさは僅か一滴の清らかな聖水が汚泥を浄化するが如く輝かしい。
 「あの、実はですね……」
 「息が乱れていらっしゃいますね。丁度お茶を淹れたところですから、まずは一息お入れになっては如何でしょうか?」
 ふわりと微笑み、彼女は自らの隣の席を優美な指先で指し示す。勿論その誘いを断る事など出来る筈もない。下手に遠慮する素振りを見せると、このお嬢さまは一瞬とても悲しそうな瞳をする。そんな表情を見てしまうと、私の胸は張り裂けそうになってしまうのだ。
 いや、それならいっそ実際に裂けてしまった方がどれほど良い事だろう。
 身体の傷は治せても、心の痛みは決して癒せないのだから。
 「先日、妹から良い茶葉を頂きまして。滅多に手に入らない上質品ですのよ?」
 嫌味にならない程度の言葉と共に、宝物を手にした幼女のようにあどけなく幼気な表情を浮かべる。紅茶や甘い焼菓子の話をする時、いつも彼女は御機嫌麗しい。
 もっとも、私の知る限りでは彼女が不機嫌な表情を浮かべた事など、一度たりともない。
 喜怒哀楽──────彼女の表す感情はそのうち喜と楽が殆どで、極稀に哀。育ちの良い彼女は怒りという感情自体知らぬのではないか、とさえ思われた。
 それはまるで、全ての煩わしさや不安とは無縁である中世の貴婦人のようで。
 給仕される立場こそが相応しい貴人たる彼女はしかし、驕りを見せることなく手ずから紅茶を二人分のカップに注ぐ。彼女にとっては紅茶を頂くのと同じくらいの楽しみがそこにはあるのだろう。
 私は勧められた椅子に腰を下ろすと、遠慮なく頂く事にした。
 心地良いハーブの香りが、私の心を落ち着かせる。
 本当ならこのまま、いつものように楽しい語らいに興じたい。時間を忘れてお姉さまと二人きり、ミルクを垂らした紅茶のように心ゆくまで混ざり合いたい。
 しかし、今日ばかりはそうも行かない。伝えるべき事を伝えなければ。
 「…………お姉さま、聞いてください」
 私は意を決し、知り得たばかりの情報を話し始める。
 生徒会と番長グループ、両陣営の穏健派が謎の死を遂げた事。
 それはつまり、今までの平穏が破られた事を意味する。
 妃芽薗学園に再び、血の雨が降る──────!
 「…………それはまた、誠に難儀な事でございますね……」
 お姉さまの表情が沈痛と悲嘆に曇り、物憂げな吐息が零れる。
 しかし、それは一瞬の事。
 「そんな話をお聞きになって、さぞや恐ろしかった事でしょう…………けれど、もう安心して下さいませ」
 お姉さまの手が、ふわりと私の頭の上に乗せられる。
 羽根のように軽く、春風のように温かい。
 ただそれだけで、私の心にあった恐れや焦燥が溶けてゆく。
 細やかな心遣いが私の芯に触れる。
 「…………いらっしゃい」
 優しく穏やかな、いつもと変わらぬ微笑。抗い難い手招き。
 あぁ、と溜息が溢れる。
 心も体も脱がされて、私は裸になる。
 そして──────。


 部屋の扉を開いた私は、手折られた花の如く床に横たわっている女生徒を見つめた。既に事切れているその顔に浮かぶ表情は──────恍惚。
 「あら、中さん。御機嫌よろしゅうございます」
 彼女は、いつもと変わらぬ微笑みで其処に居た。
 いつもと変わらぬ殺戮を終えた最愛の人が、私を迎えた。
 息絶えている女生徒の顔に見覚えはない。恐らく数ある愛花のうちの一輪──────そんなところだろう。彼女は学園内で何輪もの花を育てている。その花々は競うようにして主人の役に立とうとし、それぞれの役割を果たす。
 自らに訪れる末路も知らず──────或いは知っていて、なお。
 一八七二三(にのまえ・はなつみ)という人は誰よりも気高く上品でありながら、同時に誰よりも狂気を秘めていた。いや、狂気という言葉は適切ではないだろう。ただ、社会の常識と彼女の見ている世界に大きな開きがあるだけなのだから。
 私はもう一度、彼女の犠牲者に目をやる。
 彼女が摘み取るのは、最高の輝きと美しさを得た花。その人生において最良の瞬間、それを永遠とする。そこに私達のような普通の人間の尺度で測った善悪など存在しない。
 命を摘み取られた女性にとっては不幸──────と、通常なら考えるべきなのだろう。
 であるならば、私は既に通常から逸脱している事になる。
 八七二三お姉さまの寵愛を得ながらも生き永らえている私は、未だお姉さまにとっては未成熟で摘み取るに値しない存在という事なのだから。
 散華の後始末も、私の大切な役目だ。一心同体の蛇たちに命じてその屍を分断せしめ、それぞれに呑み込む。その血肉はやがて蛇を通じて私の中で渾然一体となり、この身の中で共に生きる事となるだろう。そして、再びお姉さまの愛を受ける。純度を高め、煮詰めてゆく。
 蛇は再生。幾度死すとも蘇り、新たな生を得る。
 背後で不気味に響く解体の音を聞きながら、私は報告を行う。
 「鈴木三流が動いているようです」
 妃芽薗学園において決して小さくはない影響力と情報収集力を持つSLGの会。鈴木三流(すずき・みりゅう)が代表を務めるその組織に私は所属している。それは勿論、このような時の為だ。
 お姉さまの為なら私は、幾らでも狡猾な蛇になる。
 「まぁ……あの方が」
 頬に片手を当てて、短い呟き。その美貌に浮かぶ表情は、微睡むような微笑み。
 「外部の者との接触を試みた形跡があります。その相手までは掴めませんでしたが…………。それと、他にも気になる点が幾つか」
 「長くなりそうですね。それでしたら宜しければ、お茶でも如何?」
 優しく穏やかな、いつもと変わらぬ微笑。抗い難い手招き。
 あぁ、と溜息が溢れる。


 死は、眠り。
 己という意識を手放し、闇へと堕ちる。
 何処までも何処までも、深く深く。
 眠りを迎えた身体は現世より隔絶され、只の肉塊と化す。
 永遠の安らぎを、その身に望む。
 全てから解放され──────そのとき、私は永遠になる。
 そのときが来るまで──────ずっと、お傍に。


                            <了>