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ゼロの飼い犬8 月の涙(後編)               Soft-M ■1    気絶していたのは、どのくらいの時間だったのだろうか。  俺は背中を川べりの岩に叩きつけられ、その衝撃で意識を取り戻した。    息と一緒に、飲み込んでしまった水が吐き出される。  そのまままた気が遠くなってしまうような苦しさと痛み。 しかし、腕の中に抱きしめたままの小さな女の子の感触を確認して、意識を引き留めた。    片手で岩を掴み、歯を食いしばって体を岸に寄せる。 必死につま先を伸ばすと、ありがたいことに砂砂利に触れた。  這うようにして岸に上がり、腕の中の女の子を安全な場所へ寝かせる。

 今度ばかりは危なかった。本気で死ぬところだった。  上を見ると、高く切り立った崖の両岸から夜空と月が覗いている。 そう長い距離流されたわけではないようだが、さっきのルフ鳥の姿は見えない。   「ごほっ、げほっ……はぁ、はぁ、ふぅ……おい、タバサ、タバサ!」  そのまま何もかも忘れて休みたがる自分の体を強引に起こし、 タバサの様子を伺う。目を閉じたままで、呼んでも反応が無い。息もしてない。  けれど、まだ生気はあるように見えた。僅かに、苦しそうに身をよじったから。    えーと、思い出せ思い出せ。こういうとき、どうするんだっけ。 学校の防災訓練か何かのときにやった気がする。  もっと真面目に聞いておけば良かった、などと思いながら記憶をたどって、 タバサの顎を上げる。確か最初に、気道を確保。    悪いけど、この際背に腹は代えられない。  俺はタバサの鼻を摘み、その唇に唇を重ねて息を吹き込んだ。 「……こほっ、けほっ、かはっ……!」  何回やればいいんだっけ、と考えているうちに、タバサは大きく咳き込んで 水を吐いた。そのまま、荒いけれどはっきりと呼吸を始める。良かった、間に合った。    けれど、苦しそうな息をついているだけで、意識は戻らない。  このまま無防備でいるところをルフ鳥に見つかったらどうしようもない。  俺は、タバサの小さな体を再び抱え上げ、どこか隠れる場所を探す。    首をめぐらせると、岸壁に人が入れそうな亀裂が走っているのが目に入った。 ずるずるとそこまで歩いていく。重い。疲労とかもあるけど、水を吸った服がつらい。 言っちゃ悪いが、たっぷり水を吸い込んだタバサのマントが一番やっかいだ。  それでも、どうにかこうにかボロボロの体を無理やり動かして、俺たちは 岩肌の亀裂の中まで移動した。        亀裂の中は、立ち上がっても天井に届かないほど広い洞窟になっていた。  タバサを寝かせていったん外に出る。使えそうなものを拾って 再び戻ってくると、タバサが目を覚まして上体を上げ、岸壁に背中を預けていた。   「ここは…?」  俺の姿を確認するなり、タバサはか細い声で聞いてくる。 「谷底の洞窟。入り口は狭いから、ここならルフ鳥が襲ってくることもないだろ」 「あなたが助けてくれたの?」 「まぁ……そう、かな」  タバサが気絶している間に人工呼吸という名のキスをしてしまったことを思い出し、 つい視線を逸らせてしまいながら頷く。   「……ごめんなさい」  タバサはお礼ではなく、謝罪をしてきた。 「なんで謝るんだ?」 「わたしに付き合ったから、こんなことになった」   「お前は俺に来るなって言ったろ。 なのに俺が無理についてきたんだから、タバサが悪いわけじゃない」 「…………」  そう返すと、タバサは顔を伏せ、黙ってしまった。自らの肩を抱いて、小さく震える。  感情が読み取りにくい彼女が、明らかに弱気になっている姿なんて初めて見た。   ■2   「びしょ濡れで寒いだろ? 今、火を起こすから」  気まずくなってしまった空気を変えるために、努めて明るい声でそう言う。 「どうやって?」  杖を失ってしまったから、火なんて起こせないと思っているのだろう。 ところが、そうとは限らない。    俺は腰を下ろすと、川辺で拾ってきた木片と枯れ草を目の前に置いた。 そして、枯れ木の枝の先を歯で噛み、強引に引きちぎる。   「?」  タバサは、俺の行動を不思議そうに見ている。これで失敗したら情けないなぁと プレッシャーを感じつつ、噛み千切ったことにより鋭くなった木の枝を構える。   「これは武器、これは武器。刺したら痛い、場所によっては死ぬ」  目を閉じ、念じながら唱える。自己暗示をかけ、精神を集中させる。  すると、左手のルーンが微かに熱を持つのがわかった。 デルフを握った時よりはずっと弱いけど、これでも十分なはず。    気合を入れて、手に持った木の枝を木片に高速で擦り付ける。 ほどなくして、焦げ臭いにおいと共にぶすぶすと煙が立ち昇り始めた。  そこで、細かく砕いた枯れ草をくべる。祈りながらふーふー息を吹きかけると……。    果たして、枯れ草が小さく燃え上がった。続けて、慎重に小枝や葉っぱをくべる。 しばらくすると見事に焚き火ができあがった。   「やった! やりました!」  思わずカッツポーズ。ルーンの力を借りたのに、腕がつりそう。 これを日常的にやってたであろう原始人ってすげえ。ガンダールヴよりすげえ。  とりあえず、パーカーを脱いで火に当てる。水を弾くナイロン製だからすぐ乾くだろう。   「焚き火できたぞタバサ。もっとこっちこい」  振り向いて手招きすると、タバサは目を見開いて俺を見つめていた。 その眼鏡に、焚き火のオレンジ色の炎が反射してゆらめく。   「摩擦熱で火をつけたの?」 「ああ。昔の人はこうやって火をつけてたんだろ。知らないのか?」 「知らない」    タバサは不思議そう…というだけではない複雑な目で俺と焚き火を見つめている。  いつも本を読んでるのに、こんな小学生でも知ってるようなことを知らないのかな。  そう疑問に思った後、気付いた。この世界は魔法とかがあるから、 地球とは技術の大元も違うのかもしれない。   「あー、うん。俺のいたとこではそう言われてたって話なんだけどな」  タバサには、俺が別の世界から来たって伝えてないんだっけ。慌てて取り繕う。 「ロバ・アル・カリイエ?」 「そう、そこ」  たしか授業中にコルベール先生に出身地を聞かれて一度答えただけなのに、 タバサは覚えていたらしい。  確認した後、タバサは先程と同じように俯いた。焚き火の側に来る気配はない。   「ほら、服乾かそうぜ。こっち来いってば」 「……寂しくないの?」   ■3   「え?」  タバサの急な質問に、ぽかんとしてしまう。さっきからこの少女にしては 妙に口数が多いなと思っていたが、唐突にこんな事を聞いてくるとは思わなかった。   「使い魔は主人と長期間離れていると、不安や孤独を感じる。 あなたは普通の使い魔ではないから違うのかもしれないけど……。 でもそれ以前に、強制的に召還されて、故郷や家族の元から離されて……寂しくない?」    ロバなんとかの話をしたから、こんなことを聞いてきたのだろうか。 意外に思いつつも、その質問の内容について考える。   「どうだろ。俺が暢気なせいもあるかもしれないけど、何だかんだで回りは賑やかな奴 ばっかりだし、親身になってくれる人もいるし……そんなに寂しいとは思わないかな。 まぁ、ルイズとは今ちょっと、アレなことになってるけどさ」    首筋を掻きながらそう答える。すると、タバサは俺の顔を見て再び口を開いた。   「ルイズ・フランソワーズは、本当の意味で、あなたを自分とは別の存在だとは思ってない」    その言葉に驚く。ルイズと俺が仲違いすることになってしまった元々のきっかけを、 なんで彼女が知ってるんだろう。   「家の教育のせいでああいった性格や物言いになっているけれど、たぶん、内面は違う。 彼女自身が魔法に不得手だからというのもあるだろうけど……もっと、深い部分で。 あなたや平民を、貴族とは別種の存在だと思ってはいない。 本当に平民を”差別”している貴族は、わざわざ口に出したりしない。本人も意識せずに、 見下しているという自覚すら無しに、平民を物や動物同然に扱う」    つらつらと言葉を重ねるタバサ。彼女は……俺を、元気づけようとしてくれてる?  タバサにルイズとの関係について話したことなど無い。普段の俺やルイズの行動とか 言葉の節々から、今の俺の状況と、かけるべき言葉を察したのだろう。   「……ごめんなさい。憶測に過ぎないことを、喋りすぎた」 「いや、謝らなくていいよ。ありがとう、タバサ」  タバサは、自分でも柄にもないことを言ってしまったと思ったのだろう。 でも、嬉しかった。ルイズが俺を本気で犬同然だとは思っていないという言葉も 嬉しかったけど、このタバサがそう励ましてくれた事も嬉しかった。    この無口で愛想のない女の子は、他人と付き合うのを煩わしいなどとは思っていない。  むしろ、人一倍回りのことに関心を持っていて、他人の状況や内面を読み取っている。  タバサはフーケの時やアルビオンの時に、関係ないはずなのに俺たちを助けてくれた。 本当は友達思いで、他人の問題を放っておけない性分なんだと思う。 それに、今みたいに、自分の考えをはっきり言葉にすることもできる。    なのに、彼女は周囲に対して壁を作っている。交流を最低限に留めている。 何か事情があってのことなのだろう。他人に話すわけにはいかない事情が。  ――それは、寂しいことじゃないのか。つらいことじゃなdfghいのか。自分の抱えている問題を 隠さなければならず、自分一人で対処しなくればならない。そういう状況すら秘密にしている。  ひょっとしたら、『月の涙』を探さなければならないのも、その事情に関係してるのかもしれない。    そっか。タバサは俺に、「寂しくないの?」と聞いた。 タバサ自身が、自分でも気付いていないかもしれないけど、寂しさを抱えているんだ。 だから、他人の寂しさにも敏感になる。    聞くか? どうしてわざと他人に対して壁を作っているのか。抱えてる問題は何なのか。  聞いても、教えてはくれないだろう。 そう簡単に答えてくれる事情で、ここまで自分を隠し続けているわけがない。  俺は、タバサに何がしてやれるんだろう。この『月の涙』探しを手伝う気になったのは 恩返しのつもりもあったわけだけど、それで彼女の問題はいくらか解決するのだろうか。    ……よく考えたら、『月の涙』が見つかるかどうか以前に、生きてこの谷から脱出できるのかも 怪しい状況なんだった。あえて考えないようにしていた現状を思い出し、頭を抱えたくなる。   ■4    ちらりとタバサの方を見る。そういえば、しばらく喋ってない。 さっきまで壁に背中を預けていたタバサだったが、今はマントにくるまる形で横になっている。   「タバサ……!?」  嫌な予感がした。慌てて駆け寄って抱き起こす。その端正な顔は青ざめ、苦しそうに歪んでいた。   「どうしたんだよ、おい!?」  マントは水を吸ってぐっしょり濡れたままだ。だから乾かそうっていったのに。 それを剥ぎ取ってタバサの手に触れた瞬間、ぞっとした。人間の肌とは思えないくらい冷たい。    冷たいって、どういうことだよ。濡れて風邪を引いたとかなら熱くなるはずだ。 それにタバサの息も、荒くなっているのではなく弱弱しくなってきている。  ふと思い当たってタバサの右手を見てみる。ブラウスの袖が小さく裂かれて血が滲んでいた。 手首のボタンを外してまくってみると、白くて細い手首の少し下に、 誤ってカッターナイフを走らせてしまったような切り傷ができている。    タバサが杖を落とす原因になった、ルフ鳥の羽を飛ばす攻撃によるものだろう。  でも掠めただけらしく、そんなに大きい傷じゃない。こんなに目に見えて具合が悪くなるような ものだとは思えない。   「……毒、か……雑菌……」  タバサは消え入りそうな声でそう言った。声を出すのも辛そうだ。 「毒!? 気付いてたなら、なんで早く……!」  早く言わなかったんだよ、と聞こうとして言葉に詰まる。たぶん、タバサは毒に侵されていると わかっても、この状況では対処のしようがないことを理解していたんだ。    タバサはもともと白い肌を一層青ざめさせて目を閉じ、今にも止まってしまいそうな 細い息をついている。この洞窟で目を覚ましてからタバサは驚くほど口数が多かったけど、 喋っていることで意識をどうにか引き留めようとしていたからでもあったのかもしれない。   「タバサ! 目開けろよ、タバサッ!」  肩を揺するが、ほとんど反応しない。手遅れ、なんていう嫌な言葉が脳裏に浮かぶ。 どうする? どうすればいい? 混乱する俺の手の中で、タバサはただ小さく震えている。   「ごめ……なさい……」  タバサはぽつりとそう言った。さっきもされた謝罪。その意味を考えて、怖気が走る。 「謝るなよ! タバサ、どうすればいい? どうして欲しい!?」  顔を寄せて必死で聞くと、タバサは残っていた力で、俺の方へ僅かに体を寄せた。 「……寒い……」    これだけ体が冷たくなってるんだから、寒いに決まってる。けど、川から上がったままで ブラウスもスカートもぐっしょりと湿ったままだ。これじゃ余計に体温が奪われる。  それでも、少しでもタバサを温める方法はないか。そう頭を捻って、思いついた。  古来からこういう状況で使うべき手段といえば、決まってる。    ……いや、でも、それは。  思いついた方法に一瞬躊躇するが、迷ってる場合じゃないと頭を切り換える。  ごくりと唾を飲み込むと、俺はまだ生乾きのままのシャツを脱ぎ去った。    タバサの体を抱えて焚き火の側まで移動すると、ごめん、と謝ってからびしょびしょの ブラウスのボタンを外して脱がせた。その下のシミーズも取り去って、 ルイズよりもさらに一回り小さくて細い上半身を露わにする。  誰一人踏み荒らしていない雪原みたいな綺麗な肌にどきんと心臓が高鳴るけど、 今はそんなの気にしてる場合じゃない。   「タバサ、後でどれだけ文句言ってもいいから」  お互いに上半身を裸にして、なるべく肌が触れる面積が多いようにタバサを抱く。 タバサの体から熱が逃げないように、乾いたパーカーを被せた。  それによって少しは持ち直したようだった。本能的に温もりを求めるみたいに、 タバサは俺の方へ体をすり寄せてくる。たぶん、意識もはっきりとはしてないんだろう。   ■5    ポケットに入っていたハンカチを乾かして、まだ湿っているタバサの背中や髪を拭く。  本当に子供みたいな、小さな体。その体が震えながら俺に抱かれている姿と感触に、 女の子の肌に触れているという興奮よりも痛々しさを感じてしまう。    助けなきゃいけない。俺が、この小さな子を守ってやらなきゃいけない。  でも、どうすりゃいいんだ。毒で苦しんでいる彼女がただ温めるだけで回復するとは 思えない。この状況じゃ、助けを呼びに行くこともままならない。  自分の無力さに怒りが湧いてくる。何だよ、俺は伝説のガンダールヴだとかいう シロモノらしいのに、女の子一人助けられないのかよ……!    タバサの右手を持ち上げて、傷口を見る。傷自体は浅く、もう血は流れていない。 こんな小さな傷なのに、毒だか何かのせいでこんなに弱ってしまっているなんて。   「……毒?」  頭の隅に、何かが引っかかった。毒。ちょっと前に聞いた単語だ。  そうだ。そもそも俺たちはここへ何をしに来た? あらゆる毒を消す治癒の秘薬であるという、『月の涙』を探しに来たんじゃないか。  つまり、その秘薬を探し出すことができれば、このタバサが受けた毒だって治せるはずだ。    そんな都合の良い話があるか。頭の中の冷静な部分がその考えを否定する。  でも、今のタバサを助けるには、それにすがるくらいしか方法がない。    タバサはこの谷に降りる前に、こんな仮説を立てていた。  『月の涙』の在処についての情報は、”この谷の底”と漠然としすぎている。  それはつまり、『月の涙』がどこか特定の場所に存在するわけではなく、 例えば植物や生き物みたいに、比較的広範囲に生息しているものだからではないのか。    頷ける話だった。それなら、闇雲に探しても見つかる可能性がある。  いや、可能性じゃだめなんだ。見つける。見つけなきゃいけない。    俺は、パーカーを纏わせたままのタバサを抱いて、立ち上がった。 そのままふと自分達がいる洞窟の奥の方を見ると――。そこに、何か明かりが見えた。    ただの行き止まりだと思っていたのに。タバサを抱えたままそちらの方へ歩いていくと、 入り口の方からは死角になっている部分に、横穴があった。光はそこから漏れている。    しゃがめば通れる程度の大きさであるその横穴に、俺は藁にもすがる思いで入った。  暗い。暗いけど……でも、どこが岩でどこが通れるのかは見える。 奥から微かに光が漏れているおかげだ。    狭い穴の中を進んでいるのではっきりとはしないけど、 どうやらこの横穴は湾曲しているらしい。このままだと川岸に出てしまう。 もしそうなら、この明かりはただの外の月明かりということになってしまう。  嫌な予感がし始めたころ、狭い穴が終わり、広い空間に出た。    ――そこで、俺は息を呑んだ。    確かに、その明かりは月明かりだった。そこは渓谷の岸壁がえぐれたようになった部分の 川岸で、上空の崖と崖に区切られた狭い夜空から、月の光が照らしている。    でもそれだけじゃなかった。そこには、薄紫色の花をつけた植物が生い茂り、 さながら天然の花畑といった様相になっている。  そして、その上には、無数の蝶が舞い踊っていた。 透き通るような青い色の蝶と、淡い赤色の蝶。それぞれ、数えきれないほどの数。  なぜ闇の中でそんな色がはっきりわかるのかといったら、簡単だ。その二種類の蝶が、 まるでこの世界の夜空を照らす二つの月のように、青と赤の色に輝いているから。    蝶たちは、青と赤のそれがダンスを踊るように戯れ、くっついては離れる。 そのたびに、羽と同じ色に輝く鱗粉が零れ、混ざってキラキラと光りながら下の花畑に降り注ぐ。  その光景を目にした人がいたら……こう、名付けるだろう。そうとしか呼べない。   ■6   「……月の涙」    俺はぽつりと呟いた。間違いない。これこそが『月の涙』。 この幻想的な姿を見てしまったら、疑いようがない。  誘われるように、俺はふらふらと花畑に近付いていく。この輝く鱗粉が、『月の涙』。    どうやって使うものなんだろう。飲ませる? 傷口に塗る? 思案しているうちに、 俺とタバサの上に『月の涙』がふわりと霧雨のようにまとわりついてきた。   「……ん、ぅ……」  それこそ魔法のように、すぐにタバサが身じろぎしてゆっくりと目を開いた。  まだ体は冷たいままだが、さっきまでよりずっと血色が良くなっている。

「タバサ……良かった。効いたんだ。これだよ、見つけた。『月の涙』!」  じわっと目頭が熱くなる。俺の方が涙を零しそうだった。 タバサはそんな俺の顔を不思議そうに見た後、青と赤の光の饗宴へと視線をめぐらせる。   「…………綺麗」  しばらく間を置いてタバサの喉から漏れたのは、命を賭けてでも探したかった宝を見つけた 喜びの声ではなく、毒を瞬時に消し去ったその効果への感嘆でもなく。 目に見える光景への、素直な感想だった。   「そうだな、綺麗だな……凄い」  タバサがそんな言葉を口にしたことがなぜか嬉しい。 タバサが意識を取り戻した安堵もあって、そのまましばしの間、目の前の光を二人で眺めていた。      が、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。 まだ体は冷たいままのタバサの肩が、ぶるりと小さく震える。 「悪い。そっか、ここじゃ寒いよな。戻ろう」 「あ……」  俺は、慌ててさっきの横穴に入り、焚き火のところまで戻る。枝をさらにくべて 火を大きくすると、その側に座り込んでタバサの体をぎゅっと抱きしめてやった。    毒が消えたって、毒に侵されている間に失った体力が戻るわけじゃない。 まだ油断できる状況じゃないんだった。 さっきもそうしていたように、タバサの体で湿っている部分をハンカチで拭いてやる。   「どうだ? もう大丈夫みたいか? タバサ」 「あ……うん、ありがとう……」  タバサは俺が体を拭き、なるべく肌が触れあうようにすると、小さく身をよじりながらも されるがままになっていた。    一通り水気がとれると、今度は履いたままになっている俺のジーンズとか、 タバサのスカートやタイツなんかが気になってきた。こっちはまだじっとり湿っている。 できれば脱いで乾かした方がいいんだろうけど。   「タバサ、出来れば下の方も脱いで欲しいん……」  タバサを冷やしちゃいけないという一心で声をかけている途中で、俺は気付いてしまった。    ……よくよく考えたら、俺、とんでもないことしてません?  今、どんな格好よ? パーカーを被せてるとはいえ、その中でタバサは上半身裸で。  で、俺の方も半裸で。それで、温める目的だとはいえ、肌を押しつけるように抱きしめてる。  それでそれで、許可もとらずに、ハンカチでタバサの体のいたるところを拭いてる。  こ、こここ、こんなちっちゃい子を。ちっちゃいからいいのか?  むしろちっちゃいから逆にもの凄く駄目なのか?    さーっと顔から血の気が引く。不可抗力。緊急避難。あくまで善意だった。 色々言い訳が浮かぶけど、たった今『パンツ脱げ』(意訳)って要求しようとしていた事を 思い出して、嫌な汗がだらだら流れ始めた。   ■7   「え、あ、あの、これはね、タバサが寒いって言ったから温めようと思って。ほら、あるだろ? 雪山で遭難したりしたら、人肌で温めるってやつ。寝たら死ぬぞーと同じくらいお約束な……」    混乱してべらべらとわけのわからない弁明を並べる。なんていうか、今更すぎる。 説明するならタバサが起きてすぐにしておくべきだった。   「あー、でも、ごめん! やだよな、勝手にこんなことされて…でも、変な気があったわけじゃ」 「……わかってる」  タバサは、俺の言葉を途中で制止した。   「え?」 「わたしを助けるためにしてくれた。それくらいわかる。適切な判断」  タバサはなぜか俺に目を合わせようとしないまま、嫌がっていないことを示すように 俺の方へきゅっと体を押しつけてくる。   「………ありがとう」  俺の背中へ手を回して、頬を胸に押しつけて、タバサはまたお礼を言ってくれた。  まだ冷たく感じる彼女の肌が、心なしか……単純な体温の問題ではなく、なんとなく。 雪が春の光で溶け出したみたいに、温かくなっているような気がした。    タバサは、俺に抱っこされた形のまま、もぞもぞと体を動かし始めた。 「どうしたんだ?」 「ごめんなさい、体がまだちゃんと動かなくて……脱げない」    ……へ? ヌゲナイって、何を?   「下……特に、タイツが濡れたままで、体温を奪ってる」  タバサは僅かに不快感を含んだ声でそう言った後、「……脱がせて欲しい」と続けた。 「ぬっ、ぬぬぬ、ぬが、脱がせてって……!?」 「お願い」

 お願いされちゃいましたよ。タバサはより効率よく体力を回復させる方法を 考えてるんだろうけど。それはわかるんだけど、でも女の子のタイツ脱がすって。    いや、こんなこと頼むくらいだから、タバサの方はよっぽど濡れた下穿きが 冷たい上に気持ち悪いんだろう。だったら、応えてやらなきゃいけない。 躊躇したり下世話な想像する方が失礼だしタバサに悪いことになるんだ。……たぶん。   「わ、わかった。脱がすから」  これは人助けこれは人助け、と心の中で呪文のように唱えながら、タバサの体を 手で探り、スカートの下に両手を入れる。  下着があるところより少し上の、タイツに指をかける。確かに、濡れて張り付いていて 脱がしにくい。やや強引に、それを足の方へ引き下ろした。   「あっ……」  タバサは少し驚いた声を上げたけど、脱がすならさっさと済ませてしまった方がいい。  丸めるようにして膝の下まで持って行くと、タバサはそこから足を抜いてくれた。   「おっけ、脱げたぞ。これは乾かした方がいいよな」  くしゃくしゃになってしまった白いタイツを、ぎゅっと絞る。水気を切った後に それを伸ばすと、違和感に気付いた。腰の部分が妙に重たい。    何だろこれ。単純な疑問からそこに指を入れ、触れた物を引き出す。 それは、見慣れた物だった。洗濯のたびに見ているルイズの下着より、一回り小さい……。   「パッ、パパッ、パ……!?」  パンツじゃん!! タイツを脱がすときに一緒に巻き取ってしまったらしい。   ■8    ということは、ということは。俺のパーカーを被せてあって直接は見えないけど、 今のタバサってノーパン。上も裸でノーパン。タバサノーパン。たっ、たたた、ターパン。   「慌てなくていい。どっちにしろ全部脱ぐつもりだったから」  タバサはあくまでも冷静だった。さっきから俺ばっかり慌てふためいてて馬鹿みたいだ。 ちょっと泣きそうになりながら、タバサのパンツを震える手で焚き火の側に置く。   「もう少し、体力が戻るまででいいから。温めてて」  タイツよりは脱ぎやすかったらしいスカートを自分で脱いでしまったタバサは 体の向きを変え、俺の胸に背中を預けてそう言った。  うう、いくら緊急事態とはいえ、裸の女の子が俺の膝の間で、俺に密着してるんですよ? なんでタバサはこんなに冷静なんだよ。この少女の内面がまたわからなくなる。    遭難してるも同然なこの状況で、裸だパンツだにドキドキしてる俺の方が変なのかな?  頭を捻りながら、タバサとできるだけ肌を合わせた方が良いのか、 最低限に留めた方が良いのか迷ってしまう。    そんな中、タバサがふと口を開いた。 「子供だと思って、そう扱ってくれて良い。無理に気を遣わなくても」  タバサの落ち着き払った声。さっきからの俺の反応を見かねての言葉だろう。   「そうはいくかよ。お前だってその、女の子なんだし」 「わたしは気にしない。それに、あなただって……こんな体じゃ、何も感じないでしょう?」 「かっ、感じな……って」  タバサの言葉に、絶句する。実年齢よりずっと幼い自分の体を自覚しての 台詞なんだろうけど。   「そ、そういう問題じゃないだろ。重要なのは見た目より中身で、お前俺といくつも違わないし」  自分で口に出して、ぎくっとした。その通りだ。このタバサ確かもう15歳なんだった。 前にキュルケに聞いて失礼にも仰天してしまった覚えがある。  だったらいくら見た目が幼くてもこの子、日本でいうなら中学3年生か高校1年生。  …………ヤバくね?

「……じゃあ、わたしで何か感じるの?」  タバサは俺の言葉が嘘だと思ったのか、冷めた声で聞いてきた。 うわぁ、何て答えればいいんだよ。どう答えても気まずいじゃんか。 「ど、どきどきはするよ……当たり前だろ」  体が子供だから何も感じないなんて言ったら、失礼にも程がある上に嘘になる。  俺は正直に答えてしまった。その答えにさすがのタバサも恥ずかしがるかと思ったら……。   「……そういう趣味なの?」  タバサの反応は、予想だにしていなかった斜め後方から飛来してきた。 「ばっ! おま、何言って……!!」 「そういえば、ルイズもあんな外見だし」  タバサは独り言みたいにぽつりとそう続けた。何ですかそれ。何か話がもの凄く変な方向に 逸れていってやしませんか。    違う、断じて違う。俺はタバサがちっちゃいからどきどきすると言ったわけではなく、 体とは関係無しにどきどきして当然と言ったわけで。  ああでも普通はこんな○学生みたいな見た目の女の子にはどきどきしないものなのか? どきどきしちゃった時点で”そういう趣味”あるのか? ああそれってどうなの。    俺が自分でも気付いていなかった一面への疑惑に怯えていると、タバサは俺の手をとって 胸元できゅっと握りしめた。   「構わない」 「……へ?」 「わたしに……こんな体に、何か感じたなら。何かしたいことがあるなら、好きにしていい」  いつもと同じ、抑揚のない淡々とした声。でも、その内容はとんでもないものだった。   ■9   「ば、ばか! 冗談でもそういうこと言うなよ」 「冗談じゃない。本気……今のわたしがあなたに報いられることは、それくらいしかない」    その言葉に、かちんときた。何だよそれ。俺は報いとか、そういうのを期待して タバサの手伝いをしたわけでも無いし、タバサを助けたわけじゃない。  俺の行動を否定された気分にもなった。でも、それよりもっと大きい気持ちがある。 タバサが、報いだとかそんなののために体を差し出すとなんて言い出したこと。 それが、それが……我慢できないほど、嫌だった。    そうだ。前から、タバサに感じていた違和感や不安。 それは、彼女が自分自身を大事にしていないように見えることだった。  タバサは他人の助けを借りずに、一人で危険な場所に赴こうとした。  一人でルフ鳥を食い止めるつもりで、俺に逃げろと言った。  俺がタバサを助けた時、彼女は「ありがとう」と言う前に「ごめんなさい」と言った。    タバサは、実は他人思いの優しい女の子だ。なのに、自分のことは慮らない。  自分自信をあまりにも軽視している。それが、ずっと引っかかっていたんだ。   「違うだろそんなの。もっと自分を大事にしろよ」 「わたしはいい。でもあなたが……」 「違うだろっ!」  自分でも大声を出すつもりなんか無かったのに、声を張り上げてしまった。 彼女の方は、純粋に……といえるのかはわからないが、俺のために言ってくれたことなのに。   「あ……悪い、怒鳴っちゃって。でも」 「……ごめんなさい」  タバサは、それまでの冷たい声ではなく、震えの混じった声で俺に謝った。   「ごめんなさい……でも、わたしにはわからない。 あなたを、何をしても償えないことに巻き込んでしまって。 それなのに、わたしのためにこんなにしてくれて……。その上で、わたしに気を遣って。 どうしたらそんなあなたに贖えるのか、わたしにはわからない。だから……」    容器に収めて外に出さないでいた感情が、容量を超えて僅かに零れてしまったような タバサの言葉。俺の手を握ったタバサの手に、一層力が込められる。  「償うとか、そんなのどうでもいいだろ。タバサだって俺を何度も助けてくれたんだし。 ほら、困ったときはお互い様というか」 「違う、違うの。そうじゃない……」  タバサは切羽詰まった声で俺の言葉を否定する。違うって何だ。どういうことだ?   「だめ。わたしに優しくしないで。そんな風にされたら」  その言葉でなんとなくだが気付いた。タバサは感情を表に出さず、周囲に壁を作ることで 回りの人の”優しさ”とか”善意”を避けてもいたのかもしれない。  本当は優しくて気が利いて、やろうと思えば回りの皆と良い関係を築けるタバサが、 もし回りから優しくされたら。善意や協力を向けられたら。  そうしたら、タバサはきっと甘えてしまう。甘えて、周囲に頼って。 せっかく作り上げたタバサという殻が、壊れてしまう。  目的のために余計な物を切り捨てた少女が、ただの女の子に戻ってしまう。    だから、タバサにとって周りからの無償の優しさは、毒であるんだ。   「そんなの……それこそ、寂しいだろ。つらいんじゃないのか?」 「でも、だめっ……!」  タバサは、寂しいとかつらいということを否定しなかった。それくらい、弱っているんだろう。 心だけでなく、体も影響してるんだと思う。毒で体力を奪われて、裸になって他人と肌を合わせて。  そんな状況で、張りつめていた心までむき出しにされかけているんだ。    だったら。だったら。タバサのためを思うなら、その内面にはまた蓋をしてやらなきゃいけない。  俺に、嫌がっているタバサを無理矢理変えてしまう権利なんか無い。 冷たい殻に覆われた『雪風のタバサ』に戻してやらないといけない。  寂しくても、つらくても。タバサがそう望んでいるのだから。そうする必要があるのだから。   ■10   「っ……俺がタバサの手伝いする気になったのは、今までに助けて貰った借りを 返すつもりだったからだよ。純粋な善意とかじゃない。あと、宝も欲しかった」  今さらほとんど意味がないと分かっていて、そう言葉をかける。   「それじゃ、だめ」  タバサは小刻みに震える手で俺の手を掴んだまま、言い返してきた。 「違う、でしょう? あなたの目的は、それだけじゃないでしょう?」  その言葉は質問じゃない。嘘をつけという要求だ。俺は唇を噛んだ。   「じゃ、じゃあ……その、あれだ。ちょっと下心あったから。タバサに恩を売っておけば、 ひょっとしたらちょっと嬉しいことあるかなぁなんて思ったから」  じゃあって何だよ、と脳内で自分にツッコミつつ、タバサが望んでいそうな嘘をつく。 「嬉しいことって?」 「え……えーと、色々」    微妙な空気が俺とタバサの間に流れる。これでいいのか? 何か違う気がしないか? 「こんな体で、嬉しいことが色々あるの?」 「あ、あるんだよ。だから手伝ったんだってば」 「やっぱりそういう趣味なんだ」  さっきと同じような問答になってきたけど、今は状況が違う。頭がくらくらしてきた。   「そ、そうだよ! 俺はタバサみたいなちっちゃい子でも余裕でオッケーなんだよ」  半ばヤケクソ。もうこうなったら、俺はどれだけ汚れたっていいからタバサの望む答えを 返してやる。決めた。そう決めた。   「そうなの?」 「ああ。だから下心丸出しの俺なんかに助けられちゃったタバサは不幸だぞ。 どんなこと要求されるかわかんないぞ。それを見抜けなかったタバサが悪いんだからな」  息を荒げながらそう言い放つと、タバサの体からふ……と力が抜けた。   「……それでいい」 「え?」 「ちっちゃい子が大好きで小さい子しか愛せないあなたに借りを作ってしまった上に、 抵抗する力も無くなって服まで剥がれてしまったわたしは……何をされても、抵抗できない」    タバサは囁くようにそう言った。えーとあの。その台詞の前半部分ですけど、 俺そこまでは言ってないんですが。   「なっ、何だよそれ。えっと、そうだな、俺はタバサみたいな子でもアリだけど、 というかタバサは体がどうこう以前に十分すぎるほど綺麗で可愛いと思うけど、 でもその、外から見たりこうやってちょっと触れてるだけで十分かなぁなんて……」  変な方向に暴走しそうな雰囲気を、必死で軌道修正しようとする。  だが、そんな俺をかどわかすように、タバサは俺の胸に頬を乗せて、呟いた。   「じゃあ、言い方を変える」  タバサは、潤んだ瞳で俺の顔を見上げて。 「…………虐めて」    その言葉に、ターンと脳天を射抜かれた。なっ、ななな、なんて事言うんだこのちびっ子。 いっ、いいいい、いけません。いけませんよそれは!  ああでも、そのいけなさが。いけなさがヤバイ。普通に考えたら絶対に手を出したりしちゃ 許されないような女の子が、こんなに淫靡な雰囲気で俺を誘ってる。  可愛い。このままモラルとかプライドとかぶっちぎってしまいたくなるほど可愛い。  やばいやばいやばいやばい、嘘から出た真っていうか、本当にちっちゃい子でもOKどころか、 ちっちゃい子大好きにされてしまう。タバサに開発されちゃうよぉ……。   「だ、だめだってそんなの、それだけは」 「じゃあ、小さい子でもOKっていうのは嘘?」 「嘘に決まって……あ、いや、嘘じゃないけど」  嘘じゃないことにしないといけないんだっけ。というか、嘘じゃなくなりつつある俺が怖い。   ■11    身悶えている俺に対し、タバサは最後の一押しをするように言った。 「……あと一度だけ。助けて」    その言葉にはっとした。今までの台詞は演技みたいなものが多くを占めていたけど、 これだけは間違いなく本音。  明らかにおかしいけど、無茶苦茶だけど、俺がタバサから”報い”を受けることが、 タバサが自分を保つための助けになる。    じゃあ、だったら。これも嘘。ただのフリであって人助け。そう思うしかない。  そう思うことで大義名分作ろうとしてないか? なんてツッコんでくる理性もあったが無視。   「わ……わかった。タバサのこと、可愛がっちゃうぞ。好きにしちゃうぞ……いいんだな」 「よくなくても、わたしは何もできない」   俺の手の中の女の子は、ゆっくりと目を閉じて体を俺に預けた。  いけないという気持ちとだからこそどうにかしてしまいたいという気持ちがせめぎ合って 震える手で、俺はそっとタバサの首筋に触れた。   「ん……」  タバサはびくっと身をすくませ、小さく吐息を漏らした。そのまま鎖骨をなぞり、 胸元まで指を滑らせる。まだ微かに湿り気が残ったその肌は美術品のように滑らかで、 ただ触るだけで禁忌すら浮かぶ。    どんな経験が役に立つのかわからないなぁと思う。今までに何度もルイズのマッサージを していたおかげで、女の子の肌にどんな風に触れたら気持ちいいのかある程度わかる。  ただ経験だけでそういうのがわかるようになったわけではないらしい、少し気になることも あるのだけど。とりあえず今はそのことは考えないでおく。    指が胸に触れた。でも、ほとんど膨らみが感じ取れない。 肋骨の上だからここが乳房であるはずなんだけど……伝わってくる柔らかさは 他の部分の肌と変わらない。女性どころか、少女にすらまだなっていないような体。  性の匂いがまったくない身体なのに、そんな身体に触れて、俺の心臓はばくばく鳴っている。   「あっ……!」  それまでとろけるように身体を弛緩させていたタバサが、短い悲鳴を上げた。 俺の指がとっかかりのない乳房にただ一つ強ばった部分、乳首に触れたからだ。  俺の指一本でも隠れてしまいそうなほど小さなそこは、触れる前から固くなっていた。  でもこれも、きっと性的に感じてるからじゃない。身体が冷えていたから。  タバサの身体は、まだ男女のことで悦びを得られるほど成長していない。    そんな身体から無理矢理”オンナ”を引きずり出したりしたら。それは、タバサの殻を壊して 中の優しい女の子をむき出しにしてしまうのと同じくらい罪深いことだと思う。  それをわかった上で彼女の肌に触れて、匂いや体温を感じてまぎれもなく興奮してる俺は 本格的にヤバい領域に踏み込んる、間違いなく。   「はぁ、は……ぁ、ふ……」  指先で何度もタバサの乳房をかすめると、タバサの吐息に熱いものが含まれてきた。  ひょっとしたらこれは身体を温める意味もあるかもしれない、なんて 都合の良いことを考えながらタバサの耳元に顔を寄せる。   「ど、どう? どんな感じ?」 「ふぁっ、あ……熱く、なってきた」  タバサは息を吹きかけられて、短い髪を振り乱した。 感じてるといえるのかはわからないけど、耳も敏感らしい。   ■12   「タバサ、可愛い……」 「ひゃぅっ!」  小さな耳たぶを甘噛みする。タバサは面白いくらい過敏に反応した。  こりゃもう、本格的にまずい。本当に可愛くて愛しいと思っちゃってる。こんな小さな子に。 タバサが俺にではなく、俺がタバサにどうにかされてしまっているといった方が正しいのかも。   「可愛い、綺麗……」  煮え切った頭のまま囁いて、首筋に口付ける。冷たいと思っていたタバサの肌だけど、 その奥には確かな温もりの火がある。   「可愛いって、そんなの」 「本当だよ。絶対に嘘なんかついてない。俺は小さい子が好きだからタバサに 下心持ったんじゃなくて、タバサが可愛いから下心持ったんだよ。わかるだろ?」  さっきタバサのためについた嘘が、どこまで嘘だったのかわからなくなってきた。  もうどっちでもいいやというか、タバサ可愛いしもう俺変態でもロリコンでもいいやなんていう とんでもない思考が頭の中に浮かんでくる。    後ろめたさまで興奮の材料になってしまっていることを感じながら、 胸をいじっていた手を下にすべらせる。柔らかいお腹に触れた。  心配になってしまうほど薄くて細い。本当に幼い女の子のままの身体だったら 少しお腹は出てるはずだから、タバサは完全に幼児体型というわけではないらしい。    タバサはその先を想像したのか、反射的にきゅっと太股を閉じる。 けど俺が手をそのまま持って行かずに閉じられた太股を撫でると、おずおずとそこを 再び開いてくれた。  そこで、さすがにそろそろ止めてもいいんじゃないのか。タバサからの”報い”という名目の 嘘だったら、これくらいで十分なんじゃないかなんていう思いが一瞬頭をよぎるが、振り払う。  もう言い訳なんかしない。俺はタバサのためとかじゃなくて、俺がタバサに触れたいからこうしてる。    壊れ物を扱うように、タバサの足の間に指を触れた。指が溶けてしまうんじゃないかと思えるほど 柔らかくて、それなのに張りがある肌の感触が伝わってきて……それだけだった。  薄々予想はついてたけど、うぶ毛の一本たりとも生えていない。   「あぁ……は、んっ……!」  タバサは、俺がタバサの身体の前に回した手をぎゅっと掴む。それは止めてという意味ではなく、 自分の意志に反して動いてしまいそうな体を留めるためのこと。    タバサの一番大事な部分が収められた割れ目も、完全に閉じたまま。 手探りだけで感じているから目で見ることはできないけど、簡単に様子が想像できる。  そのスリットにほんの少しだけ指を沈ませ、つつ……と撫で上げる。 「あっ……あ、あ……ふぁ……!」  タバサはゾクゾクと身を震わせた。割れ目の一番上を掠めて 指を引き抜いた時、一際大きく彼女の身体が跳ねる。 指先には、僅かながらタバサの体から滲み出た蜜がついていた。   「なるべく、無理はさせないから。少しだけ我慢して」  きっと、こんな体だったら何かしようとしても何もできやしない。でも、何かしら”した”という 区切りみたいなものは残さないと、タバサの方も満足しないだろう。  俺は手の平全体でタバサの丘を覆うと、全体を撫でながら親指の付け根でスリットの一番上、 さっきタバサが一番反応した部分を優しく刺激した。   「ひゃうっ! あ、や……そこ……!」  同時にもう片方の手で乳首を弄り、首筋に舌を這わせる。タバサは悲鳴に近い嬌声を上げた。 「痛い?」 「わからない……わかんない、でもっ、でも……ぁあ…!」  タバサの反応がどんどん感極まっていく。あのタバサがこんなに乱れて、甘い声を上げて。 それを感じるだけでたまらなくなる。  そして、とどめとばかりに先程そうしたように指を割れ目に差し入れ、擦り上げると。   「かはっ、んぅ……ああぁっ……!!」

 タバサはその小さな身体を限界まで伸ばし、小刻みに全身を震わせて、限界に達した。   「はっ……ふはぁ……サイ…ト……」  タバサは俺の手を幼子みたいにぎゅうっと掴みながら、うわ言みたいに俺の名前を呼んだ。  そんなタバサが可愛くて、いやらしくて。彼女へのどんどん気持ちが膨らんでいくのを感じる。  そういえば……タバサが今日俺の名前を呼んだのって、谷底に落ちる直前と たった今だけなんだなと気付く。  そのまま、たぶん初めてであろう感覚に身体を震わせているタバサの身体を ゆっくり撫でてやっていると。   ■13   「……ぁ、あっ……だめ……!」  タバサは急にその身を縮こませて、焦りの声を上げた。 「え、どうした?」  タバサの大事なところを弱く当てたままの俺の手を、タバサの太股がきゅっと挟む。  ひょっとしたら、もう一度達してしまいそうなのかも。ここで止めてしまうのも可哀想なので、 敏感になっているであろうタバサにつらくならないよう気をつけながら、また指を動かす。   「あっ……や、はなしてっ……それだめ、やめてっ……」  タバサはさっきとは比にならないほど切羽詰まった声を上げて、俺の手から逃れようと 身をよじる。その声が、頭が沸騰しそうなくらい可愛い。止められない。  タバサにもっと良くなってもらって、そうしたらどんな姿を見せてくれるのか知りたい。   「タバサ、いいからもう一度」 「ちがっ、ちがう……そうじゃない……ぁ……!!」  タバサはどこかで一線を越えてしまったみたいな小さな悲鳴を喉の奥から漏らして、 びくっ、と全身を硬直させた。  あれ、さっきと全然反応が違う。何かおかしいな、なんて思った直後。   「あ……あ、あぁ……」  タバサの口から泣き出してしまったかのような震える吐息が漏れ……。  俺の手に、熱いお湯のようなものがぴしゃぴしゃと降りかかった。   「え?」  呆気にとられる。これって、つまり、おおおお、お漏らし?  っていうか、それ以外ないよな。タバサの大事なところに当てた手のひらを 熱い液体が満たし、こぼれ落ちていく。それを、なんとなく気持ちいいなんて思ってしまう。 「だめ……ごめんなさ、ごめ……」  タバサは俺の手を力一杯掴みながら、その溢れ出るものを止められない。 そりゃそうだ。一度出てしまったのを止められるわけがない。    俺はとっさに、上にかけたパーカーにひっかからないようにタバサを少し持ち上げる。  俺たちのすぐ前の地面に、水溜まりができてゆっくり広がっていくのが はっきりと見えた。   「ぁ……」  タバサが最後に何もかも諦めたような息を漏らし、ぶるりと体を震わせると ようやく俺の手に降りかかるものが止まった。そのまま、しばしお互い何も言えないまま あまりにも気まずい時間が流れる。    だ、だだだ、だめってそういうことだったの。達してしまって体から力が抜けたら、 急にもよおしてしまったから。だから駄目と。  なのに俺勘違いして。タバサはやめてって言ったのに。  そ、そりゃそうだよな。水に落ちて冷えたし。昨晩からトイレなんか行ってないし。 そんな時に今まで感じたこと無いような刺激を与えられたら、失禁してしまっても仕方がない。   「ごごめんタバサっ! 俺、調子に乗りすぎて…ああもうマジでごめんなさいスミマセンッ!」  謝って許されるとは思わない。俺はもしかすると、少女に一生消えない心の傷を。   「……あなたが、悪いんじゃない」  批難を覚悟していた俺に、タバサはいつもと変わらない調子…… いや、努めていつもと同じようにしている口調で、そう言ってきた。   ■14   「わたしが、行為前に済ませておくべき事を怠ったのが問題。思慮が足りなかった」  行為前ってあなた。   「それに、もしあなたにこういうことを楽しむ性的嗜好があったのだとしたら、 わたしの意志に関わらず要求される可能性も十分にあり得たはずなので、 これくらいのことは予想しておくべきだった。覚悟も足りていなかった」 「ちょ、タバサ、何言ってんすか」  つらつらと人聞きの悪い台詞を続けるタバサに突っ込むと、タバサは俯き。   「……でも、普段だったら、こんな失態は見せない……」    最後にぽつりと、そう言った。その言葉でようやくわかった。 さすがのこの子ももの凄く恥ずかしかったんだ。当たり前だ。   「わ、わかるよ! 当然だろ! ほら、今のは色々悪条件が重なったんだよ! そそそれに、その……みっともないなんて思わなかったから!」  慌てて必死にフォローする。 「みっともないのは確か」 「そんなことないって! むしろ貴重なもの見させてもらったっていうか、それどころか ちょっとどきどきしちゃったっていうか……」  何言ってんだ俺。かなり頭煮えてる。   「……そういう趣味も?」  タバサは俺の方へ顔を向けて聞いてきた。そういう趣味ってどういう趣味だよ。 あと、”も”って何だよ。わかるけどわかりたくない。   「あーもう! どうだっていいだろ。それよりも、これでいいのか? タバサ」  また事態が暴走してしまいそうになったので、話を元に戻して聞く。 これだけやったら、タバサにも引け目は無いはず。  するとタバサは……普段と変わらないのに、なぜか不満なのが見て取れる顔で 俺を見上げた。   「いいかどうかは、わたしが決めることじゃない。……あなたは、満足してない」 「はい?」 「途中で何か変だと思ってたけど……あなたは、わたしを愛撫してくれて 失態を鑑賞しただけで、自分が良くなることを何一つしてない。それじゃあ納得できない」  愛撫って。真顔でそんなこと言ってくるタバサに、頭がくらっとした。   「い、いやもう十分だから! っていうか、失礼だけどタバサの体だったら無理……」 「やってみないとわからない。まだ、続きがあるはず。それとも」  タバサの目が、僅かに細くなった。ひょっとして、無理って言ったのがカンに障った?   「わたしの身体でもOKというのは、やっぱり嘘?」 「嘘じゃないよ! でも物事には順序というものがだね」 「だったら前戯が終わったから、続き」    さらなる追求にたじたじになってしまう俺。そもそも何でこんな事になったんだっけ? もともとの発端がどこへやらに消えて、激しく脱線したまま加速してる気がする。  とにかく止めなきゃ。この、知識があるんだか無いんだかよくわからないタバサを どうにか納得させなきゃ。   「えっと……そうだな、俺は大好物を一気に食べてしまうような勿体ないことは しない主義なんだよ。だからその……この先は、この谷から無事生還してから じっくり頂こうかなぁ〜、なんて」  またさっきみたいな”エセ悪党”になってしまう俺。トホホ。   「つまり、借りを一度で返せると思ったら大間違いで、何度にも渡りわたしを弄ばないと、 この貸しは埋まらない……と」  なんだそれ。ガクッと肩が落ちる。否定しようと口を開く前に、タバサは言葉を続けた。   ■15   「それなら、『続き』は後にしてもいい。でも……」  タバサは一度目を瞑った後、再び俺の顔を見た。その雰囲気が、見違えるほど張り詰める。 もしかして、信じがたいけど、今までのやりとりは『冗談』のつもりでもあった? このタバサが?   「ここから脱出できる公算はあるの?」  その言葉に、俺の方も意識を切り替える。タバサの方からそう聞いてきたってことは、 彼女には有効な策が無いってことだ。  でも……俺の方は、十分な公算があるとは言い切れないが、脱出の方法を考えていた。   「無くは無い。説明するから……まず、服着よう」      火にあてていたおかげで乾いていた服を着込むと、俺は手頃な石をいくつか拾ってきた。  タバサも、ある程度体力は戻ったようだった。けど、このまま満足に食料もない場所に 居続けたらすぐまた倒れてしまう。脱出をはかるなら早いうちしかない。   「……武器?」  聡いタバサは俺が地面に並べた石を見て、すぐに意図を察したようだった。 「そう。さっき木の枝を武器に見立てて、ルーンの力を使って火を起こしただろ。 つまり、武器だと思えば、武器として使えればただの木でも石でも武器なんだよ。 もちろん力は弱まるけど」    説明しながら、こぶし大よりももう少し大きい石を吟味する。 「そもそも、なんで弱いはず人間が他の動物に負けなかったかっていったら、 武器が使えたからだろ。もともとは石とか棒きれとかを武器にしてた。 だから、重要なのはそれが身を守り、敵を倒すための道具であるかどうかなんだよ」    どうよ? と同意を求めようとタバサの方を見ると、タバサはまた不思議そうな顔をしていた。  あ、またやってしまった。この世界には魔法があるから、武器のおかげで 原始人が他の動物に対抗できたとは限らないんだ。   「あー、うん、これも俺のいたロバなんとかではそう言われてたって話ね」  フォローになっているのかわからないフォローをすると、 タバサは俺が拾ってきた石のひとつを真剣な表情でみつめていた。 「どうした?」 「うん……続けて」  タバサは俺の方へ視線を戻してそう言った。  俺は気を取り直すと、石を壁の岩に叩きつける。ガチン、と衝撃が伝わってきて石が欠けた。   「それは?」 「石器だよ石器。たぶん、ただの石よりはこの方が力が強まると思う」  思うっていうだけなんだけど。でも、このガンダールヴの力って、その時の気分とか 勢いに大きく左右されるから、俺の中で納得できる方が強くなるのは確かだ。    なるべく鋭い、ナイフ状にすることをイメージしながら、石を割り続ける。 途中で左手のルーンが鈍く光り始めた。そう、大事なの想像力。 これは武器。敵を倒すため……いや、自分と、誰かを守るための武器。   「つっ!」  欠けた石の破片が、腕を傷つける。無視して続けようとすると、いつのまにか隣に来ていた タバサがハンカチで血を拭いてくれた。俺は微笑みかけて、作業を続ける。 割れて大体の形ができたら、今度は慎重に少しずつ削っていく。    ある程度それっぽいものが出来上がった。けど、それを握っても湧き出てくる力は今ひとつ。   「……タバサ、崖を駆け上がるとしたら、いつがいいと思う?」 「明け方、日が昇り始めるころ。ルフ鳥はその時一番活動が弱まる。 帰るときは、その時間を狙うつもりだった」  タバサは俺の考えている作戦ともいえない作戦を聞かずとも、察したようだった。 今は全部任せる、そんな意志が伝わってくる。   「じゃあ、まだあと何時間かはあるな」  外の闇はまだ白み始めてもいない。満足いく出来のナイフが出来るまで粘る余地がある。  俺は、タバサと一緒に新しい石を探し始めた。     「……これだ」  額の汗を拭い、痺れた手を弛緩させる。10個近く打製石器を製作した上で、 ようやく出来上がった会心の出来のものが目の前にあった。  途中、手が滑って足の上に落っことしたり石ではなく指を岩に叩きつけたりと 酷い目にあったが、どうにかなった。   「あーでも、本当にやばいのはこれからなんだよなぁ」  愚痴りつつもささやかな達成感にひたっていると、タバサが俺の手をとった。 擦り傷だらけで、痺れて感覚もなくなりかけている俺の手。   「ごめ……ありがとう」  タバサは一瞬謝りかけた後、そう言った。まるで自分が傷ついたみたいに、 俺の手を優しくさすってくれる。   「お礼にはまだ早だろ。それに、タバサのためだけにしたわけじゃないし。 俺が助かるためと……帰ったら、タバサに『続き』きっちりさせてもらわないとな」  こっちも開き直れたのか、冗談にする余裕が出てきた。 逆に、タバサの方は俺の言葉に一瞬呆気にとられた後、はにかむみたいに俯いてしまった。   ■16   「えっと……あ、そうだ。帰る前に、『月の涙』をちゃんと持って行かないと」  さっき無茶なことを言って俺に迫っていた時とは様子の違うタバサの態度に戸惑いつつ、 手をポンと打つ。出来上がった石器をパーカーのポケットに入れると、 タバサと一緒に花畑へと続いている横穴へと再び入った。    夜明けが近いらしく薄明るくなりつつある花畑には、先刻のように蝶が舞ってはいなかった。  俺が少しがっかりしていると、タバサが屈み込んで何かを拾い上げる。    のぞき込むと、タバサの手のひらの上には……地味な、白い蝶の死骸が乗っていた。  はっとして足下を見渡すと、同じような死骸が転々と落ちている。   「昆虫があれだけの魔力を使ったら、何日も生きてはいられない。 たぶん、交尾をして卵を産んだら、それだけで生命力が尽きる」  タバサは冷たい意見を淡々と言いながら、慈しむような目でその手の上の蝶を見る。   「そこの植物はウズ草という名前で、猛毒がある。 恐らくこの蝶は交尾の際に雄と雌が互いの鱗粉を合わせ、それに魔力を通すことで 解毒効果のある魔法薬を発生させてウズ草の毒素を消し、そこに産卵する」    いつも本を読んでいて博識なタバサだからこそできる推測だろう。 あの幻想的な光景を理論的に説明されてしまったのはちょっと寂しいものがあるけど。  ルフ鳥の繁殖シーズンにしか『月の涙』が見つからないのは、この蝶の繁殖シーズンと 時期が重なっているからなのか。   「でも、なんでそこまでして毒のある草に卵を産むんだ?」 「猛毒がある草には、鳥や他の昆虫などの外敵が近寄らない。 現に、ここ以外の場所でウズ草を食物にする生き物なんて聞いたことがない。 生態が特殊すぎるからこの蝶はこの谷にしか生息しないんだろうけど…… その代わり、ここでは確実に生きていける。 種が生きるために……子孫を残すために、この蝶は命を燃やし尽くす」    最後に、タバサは観念的なことを言った。  その手の中の蝶は、死骸となってしまってははっきり言って地味だ。 日本でいうなら、色がないアゲハチョウみたいな外見。    でも、その蝶が『月の涙』を作り出す時の輝きは、見惚れるくらい…… 二つの月と比較して余りあるくらい綺麗で、そしてどこか儚かった。  その光が美しいのは、この蝶が命のために命を燃やす光だからなのだろうか。    タバサはその後、自分が受けた毒はこのウズ草のものであり、この谷のルフ鳥は 外敵への攻撃手段として自らの羽をウズ草に擦りつける習慣でもあるのだろうと言った。  あの羽がもう少し深く肌を傷つけていたら、治す間もなく死んでしまっていただろうとも。  そして、『月の涙』は猛毒であるウズ草の毒素を完全に消せるものではあるけれども、 あらゆる毒を治せるのかどうかは怪しいと結論づけた。   「わたしの求めているタイプの解毒薬じゃない。それに、死骸と鱗粉だけを持って帰っても 恐らく薬にはならない」  タバサは独り言……いや、自分自身に言い聞かせるように呟いた。 「でも……もしかしたら、ほんの僅かでも、調べれば助けになるかもしれない。 そんな希望を捨てられない。だから……ごめんなさい」  タバサは懐から革袋を出して、蝶の雄と雌の死骸を、労るように拾って大事にしまった。    俺はその様子を見ながら…このタバサだったら。  やるべき事のために命までを賭けているこの少女だったら、 そのためにこの蝶を利用することも許してもらえるんじゃないか、なんて思った。     ■17    ハンカチを破って紐状にすると、左の手の平に先程作った石器のナイフを縛り付けた。 ナイフを落とさないまま指を動かすことができるのを確認すると、 目を閉じて静かに意識を集中させる。左手のルーンが熱くなるのがわかり、 体に力がみなぎり始める。   「……よし、いいぞタバサ」  俺が屈むと、タバサは頷いて背中におぶさった。  もう自分を置いていけなんて事は言ってこない。 俺がその通りにするわけがないとわかっているからだ。  タバサのマントを体の前に回して、ぎゅっと縛る。 これでちょっとやそっとの事ではタバサが背中から落ちることはない。    洞窟の入り口から外をうかがうと、登り始めた朝日が景色を淡く照らしている。 タバサの言葉を信じるなら、今がルフ鳥の活動が最も弱くなる時間。    もう一度、強く左手のナイフを握りしめ、背中に負ぶさった女の子を意識する。  ただでさえ心配になるほど軽いタバサの重みが、ほとんど何も感じないほどになった。    不思議だ。手に持っているのは急造の石器なのに、普段デルフを握ったときと 同じかそれ以上に力が湧いてくる。  ひょっとしたらガンダールヴの”心の震え”ってやつは、 誰かを護る時に一番強くなるのかもしれない。    もしそうなら、おあつらえ向きなシチュエーションじゃんか。 俺はこんな状況なのに口元に笑みが浮かぶのを感じながら、大きく息を吸い込んだ。  タバサがそれを感じて、一層強く俺にしがみつく。それは落下しないためじゃなく、  俺を信頼してくれているから。裏切るわけにはいかないな。    きっ、と外を睨みつけて駆け出す。崖を見上げて、一瞬で最良のルートを判断する。 ここでモタモタしているということは、ルフ鳥に見つかる危険性が増えるということだ。    俺は岸壁に飛びつくと、ルーンの力を目一杯に解放させて駆け上がった。    この谷から脱出するための策っていうのは、要するにこれだけ。 ガンダールヴの力を使って急いで登るだけという、あまりにも安易な物。    そんな出たとこ勝負の作戦なのに、タバサは黙って受け入れてくれた。 俺に全てを預けてくれた。ちょっと前の彼女だったら、とても考えられないことだ。    やっぱり俺は、タバサの殻を少なからず壊してしまったのかもしれない。 でも、それでいいと思う。タバサが弱くなってしまったなら、 回りが助けてやればいいだけだ。簡単なこと。なんだ、呆れるくらいに簡単じゃないか。  そう思ったら、体がさらに軽くなった気がした。考えたり悩むより先に行動。 その方が俺の性に合ってる。    この宝探しに出発する前からずっと心の奥に淀んでいたものまで、 ある程度取り除かれてしまった気さえする。  でも、そのことをどうにかするのはこの崖を登って皆の所に戻ってからだ。    岩を踏み、岸壁を蹴り、腕で体を持ち上げて崖をすいすい登っていく。  ガンダールヴの力があるからこその、一流ロッククライマーも真っ青な 規格外れの断崖絶壁踏破。既に三分の二は登ったと思う。  このまま何事もなく上までたどり着ければ、なんて考えた矢先。   「来た」  そうは問屋が下ろさなかった。背中側を注意してもらっていたタバサが呟く。  昨晩聞いた不気味な風斬り音と風圧。見なくてもわかる、ルフ鳥だ。    昨日は気配の遮断を行わなかったらすぐに見つかったことを考えると、 この時間ルフ鳥の活動が弱まっているというのは確からしい。 ここまで登るまで発見されなかっただけでも御の字というべきか。   ■18   「っし、ナビ頼むぞ!」  俺の方は後ろの様子を伺ったりしない。登ることに専心する。 そして、タバサが背中側のルフ鳥の動きを俺に伝えるという手はずだった。   「左から」  さっそく簡潔に言ってきたタバサの言葉通り、左方から突風が襲ってくる。  岸壁から引きはがされたら終わりだ。俺は全身に力を込め、風をいなして崖を駆け上がる。   「右下、止まって耐えて」  タバサのナビは正確だった。鋭くなった感覚で気配を察知できるのと合わせて、 背中に目がついているみたいにあの鳥の動きがわかる。  俺の力と……協力してくれて、かつ守るべきものである背中の女の子と。  全てが噛み合わさって、パズルのピースが埋まったみたいな一体感。  一歩間違うだけで鳥の餌にされてしまうという状況なのに、まるで不安にならない。    あと少し! 崖の最上部が見えてきた。前はここでしくじった。 けど同じことは繰り返さない!   「――ッ! 左に跳んで! 羽!」  タバサが焦りの色を含んだ声でそう言った。瞬時に体をずらすと、 すぐ右脇の岸壁に黒い巨大な羽がダーツの矢のように数枚突き刺さる。  ここでそう来るか。このルフ鳥も昨晩の奴と同じように羽に毒を 擦りつけてるとしたら、これがまともに刺さればあっという間にオダブツだ。    一撃必殺の飛び道具まで使うかこの鳥野郎。流石に体に緊張が走る。  次の瞬間、殺気。タバサが右に僅かに体重をかける。 言葉で伝えても間に合わないということだ。即座に察した俺は右に跳ぶ。 ついさっきまで俺たちがいた位置に再び飛来する羽。  間一髪、次の攻撃に意識をやりつつ岩に手をかけると。    その岩がぼろりと崩れた。羽を避けたばかりで無理な体勢にあった体が、 空中の……手を伸ばしても足を伸ばしてもどこにも触れない所へ投げ出される。  ウソだろ、昨日も元はといえば落石のせいでピンチになったのに。 またこんな、ただの不運みたいな事態で――!!    ルフ鳥が飛来して仕留めるための体勢をとるのが感じられる。 翼を持たず、魔法のを使うための杖も持たない人間には まったく無力である空中で、爪とクチバシでトドメをさすつもりだ。    が、今度は、前とは違った。誰かにポンと背中を押されたみたいに、 俺たちの体は岸壁に押し戻される。  それだけの力。空を飛ぶことも敵を吹き飛ばすこともできない、僅かな風の力。 でも、それだけで十分だった。俺は岸壁を蹴って上へ跳び、 ルフ鳥の突撃をすんでのところでかわした。    崖の上に巡りつく。久しぶりの確かな足場に感動しながら俺は手近な林に飛び込む。 俯せに転がって四肢を投げ出し、酷使しつくした体と精神を休ませた。   「はーっ、はぁ、はぁっ……けほけほっ……やったぁ……!!」  ルーンから熱が失われるのがわかり、どっと疲れが襲いかかってきた。  タバサが背中から降り、俺の横にぺたんと座り込む。  俯せだと苦しいので、ごろんと寝返りをうって仰向けになる。鬱蒼と茂った木々が 目に入り、ここならルフ鳥も襲って来られないと安心していると、 タバサが俺の顔をのぞき込んだ。    その手には、小さな石の欠片が握られている。俺が石器を作ろうとしていた時に、 タバサが真剣に眺めていた石だ。あの後タバサが言ったことには、それは風石らしい。  純度が低く、魔力を通しても大した風の力は起こせないらしいけど……。  人二人分の体を、たった数十センチ押し上げるくらいならば可能だったってわけだ。    タバサは「もしもの時の足しになるかもしれないけど、期待しないで」なんて言ってたけど。 とんでもない。最強の切り札になってくれやがった。   「良かった……やったなぁ……」  目を閉じると、急に生きている実感がぶわっと湧き上がってきた。 全身あちこち痛いし、酷使しきった筋肉は疲労にピクピク痙攣してるけど、でも生きてる。  生きてて、このタバサも無事助けられた。それが、滅茶苦茶に嬉しい。  閉じた瞼の上に、朝日が木漏れ日となって降り注いでくる。   「ごめん、タバサ……もう少し休ませて……。そしたら、宿に戻ろう」  ほとんど徹夜だったし、眠い。このまま寝ちゃうかも、なんて思っていると。    俺の頬に、何か柔らかいものが触れた。   「えっ?」  ぱっちり目を開くと、俺の上にはさっきと同じように俺の顔をのぞき込むタバサの顔。  今の、今の感触って。タバサの顔は、心なしか……本当に心なしか、赤くなっている気がする。   「タバサ?」  まだその感触の余韻が残っている頬を確かめるように触れながら声をかけると、 タバサは俺の髪を撫でて。   「……ありがとう」  今まで彼女の口からは聞いたことがないような優しい声で、そう言った。   ■19     「もー、あなた達二人、夜半から朝まで何やってたのよ。白状しなさいってば」    宿に帰るなり泥のように寝てしまった俺たちは昼過ぎに目を覚ますなり、 キュルケ達から質問攻めにあった。    『月の涙』を探しにいったけど失敗してほうほうの体で逃げ帰ってきた、そんな まるっきりの嘘とも言えない言い訳で誤魔化そうとしたけど、キュルケには怪しまれている。  結局、何も言わないタバサといくつも小さな怪我をしている俺を見て そんなに怪しい事をしたわけではないとわかってくれたみたいだけど… 実はけっこうやっちゃってるんだよな、怪しいこと。   「大丈夫ですか? どうしたらこんなお怪我をするんですか、もう…」  特に手のところが擦り傷切り傷突き指だらけになっている俺の怪我の手当てを してくれたシエスタは、純粋に俺を心配する。本当のことが言いにくいのが申し訳ない。    結局、俺がさっさと次のお宝ポイントへ行こうぜと強引に押し切ったのをきっかけに、 宿を発つこととなった。普段の倍くらい昼食をがっついて皆に呆れられた後、 町の外の、シルフィードを降ろせるだけの広さがあるところまで皆で歩いていく。   「それにしても相棒も悪運が強いねぇ。おいらを放して落っこちたとき、今度ばかりは 駄目かねと思ったもんだぜ」 「おいおい、そりゃ白状だろ」  岸壁に刺さったままだったのを無事回収できたデルフが感心する。 ルフ鳥に吹き上げられたタバサの杖もその近くに転がっていたので助かった。   「サイトさん、落っこちたって…どこからですか?」  デルフの声を聞いたらしいシエスタが俺の側に寄ってきて心配そうな声をかける。   「あ、大したことじゃないよ。ほら、この通り無事だし」 「でも、お怪我してます。サイトさんが危ない目に遭うのは、わたし…」  シエスタが涙ぐんで、俺に寄り添った。胸が二の腕に当たって、つい顔が緩む。    くいくい。    そんな中、俺のパーカーの袖が小さくひっぱられた。  そちらを見ると、タバサが俺を見上げている。どうしたんだろ。  普段は他人に干渉することがないタバサの珍しい行動に、 シエスタも驚いた表情を浮かべた。    タバサは、ちらりとシエスタの方を見た後、俺の方へ一歩近寄って、 「……続き、楽しみにしてる」    そう小声で言った。前を行くキュルケやギーシュには届かない…… けど、すぐ横のシエスタに聞こえるには十分な、そんな声で。   「なっ、なななな……」  金魚のようにぱくぱく口を開け閉めする俺を、シエスタは信じられないものを 見たといった感じの視線で見つめてくる。   「サ、サイトさん……昨晩、夜中にミス・タバサと一緒にいなくなって…… それで、朝になって帰ってきて……」  シエスタはふらりとよろける。あれ。あれあれ。なんかちょっとまずくね?   「そ、そんな……ここ、こんな小さな子……あぁ、でもそういえばミス・ヴァリエールも。 嘘、嘘よ。サイトさんがそんな……まさか、だからわたしには……!?」  シエスタは顔面蒼白になってぶつぶつと言葉を続ける。 やばい。とてもやばい勘違いされてますよ。   「ちょ、ちょっと待ってシエスタ。それ誤解っ、もの凄い誤解してるから!」  暴走しているシエスタを必死になって否定すると。 「誤解なの?」  タバサが、”寂しそうな”声で聞いた。ちょっと待てちびっ子、まさかわざと言ってる?   「あのなあ、タバ……!」  半泣きになりながらタバサを見ると、彼女はすっと俺の横を通って 小走りに前の方へ言ってしまった。その横顔に……気のせいかもしれないけど。 本当は違って、そう見えただけなのかもしれないけど。 一瞬、浮かんでいたように感じられたものに呆気にとられる。    ―― タバサ、今笑ってた?    初めて見る……いや、見たのかどうかもわからないけど、その表情。  やっぱり俺は、あのタバサの心を覆う雪を、いくらか溶かしてしまったのかもしれない。  もしそうなら、それが良いことなのか良くないことなのかはわからないけど……。    俺とあの子の関係は、たぶん変わる。そう思って、嬉しくなってしまっている自分に気付く。 自然に、俺の口元にも笑みが浮かんだ。  たぶん、きっと。ほんのちょっとだけ楽しくなる。俺はタバサの友達になれるかもしれない。   「サイトさんっ! それは病気なんです! 放っておいたら取り返しがつかなくなる病です! わたしが、わたしが治してあげますからっ! だから頑張りましょう!」    ……その前に、あの青髪のちびっ子がやらかしてった”悪戯”の後始末を、 どうにかしないといけないんだけどな。    タバサの方を見ながらニヤニヤしている(とも見えるであろう)俺の肩を掴んで ゆさぶりつつ、さらなる暴走をしているシエスタをどうやって説得するかは とりあえず後で考えよう。    色んなものが混じり合った何とも言えない気分で空を見上げると、 どこまでも青く眩しい空から、タバサの使い魔であるシルフィードが 俺たちを次の場所に運ぶために舞い降りてくる姿が目に入った。      つづく  

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