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ゼロの飼い犬5 メイドの温もり               Soft-M

■1    今まで静かだった校内に生徒の喧噪が聞こえてきた。  少し前に昼休みの時間を告げるチャイムが鳴っていた事を思い出す。 学院の生徒が昼食をとり終わって、午後の授業までの休み時間を過ごし始めたのだろう。  校舎の裏で壁に寄りかかり、膝に顔を埋めて座り込んでいた俺は、何時間かぶりに顔を上げる。 陰鬱な俺の気分とは裏腹の、抜けるような青い空から照らす日差しが眩しい。    昨晩、夜中にルイズの部屋から飛び出した俺は、人が来なさそうな場所まで逃げてきて ここでずっと時間を過ごしていた。ルイズがどうしているのか、ちゃんと授業には出ているのか、 俺にはわからない。    これから、どうしよう。昨日の、ルイズの涙が脳裏に鮮明に蘇る。  俺は、使い魔失格どころか、人間としてやってはいけないことをしかけてしまった。 未遂だったとか、そんなつもりはなかったなんて言い訳はできない。    ルイズを、傷つけたんだ。この世界に来たばかりの時よりも俺を信頼してくれて、 人間扱いしてくれて、一緒のベッドに寝かせてくれるようになったり、テーブルで学院の生徒と 同じ食事を食べさせてくれるようになったルイズを、俺は裏切って……傷つけた。  あいつを守ってやろうって、決意したばかりだったのに。その決意を、俺自身がぶち壊した。    ルイズは、俺をどう思ったんだろう。  怒っているのか。悲しんでいるのか。  罵倒したいと思ってるのか、もう二度と会いたくないと思っているのか。  わからない。あの後、ちゃんと起きて学校に行けたのかどうかも、今の俺にはわからない。    でも、ひとつだけはっきりしていることがある。左手に刻まれたルーンを見て思う。  このまま、ルイズの元から逃げ出すわけにはいかないということ。あいつが、昨日の俺の行動を どう思い、今後俺をどうするつもりなのか……聞かなきゃいけないということ。    今は、ちょうど昼休みだ。ルイズが授業に出ているなら、昼食をとっているはず。 そうでなかったとしても、部屋に行けばいるはず。会うんだったら、今しかない。  俺は、体を持ち上げると、重い足を無理矢理動かして校舎の中へ入っていった。      食堂に行ってざっと席を見回してみたが、ほとんど学生の姿はなかった。 ルイズどころか大半の生徒が既に昼食を終え、昼休みを過ごしているらしい。  次に、テーブルが並べられた広場まで来た。昼食後はここにいる生徒が多い。  早く見つけたいような、見つけたくないような、複雑な気分で辺りを見回す。お茶のセットが置かれた テーブルのひとつの側に、目立つ桃色のブロンドの姿をみつけて、俺の心臓が跳ねる。    テーブルには、これまた目立つ容姿のキュルケが座っていた。どうやら、ルイズはキュルケと 何か話しているらしい。  意を決して、そこに近付いていく。どんな言葉をかけられるのか、どんな目で見られるのか、 不安で仕方ない。でも、ここでそれを避けるわけにはいかない……。    だが、その直後。まだ背を向けていて、俺には気付いていないルイズがキュルケとの会話で 放った一言は、俺が想像していたどんな罵倒や恨み言よりも、俺の心を射抜くものだった。   「――――アイツは使い魔なんだから、飼い犬同然なの! それでいいの!」                             ∞ ∞ ∞     ■2   「サイト! どこ行ったのよ、サイトーっ!!」  お日様が真上に輝くお昼休み。あたしが広場のテーブルについて 優雅に食後のお茶を楽しんでいると、ゼロのルイズが年甲斐もなく張り上げた大声が聞こえてきた。   「騒々しいわねぇ、みんな休憩しているんだから、ちょっとは場所柄をわきまえなさいな」  声のした方へ目を向けて、ピンク髪のちんちくりんにそう声をかける。 あたしの姿を確認したルイズは、つかつかとあたしのテーブルの横まで早足に歩いてきた。   「キュルケ! あんた、サイトを見なかった?」  文句のひとつでも言い返してくるのかと思ったら、ルイズはいつになく真剣な表情でそう聞いてくる。 「今日は見てないわよー。そういえば、いつも一緒に授業受けてるのにいなかったわね。どうしたの?」 「……昨日の夜から帰ってこないのよ、アイツ」  ルイズはちょっと思案してから、そう言った。たぶん、使い魔がいなくなってしまった不名誉を隠すよりも、 早く見つけ出すことを優先したのだろう。  心細そうなルイズの声に、あたしは思わず吹き出しそうになった。   「何よ、なにがおかしいの?」 「いや、ゴメンね。なんかあなたの口ぶりが、男に逃げられた女っていうよりも、 飼い犬が行方不明になって不安がる子供みたいだったから」  ふくれっ面をした彼女にそう言うと、ルイズの頬がみるみる紅潮する。   「なっ、なな何よ男に逃げられたって! アイツは使い魔なんだから、飼い犬同然なの! それでいいの!」  あたしが笑ったのは”子供みたい”ってところだったんだけど、ルイズは別のところに反応した。 ルイズは未だにサイトをただの使い魔だなんだって主張するけど、信じられると思ってるのかしら。   「ちょっと、それはさすがにひどいんじゃない?」 「知らないわよ! 勝手にいなくなる使い魔なんて、むしろ犬以下なんだからっ!」  ルイズは口をへの字にして両手を組む。やれやれと思った所で、ルイズの後ろに、 当の彼女が探している黒髪の使い魔さんが立っていることに気付いた。   「っていうかルイズ。サイトだけど、そこにいるわよ」  あたしが顎でそちらを指すと、ルイズは「えっ?」と振り向いた。そこにいた自分の使い魔の姿を目にして、 一瞬、ルイズは固まる。   「サっ、サササイト! 今までどこをほっつき歩いてたのよ!」 「あ、あぁ……ちょっと……」  ルイズの剣幕に、たじろぐサイト。 「まったく、随分探したんだから。ご主人様の手を煩わせるんじゃないわよ、もう」  ため息をつくルイズ。サイトは、なぜか心ここにあらずといった様子で、そんなルイズを見ていた。   「あ、あの……ルイズ。昨晩のことだけど……」  サイトがそう言うと、ルイズはぎくっと身をすくませた。 「え、あ、それ。それだけどね。あの……あれは、何て言うか、気の迷いだから! ちょっと興味があっただけなんだから。たっ、ただの気まぐれで、深い意味があったワケじゃなくて、 わたしはあんたに何か許したわけじゃないんだから。勘違いしないでよね!」  ルイズは、慌てたように早口でべらべらとまくしたてた。何だか言ってることが抽象的で よくわからないけど、サイトの方には伝わっているのかしら。   「え……そ、それだけ?」 「な、なによ、それだけ? って。重要なことよ。わたしは主人で、あんたは使い魔。 そこんとこ、はっきり理解しておきなさい。ヘンな誤解したら、許さないんだから」  頬をりんごみたいに赤くして、サイトの方から顔を逸らすルイズ。  あらあら、そんな態度とったら、ただのご主人様と使い魔じゃありませんって 告白してるようなもんなのに。思わず苦笑が漏れる。   ■3    ――けど、次の瞬間。サイトの様子を見たあたしの背筋に、冷たい物が走った。    その黒い瞳は、虚ろだった。怒ってるとか、不満だとか、逆にルイズの真意を見透かして 面白がってるとか、そんな目じゃない。  大げさかもしれないけど……絶望の目。今までそうだと信じていたことを、根底から覆された。そんな目。   「……あぁ、そっか。使い魔だもんな。ごめん、勝手にいなくなったりして」 「? ……あ、うん、わかればいいのよ、わかれば」  サイトは、その目とは釣り合わない、ごく自然な言葉を口にした。ルイズも、一瞬怪訝そうな顔をした後、 素直に自分の非を認めた使い魔に偉そうな返事をする。   「じゃ、今日サボっちゃったぶん、部屋の掃除してくるから。じゃあな」 「え? あ、ちょっと!」  サイトはルイズに微笑みかけると、踵を返して学生寮の方へ走っていった。 呼び止めようとしたルイズだったが、表面上は特に不自然なことを言ったわけではないサイトを、 無理に引き留めることはしなかった。   「なんか、ヘンだった? 今のサイト」  首をかしげるルイズ。  そんな彼女に、あたしは……今までからかっていた時とは違う、本物の嫌悪を感じた。  唇を噛む。どうして止められなかったのかしら。いずれこんなことになるのは、想像できたはずなのに。   「ルイズ。あなた、何よりも得難いものを失ったかもしれないわよ」  そう声をかけると、ルイズはきょとんとした顔であたしを振り向いた。 その顔。自分が間違っているなんて、少しも考えていない顔。 悪気がないっていうのは、この上なく手に負えないことなのかも。   「何よそれ。どういうこと?」 「あなた、貴族に差別される平民の気持ち、考えたことある?」  聞くと、ルイズは困惑の表情を浮かべたまま黙ってしまった。 「まぁ、あたしも、あんたと同じで差別”する”側の人間だから、理解できてるとは思わないけどね」   「何が言いたいのよ、キュルケ」  察しの悪いこの子なりに、何かうすら寒いものを感じたのか、少し焦った口調でルイズは聞いてくる。  でも、ここであたしが説明したって、解決にはならない。だからもう黙る。    サイトの目。最後にルイズに笑いかけ、ここから去った時の目。  ――それは、見慣れた目だった。あたしが、サイトに感じていた魅力が、失われつつある目。  サイトは、ルイズを”平民が貴族を見る目”で見た。絶対的な目上の者を見る目。 住む世界が違う人間を見る目。相手が、自分を見下していることを前提にした目。  それは、この学院にいる全ての平民が、あたし自身や級友や先生を見る目。 そして、サイトだけが。ルイズが召還したあの少年だけが、平民であるのにその目をしていないはずだった。    それを……恐らくこの主人が。生粋の貴族であるヴァリエール家のルイズが、奪った。 自覚を無しに、悪いことをしたと露とも思わずに。  でも、このルイズだけを責められるわけじゃないのかもしれない。 言うなれば、それはあたしたち貴族全ての責任で…… そして、サイトの件だけに罪悪感や喪失感を抱くこと自体、ただの偽善なのかもしれないのだから。                                ∞ ∞ ∞     ■4

 部屋の掃除をし終わった俺は、ルイズが帰ってくる前に部屋を出て、ヴェストリ広場にやってきた。  俺が作った風呂が置かれているあたりで、今日の昼まで校舎裏でそうしていたように、 建物の壁に背を預けて座り込む。心にぽっかり穴が開いたような気分だった。   『アイツは使い魔なんだから、飼い犬同然なの!』     昼間の、ルイズの言葉がまだ耳に残っている。はは、犬だってさ。飼い犬。  今までにも、何度も犬呼ばわりされた。メイジとそれ以外は違う人間だって言い草も、何度も聞いた。  けど、俺は、何て言うか……本気にしてなかったんだ。俺が、日本で暮らしていたからなのかもしれない。  基本的に、人間は平等で。犬だなんだっていうルイズの弁も、比喩のひとつなはずだと思ってた。    ここへ来たばかりの頃は確かに酷い扱いをされてたけど、最近は待遇を良くして貰えるようになった。  それは、ルイズが俺をようやく人間扱いしてくれるようになったからだと思っていた。 使い魔ではあるけど、人間でもある。それを、ルイズの方でも認めてくれたのだと信じていた。    けど、さっきのルイズの様子を見て、気付いてしまった。  逆だった。俺の考えていたこととは、全くの逆だったのだ。  ルイズは、俺を、使い魔であると認めたから、ベッドに寝かせてくれるようになったのだ。    だって、考えてみれば、人間の……異性に、一緒のベッドで寝ることを許可するだろうか? 恋人でも何でもない男を相手にして、そんなこと有り得ない。  けれど、使い魔……いや、ルイズが言ったように、飼い犬だったらどうか。人によっては、許すだろう。 ベッドに上がってくることや、一緒に寝ることを許す飼い主は、それなりにいる。    つまり、ルイズは、最初から俺を同じ人間だなんて思ってなかったんだ。寝込みを襲われることとか、 本気で心配してはいなかった。危機感があまりにも薄かった。 だって、ルイズにとって俺は完全に住む世界が違う存在なんだから。  フーケの事件の後、俺がカンチガイして、ルイズの寝込みを襲ってしまったことがあった。 あの後ルイズはどうしたか……俺に鎖をつけて、犬扱いしたんだ。人間ではなく、見境のない犬だって。  俺が自分をモグラと呼んだとき、ルイズはやめてって言ってきたな。ルイズの中ではモグラよりは 犬の方がまだ上なのか。すまん、ヴェルダンデ。でも、俺としては人間でないなら犬でもモグラでも ボルボックスでも同じだよ。    アルビオンに行く前、ルイズが何度もマッサージをねだってきたことにも説明がつく。  男の前でベッドに横になって、体を触らせて、しまいにはそのまま寝てしまったりしたルイズ。 どうしてそんなに無防備だったのか。それは、俺を人間の、男性だと思ってなかったから。  常識で考えたらそれで何もされない保証なんて無いんだけど、貴族の中でも最上級の家で育てられた ルイズには、そんなことわからなかったんだろう。    だから、だから……ついさっき広場で話したルイズは、昨晩、俺に組み敷かれたのに、 大してショックを受けた様子が無かった。  そして、一緒に寝るのを許したのも、ただの気まぐれだなんて言ってきた……。    涙が出そうになってきた。何だよ、なんでだよ。俺は、ルイズのことを、認めていた。 そりゃ、性格は酷いし、不器用だし、見た目が可愛い以外どうしようもないやつだと最初は思ってたけど、 あいつが本当は確かな誇りと信念を持っていて。死地に赴く人のために悲しめる心を持っていて。  その小さくて、メイジの拠り所である魔法も満足に使えない体で頑張っていることを知って、 立派な人間だって認めてたんだ。尊敬できる部分もあると思った。側にいて、守ってやりたいと思ってたんだ。    なのに。あいつの方は、俺を人間だとすら思っていなかった。ただの使い魔、飼い犬同然だって。  そう思って、俺に接していたんだ。    じわっと視界が滲んだのを、ぐっと堪える。  でも。それは、ルイズが悪いんじゃない。言わば、この世界のルールのせい。地球にだって、 差別はいっぱいあるという話だ。日本だって、平等だ、民主主義だなんてなったのはつい最近のこと。  このハルケギニアという世界がそういう風にできている以上、仕方ない。どうしようもないこと。    でも……それは、ルイズと俺の間に、個人の気持ちとかだけでどうにかできるわけではない壁が 存在するということでもある。  俺は、大きくため息をつく。悲しみとか絶望とかじゃなくて。言いようの無い空しさが体を包んでいた。   ■5   「あー、もう! 考えるな!」  だったら、もうこれ以上悩んだって何にもならない。どうしようもないものはどうしようもない。  今まで通り、使い魔としてルイズの世話をしてればいい。少なくとも、言いつけられた仕事をしているうちは 美味い食事を食わせてくれるんだし、寝るとこはあてがってくれる。それでいいじゃんか。   「まぁでも、そう簡単に割り切れるもんじゃねーよなぁ……」  薄暗くなってきた空の下で、一人ごちる。少なくとも、今すぐにルイズの部屋に帰って、 あいつと顔を合わせる気にはなれなかった。もう、今までと同じ目でルイズを見ることができない。  でも、いつまでも外で座ってるわけにもいかない。夜は寒いし。  そんなことを考えていたら、腹の虫がぎゅるると鳴いた。落ち込んでいても腹は減る。 ルイズの部屋を飛び出してから何も食べていないので、仕方ないといえば仕方ないのだが。   「……サイトさん?」  そんな時、傷心だし帰る気にもなれないし空腹だしで惨めの極みみたいな気分になっていた俺を、 朗らかな声が呼んだ。ボロボロの心に染み入るような声の方へ、顔を向ける。   「どうされたんですか? こんなところで」  そこにいたのは、学院のメイドであるシエスタ。俺がこの世界に来たばかりのころから、 何かと気遣ってくれる女の子。シエスタは、壁際に縮こまって座り込んでいる俺に 心配そうな表情を見せてくれた。   「いや、別に、何でも」  俺を立派な人だとか、憧れだとか言ってくれるシエスタに、こんな姿を見られたくない。 作り笑いを浮かべて安心させようとしたところで、再び俺の腹の虫が盛大に鳴いた。  シエスタはその音を聞いて目を丸くした後、可愛く苦笑する。   「ひょっとして、またミス・ヴァリエールにご飯を抜かれてしまったんですか?」 「いや、えーと、その……なんていうか」  恥ずかしさに慌てて手を振ると、シエスタは小走りで隣まで来て、俺の顔を覗き込んだ。 「遠慮することなんてありませんよ。今ならまだ夕食の準備で忙しくなるまでに時間がありますから、 厨房で何かご馳走させてあげられます。……来てください、ね?」    微笑んで、シエスタは座り込んだ俺に手を伸ばす。思わずそれの手をとって立ち上がってしまうと、 鼻の奥がツンと痛くなった。シエスタの優しさが、人懐っこそうな笑みが、温かい手が、あまりにも染みた。  それはまるで、くたくたに疲れた全身を、熱い湯船の中に沈めた時のように。       「どうですか? サイトさん。ありあわせのもので、申し訳ないんですけど…」 「いや、十分すぎるよ。美味い。滅茶苦茶美味い」  厨房のテーブルで、シエスタが残り物を組み合わせて作ってくれた料理を、ガツガツと頬張る。 マジで泣けるくらい美味しい。お腹が空いてたっていうのもあるし、もともとの料理がよく出来てるって いうのもある。けど、今の俺には、シエスタのかけてくれた気遣いが何よりの調味料になっていた。   「そんな、褒めすぎですよ。でも、お世辞でも嬉しいです」 「いや、お世辞じゃな……もごっ」 「あ、もう。ほら、そんなに急いで食べなくても、料理は逃げませんよ」  がっついて食べながら話していたので喉に詰まらせてしまった俺に、シエスタは水の入ったコップを 差し出して、背中をトントン叩いてくれた。   「ぷはっ、ふぅ……ありがとう、シエスタ」 「いえ、いいんですよ、このくらい」  あっという間に食べ終わり、シエスタの方をじっと見つめて礼を言うと、シエスタは頬を染めて、 照れくさそうに笑った。メイドらしい、控えめな態度。けど、その笑顔は仕事上の作った顔ではなく、 シエスタの本性から来るものなのだろう。愛嬌があって、見る人を安心させる魅力的な笑み。   ■6   「サイトさん、何かあったんですか?」  しばらく食休みをしていると、シエスタは俺にそんな言葉をかけてきた。 「え……何かって、何が?」  ぎくっとしてとぼけると、シエスタは真剣な表情で俺に詰め寄る。   「サイトさん、落ち込んでるように見えます。 何かあったのでしょう。ミス・ヴァリエールに無体なことをされたとか」  鋭い。なんという洞察力。これが女のカンというやつなんだろうか。  その黒い瞳に見つめられて、これ以上嘘をつくことができない気分になってしまう。   「うん……実は、ちょっとルイズと顔合わせにくい事情ができちゃって」  照れ隠しに頭を掻きながら、そう白状する。シエスタは、そんなことだろうと思った、 という風に深いため息をついた。 「また、無茶なことをされたのですね。いくら平民だからって、貴族の方に何でも好き勝手されて いいなんて法はありませんのに……」 「いや、今回は俺に非があるんだけどね」  シエスタは、少しだけ考え込む様子を見せてから、何かひらめいたという顔をした。  なぜか、その瞳がちょっとだけ怪しい色に輝く。   「……サイトさん、今日の夜、お風呂をご一緒してもいいですか?」  頬を染めて、お盆で口元を隠しながら、シエスタはおずおずとそう聞いてきた。 「え、お風呂!?」  急な提案に、驚く。確かに、何日か前、ひょんなことから俺が作った五右衛門風呂に シエスタを入れてあげることになってしまった。  その時は、シエスタの服が濡れてしまったハプニングのせいだと思っていたのだけど。   「えーと、あの風呂に入りたいなら、俺と一緒じゃなくても」 「でも、わたし、一人でああいうお風呂に入ったことないから、ちょっと不安で……」  シエスタはもじもじと体を揺する。そのメイド服の下に隠れた、着やせする脱いだら凄い肢体を 思い出してしまい、頭が一気に熱くなる。    シエスタとお風呂。シエスタの体。それに、あの時風呂から上がったシエスタに言われた、 『一番素敵なのは、あなたかも』なんて台詞。  それらが鮮明に蘇る。そそ、それは。そのお誘いは。ただ”お風呂に入りたい”というお願いではなく、 ”俺と一緒にお風呂に入りたい”というお願いなのではないでしょうか。   「あ、あああ、その……うん、わかった。シエスタの仕事が終わるころ、用意して待ってるから」  頭で考える前に、口がそんな言葉を勝手に喋る。シエスタは、ぱあっと顔を輝かせた。 「は、はいっ! 楽しみにしてます! ……それじゃ、そろそろお夕飯の仕事があるから」  さよなら、と言ってシエスタは足早に立ち去った。後に残された俺は、マルトー親父さんたちが 夕食の準備に厨房に入ってくるまで、その場にぼけーっと座り込んでいたのだった。       「お待たせしました、サイトさん」  その日の夜。結局、俺はルイズの部屋に戻ることなく時間を潰し、頃合いを見計らって風呂の準備をした。  ちょうど、釜の中のお湯が温まったあたりで、月明かりと薪の火が照らすヴェストリ広場に シエスタがやってきた。   「あ、ちょうど良かった。今入れるようになったばっかりだから」 「そうですか。良かったです」  既に部屋に戻って着替えてきたのか、シエスタの格好はいつものメイド服ではなく、薄手の寝巻きに 毛糸の温かそうな上着を羽織った姿だった。    見慣れない……そして、メイドではなく、一人の女の子であることを嫌でも意識してしまういでたちに、 ついドキドキしてしまう。今までにルイズやキュルケの寝巻き姿も見たことはあるけど、シエスタの容姿は 俺にとって馴染み深い日本人の女の子に雰囲気が似ていて、生々しい雰囲気を放っている。   「えっと……それじゃ、入ろうか」  妙に落ち着いた声でそう言う俺に、はにかんで頷くシエスタ。考えてみれば、なんかおかしくないか? 女の子と一緒にお風呂入るんだぞ? ただ事じゃないぞ? なんで、”そんなに大したことじゃない” みたいな演技してるんだ?  でも、冷静に考えて常識的な判断をしたら、一緒にお風呂に入れなくなる。 だから、俺は……きっとシエスタも、このよくわからない演技を続ける。   ■7   「はぁ……やっぱり、気持ちいいです」  シエスタのうっとりとした声が背後から聞こえ、湯の中で温まった体がさらに熱くなる。  二人で背中を向け合って服を脱ぎ、体を洗って、風呂に入った。一日中外にいて汚れていた 体がさっぱりしたのはいいのだが、ぜんぜんリラックスできる状況じゃない。  だって、すぐ後ろには、脱いだらすごいシエスタが裸でいるのだから。    先日も一緒に入ったシエスタの肢体が思い出される。湯気に湿ってしっとりした髪。 濡れて上気し、艶めかしい雰囲気を放つ肌。恥ずかしげな表情を浮かべる、可愛らしい顔。  ああ、見たい。また見たい。あの時みたいに、こっち向いても良いですよ、 なんて言ってくれないだろうか。そんな、人としてちょっと終わってることを考える。   「月が綺麗ですね、サイトさん」  そんな煩悩満載のところへ聞こえてきたシエスタの言葉につられて、空を見上げる。 ふたつの月の輝きも綺麗だったが、それより、星が無数に散らばる夜空に嘆息が漏れた。 電気による灯りのせいで、夜でも星があまり見えない日本の空とはまったくの別物。  見惚れるほど綺麗ではあったけど、自分は異世界にいるんだなという事を再認識してしまう。   「お風呂に入りながら夜空が見られるなんて、貴族の方でもそうそうできない経験ですよね」 「ああ、そうかもな」 「えーと……あ、あれがグリフォン座ですね。となりがフクロウ座。わたしの星座はどこだったかな」  星を見ているらしいシエスタが、聞き覚えのない星座の名前を呼ぶ。元々俺は星に詳しくないので よくわからないけど、見える星の並びや、星座の名前も地球とは全然違うのだろう。   「あ、あれがイーヴァルディ座ですよ。今日はすごく良く見えます」 「え、どれ?」  確か、この世界で童話とかになってる勇者の名前だっけ。どんな格好なのか気になって、聞いてみる。 「赤い月の横です。剣と槍を構えているように見える」 「んー、よくわかんないな」 「ほら、あれですよ」  俺が星空を見渡してきょろきょろしていると、シエスタの声が間近で聞こえた。   「え?」  シエスタの手が俺の顎に当たって、角度を調節してくる。当のシエスタの顔は、俺のすぐ隣にあった。  星座の位置を教えてくれてるんだろうけど、そんなことより、俺の体に当たっている感触に意識が奪われる。  シエスタ、俺の背中に寄り添うみたいな格好になってる。顔、近い。いやいやそれより、 背中になんかやわらかいの当たってる。ナニコレ。やーらかい。あったかい。脳溶けそう。   「シっ、シシシシシシシエシエ?」  歯をかちかち鳴らしながら、やっとのことでそう言う。シエスタは俺の顔を空に向けさせるのをやめて、 吐息が聞こえるくらい近くへ顔を寄せてきた。 「……サイトさん……」  耳元で、囁かれる。ぞくぞくぞくっ、と背筋が縮み上がる。甘えるような、ねだるような、微かな声。   「な、なに?」  聞くと、シエスタはそのまま顎を俺の首筋へ乗せてきた。思わず叫び声を上げそうになる。 「……わたしの体、魅力ありませんか?」  寂しそうな、シエスタの声。何ですかそれ。これだけえっちぃ体を押し付けておいて魅力ないですかって。 そんなん、拳銃を突きつけておいて『怖いですか?』って聞くみたいなものじゃんか。   「あっ、あああるアルヨ。何言ってんの。シエスタは可愛いし、魅力的だし、脱いだら凄いし……」  最後のはちょっとまずかったか。だけど、シエスタはそれを聞いて、俺の背中へさらに体を押し付けてくる。 「じゃあ……どうして、見てくれないんですか?」 「ど、どうしてって、そんなの……」 「そんなの?」  俺の首に顎を押し付けたまま、小さく首をかしげるシエスタ。さらりとした黒髪が、俺の肩を撫ぜる。   「わ、わかるだろ? 男が、魅力的な女の子の裸なんてじろじろ見ちゃったら、どんな気分になるか……」 「……わかります。わかってて、サイトさんと一緒にお風呂に入りたいなんて言ったんです」  シエスタの言葉が、すぐには理解できなかった。頭が煮えすぎてて、思考力が低下してる。   「サイトさんとだけですよ? こんなことして平気なの」  シエスタは、泣きそうな声でそう言った。それって。それって。それって。うわぁ、なにそれ。 おかしい。なんかおかしい。これも夢なんじゃないの?   ■8   「サイトさん……わたし、こんなにどきどきしてるんです……倒れちゃいそうなくらい。 これ以上……恥をかかせないでください。嫌なら嫌って、言ってください」  俺の胸に両手が回され、ぎゅっと抱きしめてくる。背中に、柔らかいふたつの膨らみが押し付けられて 形を変え、その奥から言葉どおりに早鐘を打つ鼓動が伝わってくる。  夢なはずがない。そして、嘘や冗談なわけもない。この温もり。シエスタの言葉。紛れもない現実。    シエスタは、俺を慕ってくれてる。信頼してくれてる。ここでどうにかされることを 許してくれると言ってる。  人として、友人として、異性として。メイジに召還された使い魔としてではなく、 平賀才人である自分を。それは、同情でも愛想でもなく、俺が俺だから、してくれること。    優しいシエスタ。いつも笑顔を見せてくれるシエスタ。ときどき、妙に積極的になるシエスタ。  俺の中で、シエスタへの愛しさがどんどん膨らんでいく。ついさっきまで、可愛らしい外見や、 実はいやらしい体つきなんかばっかり意識してたけど、それよりも──いや、背中に当たってる 甘美な感触はそれはそれで意識しっぱなしなんだけど──シエスタという少女そのものへ向いた気持ちが、 自分でも驚くくらいに大きくなってくる。   「シエスタっ!」 「あっ……!」  俺はシエスタの方を振り向いた。すぐ目の前にいる彼女は、潤んだ瞳と上気した頬で俺を見上げている。 「シエスタ、俺……」  もう一度名前を呼ぶと、シエスタは小さく微笑んで、目を閉じた。卑怯だと文句をつけたくなるくらい、 可愛らしくて、男の情欲に火をつけるしぐさ。  俺は、その顔に自分の顔を寄せて……寄せて、色っぽく茜がさしている頬に口付けた。   「……え……?」  シエスタは不思議そうな声を上げて、目を開けて俺を見る。嬉しいけど、期待と違う。そんな様子。  俺も、よく自分で自制できたと思う。でも、やっぱり、ここでシエスタの唇を奪うわけにはいかなかった。    だって、それは、逃避のような気がしたから。ルイズの事で傷つけられて、落ち込んでいるところを シエスタが癒してくれて。だから、今までよりも強くシエスタを意識してしまっているのかもしれない。  シエスタは可愛い。いい子だと思う。日本にいたときに、こんな子に好かれたりしたら、間違いなく ふたつ返事で恋人になってる。いや、日本ではモテなかったからとかそういう問題ではなく。    でも、今の俺がシエスタをどうにかしてしまったら……それは、ルイズが駄目だったから彼女を。 そんなことにならないだろうか。俺の気持ちに、そんな要素が一切無いと言い切れるだろうか。  いけない。そんな気持ちを疑ってしまっているうちは、できない。   「ごめん……俺、シエスタは凄く魅力的だし、このままどうにかしちゃいたくてたまらないくらいだけど…… でも、今、勢いでそんなことするわけにはいかない」  言ってる途中に、首筋がピクピクいった。体の方は完全に今すぐこの子に思いをぶつけろと要求してる。  でも、これだけはゆずるわけにはいかない。それこそ、俺が犬なんかじゃなく、人間だという証明だから。   「サイトさん……」 「でっ、でも、それは俺がシエスタを大事にしたいって、こういうのはきちんとしないと駄目だって 思ってるからで! だからこそ必死で我慢してるっていうか、いや我慢ってのも下品だけど……」  俺がしどろもどろになってわけのわからないことをのたまっていると、シエスタはくすりと笑った。   「……ありがとう、サイトさん。嬉しいです。ひょっとしたら、ここで愛していただけるのと同じくらい」 「シエスタ……」 「わたし、待ってます。いつでも。……でも、あんまり待たせたら、またわたしの方から 迫っちゃうかもしれませんよ?」  シエスタは悪戯っぽくウインクした。そして、「ちょっとのぼせちゃいました」なんて言いながら、 湯船から上がる。その姿を見ないように慌ててまた背中を向けて、俺も風呂から上がった。    体を拭いて、お互い服を着直す。そこで、はたと気付いた。風呂で温まることができたのはいいけど、 これからルイズの部屋に帰らなければならないのだろうか。今の今までシエスタとしてたことを考えると、 風呂に入る前よりもずっと帰りにくい。  どうしようと頭を抱えかけたところで、シエスタが、まるで今まで隠していた切り札を出すように口を開いた。   「あの……厨房でミス・ヴァリエールと顔を合わせにくいって聞いて、あの後、今夜だけ同室の子に 他の部屋に移ってもらったんです。……もし、良かったら……わ、わたしの部屋に、来ませんか?」

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