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A-side 11-284幸せな男爵様


588 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:29:21 ID:PCTkWB/9

 窓際の椅子に座ったティファニアは、鎧戸の隙間から入り込んでくる静かな雨音に、ただじっと耳を傾けていた。  立ち上がるのも億劫に感じられるぐらい、体が重い。鉛の服でも着せられているようだった。  この日何度目になるか分からないため息が、自然と口の隙間から漏れ出した。  しかし疲労は抜けるどころかますます重量を増して、ティファニアの体を椅子に押し付ける。  何もする気が起きないというのが正直なところだが、かと言って今何かすることがあるのかと聞かれれば、答えようがなかった。  何をしていいのか分からないぐらいの事態が、現実に起きてしまっているのだ。  ティファニアは無言のまま鎧戸を押し上げ、少し離れたところにある小さな小屋に目をやった。  容赦なく雨に打たれて今にも崩れそうに見える、粗末な作りの木の小屋。  窓枠を握る手に力がこもる。見たくない現実をあえて直視するために、ティファニアは目を細めた。  今あの小屋の中には、一人の少年の体が横たわっている。  数日前までは平賀才人と呼ばれていた少年の遺体。  それが、ティファニアたちに突きつけられた現実だった。

 事の起こりは、アルビオンにあるティファニアの家に才人らが訊ねて来たことであった。  友人たちとの突然の再会に、ティファニアは戸惑いと同時に大きな喜びを感じた。  実に、彼らと別れてから一年ほどの月日が経過していたのである。  たった一年だというのに、世の中は随分と様変わりしていたらしい。  ほとんど世間から隔絶されていると言ってもいいティファニアにはその変化がよく分かっていなかったが、  才人たちはまさにその変化の渦中に放り込まれていたのだ。  まず当時ガリアの王だったジョゼフという男が暗殺され、一人娘だったイザベラが王位を継いだ。  その王位継承があまりにも強引だったために周囲との軋轢を起こし、ガリアは水面下で内乱のような状態にあると いうことだ。  また、ゲルマニアでも大規模な内戦が勃発したらしく、今は世界全体がゴタゴタしているということである。  才人自身詳しくは話さなかったが、そういったゴタゴタに彼らも深く関わっていたようだ。  そんな訳であまりにも問題が多くなりすぎたために、トリステインに留まることはなかなか難しくなったらしい。 「だから、しばらくの間探検がてら東の方に逃げていようと思ってさ」  それを話すために、ティファニアの村に立ち寄ったということである。  当初、ティファニアは彼らがお別れを言いに来たのかと思っていた。  だが、才人たちの目的は違うところにあった。  彼らは、東への旅に同行しないかとティファニアを誘いに来たのである。  もちろん、一度は断った。自分には世話をしなければならない子供たちがいるから、というのがその理由である。  一年前も、同じ理由で才人からの誘いを断ったのだ。  だが、その答えを覆させたのは、驚くことに他でもない子供たちだった。  彼らは、「自分たちのことは大丈夫だから、テファ姉ちゃんは安心して東へ行ってきてよ」と言ったのである。  それでもティファニアは断るつもりだったが、結局は才人たちについて東方に旅立つことになった。  母親の故郷がどういう場所だったのか知りたい、というのが偽らざる思いだった。  おそらくこれが最後のチャンスとなるであろうことも予想できたので、子供たちの気持ちを素直に受けることにし たのだ。

589 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:30:30 ID:PCTkWB/9

 かくして東方へと旅立つことになった一行は、ティファニアを含めて総勢で三十人弱という小規模な集団だった。  主要なメンバーは以下の通りだ。まず、最初からティファニアと顔なじみだった才人、ルイズ、シエスタの三人。  彼らに魔法学院でルイズと同期だったというキュルケ、タバサ、ギーシュ、モンモランシーが加わり、コルベール という教師も同行する。  彼らの他にも冒険心溢れる若者たちが多数参加していたが、人付き合いの苦手なティファニアが親しくなったのは、 せいぜいこの八人だけである。  とは言っても探検隊の中心はこの八人のようだったから、さして困ることもなかったのだが。  当初は自分の出自や他人が苦手という性質もあって緊張していたティファニアだったが、仲間たちとはすぐに打ち 解けることができた。  彼らが皆それぞれに形は違えど気のいい人たちで、自分がハーフエルフだということもあまり気にしないでいてく れたからだ。  コルベールなどはむしろ大喜びし、エルフについていろいろと質問をぶつけてきたほどである。  才人によると、今回の探検自体コルベールの発案によるところが大きいとのことだった。  こうして、一行はコルベールの作った探検船である「オストラント号」に乗り込み、東方を目指すこととなった。  無論、人間と敵対しているエルフの領域を旅するわけだから、危険な場面にもたびたび出くわした。  だが、旅を続ける内に幾分か友好的なエルフの集団と知り合うこともでき、それ以降は情報と拠点を得たこともあ って、探検もさほど危険なものではなくなった。  その間、ティファニア自身も満足できるぐらいにエルフの情報を知ることができ、彼女にとっての東方探検は十分 に意義のあるものとなったのである。  対して他のメンバーはと言うと、ギーシュらは本当に探検気分で友人たちにくっついてきたものらしく、  シャルロットはあまり多く語らなかったが探検そのものが目的という訳ではないようだったし、キュルケなど本当 にコルベールにくっついてきただけだ。  そのコルベールにしても東方で未知のものに出会うたびに目を輝かせていたので、彼らなりに探検は満足できるも のとなりつつあったらしい。  彼らとは対照的に、才人、ルイズ、シエスタの三人はなかなか目的を達成できないでいるようであった。  ティファニアはよく知らなかったが、彼らははっきりとした目的があってこの東方探検に参加したらしいのだ。  聞いたところによると、それは才人と深い関係のあることらしい。  だが、ティファニアが見たところ、目的が達成できずに苛立っているのはルイズの方で、才人のほうは割とのん気 にこの旅を楽しんでいる様子だった。  そうして、一行が東方に入ってから数ヶ月ほどの時間が経過した、ある日のこと。  彼らが滞在している家に駆け込んできたコルベールが、興奮を隠せない面持ちで叫んだ。 「諸君、ついに聖地を見つけたぞ」  と。

590 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:31:25 ID:PCTkWB/9

 ティファニアは鎧戸を閉じた。雨は未だに止む気配もなく降り続いている。  東方はそのほとんどが砂漠に覆われている不毛の地、というのが西での定説だったが、実際に入ってみると意外な ほどに緑が溢れた土地であった。  もちろん広い砂漠もあるにはあるが、コルベールの見立てでは東方と呼ばれる地帯の四分の一にも満たない程度の 広さとのことである。  エルフを恐れた人間が、彼らの住む世界像すらも歪めてしまった結果だろう、とコルベールは言っていた。  あるいは、人間が離れていた長い歳月の間に、エルフが何らかの手段を用いて砂漠を緑化したのかもしれない、とも。  とにかく、そうした訳でこの村も深い森の中にある。  食物も豊富で気候も穏やかなため、村に住むエルフたちはさしたる苦もなく豊かな生活を送っているらしかった。  長年敵対してきたはずの人間に友好的な態度を取っているのも、そうした生活の豊かさが成せる業なのだろう。  それに、いくらエルフが人間に比して長寿だとは言っても、永遠の命を持っている訳ではない。  長く人間と接触を断っていた間に世代交代が起きて、穏やかなコミュニティが出来ても不思議ではないのだ。  だから、ティファニアたちもさしたる問題もなくこの村に迎え入れられていた。  持ち主がいなくなって久しい家を借り入れ、コルベールとギーシュが先頭に立って西の様式に改造して拠点としたのだ。  もちろん、オストラント号の中にも各員に割り当てられた船室は存在する。  しかし、空の旅ばかりしていると、地に足をつけて眠りたくなるのが人情というものである。  だから一行のほぼ全員がこの家で寝泊りすることを望んだのだが、キュルケの巧みな話術によって丸め込まれた結果、  結局ティファニアを含めた例の九人だけが家を借り受けることとなり、その他の面々はこれまでどおり船で留守を 守ることとなったのである。  そうして村で一ヶ月ほど生活していく中で、ティファニアたちは村のエルフたちとも良好な関係を築いていった。  どうも、若い世代の中には西に行きたがっているエルフも多数いるらしく、彼らが人間風の村を作って生活してい るのもそういった心情の現れらしかった。  ティファニアたちがエルフたちと良好な関係を築けたのには、そういった要因も大きかった。  だが、その交流にも終わりが見えつつある。  「聖地」から帰還して以降、村人たちの様子がどこかよそよそしくなっているのだ。  原因は考えるまでもなく分かっていた。今はもうただのクレーターと化している「聖地」の惨状である。  ティファニアはおもむろに立ち上がり、黙って寝台のそばにかがみこんだ。寝台の下から櫃を引っ張り出し、そっ と蓋を開ける。  その中には、一枚の服が大切にしまいこまれていた。滑らかな純白の生地で織られた、小さな婚礼衣装である。  これを持ってきたときの才人の笑顔が頭に浮かぶ。ティファニアは抉るような胸の痛みを覚えて、小さく唇噛んだ。

591 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:32:04 ID:PCTkWB/9    「聖地」というのは、いちいち確認するまでもなく、始祖ブリミル降誕の地と言われる場所のことである。  ハルケギニアに住む者なら、誰でも知っている場所だ。  才人らもそこを目的地としていたらしいのだが、長い時間の果てに資料が散逸しており、正確な場所が分からなか ったのだという。  そこが発見されたと聞いて、一番興奮していたのはルイズだった。  彼女はすぐにでも出発しようと主張したのだが、コルベールらはいろいろと準備があると言ってそれをなだめた。  そうやって三日間ほどは準備に当てられることになったのだが、その間才人はコルベールの作業を手伝うでもなく、  村のエルフたちや仲間の少女たちと協力して、何やらこそこそとやっているようだった。  早く聖地に出発したい一心のルイズは、そんな才人の態度にさらに苛立ちを募らせていたが、  才人の方は平謝りしながらも結局何をやっているのか明かさなかったようだ。  ティファニア自身も才人が何をしているのか、直前までは知らなかった。知ったのは、聖地に出発する前の晩である。  その晩は何となく寝付けずに、寝台で寝返りを打っていた。  ティファニア自身、聖地には興味があった。  自分が操る虚無の魔法の秘密が、そこに行けば分かるかもしれないと聞いていたからだ。  果たして聖地には何があるのか。自分がどんな事実を知って、それによりどう変わってしまうのか。  それを思うと、緊張と興奮でとても眠ることなど出来なかったのだ。  控え目なノックの音が響いたのは、そんなときである。  どうぞ、と応じると、才人が足音を忍ばせて入ってきた。  才人は扉を閉めて一息吐くと、大事そうに抱えていた何かをティファニアに差し出した。 「悪いんだけど、これ、ティファニアの部屋に隠しておいてくれないか」  何かと思って広げてみると、それは見るからに上等な生地で織られた、純白の婚礼衣装だった。  驚くティファニアに、才人は照れくさそうに鼻の頭をかきながら話してくれた。 「まあ、なんだ。プロポーズしようと思ってんだ、ルイズに」  つかず離れずと言った感じで、あれこれと周囲をやきもきさせていた才人とルイズ。  いい雰囲気になりかけるたびにタイミング悪く変事が起きるために、二人の関係には今ひとつ進展が見られなかった。  が、才人はそういう曖昧な状況に終止符を打つつもりらしかった。  何故突然そんな気になったのか、と問うと、才人は相変わらず照れくさそうな笑みを浮かべたまま答えた。 「聖地が見つかったって言ったじゃんか。ルイズは多分、俺のためにそこに行こうとしてくれてたんだと思うんだけ  ど、もういいんだよ。俺、こっちに残ることに決めたからさ。だからはっきりプロポーズするつもりなんだ。ま、  そういうこと」  そう言われてもティファニアにはよく事情が分からなかったが、とりあえず才人が本気だということだけは分かった。  多少喧嘩はするものの、深いところでは結び合っている二人のこと、才人のプロポーズは間違いなく受け入れられることだろう。  ティファニアは服を預かることを快諾し、才人の企みが成功するのを祈っていると伝えたあと、ついでに聞いた。 「でも、どうしてわたしに頼んだの」 「いや、ルイズは間違ってもテファの衣装箱は開けねえだろうからさ。自信なくすだろうし」  先ほどとは微妙に違った笑みを浮かべた才人の台詞も、やはりティファニアには分からなかった。  何にしてもめでたいことではある。  コルベールの話によると聖地の探索が終わったら一度西へ戻るつもりということだし、いろいろなことが明日で一 区切りつく訳だ。

592 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:32:37 ID:PCTkWB/9

 才人が去った後、すっかり緊張が解けたティファニアは、幸せな気分で眠りにつくことができた。  翌日、一行は夜明けと共に出発した。聖地はオストラント号で数時間ほどの距離にある。  どうやらさほど目立つ建造物ではなかったらしく、これまで発見できなかったのもそれが原因らしい。  昼を少し過ぎた頃に到着した「聖地」を見て、ティファニアも納得した。  「聖地」の内、地上に露出しているのは門の形をした入り口の部分だけで、残りは全て地下に根を伸ばしていたのだ。  だが、地に降り立った一行がその門を潜ることはなかった。 「危ねえ」  と鋭く警告を発したのは、既に鞘から引き抜かれていたデルフリンガーだった。  ほぼ同時に、周囲の岩や木の陰から、無数の魔法が飛んできた。  人間に敵対意識を持つエルフの襲撃である。今思い返してみると、一行は油断していたのかもしれない。  東方探検を開始した当初こそエルフたちは積極的に妨害してきていたが、最近ではそれもなりを潜めていたのだ。  目指す聖地を前にして、気が緩んでいたせいもあるのかもしれない。  一行は、姿を消したエルフたちが待ち受けていることに、少しも気がついていなかったのである。  エルフたちの奇襲は見事に成功した訳だが、デルフリンガーが直前で警告を発したおかげで、  一行は何とか一人も失うことなく船のそばまで戻ってくることが出来た。  じょじょに包囲網を狭めつつあるエルフたちを見て、コルベールは一度引き返そうと提案した。  一行のほとんどがそれに賛成したが、ルイズだけは別だった。  彼女は無理にでも進むべきだと主張したのだ。 「だって、今を逃したらずっと先までここに来る機会はないんでしょう? それなら絶対に聖地の門まで行かなくちゃ」  ティファニアには、ルイズが何故そこまで聖地にこだわるのか見当もつかなかった。  彼女が命の危険すらも顧みなくなるほど重要な何かが、そこにはあるらしかった。  当然、他のメンバーも全員反対したが、ルイズは一切耳を貸さずに制止を振り切って飛び出して行った。  それを見た才人も、デルフリンガーを片手につかんでそれを追う。  そして、悲劇は起きた。  ルイズが魔法を解き放つよりも、エルフたちの魔法がルイズに向かってくる方が速かったのだ。  そのときの光景が、今もティファニアの頭にこびりついて離れない。  自分に向かってくる魔法の群に気付いて、思わず足を止めてしまうルイズ。  硬直するルイズに向かって駆けていく才人の背中。振り回される剣は、しかし魔法を全て吸収するには至らない。  轟音と共に、土煙が嵐となって渦巻いた。  次に目を開いたときティファニアの目に映ったのは、血の海に横たわる才人と、その眼前に呆然と座り込んでいる ルイズの姿であった。  それから先のことは、よく覚えていない。  ただ、結果として聖地はルイズの虚無魔法によって吹き飛ばされ、彼らは気を失ったルイズと瀕死の才人を回収し てこの村に戻ってきたのである。  才人は帰還の途中に船の中で死んだ。モンモランシーの回復魔法も、せいぜいほんの少しだけ死を遅らせる程度に しか役立たなかった。  ルイズを、幸せに――  それが、才人が最後に発した言葉だった。

593 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:33:38 ID:PCTkWB/9

 婚礼衣装を見つめながらぼんやりと才人のことを思い出していたとき、控えめなノックの音が雨音に重なった。  突然のことに驚き、婚礼衣装をしまい直すのも忘れて「どうぞ」と声をかける。  ゆっくりと扉を開いて部屋の中に入ってきたのは、シエスタだった。  肉体的な疲れと精神的な疲れ、両方に苛まれているためか顔には憔悴の影が色濃く浮き出ている。  シエスタはティファニアの手の中にある婚礼衣装を見つけると、かすかに首を傾げて薄らとした微笑を浮かべた。 「ここにあったんですね、それ」  疲労している彼女に立ち話させる気にはなれず、ティファニアは言葉の意味を問う前に、シエスタを寝台に座らせた。  自身もその隣に腰掛ける。広げたままの婚礼衣装は、寝台の縁にかけるようにして、シエスタとの間に置いた。  白く滑らかな布地をゆっくりと手で撫でながら、シエスタは微笑を浮かべたままじっと婚礼衣装を見つめている。  細められた瞳には、溢れんばかりの愛情が満ちていた。  何故この服にシエスタがそれ程の愛着を持っているのか、そして先ほどの言葉はどういう意味だったのか。  それを知りたいと思いつつも、静かな優しさに満ちたシエスタの仕草に躊躇いを感じて、どうしても尋ねることが できない。  ティファニアが迷っている内に、シエスタが布地を撫でる手を止めないまま、呟くように語り出した。 「わたしが仕立てたんですよ、これ」 「そうなんですか?」  だからこの服のことを知っていたのか。そう納得しつつ、ティファニアはまた新たな疑問を覚えた。  シエスタが目の前の見事な婚礼衣装を仕立てたという事実には、大して驚きを感じない。  この旅の最中も、家事全般は大抵彼女の仕事だった。繕い物も得意なようだったし、服の一着ぐらい仕立てられて も不思議はない。  ティファニアが疑問に思ったのは、シエスタがどういった心境でこの服を仕立てたのか、ということだった。 「どうです、ミス・ヴァリエールにはぴったりですよね、これ。  わたしやティファニアさんじゃ、丈が足りないし胸もきつくて破れちゃいますよ、きっと」  おかしそうに笑うシエスタに、ティファニアは笑みを返せなかった。  その戸惑いを知ってか知らずか、シエスタは懐かしむような口調で話し続ける。 「本当に分かりやすい人でしたよね、サイトさんって。聖地に出発する少し前から、影でこそこそ何かやってて。あ  あ、何か隠してるなってすぐに分かりましたもの。あんな調子じゃ、鈍感なミス・ヴァリエール以外には嘘も吐け  ませんよ。涙も使って問い詰めたら、全部教えてくれました。聖地の門の前でこの世界に残ることを宣言した後に、  プロポーズするつもりだって。隠さなくてもいいのに、多分わたしに悪いと思ってたんでしょうね。馬鹿なサイト  さん、プロポーズまでするつもりのくせに、今更こっちに気を遣ったって仕方がないのに。その辺り、どうしよう  もないぐらい優柔不断な人でしたよね。だからこそ優しくて、大好きだった」  不意に雷鳴が鳴り響いた。にわかに雨音が強くなり、木造の屋根を激しく叩く。  そんな中でも、シエスタの静かな声は一語一語はっきりとティファニアの耳に届いていた。 「わたし、言ってあげたんですよ。『それならわたしが用意します。だって、大好きなサイトさんのお嫁さんになる  人の婚礼衣装ですもの』って。あのときのサイトさんの困った顔、ティファニアさんにも見せてあげたかったです  よ。本当、いい気味だったわ。もちろん、手は抜きませんでしたよ。ミス・ヴァリエールの服なら嫌になるぐらい  洗濯してましたし、寸法もばっちりです。時間が三日巻しかなかったから大急ぎになっちゃいましたけど、それで  もどんな花嫁のものよりも素晴らしい婚礼衣装に仕立ててみせる自信がありました。実際いい出来でしょう、これ」  ティファニアは頷いた。シエスタははにかむような笑みを返したあと、そのままの表情でまた婚礼衣装に視線を落とした。 「でもわたしのじゃないんですよね、これ。わたしじゃ着れませんもの、こんな小さな服」  一団低い声で呟くように言ったあと、シエスタは顔を上げて一際明るく話し始めた。

594 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:34:51 ID:PCTkWB/9

「サイトさんは大喜びしてました。こんな凄いの作ってくれるなんて、さすがシエスタだ、なんて言って。馬鹿な人。  そんなときだけはこっちの気持ちなんかちっとも考えてくれないんだから。でもわたし、嬉しかったんですよ。大  好きなサイトさんのお手伝いが出来たんですもの。正直、本当はちょっと複雑な気持ちだったんですけど、これを  手にしておおはしゃぎするサイトさんを見てたら、どうでもよくなっちゃいました。きっと素晴らしい結婚式にな  るはず。その日だけは自分のことなんて忘れて、二人の幸せを祝ってあげようって、そのとき心に決めたんです」  不意に、笑みが消えた。ゆっくりと俯いた顔を前髪が覆い、引き結ばれた口元以外を隠してしまった。  少しの間を置いて語り始めた声音はまだ笑っていたが、それも少しずつ震え始める。 「サイトさんね、『ルイズには秘密にしておいてくれ』って言ったんですよ。この世界に残るって宣言した後に告白  するっていうことに、こだわりがあったんでしょうね。わたしは『分かりました』って約束しました。サイトさん  の気持ち、少しは理解してたつもりでしたから」  シエスタの手が、婚礼衣装を強く握り締めた。幾筋もの皺が刻まれた白い布地に、一滴の涙が零れ落ちて小さな染 みを作る。 「全部ばらしてしまえばよかった。そうすればミス・ヴァリエールも聖地へのこだわりを捨てて、サイトさんがあん  な目に遭うこともなかったのに」  激情に歪む叫び声の後には、ただ低い嗚咽だけが続くだけだった。  雷鳴混じりの雨音の中、ティファニアはシエスタの肩に手をかけたまま、ただ黙っていた。  やがてシエスタが泣き止んでも、何を言うべきなのか分からず、彼女の言葉を待つしかない。  シエスタも少し俯き加減にじっと床を見つめていて、本当は何をしにこの部屋に来たのか、語り出す気配は一向になあった。  沈黙の隙間で跳ね返る雨音に耐えかねて、ティファニアは恐る恐る訊いた。 「ルイズさんはどうしていますか」  聖地から帰って来て以降、ルイズは魂が抜けたような状態だった。  自分のせいで才人を死なせた上に、魔法力を使い果たして気絶していたせいで死に目にも会えなかったのだ。  目を覚ましたルイズは、横たわる才人の遺体の前で瞬きすらせずに座り込んだままだった。  他のメンバーもしばらくはルイズと共に才人の遺体のそばにいたのだが、その内に居た堪れなくなって小屋から出 てきてしまった。  シエスタだけはルイズ同様出て行くことを拒否して小屋に残っていたはずである。  ティファニアの質問に、「ミス・ヴァリエールは」と、シエスタは掠れた声音で答えた。 「眠りもしないし食事も取らない。そんな状態だったんですけど、少し前に気絶するような形で眠ってしまったので、  ミスタ・グラモンに見張りを交代してもらってここに来たんです」  見張り、という表現に、ティファニアは違和感を覚えた。  どういう意味だろう。まだ敵が襲ってくると思っているのだろうか。  確かに、今の状態でエルフの襲撃を受けたら危険かもしれないが。 (シエスタさん、サイトのそばにいたいからあそこに残ったんじゃないのかな)  ティファニアは疑問に思ったが、それを問いただす暇はなかった。  突然、シエスタの体がふらりと傾きかけたのである。ティファニアは慌ててシエスタを支えた。  シエスタははっと正気を取り戻し、慌てて姿勢を直した。 「ごめんなさい、少し疲れてるみたいですね」  疲れ果てた顔に無理矢理微笑を浮かべて詫びてくるシエスタに、ティファニアの胸が締め付けられるように痛くなった。  シエスタだって本当は声を上げて泣きたいだろうに、そんな中でも周囲を気遣うとは。  彼女の心中を思うと、とてもこれ以上無理をさせる気にはなれなかった。ティファニアはそっとシエスタの肩を抱いた。 「少し、じゃないです。ルイズさんに付き添っていたってことは、シエスタさんだって寝てないんでしょう? 休ま  ないと体を壊してしまいますよ」 「そうですね、倒れてしまったらサイトさんとの約束を果たせませんし、もう一仕事したら休ませてもらうことにします」 「もう一仕事って。それに、サイトとの約束って一体」

595 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:35:44 ID:PCTkWB/9

「ティファニアさん」  突然、シエスタの声音に力が戻ってきた。  シエスタは寝台に座ったまま姿勢を正し、隣にいるティファニアの方に体を向けてじっと彼女を見つめてきた。  黒い瞳には凄まじい力が込められていた。見つめるというより睨む、睨むというより射抜くとでも表現した方が相 応しいその視線は、今にも倒れそうなほどに疲れ果てた顔色と相まって、鬼気迫るような危険な気配を放っていた。  あまりの迫力に、ティファニアは返事どころか身じろぎすら出来なくなってしまう。  シエスタはそんなティファニアをじっと見つめた後、慎重に口を開いた。 「あなたにお願いしたいことがあります。いいえ、お願いではありません、これは命令です。絶対に拒否させません。  あなたがどんなに嫌がろうとも、必ず従っていただきます」  普段のシエスタならば絶対に口にしないであろう、威圧的な言葉である。ティファニアはこの上もなく嫌な予感を覚えた。 「何を」 「黙って聞いてください。ミス・ヴァリエールのこれから先の運命は、全てあなたの行動にかかっていると言っても  過言ではないんですから」  シエスタの言葉が、怨念めいた力を持ってティファニアを黙らせる。  その圧力の前に、ティファニアは全身を縛り付けられたような錯覚を覚えた。  逃げ出すことも出来ず、ただシエスタの言葉を待つしかない。  鳴り響く雷鳴の中、シエスタはゆっくりと語り出した。  それは、嫌な予感が的中したことをティファニアに悟らせるには十分すぎるほどに、残酷な命令だった。 「止めてください」  途中でとうとう聞いていられなくなり、ティファニアは目を閉じ耳を塞ぎながら叫んだ。  シエスタの視線から逃れるように、ティファニアは背を向けた。 「そんなこと、本気で言ってるんですか。わたしがそんなことに協力すると思っているんですかシエスタさんが何と  言おうと、わたしは絶対に協力しませんよ。そんな、ひどいこと」 「ひどいこと、ですか」 「ひどいことでしょう、だって」 「じゃあ、あなたはミス・ヴァリエールが死ねばいいがいいと仰るんですね」  ティファニアは驚きと共に振り返った。  あまりにも唐突で衝撃的な質問を発したシエスタは、先ほどと全く同じ姿勢で寝台に座ったまま、少しも表情を変 えていない。  一体さっきのはどういう意味なのか、とティファニアが問いただそうとしたとき、慌しい靴音と共に水滴を撒き散 らしながら、ギーシュが駆け込んできた。 「ルイズがいなくなった」  開口一番そう叫んだギーシュに、ティファニアは即座には反応できなかった。  しかし、シエスタの反応は劇的だった。跳ねるように立ち上がったかと思うと、突進するような勢いでギーシュに詰め寄る。 「どういうことですかそれは。絶対に目を離さないようにと」 「すまない、ぐっすりと眠っているようだったから油断してしまったんだ。だけど、目を離したのはほんの少しの時  間だった。それなのに、才人と一緒に姿を消してしまって」  それを聞くや否や、シエスタは「馬鹿な子」と舌打ち混じりに吐き捨てながら飛び出していってしまった。  ギーシュとティファニアも慌ててその後を追う。

596 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:36:18 ID:PCTkWB/9

 家から飛び出て周囲を見回すと、村はずれの森の方に向かって走っていくシエスタの背中が見えた。  ギーシュと共に彼女を追いかけながら、ティファニアは疑問に思った。  泥を跳ね飛ばしながら駆けるシエスタの足取りには、全く迷いがない。  ということは、シエスタは消えたルイズの行先を知っているということなのか。 「そうか、湖か」  隣を走るギーシュが、何かに気付いた様子で小さく呟いた。 「湖って」 「この道を少し行ったところにあるんだよ。それ程広くはないが、人が沈むには十分な深さがあったはずだよ」  その言葉の意味が、ティファニアにはすぐには理解できなかった。  だが、理解が及ぶにつれて、走っているというのに顔から血の気が引いていくのが分かった。ギーシュの横顔にも 隠し切れない焦りが滲み出す。 「以前にも同じようなことがあったからね。迂闊だったよ、こうなることは予測できたはずなのに」  苦しげに顔を歪めながら、ギーシュが悔やむ。ティファニアは目を細めて、前方を走るシエスタを見やった。 (こうなることが予測できていたから、わたしにあんなことを持ちかけたんですか、シエスタさん)  問いかけながら、唇を噛む。ルイズがその方向にいることを確信しているかのように、シエスタの走りにはやはり迷いがない。  そうしてしばらく走り続けていると、前を走るシエスタよりももっと向こう、森が開けている辺りに小さな背中が見えてきた。  一歩一歩、ふらつきながらぎこちなく歩いていく後姿は、間違いなくルイズのものだ。 「ミス・ヴァリエール」  掠れた怒声を上げながら、シエスタがさらに速度を上げる。  だがルイズは何ら反応を示さず、発見したときと同じ、ぼんやりとした足取りでゆっくりと歩いていく。  その様はまさに命を失った幽鬼を思い起こさせる。声に反応して逃げられるよりも、ずっと恐ろしかった。  シエスタがルイズの肩をつかんで、無理矢理歩みを止めた。それでもルイズは全く反応を示さない。  ティファニアたちが追いついても、ルイズは怒鳴りつけるシエスタの方は全く見ずに、あらぬ方に視線をさ迷わせ たまま何やらぶつぶつと呟き続けていた。  彼女はその細い腕で、自分よりずっと重いはずの才人の亡骸を大事そうに抱えていた。ずっと、彼の亡骸に囁きか けていた。 「ほらサイト、湖が見えてきたわ。ごめんね遅くなっちゃって。ずっと待っててくれたんでしょう。  もうすぐわたしも行くから、もう少しだけ待っててね」  囁きかけるルイズの声音は、温もりを感じるほどに優しく、透き通っている。だからこそ悪寒すら感じるほどに不 気味だった。  シエスタはルイズの肩をつかむと、思い切り彼女の頬を打った。乾いた音が寒々しく響き渡る。  しかし、ルイズはまだサイトに向かって囁き続けていた。彼女の肩を揺さぶりながら、シエスタが激しく問い詰める。 「何をしているんですか、何をしようとしていたんですかミス・ヴァリエール。いいえ、答えなくても分かっています。  あなた、死ぬつもりでしたね。サイトさんと一緒に湖の底に沈むつもりだったんですね。そんなこと、絶対に許しませんからね」  怒りに震える叫び声は、それを間近で聞いていたティファニアの胸を打ちはしたものの、やはりルイズの注意を引 きつけるには至らない。  肩で息をするシエスタの前で、ルイズはなおもサイトに囁き続けていたが、突然何の前触れもなく声を上げて泣き始めた。  ルイズは肩を震わせながら蹲り、才人の亡骸に顔を寄せた。 「ごめんね、ごめんねサイト。わたしのせいでこんなに冷たくなっちゃって。  もう少しであなたのお家に帰れるところだったのに。もう少しでやっと今までのお返しが出来ると思ってたのに。  それなのに、わたしのせいで、こんな」  三人が見守る前でルイズは数分ほども泣き続けていたが、やがてぴたりと泣き止んで、勢いよく立ち上がった。  そして、驚く三人の前で虚ろに目を見開きながら、 「帰らなくちゃ」  と呟き、突然踵を返して歩き始めた。戸惑いながらそれを追うティファニアの耳に、ルイズの囁きが聞こえてくる。 「そうよねサイト、こんな雨の中でお散歩してたら風邪ひいちゃうね。早く帰って温かくして、たくさんお話しようね」  その穏やかな声は、村に帰るまで一度も途切れることがなかった。

597 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:38:05 ID:PCTkWB/9

 雷鳴混じりで降り注いでいた雨は、夕闇の訪れと共に弱くなっていった。  そうして夜になる頃には、すっかり晴れ上がった空に月が浮かんでいた。  穏やかに輝く月光とは裏腹に、一行は滞在している家の一室で陰気な顔を突き合わせていた。  持ち込んだ魔法のランプにぼんやりと照らされる顔は、程度の差こそあれ皆一様に疲れきっていることでは共通している。 「さて、それでは今後のことを話し合うことにしようか」  口火を切ったのはコルベールである。彼は「だが、その前に」と言い置いてから、他の面々に向かって深く頭を垂れた。 「皆、すまなかった。絶対に君たちの命を危険には晒さないと宣言しておきながら、このような」 「そんな風に言わないで。ジャンのせいじゃなくてよ」  キュルケがそっと寄り添うように、コルベールの肩に手をかける。その隣で、タバサも静かに頷いた。 「わたしたちは、皆自分の意志でここに来た。だから、どんなことになっても自分の責任。誰かのせいにする権利も、その必要もない」 「そうですよ先生。サイトだってそう思っていたはずです」 「先生だけが気に病む必要はありませんよ」  ギーシュとモンモランシーも賛同する。口は挟まなかったが、ティファニアもまた同じ意見だった。 「それよりも」  と、全員の注意を向けさせるような強い声音で言ったのは、それまで沈黙を守っていたシエスタだった。 「早く、今後のことを話し合いましょう。時間がありませんわ」  シエスタらしからぬ強い口調にわずかな困惑を示しながらも、全員が丸く並べた椅子に座る。  コルベールは一つ咳払いをしてから、誰に言うでもなく問いかけた。 「ミス・ヴァリエールは」 「隣の部屋で、サイトと一緒に寝かせています。本当は遺体と一緒に床につかせるなどあってはならないことですが」  罰が悪そうに答えるギーシュに、コルベールは首を振った。 「いや、仕方があるまいよ、あの状態ではな。見張りは」 「窓の外にはシルフィード、扉の外にはフレイムがそれぞれ待機していますから、異常があればすぐに分かります」 「ありがとう、ミス・ツェルプストー。では、今夜は心配ないということだな」 「ええ。あくまでも、今夜のところは、ですけれど」  キュルケの言葉に、全員の顔が暗くなる。

598 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:38:40 ID:PCTkWB/9

 ルイズの精神が危ういところまで追い詰められているのは、昼間の一件でも証明済みである。  あのままでは才人の死体を埋葬することなど、絶対に承知しないだろう。  才人の亡骸には固定化の魔法をかけてあるから腐敗の心配はないが、いつまでも埋葬しないでおくことも出来ない。  ルイズを一生死体と共に生活させる訳にはいかないのだ。  しかし、今才人の亡骸をルイズから引き離すのは危険だった。具体的にどういうことが起きるのか、予想もつかない。  かと言って、このままの状態を続けさせるのもやはり危険である。ルイズはあれ以来ほとんど何も食べていない。  このままでは、自殺などする必要もなく、弱りきって死んでしまうだろう。  何とかしてルイズに才人の死を受け入れさせ、彼女自身の手で才人を葬らせなければならない。  せめてその段階まで持っていかなければ、とてもルイズを元気付けることなど不可能なのだ。 「そんなこと、出来るのかしら」  モンモランシーが全員の気持ちを代弁した。答えられる者はいない。 「愛情が深すぎたのね」  ため息を吐くように、キュルケが言った。 「でも、それは悪いことじゃない」  反論したのはタバサだった。キュルケは悲しげに微笑み返す。 「そうね。その通りだわ。でも、だからと言ってルイズをサイトのところへ行かせてあげることもできないでしょう」 「ええ、それだけは絶対に許しません」  強い口調で答えたのは、タバサではなくシエスタだった。全員の視線が彼女に集まる。  シエスタはそれを確認するように一拍の間を置いてから、ちらりとティファニアの顔を見たあとでおもむろに話し出した。 「わたしに、考えがあります。多分、これだけが、ミス・ヴァリエールを生かす唯一の方法です。聞いていただけますね」  反論はない。全員が固唾を飲んで見守る中、シエスタは鋼のように硬い声で言った。 「ミス・ヴァリエールには、サイトさんが死んだことを忘れていただきます」  ティファニアとシエスタを除く全員の目が、驚きに見開かれる。  真っ先に反論したのはタバサだった。音を立てて椅子から立ち上がりながら、「そんなこと」と言いかける。  それを手で制したのはキュルケだった。 「待って。詳しく話してもらえるかしら」  静かに問いかけるキュルケに応じて、シエスタが無言で頷いた。  タバサも噛み付くようにシエスタを睨みつけながら椅子に座りなおす。  場が静かになった。シエスタはおもむろにティファニアの方を見る。自然と、ティファニアに視線が集まった。

599 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:39:15 ID:PCTkWB/9

 これから話す企てへの反応を予想すると緊張で胸が締め付けられるように痛むが、ティファニアは数度深く呼吸を して覚悟を決め、喋り出した。 「わたしの『虚無』が記憶を操るものであることは、皆さんご存知だと思います」  全員が無言で頷く。タバサは敵意を隠すつもりもないようで、じっとこちらを睨んでいる。  だが、一応全て聞くつもりはあるようだったので、ティファニアもほっとしながら話を続けることができた。 「この魔法を使ってルイズさんからサイトの死に関する記憶を奪い、その上でルイズさんが眠っている間にサイトの  体を隠して、見つからないようにしておきます。まずはこうすることによってルイズさんが自殺するのを防ぎます。  そうしてから、サイトがいない理由を何とかしてルイズさんに納得させます。これに関してはシエスタさんが何と  かしてくださるそうです。後はわたしたちがサイトが死んでいることを隠し通すことが出来れば、ルイズさんがサ  イトの後を追って死んでしまうことはなくなるでしょう」  そこで、不意にコルベールが手を挙げた。 「この案を採用するかどうかはひとまず脇に置くとして、一つ質問があるのだが」 「なんでしょう」 「ミス・ヴァリエールからサイト君の死に関する記憶を奪うと言ったが、サイト君そのものの記憶を奪うことは出来  ないのかね。どちらにしても非人道的なのだし、実行するならばそうした方が確実性が高いと思うが」  もちろん、あくまでも実行するならばの話だが、とコルベールは念を押すように付け加えた。  彼としても、こうした手段が好ましいとは思っていないらしい。  問いに対して、ティファニアは首を横に振った。 「サイトの存在は、ルイズさんの人生に影響を及ぼしすぎているんです。ですから、存在そのものの記憶を消すとな  るといろいろな部分で記憶の不整合が起きて、その分危険も増すことになります」 「記憶の不整合、というと、つまりどういうことなんだね」  ギーシュが眉根を寄せて問う。ティファニアは、たとえば、と前置きして答えた。 「ルイズさんは、以前にも同じように後追い自殺をしようとしたことがあると聞いていますけど、その原因は何だっ  たでしょう」 「それはもちろん、サイトが死んだことだろうね。もっとも、そのときは今回と違って勘違いだったが」 「そうです。逆に言えば、もしもヒラガサイトという人間がルイズさんの記憶に存在しなければ、自殺しようと考え  ることはなかった訳です」 「それはまあ、そうだな」 「ところが、現実にはルイズさんは『自分は自殺しようとしたことがある』という記憶を持っています。この状態で  サイトの存在を記憶から消してしまうと、『何故自分は自殺しようとしたのか』という問いに答えられなくなって  しまいますね。自殺しようとまで思いつめるほどのことなんて、そうはありません。もちろん、サイト以外のもの  に原因を置き換えられるのならば問題はありませんが、ルイズさんの場合そこまで深刻に悩んでいたことはおそら  くないでしょう。そうすると、自分の記憶が抜け落ちていることにルイズさん自身が気付いてしまう訳です」 「気付いてしまうと、どうなるんだね」

600 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:39:45 ID:PCTkWB/9

「分かりません。記憶を取り戻してしまうか、最悪の場合精神に異常をきたす可能性もあるかもしれません。わたし  自身、今までこの魔法を使って消した記憶は、記憶を消された本人にとってもさして重要でないものばかりでした  から。そういう場合は簡単に記憶のすり替えができるんです。たとえば、わたしが住んでいた村を襲いに来た人た  ちから記憶を消したあと、『自分は何故ここにいるのだろう』とぼんやりしている人たちに向かって、『あなたた  ちは街道に戻ろうとしていたんです』と言ってあげれば、その人たちは『ああそうだったか』と納得する訳です。  これは前後の記憶と比較しても大しておかしなことではありませんから、その後も『自分たちは本当に街道に戻ろ  うとしていたんだったか』と疑問に思うことはない訳です。だけど、ルイズさんの場合、そう簡単にはいきませんね」 「つまり、『もしもヒラガサイトがいなかったら』と仮定した場合、彼女の記憶にはいくつもの矛盾点が生まれるこ  とになる、という訳か。そして、それら全てを修正することは到底不可能である、と」 「そういうことです」  得心した様子のコルベールの問いかけに頷くと、他の面々もそれぞれに納得した様子を見せた。 「確かにな。サイトがいなければ、ルイズも僕らとここまで親しくはなっていないだろうし」 「アルビオンに行ったりガリアに潜入したり、女王陛下に喧嘩売ったりっていうこともまずあり得ないって訳ね」  頷きあうギーシュとモンモランシーを横目に、キュルケが眉をひそめた。 「待って。それじゃ、サイトの死に関する記憶だけを奪うにしても同じことになるんじゃないの。『何故わたしは湖  に行こうとしていたのか』って問いかけには答えられないでしょう」 「確かにその通りだな」  その辺りについてはどうなんだ、と問うように、ギーシュが視線を寄越す。  ティファニアはどう言ったものかと悩みながら答えた。 「何と言っていいのか分からないんですけれど、それも今だったら何とかできるかもしれないんです」 「と言うと」 「サイトの存在を記憶から消す、となると、ルイズさんがサイトと出会って以降の記憶が全て影響を受けることにな  りますよね。この場合、修正を加えなければならない記憶の数は膨大なものになります。たとえば、何故使い魔と  の契約の儀式を終えたはずなのにルイズさんには使い魔がいないのか、ということに始まって、その後の生活で印  象に残っている、サイトに関係のある記憶全てについて、何か他のもので補わなければならなくなります。その数  がどのぐらいになるのかなんて、検討もつきません。おそらく、実際に実行するのは不可能でしょう。でも、ここ  数日間、というよりも、サイトが死んだあの日以降の記憶だけを消すことにするなら、まだ修正する範囲は少なく  て済むんです。あの日の朝出発したわたしたちは、特に何の問題もなく聖地の探索を終えて戻ってきた。そういう  風に記憶を変換することだったら、多分、できると思います」 「確かに、サイトの存在そのものを記憶から消してしまうよりはずっと成功率が高い、か。  でも、本当にここ数日の記憶を他のものに置き換えることなど出来るものなのかね」  ギーシュが難しそうな顔で聞いてくる。ティファニアは首を横に振った。 「断言は出来ません。わたしも、ここまで多くの記憶を消そうとしたことはありませんから。シエスタさんはいい方  法があると仰っていますけど」 「大丈夫です。必ず、成し遂げてみせます」  それまで黙っていたシエスタが、強い声で断言する。 「ミス・ヴァリエールは絶対に死なせません。絶対にです」  その声音のあまりの力強さに気圧されたかのように、その場の全員が黙り込む。

601 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:41:01 ID:PCTkWB/9

 しばらくして、コルベールが咳払いしながら周囲に問いかけた。 「さて、どうしようか。彼女らの案を実行に移すか否か、ということだが」 「絶対に駄目」  真っ先に答えたのは、やはりタバサだった。斬りつけるように鋭い視線をシエスタだけに向けて、断言する。  どうやら、彼女はこの案の発案者がシエスタだと見切りをつけたらしい。拳を握り締め、瞳に怒りを滾らせながら叫ぶ。 「誰かの記憶を他人の思うままに操るなんて、どんな理屈があったって絶対に許されることじゃない。そんなことは  絶対に許せない」 「じゃあ、他に何かいい方法があるんですか」  シエスタの問いかけに、タバサは口を噤んだ。数瞬迷いながらも、首を振って再度叫ぶ。 「それはこれから考えればいい。記憶を奪うことだけは絶対に」  そのとき、静かな声が割って入った。 「わたしはシエスタに賛成だわ」  キュルケだった。タバサが驚いた様子で振り返る。他のメンバーも、意外そうな表情でキュルケを見た。  皆の視線を集めたキュルケは、主にタバサを見つめ返しながら、淡々とした口調で言った。 「もちろん、わたしだってそんな汚い真似は反吐が出るぐらい嫌いだし、自分がそんなことされたらどんな理由があ  ったって絶対に許せないと思うわ。でも」  と、途中で言葉を切り、唇を噛んだ。声に出ないよう抑えてはいるものの、彼女も心の中でずいぶんと葛藤してい るらしかった。  そうして数秒ほど黙ったあと、キュルケは深く息を吐いて続けた。 「でも、今回ばかりはね。あの子は弱すぎるわ。いえ、弱いという言い方は正しくないのかもしれないけど。何にし  ても、あの子がサイトの死を乗り越えられるとはとても思えないのよ。その上、あの子自身サイトの死は自分のせ  いだと思い込んでるようだから。そんな状態じゃ、サイトの代わりを見つけたり、彼の死を抱えたまま生きていく  ことなんて出来ないでしょうね。そんな風に器用に割り切れる子じゃないのよ。それは決して悪いことではないけ  れど、このまま生きていくには致命的な欠点だわ。タバサ、あなただって本当は分かっているんでしょう。このま  までは、ルイズが生きる意志を取り戻すことなんて絶対にあり得ないということぐらい」 「同感だな。サイトの代わりになるものが、この世に存在するとはとても思えない」 「新しい何かと取り替えられるようなものじゃないものね、ルイズにとってのサイトは」  沈んだ声で、ギーシュとモンモランシーが同意する。  コルベールもまた反論する材料を見出せずにいるらしく、苦しげに顔を歪めながら黙り込んでいる。  戸惑うように彼らを見回しながら、タバサは激しく首を振った。 「だからって、記憶を消してしまうなんて。心を歪めてまで生きることに、何の意味が」

602 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/17(土) 22:41:35 ID:PCTkWB/9

「では、ミス・ヴァリエールが死ぬ方がいいと仰るんですね」  食い下がろうとするタバサの声を切り捨てるように、シエスタが鋭く問いかける。  タバサは目を見開き、「それは」と何かを言いかけて、結局何も言えずに口を噤んでしまった。  苦しげに顔を歪めるタバサをじっと見つめながら、シエスタはその場の全員に言い聞かせるような口調で言った。 「わたしたちに出来ることは二つだけです。ミス・ヴァリエールからサイトさんの死に関する記憶を奪い、この後も  幸せに生きて頂くか。それとも、ミス・ヴァリエールが自らの命を絶つなり、あるいは衰弱して死んでしまうのを  ただ見守るか。皆さんは、どちらの道をお選びになりますか」  中間の存在しない、両極端な二択が突きつけられた。だが、答えは初めから決まっているようなものだ。  後者を選べる人間など、この場にいるはずがない。  しかし、前者が正しいと断言できる人間もやはりいない。それぞれの顔がそれぞれの苦悩で歪んでいる。  それでも、やはり選べる道は一つしかない。だから、結局は誰も何も言わなかった。  タバサは最後まで反論の糸口を探しているようだったが、見つからなかったらしい。  やがて肩を震わせながら俯き、悔しそうに唇を噛んで押し黙ってしまった。 「納得していただけたようですね」  冷徹に感じられるほどに平坦な声で言いながら、シエスタが針のように細い目で場を睥睨する。  以前のシエスタからは想像も出来ないほどに冷たいその視線に、ティファニアの背筋が大きく震えた。 「あなたは」  出し抜けに、タバサが震える声で叫んだ。たまりにたまった激情を一息で叩きつけるような声音だった。 「サイトが最後に案じたのがルイズだったから、それを妬んでこんなことを」  シエスタの内心を見透かしたかのような言葉。それがおそらく真実であろうことを、ティファニアは一瞬で悟る。  しかしシエスタは微塵も動じる様子を見せず、それどころかタバサの強い視線を静かに、傲然と受け止めた。 「だとしたら、何ですか」  何かを言いかけたタバサが、何を言っても無駄と判断したのか、再び唇を噛んで押し黙る。  悔しさによるものか、彼女の瞳からは涙が溢れ、細い体は小さく震えていた。  傍らに立ったキュルケがタバサの肩にそっと手を添えるのを冷めた瞳で見つめながら、シエスタがやはり淡々とし た口調で言った。 「時間がありません。すぐに具体的な計画を話し合うことにしましょう」  極めて速やかに、無駄なく話を進め出すシエスタの声に混じって、タバサの小さな嗚咽が弱弱しく響き始めた。

25 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:14:52 ID:VoyBM42P

 かすかな寝息を立てるルイズを、雲間から静かに注ぐ月明かりが薄らと包み込んでいる。  蒼ざめた光は痩せこけた頬により深い影を落とし、彼女の死が迫りつつあることを告げているよう でもあった。  にも関わらず、ルイズの寝顔は無垢な赤子のように穏やかで、安らぎに満ちている。  まるで死を受け入れたかのようなその姿を間近で見て、ティファニアは小さく身震いした。 「ティファニアさん」  呼びかけに振り返れば、部屋の戸口にシエスタの姿がある。 「時間がありません」  淡白な声に押されるように、ティファニアは再び前方の寝台に向き直る。  狭い寝台には、二人の人間が寄り添うようにして横たわっている。  いや、二人の人間という表現は正しくないかもしれない。そのうちの一人は、もう物言わぬ亡骸と 成り果てているのだから。 (サイト)  心の中で彼の名を呼びながら、ティファニアは痛む胸を軽く押さえた。  才人の死体はモンモランシーの手で完全に修復され、いつもの服を身にまとって横たわっている。  顔は青白さを除けば至って平静であり、今目の前で呻きながら起き出してきても何の不思議もない ほどであった。  だが、それは実際にはあり得ないことだ。彼は間違いなく死んでいるのだから。  ここにあるのは修復された上で腐敗しないように魔法で処理がかけられた平賀才人の死体なのだ。  その隣で、ルイズは才人の首にしがみつくようにして眠っている。  彼女にしても全身から死の臭いを感じ取れるような状態で、胸がかすかに上下していなければ二つ の死体が抱き合って眠っていると勘違いしてもおかしくないほどだ。  ティファニアは小さく息を吸った。じっとりと滲む汗で服が体に張り付き、こらえようもないほど の不快感がこみ上げてくる。  しかし、これから自分が成そうとしている行為から考えれば、その感情とて単なる入り口に過ぎな いはずであった。 「何をしているんですか。早く」  背後から、シエスタが静かに急かしてくる。  ティファニアは目を閉じて一瞬だけ闇の中に逃避した後、覚悟を決めて杖を取り出した。  いっそ呪文自体を忘れてしまっていればと願ったが、皮肉にもルイズの記憶を消すための呪文は今 までにないぐらいはっきりと頭の中に浮かんでいた。  ティファニアはゆっくりと杖を振り上げ、詠唱を始めた。緊張によるものか恐怖によるものか、声 が震えているのが自分でも分かった。  いつもよりも必要とする詠唱が長い。どうやら、奪う記憶の量によって呪文の長さも変わってくる ようだった。  長い長い詠唱を、ティファニアは震える声で淀みなく紡ぎ出していく。いっそ途中で駄目になって くれと願いながら。  それでも呪文は途切れず、ティファニアの願いとは裏腹に呪文は完成した。後はルイズに向けて杖 を振り下ろし、魔法を解き放つだけだ。

26 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:15:33 ID:VoyBM42P

 ティファニアは、身じろぎもせずにルイズを見た。  自身の荒い呼吸が耳障りなほどに大きく感じる。心の中でいくつもの疑問と問いが渦を巻き始めた。 シエスタが突きつけた二択が頭に浮かぶ。正しい道と共にルイズの死を見過ごすか、間違った道と引 き換えにルイズの生を取り戻すか。  ティファニアはこのときになってようやく、自分が未だこの問いかけに対する答えを選択しきれて いないことに気がついた。 (ここまで来ておいて、何を今更)  だが、今ならばまだ引き返せるというのも、やはり事実だった。  記憶を消す魔法は知っていても、消した記憶を再び蘇らせる魔法は知らないのだから。 「何をしているんですか、早く」  急かすシエスタの声にも少しずつ焦りが混じり始めた。  それでもティファニアは動かない。問いに対する答えがどうしても出せない。  生か死か。現実か理想か。逃避か受容か。  どちらを選ぶべきなのか、決定的な要素が胸の中に存在しないのだ。これではどちらも選べない。  嵐のように胸の中で荒れ狂う問いと答えにティファニアの精神が限界を迎えようとしたそのとき、 変化は唐突に訪れた。  寝台の中のルイズが、眠ったまま喜びに満ちた笑みを浮かべたのである。 「ああ、サイト、迎えに来てくれたのね」  ティファニアはほとんど反射的に杖を振り下ろしていた。  小さく叫び声を上げたときには、もう遅かった。解き放たれた魔法が、寝台の周囲の闇を歪めている。  その光景を呆然と見守るティファニアの前で、闇はゆっくりと己の形を取り戻し、部屋の中に再び 静寂が戻ってきた。  見た目には、何ら変化はない。相変わらず才人の死体は物を言わず、ルイズも先ほどの笑みを浮か べたまま眠りこけている。  果たして本当にルイズが記憶を失ったのかどうか。それは、彼女が目を覚ましてみなければ分からない。 「皆さん、お願いします」  背後から、シエスタが廊下に向かって呼びかけるのが聞こえてきた。それに応じて、ギーシュとコ ルベールが忍び足で部屋の中に入ってくる。  彼らはシエスタと頷きあったあとでゆっくりと寝台に近寄り、才人の亡骸を慎重にルイズから引き離した。  抵抗は、ない。才人の体はするりとルイズの手を離れ、ギーシュとコルベールによって持ち上げられた。  彼らはそのまま無言で部屋から出ていき、才人の亡骸は何の問題もなく運び去られた。  そのわずかな時間の間ルイズは全く反応せずに、健やかに眠りこけていた。その事実がかえって薄 ら寒く感じられて、ティファニアは体を震わせた。

27 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:16:26 ID:VoyBM42P

「さあ、早く次の仕事に取り掛かりましょう」  シエスタが純白の婚礼衣装を持って、ルイズの眠る寝台に近づいた。  ティファニアもそれに従い、眠るルイズの腋の下に腕を入れて、彼女の小柄な体を持ち上げる。  ルイズの体は予想以上に軽く、それ故にティファニアの細腕でも何とか持ち上げることができた。  顔を上げると、無表情のシエスタと目が合った。彼女と一つ頷き合って、次の仕事に移る。  シエスタは手早くルイズの服を脱がせ、純白の婚礼衣装に着せ替えた。  ティファニアはシエスタが作業をしやすいように、ルイズの体の向きを変えたりさらに持ち上げたりする。  その間ルイズはずっと眠ったままで、起き出す気配は全くなかった。よほど深く眠り込んでいるのだろう。 (疲れていたから、だけじゃないよね)  おそらく頭から心配事が消えてしまったせいだろう、とティファニアは思った。  そうでなければ、ルイズはとっくに起き出して大騒ぎしているはずである。  だが、実際は服を着せ替えられているというのに眠り込んだままだ。  結局、問題など何一つ起きないまま、作業は完了した。  ルイズは清楚な純白の婚礼衣装に身を包み、シエスタが整え直した寝台にひっそりと横たわっている。  あとは彼女が起き出すのを待ち、自分たちがうまくやるだけだ。  ティファニアが大きく息を吐き出したとき、不意に遠くの方から音が聞こえてきた。  それはたくさんの木々が同時に揺れ動く音であり、寝ていた鳥の群が何かに驚いて目を覚まし、一 斉に飛び立つ音でもあった。 (コルベールさんたちが出発したんだわ。サイトの遺体と一緒に)  ティファニアは窓辺によって目を細めた。ここからでは、昇りかけた朝日にぼんやりと浮かび上が る木々の姿が見えるだけで、飛び立つ船の姿は確認できない。  サイトの死を知らせる船は、西の地でも幾人かの人々に大きな悲しみをもたらすことだろう。それ を思うと胸が痛む。  しかし、沈んでいる暇もないのが現実である。ティファニアは振り返った。  寝台のそばの椅子に座ったシエスタが、眠り続けるルイズの顔をじっと見つめている。  ティファニアは寝台を挟んでちょうど向かい側となる場所に椅子を置き、それに座ってシエスタと 向き合った。  ルイズ同様、もしかしたらそれ以上に疲労の影が濃いシエスタの顔には、やはり何の表情も浮かんでいない。  ただひたすら、静かにルイズの目覚めを待っているようだ。  本当はいろいろと問いかけてみたいことがあったが、今のシエスタはそれを許さない雰囲気を身に 纏っていて、話しかけるのは躊躇われた。  そうしてお互いに何も話さないまま、ただ時間だけが過ぎ去っていく。  その間にも、ティファニアの頭の中で様々な疑問が浮かんでは消えていった。  本当に魔法は成功したのだろうか。ルイズは才人の死を忘れ去ってしまったのだろうか。  果たして自分がどちらの結果を望んでいるのだろう。忘れていてほしいのか、覚えていてほしいのか。  どの問いにも、やはり答えは出ない。ティファニアはため息を吐いて、ふと顔を上げた。

28 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:17:01 ID:VoyBM42P

 家の中は静まり返っていた。モンモランシーは目覚めた後のルイズの体力回復を手助けするために 自室で薬を作ると言っていたし、キュルケはコルベールら帰還メンバーの見送りをすると言っていた。 この部屋に来ない辺り、まだ見送りから戻ってきていないのだろう。  最後までこの計画に反対していたタバサは、あれ以来部屋に篭りきりで、一度も顔を見せていない。 (寂しくなってしまったわね、ここも)  胸に穴が開いたような寂寥感があった。 (サイトが死んでしまったからなのね。たくさんのものが悲しみの渦に巻き込まれて、歪にひしゃげ  ていくみたい)  改めて、寝台の向こうのシエスタを見やる。相変わらず、静かな表情でルイズの寝顔を見つめていた。  だが、伏目がちの目蓋の下から覗く黒い瞳は、薄暗く底光りしているようだった。 (こんな顔をする人だったかしら)  ティファニアの知るシエスタは、穏やかで献身的な少女だった。ルイズと才人の奪い合いになって 喧嘩することこそあったものの、それ以外では他人を傷つけるようなことは絶対にしない、性根の優 しい人間だったはずである。少なくとも、ティファニアはそう思っていた。  しかし、今のシエスタにはその面影はない。  己の目標を達成するためならば他人の気持ちなど微塵も考えない様は、以前の彼女とはまるで間逆 の人間に変貌してしまったかのようですらある。  そのとき、何の前触れもなくシエスタが顔を上げて、目線を合わせてきた。  ティファニアは突然のことに驚き、固まってしまう。しかしシエスタは眉一つ動かさなかった。 「ティファニアさん。この後のこと、大丈夫ですね」  確認するような声と共に、冷たい視線を押し込んでくる。ティファニアは気圧されながらも何とか 頷き返した。  シエスタが眠るルイズに視線を戻す。つられるように、ティファニアもルイズを見た。  弱弱しい朝日の中、穏やかな寝顔は魔法をかける前と変わらず痩せこけてはいたものの、そこには 確かな生の気配がある。昨日、降りしきる雨の中で才人の亡骸に語りかけていたルイズの姿と比べる と、いっそ健康的ですらあった。  おそらく、魔法は成功したのだ。その結果が、このルイズの姿なのだろう。  そのとき、不意にルイズが顔をしかめて低く呻いた。  ティファニアは目を見開き、慌ててシエスタを見る。彼女は冷静に頷き返してきた。ついに、目覚 めのときがやってきたのだ。  緊張と冷静。それぞれの表情で見守る二人の前で、ルイズはゆっくりと目を開けた。

29 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:17:32 ID:VoyBM42P

 起き抜けのために頭が覚醒しきらないらしい。薄目を開けたまましばらくぼんやりしていたが、や がて大きな欠伸を一つして、気だるげに聞いてきた。 「どうしたのテファ、そんな難しい顔して。何かあったの」  のんびりとした口調からは、昨日のような狂気じみた悲しみの気配など微塵も感じられない。  固唾を呑んで見守るティファニアの前で、ルイズは眠たげな半眼のまま周囲を見回し、ティファニ アと同じように自分を見ているシエスタを発見した。 「シエスタまで。なに、いったいどうしたのよ。まだ起こしにくるような時間じゃないでしょう」  窓から差し込む弱々しい朝日に顔をしかめながら、ルイズが再び大きく欠伸をする。 「なんかすっごい疲れてんのよね、わたし。よく分かんないんだけど。何があったか知らないけど、  もうちょっと寝かしておいてくれない。話なら後で聞くから。じゃ、お休み」  のん気な声で挨拶して、ルイズは再びベッドに潜り込もうとする。  一連の動作を見て、ティファニアは確信した。間違いなく、ルイズは才人の死に関する記憶を失っている。  ティファニアがほっと息を吐いたとき、シエスタがおもむろにルイズに声をかけた。 「サイトさんがいなくなりました」  ティファニアは目を見開いた。ともすれば才人の死を喚起しかねない言葉をかけるなど、シエスタ は何を考えているのか。  しかし、口から出てしまったものを消すことはできない。案の定、ルイズは先ほどまでの寝惚け振 りが嘘だったかのような勢いで跳ね起きた。 「何ですって。ちょっと、どういうことよそれ」 「言葉の通りですよ。サイトさんが、いなくなっちゃったんです」  ティファニアが割って入る暇を与えないほどに、シエスタは淡々と答えを返す。  その言葉を聞いたルイズはしばらくの間衝撃を受けた様子で固まっていたが、やがて何かに気付い たように眉をひそめた。 「っていうか、あれ。ちょっと待って」 「どうしたんですか、ミス・ヴァリエール」  穏やかに微笑んで問いかけるシエスタに、ルイズは右手の平を向けた。 「なんか、頭が混乱してるっていうか。ちょっと、事態がよく飲み込めないんだけど」 「ですから、サイトさんが」 「いや、そうじゃなくて。おかしいわね」  苦しげに呟きながら、顔をしかめたルイズが痛みを押さえるように頭に左手をやる。 「なにかしら。変な感じがするのよ」 「変な感じと仰いますと」 「そんなの、言葉に出来るわけないでしょ。とにかく、変な感じ。なにこれ、なんなのよ、もう」  ルイズは癇癪を起こしたように激しく頭を振る。シエスタはそんなルイズをなだめるように、そっ と背中に手を添えた。 「どうしたんですか、ミス・ヴァリエール。何がそんなにおかしいんです」 「だから言葉じゃどうとも」  苛立たしげに答えかけたルイズは、ふと何か思いついた様子で、シエスタに訊いた。 「ねえ、今日って何日」 「今日ですか。今日は」  シエスタの答えを聞いたルイズが、目を見開く。それから、引きつった笑いを浮かべて首を傾げた。 「おかしいわね。わたし、ここ三日ぐらいの記憶が全然ないみたいなんだけど」

30 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:18:01 ID:VoyBM42P

 その言葉を聞いたとき、ティファニアの鼓動が一つ跳ね上がった。  記憶がなくなっているという事実から、ルイズがティファニアの魔法に思い至るのではないかと危 惧したのだ。  だが、悩むルイズが何らかの答えを出す前に、シエスタが驚いたように叫んだので、その危険は一 時的とは言え回避された。 「まあミス・ヴァリエールったら、まさか昨日のこと覚えていらっしゃらないんですか」 「昨日?」  ルイズの眉間に皺が寄る。今のシエスタの発言にしても、ティファニアにとっては十分に危険な発 言に思えた。  もしもルイズが昨日自分が自殺しかけたことを思い出してしまったら、と気が気ではない。  だがルイズは結局何も思い出せなかったようで、降参するように深くため息を吐いた。 「駄目だわ。全然思い出せない。どうしちゃったのかしらわたし」 「ミス・ヴァリエール」  突然シエスタの声が硬くなった。そのあまりに唐突な変化に、ルイズが驚いたようにシエスタを見る。  驚いているのはティファニアも同様で、事情を知っているというのにシエスタが何を狙っているの か少しも見当がつかない。  シエスタは俯き、肩を震わせていた。前髪で隠れているために表情はよく見えないが、唇を噛んで いる様はいかにも怒りを堪えかねている様子である。  ルイズは困惑しきった様子だったが、やがて持ち前の強気さが頭をもたげてきたようだ。 「何なのよ一体。昨日わたしがなんかしたって言うの。怒らないからはっきり言ってみなさいよ」  眉を吊り上げ、明らかに怒っている様子で怒鳴りつける。しかし、シエスタはそれ以上の勢いで怒 鳴り返してきた。 「なんかした? なんかしたって仰いましたか今。あれだけのことをしでかしておいて、なんかした  ですって。呆れました。前から愚かな人愚かな人と思ってはいましたけど、まさかここまでだった  なんて」  シエスタはため息混じりに首を振る。ルイズは顔を引きつらせた。 「あんた、誰に向かってそんな」 「もちろんあなたですわミス・ヴァリエール。今のあなたを見たら誰もが言うでしょうよ。ルイズ・  ド・ラ・ヴァリエールは世界で一番愚かな女だってね」  怒りに震えながらもこの上なく冷淡という矛盾したその声音に対して、ルイズは実に分かりやすい 反応を見せた。  歪んだ顔を真っ赤に染めて、歯を剥きながらシエスタよりも大きな声で怒鳴り返す。 「頭にきた。いろんな部分が気に入らない女だと思ってたけど、今度という今度は本気で堪忍袋の尾  が切れたわ」 「それはこっちの台詞です。わたしの目の前であんなことをしておきながら、よくも抜け抜けと忘れ  ただなんて」 「実際思い出せないんだから仕方がないでしょうが。いったいわたしが何をしたって言うのよ。聞い  てあげるから言ってごらんなさいよ」  ルイズは挑発的な声を叩きつけて、鼻息を荒く寝台の上でふんぞり返る。  何がどうなってこんなことになっているのか理解できないティファニアの前で、二人は怒り心頭で にらみ合っている。

31 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:19:26 ID:VoyBM42P

 だが、その状態も長くは続かなかった。やがて、眉を吊り上げてルイズを睨みつけるシエスタの瞳 から、一筋の涙が零れ落ちたのである。  これには怒り心頭だったルイズも驚かされたようで、慌ててシエスタに声をかけた。 「どうしたのよ、何でいきなり泣き出すわけ」 「ひどいです、ミス・ヴァリエール」  シエスタは俯いてしゃくり上げ始めた。零れ落ちた涙が木の床に跳ね返って鈍い音を立てる。  顔を覆って泣き続けるシエスタを前にして、寝台の上のルイズは呆然としていた。ティファニアも 同様である。  そんな二人の前で、シエスタはやがて顔を上げた。鼻を啜り上げながら、涙に濡れて赤くなった目 で恨めしげにルイズを睨む。 「どうしてそんなひどいことが言えるんですか。わたしが今どんな気持ちでいるか、分かってやって  るんですか。ええきっとそうなんでしょうね、さぞかし楽しいでしょうね、こんな惨めな女を弄ぶ  のは。いっそ声を上げてお笑いになったらいかがですか。わたしとしてもそんな風に扱われた方が  かえって気が楽です。さ、どうぞお笑いください。何なら道化のように踊ってみせましょうか」  地獄の底から響いてくるような暗澹とした恨み言は、ルイズの気勢を削ぐには十分な効果を発揮し たらしい。  ルイズは気味悪げにシエスタを眺めながら、ティファニアに助けを求めてきた。 「ねえ、なんでわたし悪役にされてるの。なんかもう、いろいろと訳が分かんないんだけど」 「それはその、わたしからはなんとも」  ティファニアは迷った挙句に結局そう返してお茶を濁した。下手に「分かりません」ということは 出来なかった。  シエスタの考えは分からないが、おそらくこれもルイズの記憶を塗り替えるための準備なのだろう。  後から矛盾が生まれるような言動は極力慎むべきだ。ティファニアはそう判断した。  ティファニアから答えが得られないことを判断したらしく、ルイズは諦めたように深々とため息を 吐いた。 「本当にもう。一体全体どういうことなのよ。昨日のことは思い出せないしなんか体はだるいしよく  分かんないことで責められるし。そろそろちゃんとした説明が欲しいところなんだけど。それとも  なに、皆してわたしをからかってるわけ。窓の外でにやにやしてるサイトとかギーシュとかが『と、  ここでネタばらし』とか笑いながら入ってくるんじゃないでしょうね」  不満げに呟くルイズの声を、シエスタは涙に歪んだ顔で黙って聞いていたが、やがて我慢できなく なったように叫んだ。 「もういい加減にしてください。どうしてこんなひどいことをなさるんですか。哀れな女を嬲って気  晴らしなんかするまでもなく、あなたはもう十分幸せでしょうに」 「だから、訳が分かんないって何度も何度も言ってるでしょうが。はっきり言ってみなさいよ昨日わ  たしが何をしたのか」 「ええ、ええ、言ってあげますとも。あなたがどうしてもわたしの口から敗北宣言を聞きたいと仰る  のでしたら、何度だって言ってあげますわ」 「敗北宣言って、一体なんの」  眉をひそめるルイズの声を遮って、シエスタは家中に響く声で絶叫した。 「結婚したんでしょう、サイトさんと」

32 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:28:18 ID:VoyBM42P

 一瞬にして場が静まり返った。絶叫を叩きつけられたルイズ自身はもちろんのこと、ティファニア もまた目を瞬くばかりで何も言えない。  聞こえる音は木の葉のざわめきと雨垂れが地面に落ちる音とシエスタの荒い呼吸のみである。  その奇妙な静寂の中、ルイズは目を丸くして硬直していた。肩で息をするシエスタを呆然とした様 子で見つめて数十秒間も黙り込んだ後、 「は」  と、間抜けに口を開く。その反応に、シエスタはまた眉を吊り上げた。 「なんですか陸に打ち上げられた魚みたいな顔して」 「え、いや、ええと、ちょっと待って」  ルイズは理解が追いつかない様子で数度も頭を振ったあとで、まじまじとシエスタを見つめた。 「もう一回言ってくれない」 「なんてひどい。二度もわたしに敗北宣言を」 「違うってば。いや、何が違うんだかもよく分からないんだけど。誰と誰が、なにをしたって?」  そのときになってようやく気付いたとでも言うかのように、シエスタは怪訝そうにルイズを見つめ返した。  そして、躊躇うような口調で問う。 「もしかして、本当に覚えてないんですか。ミス・ヴァリエール」 「何度も何度もそう言ってるじゃないの」 「だって、そんな。あんなこと忘れるだなんて。どう考えてもおかしいじゃないですか」 「そりゃわたしだっておかしいとは思うけど、実際に覚えていないものは」  うんざりした様子で言いかけたルイズは、そこで不意に言葉を切った。  頭の奥に痛みを感じたかのように、右目をぎゅっと瞑って頭を押さえる。 「待って。そう言えば、何か、あったような」  苦しげに呟きながら、寝台の上で身を丸める。ティファニアは一瞬シエスタと視線を交し合った。 何か、よくないことが起きようとしている気がする。  二人の見守る前で、ルイズは苦しげな声を絞り出し始めた。 「何だっけ。サイトに関係のあることで、凄く大事なことが、あったような」  途切れ途切れの呟きを聞いたとき、ティファニアの体が大きく震えた。 (まさか、思い出しかけているの)  どうしたらいいのか、咄嗟には判断できなかった。ちらりとシエスタを見ると、彼女もまた手を出 しかねる様子で眉をひそめている。 「なんで。どうして思い出せないの」  ルイズの額に脂汗が浮き始めた。さすがにこのまま放っておくことはできないと判断したものか、 シエスタが口を開きかける。  だが、彼女が何かを言う前に、別の声が場に割って入った。それは完全に人を馬鹿にした高笑いだった。  振り向くといつの間にやら戸口にキュルケが立っていた。口元に手を添えて弾けるような高い笑い 声を上げている。

33 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:29:05 ID:VoyBM42P

「おはようルイズ。わたし、前々からあなたの頭の中身を疑ってたんだけど、どうやらそれは間違い  じゃなかったみたいね」 「どういう意味よ」  噛み付くような口調でルイズが聞き返す。どうやら興味がキュルケに引きつけられて、先ほど頭に 浮かんだ疑念が飛んでしまったようである。  キュルケは呆れ返った様子で肩を竦めると、シエスタを見てほんの少しだけ申し訳なさそうな笑み を浮かべてみせた。 「この子、本当に忘れてるみたいよ。まさかそこまで頭の中がすっからかんだとは思わなかったけど」 「だから、どういう意味かって聞いてんのよ」 「ルイズ、あなた頭蓋骨に穴が開いてるんじゃなくて。きっとそこからいろいろと大切なものが垂れ  流しになってるのよ。それにしても馬鹿な子ねえ。あれだけ大喜びしといて全部すっぱり忘れてる  んだもの。これじゃ旦那様が可哀想だわね」 「旦那様って、一体なんのことよ」  困惑して問うルイズに、キュルケはただため息を吐いた。再びシエスタを見て、首を傾げる。 「どうするの。わたしが説明した方がいいかしら。あなたの口からって言うのは、さすがに辛いでし  ょう」  シエスタは少しの間考え込む様子を見せたが、やがて覚悟を決めたような表情で一つ頷いた。 「いいえ、それはわたしの役目です。このどうしようもないお馬鹿さんがもう二度と忘れないように、  昨日のことを嫌というほど思い出させてあげますから」 「あらあら。進んで針の莚に座ろうって言うのね、あなた。ま、いいわ。好きになさいな。わたしは  ここで見物させてもらうから」  キュルケはそう言って、戸口の枠に背をつけて悠然と腕を組んだ。  その間にシエスタは椅子に座り直し、非難するような視線でじっとりとルイズを睨み出す。 「さて、それじゃ説明しますけど。ミス・ヴァリエール、本当に覚えていないんでしょうね」 「しつこいわねあんたも」 「だって、信じられないんですもの。あんなこと忘れるだなんて」 「そのことなんだけど」  ルイズは不意に薄らと頬を染めた。誰が聞いている訳でもないのに、耳打ちするように声を落とす。 「本当なの。わたしが、その、サイトと」  ルイズはそこで口ごもってしまう。シエスタは呆れた様子で首を振った。 「ここまで来るともう怒る気にもなりませんわね。分かりました。思い出させてあげましょう。とこ  ろで、今思い出せるのは何日前までですか」 「えっと。コルベール先生が聖地を見つけて、準備が終わり次第出発するって話になったのよね。  でもサイトったらなんかコソコソやってるだけで全然手伝わなくって。いい加減な奴よね、聖地に  行くのは半分あいつのためみたいなもんだってのに。結局出発の前の日になっても手伝わないもん  だから一発怒鳴りつけた後にイライラしたまんま布団に入って」  そこまで言ったあと、ルイズは難しい顔で数秒も唸ったあと、諦めたようにため息を吐いた。 「駄目だわ、ここから先はどうしても思い出せない」  ティファニアは内心胸を撫で下ろした。計画どおり、聖地に出発してからの記憶はルイズの頭の中 には残っていないらしい。  シエスタは何やら納得したように頷いて、ルイズに問いかけた。 「では、聖地の門を使えば元の世界に帰れるって分かったのに、それでもサイトさんが自分の世界に  帰らないと言い出したのも覚えていないんですね」  ルイズは目を見開いた。

34 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:30:22 ID:VoyBM42P 「あいつ、そんなこと言ったの。どうして」 「どうしてって、あのときもそう言いましたよねミス・ヴァリエール。それでサイトさんが答えたん  じゃないですか」 「なんて」 「『俺は元の世界よりも大切なものができた。だから帰るのは止めにして、ずっとこの世界で生きて  いくことにする』」 「なによ、大切なものって。自分の家に帰れるっていうのに、それ以上に大切なものなんてある訳が  ないでしょう」  苛立ち紛れの声を聞いたとき、ティファニアの胸が小さく痛んだ。  それは、もしもあんなことにならなければ、実際に聖地で交わされていたはずの会話なのだ。 「教えて、シエスタ。あいつ、なんでそんなことを言い出したの」 「ここまで聞いてもまだ分かりませんか、ミス・ヴァリエール」  シエスタは静かな瞳でルイズを見据えた。その視線に押されるかのように、ルイズは黙ってしまう。  落ち着かない様子で周囲に視線をさ迷わせながら、おそるおそる問い返す。 「だって、そんなの。信じられないわ」 「信じられなくたって、事実なんです。教えてあげましょうか、同じように問われたサイトさんが、  どう答えたのか」  ルイズは少しの間迷ったあと、決心したように頷いた。シエスタは一瞬目を閉じたあと、静かな口 調で言った。 「『お前だよ、ルイズ。お前と一緒に生きていたいから、俺はこの世界に残るんだ。この意味、分か  るよな』そう言ったんです、サイトさんは」 「それって、つまり」 「結婚してほしいってことですよ」  しばらくの間、部屋に静寂が満ちた。  ティファニアは胸が痛いほどに高鳴るのを自覚しながら、ルイズの言葉を待った。 (もしもこれで、ルイズさんが信じてくれなかったら)  ルイズは他の三人の視線を浴びながら、長いこと黙り込んでいた。  俯いていたために表情は見えなかったが、引き結ばれた唇が彼女の苦悩を伝えてきている。  やがて、ルイズは疲れたように大きく息を吐き出した。 「駄目だわ。どうしても思い出せない。そんなことがあったのなら、忘れるはずがないのに」  暗い声で呟いてから、ぎこちない笑みを浮かべてシエスタを見る。 「ねえ、本当なのそれ。やっぱり、皆でわたしのことからかってるんじゃ」 「ミス・ヴァリエール」  真剣な声音でシエスタが言うと、ルイズは怯えるように肩を震わせた。シエスタはそんなルイズの 手を取り、顔を寄せて囁いた。 「自信を持ってください。あなたはサイトさんに選ばれたんです。サイトさんは、元の世界とあなた  とを天秤にかけて、その結果あなたを選んだんです。それだけ、あなたを愛しているということで  すよ」 「でも」 「それとも、先ほどのわたしの涙が偽物だとでも仰るのですか。どうか、これ以上わたしの心を傷つ  けるのは止めてください。こうして恋に破れた瞬間のことを語るだけでも、わたしの胸は張り裂け  そうなほどに痛んでいるのですよ」 「だけど、わたし」  ルイズは自信なさげな声で呟き、恐る恐るティファニアの方を見てきた。 「本当ですよ。サイトは、元の世界に帰ることよりも、ルイズさんと一緒に生きていくことを選んだ  んです」  ティファニアは強く頷き、断言した。嘘ではなく本当のことだったから、揺るぎなく断言すること ができた。  だからこそ、悲しかった。今は、その真実ですらも嘘を構成する一要素に過ぎないのだから。  ルイズはキュルケの方も見たが、やはり彼女にもシエスタの言っていることが真実であると保証さ れて、再び黙り込んでしまった。

35 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:31:01 ID:VoyBM42P

「どうです、思い出せましたか」  問い詰めるような口調で、シエスタが問う。ルイズはまたしばらく無言を保っていたが、やがて自 信なさげな声で呟いた。 「そうだった、ような気もしてきた、けど」  ティファニアは目を見開いた。ルイズはまだ確信が持てないながらも、この嘘を信じ始めているの だ。驚くべきことだった。  シエスタはそんなルイズを見つめて優しげな微笑を浮かべ、励ますように囁いた。 「大丈夫ですよ。きっと、嬉しいことが続きすぎて混乱しているんです。記憶が曖昧なのも、そのせ  いですよ。実際、少しは思い出せたんでしょう」 「そんなにはっきりしたものじゃないわ。ただ、そうだったような気もしてきたってだけで」 「それが真実なんですよ。その証拠に、ほら。ご自分の着ている物をご覧なさいな」 「え」  ルイズは驚いた様子で自分の姿を見下ろした。 「これは、なに」  自分が見慣れぬ純白の服に身を包んでいることに初めて気付いたらしい。服を見下ろしたまま呆然 と呟いた。  シエスタはやはり優しい微笑を浮かべたまま、ルイズの婚礼衣装の裾をつまんでみせる。 「サイトさんがミス・ヴァリエールのために用意した、婚礼衣装ですよ」 「婚礼衣装って、それじゃ」  信じられない口調で叫びかけるルイズに、シエスタはにっこりと笑って頷いた。 「ええ。昨日、サイトさんとミス・ヴァリエールは結婚式を挙げたんです。二人は結ばれたんですよ」  ルイズは呆然と自分が着ている服を見下ろして、またティファニアの方を見てきた。  先ほどと同様に、ティファニアは無言の頷きによって肯定する。  今度は本当のことではなかったから、ほんの少しだけ頷くのが遅れてしまったが。  ルイズはまだ納得しかねる様子だった。しかし、自分が婚礼衣装を着ているのは紛れもない事実で あり、周囲の人間もシエスタの言っていることを肯定しているため、次第に訳が分からなくなってき た様子であった。  顔を歪めて何度も頭を振っているルイズに、シエスタは包み込むような口調で囁きかける。 「どうしたんですか、ミス・ヴァリエール。昨日はあんなに嬉しそうにしてたのに」 「だって、何も思い出せないのよ。こんなの変じゃない」  ティファニアの背中を冷たい汗が流れ落ちる。ルイズが事の真相に気付かないかと危惧しながら、 少しだけ後悔した。自分が記憶を消せる魔法を使える、という記憶も一緒に消しておけばよかっただ ろうか、と。そして、そんなことを平気で考えている自分に気付いてぞっとした。  一方、ルイズは当然ながら何も思い出せずに苛立っていたが、傍らのシエスタはそれをなだめるよ うにそっと彼女の肩を抱いた。 「さっきも言ったでしょう。きっと頭が混乱しているんですわ。実際、ちょっとは思い出せるように  なってきたんでしょう」 「それは、だけど」 「大丈夫。ゆっくり、落ち着いて思い出していきましょう。そうだ」  と、シエスタはいかにもたった今名案を思いついたという風に顔を輝かせた。 「確か、ミス・ヴァリエールの魔法に幻を作るものがありましたよね。あれを使いましょう」 「どうするのよ」 「昨日の結婚式を、思い出しながら再現してみてください。わたしもお手伝いしますから」 「でも、思い出せないのよ」 「大丈夫ですよ。分かることからでいいですから」  ルイズはしばらく迷ったあと、枕元に置いてあった杖を手に取った。躊躇いがちに詠唱を始め、ま ずは小さな自分の姿を作り出す。もちろん、小さなルイズは婚礼衣装を着ていた。それを微笑ましげ に見ながら、シエスタが幻のルイズの隣を指差す。 「隣にはもちろんサイトさんがいらっしゃいましたよね」 「うん。それはそう、よね」  ルイズは曖昧に頷いてまた詠唱を始めようとしたが、口を開きかけたところで眉根を寄せた。 「どうしたんですか」 「サイト、どんな服を着てたっけ。まさかいつものあの服じゃないだろうし」 「思い出してみてください。大丈夫、ゆっくりやればいいんですから」  シエスタは落ち着かせるように言って、ルイズに存在しない記憶の再生を促した。

36 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:31:42 ID:VoyBM42P

 二人が話し合いながら徐々に幻を構築していく横をそっとすり抜けて、ティファニアは戸口にいる キュルケに歩み寄った。  無表情にルイズとシエスタを見つめている彼女に向かって、小さな声で問いかける。 「ご存知だったんですか、シエスタさんの考え」 「ううん。だけど、あの子が結婚とか叫んでた辺りで、大体は推測できたから」 「だけど、どうしてこんな複雑な嘘をついたんでしょう。単に、サイトは元の世界に帰ってしまった  って言うだけで十分なんじゃないんですか」  ティファニアの疑問に、キュルケは悲しげに眉をひそめた。 「多分、こだわりなんでしょうね、あの子の」 「こだわり、ですか」  キュルケはそれ以上は何も言わなかった。その内沈黙に耐えられなくなり、ティファニアはまた訊いた。 「こんなのが、本当にうまくいくんでしょうか」 「そうね、わたしも最初は無理なんじゃないかと思ってたんだけど。あれ、見てみなさいよ」  ティファニアは再びルイズとシエスタの方に視線を戻してみて、驚いた。  幻の構築は、驚異的な速さで進められていた。しかも、シエスタはほとんど口を出していない。  ルイズが一人、楽しそうな顔で幻の中に様々なものを付け加えていっているのだ。  最初は旅の仲間たちを、次に村のエルフたちを。晴れ上がった空、飾り付けられた広場、設えられ たテーブルの上には料理と酒がずらりと並ぶ。今や列席している者たちの衣服や、楽しそうな表情ま でもが明確に形作られていた。そして、その風景の中心には、幸せそうに笑う新郎新婦の姿が。  他ならぬルイズ自身の手によって次々と組み立てられていく偽りの記憶を前に、ティファニアは言 葉を失っていた。 「これは、一体」 「失われた記憶を取り戻したいっていう欲求のなせる業、ってところじゃないかしら」  隣を見ると、キュルケが感心した様子でルイズとシエスタを眺めている。 「中核に偽物の事実を放り込んでやってそれを信じさせれば、後は本人が勝手に想像で補ってくれる  って訳ね」 「そんな風にうまくいくものなんですか」 「実際そうなっているじゃないの。それに、あの子のやり方も上手かったのよ。派手に泣いてみせた  り、ルイズに実際に婚礼衣装を着せておくことによって、結婚式があったっていう嘘に現実味を持  たせたのね。それでも、ここまでうまくいくのは出来すぎている気がしないでもないけれど。ある  いは、ルイズの本能がシエスタの嘘を信じ込みたがっているのかも、ね」  キュルケはどことなく憂鬱そうに言ったあとで、廊下に出て行った。  彼女としても、こういった手段をあまり好ましくは思っていないのだろう。それはティファニアと て同じである。  しかし、ティファニアはその場に残って、ルイズが幻を構築していく様を見守り続けた。  その光景がどれだけ耐え難いものであっても、自分にはそうする義務があると思っていた。  やがて、ルイズは作業を終えた。今や幻は一抱えほどもある大きさの鮮明な像となって、ルイズの 目の前に浮かんでいる。 「そうそう、こんな感じだったわよね。やっと思い出したわ」  ルイズは寝台の上で腕を組み、満足げな表情で頷いている。  ルイズ自身は思い出した、と言っているが、実際には彼女が作り出した虚像の記憶である。  それを知るティファニアは、拭い難い違和感を感じて身じろぎした。

37 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:32:36 ID:VoyBM42P

 そんな彼女には気付かぬ様子で、ルイズは幻を指差しながらおかしそうに笑う。 「ギーシュったら飲んだくれてサイトに絡んだ挙句、調子に乗って自分もモンモランシーに告白する  とか言い出したのよね。だけどそのすぐ後でエルフの女の子口説き始めちゃったもんだから、モン  モランシーがかんかんになっちゃって」  と、存在するはずのない思い出を楽しそうに語り始める。やはり楽しげな表情で聞いていたシエス タが、目を細めてルイズに言い聞かせた。 「これで大丈夫ですね、ミス・ヴァリエール。こんな幸せな日のこと、絶対に忘れちゃいけませんよ」 「もちろんよ。それにしても、どうして忘れてたのかしらねえ」  幻を前に、ルイズは不思議そうに首を傾げている。その隣で、シエスタがおかしそうに笑った。 「ミス・ヴァリエールだって、浮かれてたくさんお酒を飲んでたじゃありませんか。それで服も着替  えずに寝込んじゃったんですよ。きっとそのせいもありますよ」 「あ、そうそう、そうだったわね。だけどあんただってひどいもんだったじゃない。サイトに絡み出  したときはもうどうしようかと」  と、ルイズは今やシエスタの言葉を疑う様子すら見せず、すんなりと己の記憶の中に取り込んでいく。  あまりにもあっさりと記憶のすり替えが行われている現実に、ティファニアは薄ら寒さを覚えた。  今ルイズが目の前で作り出した結婚式の記憶は、シエスタの言うとおり二度と消えることなくルイ ズの脳に定着することだろう。  そのとき、本当はサイトの死体を抱いて湖に向かっていたことなど、絶対に思い出しはしないのだ。  じょじょに気分が悪くなってくるのが分かったが、それでもティファニアはその場に留まり続けた。 まだ、自分がしてしまったことを全て見届けたことにはなっていないと思ったからだ。 「そう言えば」  そのとき、ルイズが不意に何かに気付いた様子で言った。 「さっき、シエスタ変なこと言ってなかった。サイトが消えたとかなんとか」 「ああ、そうそう」  シエスタも、いかにも今思い出したという風に手を打ち合わせる。 「サイトさん、一足先に西に帰っちゃったんです」 「どうして」  驚いたルイズの叫びに、シエスタは苦笑で返した。 「ほら、ミス・ヴァリエールとも結婚して、東方にも用事がなくなったんですから、西に帰らなくち  ゃならないでしょう。でもわたしたち、逃げるように西を後にしてきたから、ただ帰ったらいろい  ろと面倒じゃないですか。だから、一足先に西へ戻って、新生活を始める準備をすっかり済ませて  しまってから迎えに来るって言ってましたよ」  シエスタは淀みなく偽りを口にする。ルイズは怒りを露わにした。 「なによそれ。新婚早々花嫁をほったらかしにするだなんて、どういう神経してるのあいつ。一緒に  帰ったって面倒は同じじゃないの」 「まあまあ」  シエスタが苦笑混じりにルイズをなだめる。 「考えてもみてください。ミス・ヴァリエールのご家族のこととか、女王陛下のこととか。ミス・ヴ  ァリエール本人を連れて帰ったら面倒が倍になるんですよ。サイトさんは優しいから、そういうこ  とにミス・ヴァリエールを巻き込みたくなかったんじゃないですか」 「それは、いかにもあいつの考えそうなことだけど」  ルイズはまだ納得のいかない様子で少しの間唸っていたが、やがて諦めたようにため息を吐き出した。 「ま、仕方ないか。あいつがご主人様のことほったらかしにしてどっかに行っちゃうなんて、いつも  のことだし。それにまあ」  ルイズは恥らうように、頬を赤らめた。

38 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:33:22 ID:VoyBM42P 「わたしのこと考えてそういうことしたっていうんなら、まあ、許してあげなくもない、かな」 「そんなこと言って、本当は凄く嬉しいんじゃないですか」  からかうようにシエスタが言うと、ルイズは「そんなことない」と叫びかけて、口を噤んだ。  それから、少しだけ居心地悪そうにもじもじして、目線を逸らしながら恥ずかしげに言った。  「そりゃまあ、ちょっとは、嬉しいけど」 「ちょっと、ですか」  意地悪げにシエスタが言う。ルイズはむずがゆそうな表情で押し黙ったが、やがて表情を隠すよう に俯き、ぽつりと言った。 「嘘よ」 「え、なんですって」  シエスタが耳に手を当てて問い返す。ルイズはしばらく無言で肩を震わせていたが、やがて耐え切 れなくなったように喚き出した。 「嘘よ嘘、全部嘘。本当はすっごく嬉しいわ。それこそ体が弾けちゃうんじゃないかって心配になる  ぐらいにね」  ヤケになったように叫ぶルイズの顔は真っ赤に染まり、満面の笑みを浮かべていた。  それはティファニアが今まで見たこともないぐらいに、幸福感に満ち溢れた表情だった。 「やだなあもうサイトったら、そんなに急がなくったって、もう少しこっちでゆっくりしてから行け  ばいいのに。そんなに早くわたしと二人っきりになりたかったのかしら。こんなんじゃ、ゆっくり  お互いの気持ちを確かめ合う暇もないじゃない、ねえ」  激しく身をよじりながら問うルイズに、シエスタは呆れ交じりの笑みを返した。 「なんですかもう。やっぱり嬉しいんじゃないですか」 「そりゃそうよ嬉しいに決まってるじゃない。ああどうしてかしら。こんなにも素直な気持ちになれ  るなんて嘘みたい。あんまり幸せすぎて、今にも空に飛んでっちゃいそうだわ。頭がどうにかなっ  ちゃったみたい」 「ええ、多分皆がそう言うでしょうね」  シエスタの冷ややかな言葉も、今のルイズには通用しないようだ。ルイズは緩みきった顔で自分の 婚礼衣装を見下ろして、白い布地をつまんだりしながらさらに顔をとろけさせた。 「そっか。わたし、お嫁さんなんだ。サイトのお嫁さん」  ティファニアは吐き気がこみ上げてくるのを自覚した。ルイズが幸せそうに笑えば笑うほど、どん どん気分が悪くなってくる。  そのとき不意に、寝台の上のルイズの体がふらりと傾いた。シエスタが素早く横から手を出して、 その背中を支える。 「どうしたんですか、ミス・ヴァリエール」  そのときになってようやく自分が倒れかけたことに気付いたらしい。  ルイズははっとして、しかし体は起こせずに困惑した笑みを浮かべてシエスタを見上げた。 「分かんない。なんか、急に体に力が入らなくなって。変ね、なんだか何日も物を食べてなかったみ  たい」  またティファニアの心臓が高鳴ったが、今度は前ほど焦りはしなかった。  もうルイズが記憶を取り戻す危険性はほとんどないということが、よく分かっていたからだ。  ただ、自分がそれを喜ぶべきなのかどうかは分からなかった。 「疲れてるんですよ、きっと。いろいろなことがありすぎて。だから記憶が混乱したりするんです。  さ、横になって少し休んでください」  シエスタがそっとルイズの体を支え、彼女の体を寝台に横たえた。ルイズは素直に従って、布団を 被った。 「うん、そうする。サイトが帰ってきたとき、疲れた顔は見せられないものね」  そう言って笑ったあと、ふと気付いたように慌てて起き上がろうとした。 「どうしたんですか、ミス・ヴァリエール」 「着替えなくちゃ。折角サイトが用意してくれた服に皺はつけられないもの」 「ああ、そうですね。それじゃ、今着替えを持ってきますから、ちょっと待っててくださいね」  シエスタが一礼して踵を返し、戸口の方に向かってくる。ティファニアは慌てて体をずらした。  廊下に出て行く直前、二人の視線が交差した。シエスタは、先ほどルイズに語りかけていたときと は比べ物にならないほど冷たい目をしていた。

39 名前:不幸せな友人たち[sage] 投稿日:2007/02/19(月) 05:34:08 ID:VoyBM42P  彼女を見送ったあと、ティファニアは迷いながらも寝台の方に目をやった。  布団の中に収まったルイズは、相変わらず幸せそうに目を細めながら、空中に浮かぶ幻を眺めている。  ティファニアは数瞬迷ったあと、覚悟を決めて寝台に歩み寄った。先ほどまでシエスタが座ってい た椅子に腰を下ろしながら、問いかける。 「大丈夫ですか、ルイズさん」 「うん。ありがとう、ティファニア。駄目ねわたし、サイトが頑張ってくれてるのに、体壊しちゃう  なんて」  こみ上げる不快感が顔に出てこないよう苦労しながら、ティファニアは無理矢理笑みを返す。  ルイズはそれからしばらく黙っていたが、やがて静かに語り出した。 「ねえ、ティファニア」 「なんですか」  ルイズは横になったまま、目を細めて夢見るように語った。 「わたし、サイトのお嫁さんなのよね」 「そうですね」 「もうご主人様と使い魔じゃなくて、妻と夫なのよね」 「そう、ですね」 「そっか。そうなんだ。なんだか夢みたい。わたし、サイトはきっと元の世界に帰って、会えなくな  っちゃうと思ってたから。でも、そうじゃないのね。これからは、ずっと一緒」  ティファニアは何も言えなかった。もはや笑みを作ることすらできず、ただ黙ってルイズの声に耳 を傾けるしかない。 「今までひどいことしてきた分、これからはたくさんサイトに優しくしてあげるわ。本当よ、世界一  のお嫁さんになるの。だってわたし、サイトのこと愛してるんだもの」 「それは、とても素晴らしいですね」  ティファニアは無理矢理言葉を吐き出した。全身が悪寒に震え、背中に気持ち悪い汗が浮かんでい るのを感じる。  これ以上ルイズの穏やかな声を聞いていると、気が狂ってしまいそうだった。 「あーあ、早くサイトに会いたいなあ」  ルイズがゆっくりと手を伸ばして、空中に浮かぶ幻の中のサイトを指でつつく。すると、幻はぱっ と消えてしまった。魔法の効力が切れたらしい。一瞬、ルイズの顔を深い悲しみが過ぎった。  彼女は無理に笑った。 「いけないいけない、我慢しなくちゃ。サイトだって、わたしのために寂しいのを我慢してるだろう  し。それに、黙って夫を待つのも妻の務めだものね」  ティファニアは立ち上がった。振り返り、出来るだけ足取りが乱れないように注意しながら歩き出す。  ちょうど着替えを持って部屋に入ってきたシエスタとぶつかりそうになったが、声どころか視線す ら交わさなかった。  ひたすら早足で歩き、家を出る。それから駆け出し、一本の木の根元まで辿りつくと、そこにへた りこんだ。  後悔と罪悪感が、凄まじい勢いで全身の力を奪い去っていくのが分かる。もはや立ち上がる気力す ら残っていなかった。 (わたしは、なんてことを)  ルイズの幸せそうな笑顔が頭から離れない。ティファニアは口に手を当てて吐き気をこらえた。  そうしてしばらく経ったとき、ティファニアはすぐ近くに人の気配を感じて顔を上げた。  タバサがいた。木に背中を預けて、自分たちが滞在している家の方をじっと見つめている。  強い風が吹き抜けた。木の葉に溜まっていた昨日の雨露が、一斉に飛散して大気を濡らす。その冷 たさに、ティファニアは身震いした。 「こんなことが許されるはずがない」  不意に、タバサが静かに呟いた。ティファニアは、はっとしてタバサを見る。タバサはこちらを見 ないまま、淡々と予言を下した。 「わたしたちは、いつかこの罪にふさわしい罰を受けることになる」  再び風が吹きつける。ティファニアはタバサの視線を追って、家の方に目を向けた。  ずっと向こうの空に、分厚く黒い雲が広がっている。今度の雨は長そうだな、とティファニアは思った。


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