ゼロの保管庫 別館

16-607

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「…決めた」

シエスタがヴァリエール邸に押しかけてきた次の日。 肘関節を脱臼して右腕を三角巾で吊られている才人に『あーん』するシエスタをテーブルの対面からジト目で見ていたルイズは、不意にそう言った。

「あら、婚約は時機尚早だとようやく悟りました?」

『サイトさんのメイドでいます』とか言いながら、やっぱり虎視眈々と才人を狙う黒髪のメイドは、スプーンを握り締めて嬉しそうにそう言い放つ。 あにいってんのよ婚約は決定事項なの、いい加減諦めたらどうなのこの平民女、ナニを言うんですか、まだ『婚約』ですから破棄する自由もサイトさんにはありますよミス平面胸、とか言い合いながら朝食をほっぽって取っ組み合いを始めた二人に、才人は。

「で、何を決めたんだよ?」

シエスタの上に馬乗りになって、お互いの髪を引っ掴んで引っ張り合っていたところでルイズは止まる。 それに合わせたようにシエスタも動きを止める。 そしてルイズは言った。

「…お父様に報告するわ。  姉様たちのことも、シエスタのことも含めてぜーんぶ、ね」

才人の顔から血の気が一気に引く。 今となっては二人の新居の目の前となった、湖での一件が思い出される。 やばいまずい俺殺される。

「あら、そんなことしたら一直線に婚約破棄ですわね♪  やっぱりサイトさんには私のような大き目の」 「だまんなさいこのバカ乳娘」 「ぐえ」

シエスタの口を手で塞ぐと、ルイズはシエスタの頭を床に押し付ける。 シエスタはもがもがと暴れるが、何故かルイズの手を振りほどけないでいる。 そしてルイズは、才人から顔を逸らしながら言う。

「い、言っとくけど婚約は破棄なんかしないかんね!  わ、私の経歴にそんな傷付けられちゃたまったもんじゃないわ!  い、いいこと、お父様に報告するのは、アンタを反省させるためなんだから!  婚約破棄なんか絶対しないんだから!分かってる?」

才人からは見えなかったが、下に組み敷かれているシエスタからは、ルイズが真っ赤になっているのが見て取れた。 ほんと、こういう見栄っ張りな所直せばもう少し可愛げもあるんでしょうけどー、などと抑え付けられながら思うシエスタだった。



そして舞台はヴァリエール本邸。 ルイズの申し出により、ヴァリエール家の一同がその食堂に勢ぞろいしていた。 まだ細かい事情を知らないヴァリエール公爵は才人と逢うなりにこにこしながら『久しぶりだな婿殿!』と言いながら才人の肩をばしんばしん叩いていた。 才人が三角巾で腕を吊っている事はあまり気にしていないようだ。 その公爵が最も上座の席に座り、その右側に公爵夫人、その隣にエレオノール、カトレアと続く。 そして公爵夫人の対面にルイズが掛け、その下座に才人、その脇にシエスタが控える。 前菜が運ばれてくると、ヴァリエール公爵が口を開いた。

「で、何だねルイズ、家族みんなで話し合いたい事とは」

ルイズは呼吸を整え、そして目の前に座る姉二人に、まるで敵対する氏族を見るような視線を送る。 二人はその視線に、エレオノールは赤くなって目を逸らし、カトレアは笑顔で受け止める。 そして、空気を全く読まずに才人の口に前菜を運ぶメイドにガンを飛ばした後。 ルイズは事の次第を話し始めたのだった。できるだけそういう描写は伏せて。 そしてルイズが話し終わると、公爵は眉間に皺を寄せ、その皺を右手で揉み解した。

「なるほど…」

はぁ、と公爵は深いため息をつく。 心なしか怒りを抑えているようにも見える。 死んだ。俺死んだ。絶対死んだ。 さようならお母様。才人は日本から説く離れた地で星になります…。 そしてルイズ。短い間だったけど、幸せだったぜ…。 才人は天を仰ぎ、涙する。

「サイトさんっ?どうしたんですかサイトさんっ?」

急に泣き出した才人にシエスタが声を掛けるが、才人は聞いていない。 シエスタ…君にも、世話になったっけなぁ…。

「エレオノール。例え研究に必要だからといって、妹の婚約者から採取するのは感心せんな」 「は、はい、お父様…」

しかし。 才人の想像とは裏腹に、公爵の言葉は、なんとエレオノールに向いていた。

「ちょ、ちょっと、お父様っ?」

ルイズは思わず立ち上がり、公爵に食って掛かる。 しかし公爵は涼しい顔で応える。

「ルイズは黙っていなさい。  エレオノールは単に研究のために、婿殿から採取を行った。そうだろう?」 「え、ええ…そうです」

赤くなって俯きながら、エレオノールはそう応える。 驚いてエレオノールを見つめる才人と、ちらりと顔を上げて、なんと才人の方を見たエレオノールの視線が見事にぶつかる。 ぽんっ、と音を立てそうな勢いで真っ赤になって、エレオノールは才人から視線を逸らした。 え、なに?今の反応なに? メガネ美人のお姉さんが俺の方見て赤くなってるよ?つか軽く萌えたんですケド。 さっきまで死を覚悟していた人間とは思えないほどデレった顔で、才人はエレオノールを見る。 その二人の間に流れるなんだからストロベリィな空気に、ルイズは苦虫を噛み潰したような顔になる。 そうして才人の方を見ていると、同じように苦虫を噛み潰しているシエスタと目が合う。 そしてルイズがこくん、と頷くと、シエスタは涼しい顔で。

ぶぎゅる。

「いだっ…!」

思い切り才人のつま先を踏み潰した。 才人は必死に声を抑え、シエスタにあにすんだよ、と視線を送るが、シエスタは知らん振りを決め込む。 三人がそうしている間にも、公爵は話を進めていく。

「そしてカトレア。元気になったというのは本当かね?」 「はい、お父様♪」

公爵の質問ににっこりと答え、カトレアは懐に隠していた杖を取り出し、呪文を詠唱する。 すると、食べ終わった前菜の皿がふわりと浮き上がり、控えていた給仕の牽くワゴンの上にかちゃかちゃと重なる。

「この通り、カトレアは元気になりました」

以前なら気軽に魔法など使えないカトレアだったが、今は魔法を使ってもけろりとしている。

「でも…」

不意に、カトレアの表情が曇る。 そして続ける。

「定期的に『お薬』を摂取しないと、ダメみたいなんです」 「そ、そうなのか?」 「はい」

もちろん『お薬』というのは才人の精液なのだが、直接的な表現はアレなので避けている。

「そういうわけでルイズ、定期的にサイト殿をお借りする事になるけど、いいかしら?」

言って笑顔をルイズに向けるカトレア。その笑顔には一切他意はない…ように見える。

「え、あの、その」

一瞬戸惑うルイズであったが、カトレアの笑顔に思わず。

「い、いいけど…」

そしてその返答を聞くなり、カトレアは才人の方を振り向く。

「と、いうわけでこれからもよろしくお願いしますね、サイト殿♪」

にっこり笑うカトレアにつられて、だらしなくにへらと才人も相好を崩す。 ルイズが親指で首を掻き切るジェスチャーをすると、シエスタが目にも留まらぬ速さで手刀を才人の喉笛にクリーンヒットさせる。

「げほ!げほ!」

咳き込む才人に全員の視線が集まるが、その時にはシエスタは既に才人の斜め後方に涼しい顔して下がっており、何が起きたのかは当人達にしか知る由はない。 さらに公爵は続ける。

「で、だ。そこに控えるメイドとのことだが」

その言葉にシエスタは一瞬ぎくりとする。 そしてルイズに、私たち友達ですよね、見捨てたりしませんよね、と笑顔を向ける。 あにいってんのよ誰が友達よこの淫乱メイド、屋敷の外に放り出されるがいいわ、としたり顔でルイズは視線を外す。 しかしルイズの思惑は見事に外れる事となる。 公爵はにっこり笑って言ったのだった。

「英雄色を好む、というではないか。  妾の一人や二人、いて当たり前だよ。なあ婿殿?」

そして才人にウインクなどする。 正直親父のウインクなど気持ち悪いものでしかなかったが、才人はなんとなく笑顔で相槌を打つ。 公爵は気をよくしたのか、席を立ってすたすたと才人の所まで歩いていき、肩など組んで語りかける。

「なぁに、わしも若い頃はぶいぶい言わしたもんだ。  婿殿はまだ大人しいほうじゃて。わしの若い頃なんぞ妻と同時に四人と」

その瞬間。 ばこん!とすごい音を立てて、食堂の大テーブルが揺れた。 公爵夫人が犯人だった。 公爵夫人はゆらりと立ち上がると、満面の笑顔を公爵に向けた。 それと同時に三姉妹の喉がごくりと鳴る。 公爵夫人は、にっこり笑いながら言った。

「あなた。すこぉしお話したいことがございます。  ちょっと外出ろやゴルァ」

笑顔のまますごい迫力でそう言って、ものすごい黒いオーラを身に纏い、すたすたと軽快に公爵夫人は食堂から出て行く。 ぱたん…とあまりにも静かに食堂の扉が閉じ、公爵夫人の姿をかき消した。 公爵は才人の肩を抱いたまま真っ青な顔で固まっている。 そして、部屋の扉の外から大音声が響いた。

『駆けあーーーーーーしッ!』 「い、いえす、まむ!」

真っ青な顔のまま、公爵は駆け足で妻を追った。 一瞬で静かになった食堂で、給仕達が何事もなかったかのように三姉妹と才人の前にメインディッシュを持ってくる。 三姉妹は全員そろってほう、とため息をついた後、気を取り直して食事を始めた。 才人は呆気に取られ、何も言葉が出ない。 そんな才人に、ルイズは警告する。

「食べておいたほうがいいわよ」

そしてそれにエレオノールがメインディッシュの鴨肉にナイフを入れながら続ける。

「これから、長時間の公開処刑が始まるから」

カトレアはあらあら困ったわ、という顔をしていたが、すぐに執事のジェロームを呼びつけて、言った。

「部屋と温室のお花たちに、水やりをお願いねジェローム。あと動物達の餌も」 「かしこまりました、お嬢様」

才人は我に帰ると、ルイズに尋ねた。

「も、もしかして、このウチで一番怖いのって…」 「母様よ。間違っても逆らわないようになさいサイト。  あと早めにソレ片付けたほうがいいわよ。たぶんあと半日はモノを口に入れられないから」

そう言うルイズの皿の上は、すでにつけ合わせの温野菜が残るのみだ。 そして才人は慌てて皿の上の料理に手を出そうとする。 その瞬間。 ばたぁん!と物凄い音を立てて扉が開く。 そこから現れたのは。 騎士装束に身を固めた公爵夫人と、その手に吊り下げられてぼっこぼっこにされて原型を留めていない公爵がいた。

「さてそれでは」

にっこり笑いながら公爵夫人は。

「家族会議を始めましょうか♪」

公開処刑の開始を告げたのだった。



結局、家族会議は公爵の過去のおいたを散々暴き立てる事に終始して、終了を迎えた。 別邸に戻ったルイズと才人は、疲れきってベッドに横になる。

「つ、疲れた…」 「あ、あんな荒れた母様初めて見たわ…」

仲良くベッドに伸びきって二人は同時にため息をつく。 そしてルイズは気付く。

「あー!アンタの処遇をどうするか忘れてたじゃないのっ!」

言って才人の鼻先にびしっ!と指を突きつける。

「ま、まあいいじゃないか、婚約破棄にならなかっただけ」 「そうです、ありがたいと思わないと」

いつの間にかベッドに腰掛けていたシエスタが才人に続ける。

「なんであんたまだ居るのよ!出て行きなさいよ!」 「私はサイトさんのメイドですっ!サイトさんがお暇を出さない限り私はサイトさんと一緒ですよーだ!」

掴みかかるルイズに、あっかんべーで応えてシエスタは言う。 そのまま、二人は取っ組み合いの喧嘩を始めてしまった。 才人はベッドの上で、大の字になって思った。 結局、変わらないまんまかぁ。 ため息をついて、喧嘩を続ける婚約者とメイドを眺めて、才人はまどろんでいった。 これから始まる、苦難の日々を想像すらせずに。

〜つづく

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