プロローグ・風紀委員会サイド②


『血の踊り場事件は終わらない』
 一人の少女がその言葉を残して姿を消した。
 真っ白な雪の中、いくつも横たわった真っ赤な死体は、まるで誇らしげに小さな赤い花を咲かせていた。



「蓮柄――つぶら。ようやく見つけた」
 学園の辺縁部、森の中にたたずむ監視塔。その屋上で対峙する二つの影。
 蓮柄つぶらと呼ばれた黒いフード付きのクロークを纏った銀髪碧眼の少年は、手すりに腰かけ、はるか遠方の校舎を優雅に見下ろしている。
 もう一方の眼鏡をかけた少女――黒姫音遠は優雅に佇むその少年を険しい表情で睨んでいた。
「覚悟はいい?」
 電撃がバチバチと音遠の指先で瞬く。
「雪椿事件――、あなたが知らないはずはないよね」
 音遠の問いかけにも、つぶらは一切反応を示さない。まるで、どこ吹く風と言わんばかりに。
(白々しい……)
 そっちがその気ならと、音遠はその指先をつぶらに向けたまま、そっとつぶらへと忍び寄る。
 後一歩、音遠が踏み込めば、彼女の手がつぶらへと届くとなった刹那。
「強がりはよしなよ、黒姫音遠」
 ――ッ!
 突如として背後から忍び寄ったその生温かな吐息に、音遠の背筋におぞけが駆け抜けた。音遠は咄嗟に側方へと跳び上がり、声の主から大きく距離をとる。
 音遠の視線の先には、先程まで手すりに腰をかけていたはずのつぶらがいた。つぶらはまるで椅子に腰をかけるような姿勢で、わずかに宙に浮いている。
「転校生の身でよくここまで来れたね」
 つぶらはにこりと音遠に微笑んだ。しかし音遠の警戒は解かれない。音遠の指先で瞬く稲光はより一層輝きを増している。
「僕を殺すつもりかい?」
 つぶらの問いに音遠は激昂した。
「死ねッ、この変態……!」
「変態ね……。まどかにもそんなことを言われたような気がするよ」
 つぶらはどこかもの寂しげに音遠を見つめる。 
「黒姫音遠。君のその意志の強さは認めてあげよう。だけど無理はよくない。問おう、君はその能力(ちから)をこの場で解き放つことができるのかい?」
「そんなの――ッ!」
 強い閃光と稲妻。その瞬間、音遠の指先から発せられた閃光は、間違いなくつぶらを包み込んだ。しかし――。
「黒姫音遠、君にもう一度言うよ。強がりはよくない」
 平然と黒姫音遠を見据えるつぶらの姿を確認し、音遠は唇を噛み締める。
「ここは高二力フィールドの辺縁部、曲がりなりにも転校生である君は、実のところ、この場にいることさえ相当苦しいはずだ……。今すぐ、ここから立ち去りたい……。そんな衝動と今も戦っているんじゃないかと僕は思うんだ」
「私の心を読んだようなことを言うな……!」
 そう音遠が声を上げると同時に、つぶらの姿が視界から消える。
「でもね」
 背後から伸びる手に、黒姫音遠は身じろいだ。鎖骨をまるでなぞる様に滑るその細い指はとても冷たい。
 首筋を撫でる手を払いのけ、音遠はすばやく手刀をつぶらへと振り下ろす。
 しかし、その手は空を切った。
 湧きあがる怖気と怒りに音遠は身を震わせながら辺りを見回した。校舎のある方角を見ると、ここに来た時と同じ様につぶらは手すりに腰をかけその方角を眺めている。
「絶対に許さない。あなたを粛清します……!」
 音遠の向ける尋常ではない殺気に、つぶらは先ほどとは異なり、憂うような眼差しを音遠へと向けた。
「君が手を下すまでもなく僕は既に死んでいる。残された時間もわずか。こんなことは無意味だよ」
「言いたいことはそれだけなの?」
 音遠のつぶらへの殺意は、電撃となり音遠の手のひらから迸る。その光の強さは先刻までとは比べ物にならない。
「戯れのつもりだったんだけど気を悪くしたようだね。でもあいにく、僕は女の子に興味がない。まどかは特別だけど。君に対してはこれっぽちも劣情は抱けないんだ。それを免罪符にはできないかな?」
「変態は、粛清です……ッ」
 音遠は一歩、また一歩とつぶらへと近づいていく。輝きを増していく電撃、だがしかしその輝きとは相反して、音遠の顔は苦悶に歪んでいる。音遠のその額にはじっとりと汗が流れ、今にも倒れそうなほどに、その顔は蒼白だった。
「改めて勧告しよう。無理はよした方がいい。ほとんどの転校生が姿を消す中、黒姫音遠、君は頑張った。ここにいることが、どれほど強靭な意志を伴う事か君は知ってるはずだ」
「……うるさい」
 つぶらの言葉を無視し、それでも音遠は歩みを進める。何故、彼女が歩みを進めるのか、つぶらには皆目見当がつかない。
「仕方ないね……」
 その瞬間、つぶらの姿が再び視界から消えた。
「残された時間を僕は有意義に使いたい。黒姫音遠、君の意志の強さには僕は負けたよ」
 どこからか、つぶらの声だけが音遠の脳内に響き渡る。
「まだ話は終わってない!」
 音遠はそう叫んだ。しかし声は告げる。
「いや、終わりだよ。僕が君の期待に応えることはできない」
 その瞬間、風がぴたりと止むと同時に、つぶらの気配が完全に消え失せていくのを音遠は感じた。
「また、逃げられた……!」
 音遠は行き場を失ったその拳を、ぎゅっとただ握りしめる。
 思い返すのは、あの雪の日。

 ・
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「私にまかせてください!」
 烽二縁は音遠に胸を張ってそう告げた。
 小柄な彼女の容姿とは相反し、力強ささえ感じるその瞳と熱意。音遠はもちろん風紀委員の皆が、彼女を愛し、彼女に全幅の信頼を置いていた。
 誰もが、烽二縁を疑えなかった。音遠でさえそうだ。彼女が烽二縁の裏の顔に辿り着いた頃には、もはや全てが終わっていた。

 ――覇隠流。

 山乃端一人を殺し、前回のハルマゲドンを引き起こしたとされる人物。すでにこの世にはいない。
 だがその信奉者は数多く、すでに覇隠流はカリスマとしてハルマゲドンを望む者たちに崇められていた。
 音遠はそのような輩が許せなかった。
 しかし、風紀委員の仕事は風紀を守ること。もちろん、治安維持も風紀とは無関係ではないが、治安維持は主に生徒会や番長グループの役目だ。ただでさえ、生徒会と番長グループはそのことを火種にしやすいというのに、そこに風紀委員が出しゃばっては、また余計な争いを生みかねない。そう思った音遠は、何かしなければと思いつつも、自らそれを口に出すことを憚っていた。
 そんな折。

『私たちもやるべきことがあるはずです!」

 そう言って立ち上がったのが烽二縁だった。

『私が覇隠流の正体を暴いてやります! 私にまかせてください!』

 烽二縁は音遠が口に出せずくすぶらせていた思いを、音遠に成り代わって代弁した。

『無理はしちゃだめだよ』

 音遠ははりきる彼女にそう声をかけたが、音遠は内心嬉しかった。
 烽二縁には、風紀に対する情熱があり、そして能力がある。音遠は彼女なら全て上手くやってくれるものだと、何故か思いこまされていた。
 だからこそ、烽二縁が『覇隠流』に狙われていると知った時、音遠は自らの不甲斐なさを怨まずにはいられなかった。
 しかも、彼女について行った他の風紀委員のメンバーのうち既に何名かは、烽二縁を庇って死んでしまっているという。
 音遠は残りの風紀委員のメンバーをかき集め、烽二縁を探した。

 そして音遠は監視塔の真下で、満足そうな笑みを浮かべながら横たわる、かつての仲間たちの無残な姿を目撃した。
 真っ白な雪の中、花を咲かせる赤椿。
 気がつけば音遠は、彼女らの遺体を前に慟哭していた。

 どれほど泣き続けたであろう。全身は雪に覆われ、遺体は完全に覆い尽くされている。
 音遠は他のメンバーを呼ぶために、遺体のあった場所から目を離し、塔の壁に目をやった。その瞬間、音遠をさらなる衝撃が襲う。
『血の踊り場事件は終わらない』
 鮮血で彩られたその血のメッセージを確認した瞬間、音遠の悲しみは疑惑へと変わり、そして怒りへと変わっていく。
 音遠はそのときになってようやく、そこに烽二縁の遺体だけが無いことに気がついた。

 残された風紀委員のメンバーと共に、その残されたメッセージの筆跡を確認すると、それは烽二縁のものと完全に一致した。
 怒りと悔しさに打ち震える音遠は烽二縁の後を追った。だが彼女の行方を知る者は誰一人存在しなかった。

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 音遠は手掛かりをもとめ、蓮柄つぶらを探した。彼なら今回の件の手掛かりを知っていると思ったから。
 だが、結局は無駄足で終わり、途方に暮れている。
「もう、これ以上は……」
 音遠は自らの両の手が消えかかっているのを見て、焦燥をあらわにした。高二力フィールドの影響を強く受けすぎたのだろう。音遠の体は実体を失いかけていた。ここに長居することは得策ではない。
 怒りと悔しさを胸に、音遠はその場を後にする。
 しかし音遠の胸のうちに灯った火は、確かにぱちぱちと燃え上がっていた。



最終更新:2012年07月29日 23:40