ゼロの保管庫 別館

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273 名前: あの子は遠くへ飛んでった [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 02:28:05 ID:6Bw8rCJw

「ただいま」  声をかけながら居間に入ると、妻がアルバムらしきものをテーブルの上に広げているのが見えた。 「おかえり」 「何を読んでたんだ」  スーツの上着を脱ぎながら聞く。妻は近くにきて上着をハンガーにかけながら、微笑んで答えた。 「才人の卒園アルバムだよ」 「卒園、ね。ずいぶん昔の話だな」  言いながら、時計を見る。時刻は午後七時を回ったところだ。 「才人はまだ帰ってないのか」 「うん。いつも通り、朝から図書館に行ってるよ。どうしたのかね、勉強嫌いのあの子が」  妻は苦笑混じりにそう言って、またテーブルの前に座りなおす。夫は無言で妻の向側に腰掛けた。  彼らの息子は、数ヶ月前まで、二年間ほどの間姿を消していた。行方不明だったのである。さした る理由もなくある日突然いなくなり、警察に捜索願を出しても全く行方が知れなかった。そうして二 年ほどの月日が過ぎ去り、半ば諦めかけていた頃に、ひょっこり戻ってきたのである。 「ただいま、って言ったときの、あの子の気まずそうな顔ったら。あんまり申し訳なさそうだったか  ら、怒る気も失せちゃったわ」  そう語る妻は、息子が帰ってきたとき、何も言わずに泣きながら彼のことを抱きしめていた。夫の ほうも特に怒ることなく、帰ってきた息子を受け入れた。  二年もの間どこで何をしていたのか、息子は未だに何も語らない。彼ら夫妻も、あえてそのことは 聞かなかった。気にならない訳ではなかったが、どことなく大人びた息子の顔つきを見る限り、何か 大変なことがあったらしいことだけは自然と察せられたからだ。 「それに、あいつはすぐ顔に出るからな。あれは、何か悪いことをやってきたような顔じゃない」 「そうね。むしろ、なんか大人っぽくなっちゃって。誇りに思えるようなことをしてきたって顔だわ、あれは」  だが、息子の変化は必ずしもいいことばかりではなかった。行方不明になる前は大抵いつも能天気 でヘラヘラ笑っていた子が、帰ってきてからは何か思い悩んでいるような表情を浮かべることが多く なっていた。 「本当に、どうしちゃったのかねえ」 「さて、な」  そっとため息を吐く妻に、夫は何も答えてやることが出来なかった。  妻はまたアルバムに目を落として、息子が幼かった頃の姿を辿り始める。息子の写真を見つけるた びに、おかしそうに笑った。 「なんか、あの子って木に上ってたり夢中で走ってたり、やたらと元気よね」 「そうだな」 「いっつも泥だらけになるまで遊んできてさ。好奇心旺盛って言うんだか、やたらと知らない場所に  行きたがってたわよね。ホント、誰に似たんだか」  妻がまたアルバムのページを捲り、笑って紙面を指差した。 「あ、ほら、このページ」  見ると、そこは将来の夢を書くコーナーだった。子供らしく伸び伸びとした、悪く言えば汚い字で、 幼稚園の頃の息子の夢が書いてある。 「『うちゅうひこうし』だって。子供にしちゃ、難しい言葉を覚えてたもんね」 「宇宙飛行士、ね。最近はそこまで大きなことは言わなくなってたな」 「でも、そうやって遠いところに憧れる冒険心だけは、ずっと変わってないわね。知らない内に行動  範囲広げてて、わたしが知らないような場所にも平気で出かけてるんだもの。男の子よね、やっぱり」  妻は懐かしむように呟いたあと、不意に思いつめたように顔を伏せた。 「ねえ、あなた」 「なんだ」 「あの子、さ。きっと、また出て行くつもりよね」  夫は、どこか諦観を漂わせている妻の顔を、じっと見つめた。 「どうして、そう思うんだ」 「だって、あの左手の妙な刺青、いつまで経っても消さないもの。あれ、あの二年間の間いた場所に、  何か心残りになるようなことを残してきた証拠よ。必ずまたそこに行くんだって決めてるから、消  さないのよ」  確信しているような、静かな声音だった。夫は目を伏せて頷いた。 「そうだな。そうだろうな、きっと。そういう子だからな」  二人はしばらくの間そうやって俯きながら、「うちゅうひこうし」という息子の昔の夢を、ただ じっと見つめていた。 274 名前: あの子は遠くへ飛んでった [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 02:28:41 ID:6Bw8rCJw

 闇の中、才人はぱっちりと目を開けた。時計を見ると、表示は午前三時。両親は間違いなく眠って いるはずである。 (行くか)  そろそろとベッドから抜け出し、この数ヶ月間で準備したものをあれこれと詰め込んだリュック サックを、音も立てずに背負う。  地球に帰ってきてからの数ヶ月、他のことは何もやらずに、図書館で本ばかり読んでいた。古本屋 街に赴いて、怪しげな古文書を漁ったりもした。おかげで、思いのほか早く、ハルケギニアに帰る方 法が見つかったのである。 (ハルケギニアに帰る、か)  自然と「帰る」という言葉を使っていることに気付いて、才人はため息を吐いた。やはり、自分の 心は間違いなくあの異世界にある。  両親には、置手紙だけ残して去るつもりだった。会えば別れが辛くなるし、どう説明したものか分 からない。何よりも、引き留められたら決心が鈍ってしまうかもしれない。  才人とて、決して平気で両親を置いていく訳ではないのだから。 (仕方ないんだよな。こうするしか、ないんだ)  才人は胸の痛みを無視して、そっと自室のドアを開けた。暗闇の中、電気もつけずに忍び足で歩く。 家の中は完全に真っ暗だった。間違いなく両親が寝ていることを確認し、内心ほっと息を吐く。  だが、一階に下りて居間を通り抜けようとしたとき、不意に明りが灯された。驚いて照明のスイッ チがある部屋の出入り口を見ると、そこに母と父が立っていた。 「行くのかい」  才人が何をしているのか大方は理解しているらしく、母は寂しげな笑みを浮かべながら、ただ一言 そう言った。  その母の表情に耐えられず、才人は顔を背けてしまった。すると、父が静かに歩み寄ってきて、 「才人」  と呼びかけたかと思うと、前置きなしに思いっきり才人の頬を殴った。体がよろけて倒れそうにな るが、寸でのところで踏みとどまる。姿勢を直して顔を上げると、父は静かな瞳でこちらを見下ろしていた。 「何故殴ったのか、分かるか」 「俺が、勝手にどこかへ行っちまうから」 「違う」  父は静かに首を振った。予想と違う答えに、才人は困惑する。 「じゃあ、どうして」 「お前が、何も言わずに出て行こうとしたからだ。俺は、何ヶ月か前にお前が帰ってきたとき、二年  間もどこに行っていた、なんて怒りはしなかっただろう」 「ああ」 「あれは、お前の顔を見て、お前が自分の意思で行方をくらましていた訳じゃなかったことや、二年  間過ごしていたところで、何か悪いことをしてきたんじゃないってことが、すぐに分かったからだ。  お前の瞳は、昔と変わらず真っ直ぐだった。だから俺は、何も言わなかった。だが、今回は違う」  父の瞳の奥で、静かな怒りが燃え上がった。 「お前は、間違いなく自分の意思で出て行こうとしている。なのに、俺達に何も告げずに行こうとし  た。それは卑怯なことだ。お前だって、それは分かっているだろう」  普段無口な父だが、口を開けばいつも言葉はとても率直で、分かりやすかった。今回もそうだ。才 人は無言で頷いた。 「ごめん。止められると思ったから、言い出せなくてさ」 「分かればいい。それで、今夜、行くんだな?」  それだけしか聞かない父に、才人は驚いた。 「止めないのか」 「止めやしないよ」  母が笑って答える。 「帰ってきたあんたの顔を見て、すぐに分かったんだよ。ああ、この子は大人になったんだな、って。  大人は自分の意思で考えて、決めて、行動するもんだ。それにね」  母は、またあの寂しそうな笑みを浮かべた。だがそれは、同時にとても嬉しそうな笑みでもあった。 「子供って、いつかは親の許から離れていくものだろ。それが自然なんだよ。あんたが一生賭けて守  りたいと思うぐらい大切なものを見つけたのなら、わたしらのことなんか気にせず、堂々と胸張っ  て旅立てばいいのさ。それが、一人前の人間ってものなんだからね」 「お前は、二年間ほど過ごしたその場所で、そのぐらい大切なものを見つけたんだろう」  父が問いかけてくる。才人は迷いなく頷いた。 275 名前: あの子は遠くへ飛んでった [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 02:29:12 ID:6Bw8rCJw

「ああ。父ちゃんの言うとおりだ。俺、ひょっとしたら自分の命よりも大切だって思えるものを、そ  こに残してきたんだ。だから、どうしても行かなくちゃならない」  才人が淀みなくそう告げると、両親は顔を見合わせて、そっと微笑を交し合った。 「そうか。なら、何も言わん。いや、何も言えんさ」 「ホント、大人になったね、才人」  暖かい声音だった。胸一杯に何かが溢れてきてたまらなくなり、才人は自然と頭を下げかけていた。 「ごめん、二人とも」 「謝るな」  強い口調で、父が才人の謝罪を制止した。驚いて顔を上げると、父は真っ直ぐにこちらを見据えていた。 「お前は、悪いことをしに行くんじゃないんだろう。正しいと信じることをしに行くんだろう」 「ああ」 「なら、謝るな。悪いことをしてもいないのに、下げたくない頭は下げない。それがお前だろ、才人」 「ああ、そうだ。そうだよ、父ちゃん」  才人は父の視線を真っ向から受け止めて、深く、大きく頷いた。

 玄関から出て空を見上げると、満月が高い位置に上っていた。 「それで、どうやってその場所に行くんだい」  後ろから、母が声をかけてくる。才人は振り向いて答えた。 「方法はもう分かってんだ。ここからでも飛べるから、ここから行くよ」 「そう。そうかい」  母が近づいてきて、ぎゅっと強く才人を抱きしめた。母の温もりが、服を通して肌に伝わってくる。 「才人、体には気をつけるんだよ。風邪、ひかないようにね」 「うん。ありがとう、母ちゃん」 「元気で頑張るんだよ。いいね」  母がそっと体を離し、才人の体はその温もりから永遠に切り離された。 「才人」  父が呼ぶ。その瞳は、今もなおただただ静かに才人を見つめている。 「間違ったことをするなよ。自分が正しいと信じたことをするんだ」 「ああ、分かってるよ」  ありったけの決意を込めて、才人は頷いた。 「俺は、下げたくない頭は下げない。だから、絶対に間違ったことはやらねえ。それでいいんだよな、父ちゃん」 「そうだ。それさえ分かっているなら、どこでだってやっていけるさ。元気でな」  父が励ますように微笑んだ。おそらく、この暖かみのある微笑を見るのは、これが最後になることだろう。 「父ちゃん、母ちゃん」  玄関のドアのそばに佇む両親に向かって、才人は力強く呼びかけた。 「本当に、ありがとう。俺、二人の息子でよかったよ。どこに行っても、絶対忘れたりしないからさ」 「わたしらだってそうさ」 「どこに行こうが関係ない。お前は、ずっと俺達の息子だよ」  父が母の肩を抱く。才人は二人と微笑を交し合ったあと、目を閉じて静かに詠唱を始めた。  ハルケギニアへの扉を開くための、魔法の呪文である。左手のルーンはまだ残っている。必ず、 ゲートは開くはずだった。  詠唱を終えた才人は、ゆっくりと目を開く。目の前の空間に、見覚えのある魔方陣が出現していた。 「じゃあ、二人とも」 「うん」 「ああ」  才人は、笑顔で告げた。 「さよなら、な」  ゲートに向かって、大きく一歩踏み込む。眩い光が視界を覆い、両親の姿はすぐに見えなくなってしまった。

276 名前: あの子は遠くへ飛んでった [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 02:31:13 ID:6Bw8rCJw

 息子の姿が消えた後も、夫と妻はしばらく無言でその場に立ち尽くしていた。 「あの子はさ」  妻がぽつりと呟く。 「きっと、夢を叶えたんだね」 「夢?」 「そう」  妻は空を仰いだ。満月を囲むように、無数の星が煌く夜空。 「宇宙飛行士になって、遠いところを目指して飛んでいっちゃったんだ。だからもう、帰ってこない」 「そうか。そうだな」  夫もまた、空を見上げる。星はとても小さく、遠くにあるが、それは確かにそこにある光だ。 「ね、あの子、大切なもののところへちゃんとたどり着けたかな」 「大丈夫さ。勝手に遠くに行っちまうが、いつだって、自分がどこに行きたいのかは分かってる奴  だったからな」 「そうよね。大丈夫だよね。わたしたちがいなくても、ちゃんと元気にやっていけるよね」 「心配いらないさ。あの子なら、どこでだって生きていける。信じよう、あの子を。俺達のたった一人の息子を」  妻が夫の肩に顔を押し付けて、静かに嗚咽を漏らし始めた。  夫はそっと妻の肩を抱き寄せ、彼女の気が済むまで、ただじっとそこに立って、静かに夜空を見上げ続けた。

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