ゼロの保管庫 別館

14-65

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だれでも歓迎! 編集

65 名前:見知らぬ星(その1)[sage] 投稿日:2007/04/09(月) 20:05:32 ID:Y5OIsxHQ

 全身が、何か柔らかいものに包まれている。  身体中が外気にさらされるような、毛穴の一つ一つを風がなぶるような、そんな感じ。  にもかかわらず、

――暑い。 (いや、熱い?) ――そうだ、熱い。 (熱い、熱い、熱い……) ――まるで火傷しそうだ。

「っっっっっっ!!!!!」

 岩のように重かったまぶたが、ようやく開いた。  その時になって、初めて彼は自分の体が無意識のうちに、その深い深い眠りから覚醒するための、最大限の努力をしていた事に気が付いた。  全身は、まるで水をぶっかけられたかのように寝汗がグッショリで、またシャワーを浴びなおさなくちゃいけねえな、などと考え……。

「っっっ!!!!」  その瞬間、割れるような頭痛がほとばしる。  思わず身体を丸め、目を閉じる。  何も考えられない。  まるで重度の二日酔いにでもなったような。  天地がひっくり返り、時間が凍結したような。  そんな気分だった。   ……眠い。

 だめだ。  これ以上うずくまって、目を閉じていれば、また覚醒する機会を逃してしまう。  起きろ。  重いまぶたを無理やり開けて、その意識を叩き起こすんだ。  さもないと、まずい事になる。  そう無意識が叫んでいる。  絶え間なく続く頭痛。五体を包む圧倒的な疲労感。身体は間違いなく、更なる休息――つまり睡眠を求めている。  しかし、それ以上に無意識が叫ぶのだ。  早く起きないと、“まずいこと”になる、と。  彼は、体の欲求を無視し、無意識の叫びに従うことにした。つまり、

 彼は起きた。

66 名前:見知らぬ星(その1)[sage] 投稿日:2007/04/09(月) 20:07:00 ID:Y5OIsxHQ

 そこは見慣れない空間だった。  石造りの見慣れない部屋。  広さは12畳くらいだろうか。  部屋は明るいが……暗い。  少なくとも、彼が知っているライトや、蛍光灯の光量ではない。  ふと見ると、ランプに、あかあかと火が灯っている。

――えらく、クラッシックな趣味だなぁ。

 そう思った時、彼は、自分がかつて見た事の無いくらい豪奢な寝台に横たわっていた事に気が付いた。  いや、ベッドだけじゃない。  よくよく見れば、眼前のタンスも、二人がけのテーブルと椅子も、かなり年代物のアンティークに見える。  しかし、いずれの家具にも見覚えは無い。  早い話が、ここは彼にとって、見知らぬ部屋だった。

「どこよ、ここ……?」  彼はそう、不安げに呟いた。

「サイト!!」  扉が開くのと同時だった。  ピンクがかった金髪(?)の可愛らしい少女が、わなわなと、表情を歪ませてこちらを見ている。  かなりの美少女、といえる容貌の持ち主だった。 「意識が……戻ったのね、よかった……。もう、もう、目が覚めないかと……」  美少女が目を潤ませた瞬間、彼の頭蓋に、電流のような激痛が走った。 「ぐっ!!!」 「サイト……!? サイト、サイト! 大丈夫!?」 美少女は、頭を抱えてうずくまる彼の枕元に駆け寄ると、その頭ごと彼を抱きしめ、覗き込む。 「頭が、痛いの……?」 「――ああ、割れちまいそうだ」 「ごめんね、ごめんねサイト……他に痛いところは無い?」  そう言いながら、必死に彼の眼を覗き込む少女の表情は、幼い容貌とは裏腹に、ひどく大人びて見えた。

 ぽたり、ぽたり。  彼の頬に、熱いしずくが一滴、二滴と落ちてくる。  ごくん。  偶然だろうか、そのうちの一滴が、頬を伝って唇まで辿り着き、彼はそれを飲んだ。  頭蓋を覆う電流が、ふっ、と和らいだ気がした。

「泣いてるのか……?」 「泣いてなんか、ないわよ……、このばかぁ」

 そのまま彼女は、渾身の力を込めて少年を抱きしめた。  もう、どこにも彼を逃がさないように。そう誓うかのように。

67 名前:見知らぬ星(その1)[sage] 投稿日:2007/04/09(月) 20:08:25 ID:Y5OIsxHQ

「ミス・ヴァリエール、お食事をお持ちしました……って、サイトさんっ!?」

 彼は、抱きしめられた美少女の薄い胸の中から、視線だけを動かして声の方向を見た。  黒髪を肩のあたりで綺麗にカットされたメイド姿の少女が、食事らしいものを載せたトレイを手に持ち、やはり、わなわなと震えてこちらを見ている。

「お目覚めに、お目覚めになられたんですかっ!? サイトさんっ!?」 「ええ、シエスタ。さっき部屋に帰ってきたら――」 「サイトさんっっ!!」  その時には、もうメイドは彼女の言葉を聞いてはいなかった。

 驚くヒマも無かった。  清楚と見えたはずのメイドが、トレイをテーブルに置くや否や、いきなり彼の胸元に飛び込んできたのだから。  とっさの事に、ブロンドの美少女も彼から身を離して避け、メイドの突撃路を開けてしまう。すなわち、メイドと彼との直線コース。  がしっ!  メイドは、まるでアメフトのタックルのように飛びつき、押し倒す。  彼は、何の抵抗も反応も出来なかった。

「よかった! よかった! よかった! 心配したんですよっ!! すごいすごい心配したんですよっ!! もう目が覚めないかと……おもっ……ぐすっ……」

 メイドは泣いていた。  彼の胸にしがみついて泣いていた。  最初は、その目にサッと嫉妬の色を浮かべたブロンドの少女も、やがて、子供のように泣き叫ぶメイドの表情に、穏やかな――ともに同じ男の無事を祈った女同士にのみ通じる――穏やかな眼差しを向けていた。

 しかし、彼の心は醒めていた。  眼前で繰り広げられている、自分に対する二人の少女たちの騒ぎが、まるでテレビの中のラブシーンのように、ひどく現実感の無い、薄ら寒いもののように感じた。  なぜなら……。

「なあ、一つ訊いていいか……?」

 彼の瞳は、もはや胸元のメイドを見てはいなかった。  ブロンドの少女をも見てはいなかった。  ただ、その黒い瞳に心底困ったような光を浮かべ、窓から覗く無数の星の瞬きを眺めていた。

「誰だ、お前ら?」

74 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/10(火) 02:13:48 ID:7g9VS4pu

「……サイト……?」 「……サイトさん?」 「俺は、いかにも平賀才人だけど……お前らは誰だ? 何で俺の名前を知ってるんだ?」

 メイドが彼の胸元から顔を上げる。  そのメイドを見守るような眼差しを送っていたブロンドの少女も、こっちに向き直る。 「……あんた、ふざけてんの?」 「サイトさん、止めてくださいよ、そんな冗談笑えませんよ」

 しかし、彼はもう二人を見てはいなかった。 「どいてくれ」  そう言いながらメイドをやんわりと丁寧に、しかし確実に明確な意思を込めて、胸元の抱きついたその女体を拒絶する。  その目は、かつてこのメイド姿の少女が見た事の無いほど冷たいものだった。 「サイ……ト……さん……?」

「何だか、すっげえ長い間……眠ってたような気がする」  ベッドから身を起こし、裸足で床に身を起こした彼――才人は、後頭部を撫でさすりながら呟いた。ひんやりとした石の感触が、ズキズキする頭に心地よい。 「何言ってるのよ! あんたはもう10日も眠ってたのよっ! 私の使い魔のくせにっ! 御主人様をほったらかしてっ!! その挙げ句、まだ寝ぼけたこと言ってるのっ!? これ以上まだ寝足り無いって言うのっ!?」

「10日……?」 「そうよっ! あんたは平民のくせにっ、私の使い魔のくせにっ、御主人様のベッドで毎日毎晩ぐーぐーぐーぐー寝てたのよっ!!」 「ミス・ヴァリエール! 待ってください!」 「いいえ、今度という今度は、もう堪忍袋の緒が切れたわ! このバカ犬に一体自分が何者なのかってことをキッチリ――」 「サイトさんが10日も寝込んだ原因を作ったのは、ミス・ヴァリエールじゃありませんかっ!?」  その一言に、さすがの彼女――ルイズも沈黙せざるを得なかった。

「……でも、悪いのはこいつだもん。サイトが私の言い付けを忘れて、風呂なんかに入ってるから、つい……」 「でも、誤解だったんですよね、それも? サイトさんはきっちりミス・ヴァリエールの言いつけ通りの買い物を済ませていたのに、あなたはそれを早とちりして、入浴中のサイトさんを風呂釜ごと爆破した」 「……はい」 「反省してます?」 「……」 「反省していないんですか?」 「……使い魔を、どう扱おうと……御主人様の勝手だもん……」 「ミス・ヴァリエールっ!!」 「なあ」

75 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/10(火) 02:15:37 ID:7g9VS4pu

 その声に二人が反応した時、すでに才人はドレッサーから自分のパーカーやGパンを引っ張り出し、着替え始めていた。二人のやりとりには全く興味など無いかのように。

「俺の靴どこ?」 「あ……その、ここです」 「ありがと」  才人はスニーカーを履きながら、靴の場所を教えてくれたメイド姿の少女に笑いかけた。 「キミ、優しいな。名前教えてくれよ」

 彼女――シエスタは、絶句した。

「何だよ、別に照れなくてもいいよ。……まあ、そんな格好して見ず知らずのヤツから名前なんか訊かれた日には、恥かしくて名乗れないのも分かるけどさ。でも、結構似合ってるぜ。どこのメイドカフェで働いてるの?」 「……」 「まあ、どうせ秋葉原のどっかだろ? でもおかしいな。俺の知ってるメイドカフェってのは、出張サービスなんかしてくれないはずなんだがなぁ」 「……」 「まあいい、まあいい。恥かしかったら、また今度でいいよ。また会う機会があればだけどさ」  才人は、そう言ってシエスタに微笑み、 「あ、これ、食っていいんだよな?」  と訊くと、返事も待たずにがつがつと食べ始めた。

 シエスタには、才人の発言内容の一割も理解できない。  彼女は、才人が発狂したのかと思った。  もしくは、眼前の才人は、魔法で彼に変身した、どこかの見知らぬ別人なのかと思った。  彼女の知っている才人は、いくらふざけていても、ここまで自分たちを無視して、ないがしろにした言葉をかけるような人間ではないからだ。  そこまで悪質なふざけ方が出来る人間なら、自分はここまで心惹かれない。  逆に言えば、例えどんな名優が才人に変身していたとしても、シエスタにはそれを見分ける自信があったのだ。

――が、違う……!

 眼前にいるこの男は、まさしく彼女が知るところのサイトその人であった。  その笑顔。  その眼差し。  その教養のカケラも感じさせない食事。  何より、その独特の雰囲気。  彼の吐く言葉は、やはり理解しがたいが、そこを除けば、そこにいる少年は彼女の想い人に間違いはなかった。  そして、その想いは、その場にいたもう一人の少女、ルイズも同じだった。

76 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/10(火) 02:19:16 ID:7g9VS4pu

「あんた、いい加減にしなさいよ……!!」 「ふぇ?」 「いい加減にしなさいって言ってるのよ、このバカ犬っっっ!!!」  そう言うが早いか、彼のパーカーのフードを引っ掴み、うしろに引き倒した。

「むぐぅっっ!!」  口にロブスターをくわえたままの才人は、いきなりの攻撃に、なすすべなく床に引きずり倒され、後頭部をしたたかに強打し、のたうちまわった。 「いけません! ミス・ヴァリエールっ!!」  シエスタが叫ぶ。  だが、怒りに我を忘れたルイズは止まらない。  久しぶりの馬上鞭を取り出すと、彼を無茶苦茶に打ちまくった。 「このバカ犬っ!! バカ犬っ!! バカ犬っ!!」 「いてえっ!! やめっ!! 何すんだよっ!!?」

――何すんだよ?  何をするんだ、ですってえ……!!

 ルイズは、狙い済ましたように才人の顔面を打ち抜くと、何とか逃げようともがく彼の背に飛び乗り、馬上鞭で首を絞め始めた。 「まだ、すっとぼける気っ!? これ以上、私やシエスタを相手に寝ぼけたフリをする気なのっ!? 使い魔のくせに……平民のくせに……サイトのくせにぃぃぃ!!!」 「……あ……が……」 「やめてください、ミス・ヴァリエールっ!! サイトさんが死んでしまいますっ!!」 「うるさいっ!! 死ぬまでには目も覚めるでしょうよっ!!」    その時、ルイズがよそ見をした僅かな隙に、才人が反撃に出た。  首を絞められていた才人の両手がルイズの鞭持つ両手首を掴み、下に引っ張ると同時に、ルイズの顔面は才人の後頭部を叩きつけられていたのだ。 「っっ!?」   ルイズには、何が起こったのか分からなかった。  ただ、頭の奥に火花がほどの光が散るのが見えた瞬間、鼻を中心に凄まじい激痛が全身に走ったのだ。  余りの痛みに思わず鞭から手を離したルイズのどてっ腹を、彼女を振り落として自由になった才人の後ろ蹴りが見事に捕らえていた。 「かはぁっっ!!」  そのままベッドの足に叩きつけられるルイズ。

「ミス・ヴァリエールっ! 大丈夫ですかっ!?」  思わずシエスタが駆け寄る。 「ああ、こんなに鼻血が……。サイトさんっ、あんまりですっ、いくら何でもこんな――」 「うるせえっっ!!!」

 才人も鼻血を流していた。  ルイズの鞭に顔面を打たれた時のダメージである。  おそらく鼻の気道は血で塞がっているのだろう。肩で息をしながら二人を睨みつける。 「……ざけやがって、……ざけやがって、いきなりワケの分からんこと言いやがって……! 何なんだお前ら! 一体何なんだっ!! いくら女でも……ガキで女でもなあ、……やっていい事と悪い事があんだろうがっ!!」

77 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/10(火) 02:22:09 ID:7g9VS4pu

 才人は怒っていた。  この少女たちに、である。

 シエスタが彼の発言を理解できなかったように、才人には、ルイズの発言も行動も理解できなかった。  自分の名を平賀才人だと知っている。百歩譲ってそこまではいいとしても、初めて会った女に“誰だ”と尋ねて、何故そこまで怒り狂う理由になるのか。  何より彼女が使う、『平民』や『犬』なる言葉も理解できない。さらに、『ツカイマ』と言う言葉にいたっては、もはや完全に彼の常識の外の発想だった。  もはや相手が誰であろうと関係なかった。  平成の世に生きてきた彼は、そこまで意味不明の理由で理不尽な暴力を受けた記憶は無かったのだから。

 しかし、二人――特にルイズは違った。  才人が……あの使い魔の少年が、自分に手を出し、なおかつ覚めやらぬ怒りの眼差しを向けている。  ただの怒りではない。  完全なる敵意。  その瞬間まで、才人がふざけている。そう思った。そう思いたかった。  彼は直情的で、とても正義感の強い少年だった。もっとも、その正義感は彼女とは違う世界の常識の価値観に基づいているため、ときおりルイズには理解しがたい行動を彼が取る事はあったが。

 直情的で、しかも互いに違う価値観の持ち主である才人とルイズは、よくケンカをした。  今から思えば、くだらない事がきっかけの、他愛も無いケンカばかりだったが、それでも、才人が本気で彼女に敵意を向けたことは、かつて一度も無い。  何故、一度も無いと言い切れるのかと問われれば、答えは簡単だった。  才人と行動を共にして経験した幾多の冒険。  その中で、彼女は本気で怒れる才人を何度も何度も見てきた。

 婚約をダシにワルドが自分を手に入れようとした時。  アンリエッタが、死せるウェールズに騙され、共に亡命すると言った時。  そのアンリエッタに、タバサを救いにいけないなら騎士の位など要らぬと、マントを投げ返した時。

 彼女の知っている才人は、その怒りの隅々まで純粋だった。  端で見ていた自分がうっとりするほどに、才人は自分自身に嘘のつけない男だった。  例え、いきなり彼を風呂釜ごと爆破しようが、その原因が単なる早とちりであろうが、被害をこうむったのが才人一人である以上、そして犯人がルイズである以上、彼女が素直に謝れば許してくれる。  その程度の懐の広さは持っているはずの男だった。  ましてや、ルイズだけならともかく、シエスタにまで悪ふざけを貫こうとするなど、明らかに――。  そう思った時、ルイズの心中で何かが決壊した。

78 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/10(火) 02:28:37 ID:7g9VS4pu

「サイトぉ……、一体、一体、どうしたのよぉぉ……。なんで、そんな……ひどい意地悪するのよぉ……」

 一旦こぼれ落ちた涙は、もうルイズ自身にも止められなかった。  もう、彼に蹴飛ばされた痛みも、流れ続ける鼻血も、ルイズは気にならなかった。  貴族の誇りも何も無く、ただ、ひたすら彼女は悲しかった。

「――え、あ、いや、ちょっ……ちょっと待てよ。その――」  果たせるかな。才人はその意図を読めない涙にうろたえ、先程までの怒りは、たちまちの内に消えてしまった。  なんのかんのと、才人は女性に甘い。それもルイズが知る才人そのものだ。  いや、もうそんな事はどうでもいい。それ以前にもう彼女は気付いていたのだから。  シエスタが気付いたと時を同じくして。  彼に対する想いを、そのプライドゆえに認められなかったように、先程気付いた“事実”を、敢えて認める勇気を持たなかったのだ。

 つまり、ここにいる才人は、紛れも無い才人本人でありながら、彼女たちの知るサイトその人ではない、という事実を。

「サイトさん、……本当なんですか? 本当に私たちが分からないんですか?」 「分からないんですかって……いや、だからさ、さっきから訊いてるじゃないか。キミたち誰なのって――」 「嘘です! 嘘です! そんな、そんなはずありません!! サイトさんが私たちの事を忘れるなんて――」 「もう、そこまでにしといてやれよ。メイドちゃん」 「――なっ!!?」  声の方向に振り返った才人が見たのは、かたかたと刀身を震わせながら、妙に金属的な音声を発する一本の剣であった。  シエスタは、思わずその名を呟いた。  伝説のガンダールブが帯剣していたという、六千年の叡智を持つ剣。  この情況を、説明・解決できる唯一の希望。

「デルフリンガー、さん……!」

163 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 23:24:56 ID:QnSyKUdb

「十日ぶりだな、相棒」 「……」 「何、ハトが豆鉄砲くらったようなツラしてやがる。俺だよ、俺。喋ってんのは俺だ」

 そこまで言われて、才人は初めて、自分に話し掛けて相手がルイズでもシエスタでもなく、眼前の“剣”だという事に気が付いた。

「おいおいおいおい……何だ何だ何だ、何なんだよこれ……!?」 「サイトさん……?」 「すげえ!? 何だコレっ!!? こいつかっ!? 本当にコイツが喋ってんのか!?」  シエスタを押しのけ、ベッドを乗り越え、子供のように瞳を輝かせて、才人は一気に剣の傍らまで駆け寄り、その手に取って抱え上げる。 「嘘だろっ!? マジかよっ!? どうなってるんだっ!? どんな仕組みになってるんだっ!?」

 元来、才人はとても好奇心の強い性格だった。それはここにいる二人も承知している。  もう、彼の眼中にはルイズもシエスタもなく、ひたすらデルフリンガーにのみ、その意識は注がれていた。そんな才人の様子を、二人の少女は、もはや形容のしようも無い寂しい眼差しで見つめている。

「スピーカーはどこだ? 電源は? コードが無いって事は、バッテリーがどこかに――」 「相棒」 「あん?」 「この俺が『相棒』って呼んだら、それはお前の事だ、ヒラガサイト」 「あっ、そうなの? まあいいや。そんな事より――」 「そうだ。そんな事より、いまはお前の話だ」

 デルフリンガ−の声の調子が何となく変わった。  才人も、それには気付いたらしい。この、物言う剣が、今から真面目な話をしようとしている事に。

「お前、昨日の事をどれだけ覚えてる?」

164 名前:見知らぬ星(その3)[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 23:29:57 ID:QnSyKUdb

 その問いかけに、才人はきょとんとした。 「そりゃあ、どういう質問だ?」 「いいから。思い出せる範囲で構わねえから、言ってみな」 「――だから、秋葉原でパソコンを修理して、家に帰る途中で、その……っ」

 ずきん。

 さっきまで大人しかった頭痛が、突然猛烈な勢いで、鎌首をもたげてくる。  痛い、痛い、痛い、痛い……!!!!!   「……だから、その、出会い系に登録したから……っっっっ……俺にも彼女が……くぅぅ……でき……あああああ……!!!」

 ずきん。ずきん。ずきん。ずきん――。

「分かった、やめろ!! もういい、これ以上思い出すなっ!!」

 頭を抱えてうずくまる才人に、デルフリンガーが叫ぶ。 「デルフリンガーさん……?」  おずおずと口を開くメイドに剣は、やれやれといった口調で、 「――記憶喪失だな。それもかなりひどい」

「キオクソーシツ?」  二人の少女は同時に声を上げた。  当然、彼女たちはその有名すぎる病名を知らない。  医療行為といえば、水系の魔法による治癒呪文しか知らないこの世界の住人には、医学知識などあろうはずもなく、ましてや精神医学など、その概念すら存在しない。  精神病や神経症の患者は、例外なく『発狂』『乱心』といった言葉でひとくくりにされ、誰もそれを疑問に思わない。それがこの世界、ハルケギニアだったからだ。

 しかし、ルイズやシエスタは別だった。  以前、彼女たちはアルビオンで出会った、ティファニアというハーフエルフを知っている。  他者の記憶に干渉し、操作し、消去する。  ルイズとは違う、また別系統の“虚無”の呪文を使う、もう一人の虚無の担い手。

「そういう事だ。つまり今の相棒の頭にゃあ、このハルケギニアに召喚されて以降の記憶が、すっかり消去されちまっているらしいって事だ」 「――じゃあ、じゃあ、これも虚無の呪文のせいだって言うの? どっかの誰かが、私の使い魔に、記憶を消す呪文をかけたって言うの!?」  ルイズが呆然とデルフリンガーに尋ねる。 「そうかも知れねえ。でも、そうじゃないかも知れねえ」 「どういう事よっ!!?」  しかし、デルフリンガーはもうルイズには答えなかった。

165 名前:見知らぬ星(その3)[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 23:31:50 ID:QnSyKUdb

「相棒――」 「……」 「俺を鞘から抜いてみな」

 膝を突いて頭痛を堪えていた才人は、ちらりと剣を見上げる。  その目に、さっきまであった怒りと弾劾は微塵も無かった。  この剣が、一体どういう構造で、誰がスピーカーの向こうから自分に語りかけているのか。さっきまでの好奇心はともかく、――しかし、才人の心に一瞬にして不安に染め上げたのは、さっき剣が喋ったその一言だった。

――記憶喪失。

 現代人の才人なら、当然知っている、この奇病。  そう言われてみれば、この部屋も、この少女たちも、どことなく見覚えがあるような気がする……。

「いいから早く俺を抜きなっ! 相棒!」 「っ!」  デルフリンガ−の鋭い声に、思わず才人は剣の柄を握り締める。  その時、彼の左手の甲に、光り輝くルーンが現れた。

「なっ、何だこりゃあっ!??」 「――やっぱりな。記憶はなくなっても、契約までは消えちゃいねえ」 「契約……!?」 「そこの、貴族の嬢ちゃんの使い魔になったって、契約さ」 「……分からねえ。お前の言ってる事は全然分からねえ」

 その才人の呟きに、ルイズは胸を突かれたような、痛みを感じる。 (ミス・ヴァリエール……)  シエスタだけが、そのルイズの動揺に気が付いた。  しかし、当然ながら、才人の意識は眼前の剣にのみ向けられている……。

166 名前:見知らぬ星(その3)[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 23:33:15 ID:QnSyKUdb

「いいか相棒。これからちょっとしたショック療法をするからな。気をしっかり持つんだぜ」 「何をする気だ……!?」 「ガンダールヴと武器との共鳴現象を利用して、お前の頭に、俺の記憶を送り込む」 「がっ、がんだむ!?」 「あああっ、もう、どうせ説明しても分かりゃしねえ! いくぜっ!!」

 その瞬間、才人の心に、膨大なまでの映像と音声、そしてこの剣自身の心の声を含めた、“記憶”が流れ込んできた。

「ああああああああああ!!!!!!!」

 才人は叫び、手にした剣を床に落とした。

「サイトっ!!」 「サイトさんっ!!」  ルイズとシエスタは思わず彼のもとに駆け寄る。  才人は白目を剥き、ひくんひくんと痙攣を繰り返している。

「ちょっとアンタっ! サイトに一体何をしたのっ!!?」  すごい見幕でデルフリンガーに唾を飛ばすルイズ。 「さっき言ったろっ! ガンダールヴの武器共鳴現象を利用して、相棒の頭にショックを与えただけだ。――それよりもっ、相棒の記憶は戻ったかっ!?」

167 名前:見知らぬ星(その3)[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 23:36:02 ID:QnSyKUdb

「サイトさんっ! サイトさんっ!! しっかりして下さいっ!!」 「サイトっ!!」  ルイズも負けずに彼の眼を覗き込む。 「起きなさいっ!! 起きなさいよっ、サイトっ!!」  パーカーの襟首を掴み、がくんがくんと揺らし捲くる。 「起きなさいっ、起きるのっ、起きなきゃダメなのっ!! アンタは――私の使い魔なんだから、――私に仕える、私だけに仕える使い魔なんだからねっ!! とっとと、バカで間抜けな元のサイトに戻りなさいっ!! 御主人様の命令なんだからっ!!!」 「ミス・ヴァリエール……」 「お仕置きだからね……元に戻らないなら……本当に……お仕置きしちゃうんだからね……ばかぁ……ばかぁぁぁ!!」

「――ルイズ」

 ルイズの体がびくんと震え、 「サイト……!! 分かるの? 私が誰だか分かるのっ!?」 「サイトさん、サイトさん! 治ったんですね!?」  その歓喜は……しかし、数秒を待たずして、冷め始める。  才人のその瞳には、やはり何の感情も湧いてない冷たい光が宿っていたのだから。

「……」  彼は無言で身を起こすと、よろよろと窓まで辿り着き、格子戸を開く。  そこには、煌煌と輝く、二つの月。

「サイト……?」 「ルイズ」 「なっ、何っ!?」 「帰る呪文は、無いんだな?」 「――えっ!?」

 その問いかけは、窓から月を見上げたままだったため、二人には、才人の表情は見えない。しかし、表情以上に、その背中が雄弁に語っていた。――この世界に対する明瞭なまでの拒絶反応を。 「俺をここへ、ハルケギニアに召喚したのはお前だ。だから、俺を元の世界に帰す呪文があるとすれば、それを使えるのは、やはりお前だけだ。だろ?」 「……サ、イト……!!」 「どうなんだルイズ。あるならある。無いなら無い。ハッキリ言ってくれ」 「……無い、わ」 「ミス・ヴァリエールっ!!」 「虚無の呪文にも、か?」 「……」 「――そうか。わかった」  そう言って振り返った才人の瞳は、涙に濡れていた。

「俺はもう、帰れないんだな」 「……」 「まっ、待ってくださいサイトさんっ!! 東方に行けば、あるいは何か手がかりがあるかもって――」 「そんな可能性の話はいいんだ、シエスタ」 「かっ、可能性って、……!?」

 才人は、絶句するシエスタから、再びルイズに視線を向ける。

168 名前:見知らぬ星(その3)[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 23:38:13 ID:QnSyKUdb

「相棒、お前、やっぱり記憶は……?」  剣の問いかけに、少年は哀しげに首を振る。 「……そうか」 「この世界の事は、何となくだが分かった。お前の記憶が教えてくれた。ルイズの名前も、シエスタの名前も、俺という存在が、この世界に於いて一体何者であるのかも、な」  そこまで言って、ルイズを見据える才人の瞳に、強い感情が宿る。

「ルイズ。……いや、敢えてこう呼ぼうか、ミス・ヴァリエール」  ルイズの体が、再びびくんと、電気ショックを受けたように弾ける。

「お前が俺をどういう眼で見てくれたのか、それもデルフが教えてくれた。でも、でも……!」  才人の奥歯がぎしりと鳴る。 「俺は、お前を許せそうに無い」 「さっ……!!」  ルイズの心が悲鳴をあげる。

 待って、やめて、サイト、サイト! もう、もうこれ以上言わないで!! お願いだからサイトぉ!!

「お前は、ひとさらいだ。ミス・ヴァリエール」

 やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!! やめて!!

「いつか必ず、お前に復讐する」

 やめ―― ……。

 ルイズは、その場に崩れ落ちた。

353 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:12:26 ID:N42Zi1rp

「……どうぞ」

 シエスタが、卓上にカチャリと音を立ててカップを置く。 「学院生の方々が飲んでいるハーブティほど上等な紅茶じゃありませんけど……」 「ありがとう」  才人は疲れたような笑みを浮かべると、一口すすった。

「熱っ!」 「あっ、ごめんなさい!」 「あ、――いや、おいしいよ」 「……」 「……」

 ここはシエスタの個室。  才人の『御付き』になってから、シエスタはルイズの部屋に無理やり押しかけてきたが、無論それまでの個室も、完全に引き払ったわけではない。彼女の私物は、そのほとんどが個室に置きっ放しになっているからだ。

 あの後、ルイズは倒れ、気を失った。  しかし、そのルイズをベッドに運び、優しく毛布をかぶせたのは、当の彼女に言葉のナイフを突きつけた才人その人だった。  シエスタは、そんな才人を表現の仕様のない感情で見守りながらも、取りあえず自分の部屋まで案内した。  ルイズに決別を宣言した才人が、そのまま、いつものように彼女の眠るベッドで休むはずもなかったからだ。

「サイトさん……」 「――ん?」 「……やっぱり、あれは……言い過ぎだったんじゃないでしょうか?」 「……」 「サイトさんの気持ちも分かりますけど……でも、ミス・ヴァリエールだって、悪意があってサイトさんを召喚したわけじゃない、はずです」 「悪意?」 「はい。――以前、ミス・ヴァリエールが言ってました。使い魔の召喚の儀式っていうのは、一体どんな生物が使い魔として出現するか、当の本人にも分からないんだって」 「“生物”、か……」  いかにもルイズらしい、傲慢な言い草だ。才人は思わず苦笑した。

354 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:14:18 ID:N42Zi1rp

「あ――、その、気を悪くしたんなら謝ります! だって、その、普通はサモン・サーヴァントで人間が現れるなんて、ありえない事だからって……」 「いいよ。続けてくれ」  その才人の微笑を見てシエスタも安心したようだった。 「だから、サイトさんが無理やりハルケギニアに召喚されたように、ミス・ヴァリエールだって、わざわざサイトさんを選んで召喚したわけじゃないんです。だからこれは、いわば――」 「事故みたいなもんだって事か」 「……やっぱり、気を悪くしました?」 「……」  才人は返事の変わりに、手に持った紅茶を飲み干した。まだかなり熱かったが。

「シエスタ」 「はい」 「キミが言いたい事も分かるよ。でも、でも、――それでもやっぱり、納得しろっていうのは……無理だよ」 「サイトさん……」

「あいつは……俺から何もかも奪いやがったんだ……! 家族も、友達も、故郷も、過去も、未来も、何もかも! 何もかもだ! ――その上であいつは、この俺を『犬』扱いしやがったんだ! 『使い魔』は床で寝ろとぬかしやがったんだっ!!」

 才人の手の中で、空になったカップが、みしりと音を立てた。   「キミだったら納得できるって言うのかっ!? 突然わけの分からん世界に拉致られて、理不尽な命令に振り回されて、気に入らなきゃあムチでシバキまくられる。そんな悪夢に俺を蹴りこんだ当の本人を、キミだったら許せるっていうのかっ!?」    シエスタは何も言えなかった。まだ少女と呼ぶべき年齢の彼女は、才人の問いに答えるには、あまりに持つべき言葉が少な過ぎた。しかし、それでも、それでも彼女には分かる事があった。 「……ダメですよ、サイトさん」 「……」 「もう、いい加減に無理はやめましょうよ。そんなのサイトさんらしくないですよ」 「……無理なんかしてない」 「だったら、何でそんなつらそうな顔をしてるんです? まるで――」 「……」 「まるで、涙を必死にこらえてる子供みたいですよ?」

 才人の拳が、ぎゅう、と音を立てる。

355 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:16:29 ID:N42Zi1rp

 悔しいが、シエスタの言う通りだった。

 いま、才人の心中は、ルイズに対する怒り以上に、言いようの無い後悔と後味の悪さで一杯だったのだ。  無論、才人は、自分自身の怒りに、何ら後ろめたさは感じていない。この激情はあくまでも、まっとうな感情だと信じている。しかし、それでもなお、もう一人の自分が、その怒りに圧倒的なまでの冷や水をぶっかける。  そして、その“もう一人の自分”を援護する、シエスタの声。

「サイトさんには分かっているはずですよ。ミス・ヴァリエールはサイトさんの事を、犬でも単なる使い魔でもなく、一人の男性以上の目で見ていることを」

 確かに、そこまでは、才人も知っていた。  あくまでデルフリンガ−の記憶を介した情報ではあったが、ルイズというケタ外れにプライドの高い少女が、そのプライドゆえに素直になれない才人への想いを、悶々と抱きつづけているという事実も。  しかしそれも、所詮は、第三者の記憶を通じて知った事実であり、歴史の年表と同じく、実感も感慨も湧かない“知識”でしかなかった。

……少なくとも、そのはずだった。この、才人自身でさえも説明できない、胸の痛みさえ除けば。

「分かってませんっ!!」  ばんっ!!  シエスタが、渾身の力でテーブルを叩き、才人を黙らせる。

「あの人は、あの人は、――自殺しようとしたんですよっ!! アルビオンでサイトさんが生死不明になった時、ショックで錯乱状態になってっ!!」

「自殺……? あのルイズが?」  これは、才人にとっても初耳な事実だった。  デルフリンガーの記憶を共有した才人ではあるが、そのころ剣は彼と共に、ルイズのもとを遠く離れた浮遊大陸にいたため、当然、トリステインに残った彼女たちの動向までは知らなかったのだ。

「あの人は、あなたを愛してるんです! この世でただ一人、サイトさんだけを!! そうでなかったら、貴族が使い魔の後追い自殺なんかするわけがないでしょう!?」

356 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:19:32 ID:N42Zi1rp

 ルイズは目を覚ました。  頭が痛い。  暗い。  ランプの灯りはとっくに消えている。  自分が倒れてから、一体どれほどの時間が経過したのだろう?  随分長い間眠っていたような気もするし、あれから五分も経っていない気もする。  いや、それだけじゃない。  寒い。  ふかふかのベッドの中で、上等の羽毛布団に包まれて眠っていたはずなのに、何故こんなに寒いのか。

――サイト。

 急ぎ、周囲を振り返る。  誰もいない。  才人も。シエスタも。――誰もいない。 (隣にサイトが寝てないと、このベッドって、こんなに広いんだ……)

 記憶を失う以前の才人は、この豪奢な寝台で、よく彼女と眠りを共にしたものだった。  また、彼が騎士団の副隊長に就任してからは、『御付きメイド』という名目で、シエスタも同じベッドに入り込み、3人川の字で眠る事も、半ば習慣と化していた。  当時のルイズとしては、かなりメイドの図々しさにムカついたが、それでも、今から思えば楽しい想い出だったと言えるだろう。  彼の身体を枕代わりにするのは、彼女にとって心地よいものではあったが、それでも、時折は狭苦しさや、暑苦しさを覚えたのも事実だった。  しかし、本来ならば、解放感すら伴う広々とした感覚が、今では真冬の寒さすら覚える寂寥感しか生産しない――。

『いつか必ず、お前に復讐する』

 物理的にまで胸をえぐる一言が、頭の中を再び、駆け巡る。

「ゆめじゃ、なかったんだ……!」

 涙がこぼれる。  止まらない。  次から次へと。  絶望。  アルビオンで才人とはぐれ、彼が死んだと思った時も、確かにルイズは絶望した。  しかし、いま彼女の胸を貫く絶望感は、その悲しみをさらに凌駕する。

――嫌われた。 ……私、サイトに嫌われちゃったんだ……!!

 そう思った途端、心臓が止まるほどのギリギリとした『痛み』がルイズを襲う。  彼女はこの日、久しぶりに思い出した。  悲嘆と絶望による苦痛は、物理的感覚を激しく伴う。  ルイズは、全世界が敵に回り、自分に牙を剥いたような孤独を感じた。

357 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:21:52 ID:N42Zi1rp

 こんこん、こんこん。

 控えめにだが、ドアをノックする音が聞こえる。 「ミス・ヴァリエール、お目覚めですか?」  シエスタの声だ。  正直、ルイズとしては、才人以外の誰にも会いたくなかったのだが、このメイドなら、仕方が無い。今のところ、彼女の気持ちを察してくれるであろう、唯一の存在なのだから。  ルイズはランプに火を点すと、ロックを外した。 「入って……」

「よかった……。起きてられたんですね……?」  シエスタ曰く、ルイズは丸一昼夜、眠りつづけていたらしい。 「今度は、ミス・ヴァリエールまで、お目を覚まされなくなるなんて……。私これからどうしたらいいのか、そう思ったら、いてもたってもいられなくなって……」

――優しい娘だ。

 ルイズは、元来、恋敵であったはずのこの少女の心配が、胸に染み透るほど嬉しかった。  いつだってそうだった。  アルビオンで才人が行方をくらました時も、このシエスタだけは本気になってルイズを心配し、あまつさえ、塔から飛び降りた自分の命を救ってくれたのだ。  今回の、才人の記憶喪失で、ルイズは実質的にその恋愛戦線から脱落したに等しい。  ならば今のうちに、もっと彼に接近し、プラスの印象を与える事も出来るだろうに。

「今のサイトさんは、私がお傍についていても、何のお助けも出来ないみたいですから……」

 あれから、二人でどうしたのかと問われたシエスタはそう答え、寂しげな笑みを浮かべた。彼は今、ゼロ戦の倉庫で休んでいるそうだ。   「ミス・ヴァリエール、散歩しません?」 「え――、散歩ってこんな時間に?」 「ええ! こんな夜はうじうじ部屋に閉じこもってたって、一層気分がくさくさするだけですよ。お月様の光を浴びて、気分直ししましょうよ!」

 そう言いながらにこにこしているシエスタに、ルイズは逆らえなかった。  正直言って、外に出る気分ではなかったが、彼女の笑顔を見ているうちに、――まあ、それもいいか、と思えるほどには気分が回復してきたのだ。

358 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:23:47 ID:N42Zi1rp

 煌煌と輝く月光は、いまが夜であることを忘れさせる。

「ねえ、シエスタ」 「はい、ミス・ヴァリエール」 「……いい月、よね」 「そうですね。ミス・ヴァリエール」 「ねえ、シエスタ」 「はい、ミス・ヴァリエール」 「あいつの世界じゃ、月は一つしかないらしいわ」 「……」 「チキュウという星の、ニホンという国の、トウキョウという都」 「そこに住んでいたんですか? サイトさんは」 「ええ。……王も貴族も奴隷もいない世界。その世に生まれたものは全て、法の下に平等の義務と権利を課せられ、例えどんな大富豪や大地主も、罪を犯せば等しく裁かれ、服役する。そんな世界」 「……」 「それと逆に、例えどんなに貧しく卑しい生まれでも、等しく教育の機会と権利を与えられ、あらゆる方面に自分の才能を開花させるチャンスを持てる。そんな世界」 「……」 「肌の白い黒いも無く、出自の尊い卑しいも無く、男も女も無い。やりたい事をやりたいように生きる自由を、『当たり前に』認められている世界。……それがサイトのいた世界」 「……信じられませんけど、それが本当だとしたら――」 「本当だったら?」 「――素晴らしい世界です。まるで、おとぎ話の夢の世界みたい」 「……そうよね」

――サイトが私を憎むのも当然だ。

 落ち着いて考えてみれば心底そう思う。自分は才人を、それほどの理想郷から無理やり召喚してしまったのだから。

「いいえ。あなたの罪は、ただ憎まれてそれで済むという程度のものではないわ」

 その瞬間、ルイズは自分を取り囲む無数の気配を感じていた。

359 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:25:57 ID:N42Zi1rp

「――なっ!?」

 いつの間に……?  という言葉が口に出るヒマさえなかった。  すでに二人は、それぞれ武器を携えた12体のガーゴイルに、すっかり包囲されていたからだ。 「――ひぃっ!」  思わず息を飲むシエスタの喉下に、長弓を構えたガーゴイルが狙いを定める。 「声を立てるんじゃないよ」  ルイズは、その声に聞き覚えがあった。

――確か、シェフィールド……とか……。

「お久しぶりですね、ミス・ヴァリエール。偉大なる“虚無の担い手”の一人」 「あんた、確か……」 「そう、私はミョズニトニルン。――おっと、抵抗しても無駄ですわよ。あなたが杖を携帯していない事は確認済みだし、もし大声なんか出そうとしたら、確実にそのメイドはハリネズミよ」 「くっ……!」 「どうやって“面会”を申し込もうか思い悩んでいたけども、まさか、使い魔もつれずに、自分からわざわざ出てきてくれるなんて、嬉しい誤算もいいところだわ。さあ、私と一緒に来て頂戴」

 額にルーンを浮かべた端整な顔が、不気味に微笑む。  勝利を確信したどころではない。  ネズミをいたぶるネコの笑顔だ。  そして何より、ルイズ自身、自分が無力である現状を一番認識していた。  杖を持たず、使い魔もつれず、足手まといのメイドを引き連れたメイジなど、もう一人の“虚無の使い魔”ミョズニトニルンの前では、余りに無力だ。  ルイズは素早く決心する。

――シエスタを巻き込むわけにはいかない。

360 名前:見知らぬ星(その4)[sage] 投稿日:2007/04/19(木) 04:31:09 ID:N42Zi1rp

 ルイズは心を可能な限り落ち着かせ、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「こんな事頼むのは、あまりにムシが良すぎるかもしれないけど……シエスタを自由にしてくれない? そうしたら私、あなたの指示に無条件で従うわ」 「ミス・ヴァリエールっ!?」 「黙って、シエスタっ!!」  ルイズは一睨みでメイドを黙らせると、 「断る理由はないはずよ? あなたが欲しいのは、私の身柄なんでしょう? だったら――」 「あなた自分の立場分かってるの? それとも、やっぱりバスト同様、頭もカラッポなの?」

 シェフィールドの言葉を聞いた瞬間、ルイズは屈辱で頭が真っ白になった。しかし、それでもなお歯を食いしばって怒りを堪える。確かに、彼女の言う通りなのだ。この現状は、どう考えても“敵”と交渉が出来るような情況ではない。 「もし私が、『断る。構わないから二人とも引っ張って来なさい』って、この人形どもに命じたら、あなたどうするの?」 「舌を噛むわ……! だって、あんたたちが欲しいのは、私だけのはずでしょう?」  苦しげにそう呟くルイズに、シェフィールドは、やれやれといった感じで、 「その後、メイドさんも殺されるのよ。それも、確実にあなたより酷い方法でね。それでも死を選ぶの?」 「……」

 そこまで言って気が済んだのか、シェフィールドは表情を崩した。 「まあいいわ。今日のところは、あなたの言う通りにしてあげる。もし本当にあなたが舌なんか噛んだ日には、こんなメイド百人殺したところで割に合わないからね」 「じゃあ……!」 「ええ、あなたの馬鹿げた条件に乗ってあげる。だから、大人しくついてきなさい」 「ミス・ヴァリエールっ!!」

 シエスタが叫ぶ。 「いいの。私は大丈夫だから」  ルイズが微笑む。 「シエスタ、サイトに伝えて」 「ミスっ!」

「――あなたに会えて、ルイズは本当に幸せでした、そして……」 「……そして?」 「ごめんなさい。……って」

 シエスタは、膝から崩れ落ちた。  月光と涙に曇る彼女の視界の中に、ルイズの姿は小さくなり、やがて、消えた――。

399 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:07:18 ID:gRUwheW6

「ルイズ!!」

 才人は跳ね起きた。  いま、闇の中で、ルイズが可愛らしい微笑みを浮かべ、何処かへと去って行ったような気がしたのだ。  その笑顔とは裏腹に、彼女の瞳はじっとりと涙に潤んでいたようにさえ見えた。

「……」  胸が痛い。  まるで、肋骨か心肺機能に物理的な疾患でもあるかのような、ずきりとした痛みが、才人の神経を走る。  この“痛み”は、先程までルイズが、彼に対して感じていたものと、おそらく同質のものであろう。つまりは、相手に対する、ある種の後ろめたさから発生した、ストレス性の神経痛の一種に違いない。  記憶を失ったはずの才人ではあるが、それでも、記憶を失った事で抑圧された“ルイズを愛していた頃の才人”の自我が、僅かながら残留しており、それが金切り声のようなストレスを生じさせた結果が、あの疼痛として表面化するのであろう。

(この俺が、あのチビに後ろめたさを覚える筋合いがどこにある)  彼は懸命に、そう思おうとした。可能な限り、必死に。  しかし、頭がそう命じても、彼の心は一向にその命令に従おうとはしない。  むしろ、腕ずくで従わせようとすればするほど、バネ仕掛けのように、反発力だけがますます増加してゆく。  そんな理性と無意識の葛藤に疲れ果て、ようやく、うとうとし始めた頃合を見計らったかのように、脳裡に現れたのが、さっきのルイズの夢だったのだ。

――アイツは、一体どこまで俺を苦しめれば気が済むんだ……。

 ルイズからすれば心外もはなはだしい一言を、才人はその心中で呟く。  しかし才人自身、さっきのルイズの夢に、違和感を覚えていたのも事実だった。  これまでの葛藤は、全ておのれ自身の心の内のものであったのに対し、今のルイズの夢は、どうやら心の外――何処かも知れぬ外部から、直接才人の魂に送信されてきたように感じたのだ。

(まさか……!)  いや、間違いない――。  嫌な予感だけが、無限に広がってゆく。

「ルイズに、何かあったのか……!?」

400 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:10:56 ID:gRUwheW6

「サイトさんっ!!」  そう言いながら、漆黒のゼロ戦の格納庫に何者かが飛び込んできた。 「シエスタ?」 「――サイトさんっ、よかった、まだ起きていらっしゃったんですね!? ミス・ヴァリエールが、ミス・ヴァリエールが大変なんです!!」 「ちょっと待て、落ち着いてくれシエスタ。いま灯りを点けるから」  そう言って、種火からランプに火を灯した才人が見たものは、泥と汗にまみれ、それ以上に、涙とよだれで表情をくしゃくしゃにしたメイド姿の少女だった。

「ルイズが……さらわれた……!?」

「まだ、まだ今なら間に合いますっ! 早く追ってくださいっ! 早くしないと、あのままじゃあ、ミスが、ミス・ヴァリエールが――殺されてしまいますっ!!」 「……」  才人は沈黙せざるを得なかった。

「サイトさんっ!! どうしたんですっ!? あなたはガンダ−ルヴなのでしょう!? ミス・ヴァリエールを守る、そのためにシュバリエになったのでしょう!!」 「……」 「サイトさんっ!!」 「関係ねえよ」 「サイトさんっ!!」 「俺にはもう関係ねえって言ってるんだよっ!! あいつが死のうが生きようが、そんな事、この俺の知った事かっ!!」  シエスタは声を失った。

「サイトさん、――嘘ですよね……。まさか本気じゃないですよね……?」

 才人としては、当然――本気ではない。  しかし、かといって100%の大嘘かと問われれば、それも微妙だった。  人間の心とは、そう簡単に割り切れるものではない。自分が言っている事が嘘か本気か、才人自身にも正直分からなくなっていたのだ。  そして、彼の混乱した心理はさらにヒステリックに、悲鳴のような拒絶反応をあげる。ルイズに、ではない。もはや、まともに物を考える事すら否定した、この世界全体に対する拒絶反応。

「関係ねえっ! もう俺はアイツと関わり合いたくねえんだっ!! ほっとけばいいんだよ、あんなクソ女!!  よしんばブッ殺されたとしても、それはそれで自業自得じゃねえかっ!! こっちにとっちゃあ、あのチビなんざ、恨みこそすれ助ける義理なんかねえんだっ!!」

401 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:12:59 ID:gRUwheW6

 そうだ。  その理屈の何が間違っている?  正しいのは俺だ。  俺のはずなんだ。

 自分の中の何かを、無理やり奮い立たせて才人は叫んだ。  そんな彼を、信じられないように見つめるシエスタ。

「嘘です、嘘です、サイトさんがそんな事言うわけありません。例え、私たちの記憶を丸ごと無くしてようと、……ミス・ヴァリエールを殺したいほど憎んでいたとしても、それでも、サイトさんが、私たちのサイトさんがそんな事言うわけが無いんです!」  シエスタは言った。 「サイトさんは伝説のガンダ−ルヴで、平民からシュバリエに叙勲されたスゴイ人で、でも、でも、おっちょこちょいで明るくて、おまけに誰にでも優しくて、ケンカっ早くて不器用だけど、それでも誰よりも優しくて――」 「やめろ!!!」

 才人がベッド代わりにしていたソファから、毛布が落ちた。

「――俺は、平賀才人だ」  才人は言った。 「平成生まれで東京育ちの、どこにでもいる地球人だ。それ以上でもそれ以下でもねえ。“がんだむ”だか“しゅばるつ”だか知らねえが、そんなわけの分からん名前で俺を呼ばないでくれ。俺は――」  そこまで言って才人は、何かに気圧されたようにシエスタの瞳から目を逸らし、 「俺は、ただの、平賀才人だ」  そう、呟いた。

 ぱしーん。

 格納庫に、才人をビンタする音が響いたのは、それからさらに数秒後の事だった。

402 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:16:21 ID:gRUwheW6

「シエスタ――」 「分かりました」  才人の言葉を遮るように、シエスタが口を開く。 「つまり」  少女は泣いていた。  悲しみの涙でも絶望の涙でもない。それは純度100%の怒りの涙だった。

「サイトさんは、もういないんですね?」 「……」 「あなたはもう、私たちが知っているサイトさんではないのですね? 私たちのために命がけで戦ってくれたシュバリエの、あの勇敢なガンダ−ルブのサイトさんは……もう、本当にいなくなってしまったんですね?」 「……」 「分かりました」

 シエスタがハンカチで涙を拭くと、 「夜分、突然押しかけてしまい、まことにご無礼仕りました。――“チキュウ人”のヒラガサイト様」  きびすを返し、毅然と格納庫を去ってゆくシエスタを、才人は何も言えず、ただ俯き、見送るしかなかった。

403 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:18:42 ID:gRUwheW6

「いいのかい相棒?」  壁に立てかけてあったデルフリンガーが、かくかくと、その身を震わす。

(相棒、か……)  こんな自分を、未だにパートナー扱いしてくれる奇妙な剣を、才人は何か眩しいものでも見るかのように振り返り、寂しく笑って答える。 「いいも悪いも、ないだろうがよ……」 「――怖いのかい」

 デルフリンガーの、その一言がきっかけだった。  シエスタの前で懸命に堪えていた何かが、才人の中で決壊した。 「……」  手も、足も、肩も、腰も、膝も、口元も、全身の震えが止まらない。  才人は思わず、ソファにへたりこんだ。  まるで末期のマラリア患者のようだ。 「そうか……、やっぱりな」

 繰り返す事になるが、今ここにいる平賀才人に、ハルケギニア以降の記憶は無い。  その代わり、脳中にあるのはデルフリンガーの視点からの記憶であるが、これも、あくまで“知識”のレベルでしかない。  だから、そんな才人が、召喚されてからこっちの人間関係に、実感の伴わない、まるで他人事のような手触りしか感じないのは、ある意味当然とすら言える。  ルイズやシエスタが、彼を巡って大騒ぎしていたと知っていてもなお、バレンタインデー恒例のドッキリのように、彼女らの態度に信憑性を感じる事も無い。ましてや彼は、東京では全くオンナに縁の無い、モテナイ君だったのだから、それはなおさらだ。

 しかし、一つだけ骨身に沁みている事がある。 ――メイジと、メイジたちの使う魔法の、その恐るべき威力である。

404 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:21:25 ID:gRUwheW6

 すでに彼は、このハルケギニアで幾多の戦闘を経験し、シュバリエの称号を叙勲されるほどの戦士であったが、しかし、その成長過程はむしろ奇跡的と言えるほどの幸運に満ちている。

 彼の戦績における、対メイジ戦の初陣とも言えるギーシュ戦では、魔法に関する知識も持たず、対策も立てず、戦法といえばただ殴りかかるだけという、幼稚というにはあまりにも幼稚なものであった。  結果的に才人は、ガンダ−ルヴの力で勝利を得るが、それでもハッキリ言えば、この戦闘で彼は死んでいても何ら不思議はなかった。

 フーシェやワルドと対戦した時も、特に対魔法戦闘に工夫を凝らした様子は無い。  ガンダールヴの能力による加速(つまり呪文詠唱中に懐に飛び込む戦法)でメイジに勝てるだろうという、いわば場当たり的な楽観論に支えられた勝利でしかないのだ。  その証拠に、ワルド戦における直接勝因は、才人自身も予想外であった、デルフリンガーの魔法吸引能力であり、フーシェ戦に至っては、“破壊の杖”と呼ばれたロケットランチャーが無ければ、やはり彼らは死んでいたはずだった。  さらにヴェストリの広場でのタバサとの戦闘や、アーハンブラ城におけるビダーシャルとの戦闘……。

 繰り返しいう。  彼に戦士としての記憶は無い。  しかし、戦士としての素養までが無くなったわけではない。異世界からイキナリ伝説の使い魔として召喚されるほどの少年である。むしろ、人一倍、濃厚にあったといっていい。  そんな才人だからこそ、今となっては、骨身が凍るほどの寒さと共に理解できるのだ。  これまでのメイジとの戦闘における勝利が、文字通り、薄皮一枚のギリギリのものである事を。

――よくぞ命があったものだ、と。

 戦闘の記憶が、“経験”という形で裏打ちされていない以上、例え勝利までの過程を、どんなに詳細に“知識”で知っていたとしても、その輝かしい戦歴も、実感の伴わない空虚なものでしかない。  ましてや、才人は現代人だ。元をただせば、戦後民主主義の中で、ぬくぬくと生まれ育った『戦争を知らない子供たち』でしかない。  日常に“死”を意識せぬ生活の記憶しか持たない今の才人にとって、もはやメイジとの戦闘は、まさしくトラウマになるほどに恐怖を喚起させる“知識”なのだ。  シエスタほどに利発な少女をしても、才人の今の感情は、所詮理解は出来ないであろう。  才人自身、ルイズに対する特別な感情を持てない今、自分と同じ“虚無の使い魔”であるシェフィールドとの戦闘に赴くのは、まさしく虎の檻に自ら足を踏み入れるのと、同程度の覚悟が必要なのだから。

406 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:24:33 ID:gRUwheW6

「まあ、お前の気持ちは分かるがね……」

 カタカタと耳障りな音を伴い、剣が口を開く。 (分かるものかよ)  才人は、知った風な口を利くデルフリンガーに、思わずむっとした。 「怒るなよ、相棒」  その口調は、意外に優しいものであった。  しかし、慰めの言葉は時として、侮辱以上に人の心を逆撫でする。

「……こんな俺を、未だに相棒と呼んでくれるってのか?」  才人の口元が、自嘲の笑みで皮肉に歪む。 「さっきシエスタが言ってたろう? ここにいる俺は、もうお前らの知る“サイトさん”じゃねえんだ。とっとと見限って他の奴らのところに行っちまいな」 「――まだ、そんなくだらねえ事言ってやがるのか」  剣が、心底呆れたように言った。

「いい加減、素直になりな相棒。お前だって本当は分かってるはずだぜ」

 才人は言葉を返せなかった。 ――素直になる。  素直になって、何を認める?  ルイズへの愛、か?  分からない。  分からないが、確かに分かる事もある。それは、かつて自分は確実に、あの娘を愛していたのだろうという、痛みすら伴う胸の疼き。そして――。

「今のお前が、あの嬢ちゃんに複雑な心境を持つのは、ある意味仕方がねえ。 ――でもな相棒、オンナノコがお前を名指しで助けを求めてるんだ。それをお前、『俺はもう関わりたくねえ』なんて、ドブネズミみてえな台詞でケツまくろうってのかい? お前は、そんな自分を本当に許せるのかい?」

「手前自身に、何のためらいも無いなら行かないのもいいさ。でもな相棒、少しでも迷いがあるのなら、お前は行くべきだ。後悔しながら人を、――それも女を見捨てた男の末路ってのは、例外なくムシケラだ。相棒みてえに骨のある奴なら、なおさらな」

「何より、あのお嬢ちゃんは心底お前に惚れきってる。相棒が死んだと聞いて、絶望の余り自殺を図るほどにな。 『帰る、帰る』とお前は言うが、お前の世界じゃ、あの嬢ちゃん以上に相棒を待っている誰かがいるっていうのか? お前のチキュウは、このハルケギニア以上に相棒の存在を必要としている世界なのかい?」

407 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:27:36 ID:gRUwheW6

――そうだ。

 確かにこいつの言う通りだ。  才人は思った。  この世界は、……少なくともルイズは、俺を必要としている。  そして地球は、……少なくとも、俺が居ずとも地球は回る。  しかし、  しかし、  しかし、  しかし、それを認めろというのか?   「あああああああああああ!!!!!!」

 才人は、額を床に叩きつけた。  何度も、何度も、何度も、何度も。 「この頭が! この頭が! この頭が! この頭がっ!!!」  皮膚が切れ、血が流れ出る。  しかし、彼は止まらない。頭蓋も砕け散れと言わんばかりに、その衝撃はますます激しさを増す。 「っっっ!!」  ごつん。  石畳にひびの走った音がした。  才人の動きが止まった。

「相棒」 「……」 「気は済んだかい?」  答えないかわりに、才人は呆然と、鮮血に染まった顔を上げる。 「お前が自分を責める気持ちは分かる。でも、自分を傷つけるのは――」 「――なんでっ」  不意に才人が呟いた。

 ぽたり、ぽたり――。  しかし、彼の膝を濡らしていたのは、額からの鮮血だけではなかった。

「何で俺の記憶は戻らないんだよぉ……」

 才人の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

「こんな頭にならなきゃあ、記憶なんざ無くならなきゃあ、今まで通り俺は……!」

408 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 20:29:26 ID:gRUwheW6

「悪いが相棒、それは違う」

 その一言に才人は振り返る。 「お前が異世界の住人であり、お嬢ちゃんに、相棒を無理やり異世界から召喚したという負い目がある限り、いずれこの問題は遅かれ早かれ表面化しただろう。相棒が記憶を失ったのは、単なるきっかけに過ぎない」

 その言葉を聞いて、才人は二の句が継げず、あんぐりと剣を見つめた。  そうなのだ。  確かにデルフの言う通りだ。  たとえ記憶を無くそうが無くすまいが、彼がこの世界の人間でない事に変わりは無い。  地球に帰るのか、永遠にハルケギニアに留まるのか、それを自らの心中に決意せぬ限り、事態は何も変わらないのだ。

 才人は今、あれだけ執拗に自分が好意の言葉をルイズに囁きながら、そしてルイズも、あれだけ自分を想ってくれていながら、何故彼女が自分に、その一言を返してくれなかったのか、ようやく分かったような気がした。  言えば、それは鎖になる。  そうルイズは判断したのだ。  いずれ、才人自身が、こっちに残るか残らざるか、必ず決意する日が来る。  その才人の決意に対し、自分の気持ちがその決意を縛り付ける鎖になってはならない。  そう判断したからこそ、ルイズは頑なに、その一言を避けたのだ。

――『好き』という一言を。

417 名前:見知らぬ星(その5)[sage] 投稿日:2007/04/21(土) 21:02:37 ID:gRUwheW6

 ぷっ……。    才人は笑った。  さっきまでの絶望感が嘘のように、才人は笑った。  腹の底から込み上げてくる笑いが、汲めども汲めども、尽きる事は無かった。  石畳にのたうちまわり、胃がよじれるほど、彼は笑った。

 そんな女を見殺しにする気だったのか?  ええ、平賀才人よ。  いい女じゃねえか。  俺には勿体ねえくらい、いい女じゃねえか。  後生大事に逃げ延びて、地球に帰って何をする?  インターネットで出会い系? クラスの女と合コンか?  ばっかじゃねえか、お前!?  ホント、ばっかじゃねえか、お前!!?

 才人は立ち上がった。  ゼロ戦清掃用のボロ布を、包帯代わりに額に巻きつける。  その口元には、まだ、あるかなしかの笑みが残っている。  しかし、その眼光には、もはやさっきまでの迷いは無かった。

「相棒」  デルフリンガーは言った。 「気は晴れたかい?」  才人は答えた。

「ああ、晴れた」

 才人が、その貴族年金で購入した愛馬と共に、学院の敷地内を出たのは、それからまもなくの事だった。

510 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:06:25 ID:080mwOqh

「サイトは来ないわ」

 グラスを一気に飲み干すと、ルイズは言った。 「何故分かるの?」  シェフィールドは尋ねる。 「……」  シエスタを解放して後、彼女のルイズに対する態度は意外に慇懃なものであった。  もっとも、ルイズの顔色の悪さと表情の暗さを見れば、例えどんな誘拐犯でも、ワインの一杯くらいは飲ませるべきかと思ったかもしれない。

「何故来ないと思うの?」  シェフィールドは重ねて尋ねる。  ルイズは答えない。  ただ、無言で空になったグラスを再び差し出す。  答える意味も無かった。  ルイズにとっては、自分が才人に憎まれているという確信がある以上、彼に関する、あらゆる希望的観測を抱くだけの精神力はもはや無く、それを眼前の敵に、一から説明する義務もなかった。  そんなルイズに、やれやれ、という笑みを浮かべると、彼女は程よく冷えたワインを、ルイズのグラスに注いでやった。

「まあ、いいわ」  シェフィールドは髪をかきあげる。 「彼が来なけりゃ、それはそれで手間が省けると言うべきだしね」 (手間?)  どういう事だろう?  ルイズの理性がその一言に引っ掛かりを覚える。  しかし、その引っ掛りも、論理的な思考に結びつくことなく、雑然とした思考ノイズの中に埋没してゆく。  無理もなかった。  彼女の心理状態は、今もなお混沌状態にある。  シェフィールドからシエスタを逃がした時点で、ルイズの精神に僅かに残った緊張の糸は切れた。つまり、彼女の理性は、未だにショック状態から脱し切れてはいない。 (……どうでもいいわ、もう)

 ここは、トリステイン魔法学院から僅かにはなれた森林にある、洞窟の中。  当然、12体のガーゴイルが周辺を索敵しているとはいえ、もし、ルイズの精神状態が正常であったら、まずシェフィールドの意図を疑ったであろう。  杖も祈祷書も持たない、無力な今のルイズをさらって、何故こんなところでモタモタしているのか。早く移動しなければ、最悪、講師・生徒を含めた魔法学院全てのメイジに包囲される可能性すらあるのだ。  いや、それだけではない。  ルイズは、女王アンリエッタ直属の女官にして国軍の切り札“虚無の担い手”であり、何より女王のほぼ唯一の“友人”でもある。王宮に連絡が行けば、アンリエッタは、その権力の全てを駆使して非常線と追跡隊を編成するだろう。

 しかし、シェフィールドの思惑は違った。  ハナからルイズを誘拐するつもりなど、彼女には無かった。  だから、こんな学校の近場に陣取ったのだ。

511 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:08:59 ID:080mwOqh

「それにしても、確か、サイトくん――とかいったっけ?」  その名を聞いて、ルイズの体がビクンと反応する。 「主の危機に馳せ参じない使い魔なんて、この世に居る価値があるのかしら?」

 そのからかうようなシェフィールドの言い草に、ルイズはむっとした。  例えフラレたてであったとしても、いまだ未練の残る想い人を揶揄されて、平気な顔が出来るルイズではない。 「サイトの悪口は言わないで」  拗ねたように、ぼそりと囁くルイズ。  そんなルイズを見て、シェフィールドは心中微笑すると、さらに続けた。

「そうはいかないわ。彼は仮にも、この私と同じ“虚無の使い魔”なのよ。私の主が、あなたを助けにも来ない彼を見て、私の忠誠心まで疑い始めたら困るもの」 「……」 「『しょせん人たる身には“使い魔”は向かぬ。凡百の禽獣や幻獣の方が、理性なきが故に、その忠誠心に嘘を持たぬ』 なんて、そんなことを主に言われたら、私としてはサイトくんを斬らなきゃ済まなくなる」 「やめてっ!!」  ルイズが地面に、グラスを叩きつけた。 「サイトは、あなたとは違うわ……! それに私も、私も、あんたの御主人様なんかとは違うのよっ、このひとさらいっ!!」   そう叫んだ瞬間、ルイズの脳裡に才人の横顔が浮かぶ。

『お前はひとさらいだ。ミス・ヴァリエール』

 それは絶望の一言。  ルイズの心を一瞬にして凍結させ、さらに粉砕するだけの威力を持った、悪夢の呪文。

『いつか必ず、お前に復讐する』

「〜〜〜〜〜っっっっっっっ!!!!!」

 ルイズは吐いた。

 さっきシェフィールドからもらったワインも、その前に摂ったわずかの食事も、黄色い胃液と共に、その場にぶちまけた。  それは、何気なく思い出すには、あまりに辛い記憶だった。  ルイズの全身が、全ての内臓器官が思い出すことを拒絶している。それほどに忌まわしい瞬間。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、……!」  反吐が逆流し、瞬間、真空状態になった呼吸器を回復させるように、ルイズはその場にうずくまり、背中を震わせ、必死に肩で呼吸する。 (サイト、サイト、サイト、サイト、サイトぉ……!!)  そんなルイズを、シェフィールドは、満面の笑みを浮かべて見下ろしている……。

「サイトはあなたとは違う、そう言ったわね?」 「……」 「どう違うって言うの、私と彼とじゃ?」  そう言いながら、彼女はルイズに再びワインを差し出す。  グラスはもう無い。ルイズ自身が叩き割ってしまったからだ。

512 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:12:09 ID:080mwOqh 「彼は男で私は女。私はメイジで彼は平民。あとはあなたに優しいかどうか。……ふふふ、せいぜいが、それくらいじゃなくて?」 「違うわ!」  ルイズは顔を上げた。 「ただ優しかっただけじゃない。サイトは……こんな私を愛してくれたわ。私だって、あいつのことが……あいつのことを……!!」 「私だって、主のことを愛しているわ。使い魔として以上に“女”としてね」  シェフィールドは、自分のグラスに残ったワインに口をつけ、遠い目をする。

「主の、――あの方のためだったら、私は何でも出来るわ。どんな淫らな事でも、どんな汚い事でもね」 「それが『死ね』っていう命令でも?」 「それが、あの方のためならね」

 ピンクがかったブロンドの少女は、何ともいえない瞳で、シェフィールドを見つめると、次の瞬間、ビンをひったくり、一気にラッパ飲みをした。 「それはあなたの勝手よ! でも、でもやっぱり同じじゃない! サイトがあんたなんかと同じなわけがない! あいつは、あいつは特別なんだからっ!!」 「だから訊いてるのよ。彼のどこがどう、特別なのか」

 才人がどう特別なのか。  実を言うと、その問いに、もうルイズは答えられなくなりつつあった。  主のためなら死ぬ事さえ出来る、平然とそう言い切る彼女の目には、文字通り一点の曇りも無く、それどころか、ルイズが未だ知らぬ“女”の悦びに満ち溢れていた。

――でも、やっぱり違う。

 上手く言葉に変換できない。  でも、やっぱり、彼女は才人とは違う。それも根本的に。  ルイズの確信はもはや揺るがない。想い人であるが故の身びいきではない。女の直感だ。

 ルイズが、才人の特殊性を説明できないのは、ある意味無理もない。  平賀才人は現代人だ。  彼の生まれ育った社会には、聖職者・貴族(王族を含む)・平民・奴隷といった出身カーストによる差別が無い。  階級差別が無い。――この事実が一体どれほどの事であるのか、恐らく百万言を尽くして語ったとしても、ルイズには、いや、このハルケギニアに住む全ての人間たちに“理解”させることは不可能に違いない。

 人口の大多数を占める平民たちは、自らに『魔法』という絶対兵器を以って君臨するメイジたち(すなわち貴族)に心から怯え、屈服し、その支配を受け入れる。受け入れる事に疑いすら抱かない。  なぜなら平民たちにとって、メイジを敵に回す事は単純に『死』を意味するからだ。  彼らにとって、メイジたちへの恐怖はそれほどまでに日常化され、もはや恐怖の態をなさないほどに変換され、刷り込まれている。  即ち、お上は偉い、という思いに。

 しかし、才人には関係ない。  平成日本の東京に育った才人には、貴族に対する畏怖も、メイジに対する恐怖も無い(のちに思い知る事になるが)。  忠誠心という概念すら、死語に等しい。  だから、彼にとってルイズは、御主人様というより、どこにでもいる、ちょっと綺麗な、それでいてワガママな女の子に過ぎなかったのだ。

513 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:15:36 ID:080mwOqh

 ならばルイズはどうか。

 これもある意味、特殊な例であると言わざるを得ない。  ルイズは、トリステインの大諸侯、ラ・ヴァリエール公爵家の末娘である。  にもかかわらず、かつてルイズは魔法が使えなかった。

 平民の中にも物乞いから大商人までいるように、貴族にもピンからキリまで色々ある。  一般に貴族の爵位は、公・侯・伯・子・男の5段階に別れる。  無論、爵位も領地も持たない“騎士階級”というべき、年金貴族も存在するし、この連中が、貴族階級の中でも絶対数が一番多いのは言うまでも無い。ピラミッドは底辺に行くほど拡がるものだからだ。

 しかし、ラ・ヴァリエール家は、そんな有象無象の貧乏貴族ではない。  公爵家である。  官位の上では、王家に次ぐべき名門である。  その名門の生まれであるはずの自分が、魔法が使えない。――この事実が、ルイズの心にどれほどの劣等感を育んだか、想像に難くない。

 トリステインに進学し、本格的に修行をするようになっても、一向に魔法は上達せず、魔法以外の学科をどれほど頑張ったとしても、彼女の自尊心は満たされない。  当然であろう。貴族が貴族である証は、おのれがメイジであるというその一個の事実によって成立している。しかしルイズは、それを自らによって証明できないのだ。  辛かったであろう。  苦しかったはずだ。  学内でも有数の名門の出自である自分が、『ゼロのルイズ』と級友たちにからかわれるたびに、彼女は死にたくなるほどの屈辱を覚えたに違いない。しかも、その雑言を否定する事すらルイズには出来ない。なぜならその『ゼロ』は、紛れも無い事実であるからだ。

 また、学内には魔法が使えないもう一つの存在――平民――が、下働きとして勤めていたが、貴族ではない彼らと対等につきあい、ストレスを発散しようという発想はルイズにはなく、そんな発想が浮かんだとしても、浮かんだ自分に激しい怒りを覚えたであろう。  中世においては、同階級以外の者たちが交友関係を結ぶ事は、基本的に(女関係は例外として)ありえない。  また、ルイズには、貴族でありながらメイジではない自分を、平民たちがどう思っているのか、という猜疑心まであったのだから。  自らのプライドを、メイジとしてではなく、その出自に問う事しか出来ないルイズにとっては、自分と同じく魔法の使えない者たちまで、その劣等感の対象だったのだ。

――つまり、ルイズは孤独であった。

 彼女の前に才人という存在が、突如出現したのは、そんなときだった。

 最初、ルイズは才人を疎んじた。 (単なる魔法のみならず、召喚の儀式ですら自分は満足にこなせない)  サモン・サーヴァントで人間――しかも何の特殊能力も無い、ただの平民――を召喚したという事実は、学内に、否が応でもルイズの劣等生ぶりを強調する結果になり、才人の顔を見るたびに、ルイズの劣等感はさらに刺激されたに違いない。

 まさしく彼を殺したいほどに。

 だから、ルイズにとって、才人が異世界の出身である事など、どうでもいい事だった。  しかし、彼女はやがて、気づく事になる。

 繰り返す事になるが、この学院では、誰もがルイズを色眼鏡で見る。  国内有数の名門の令嬢として。  にもかかわらず、魔法成功率0%の学院創設以来の劣等生として。  級友たちも、講師たちも、さらには時として、学院で働く平民たちでさえも。

514 名前:見知らぬ星(その6)[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:20:27 ID:080mwOqh

 なるほど、婚約者時代のワルドも彼女には優しかったが、やはりワルド自身、卓絶したメイジでもあった。古来、出来る者から『気にするな、頑張れ』と言われたところで、一時の慰めにはなっても、最終的解決にはならない。  そういう意味では、彼女が最も慕うカトレアとて、劣等感を刺激する例外にはなり得なかったはずだ。  ルイズ自身、そんなカトレア観は、恐らく全力で否定するであろうが。

 しかし、才人は違った。それも根本的に。

 魔法の無い世界から来たこの少年には、魔法を使えないことに深刻な劣等感を抱くルイズが、少なからず理解できなかったに違いない。 『気にするな』どころではない。 『そんな事が、お前の価値を下げる事になるのか?』それが彼の視点だったはずだ。

 人間の価値は中身だ。

――現代教育においてそう叩き込まれている日本人にとって、魔法が出来る・出来ないは単に技術論に過ぎず、人格論ではない。  だからこそ才人は、彼女を、どこにでもいる普通の(というにはワガママ過ぎるが)少女として接したのである。

 まさしく彼女は才人に救われたのだ。

 劣等感のカタマリのような彼女にとって、一言でいうと、ハルケギニアに住む全ての人間は“敵”であった。  当然のごとく魔法を使う貴族たちも、魔法を使えない平民たちも、みな等しく。

 しかし、才人はハルケギニアの人間ではない。

 貴族もメイジも関係ない。  ただ一人の当たり前の人間として、対等に彼女と接したのは、それこそ、才人が彼女の生涯に於ける最初の一人であったのだ。

 少年と少女は、例え幾多の冒険を共にせずとも、やがては魂の求め合うままに惹かれあったに違いない。

 この世界に於いて才人は特別だ。  ハルケギニアより遥かに進んだ世界より来た彼は、この封建社会の常識を知らず、慣習に囚われず、権威に媚びず、利害にこだわらず、己の守るものにのみ命を賭ける。  神の敬うを知らず、王の尊ぶを知らず、貴族の畏るるを知らず、ただ、己の価値観にのみ従い、その剣を振るう。  厳密には、契約上の主であるルイズですら、彼の行動を完全に御する事は出来ないのだ。  そういう意味では、彼は、凡百の使い魔などとは全く異質な存在だ。  なぜなら、才人の中には、真なる意味での忠誠心などカケラも無く、ただひたすらルイズへの、一人の男としての愛情のみをエネルギーに行動する者だからだ。

 ただひたすらに主に盲愛を尽くすシェフィールドとは違う。  例え、主であるルイズが『死ね』と言っても、彼は盲目的に従う事は無いだろう。  愛する男に死を命じる女はいない。  それと同時に、愛する女に命じられたからといって、死を選ぶ男もいないからだ。

515 名前:見知らぬ星(その6)[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:26:01 ID:080mwOqh

 しかし、今のルイズにそこまで自分の直感を言語化することは出来なかった。  ただひたすらに俯いて、唇を噛むしかない。  そんなルイズを、シェフィールドは覗き込んだ。

「いいのよ、そんな無理して答えなくとも……。彼と、何かあったんでしょう?」  ルイズの眉間に、反射的にシワがよる。 「そう、やっぱりね」 「何も言ってないでしょうっ!!」 「言葉にせずとも、人はその心を語れるものよ。私はそれを読み取っただけ」

――いやな女だ。

 もうルイズは反論すらしない。  これ以上、この女に才人の名を口にされると思うだけで、気が狂いそうになる。  しかし、シェフィールドは、ルイズのそんな心など気にもしない。

「あなたの不幸はね」  と、シェフィールドは言う。 「使い魔に、異世界からの男を召還した事よ。童話に出て来るランプの魔神だって、願いを叶えたら帰っちゃうのよ。でも、彼の“仕事”は終わらない。一生かけてあなたの面倒を見なければならない。ワガママお嬢様の面倒をね」 「それは、それはあなただって同じでしょっ!! 使い魔の契約を結んだ以上――」 「私は、主に一生を捧げる事に何の躊躇いも持ってはいないわ。あなたの使い魔とは違う」 「……」 「あなたの使い魔は、確かにあなたを愛しているかも知れない。でも、それ以上に彼は使い魔としての意識が低すぎる。あなたに仕えているという意識が無さ過ぎる。平民のくせに。メイジでもないくせに」  ルイズは答えられない。何も言葉を返せない。 「そうね。……そういう意味では特別かもしれないわね。その身の程知らずっぷりが」

「だまれっ」

「あんたに……あんたなんかに……何が分かるのよ……。そんなサイトだから……そんなあいつだから……私は……」 「そんなサイトだから? 私には分からないわ」 「当たり前よっ!! あんたなんかに私たちの事が分かってたまるもんですかっ!!」  シェフィールドは、グラスワインを飲み干した。 「“私たち”? 女をそんなに悲しませて、何が“私たち”なの? 使い魔としてだけじゃなく、彼は男としても失格らしいわね?」

 ルイズは悲鳴のように叫んだ。 「私は悲しんでなんかないわっ!! 勝手に話を進めないでっ!!」 「あなたが言わなくとも、私には分かるって言ってるでしょう? どうせ下らない事が原因なんでしょうけど」 「下らないって何よっ!! 少なくともサイトにとっては――」 「ほら、やっぱり、そうなんじゃないの。ケンカしたんでしょう?」 「ぐっ……!!」

――頭が回らないにも、程がある。  こんなバカみたいな誘導尋問に引っ掛るなんて、普段の自分には絶対ありえない事なのに。  怒りで、またもや血が上りそうになった瞬間、ルイズに“ケンカの原因”という言葉が、またもやリフレインする。

『俺は、お前を許せそうに無い』

 ルイズの腰から力が抜け、へたり込む。

516 名前:見知らぬ星(その6)[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 02:27:53 ID:080mwOqh

「だって……しょうがないじゃない……」 「……」 「……ころしなさいよ」

 ルイズの瞳から、再び力が消えた。  シェフィールドがやがて、ゆっくり口を開く。

「何があったの?」 「サイトが……サイトが……私を許さないって……復讐してやるって……」 「何故?」 「もう帰れないからって……お前はひとさらいだって……」 「……」 「ひどいよ……ひどいよサイト……なんでそんな事言うのよ……私が……私がこんなに、あんたの事を……!!」 「好きなのね?」

 そう言われた瞬間、ルイズはようやくシェフィールドに向き直り、叫んだ。かつて彼の死に際しても言えなかったその一言を。

「そうよ! 好きよ! 大好き!! もし帰れる方法を知ってても教えなかったわ!! あいつがいなくなるなんて想像もしたくなかったから!! でもね、知らないのよ! 分からないのよ! だから、だから教えようが無かったのよっ!!」

 それだけ叫んでしまうと、ルイズの眼光から再び光が消え、彼女はその場に倒れた。 「――はやく、わたしをころしてよ」  とだけ、つぶやいて。

「殺さないわ」  そう言ったシェフィールドの表情は笑っていた。

「安心なさい、ルイズ・ラ・ヴァリエール。今日のところはすぐに返してあげる。あなたに危害を加えるつもりは無いわ」  じゃあ、あんたは何をしに来たの、とルイズはぼんやりと思った。思っただけだ。実際には、シェフィールドを一瞥すらしない。 「今日はあなたに、とってもいいことを教えてあげに来たの」  彼女は、ルイズの顎をつかんで、ぐいっと自分の方を向かせると、

「あの使い魔の坊やを、自分の世界に返してあげる方法よ」

693 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 17:30:35 ID:aDdjBH+i

 一陣の風が才人の鼻孔をくすぐる。  草の匂い。  花の匂い。  土の匂い。   ――来た。

 甲冑を着込んだガーゴイルが、こちらに近付いてくる。  才人に気付いた様子は無い。  しかし、油断は出来ない。

(気負うな。落ち着け。息を乱すな。)  七歩、六歩、五歩、――。

(あと、2メートル……)  剣の柄に両手を添える。  二歩、一歩、――。 (今だ!)

 全身の力を抜く。  枝から跳ぶのではない。あくまでも落下だ。脱力し、風に舞い散る木の葉のように。  そして、自分の体重と、その自由落下のエネルギーをすべて剣に乗せ、眼下の敵を叩き斬る。 (4つ!)  そのガーゴイルは、眼前の樹上から突如出現した才人に、なすすべなく唐竹割りにされていた。

「いいぞ相棒。なかなか動けるようになってきたじゃねえか」 「ああ、記憶が飛んでも体が覚えてるってのは、ホントらしいな。少年マンガだけだと思ってたがよ」 「最後の一言はどういう意味だかよく分からんが、まあ、そういう事だ。なら、俺がさっき言った事も覚えてるな?」  ああ、当然だろ。  才人はそう呟くと、前方の木陰に移動する。  夜空に輝く二つの月光が、逆に、身を隠すべき闇を教えてくれる。  足音を殺しながら、馬上でのデルフリンガ−との会話を思い出す。   ――いいか相棒。お前は確かに、一人で七万の軍を食い止めた過去がある。だがな、あんなムチャクチャな特攻は、二度と繰り返そうなんて思うんじゃねえぞ。

(当たり前だろ。俺だって、そこまで無謀じゃねえよ)  木陰に入り、地面に耳をつける。  足音なんて聞こえない。  しかし、伝わってくる。地面を通じて、ガーゴイルの動く気配が。 (こっちに近付いてくる……)  そのまま茂みに身を潜める。  微動だにしない。

――対集団戦の基本はな、1対1を相手の人数分繰り返すことだ。2対1でも、3対1でもねえ。1対1を繰り返す。ひたすらな。相手が20人いたなら、1対1を20回繰り返せ。30人なら30回だ。分かるな?

(悠長なこと言いやがって)  馬上、その一言を聞いた才人は、怒りで目が眩みそうになったが、何とか平静を保った。  いまの自分は、無敵を誇ったガンダールヴ・シュヴァリエ才人の経験値を、全く持ち合わせていない。ならば、この剣が慎重策を取れと言うのも、まあ当然だ。  実際、今この瞬間も囚われているであろうルイズを思うと、才人は焦燥で身悶えしそうになるが、そんな自分を、かたく戒める。

(落ち着け。クールになれ平賀才人。俺が死んだら、誰がルイズを助けに行くんだ)  静かに、それでいて大きく深呼吸をする。  焦りは呼吸を乱す。  乱れた呼吸は、気配となり、敵に容易に居場所をつかませてしまう。

694 名前:見知らぬ星(その7)[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 17:33:57 ID:aDdjBH+i

 月光の下を、しずしずと、次なる獲物が歩いてくる。  才人が潜む木陰には気付かず、そして才人も、そのガーゴイルをやり過ごす。

――と、そいつが足を止める。そこには、さっき才人が叩き斬った、頭部を割られたガーゴイルがそこに転がっている。 (今だ!)  才人は、木陰から飛び出しざま、そいつの右手――剣を持つ手――を刎ね飛ばし、反撃できなくしてから、袈裟斬りに一太刀いれ、返す刀で首を落とした。 (5つ!)

 ぶんっ!!

 その途端、才人は、背後から殺気を伴う剣風を感じた。  彼は、反射的に振り返る。  ただ振り返ったわけではない。首無しガーゴイルを盾代わりにしながらである。  とっさの判断であった。  新たに出現したガーゴイルの戦斧が、首を失った元同僚の骸を縦に斬り裂き、その重い刃は胸まで食い込んだ。

(危なかった)  ガンダールヴとしての敏捷性が発揮されていなかったら、頭蓋骨を割られていただろう。  才人は、そのガーゴイルが、食い込んだ死体から戦斧を抜いてしまう前に、そいつの右手側に回り込み、斧を持つ手首を叩き落とすと、そのまま心臓を刺し貫いた。

「ばかっ、刺すなっ!!」  デルフが何か言ったようだが、才人は気にしない。  さっき串刺しにしたガーゴイルは、自分の眼前で、文字通り糸の切れた人形のように倒れてしまったからだ。  そのまま剣を引き抜いて――あれ、あれ、あれ、あれ、抜けない?

「だから刺すなって言ったんだ! 前にも一度言ったろうがっ、早く引き抜けっ」 「うるせえなっ、今やってんだろうがっ!!」  その瞬間だった。  彼の左肩に、焼け付くような痛みが走ったのは。

「くっ!?」  反射的に剣から手を離し、最寄りの繁みに飛び込む。  さっきまで彼の頭があった位置を、うなりを上げて走る何かが空を切り裂き、暗闇に吸い込まれてゆく。  あと一瞬、デルフから手を離すことを躊躇っていたら、確実に死んでいたに違いない。

 繁みの中で、おそるおそる左肩を見る。  そこには、1メートルはあろう矢が、見事に突き刺さっていた。しかも鏃(やじり)が肩甲骨を突き破り、背中まで貫いている。  その時になってようやく才人は、木陰から姿を見せずに自分を狙撃した、長弓を持ったガーゴイルの存在に気付いた。  そして、その呼吸を忘れさせるほどの激痛にも。

「あああああああああ!!!!!!」

 深夜の悲鳴は、残った7体のガーゴイルを呼び寄せるには、充分だった。

695 名前:見知らぬ星(その7)[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 17:37:11 ID:aDdjBH+i

「待って! いま何か聞こえたっ!?」 「何かって?」 「だから――サイトの声っ」 「え、ホント!?」

 シルフィードの背に乗ったタバサは、常ならぬ大声で、隣のキュルケに話し掛けた。もっとも、今晩は月が出ている割には、風が強い晩だったので、彼女のいつもの小声では聞こえなかっただろうが。

「私にも聞こえました、ミス・タバサっ!!」  二人の背後からシエスタが答える。 「あっちです! あっちの方角、急いでくださいっ!!」 「サイトが危ない」 「……何よもう。あたし完全に蚊帳の外じゃない」  ごねるキュルケに一瞥もくれず、タバサはシエスタの指す方角に、風韻竜を向かわせ、目を皿のようにして、二人で才人の姿を捜す。   ――あれから、才人に愛想をつかしたシエスタは、女子寮に飛び込み、泣き喚きながら彼女たちの部屋の扉を叩き、この二人の協力を乞うた。  タバサは、ルイズが危ないと聞いただけで、無言で協力に同意してくれたが、夜中に起こされたキュルケは非常に機嫌が悪かった。  もっとも、メイドの剣幕はそれ以上だったので、思わずたじろぎ、従わざるを得なかったが。

「――いたっ!!」  シエスタが叫ぶと同時に、風韻竜がその巨大な口を開き、ブレスを吐いた。

(やべえ、死ぬぞ俺っ)  すでに、2本の矢が彼の身体を貫いていた。  左肩、みぞおち。  得物を手にしていない才人の左手は、すでにルーンの輝きを失い、今ここにいる自分が、何の力も無いただの高校生(元)である事実を示している。  そして、さっき思わずあげてしまった悲鳴に、侵入者の位置を知ったガーゴイルたちが、群がるように姿を現す。  その上――、

「っ!!」  下半身から、一気に力が抜けた。  見れば、右膝を3本目の矢が貫いている。これでは逃げ回る事も出来ない。 (もうだめだっ! ルイズ――許してくれっ!!)

 その時だった。  とどめを刺さんと、彼に迫っていたガーゴイルが、その手にした槍ごと、炎のかたまりに吹き飛ばされた。

696 名前:見知らぬ星(その7)[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 17:40:43 ID:aDdjBH+i

「なっ!!?」

 昼間のように彼を照らす月光が遮られる。  見上げた才人が目にしたのは、ゲームに出てくるような巨大なドラゴンと、その背に乗った3人の少女だった。  一瞬、敵の新手かと思った才人だったが、その三人の中にメイド姿の少女がいるのを確認し、今度は逆に自分の目を疑った。 (えっ、何であのメイドがここに!?)

 そうこうしている間にも、残り二人の少女が、矢継ぎ早に強力な呪文を放ち、ドラゴンもブレスを吐き散らし、月光の下で姿をさらしているガーゴイルたちを、次々と倒してゆく。 「確か――キュルケと、タバサ、だったっけ……?」  結局、その場に居合わせた、残り7体のガーゴイルは、あっという間に二人のトライアングル・メイジの前に全滅してしまった。

(まるでガンダムの前のリック・ドムだな)  才人は、自分の命が助かったという事実よりも、このメイジたちの圧倒的な戦闘力に、慄然と舌を巻く思いだった。

 少女たちは、シルフィードを才人の傍らに着地させると、その背から飛び降りた。 「サイトさん! サイトさん!! 大丈夫ですかっ!! しっかりして下さいっ!!」 「ああ、助かったよ。あのままだったら、確実にやられてた……!」 「だめ、サイト。しゃべっちゃ傷に響く」

 青い髪の眼鏡っ娘が、興奮するシエスタを才人から引き離し、傷口を点検する。 「と、とにかくタバサ、早く矢を抜いちゃおう。このままだったら、肉が締まってぬけなくなっちゃうわ」  キュルケの言葉に、タバサはこくりとうなずいた。 「サイトの背中に回って鏃(やじり)を切り落として。――あなたは」  タバサはシエスタに顔を向けると、 「矢を抜く時に、サイトの身体を抑えてて」 「はい!」

 タバサのテキパキとした指示に、やや呆然としていたキュルケもシエスタも動き出す。  褐色の肌の巨乳の少女が、ナイフを抜くと、才人の背後に回って、左肩と右膝から突き出た鏃(やじり)を切り落とす。

「ぐあああああああ!!!」 「頑張ってください、サイトさんっ!!」  肩と膝を貫いた矢を、シエスタとタバサが才人の身体を抑え、キュルケが引っこ抜いた。

――1本目、左肩。 ――2本目、右膝。  その都度、傷口から鮮血が迸る。

「よし、じゃあ行くわよ三本目!」  どてっ腹に突き刺さった最後の矢に、キュルケが手をかけた瞬間、 「やめろっ! 触るなっ、抜くなっ!!」  たまらず才人は叫んでいた。

697 名前:見知らぬ星(その7)[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 17:43:19 ID:aDdjBH+i

「なっ、何でよ……?」  思わず彼の勢いに呑まれたのか、巨乳の少女はたじろいだ。

「やばいところを助けてもらってすまねえが、これだけ先に確認させてくれ」 「なっ、なによ?」 「この中に、水系の治癒呪文を使いこなせるメイジはいるか?」 「って、何いってんのよ!? あたしはキュルケでこの子はタバサよ! あたしたちの属性くらい、あんた知ってるでしょうが!?」 「確か、あんたが“火”で、彼女が“風”だったか?」 「そうよ。分かってんじゃない」 「つまり、この場で治療は出来ねえってことだな」 「……!」  キュルケが返す言葉を失う。

「じゃあ、こいつはこのままでいい」 「ちょっと、サイト、本気で言ってるのっ!?」  才人は激昂するキュルケに、冷静な声音で言い渡す。 「この矢は皮下脂肪や腹筋を突き破って、内臓までいっちまってる。無理やり引き抜けば、傷口から大出血を起こして、下手すりゃ俺はショック死だ」

 おそらく少女たちには、いま彼が何を言ったのかも分からないだろう。最後のショック死という単語以外には。  水系魔法による治癒呪文を、唯一の医療手段としているハルケギニアの住人に、解剖学的医学知識は絶無に等しい。  だから、才人はもう、敢えて詳しい説明はしなかった。したところで彼女たちに、理解はできないだろうし、何より、もう喋るという行為自体が、苦痛になっていたからだ。

 才人は、無言で立ち上がると、スマンがデルフを持ってきてくれ、とシエスタに目線で訴えた。 「は、はい」  シエスタは、根が聡明なので、それだけで充分通じたらしい。キュルケを誘って二人がかりでガーゴイルから剣を引き抜こうと、走っていった。

「待って」  よろよろと歩き出そうとする才人をタバサが捕まえ、肩と膝の傷口に包帯を巻いてくれた。 「……ありがとう」 「分かるの?」  才人が『?』という表情をすると、彼の右膝にしゃがんでいたタバサが顔を上げる。 「ルイズの居場所」 (ああ、そういう事か)  才人は力強くうなずく。

「……使い魔だからな。一応は」

698 名前:見知らぬ星(その7)[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 17:45:28 ID:aDdjBH+i  この言葉は嘘ではない。

 シエスタからルイズの消えた方角すら聞いていない才人が、正確にここまで主の足跡を追ってこれたのは、おそらく契約を交わした使い魔でないと説明不可能な、才人自身よく分からない感覚をたどって来たからだ。  しかし、だからといって当てずっぽうではない。  才人自身、何の根拠も無いが、今から自分が向かう方角にルイズがいることを、全く疑ってはいない。 (絆、だとでも言うのかよ。……ばかばかしい)  この非科学的な世界と、それを納得してしまっている自分に、才人はつくづく苦笑いする思いだった。

「サイトさん!!」  シエスタが才人にデルフリンガ−を渡す。  とても切なそうな顔をして。 「さっきは、その……すいませんでした。私……その……ひどい事を言ってしまって」  才人は、そんなシエスタを優しい眼差しで見つめると、その髪をくしゃくしゃと撫でた。

――気にしてないよ。  その笑顔を見て、さらにシエスタの表情が、くしゃっと歪む。

「サイト……あなた、記憶が戻ったの? 確かメイドの話じゃ、何故俺を勝手に召喚したんだって、格納庫でふて寝してたって聞いたけど」  血の気が失せた才人に、キュルケが恐る恐る訊いて来る。  彼は、かろうじて彼女の方を向くと、口を開いた。

「なんとなく……気が変わったのさ」

「――来たわ。あなたの王子様が」  シェフィールドの声に、ルイズの体がびくんと跳ねた。 「では、さっきの段取り通りに……ね? 彼をお家に帰してあげたいんでしょ?」

 少女は、とても小さくだが、しかしその言葉に、確かにうなづいた。 709 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:36:30 ID:6KnTlHR4

「あそこね」

 キュルケが、森が切れた崖に見える、小さな洞窟を見て言う。 (なぜ、あんな逃げ道の無い場所に隠れているのだろう?)  キュルケは純粋にそう思う。つまり、ただ隠れているだけなはずはない。どんな相手が何人来ようが、充分に対応できる用意があるのだろう。そう思わざるを得ない。

 そして、それはタバサも同じだった。  と言うより、タバサはキュルケと同じく罠の匂いは嗅いだが、それ以上に、 (ミョズニトニルンはもう、あそこにはいない?)  と思った。  ガリア出身の彼女は、少なくとも才人やキュルケよりは彼女を知っている。いくら罠を張ろうが、敵に包囲されたら逃げようの無い場所で、いつまでもグズグズしているようなとんまな相手ではない。

 どちらにしろ、才人はこんなところでグズグズしてる気は無かった。  罠があろうがなかろうが、モタモタしていたら、いずれ出血で、彼自身動けなくなってしまう。血止めを施した肩と膝の傷はともかく、腹に刺さりっぱなしの矢からは、容赦なく、血が流れつづけている。

「いくぜ」  才人は繁みから出ると、ずんずん横穴の中に入って行く。 「待ってサイト、もう少し様子を――」  キュルケが何か言ったようだが、彼の歩みは止まらない。  洞穴の奥からは松明だろうか、うっすらと灯りが洩れている。  奇妙な事に、あれほど濃厚だった罠の気配の割りには、待ち伏せ一人、弓矢一本飛んでこない。  奥の広間に出る。  そこには、やはりというか、シェフィールドの姿は、もう無かった。  その代わり、少年が捜し求めた可憐な少女が、まるで、しおれた花のように、無造作に投げ出されていた。

「ルイズっ!!」  才人が叫ぶが、彼女の反応は無い。 「ルイズっ!! しっかりしろっ!!」  思わず少女のもとに駆け寄った才人は、不意におのれの腹部に、氷を突っ込まれるような冷たさを覚えた。

「……え?」

 体を起こしたルイズの手に握られた短剣が、彼の下腹部に食い込んでいる。

「……え?」

710 名前:痴女109号[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:39:42 ID:6KnTlHR4

 その場にいた全員が、まるで悪夢でも見たように、呼吸一つ出来なかった。  その刃は、根元まで才人に吸い込まれていたわけではない。  彼のどてっ腹に、あらかじめ刺さっていた矢が、体ごと才人を刺そうとしたルイズの邪魔になったのである。  しかし、才人の精神が、その瞬間凍りついていたのは間違いない。彼は自分に一体何が起こっているのか、腹から生えている短剣を目撃してなお、理解していない。

――何で、こいつが、俺を……?

 心当たりは無数にある。  第一、才人は彼女に復讐を宣告した。  ならば、ルイズとしては、身を守るために先制攻撃を……?

「きゃあああああああああああ!!!!!」

 洞窟内に、シエスタの悲鳴が轟いた。  その瞬間、才人の心が理性を取り戻した。 「相棒!!」  デルフが叫ぶ。  ルイズが、才人を刺した短剣を捻り、えぐりながら刃を引き抜く。  才人は、渾身の力を振り絞って、後ろに跳びずさり、転がる。  そんな彼に、ピンクのブロンドの少女が、再び襲い掛かる。

「何で逃げるのっ!? 逃げちゃだめっ! 逃げちゃだめなんだよサイトっ!!!」

 凶刃を振りかざしながらルイズが迫る。  肩を切り裂かれ、タバサが巻いてくれた包帯が、はらりとほどける。 「こんっっのぉ!」  もはや彼の視界は暗い。  勘で差し出した手が、ルイズの手首を捉える。  そのまま最後の力を振り絞って、才人はルイズを引き倒す。

「やめろっ! ルイズっ!!」

「何で……何で邪魔するのぉ……? あんた帰りたいんでしょう? 自分の家に帰りたいんでしょう? だから、だから、あんたを帰してあげようと、こっちは必死なのに……、何で分かってくれないのぉ……?」  ルイズの顔は、もう涙でぐしゃぐしゃだった。  才人は、重い口を開いた。 「どういう、つもり? ルイズは……」 「――さいとぉ」 「ルイズは、俺を、――殺したいの?」 「そんなわけ無いでしょっっ!!」

711 名前:見知らぬ星(完結篇)[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:41:52 ID:6KnTlHR4

「殺したいんじゃないの……帰してあげたいだけなの……この短剣を使えば、あなたを帰してあげれるの……。あなたを、自分の家に、帰してあげれるの……」 (何じゃ、そりゃあ……?) 「私とサイトの間の契約を解除するためには、サイトは死ななきゃいけないの……。でも、でも、この魔剣を使えば、あなたの身体は死んでも、心は向こうで、――サイトのいるべき世界に魂は転生できる。――つまり、つまり、帰れるって事なのよぉっ!!」

 才人にとっては、ルイズが何を言いたいのかサッパリ分からなかった。  しかし、ナイフで彼をえぐり殺すという行為が、彼女にとって殺意ではなく、才人への愛を意味するというのなら、ルイズの行動は理解できる。 (逆手に取られやがったのか……)

 人間を洗脳する時、その者の拠り所とする最も強い感情を逆手に取り、苦悩と、矛盾と、葛藤を与え、その上で洗脳側の都合のいい解釈へと導かせる事によって、それまでとは全く違う、狂信的な思想と行動を刷り込むことが出来る。。  例えば、愛国心。  例えば、信仰心。  例えば、権力欲。 ――洗脳の基本的なテクニックだ。  無論、それだけでは人間の価値観は一回転しない。おそらく何らかの薬物を盛られているはずだ。  そう思った才人の視界の隅に、転がっているワインのビンが見えた。 (この……バカたれが……!!)

 その瞬間、ルイズのからだがさらに跳ねた。  矢と短剣に、腹を割られて力の入らない才人には、もう彼女を押さえつけるだけの力は無かった。彼はあっけなくルイズの反撃に跳ね飛ばされる 「サイトっ!!」  普段からは考えられない敏捷性を発揮して、ルイズの小柄な体が才人に迫る。その時、黒いかたまりが、彼と彼女の間に割って入った。

「シエ……スタ……?」

712 名前:見知らぬ星(完結篇)[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:45:35 ID:6KnTlHR4

 ルイズが構えた白刃は、漆黒のメイド服に吸い込まれ、その血潮が、彼女の純白のエプロンを赤く染めた。

「何で……あなたまで、邪魔するの……!?」 「だめですよ、ミス・ヴァリエール」  涙でぐしゃぐしゃになったルイズの頭を、シエスタは優しく撫でる。 「そんな帰り方じゃあ、サイトさんは喜びませんよ。私たちが全員で、笑って送り出してあげないと……」 「……シエスタ」  シエスタは、自分の胸を刺した少女の震える肩を、優しく抱きしめると、聖母のような微笑みを浮かべた。 「ほら、涙を拭いて下さい、ミス・ヴァリエール。あなたはやっぱり……えがおの……ほうが……」    シエスタは崩れ落ちた。  その聖母の微笑みを浮かべたまま。静かに、ゆっくりと。  その場にいた者たちの目には、その倒れ方すら、とても美しくうつった。 ――彼女の胸から、にょっきり生え出た、柄まで赤く染まった、とてもグロテスクな短剣をのぞけば。

「いやぁぁぁぁぁああああああ!!!!!!!!」

 絶叫するルイズの瞳に正気の光が宿り、次の瞬間、また消えた。  ルイズは意識を失った。

 ――――――――――――――――――――――――――――

 しょり、しょり、しょり、しょり、……。  果物ナイフがりんごの皮を剥く音が、部屋に響く。  彼女は目が覚めてしばらく、天井を見つめたまま、才人が紡ぐその音に聞き入っていた。

「――ん、何だ、起きてたのかルイズ?」 「……うん」 「リンゴ、食うか?」 「いらない」 「そうか。じゃあ、俺がもらう」  がぶり、――ぐっちゃぐっちゃ……。  健康そうな咀嚼音が、ルイズの耳にも届いてくる。 「ねえ?」  何だ? という表情で才人が、ベッドの彼女に振り返る。

「シエスタは死んだの?」

 才人の眉間に一瞬、太い縦ジワが刻まれる。  しかし、彼の声音は震えを帯びなかった。

「――ああ、死んだよ」

「そう」  そう答えたルイズの声音も。

713 名前:見知らぬ星(完結篇)[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:49:33 ID:6KnTlHR4

 しかし、震えなかったのはあくまで、声だけだった。  彼女の瞳にみるみる盛り上がった大粒の涙は、その顔を雨季の泉のように濡らし尽くし、唇を噛みしめた口元からは、一筋の血が顎まで伝い、毛布を握り締めた拳は、紫色になるほど力を込められていた。  しかし、それでもなお、ルイズは身じろぎ一つしない。  視線はあくまで天井に向けられたまま、懸命に何かを堪える表情を、まるで隠そうともしない。

「ルイズ」  才人は言う。 「これは、俺のせいだ」  俺がお前を追い詰めた結果、シエスタは死んだ。  確かにシエスタを刺したのはお前だが、お前にシエスタを刺させたのは、この俺だ。 ――才人はそう言い放った。

 ルイズは何も答えない。  無理もない、彼もそう思う。  そんな言葉など、いまの彼女にとって何の意味も持たない事を、才人が一番知っているからだ。  しかし、彼はまだ、その身のうちにある、全ての言葉を吐き切っていない。

「俺は決めたよ」 「……」 「もう、帰るのはやめだ」 「……」 「虚無の使い魔ガンダールヴとして、王国の騎士シュヴァリエ・サイトとして、俺はハルケギニアに骨を埋める」

「――同情してるの?」  恐ろしく冷たい声をルイズが返す。  天井を見つめるその眼差しには、怒りすら込められていた。 「ふざけるんじゃないわよ……!!」

 少女はむくりと体を起こしながら、その激情に満ちた目を、初めて才人に向けた。 「あんたを帰してやりたい、その一心で私はあの短剣を振り回して、その結果シエスタは死んだのよ……!! こうなった以上、何が何でもあんたに帰ってもらわなきゃ、シエスタはただの犬死じゃないの。何でそう考えないの……!?」 「……」 「理由はどうあれ、シエスタを殺したのは私なのよ。それを、勝手な屁理屈を並べ立てて、自分が責任を被ろうなんて、どう考えてもおかしいでしょう? そんな言葉で、私が少しでも救われると思ってるの? ――バカにするんじゃないわよっ!!」

 ルイズは、ここまで怒鳴り散らされても、眉一筋動かさない才人に、いよいよその美貌を歪ませる。 「そうよ、あんたのせいよ! あんたがいなけりゃ、あの子も死なずに済んだのよっ! あんたがいたから私はこんな目に遭ったのよっ!! あんたがいたからっ!! あんたがいたからっ!! あんたが……!!」

 そこまでだった。  ルイズの精根は、そこで尽きた。 「あんたが……、あんたが……、うっうううう……!!!」  ルイズは肩を震わせ、全身を振り絞って泣き始めた。この気位の高い少女が、まるで赤ん坊のように。  才人は、そんなルイズの肩を抱きしめ、 「――すまん」  そう一言、囁いた。

「もう、どこにも行かねえ。金輪際お前の傍を離れねえ。二度とこんな……こんな思いはさせねえ……!! 絶対に、絶対にだ。だから許してくれ。お願いだ、お願いだよ、ルイズ、ルイズ……!!」 「……ぅぅぅ……さいとの……さいとの、ばかぁっ!! ゆるさないんだから、ぜったいに、ぜったいに、ゆるさないんだからぁっ!!」 「ごめんよ、ごめんよ、ごめんよぉ……!!」 「さいとぉ、さいとぉ、さいとぉ……」  泣き叫ぶルイズの両手が、いつしか才人の背に回されるまで、それほどの時間はかからなかった。二人は、いつまでも、いつまでも、お互い離れる事を恐れるように抱き合い、子供のように泣いた。

714 名前:見知らぬ星(完結篇)[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:53:33 ID:6KnTlHR4 エピローグ

 豪奢な―― 一見してルイズのものとはさらに比較にならないほどの――寝台で、さっきまで睦み合っていた一組の男女。  その分厚い胸板にしがみついた女が、ようやく息を整え、口を開いた。

「ジョゼフ様」 「なんだい?」 「今回の任務につき、一つだけお伺いしたき事があったのですが、宜しいですか?」 「いいとも。何でも訊きたまえ」  うやうやしく男を見つめる女の瞳に、知的な光が宿る。

「ガンダールヴを、虚無の担い手ルイズ自らの手にかけさせる。――そこまでは分かります。あの二人は、使い魔と担い手という、主従の関係性を越えた感情で結びついておりました」 「うむ」 「そんなルイズにガンダールヴを殺させれば、自分の行為に対する巨大な絶望感と、良心の呵責。さらにパートナーを失った喪失感で、必ずや生きる屍と化し、我らの洗脳にたやすく従うようになる」  そのジョゼフ様の意見には、私も全く正論だと思われます。と、彼女はそう、言葉を付け加える。  それを見下ろす男の表情には、変わらず楽しそうな笑みが張り付いている。

「で?」 「では何故あの時、事の次第を見届けずに、わたくしに撤退を命じられたのでしょうか? もし、あの時、わたくしがあの場に居れば、むざむざガンダールヴを生かして返すことなど無かったものを……」  男の笑顔と対照的に、彼女の目は、心底悔しそうであった。

「知りたいかね?」 「はい。是非に」 「不確定要素だ」 「は?」 「あのガンダールヴは、主を救出に向かう前に、すでにここ数ヶ月の記憶を失っていたという報告があった」  確かに、薬物を含ませたワインを飲みながら、泣きながらルイズが、そんな事を喚いていたようだった。

「記憶を失った異世界出身の男が、どう自分を納得させたか知らんが、剣一本で“主”を名乗る見知らぬ女を助けに来た。その覚悟は、決してあなどる事は出来ぬ」  命を捨ててかかる男は強いぞ。特に、女に命を賭ける男はな。  彼は楽しげにそう呟く。

 しかし、彼女はまだ不満だった。  絶対的な技量の差は、決して精神論で埋まるものではないからだ。

715 名前:見知らぬ星(完結篇)[sage] 投稿日:2007/04/30(月) 01:56:32 ID:6KnTlHR4

「それともう一つ。どちらかと言えば、こっちの方が問題だったな」  男は続ける。 「北花壇騎士七号――。シャルロットの奴が別行動で、やはりお前の下に向かっていた。それも、例のゲルマニアの娘を連れてな」

 その瞬間、彼女の目に――僅かながら――動揺が走っていた。  当然、男はそれを見逃してはいない。 「いかにお前がミョズニトニルンでも、ガンダールヴと風韻竜、そして二人のトライアングル・メイジを同時に相手にすれば、分が悪かろうよ」 「……」 「ましてや、そのメイジがシャルロットと、そいつと互角に戦ったゲルマニアのツェルプストーだとするならな」

 確かにそうかも知れない。  そう思わざるを得なかった。  もともと、彼女としては、さらったルイズに洗脳をかまして、再び学生寮に送り返すつもりでいたから、12体のガーゴイル以外、それほどの用意をしていたわけではなかった。

「しかし、宜しかったのですかジョゼフ様?」 「何が?」 「ルイズ・ラ・ヴァリエールの中に芽生えた我々への敵意は、もはや覆らぬと思いますが」 「構わぬ」  あっさりと言い切る男の表情は、寝台の天蓋の陰になり、彼女の位置からは分からなかった。

「懐柔が叶わぬならば、始末するしかあるまい。どちらにしろ、指輪と祈祷書さえ手に入れば、それで用済みになる女だ」 「はい」 「無能とそしられるも人生。敵意と憎悪にさらされるも、また人生。どのような視線にさらされようが、わたしにとっては、酒の肴に過ぎぬ」  人間、敵は多いほど人生面白いしな、そう男は不敵につぶやくと、 「そして何より――」  彼女が気付いた瞬間には、男はすでに、彼女の肩にその大きな手をかけていた。

「わたしはお前を、そんな危険な目にあわせる気にはなれない。分かるか?」    その一言で、彼女――シェフィールドの心は何もかも晴れた。いや、忘れた。それまで自分が考えていた疑問も、思考も、何もかも忘れ、全てを委ねた。  ここにいるのは、ただ一人、堅い契約の絆で結ばれた、彼女にとっての唯一無二の男。 「ああ、勿体のうございます、ジョゼフ様!」 「ふふふ、そんな事を申す口があるならば、早くわたしに口付けをしてくれないか。早く、早く、一刻も早くだ!」 「はい! はい! 私の――ジョゼフ様!!」

 薄暗がりの中、二人の男女は飽きる事無く、いつまでもその身を貪りあっていた。

(了) 

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