284 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:24:21 ID:WcqLB2V+
あらシエスタ、どうしたのそんなに慌てて。 違うわよ、後少しで面倒な仕事が全部片付きそうだから、ちょっと一休みしているところよ。 勝手にどこかに行っちゃうなんて、サイトじゃないんだから。 大丈夫よ、もう少し頑張って終わらせたら、ちゃんと休ませてもらうから。 あらいい香り。そうね、せっかくだからいただこうかしら。 うん、今日も変わらずいい腕だわ。悔しいけど、紅茶に関しては絶対にシエスタには敵わないわね。 ああ、これ? これはね、サイトからの手紙よ。きっと今頃は船の上ね。 全く、妻と領地をほったらかして冒険の旅なんて、いつまで経っても子供なんだから。 ご心配なさらずに。少しも怒ってなんかいないわ。むしろ安心しているぐらいよ。 サイトが冒険なんかに現を抜かしていられるぐらい、世界が平和だってことだものね。 早いものね。わたしたちが東から帰ってきてもう一年も経つんだわ。 え? それはもちろん覚えてるわよ。わたしの人生で一番幸せだった時間だもの。 忘れる訳ないでしょう、結婚式のことなんて。急にそんなこと聞くなんて、変なシエスタ。 でも、何故かしら。あまり詳しくは思い出せないのよね。 浮かんでくるのは学院での生活や大変だった戦争中のことばかりで。 そうね、あの頃があんまり大変すぎたから、今こうして皆で生きていられるのが嘘のように思えるのかもしれないわね。 ところでシエスタ、サイトが旅立ってから今どのぐらい経つんだったかしら。 ああそうね、まだ半年だったわね。おかしいわね、忘れるなんて。わたし、ちゃんと見送りにも出たはずなのに。 ま、何にしても、この分だとあとニ、三年はサイトの顔見なくてすみそうだわ。 ふふ、ご名答。ホントはちょっと寂しいんだけどね。寂しがってばかりもいられないわ。 それに、サイトのためにちゃんと犬小屋を残しておいてあげないと、いつもみたいに拗ねちゃうかもしれないしね。 どうしたの急に欠伸なんかして。わたしの眠気が移っちゃったって訳でもないでしょうに。 ごちそうさま。今日もおいしかったわ。さ、仕事頑張らなくっちゃ。 サイトが帰るまでは、わたしがこのデルフリンガー男爵領を守らなくちゃいけないからね。
286 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:25:30 ID:WcqLB2V+
あらあら、神聖ゲルマニア帝国の女皇帝様が遠路はるばるおいでになるだなんて、身に余る光栄ですわ。 なんてね。堅苦しいのはなしにしましょうよ、久しぶりに会えたんだから。 ええわたしは元気よ。あんたこそ老けたんじゃないの、帝国の統治に忙しすぎて。 ふふ、そうそう、やっぱりキュルケはそうでなくちゃ。 ちょっとね、心配だったのよ。なんか妙に暗い顔してたから。 なんですって。あのねえ、サイトが今何やってるのかって、それはあんたが一番よく知ってんでしょう。 なに変な顔してるのよ。手紙で聞いてるわよ、ようやく地方領主の反乱が治まりそうだって。 皇帝のくせに自分の国のこと忘れるなんて、やっぱ疲れてんじゃないのあんた。 でも、なんだか懐かしいわねえ。学院にいた頃は、しょっちゅうあんたとこんな口喧嘩ばっかりしてたっけ。 そうね、あの頃が一番楽しかったわ。今思うとほんの些細なことで意地張ったりして。 失礼ね、そういうことには真剣だったわよ。少なくとも、あんたよりはね。 そうそう、コルベール先生は元気? サイトの手紙によるとまた髪の毛が少なくなったって。 え、それ本当? そんな薬本当に作っちゃったんだ。 あ、でもあんたにとっては微妙なんじゃないの。知性の輝きとか言ってたし。 はいはい、ごちそうさま。全く、普通結婚して五年もすれば少しは熱が冷めるもんなんじゃないの? お生憎様、わたしたちは何の問題もなく夫婦やってるわよ。 って言っても、サイトが留守がちなせいで結婚してからほとんど顔会わせてないんだけど。 おかげで、今じゃ領民だってわたしのこと「男爵様」なんて呼ぶんだから。 しかも、からかったり冗談で言ってるんじゃないの。ごく普通によ? わたしは男爵夫人であって男爵本人じゃないのにねえ。 信じられる? 前に冒険の旅から帰ってきてから、この領地にサイトがいたのってほんの三日ぐらいよ。 ええそう、ちょうどそのとき狙いすましたかのようにあんたから手紙が来て、 サイトは他国の戦争に巻き込まれることになったのよ。 おかげさまで、折角会えた三日間の記憶だってほとんどないのよ、わたし。 今だって、思い浮かぶのはあの頃のサイトの顔ばっかりだもの。 ええそう、学院にいた頃の、よ。わたしもいい大人になったってのに、未だにあの頃のサイトと恋愛してる気分だわ。 なによ急に。ええもちろん愛してるわよ。会えないのなんか関係ないわ。 大体、あいつったら三日に一度は手紙寄越すんだもの。しかも毎回毎回何度愛してるって書いてるんだか。 その上ね、なんか妙に字が綺麗なのよ。まるで女の子が書いたみたいな上品な文字で。 そうね、サイトにとっては外国語だもの。意識して丁寧に書いてるのかもね。 ま、そんな訳で、わたしは少しも寂しくないわ。それに、シエスタだってそばにいるしね。 なによ急に、気持ち悪い。言っとくけどね、あんたよりもずっと長生きするつもりだからね、わたしは。 そうよ。お婆ちゃんになる前に隠居して、サイトと一緒にのんびり過ごすのが夢だもの。 まあ、今の状況から考えるとなかなか難しそうだけどね。 あらもう帰るの。皇帝陛下ともなると忙しいわね、友達ともなかなか会えないもの。 ええそうね、わたしたちはいつまでも友達よ。ま、腐れ縁ってやつだけど。 冗談冗談。ありがとう、キュルケ。サイトにも早く帰ってきてって伝えておいてね。 変なキュルケ、返事もしないで出ていっちゃった。 どうしてあんなに急いでいたのかしらね、シエスタ?
287 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:26:12 ID:WcqLB2V+
やだ、こうして会うのって何年振りかしら。 もちろん覚えてるわよ、変なこと言うのねタバサったら。ああごめんなさい。シャルロットだったわね。 気を悪くしないでね。何だか学院にいた頃のことばっかり思い出しちゃって。 ええそう、わたしったらこんなに感傷的だったかしらって思うぐらい、あの頃のこと思い出してばっかりなのよ。 サイトのこと考えると、どうしても最近の思い出よりも昔のことばっかりになっちゃうのよね。 長い間会ってないせいかしら。あいつったらどうしてこう忙しいのかしらってぐらい、飛び回ってばっかり。 ええと、五年前にゲルマニアの戦争から帰って来た後はどうしたんだったかしら。 確か……変ねえ、思い出せないわ。手紙は櫃にしまっておけないぐらいたくさんもらってるのにね。 え、嘘でしょ。ガリアにいるの? どうしてまたそんなところに。 やだ、今度は邪竜退治ですって。それもあなたの代わりに? どういうことなの一体。 へえ、サイトったら帰り道にわざわざ遠回りしてまでガリアに寄るなんて。 まさかあんたたち、わたしに黙って二人っきりで会ってるんじゃ うそうそ、冗談よ、本気でそんなこと思うわけないじゃないの。 どうしてそんなにムキになるのよ。かえって怪しいわよ、それ。 ふふふ、いちいちあなたに言われなくたって分かってるわよ。 ま、あいつったら女の子には優しいから、昔はよく誤解してたけどね。 ええもちろん、愛してるわよ。なかなか会えないけど、心はいつだってそばにいるつもりよ、わたしたち。 やだ、どうして泣くのシャルロットったら。ええ、ええ。そうなの、お父様たちのことを思い出して。 そうね、わたしもサイトも、シャルロットのお母様たちのように、ずっと仲良くしていきたいわね。 そういえば、本当に良かったの。今のガリアの国王って、あのジョゼフの娘なんでしょう。 あなたが邪竜退治なんか命令されたのだって、下らない嫉妬と逆恨みのせいでしょうに。 そう。そうね。その子も、昔のシャルロットと同じかもしれないものね。 でもだからって、あなたが馬鹿正直に恨みを受けるのもおかしな話だわ。 あなただって女の子なんだし、自分の幸せも考えてみるべきよ。 そうなの。そんな風に一人で背負い込むことないのに。 サイトだって今はガリアにいるんでしょう? あんなので良かったらいくらでも頼りにしてくれていいのよ。 でも不思議ねえ。邪竜出現なんて大事件でしょうに、領民の噂にもなってないわよ。 その上領主であるサイトがそれを退治に行ったんだとしたら、もっと騒いでもいいと思うのだけど。 なあにシエスタ。ああそうね、確かにここは町とは少し離れてるし、領民の声なんて聞こえなくても仕方ないか。 ふふ、でもそれはシエスタのせいでもあると思うけど? そうなの、聞いてちょうだいよシャルロット。 シエスタったら、なにかと理由をつけてわたしをこの城に閉じ込めようとするのよ。 たまに領地の視察に行っても、「どこに暗殺者が潜んでるか分からないから」って、なかなか領民と話もさせてくれないし。 そうね、わたしに何かあったらサイトが悲しむでしょうけど。だからってねえ。 冗談よ。わたしだって子供じゃないんだし、我侭ばかり言ってもいられないわ。 それに、領地の統治はジュリアンが補佐してくれるおかげでずいぶん楽になったし。 ああ、シエスタの弟よ。何年か前から働いてもらってるんだけどね。 シエスタにもずいぶん助けられてるから何となく悪い気がしてたんだけど。 ずいぶん真剣な顔で「サイトさんへの恩返しがしたいんです」だなんて頼まれちゃ、ね。 え、なあに。もちろん幸せよ。こうやってたまに友達が尋ねてきてくれるし、世界は平和だし、 なによりサイトがいるからね。もっとも、あいつったら本当にたまにしか帰ってこないんだけど。 こんなんじゃ思い出作ってる暇もないわ。ま、手紙だけはたくさんあるから、いいけどね。 そう、もう帰るのね。道中お気をつけて。無理しないで、わたしたちのことも頼りにしてね。 それにしても、まさかサイトがガリアにいるとはね。 決めたわシエスタ。今度帰ってきたら、鎖に繋いでもトリステインに置いておきましょう。 ずいぶんほったらかしだった分、今度こそわたしたちの我侭たくさん聞いてもらわなくちゃ、ね。
288 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:26:47 ID:WcqLB2V+
ごめんなさいね、悪気はなかったのよ。ただ、ちょっとおかしくて。 あのみっともなくて口ばっかりだったギーシュが、今や名誉あるトリステイン軍の元帥様だなんてね。 ちょっとそんなに怒らないでよモンモランシーったら。悪気はないんだったら。 わたしったらどうしてこんなに昔のことばっかりなのかしら。 あれから十五年も経つっていうのに、未だに皆のイメージが昔のまま止まってるのよ。 そう、まだギーシュが情けなくて、水精霊騎士隊の隊長を変わってくれってサイトに頼み込んでた頃よ。 懐かしいわねえ。サイト、そういうのはお前向きだ、なんて言って、結局副隊長のままだったっけ。 でもその判断は正しかったのね。元帥にまでなるんだもの、ギーシュはやっぱり人の上に立つ人だったのよ。 その辺サイトはダメよねえ。作戦なんか立てずに突っ込んでばっかりだし、 領地のことはわたしたちに任せっきりで、あっち行ったりこっち行ったり。 そうそう、ガリアの邪竜退治から帰って来た後も、今度こそどこにも行かさないつもりだったのに。 でも姫様からの命令じゃ、断る訳にはいかないわよねえ。 あ、そうそう、姫様といえば、あの馬鹿また鼻の下伸ばしてるんじゃないでしょうね。 やだ、急に何言うのよ。そりゃサイトがわたしのこと愛してるっていうのは疑わないけど、 そんなことできるはずない、なんてのは言いすぎよ。ま、わたしもそう思うんだけどね。 だけど、本当にあの馬鹿の戦い方なんて参考になるの? そりゃ戦士としては一流だけど、誰かに真似できるものでもないでしょうに。 ま、確かにそうかもね。あれだけ強い男と戦えば、たとえ負けても何か得るものはあるかも。 トリステイン兵の訓練なんて、いかにもあいつ向きの仕事なのかもね。 それで、あいつは最近どうしてるの。前に帰ってきたのは、ええと、何ヶ月前だったかしらシエスタ。 なんですって? 一ヶ月? おかしいわね、よく覚えてないわ。 ああ、そうそう、帰ってきて早々領民の家に飲みに行ったんだっけ。思い出したわ。 全く、あいつときたら妻であるわたしのことほったらかしにしてばっかり。 なによモンモランシー。……ふふ、そうね、その方があいつらしくて安心するのかもしれないわね。 そういえば覚えてる? あいつが水精霊騎士隊の皆とこっそり学院を抜け出して、町にお酒を飲みに行って。 やだ、わたしったらまたあの頃の話してる。ごめんなさいね、本当に。 そうだったわ、最近のあいつの様子、聞きたかったんだっけ。どう、真面目にやってる? どうしたのギーシュ、そんな言いにくそうに。まさかなんか問題起こしたんじゃ。 あはは、相変わらず大げさすぎるわよギーシュ。一生の目標だなんて。 あんなの迷子の犬ッコロみたいなもんなんだから。元帥様とじゃ比べ物にならないわよ。 ああ、サイトの話ばっかりしてたせいかしら。なんだか急に会いたくなっちゃった。 いやね、年を取ったってことなのかしら。 ほんの一ヶ月前に会ったばかりなのに、なんだかもう何十年もサイトの顔見てないような気がするわ。 ああびっくりした。どうしたのかしらモンモランシーったら。あんなに急に出て行ったりして。 あ、ギーシュ、どうしたのモンモランシーは? え、なんだか具合が悪いみたいだから帰るって? ダメよそんなときに動いたりしちゃ。泊まっていきなさいよ、どうせ部屋はたくさん空いてるんだし。 なんならサイトの部屋を使ったっていいのよ。 どうしたの急に。そんなに怒るなんて、ギーシュらしくもない。 本当に帰るのね? ごめんなさい、わたし、なにか怒らせるようなこと言っちゃったかしら。 そう? 本当に? 良かった、わたし、雰囲気読めないなんてサイトにからかわれるものだから、心配になっちゃって。 ええ、モンモランシーにもお大事にって伝えてちょうだい。 あの子はお母さんだもの、もしものことがあってはいけないわ。 わたしも、お婆さんになる前にサイトの子供が産みたいものね。それじゃ、ごきげんよう。 大丈夫かしらモンモランシー。なんだか心配だわ。 あらあらどうしたのシエスタ、急に泣いたりして。 大丈夫よ、サイトだってすぐにまた帰ってくるだろうし。 心配しなくたって、悪いことなんか何も起こりはしないわ。
289 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:27:19 ID:WcqLB2V+
ああお懐かしゅうございますわ姫様。いえ、女王陛下とお呼びした方がよろしゅうございましょうか。 そうですか、ではお言葉に甘えさせていただきますわね。 お久しぶりでございます、姫様。前にお会いしたのはいつだったでしょう。 四十年前、でございますか。いつの間にか、時はそんなにも長く過ぎてしまっていたのですね。 姫様はなかなかこの領地を訪れてくださいませんでしたから。 そうですわね、姫様は今やアルビオンで静かに暮らしておいででですから。 ここに来るまででもずいぶんな長旅だったのではございませんか。 そうですか、アニエス様が。あの方は今も変わらず姫様の剣として尽くしていらっしゃるのですね。 姫様が女王の座を降りられてから、世の中はずいぶんと変わりましたね。 それでもこの国が変わらず平和なのは、全て姫様のお力の賜物でしょう。いえ、ご謙遜なさらないでください。 トリステイン王国という国がなくなっても、わたしたちがこうして穏やかに暮らしていられる。 それは全て、あの日に備えて姫様が持ちうる限りの力を尽くされていたおかげでございます。 本来であれば、わたしも夫も領民に命を狙われていたかもしれませんもの。 ええ、それはもちろん、善政は敷いてきたつもりですわ。 あの馬鹿みたいに人がいいサイトが、悪い領主だなんて言われるのは我慢できませんでしたから。 夫は本当に留守がちで、この三十年間この城にいた期間なんてほんのわずかでございましたけど。 それでも、このデルフリンガー男爵領の領主は、ヒラガサイトその人だけですわ。 領民だってそのことはよく知っているはずです。今はもう、男爵領なんてものはなくなってしまいましたけれど。 そういえば、どうしていますか。 誰って、もちろん、わたしの夫のことでございますわ。 今はアルビオンの復興に尽くしているのでございましょう。 少し前、久方ぶりに姫様にお会いしたという手紙を受け取ったのですけど。 ああ、思い出していただけましたか。夫はどうしていましたでしょう。 もう年ですから、無理をして体を壊していなければいいのですけれど。 ふふ、おかしいですわね。こんなことを言っていても、やっぱりわたしの頭に浮かぶのはあの頃のサイトの顔だけ。 今はもうわたしと同じで白髪も皺もある老人になってしまっただなんて、なんだか実感が湧きませんわ。 そうですか、好かれていますか。それは良かった。 夫は、よく手紙にアルビオンの子供たちのことを書いてくるのですよ。 各国の分割統治という形で治められていて、今でもそれ程治安がよくないのに、子供たちの瞳はいつも輝いていると。 まるで自分の子供のことのように書いてくるんですの。 わたし、それを見たらなんだか嬉しくなってしまって。 結局わたしとサイトの間には子供はできませんでしたけれど。 でも、その分サイトは世界中を駆け回って、自分の子供たちをたくさん作ったのだと思うのです。 わたしも、そんな夫の手助けが出来て、とても幸せな人生でしたわ。 もちろん、まだまだ元気に生き続けるつもりですけれども。 きっとサイトももう少しで落ち着いてくれるでしょうし、そしたらこの城も引き払って、 二人だけでのんびり暮らしていこうと思っておりますの。 それこそ、犬小屋みたいな小さなお家で、ね。 あら、もうお帰りですの姫様。もう少し……やだわ、もうこんな時間でしたの。 道中気をつけてお帰りくださいましね。アニエス様がいらっしゃるなら大丈夫でしょうけれど。 それではごきげんよう、姫様。今度はサイトと三人で、またお会いしましょうね。
290 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:28:05 ID:WcqLB2V+
ふふ、サイトったらこの年になってもまだ子供みたいなこと言ってるのね。 あらどうしたのジュリアン。珍しいわね、お客様? どうぞ、お通ししてちょうだい。 ようこそ、剣の城へ。わたくし、主の留守を預かっておりますルイズ・ド・ラ・デルフリンガーと申しますわ。 こんな格好でごめんなさいね。最近足が痛くて、もう立つことも苦しくて。 あら、失礼ですけれど、どこかでお会いしたことがあったかしら。 気のせいですわよね。 こんなに若々しくて、美しい金髪の方と知り合う機会なんて、わたくしのような老人にあるはずがありませんもの。 ああ、だけど本当にどこかでお会いした気がするわ。 失礼ですけれど、その帽子を脱いで顔を見せてくださらないかしら。 まあ、テファ。ティファニアじゃないの。 ええ、もちろん覚えているわ。友達の顔を忘れる訳がないでしょうに。 本当に懐かしいわ。あなたはちっとも変わっていないのね。やっぱりエルフの血が混じっているせいかしら。 ああごめんなさい、悪い意味で言った訳ではないの。許してちょうだいね。 そう、ありがとう。だけど本当に嬉しかったのよ、わたし。 何故かしら、一人ぼっちになってしまった気がしていたのよ。 キュルケもシャルロットも、ギーシュやモンモランシー、姫様にアニエス様。 皆、ずっと前にお亡くなりになって。半年前にはシエスタまで死んでしまって。 その頃からかしらね、何故だか急に元気がなくなってしまったの。 変よね、一人ぼっちだなんて。わたしにはまだサイトがいるっていうのに。 今ではもう食事も満足に食べられないのよ。折角作ってくれるジュリアンには悪いのだけれど。 ああ、これ? これはサイトからの手紙。 サイトったらこの年になってもまだ子供みたいに世界中を駆け回っているのよ。 そんな元気な人の妻なのに、わたしは今や夫からの手紙を読み直すぐらいしか楽しみのない、寂しい老人だわ。 ううん、そのはずだけれど、あまり寂しくはないの。 サイトは今でも三日に一度は手紙を送ってくれるわ。 考えてみれば不思議よね。この六十年間、どんなところにいても、サイトからの手紙が途絶えることはなかったもの。 本当に、いろいろなことがあったわ。もっとも、わたしはずっとこの領地を守っていただけだったけど。 その間、サイトは帰ってきてはすぐに出かけていって。 今度こそ落ち着いてくれるかと思っていたら、思い出を作る暇すらなくすぐにどこかへ。 だけど、そういう人なのよね。 世界のどこかにあの人を必要としている人がいて、そういう人がいる限り、あの人は躊躇いなく飛んでいくんだわ。 結局、わたしの記憶に色あせずに残っているのは、六十年前の、まだ子供だったサイトの姿だけ。 でもね、わたし、それでも後悔はしていないのよ。 だって、ずっとサイトを支えてこられたんですもの。 困ったり、泣いたりしている誰かのためなら、自分のことなんか省みずに助けに飛んでいく。 そんな人の妻として、いつか帰ってくる場所を守ることができたんですもの。 だから、とても満足しているのよ。 人は不幸な女というかもしれないけど、わたしは胸を張って言うことが出来る。 わたしの人生は、他の誰よりも幸福なものでした、ってね。
291 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:28:57 ID:WcqLB2V+
そうそう、今サイトがどこにいるか、知ってる? 今はね、西の大洋の上よ。 サイトが年がいもなく西に向けての航海に旅立ってから、もう何年かしら。 ほら見て、あの人からの土産話がこんなにもたくさん。 それにね、あの人ったら、昨日の手紙にこんなこと書いてたのよ。
「いま、帰りの船に乗っている。長い間待たせてばかりですまなかった。 今度こそ、ずっと一緒にいよう。もうすぐ、お前のところへ帰る。愛しているよ、ルイズ」
ふふ、馬鹿ねえ、今頃そんな風に気を遣わなくっていいのに。 ああ、だけど、聞いてちょうだいテファ。 わたし、最後の最後にサイトを悲しませることになりそうなの。 そう、死期が近づいているのよ。サイトが帰ってくるまでは頑張ろうと思っていたんだけど、 自分でも分かるの。わたしは多分あと一ヶ月、ううん、きっと一週間も生きていられないだろうって。 だから、ね、テファ。友人として、わたしのお願いを聞いてもらえないかしら。 せめて、わたしがいなくなってもサイトが静かに暮らしていけるように、遺言を残しておきたいの。 ええそう、サイトはずっとこの領地を留守にしていたから、今自分がどのぐらいの財産を持っているかなんて 全然知らないと思う。確かにわたしたちはもう貴族ではないけれども、それでもいくらか財産はあるわ。 そういうことでゴタゴタさせて、サイトを疲れさせたくないの。だから、ね。 そう、ありがとう、テファ。それじゃあ今から遺言状の内容を言うから、口述してくれないかしら。 ええそう。ごめんなさいね、もう手も満足に動かせないの。サインだけは何とかするから、ね。 どうしたのテファ。そんな悲しい顔をするなんて。 謝らないで。あなたは何も悪くないでしょう。ね、お願い、テファ。 わたしの最後のお願いを、どうか聞いてちょうだいね。 ああ、ありがとうテファ。それじゃ、お願いしますね。 ……ありがとう、テファ。これで遺言は全てよ。 さあ、サインをしなくっちゃ。ごめんなさい、体を支えてくださるかしら。ええ、ありがとう。 あら、テファ。不思議ね、あなたの文字、びっくりするぐらいサイトにそっくりだわ。 ええ、サイトの方がもっときれいだけど。本当に不思議。どうしてこんなに似ているのかしら。 ああ、そうだったわね、まだ力が残っているうちに。 これでいいわ。この遺言はジュリアンに渡してちょうだいね。 本当にありがとう、テファ。これで、思い残すことなく逝くことができる。 ふふ、そう、嘘よ。本当は、最後に一目だけでいいからサイトに会いたかったわ。 だけどおかしいわね。最後に思い出すサイトの顔も、やっぱりあの頃のままなの。 本当に、おかしな人生だったわね。だけど、楽しかったわ。 ああ、泣かないでちょうだい、ティファニア。 わたしはとても幸福なの。幸福なままで、死んでいくのよ。 悲しいことなんて何もないの。だから泣かないでね、ティファニア。 あなたが泣いたら、きっとサイトは悲しむと思うから。
292 名前:幸せな男爵様[sage] 投稿日:2007/02/06(火) 22:33:15 ID:WcqLB2V+
その日、かつてデルフリンガー男爵領と呼ばれた地の片隅で、一人の老女がひっそりと息を引き取った。 彼女が残した遺言により、城はその地の住民たちのものとなり、わずかばかりの財産は貧しい人々のために寄付されることになったという。 老女の葬式は、彼女がかつて貴族だったとは思えないぐらい、実にささやかなものだったが、 城が建っている小山へと向かう葬列は、麓の町の大通りを埋め尽くすほどに多く、 生前彼女がどれだけ慕われていたかをよく現していたという。 葬式に参加した者たちは、皆一様に涙を流しながら、 「気は狂っていたが、わたしたちにはとてもいい領主様だった」 「ただ一点についてのみ正気をなくされていたことを除けば、実に誉れ高い御方だった」 「あんなにもお優しかったために、心を壊されてしまったのだろう。 彼女の苦しみが終わったのは喜ばしいが、彼女を失ったことはとても悲しい」 などとそれぞれの思いを込めて彼女を偲び、葬式が終わって以降もしばしの間町全体が悲しみに沈んでいたということである。 これが、後に「気狂いルイズ」と呼ばれることになる、偉大なる女男爵の死に様であった。
彼女の亡骸は、城の裏手の森のずっと奥に葬られることとなった。 彼女自身は死ぬまで気付かなかったようだが、そこには一つの墓があり、墓標の代わりに一本の大剣が突き刺さっていた。 今、物言わぬその剣の下には、二つの亡骸が寄りそうにして眠っている。
なお、六十年ほど前から頻繁にこの地を訪れていたという帽子を目深に被った金髪の美女は、 「気狂いルイズ」の死後も変わることなくこの地を訪れ続け、 人々が彼女のことを忘れ去って以降もずっと、剣の前に花を手向け続けたという。
Side-B11-588不幸せな友人たち