ゼロの保管庫 別館

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9 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:41:16 ID:5gmiWgR4 ○注・白い百合〜はシリアスですが、これは極めてアホな話です。時系列的には『裏切りは赤』の直後。

「いや、決してあのときの対応に間違いがあったわけではないのだ」

 アニエスの淡々とした声が、木枯らしに流される。  初冬の魔法学院の庭は、それなりに寒かった。

 そ、それならこの拷問は何だ、と才人は心中でつぶやく。隣のギーシュと同じくガチガチ歯を鳴らしながら。  上半身裸で、庭のネムの木の下に正座。  ときおり横のルイズが桶にくんだ水を、二人に柄杓でぶっかけてくる。凍りそうなほど冷たいやつを。  哀れむように木枯らしがヒュルルルと鳴った。

「うん、責めてはいない。傭兵どもの言うがままの金額で即座に契約を結んだのは、あの場合に限りむしろ的確な判断だろう。  あの場面で味方を得るためなら、額の多寡など問題ではなかった。われわれ皆が実際それで救われたし、陛下を守るという大手柄の前にはかすむ話だからな。

 ……しかし連日、王宮で、財務省の役人を筆頭とする官吏たちに、なぜ銃士隊がちくちくと嫌味をいわれなければならんのだッ!?  『天文学的な財政負担だ、増税も視野に入れなければならんな』と財務大臣のデムリ卿にさえ青筋立てながら言われたんだぞ!  ああ貴様らはいいよな常日頃は魔法学院にいて!」

 怒気を放出し、しゃがんで二人の胸ぐらをがくがくとゆすぶるアニエスだった。  よほど腹にすえかねていたらしい。

「貴様ら水精霊騎士隊筆頭のバカ二人が、独断で交わしてきた契約だろうが!  共同任務についていただけの銃士隊にまで累をおよぼしてくるんじゃない、というか当然のごとく王家に借金を肩代わりさせやがって!」

 だ、だって姫さまが払ってくれちゃったんだもの、と才人は揺すぶられながら考えた。  アンリエッタは『わたくしの護衛任務をはたすためにかかった費用です』と述べ、証文の存在によってグラモン家とラ・ヴァリエール家に行くところだった傭兵隊長への請求を、王家が払うと確約したのである。  それ自体はとてもありがたい。なにしろギーシュの実家グラモン家は名門大貴族のくせに貧乏だし、ラ・ヴァリエール家の証文にいたっては才人が勝手にしたことで……

「おっと、ラ・ヴァリエール殿、気をつけてくれ。いま水をかけると私にまでかかるからな」

 アニエスに注意されたのは、無言で柄杓に水をくんでいるルイズ。  前回才人が、ルイズが眠っている間にその小さな手のひらを拝借して、傭兵隊長相手の証文に『ラ・ヴァリエール家三女の手形』を押したのだった。  その後、手についた血をふき取りもせず、村人にまかせっぱなしで目覚めるまで放置したのもまずかったのか(起きたときパニックを起こしたらしい)、ルイズも怨念の権化と化している。

「で、結果、貴様らの金銭的負担は一切無しというわけだが……少し忸怩たるものを良心に覚えないか? ああん?」

「そ、それは覚えなくもないかなーと、ゴポ」

10 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:41:57 ID:5gmiWgR4

 横からルイズの差しだす柄杓が才人の頭の上でかたむき、冷水がちょろちょろとかけられる。  生粋の貴族のくせに、おイタのすぎた使い魔を痛めつけるためなら肉体労働をいとわないルイズが素敵だった。  ギーシュを見ると髪から水をしたたらせ鳥肌を立てて、顔色が悪くなってきている。たぶん自分もそうだろう。

 よし話は簡単だ、と不気味にアニエスが微笑んだ。

「いいか、銃士隊はいま総出で先の事件のことを調べてるんだ。過労死の勢いでな。貴様らもなにか動け。  とりあえず金でも稼いでこい、稼いで国庫に少しなりと補填してみろ」

 銃士隊は必死に働いているのに、毎日のように嫌味も引き受けさせられているという怒りが、アニエスの顔に夜叉の笑みを浮かばせるのだった。  この拷問は間違いなくアニエスさんの鬱憤晴らしだよな、とは思いつつも、才人は命の危険を避けるためにギーシュともども頭をたれるのみである。

「がんばりましゅ……」

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 それから数日ほど後の話である。  トリステイン王宮の執務室。

「平民軍の創設は必要なことです、それも早急に」

 渋い顔のマザリーニと向かい合って、アンリエッタははっきりと言い渡した。  根は意外にかたくなな性分の女王陛下は、揺るぎない決意をおもてに出している。  黒衣の枢機卿は、どう説得したものか悩むように、手にした書類にむっつりと目を落として発言した。

「あのですな、陛下。私だって先の襲撃のことは忘れておりません。  いかにも、メイジの指揮官がいなくとも戦える、平民によって構成され、平民の士官が率いる王家直属の戦力。それは必要です。  ですがそれは当面、銃士隊を増強することで間に合うと思いませんか? ながらく軍は、少なくとも陸軍は貴族の領分だったのですよ」

「ですから、それをこの機に変えたいのです。先の事件では、平民出身の者たちが最大の功労者でした。今ならそれを口実にできます。  時代は変遷し、いずれは平民がより多くの力を持つようになるはずです。ゲルマニアのように、彼らの力を国のためにもっと活用できるはずですわ」

「何をずれたことを。急な軍の改革は、貴族たちの大反発をよぶと申し上げているのです」

 いらだたしげにマザリーニは持った書類を振った。

「だいたい、なにか忘れておりませんか? 世の中、金が必要です。  平民からなる軍を創設し、読み書きもできぬ連中に火器の扱い方はじめとする教育をほどこし、平民の武器を用意して軍備をととのえ、訓練をさせ、しかも給料を払う。  ただでさえ豊かとはいいがたい王家の財政を逼迫させる気ですかな。  代わりにメイジ兵を解雇するとか言いだしたら、その前に私が職を辞させていただきますぞ。  ……ましてや先日の、水精霊騎士隊の小僧どもの打った『名策』のために、王家はあのいまいましい傭兵隊に対して多大なる負債をかかえたばかりですぞ」

11 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:42:33 ID:5gmiWgR4

 それを言われると弱い。アンリエッタはため息をついた。

「……この話は、もう少し話し合う必要がありそうですね」

「時期を見てであれば反対ではないのですよ。ただ、今すぐは少し無理があると申し上げているのです。  陛下、そういえばそろそろ来客予定があるのでは? 私はこれで退出させていただくことにしましょうか」

「あ、ええ、そうですね。ご苦労でした、さがってかまいません」

 陰気に黒衣の裾をひきずり、マザリーニが部屋を出ていく。  アンリエッタはドアが閉まるのを見やると、ふうと息をついた。  施政というものはまったく厄介なものだった。何をやっても、どこからか文句は出るのである。だからといって積極的なことをしなければ、それはそれで責められる。

(でもやはり、王家直属の平民軍は必要だわ。  軍が貴族の牛耳る場であるからこそ、そこでさえ平民の地位が向上したとなれば、その傾向をほかの社会にも浸透させやすいはず)

 財源を確保して、できれば早急に取りかかりたい。  とはいえ今のところ、新たな財源など増税以外にない。内務省、財務省、高等法院が口をそろえて反対するのは目に見えている。  うれいを含んでまぶたを伏せる。

 別のことを考えようとして、来客に思いをはせた。  紫のマントをひらめかせて椅子から立ち上がり、卓から離れて部屋の中を歩きまわる。  そわそわと落ちつかなげな様子になった女王陛下は、初冬の午後の淡い陽光さす窓に目をむける。

(なんの用があるのかしら、ルイズ……)

 先ほど、急な来訪を通告する便りが来たばかりである。  ルイズもあわただしいこと、と多忙なアンリエッタは思いつつも、ちゃんと時間をあけておいたのである。この友人が来るのは、いい気晴らしになる。  ただ……今は、すこし顔を合わせづらいのも確かだった。

 『再戦ですわね?』というルイズの声がどこからか聞こえた気がした。  サイト殿も来るのかしら、とアンリエッタはぼんやり考え、すこし頬を染めてうつむく。われ知らず指で、なぞるように唇を押さえていた。  彼女は前回の襲撃事件の最後で、色々とやらかしてしまったのだった。

(サイト殿にあんなことをして、ルイズに『だと、思います』などと言ってしまって……どうかしていたんだわ、本当に)

 正直、唇を重ねたことは、自分でも分別を失った行動だったとしか言いようがない。  その前から、弱っていたときに慰められたことで意識していた。あげくあのような劇的な状況下で助けに来てくれたのを見たとき、揺れていた心が一気にぐらりとかたむいたのである。  アンリエッタには衝動に弱い一面があるのだった。

12 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:43:04 ID:5gmiWgR4

 しかも、それを見ていたルイズに「本心を言ってください」とつめよられたときはさらにまずかった。  動揺のきわみに達して、親友の恋人に対する再度の告白のようなものを口走ってしまったのである。  本心というか、自分でもこれが恋といえるほどはっきりした感情かどうかわからないのだが。  が、少なくとも嘘は言っていない。昔のように意識しているのは確かなのだった。

(でもあれで、ルイズに敵視されることになったのかしら)

 だいたい再戦といっても、自分はどのようなことをすればよいのだろう。  アンリエッタはあれ以来、才人の顔を見てさえいない。ずっと傍にいるのはルイズなのである。勝負になりようもないわね、と少し醒めた思考をする。

(それに昔からあの子と喧嘩して、わたくし勝ったためしがあまりないわ。  ……ああ、でも懐かしき『アミアンの包囲戦』はじめ、いくつかは勝ったのでしたっけ【2巻】)

 たしかアミアン戦のときの一撃はこのように、と回想しながら、クッションを壁に押しつけてぼすんと叩く。  そこで「姫さま、失礼いたしますっ」とルイズが血相を変えて駆けこんできて、立ち止まってなにやら珍妙なものを見た目でアンリエッタに視線をそそいだ。  女王陛下は赤くなってすごすごと卓にもどり、「ル、ルイズ、ノックは一応必要ですからね」と決まり悪げにくぎを刺した。

「も、申し訳ありません姫さま、ですが、ああ、サイトが! あの馬鹿が無茶なことを……! お願いです、軍を出動させてください!」

「……なにがあったのか、まず落ち着いて話してくれないかしら」

「あの馬鹿、ギーシュと二人だけで竜退治に行ったんです!  土地の領主から賞金まで出ているやつを!」

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 トリステイン国内、王都や魔法学院から離れた土地。人の近寄らない岩山。  賞金のかかった悪竜のねじろ。

「サイト。やっぱりやめたほうがよくないか?」

 ギーシュが空中をコンコンと叩きながら、無表情で提案した。結界みたいなものが、いま上ってきたばかりの山道の出口に張り巡らされている。  おなじく、目に見えない透明な壁をノックして、岩山から出られないことを確かめながら、才人は仏頂面で返す。

「今さらおせえだろ、これ」

「しかしだな! こんな魔法見たことないぞ! いや、エルフの『反射』の先住魔法に似ていなくもないが……  それにふもとでさんざん聞いただろ、その竜の怖ろしさは!」

13 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:43:40 ID:5gmiWgR4

「なにも聞いてねえよ。おどかされただけじゃねえか、具体的にどう怖ろしいのか誰も言わなかったぞ」

「今見てるじゃあないかねッ! このまま、この山から出られなければどうするんだ!?」

 ギーシュの金切り声に、才人は荒れ果てた山道の横を指さした。  そこには立て札が立っており、汚い字で『りゅうのやまへようこそ かんこうはひとり十エキュ さん頂においてくること』と書いてある。

「……払えばここから出られるってことじゃないか? 悪質なボッタクリだな」

「じょ、冗談じゃない! お金を稼がなきゃならんのに、失ってどうするんだ!」

「だから、竜を退治すれば払う必要もないだろ。  この『入るときは通れるけど出るときは通れない壁』にしたって、竜を倒せば消えると思う。きっと」

………………………… ……………… ……

 …………アニエスに「稼ぎます」と明言してしまった二人は、この十日間、金になりそうなあてを調べていたのだった。  まず才人が、地道にアルバイトでもすることを提案したのだが、ギーシュが不平たらたらであった。  まあお蚕ぐるみの貴族に期待するのが間違いかと才人はあきらめた。そもそも、アルバイトくらいで傭兵隊長相手の借金を返せるはずもない。  あの莫大な金額に比べれば、ノミのフケより微々たる量にしかなるまい。

 そこで目をつけたのが、トリステインのとある岩山に巣くう邪悪な竜の話だった。  過去に討伐におもむいた勇士らを、ことごとく返り討ちにしたというその竜は、賞金がふくれあがって結構な額になっていたのである。  ついでに言うと、竜は宝物をためるという。それも奪って合わせれば、王家に負担してもらった額をかなり返せるはずだ。  そんな一攫千金の思考回路で、二人は馬に乗ってはるばる竜退治に出たわけである。

 が。

 竜の住むという山のふもとあたりに着き、地元で一軒きりの居酒屋に入り、竜について情報を集めようとしたときだった。  話しかけた相席の相手は、いかにも渡世に慣れた荒くれ者といった感じの傭兵メイジだった。その男が、竜について聞いたとたん真っ青になったのである。

「知らん、何も知らん!」

 そう言い張るむくつけき男に、横から酔っ払った別の客が口を出した。

「知らんってこたないだろうよ、あんた何年か前にここで、おれが竜を消し炭に買えてやると大口叩いて騒いでただろうが。  挑戦したんだろ、あの後?」

14 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:44:12 ID:5gmiWgR4

 その瞬間、才人とギーシュの前で、その酔っ払いは殴り倒された――飛びだしてきた居酒屋の主によって。  あぜんとする才人たちの前で、居酒屋の主はのびた酔っ払いに「他人の過去を軽々しく蒸し返すんじゃねえ」と怒りのこもった声を発した。  そんな居酒屋の主を見つつ、相席した男がはっとしたように目を見開いた。

「まさか、あんたも?」

「……若いころにな……腕自慢だった馬鹿な青二才のとき、仲間とあの山をのぼった。  以来、後悔しなかった日はない」

 過去への苦々しい痛みをこめて顔をゆがめ、居酒屋の主は男に答えた。  男が同様の表情でそっと目をそらし、「そうか……」と何か精神的な連帯を得たことを感じさせる声でつぶやく。  それから、才人とギーシュに向き直って、男は苦痛に満ちたためらいを見せながら言った。

「たしかに俺は岩山の邪竜に挑んで、敗れたことがある。  しかし、そのときのことは話せん。お前たちが竜に挑んで戻ってこないかぎり、俺の体験を語ることはないだろう。  こればかりは、口で言えるたぐいのものではないのだ。自分で見てもらわねば」

………………………… ……………… ……

 それが昨日のこと。  てん末を回想しながら、二人はとりあえず岩山をのぼっていた。  何がなんだかわからないが、とにかく山頂まで行って見てみないことにはどうしようもないらしい。  しかしこの荒れ果てた山は道らしい道も整備されておらず、ただ歩くのにさえ苦労した。もうかれこれ三時間は歩き詰めである。  才人はぼやいた。

「かー……つ、つかれる……おいギーシュ、もう少しで山頂だ。歩けるよな?」

 問いかけにはぜーはーと荒い呼吸が返ってくる。ギーシュは最初こそフライを使って飛んでいたものの、魔力切れを懸念して途中から歩いている。  しかし急勾配の斜面は、少々歩くだけで軟弱なギーシュからごっそり体力を奪うのだった。  まあ雪がないだけましだよな、と才人は前向きに考える。

 ついに山頂についたとき、ギーシュがどしゃと崩れ落ちた。  それよりはましとはいえ、才人もその横に倒れこみたくなるほどの疲労を覚えていた……が、目の前の光景を見て立ち尽くした。  地面からギーシュがうめく。

「み、水……おい、水をくれんかね……」

「あるぞ、水。あそこにたっぷりと」

15 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:45:52 ID:5gmiWgR4

 才人の声に、ん? とギーシュが身を起こした。  かれらの目の前には、美しい泉があった。  岩の鉛色の中にぽつんと浮かぶ、空の色を映して澄みわたった、青い宝石のような泉が。

 顔を見合わせてから、二人は歓声をあげて山頂の泉にかけより、毛皮の手袋をはずして水を手ですくって飲んだ。  初冬の寒風の中、手を切るように冷たい水を、数度にわたってすくいあげて口にする。

「いやあ、汗を流したあとの水はうまいぜ。山頂に湧き水とは珍しいな」

「ああ、ふもとの水とは味も違う気がする。鉱泉か何かだろうな。  少し塩気があるかもしれん、あるいは岩塩が溶けこんだか」

 土系統メイジで錬金も扱えるギーシュは、こうしたことにちょっとした知識がある。  うなずきながら、才人は山頂をあらためて観察した。  こんこんと湧く目の前の泉は、あふれた水が横手の断崖からこぼれおちて滝になっている。  泉の向こう側に大岩がつらなり、縦横が数十メイルにおよぶ大岩壁となっていた。

「……お、見ろよギーシュ、あんなところに洞窟っぽい隙間があるぜ」

「おや。言われてみれば、ただの岩の隙間とは見えないな。ではサイト、調べに……  って、なにか出てきたんだがね!?」

 峨々たる岩壁に黒い口をあけた洞窟から、悠然とした足取りでそれは二人の前に現れた。  硬そうなごつごつした黒い体。ただ、歩くたびになんだかその胴体が硬そうなまま揺れている。まるでサイズが合っていない鎧のようだ。  ぼってりした太く短い四肢、そしてワニのような尻尾。  妙に巨大な真っ黒い目が、イグアナを思わせる顔についている。

 二本足で歩く、等身大のゴジラの着ぐるみのようなものが出てきたのだった。  滝とは反対側の泉の縁を通ってやってくると、手にかかえていた箱を突き出し、そいつは目で語った。

《十エキュはそれぞれこの箱の中に入れてくれ》

「「…………………………………………」」

 二人ともに、痛い沈黙。

《早くしてくれ、外は寒い。ストーブの前に戻りたいんだ》

「……なにこの妙に固太りした直立歩行トカゲ、異様に雄弁なアイコンタクトしてくれるじゃねえか……  なあギーシュ、これってどうすればいいんだ?」

「……ぼくに訊かないでくれるかね? そもそもこれは竜なのか?  竜にしてはちっこいんだが。背の高い人間程度のサイズだし」

《疑うとは失敬だな。我々竜族には、さまざまな種類がいるのだよ。私はいまや絶滅寸前の古代竜の一種だ》

16 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:46:28 ID:5gmiWgR4

「いや、それにしてもこんなのはふつう存在しないと思うのだが……まあいい。  で、この竜? を倒せばいいわけだが、なんか人間並みの知性がありそうだな。  なあちょっと訊くが、きみが賞金首の竜かね? 過去に何度も人間を撃退したという」

《うむ、私のことだ。残念ながら人間から挑まれることは多い。  私は争いなど好まないのだが、彼らはしょっちゅう杖や剣を持ってやってくる》

「いや、賞金がついてるってことは、なにか悪事をはたらいたんだろ?」

《下界でなにかした覚えはないのだがね。しいていうならここに住んでいることが、ここら一帯の領主の気にさわるのだろう。  税を払えと言ってくるのを拒んでいるうちに悪い評判が広まってしまったようだ。岩山の土地権利書は持っているのだが》

 人の貪欲さを心底嘆くようにため息さえ混ぜ、しみじみ語る怪しい竜。

「……ちょっと二人で相談してていいか?」

《かまわんよ。客人の前で失礼だが、私はそのあいだ我が家のトイレで用をたしてこよう》

 怪竜が箱を地面に置き、のたのたと離れていく。  気勢をそがれつつある少年二人は、顔をよせあって相談をはじめた。

「なんか変な展開になってきたが……サイト、こいつ悪い竜ってほどの存在には思えんな」

「うーん、しかし金がな……だいたい一人十エキュ払えという要求が腹立たしいし、下の結界みたいなアレ、来るもの拒まず去るもの逃がさず方式ってのがひっかかる。  あれ、あの竜なにして?」

 二人が今後の方策をさぐっている間に、怪竜は泉のふちに立っていた。  なんとなく議論を止めてその後姿を観察する彼らに、怪竜は背を向けたまま何やらごそごそしていたが、ほどなく仁王立ちのままじょぼぼぼぼと放尿を始めた。

 泉の中に。

17 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:47:10 ID:5gmiWgR4

 フンフフフンフンフーと鼻歌でリズムを刻みながら立小便する怪竜の背後で、体を折って先ほど飲んだ水をげぽげぽ吐き出している二人。  ギーシュが地面にはいつくばったまま絶叫した。

「キサマそんな美しい泉になんてことをしてるんだアァァッ!」 

 怪竜は放物線をかいて小便を泉に注ぎいれながら、背をむけたまま肩越しに横顔を見せ、ふっとおのれの美意識に陶酔する漢の笑みをもらした。  目で語る。

《この上もなく美しいものをあえて貶める……そこには大いなる愉楽があると思わんかね?》

 剣と杖をひきぬいて、才人とギーシュが地面から立ち上がった。  二人とも目に、ガチの殺意を宿している。

「サイト、いままさに邪悪を見た」

「ああ、この外道は断固としてこの世から誅滅されるべきだぜ」

 あの山道を上りきった旅人なら真っ先に口をつけずにいられない泉が、竜のトイレ。  その事実に目を血走らせてじりじり背後にせまる二人に、怪竜が太い尻尾の先を小器用にちっちっと振ってみせた。

《なにやら君たち、興奮しているようだが……手に尿がひっかかったら困るから、今は騒がないでもらえんかね。  私は清潔を心がける竜なのだよ。ちなみに飲み水用の泉は洞窟の中にある》

「ほう……貴様は自分の小便じゃなくて血で汚れることになりそうだぜ……」

《まあ、慌てるな。  つまり君たちも勝負を申しこみたいというわけかね? やむをえない、相手しよう。最後に訊くが、穏便に二人分で二十エキュを払って下山する気はないのだね?》

「この期におよんで、誰が払うか!」

18 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:47:55 ID:5gmiWgR4 ………………………… ……………… ……

 洞窟の中は広かった。いかな業によってか、洞窟内を構成する岩には整然たる配置がなされており、空間は部屋のように区切られている。  ところどころにごてごてと毛氈やタペストリーなどの装飾品があり、野趣あふれる宮殿のようでさえある。  冷たい石の卓と椅子。腰かけて、怪竜は太い手を組んだ。

《ではルールを説明させてもらう。  勝負方法はどんなものでもかまわない。君たちには何度でも勝負をいどむ権利がある。一度でも私を負かせば、君たちの勝ちだ。  君たちが降伏をみとめたときに、私の勝ちとさせていただき、勝負をいどんだ代償をきっちり払ってもらう》

 岩をくりぬいて作られた炉は赤々と燃え、暗がりを照らしている。  明かりで見える周囲にはチェスを初めとするボードゲームの盤、カードゲーム用の幾種類かのカード、ビリヤード台、木や真鍮や布で作られたボール、木片や紙を使ったパズルなどの娯楽品がさまざまに並んでいる。

《ただし、同じ勝負方法は二度は出さないように。それと、出来れば暴力沙汰ではなく、紳士的なゲームをしたいと思うのだがね。  実はさっきまであちらの岩室で、君たち以外の挑戦者二名を相手していた。そっちのほうも時々見に行かなければならんので、そこは了解してもらいたい》

「な、なんか調子が狂う……  おい、俺たちが勝てば本当に、この地から去るんだな? 岩山にかけた魔法も解くんだな?」

《無論、シールドは無条件で解除する。土地権利書を渡し、宝もつけよう。  で、勝負は何にするのかね?》

 ふむ、とギーシュが周囲を見渡してうなずいた。

「サイト、まずぼくが行かせてもらおうか。チェスやカードゲームのたしなみはそれなりにある」

「……頑張れよ」

………………………… ……………… ……

 一時間後。

《私は敗北を知りたいのだが、だれもそれを教えてくれない》

 怪竜がそんなふうに語る遠い目をして、炉に薪をくべている。  チェス初めとするあらゆる知的ゲームで、人外に惨敗を喫したギーシュが岩の床を手でたたき、屈辱にワナワナ震えている。  倒れたクズカゴから床に散乱した生ゴミを見る目で、才人がギーシュを見下ろした。

19 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:48:32 ID:5gmiWgR4

「なあギーシュ……最初からなんだかオチは読めてたけどさ、ことごとく開始数分で惨敗はないだろ?  しかも『騎士と女王と僧兵抜きのチェスならもはや別のゲームだ』って屁理屈こねて、相手だけ駒を抜かせたあとでの再戦で負けてたら、さすがにもう庇ってやる気も起きねえや」

「ち、違う! あいつが強すぎるんだッ!」

《うむ、種としての優越はいかんともしがたいな。私の優秀さを許してくれたまえ》

「くっ、淡々と語られる分だけ非常にムカつくね! 着ぐるみかと見紛うふざけた外見しておきながら!」

「まあギーシュ、言われても仕方ないだろ。ここは俺にまかせとけ」

 才人はさっくり水精霊騎士隊長を切り捨てると、ギーシュに代わり卓をはさんで怪竜の前にどっかと腰をおろした。

「たずねておくが、勝負事ならなんでもいいんだな? たとえば、あんたが知らないゲームでも」

《うむ、事前にゲームのやり方を手抜かりなく教えておいてくれるならな》

 結構だぜ、と才人はにんまりした。  彼なりに考えたのである。竜族は長命だというし、どうやらこの竜っぽいものも長く生きてきて、チェスやシャッフルなどの一般的なゲームは相当やりこんでいるのだろう。  だが今までやったことのないゲームであれば、勝手が違うはずだ。

「将棋、ってやつを教えてやるよ」

………………………… ……………… ……

 さらに二時間後。

《ふむ、どれもなかなか完成度の高いボードゲームだったな。感謝しよう、知識が増えた》

 メモメモ、と紙に羽ペンで詳細をしたためている怪竜。  床に轟沈しているのは才人。  卓の上に、紙や小石で作ったありあわせの即席ゲーム盤と駒が置いてある。  将棋、囲碁、オセロ、四目並べ、五目並べの全てで敗北を喫した才人であった。  なにが切ないって、器具の用意とルール説明時間のほうが、じっさいに勝負した時間より長かったことである。

 生ゴミにわいたウジを見る視線で、ギーシュが床の才人を見下ろした。

20 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:49:45 ID:5gmiWgR4

「なあサイト……自分が教えたばかりの、相手は初めてするゲームで負けているきみはなんなのかね?」

「ま、待った、あいつが尋常じゃねえんだよ!」

 二人の低脳の言い争いを見ながら、怪竜が簡単すぎるとばかりに首を振って言った。

《これで終わりかね? こっちはそろそろ午後もまわったし、夕食の仕込みにとりかかりたいのだが。  あっちの部屋にいる挑戦者の様子も見ておきたいしな》

「がーッ! やめだやめ! こんな小細工、ぼくの性に合わん!  小便入り水飲まされておいて、貴族が杖で決着をつけずにいられるかッ!」

 ギーシュが開き直った。  俺たちカッコ悪いよなと思いつつも、才人にとってもそっちのほうが願ったりかなったりである。  土台が頭脳労働者じゃない。

「そうだな。ここは実力行使させてもらうぜ」

 デルフリンガーをあらためて抜き放った才人を見て、やれやれと怪竜が首を振った。

《けっきょく暴力沙汰かね……これも下等種族の野蛮な気質ゆえか。  しょうがあるまい、では戦いの場を用意しよう》

 その言葉と同時に、卓の横の見るからにうさんくさいボタンをぽちっと押す。  と、洞窟の中央の床がぱかっと割れ、ぐぃんぐぃんと四方を赤いロープに囲まれたリングがせりあがってきた。  怪竜はのそのそとそこに上がると、四隅の柱のひとつにくくりつけてあったグローブを手早く装着し、へいかもん、と手招きする。

《まずどちらがやるのかね?》

「…………いろいろ言いたいんだが……」

《気にするな。先住魔法の応用だ》

「嘘つけや! ち、違う、もう気にしたら負けだな……  じゃ言わせてもらうけど、俺たちは自分の武器を使うつもりだぞ」

《当然だろう。これは私専用の武器だ。いい具合に手加減がきくので愛用している》

21 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:50:29 ID:5gmiWgR4

 ここまでナメられては黙っていられない。  才人は「じゃ、俺からいくぜ」と言い置き、リングに上がった。すらりとデルフリンガーを抜く。  どっからでも来い、とばかりに構えた。左手のルーンが光る。

………………………… ……………… ……

「あ……ありえない……ありえない……なにがありえねえって、肝臓打ちからガゼルパンチ、とどめにデンプシーロールとかあの短い手足でコンボ繋げてくるところがさ……」

「サイト、サイト!? おいしっかりしろ、うわぁ目が死んでる!」

《揺らさないほうがいい。若人よ、これを糧として成長するのだな。  竜族は幻獣のなかでも最強の種だと、これからはちゃんと認識しておいたほうがいいな》

 ぼろぼろになってリング外にずり落ちた才人に、リング上の勝者が悠然と声をかけた。  ギーシュがそこに化物を見る目を向け、今さらなことを絶叫した。

「おまえみたいな竜がいるかぁぁぁッ!」

 ブレスも魔法もなし、怒涛の拳ラッシュ。  ただガンダールヴより動きが速かった。才人の剣をひょいひょいかわして、一度は白刃取りまで披露している。  人体の急所、戦いの駆け引きを知悉した戦い方であった。いや、もうそんな問題じゃない。  ギーシュの叫びを意に介さず、怪竜は肩をすくめた。

《で、次は君がやるのかね? 素直に敗北を認めたらどうかと忠告するが》

「く! ……く、こ、この、貴族のぼくが、戦わずに引けるものか!  ああ上等、やってやろうじゃないかね! ただしそのリング上はそっちが有利すぎる」

 ギーシュは額に汗をにじませて要求した。

「外で勝負させてもらおう!」

《うむ、それでも構わん》

 あっさりと受諾し、怪竜はギーシュのあとについて洞窟の外に出る。  さらにその後を、這いずって才人が追った。  寒風吹きすさぶ青空の下に出る。  泉の縁を歩いてひらけたほうの岸に行くと、ギーシュは杖をふって青銅のゴーレム『ワルキューレ』たちを呼び出す。

22 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:51:10 ID:5gmiWgR4

「来たまえ!」

《うむ。では私もブレスを使わせてもらおう。un》

 がしゃこん、と謎の音がして、怪竜が空に両手をさしあげてポージングした。

《deux》

 深呼吸のように腕を広げ、くるくると回転しだす。不気味すぎる光景に、ギーシュがどん引きしている。  「あ、ちょっとセーラー○ーンの変身シーンに似てる……」と、屍のように転がっている才人が感想をもらした。  この少年、子供のころ普通にセーラーアニメを見ていた口である。小学校のクラス男子に結構いた。

《trois》

 ワニのような尻尾をピンと上げ、急加速でコマのように回転が速まっていく。  幼い子供が見たら泣き出すこと必至の、恐怖をともなうシュールな光景に、さっさと攻撃すればいいものをギーシュは固まっている。  と、怪竜の動きがピタッと止まった。口を大きく開けて、ギーシュのゴーレムたちのほうを向いている。

 ジェノサイドエクストリィィィム 《聖 母 殺 人 伝 説!》

 膨大なエネルギーが、その口から奔騰する怒涛となって解き放たれる。  白い橋のような光線が空に架けられ、遠い彼方へその光芒は消えていった。  山頂の地面をえぐるように飛んだ巨大なブレスに、一瞬にしてワルキューレを消滅させられ、あぜんとしていたギーシュがややあって手をあげた。

「降伏しよう」

「お……おい、ギーシュ……」

「なあサイト」

 ギーシュは洞窟の入り口で倒れている才人のほうを見て、気まずそうに咳払いした。

「ここはその、なんだ、捲土重来を期すしかないだろう。  今回はちょっと情勢が悪いようだし……」

 才人もうめいたきり、言葉が出てこない。  彼とて、力ずくでは勝てそうにないと今では理解しているのだった。  こうなっては一刻もはやくこの疫病神から離れて、別の金策に走るしかあるまい。二十エキュは泣く泣くあきらめよう。

23 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:52:04 ID:5gmiWgR4

《降参かね。ふむ、賢明な道だ。  では、さっそくだが代償をいただくとするか》

「あー、はいはい……つっても手持ちは七十エキュもねえからな」

《いや、金ではない》

 怪竜は妙に力強くそう言うと、泉の岸辺の大岩に腰を下ろす。  首元でなにやらごそごそやると、チーッと黒い体の前に付いていたチャックを引きおろした。

《というわけで、や ら な い か》

「「……はい?」」

《代償は私との同衾なのだが。こう見えても健康な成体らしい欲求を持っていてね。  これまでここに来て争った男たちとは、例外なく最後で一夜をともにして親睦を深めたものだよ》

「え? なに? なにを言っているんだ? あんたメスだったのか?」

《いや、私はゲイだ》

「ぎぎぎぃやあああああああアアアアアァァアァッ!!! アッーーーーーー!  訊くんじゃなかった! メスだったらいいってわけじゃないが訊くんじゃなかった!  これか、これがふもとで語ってもらえなかった理由か! そりゃこれまでの挑戦者どもは必死で隠すだろうよ!」

「なあサイト、不思議だな。あいつの開いた自分の皮の向こう、いくら目をこらしても、もやがかかって見えないんだ。  というかもうあれ絶対竜じゃないと思わんかね。もっとおぞましい何かだ」

「ギーシュ現実に帰ってこい、全部同意するがそこらへんはもうどうでもいい!  今すぐ降伏宣言を取り消すんだ!」

《言っておくが、プレイでは私が入れる側だぞ》

「聞きたくねえッ!!! ギーーシューー!」

 阿鼻叫喚。  どうにかアッチ側から戻ってきたギーシュが降伏を取り消すまで、しばしの時間を要した。  勝負はもう手詰まりの気はするが、こんなところで貞操を散らすわけにもいかない。  要するに悪あがきである。

24 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:52:51 ID:5gmiWgR4

《ふむ、あきらめの悪いことだ。まあよかろう、楽しみを先に延ばしておくのも悪くはない》

 余裕をもって、怪竜はそれを受け入れた。  チャックは閉めている、というか何故かもうその形は見えず、ごつごつした表皮があるのみである。  血相が完全に変わっている才人が、大岩に腰かけた怪竜に尋ねた。

「なあ、いまのは『一対一』であって、『チーム戦』じゃないよな?  実は俺たちそっちのが本領なんだよ。もう一回実戦で、今度はこっちチーム組んだ状態で相手させてもらえる? それなら同じゲームにはならないだろ」

 ガンダールヴは本来、詠唱中のメイジを守る存在なので、チーム戦が本領という部分はあながち嘘ではないが、それにしてもひどい屁理屈だった。  チェスのときのギーシュ並のこじつけだったが、平然と怪竜はうなずく。

《まったく、わがままな子供たちだ。しかし鷹揚は美徳というのが私の信条なので、受け入れよう。  しかし、わかっているだろうね? タダということはありえない。敗北をみとめた際の代償は追加させてもらう。  3 P だ》

 才人とギーシュは血をケプッと吐いた。  とにもかくにも、勝負は明日以降に持ち越して続行。

………………………… ……………… ……

《対戦している相手にも、ひとり一食二十エキュで手作りの料理を提供することにしている。  君たちも食べたければ言いたまえ。金があるうちは受け付けよう》

「やっぱりボッタくるんだな……遠慮する」

 夕食タイム。

 日が沈む直前あたり、才人たちを訪ねてきたという客人があった。  王家の紋をつけた騎士だという。  持ってきたビスケットをわびしくかじっていた二人は、竜に知らせられて洞窟から出る。

 徒歩でえっちらおっちら登ってきたらしいその騎士は、疲労困憊して泉の水をガブガブ飲んでいた。  真実を教えないほうが親切だよなと思いつつ、そのメイジのところに足をむけた才人とギーシュは、騎士にここまで来たわけを問いただした。

「女王陛下じきじきの命でござる。  ラ・ヴァリエール家の令嬢の訴えにより、陛下がそれがしをつかわしました。  それがし、お二人の様子を見て報告せよと言いつかっておりまする。できれば二人に直接報告の手紙を書いてもらえと。  また、なにかあれば手助けするようにと」

25 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:53:26 ID:5gmiWgR4

 そこまで語りその騎士は、声をひそめて杖をにぎった。

「助太刀の必要はありそうですな。それがし風竜に乗ってここまで来たのですが、どうも竜が嫌がって寄り付こうとせぬのです。やむをえずふもとから歩いて参りました。  いかな邪悪な存在が、この洞窟に……」

 ああ、あの野郎はじゅうぶんに邪悪だよと思いつつ、才人は「ちょっと待って」と手をあげてさえぎる。

「ありがたいんだけどさ……あんた、どんなことでもすべて陛下に報告できちゃう人ですか?」

「無論です。お疑いとは心外な!  たとえおぞましい恐怖の記憶でも、自らの恥辱に満ちた話でも、陛下にすべて余すことなく報告してみせまする。  ……恥辱の場合は報告が終われば自害するかもしれませぬが」

 うわ、目がマジだ。  この任務熱心にして忠誠の塊っぽい騎士なら、ほんとに全部報告するだろう。  才人とギーシュはすばやく目を見交わし、「ちょっと待ってて」とその場に彼をとどめ、洞窟内にいったん戻った。

「どうするサイト? 手を貸してもらうかね?」

「しかしだな……それでも負けたときのことを考えてもみろ。考えたくもないが、俺たちが貞操を失わざるをえない場合だ。  あの騎士さん、王宮に戻って律儀に報告しそうな気がする」

 ルイズやアンリエッタに知られる。下手するとそれ以外の連中にもれないとも限らない。  二人の額に、つっといやな汗が流れた。

「……お前、モンモンや水精霊騎士隊員、ひいては学院中にことの次第が伝わることを想像してみろ」

「……五回は死ねるな」

 けっきょく、報告の手紙を持たせて帰すことになった。  岩室の隅で食後のハーブティーを飲んでいた怪竜に、インク壺と鵞鳥ペンを借りる。  その折に、怪竜が《そうそう》と視線を投げてきた。

《援軍とかが来たら、さすがに私も手に余る。  その場合は、シールドの効力を外側に向けても作用するよう調整して時間をかせいだあとで、行きがけの駄賃に君たちをレイプして逃げる》

 尋常じゃない脅し方をされた。当たり前だが人生初体験の脅し文句だ。

《できれば敗北を受け入れてもらい、合意のもとで話をすすめたいのだがね。  力ずくというのも乙なものだ……たまになら》

26 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:54:13 ID:5gmiWgR4

「え、援軍は呼ばんから安心したまえ……」

 それも検討していただけに、二人そろってガマのごとくあぶら汗を流す。  卓について手紙をしたためる段になって、文面になやむ。

「どう報告したもんかね」

「事実を書くしかねえだろ。ただし詳しいところは徹底的にぼかせ。  ……万が一の事態になったとしても、口をつぐんで下山して『いやぁ負けちゃいました』だけで押し通さにゃならねえ。  援軍はくれぐれも無用と念のために付け加えとけよ」

 しかし何という窮状だ、と二人は重苦しくため息をついた。  と、岩で隔てられた洞窟の奥のほうから、咆哮のごとき大音声が聞こえてきた。

「おなかすいたのねーーー! なにか食べさせろなのね!」

 ん? と二人はそちらを見た。  怪竜が太い指で器用に持ち上げていた陶器のカップを卓に置いた。流し目で語る。

《君たち以外の挑戦者だ。チェスで相手していた》

 声は近づいてくる。

「干した果物も乾パンもチーズも全部食べちゃったのね! はやく帰りたい!」

「勝たないかぎり、帰れない」

「じゃあ勝つのね! いつまでチェスやってるつもり!? 一手一手に信じられないほど長考しちゃって!」

 そこで岩の仕切りの陰から、会話している者たちが姿をあらわした。  あ、と双方が息をのむ。  才人が瞠目して名を呼んだ。

「タバサとシルフィードじゃねえか」

「きゅ、きゅい。なんでサイトとギーシュさまがいるのね?」

 シルフィードは人型。あっけらかんと全裸である。そんな場合ではないが、ついつい男二人の視線が上下する。  青髪コンビのうち、背の低いほうが動いた。  持参したらしい木をくりぬいて作ったコップで、洞窟の片隅の小さな湧き水に歩み寄り、それをすくって飲む。

27 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:54:58 ID:5gmiWgR4

《水はタダだ。君たちも遠慮なく飲みたまえ》

 怪竜のアイコンタクトを無視して、才人はタバサのそばに駆け寄った。

「おいタバサ! おまえなんでここに」

 横顔で沈黙。  ただし無視ではなく、答えたものかどうか迷うたぐいの。  けっきょく、無表情にほんのわずかに苦々しげな色を混ぜて、タバサが答えた。

「希少本の代金の分割払いと、使い魔の食費が……」

「…………おまえも大変なんだな」

「あと、叡智ある古代竜の一種を見てみる気になった。のだけれど」

 そこについては、もはや互いに語る気になれないのは同じらしかった。  才人は頭をふり、別の質問をする。

「勝てそうか? チェス」

「非常に厳しい」

 才人の口から絶望の吐息がもれる。  知り合いの中で随一の頭脳派であるタバサをしても、あの怪竜には及ばないという。  しかし、あきらめるわけにはいかなかった。才人は提案する。

「なあ……俺たち共闘したら、勝てるかもと思わない?」

 眼鏡のフレームを炉の火に輝かせて、タバサはうなずいた。

「ひとつ思いついたことがある」

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

 数刻後、王都トリスタニア。  王宮の執務室。明け方ちかく。

 燭台の火の下で椅子に腰かけて、女王陛下は真剣な顔でギーシュのしたためた手紙を読んでいた。  ルイズが今にも泣きそうな顔で、必死に口をひきむすび椅子の前に立っている。  二人とも寝ずに報告を待っていたのだった。

28 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:55:44 ID:5gmiWgR4

【身どもの安否を気にかけていただき、まこと恐悦のきわみ。  目下、竜との死闘を繰り広げており、ふたりとも洞窟からおいそれと離れられませぬ。  しかしながら援軍はくれぐれも無用。  これは身どもの不始末をぬぐうことに端を発しており、また詳しいことは明かせませぬが援軍はわれらをさらなる危地に落とすものとなりまする。  かならず両名とも生きて帰りますゆえ、陛下およびラ・ヴァリエール嬢におかれましては、ゆめ優しき御心をわずらわせることなきように】

 アンリエッタはそこまで読み終え、額に片手をあてて手紙から顔をそむけた。

「おお……」

 悲痛な嘆声がもれる。  その前で、ルイズがとうとう顔をおおって嗚咽をもらす。使い魔兼恋人が消えて一週間、夜も眠れぬほど心配してわりと素直になっている。

「サイト……きっとわたしが怒りすぎたからこんなことに……」

 悲嘆にくれる少女たちを痛ましげに見ながら、夜っぴて風竜を飛ばし、いそぎ報告をもたらした騎士が感にたえぬというような声をだした。

「彼らはまさに勇士です。それがしの手助けも断りました。  手紙をわたされたおり、十エキュ払わねば下山できないと聞かされ、貴族にこのような侮辱が許されるかとそれがしは憤って竜と戦うことを望んだのですが、あの二人はこう言いました。  『自分たちは意地をかけて戦わざるを得ないが、あんたには陛下に報告するという立派な任務がある。もしあんたまで斃れたら陛下に申し訳がたたない。  ここは我慢して十エキュ払い、すみやかに山を下りてくれ。あと重ねて援軍無用』と」

 わっとルイズが泣き出し、ついにひざまずいてアンリエッタのひざに顔をうめ、涙にくれる。  その桃色がかったブロンドの髪に手を置きながら、女王は青ざめた顔で騎士に礼をのべる。

「ありがとうございます。任務ご苦労でした」

 騎士が退出したあと、こらえかねたようにルイズが痛々しく涙声をもらした。

「サイト、ああ、サイト……姫さま、わたしどうすればいいのか……黙って出て行くなんて思わなかった、竜退治なら一緒に行ってあげたのに。  わたしの虚無があったらきっと何とかなったのに、いまさら援軍もだめだなんて」

 火影ゆらめく室内、アンリエッタは椅子から降りてルイズのそばに自らもひざまずき、そっとその肩に手をかける。

「あなたのせいじゃないわルイズ。彼らを信じ、無事を祈りましょう。  今となってはそれしかできないのですから」

「姫さま……」

29 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:56:39 ID:5gmiWgR4

 夜明け前の寒々とした空気の中、二人は冷気と心痛を払おうとするかのようにひしと抱き合った。  この二人が手紙をあらためて読み直し、最後のほうに慌てたようにくっつけられた一文を意識にとどめ、首をかしげつつも応えるのはもう少し後である。

【ただ一つのみ乞う、料理人数名を至急派遣されたし】

\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\

 日が一巡し、山頂はまたしも夕方。洞窟の中。  獣脂を使っているらしきランプが、いやな臭いを発して燃えている。  タバサにあてられた岩室の中で、チェスの決着が間近だった。

 怪竜と向き合い、石の卓上のボードを見つめるタバサ。その冷たい瞳の奥で、膨大な量の思考の火を燃やしている。  汗が額ににじんでいた。  タバサがときには数時間かけて一手を考えるのに対し、怪竜は無造作に打って、しかも優位に立っているのだった。  一手打たれては、考える。一手打っては――考える間もなく、打たれる。実力の差は明らかであった。チェスの優劣には経験の差も加わるので、いかんともしがたい。

 思索の激突を横から見守る三名は、それぞれに追い詰められた表情であった。  才人とギーシュは手に汗をにぎって、タバサの勝ちを祈っている。彼ら二人も、この一日を必死に戦ったのであった。  シャッフル、ポーカー、ルーレットに始まり、縄跳び、鬼ごっこ、水面石飛ばし、メンコ、コマ回し、双六と続き、ついにジャンケン、くじ引きまで手を出した。  傍からみると遊んでいるだけだが、本人たちはある意味命をかけるより真剣に行っていた。が、すべて敗北。

 もはやタバサの策にすがるのみ、と二人は思いさだめていた。  いっぽう、シルフィードも別の意味で追いつめられていた。さすがに昨夜からは布を体に巻きつけている彼女は、空腹のあまり野生に帰りかけている目である。  またタバサが打ち、即座に打ち返されて考えこむ。局面はまさに終盤にさしかかっており、言うまでもなくタバサの敗勢が濃い。

 と、タバサがなにかを思い切ったように顔をあげて、ぴしっと一手打った。  それが決着になった。怪竜が自分の駒をつまみあげて置く。

《チェックメイト》

「ああ……」

 頭をかかえる才人たち。たった今タバサの敗北が決定したのである。

《うむ、なかなか筋がよかったと言っておこう》

 シーハーと楊枝で歯についた夕食の食べカスをせせり、実に憎たらしい態度の怪竜。  タバサは無言で横の本を取りあげ、読み始めている。  暗澹たる気分だったが、ふと気になったのかギーシュが怪竜にささやいた。

「きみ男色趣味じゃなかったかね? 彼女は女性だぞ、代償なんて払いようもあるまい」 

《基本はそうだが、選り好みはしない。  というよりここに住み着いて以来、いままで挑戦者に女はいなくてね。たまにはゲテモノを食するのも悪くない》

30 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:57:55 ID:5gmiWgR4

 いろいろ最悪なアイコンタクトが帰ってきた。  ちらりと見ていたのか、広げた本の上部からのぞいているタバサの頭がわずかに動いた。

《それに彼女の体は起伏が無いので少年に見えなくもないからな。まあ許容範囲だ。  韻竜のほうは、あそこまで起伏があるとどうしようもないので放っておく》

 何がイヤって、悪意ではなく本気でそう思っているらしいことである。  才人はタバサをじっと観察した。本の上から見えている青い頭はもう動かない。  ただ、岩室の夜気がいっそう冷えこんだような気がする。やはり怒っているのだろうか。  と、どのような超感覚か、怪竜が何かに気づいた目をした。

《うむ? また誰かふもとのシールドに近づいたな。これはしたり、昨日の騎士ではないか。ほか数名を竜に乗せている》

 才人とギーシュに顔を向けてくる。二人はあわてて手をふった。

「援軍なんて頼んでないぞ!」

「そ、そう、あの騎士さんが連れてるのはたぶん料理人だ!」

《料理人?》

 怪竜が疑わしげに首をかしげる。  タバサが本をかたわらにおき、霜がおりそうな声音で言った。

「あなたに次の勝負を申しこむ。明日の昼。  こちらはこの四人が一チームで」

《ほう。別にかまわんぞ。して種目は? 実力行使かね?》

 自然な余裕をたたえている怪竜に、タバサは冷然とした瞳を向けて言い放つ。

「大食い勝負」

………………………… ……………… ……

 さらに翌日の正午。  初冬の空は今日も晴れ、わずかに群雲が出ている。  物言わぬ岩だけのさびしい山頂は、今までにはなかったであろう活況を呈していた。  タバサの提案をのんだ怪竜が、昨夜のうちにふもとに連絡をつけたのである。

31 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:58:31 ID:5gmiWgR4

 けっきょくふもとで泊まった料理人たちが、大量の食材を人足に運ばせて朝からえっちらおっちら山頂まで歩いてきた。  勝負に必要な人員、ということで彼らの分の入山料はさすがに要求されず、勝負の結果いかんにかかわらず自由に帰っていいことになっている。  どうやってか知らないが、怪竜の意思によってシールドとやらは通す通さないを決められるのであった。

 朝から組まれたいくつもの石の炉には大鍋や網がかけられ、地元で屠られた山羊や豚、鶏やウズラが野菜やハーブとともに、種々の調味料で料理されている。

「はやくそれをシルフィに食わせるのねぇぇぇッ!!! もう生でいいのね!」

「シルフィ! おいこらコックさんに襲いかかるんじゃない! タバサこいつを止めろ!」

 一昨日を最後になにも食べていないシルフィードが、血に飢えた竜と化している。人型ではあるが。  つかみかかろうとするかのように指を鉤にまげて即席の調理場に突進し、それを才人が正面から必死に食い止めている。  そんな騒ぎをよそにギーシュがうんうんとうなずいた。

「双方一枚ずつ同数の皿を空けていき、食い倒れるまで続けられる大食い勝負か……これなら勝てそうだな。  四対一という差を確実に反映できるし、くわえてこっちは一昨日で持参の食物が尽きて飢えきっているわけだし」

 さらにタバサの指示で朝早くに起きて、最後に残ったビスケット二枚を、人間三人で分け合って食べている。  早いうちに小量の朝ごはんを食べておくと、消化器官がしっかり目覚めて昼になおさら詰めこめるのである。また、絶食の後いきなり大量につめこむと胃が驚くので、それを避けるためでもある。  タバサは直接答えず、怪竜をすっと指差した。かれは調理場に入ってコックたちにメニューを訊いている。

《うむ、熱いカラメルソースをドーナツにかけたものがデザートか。寒い日にはありがたいな。  私のそれは最後に出してくれ、勝負が終わった直後にお茶とともに落ち着いて味わいたい》

 完全に余裕ぶっこいている。沈黙するギーシュに、タバサははっきり言った。

「楽観は禁物。死ぬ気で食べること」

 やがて太陽が西にかたむき始めたころ、泉のほとりの(料理人たちは知る由もなかったが、事情を知る者には実にいやな場所だった)巨大な平べったい岩の上に、料理の皿が並べられだした。  岩のテーブルの両端に、向かい合って座るために手ごろな石が二つ置かれる。  最初に才人が座った。その反対側に怪竜が腰かけ、律儀にナプキンを首にまいてナイフとフォークを手にする。

《車がかりで一人ずつ戦おうというわけかね》

「ああ、卑怯とかいうなよ。さっさと食い倒れやがれ」

《残念だが、君たちが私の倒れる姿を見ることはないだろう。  よしんば来るとしても、それは君たち全員が地面に這う前にはありえない》

32 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 01:59:21 ID:5gmiWgR4

 軽く応酬したあと、一皿目に取り掛かる。まずはクレソンとチコリと生ハムのサラダ。

 二皿目はタマネギとウズラの串焼き、岩塩と粗びきの胡椒で味をつけたもの。

 三皿目は子牛のコンソメスープ、ごろごろと茸を入れて。

 正式なコース料理というわけでもなく、そこからはわりと乱雑に、野趣あふれる肉料理主体の皿が並ぶのだった。

 四皿目。鴨肉のコンフィを直火でパリッと焼き上げたもの。

 五皿目。子羊の骨付き肉。クローブと蜂蜜のソースがかかっている。

 六皿目。同じくラム肉。薄切りにしてさっとあぶったもの。大皿に敷きつめられて出てきた。

 七皿目。カラメルソースを添えた子豚のフランベ。

「ぐ、うぷっ……」

 キツい。  才人は胃をおさえてうめいた。  皿は大きくて、一皿の量が結構ある。それは大食い勝負ゆえ当然なのだが、加えて肉ばかりでちょっと重い。  怪竜は動じる風もなくぺろりと平らげている。

 八皿目。ヤツメウナギのパイ。

 九皿目。ここで果物。白ワインで煮た梨。

 十皿目。鳩の蒸し焼きが一羽丸ごと。

 十一皿目。大麦と山羊肉のシチュー。

 十二皿目。またパイ。濃厚なクリームシチューのパイ、若鶏と蕪が具。

 ……そこで才人は倒れた。  いつのまにかワインなど傾けている怪竜が、平然として確認した。

《一人目リタイアかね?》

「次はぼくだ! さあ、サイトさっさと卓から離れたまえ!」

33 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:00:09 ID:5gmiWgR4

 飢狼のような勢いで、ギーシュがナイフとフォークを取る。  しょせん飢えた人間は、目の前で見せられても、食いすぎている人間のつらさを理解できないものである。

………………………… ……………… ……

 二十六皿目。腸詰めとチーズ各種を盛り合わせたもの。  臭いの強い山羊のチーズをどうにか平らげた後、半死人の態でギーシュが才人の横に転がった。

「ぐ、ぐおお……胸焼けが……死ぬ……」

「アホめ、毎年詰めこみすぎで死ぬ貴族が何人か出るという話を忘れて、ろくに噛まずがっつきやがって……ゲプ、ざまあみろ」

 転がって力なくののしりあう二人に、タバサがぼそぼそと言った。

「噛めばはやく満腹してしまうから、この際は丸のみしてくれたのがありがたかった」

 じゅるじゅるよだれを滝と流しながら、麻縄で縛られて転がされているシルフィードが絶叫した。

「お姉さま、つぎはシルフィなのね! 早く今すぐ即刻これをほどけこのちびすけ!  今なら皿まで食ってやるッ!」

《次はどちらかね?》

「わたし」

「キサマァァァァッ!?」

 淡々とナイフとフォークを手に卓についたタバサに、シルフィードがすさまじい怨念のこもった声をなげつけた。  丸い腹をかかえて地面を転がっている才人が、おそるおそるなだめる。

「お、落ち着けよシルフィ……それ主に向ける目じゃねえぞ」

「ガフッ……ガフッ……グルルルルゥ……」

 使い魔の殺意さえこもった視線をガン無視し、もぐもぐ咀嚼している青髪の少女。  意外にタバサは健啖である。  黙々と食べ、ひたすらに食べ、一定の速さであごを動かしつづける。

34 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:01:03 ID:5gmiWgR4

 怪竜のほうは。

《次のメニューは鶏胸肉のソテーか。では今度はそちらの白ワインをもらおうか。  いや、たまにはこういうのも悪くないな。自分でも料理はそれなりにたしなむのだが、田舎に隠遁していると手に入る食材の種類がどうしても限られてね》

 上機嫌で料理人と目で会話していた。

 やがてタバサの無表情に、わずかながら苦しげな色が混ざりだす。  少しずつ、食物を口にはこび咀嚼し嚥下する、という一連の動作が遅くなっていく。  腹部が膨満していく。  最初から数えて三十八皿目。腹がまん丸になったところで、タバサはナイフとフォークを置いた。

《ふむ、それで終わりかね?》

 顔色も変えていない怪竜の問いかけに、静かに口を押さえてうなずく。  立ち上がって下がろうとして――ばったり才人とギーシュの間に倒れ伏せた。  子ダヌキのごとく膨満した腹は、シャツをはちきれんばかりに押し上げてへそが露出している。  あぶら汗を流しながら、タバサはつぶやいた。

「シルフィード。行け」

「だったら今すぐほどけえええええ! ふざけんじゃないのねお前いっぺん本気で噛むのね!  とにかく誰でもいいからほどきにこい、そしたら毒でも人でも食ってやるッ!」

「ひ……人はやめようぜ……」

 才人がよろよろと立ち上がり、シルフィードの縄をほどいてやった。  瞬間、青い閃光がはしって卓についた。

「キュィィィィ! ニク! ニク!」

 ど、どうぞ……と怯えながら、給仕役もつとめる料理人の一人が皿をシルフィードの前に置こうとした。ちなみにメニューは牛のカツレツである。  が、皿がテーブルに置かれたとき、すでにそれは跡形もなく韻竜の胃袋に消えている。

《はしたなくがっつくな、韻竜よ。同じ竜族として恥ずかしいぞ》

「やかましい! 自分だけさんざっぱら食っといて、客に食事も提供しない没義道なやつに言われたくないのね!」

 というわけで最終戦。竜VS竜。

35 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:02:07 ID:5gmiWgR4

 タバサの指示により、料理人たちはかなり量が多く大雑把な肉料理をかたっぱしから急ペースで出していく。

 ソーセージと卵を炒めたもの。

 牛の腰肉ぶつ切り塩胡椒まぶし焼き。

 鶏のコンフィをそのまま冷やし肉として提供。

 豚の塩漬けをキャベツと一緒に煮て出す。

 羽をむしったウズラをまるまるパン粉で頭から揚げる (適当)。

 どう見ても生焼けの子豚丸焼き(時間足らず)。

 山羊の後ろ脚を一本まるごと火であぶったもの(超適当)。

 シルフィードは食べた。すべてを平らげた。皿まで舐めんばかりにして余さず胃におさめていった。  骨まで食うなアホ、とタバサから注意が入ったくらいである。  怪竜もさすがに腹がふくれてきたのか、軽口を叩くこともなく先ほどのタバサのように黙って食べている。

 ようよう立ち上がった三人は、この熾烈な食物消費戦を見ている。  食卓の二匹が向かいあってから今までに片づけた肉だけで、三人の胃袋の最大容量総計を軽く上回っている。  才人が感心したようにつぶやいた。

「シルフィよく食うなあ……タバサ、お前これいつから考えてたんだ?  あいつを徹底的に飢えさせて、ここでも順番を最後にまわすことで食欲を最大限に刺激させて」

 これで負けたらさすがにもう思いつかない。  しかし、それからの展開は三人にとって目を覆いたくなるものとなっていった。

 むろん常人にはおよびもつかない領域まで食い散らかした後ではあるが、日が沈んでゆくのにあわせるように、シルフィードのペースが着実に落ちていった。  時折ゲップをして深呼吸し、また皿にとりかかるという具合である。  一方、怪竜のペースは安定していた。

「ま、まずくないか……」

 だんだん手を止めて空をあおぐことが多くなっていったシルフィードを見つつ、ギーシュが懸念のつぶやきをもらす。  その顔色が悪いのは、寒いからではないだろう。  夕日の光に照らされながら、才人は自分の顔色も青いことを確信しつつ、あえて答えない。

36 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:03:21 ID:5gmiWgR4

 シルフィードのために言っておくと、彼女は彼女なりに食欲だけでなく、主たちに勝利をもたらすために意志をもって限界まで戦ったのである。  その意志も、ついにやぶれるときがきた。

「も、もう、なんだかダメっぽいのね……」

 いまにも石の椅子からすべり落ちそうにのけぞって、シルフィードはギブアップを口にした。  ひいいいい、と才人とギーシュが地面で頭を抱えている。  と、タバサが口を出した。

「まだ頑張れるはず」

「ムリ……お姉さまのために、ゲプ、頑張ってみたけれど、もう食道まで詰まってる気がするのね……」

《あ、そこの君、頼んだデザートの調理に取りかかってくれたまえ。お茶もな》

 怪竜がさっそくデザートを注文している。  それをちらと横目で見て、タバサは言った。

「そこの肉は全部あなたの、向こう三ヶ月分の食材」

 きゅい? とシルフィードが首をひねった。  意味を反すうするように、えーっと……と宙を見ながら考え出す。  その体が、だんだん震えてきた。  才人たちに負けないほど蒼白な顔で、シルフィードはおのれの主に問いただした。

「まさかこれを最後に、三ヶ月肉抜きって意味?」

 タバサはうなずいた。

「ちょっ――どういうことなのね、それ!?」

 恐慌をきたした使い魔に、彼女は説明する。

「今日のためサイトたちから借りてまで食材を買い占めた。  取っておいたあなたの食費は、全部そのテーブルの上」

「い……今までバカスカみんなが食ってたこれが、シルフィのごはん……?」

 タバサはうん、と再度首肯し、とどめに卓上を指差した。

「今のうちにいっぱい食べる」

37 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:04:13 ID:5gmiWgR4

「お、おおおおお……覚えてるがいいのねーーーッ! 絶対ろくな死に方しないのね!  そのうち匿名で使い魔保護協会に告発してやる!」

「勝てば食費が手に入る。たぶん」

 ぐああああッ! とシルフィードはテーブルに覆いかぶさった。  怪竜がはじめて、気を呑まれたような様子を見せ、目で問いかけた。

《……続行するのか?》

「黙るのね! シルフィのお肉さんざん食べやがって! みんなあの冷血ご主人と貴様のせいなのね!」

 滂沱の涙を流しながら、仇のようにふたたび料理をがっつきだす。  今までは手づかみで食べていたのが、もはや口を直接つっこんでがつがつと竜食いしている。  かきたてられた気力。  もって数皿分ではあったろうが、それは奇跡を起こした。

 やむなくシルフィードにつきあって食べ始めた怪竜の腹のあたりで、ビリ……となにかが裂ける音がひびいた。  む、と怪竜は手をやすめ、腹をおさえた。

《……いかんな。物理的に限界が来た。  伸縮性が劣化していることを考えていなかった》

「つまり表皮が破れたんだな、それでなければまだ食えるってどんだけ胃袋のほうは伸びるんだよ……」

「なあサイト、突っ込みどころはそこか? しつこいかもしれんがあれはどう考えても着ぐるみじゃないのか?」

《やむをえまい。決闘は勝敗いかんにかかわらず優雅に、がモットーなのだ。  皮が破れて見苦しくなるくらいなら、いさぎよく引き下がろう。  そろそろ皮も古くなって脱皮するべき時がきたようだしな、考えてみれば住まいを離れるいい機会だ》

「どうあっても竜で押し通すつもりのようだぜ」

「さっき突っ込んでおいてなんだがね、ぼくはもう気にしないことにするよ……とにかく勝ったらしいから」

………………………… ……………… ……

 次の日。

38 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:05:14 ID:5gmiWgR4

 約束どおりシールドを解除し、怪竜は去った。  風呂敷包みにこまごましたものを入れ、徒歩でいずこかへ。  才人たちの手に残ったものは土地の権利書、洞窟の中にあった調度品と何がなんだかわからないガラクタ類。

 「どこに宝があるんだ」と才人たちが文句を言ったとき、怪竜は洞窟外の泉を指差した。

《美しい泉だろう》

「……それが?」

《宝の価値はある》

「おいてめえ…………」

《もぐってみたまえ。ではさらばだ》

「だ、だからここはキサマの……!」

 そんなてん末。  何があるにせよ、さすがに今すぐ自分たちでもぐる気はおきない。少なくともある程度の時がたち、湧き水によって泉の水が入れ替わらないうちは。  そして今、竜が追い払われたと聞いて山頂にやってきた男、この地の領主からの使いを、彼らは相手しているのだった。

「岩山の権利書は、この山に勝手にすみついたあの悪竜が、討伐に向かった数代前のご領主さまを捕らえて身代金がわりに強奪したものなのです。  したがって、それはこちらに返却されるべきでしょう」

 賞金だけで満足しなさい欲深なガキ共が、とその使いの目が語っている。

「冗談じゃない。こっちは危険を冒してたんだ、そうだろうサイト」

「ああ、たぶんあんたらの想像以上にな」

 少年たちの横で、タバサが使いの目をみて言った。

「観光事業?」

39 :才人とギーシュの借金返済記(白い百合の下で・番外編……?):2007/11/01(木) 02:05:56 ID:5gmiWgR4

 な、なにを馬鹿な、と男が思い切り狼狽した。おそらく図星であろう。  かつての竜のすみかとして観光地にする。  ありそうなことではある。皮肉なことに、今後もこの岩山を訪れるものは金を払うことになりそうだった。  才人が鼻を鳴らした。

「悪いが、こっちも金は入り用なんでな……この岩山はどこかの物好きに売って、二組で分配するつもりだ」

「そ、それはなりません。ええい、このがめつい奴らが。  しょうがありませんな、賞金の額を引き上げるよう領主さまに口をきいてみましょう」

「どのくらい? 十倍?」

「気でも狂いましたか? いいとこ二倍」

「じゃ、別のところに売る」

「チッ……三倍」

 まだまだもう一声、と喧々諤々の値段交渉が続く。  それを空から竜態にもどったシルフィードが見下ろして、人間の浅ましさをやれやれと嘆くのだった。  さんざん交渉した後で、忌々しそうながらも領主の使いは目を光らせた。

「まったく、あなたがたのような連中は、貪欲の大罪によって始祖ブリミルに裁かれますよ。  それはともかく、そんなに金がほしいなら、ひとついい話があるんですがね。  じつはここから離れた沼地に、長年、別の種族不明の竜が住みついていて賞金が――」

「「「絶対やらない」」」

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