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259 名前:その名はイーヴァルディ[sage] 投稿日:2007/04/15(日) 19:48:21 ID:Jgfvfo0C

 夜というのはどうしてこうも不気味で静かなのだろうと、タバサは時折考える。  窓越しの闇に唸る風が木々を揺らし、葉を舞い散らせる音は、まるで何か恐ろしい化け物の咆哮の ようにも聞こえる。大人になれば恐くなくなるだろうという子供のころの楽観的な予測とは裏腹に、 その音を聞けば未だに不安な気持ちになる。どれだけ年を取ったところで、見通すことの出来ない暗 闇は変わりなく恐ろしいらしい。 (わたしがまだ子供なだけかもしれないけど)  小さくため息を吐きながら、タバサは萎縮しそうになる心を無理に奮い立たせて歩みを再開した。  明日が虚無の曜日だからとついつい読書に熱中して、気付けばこんな時間になっていた。用足しに 行くのも忘れていたためにこみ上げる尿意を抑えきれなくなり、部屋から少し離れた便所で事を済ま せてきた帰りなのである。  それにしても暗い。手元のランプの明りがごく狭い範囲しか照らしてくれないのもあるが、今夜が 曇りがちな天気なために、あまり月明かりを頼りにできないことも大きな要因だろう。歩き慣れた寮 の中も、闇に飲まれるとまた別の表情を見せる。やけに大きな音を立てて軋む床も、普段は気付きも しないくせに今はやたらと大きく見える壁の汚れや染みも、何もかもが不気味で恐ろしい。 (大丈夫、わたしは吸血鬼やオーク鬼とだって戦ったことがある。幽霊が出てきても、大丈夫)  自分にそう言い聞かせながらも、タバサはやはり落ち着かない気分で周囲を見回しながら、恐々歩 いている。ちょっとした物音にもびくりと体を震わせてしまうほどだ。  仕方のないことだ、とは思う。怪物を倒したことがあるという類の理屈が、あまり心の支えになる ことぐらい、タバサ自身にもよく分かっているのだ。  怪物というのは、あくまでも生物である。もちろん人間にとって厄介な相手であることは事実だが、 それでも対処法がない訳ではない。だから、襲われても何とか撃退することができる。  だが、幽霊は違う。生き物ですらない。もっと訳の分からないものである。怪物をさほど恐れない 人間でも、幽霊に対しては恐怖心を抑えられないだろう。人間は、理解不能なものを最も恐れるのだ から。  要するに幽霊との戦い方が分かっていれば恐れる必要などないのだが、そんなものはロマリアの坊 主でもなければ知らないだろう。彼らですら知らないかもしれないが。  そんなことをつらつらと考えている内に、自分の部屋の前に着いた。タバサはほっと息を吐いて、 ドアノブに手をかける。  だが、扉を開く直前、視界の隅を何かぼんやりと発光する物体が横切った。体を硬直させながらそ の方向を見ると、廊下の角に青白く光る何かが消えていくところであった。

260 名前:その名はイーヴァルディ[sage] 投稿日:2007/04/15(日) 19:50:45 ID:Jgfvfo0C

 ごくりと唾を飲み込みながら、タバサは一度部屋の中に入って杖を手に取ると、先ほどの不審な影 を追って走り出した。もちろん、恐いことは恐い。だが、もしも暗殺者とか盗賊とかだったとしたら、 放っておくわけにはいかない。 (もしかしたら、またルイズを狙って誰かが来たのかもしれない)  タバサは緊張しながらも忍び足で廊下を進み、壁の縁から曲がり角の向こう側を覗き込んだ。明り もない廊下は暗く、本来ならば先の方を見通すことなどとても出来ないはずである。だが、今は違う。 先ほどの青白い物体がゆっくりと歩いているせいで、その周囲がぼんやりと浮かび上がっているのだ。 (歩いている?)  そう、その物体は歩いていた。ということは、つまり人の形をしているということである。青白い 光を発するランプでも持っているのか、それとも人影自体が発光しているのか。だが発光する人間な ど聞いたことがないし、そういう化け物も知らない。だとすると、やはり。 (そんなこと、考えちゃダメ)  タバサは小さく首を振って不吉な想像を頭の中から追い出すと、意を決して曲がり角から飛び出し た。不審な人影と一気に距離を詰めるべく駆け出そうとして、立ち止まる。  先ほどまで確かにこの目で捉えていたはずの人影が、跡形もなく掻き消えている。青白い光の残影 すら残さず、一瞬できれいに消えてしまった。  数秒も呆然としたあと、不意に恐怖が襲い掛かってきた。  人影の正体が何であれ、あのタイミングで消えるというのはあまりにも唐突過ぎる。こちらに気付 いて何らかのリアクションを起こそうとしているのは間違いない。  タバサは瞬時に壁に背をつけ、極限まで目を見開き、鳥のように落ち着きなく首を振りながら周囲 を見回した。ひどく喉が渇いているくせに、背中からは異様な量の嫌な汗が流れ落ちる。早口に呪文 を詠唱する声は自分でも聞き取れないほど掠れきっていた。杖を握る手に、いつも以上の力がこもる。 (どこ、どこから来るの、何が来るの)  恐怖に揺さぶられる心に、落ち着け、落ち着け、と絶え間なく言い聞かせるが、果たしてこの状況 で何を根拠として落ち着けばいいというのか、自分でもよく分からない。  とにかく、何かあったらすぐに「ウィンディ・アイシクル」をぶっ放そうという意志を固めたとき、 不意に肩を叩かれた。  悲鳴は上げなかった。というよりも、上げられなかった。口は開いていたが声は喉で止まってし まったのだ。 (後ろは壁のはず)  一応心の中で再確認しつつ、タバサは目玉だけを動かしてで自分の左肩を見る。そこに、誰かの青 白い手が乗せられていた。青白い、というのは不健康な肌の色を形容しているのではなくて、実際に 青白く発光しているのである。間違いなく、先ほどの人影の腕であった。  杖に溜めていた魔力が、形を保てずに霧散する。だがそんなことを気にしても仕方がない。幽霊に 魔法を浴びせたところで何になるというのか。

261 名前:その名はイーヴァルディ[sage] 投稿日:2007/04/15(日) 19:54:02 ID:Jgfvfo0C

(落ち着いてシャルロット。大丈夫、まだ肩を叩かれただけ。気付かなかった振りをして歩き出せば  大丈夫)  我ながら名案を思いついたという気分で、タバサはおもむろに口笛を吹きながら震える足を一歩踏 み出した。同時に、例の青白い手もずるりと肩から滑り落ちる。 (自由への逃避)  いつだか読んだ本のタイトルを頭の中に思い浮かべながら、タバサは一気に駆け出した。が、角を 曲がったところですぐに立ち止まってしまう。曲がってすぐのところに、例の青白い人影が佇んでい たのである。  タバサは驚愕と恐怖に動けなくなりながらも、驚くほどの冷静さで目の前の人影を観察した。  人影は、ローブを身に纏っていた。裾のところがボロボロでなおかつ薄汚れているローブは、かな り昔のデザインのものだ。体型は長身で、痩せている。顎から胸元まで垂れ下がる白髭を見る限りど うやら老人らしいが、それにしては異様なほどに背筋がぴしりとしていた。だが、一番異様なのはそ こではなく、人影の顔である。深い皺に覆われた顔の中央、本来ならば目玉がある場所には、何もな かった。眼窩がぽっかりと開いて、闇が目玉の代わりに収まっている。  全身から不可思議な青白い光を立ち上らせているところから考えても、明らかに人間ではない。  そういう事実を再確認してなおさら体を硬くするタバサの前で、人影は不意に腰を屈めた。あの恐 ろしい顔を間近まで突きつけ、暗い眼窩を彼女の目線に合わせる。  そして、にたりと笑った。  自分が後ろ向きに倒れていくのを自覚しながら、タバサは「用を足しておいて本当に良かった」と 人事のように思った。

 すっかり眠り込んでいたキュルケは、誰かが部屋の外でぼそぼそと、しかし焦りきった早口で呪文 を詠唱しているのを聞いて目を覚ました。 (誰よ、こんな時間に)  寝台の上で上半身を起こして目をこするのと同時に、扉の鍵が外された音がした。「アン・ロッ ク」の呪文である。寝惚けていたキュルケの頭が急速に覚醒した。 (誰だか知らないけど、このわたしの寝所に忍び込もうとはいい度胸じゃない)  無礼な闖入者を黒焦げにしてやるべくキュルケが杖を取り出すのと同時に、扉が勢いよく開かれた。 「待ちなさい、燃やされたくなきゃ」  脅し文句はそれ以上続かなかった。部屋に飛び込んできたのが、見慣れた友人だったからである。 「タバサじゃない。どうしたのこんな夜中に」  何故かいつも以上に小さく見える友人は、全く返事をしなかった。やたらと急いでドアを閉め、そ の扉に「ロック」の呪文を重ねがけする。さらに安全を確認するようにきょろきょろと周囲を見回し たあと、キュルケの寝台に飛び込んできた。  あとはもうぶるぶる震えて布団を被るばかりである。かなり恐ろしい目に遭ったらしく、質問して も何も答えず、ただただ青い顔で杖を握り締めているだけだ。 (恐い夢でも見たのかしらね)  タバサの年を考えると失礼な推測ではあったが、今の彼女を見ているとそれ以外の想像が浮かばない。  よく知る友人の意外な一面に微笑みながら、キュルケもまた寝台に戻り、横になってタバサを抱き しめた。  結局その日の夜、タバサはキュルケにしがみついたままずっとがたがたと震えていたのであった。