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[W-CROSS]の変更点

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公式HP http://x67.peps.jp/budwcross/ ツイッター https://twitter.com/bupw_W_CROSS 1995年創立。 同じ京都のRWFやDWAとの交流は無く、かつては京都産業大学「リベルツ」(現在活動休止中)や、京都大学総合格闘技サークル「KUWF」とも交流があり、合同興行を行ったりしていた。 団体の規模は小さいが、プロ仕様のリングを所持している。 **概要 大学内での位置付けは「無所属公認団体(体育系)」である。 1995年4月、プロレス研究会がなかった佛教大学(かつてはBWAという団体もあったようだが、何度か結成と自然消滅を繰り返していた)に、プロレス研究会を創設しようと数人の有志が立ち上がり、プロレス格闘技研究会としてスタートした。(なぜ格闘技と名が付いたのかは後述) 当初は本当にプロレスと格闘技を研究して、時折格闘技経験者がスパーリングを行なうというサークルであったのが、方針転換し学生プロレスを行なう団体と変化していった。 1996年から現在まで、佛教大学の学園祭「鷹陵祭」で興行を行なっており、一部でカルト的人気を博している。また、学園祭以外で年2回程度の興行を学内で行なっている。 2009年秋より、ミニ興行と題してリングを建てず、マットのみを敷いて若手育成目的の試合を行っている。 2010年、西宮の児童館で子ども会興行と題して試合を行った。 2011年6月牧野にあるCLUB BOPにてクラブ興行を行った。 ファイトスタイルは、お笑い・コミックが中心ではあるが、最近では比較的ストロングスタイルも見られるようになってきた。 **現在の所属選手 純心ラッシャー圭佑 第5、6代W-CROSSミドル級チャンピオン 代2代W-CROSSタッグチャンピオン 2012年学園祭興行で引退。 ゴリケルJr.ハヤト 第7代W-CROSSヘビー級チャンピオン 第2代W-CROSSタッグチャンピオン W-CROSSホームページ管理人。 純心ラッシャー圭佑とは寝屋川の中学の同級生。 2012年学園祭興行で引退。 オタクTHE武道 元気玉やスターダストブレイカー、牙突零式などのオタク技を駆使する。 プリンス・デブビット (パンパンマン) 初代ギャグウェルター級チャンピオン 元ネタとなっている某プロレスラーには全く似ていない。 2012年学園祭で、金玉乱太郎とのタッグで、第3代タッグ王者となった。 ジョージ高橋 現会長。第8代ミドル級王者。 現在腕の骨を折りリハビリ中 12月に復帰予定 天才 得意技は天才バスター、エジソン、ライト兄弟(兄)、ライト兄弟(弟)、ライト兄弟(妹)など。 女性からの人気が高いレスラー。 明邑真輔 得意技のボマイェは、セミの抜け殻をも粉々に破壊する威力を誇る。 2012年学園祭で初勝利。 金玉乱太郎 現副会長。2012年学園祭で、プリンス・デブビットとのタッグで第3代タッグ王者となった。 読み方は[きんぎょくみだれたろう]である。 ブラジリアン・カストロ・クレイジー 選手入場の際、トイレから現れる。 **主なタイトル ・W-CROSSミドル級選手権⇒W-CROSSヘビー級選手権に変更 ・W-CROSSタッグ選手権 ・ギャグウェルター級 **学生プロレス開催の経緯 前述したとおり、当初は学生プロレスを行なう団体ではなかった。 しかし、95年の秋頃、メンバーの1人が「学プロをやろう!」と思い立った。 とはいえ、学生プロレスを実際にやろうとしていた人間がその1人しかおらず、興行は実質上不可能であったのだが、1995年秋の大学祭シーズンに、京都産業大学「リベルツ」の興行を観戦し、リベルツの興行スタイルに感銘を受け、交流を図ろうと当時のリベルツ会長と文通を行い、リベルツ側も交流を快諾。さらに、それが縁で京都大学総合格闘技サークル「KUWF」との交流も開始。 これにより、自団体のレスラーは1人しか居ないが、他団体から選手を派遣してもらうことにより、何とか興行を打てる段階にまでこぎつけたのだった。 そして翌96年秋、もう1人レスラーが加入し、鷹陵祭で興行を行なうことが決定した。 **奇跡の興行 1996年11月1日、鷹陵祭初日の夕方5時からの開催であった。この時間帯は開催場所となった(そして学生プロレスを行なえる学内唯一の場所と言ってもいい)中庭で、特に何も予定が無く空いている、鷹陵祭実行委員会よりスポットライトは貸してくれる、音響機器も使用できるという条件が揃ったため行なえたのだった。 しかし、当日は午後3時まで大雨が降り、間違いなく中止と思われていたのだったが、開始1時間前の4時になり雨が小降りになり、やがて開催に支障がない程度まで天候が回復。鷹陵祭実行委員会も開催にゴーサインを出したのだった。 そして興行は関係者の予想以上に観衆(500人前後)が集まり、大成功のうちに幕を閉じた。 興行終了後15分ほどで再び大雨が降ってきて、関係者は「法然さんが雨を止めてくれたんだ」と中庭に設置してある法然像に感謝の一礼をしたのだった。 この成功が無ければ、今日までW-CROSSが存続していなかったかもしれない。 **「格闘技」と名が付いた理由 団体設立申請時に、「プロレス研究会」では軽く見られがちになるのではないか、下手すれば許可が下りない可能性もある。ならば「格闘技」という名称をつけて箔を付けようということになり、「プロレス格闘技研究会」としたようだ。 ちなみにW-CROSSという名称は95年に「プロレス格闘技研究会という名称は微妙に長い」という声が上がり、愛称として名づけられた。もちろん意味は業界用語で言うところの「裏切り」。良い意味で人々の期待を裏切ろうという意志が込められている。 余談だが、顧問探しに奔走していた時、とある教授にお願いに伺った。その教授は茶道部の顧問をしており、当然難色を示されたのだが、メンバーの1人が、 「茶道も武道も同じ道です!」 と言い放ち、教授も何故か納得して顧問を引き受けてくれたのだった。 **他団体と交流しない理由 同じ京都のDWA、RWFとの交流は全く無いといっていい状況である(創立当時は一部メンバーが交流を図ろうとしていた。個人的に知り合いにはなっていた。ターナーザインサートこと現・新日本プロレスの棚橋選手とか) これは、「レベルはRWFやDWAには遠く及ばない」という意識や、ファイトスタイル(見せ方)の違いもあったためだと考えられている。 2009年秋、KWA(関西大学)との交流が図られ、2010年春、お互いの興行の手伝い等で交流を深め、遂に5月に交流戦が実現した。 **動画配信 YOUTUBEやニコニコ動画にて数試合の動画をUPしている。今後も主要な試合は随時UPしていく予定である。 2011年度の鷹陵祭興行においては、ツイキャスにて生放送配信された。 ***エピソード ・第一回の学生プロレス開催前、学生課より呼び出しがかかり、安全性についての説明などが求められたが、学生プロレスがブックがあるエンターテイメントであることを説明すると納得し、逆に当時の学生課長より「それは面白い!ぜひやってくれ!」と応援された。 ・現在のリングは、京都の某格闘技ジムより安価で譲渡されたものである。 ・興行の最後は、最近「1.2.3.ブッダー!」で締められることが多い。以前はアゴの長い人がやる「ダー」だったが、ひねりが無いことと、商標登録に引っかかることから、「仏教系の大学なんだからそれらしい文言で」と考えた挙句、このようになった。 ・数年前までは、本当に毎年1人ずつ留年者が出ていた。が、最近は学業成績は優秀のようである。 ・98年ごろまでは、季刊「W-CROSS」を発行していた。学内で200部程度を無料配布していたが、4日程度で無くなるほどの人気を博していた。中でも、「プロ研潜入ルポ」(北○の拳をセリフだけ変えたもの)は、一部マニア間で絶賛された。 ・鷹陵祭興行は、ゲストコンサートなどの「裏」で行なわれることが多い。前述したように、その時間帯は会場となる中庭ががら空きとなるためである。その年のゲストコンサートに誰が来るかによって、観客動員に差が出るようである。 ・春に新入生を勧誘しても、全く集まらないことが多かった。むしろ、秋に鷹陵祭興行を見て、「自分もやりたい」と思うことが多かったようだ。だが、それも1人程度で、その人間は「1年に1人の大物」と言われ、もてはやされた。 ・学生プロレス開始から3年間は、ビールケースにマットを敷いたリングもどきで試合をしていた。ただ、作りが粗雑だったようで、とある選手は「2日熱が出て、1週間は自慰行為が出来なかった」とダメージが残った事を述懐している。 ・かつて京都大学KUWFで、元RWF(試合が行なわれた当時はKUWF所属)の「んこ天小森」と、レイザーラモンHGの中の人というドリームマッチが行なわれたが、その時使用されたリングはW-CROSSのものである。 ・最近では練習生期間を経てデビューするというプロも真っ青の仕様になっている。 ・W-CROSSとリベルツ合同のOB会が結成されており、年に数回興行を行ったり、鷹陵祭では試合を提供することがある。 ・鷹陵祭興行のリング設営時には、ここ数年は大きいお友達が大喜びするBGMが流されており、一部マニア層から好評を博している(らしい?) ・「秋のチンポコマグニチュード大会」を開催する旨を学内ポスターにて告知した際、学生から「大会名も選手名(金玉乱太郎のことと思われる)も卑猥すぎる」とのクレームを受けた。試合は普通に行われた。 ・2012年度の学園祭では、選手サイン入りブロマイドを入場者プレゼントとして配布。意外にも大好評だった。サイン会、握手会、写真撮影会も行い、各選手のもとにファンの列ができるほど好評だった。しかし、その日のメインマッチで勝利したにも関わらず、金玉乱太郎のみ誰からもサインを求められなかった。 **興行日程 2012年12月中旬予定 試合日程は決定次第、ホームページ、ツイッター、学内看板にて告知。
公式HP http://x67.peps.jp/budwcross/ ツイッター https://twitter.com/bupw_W_CROSS 1995年創立。 同じ京都のRWFやDWAとの交流は無く、かつては京都産業大学「リベルツ」(現在活動休止中)や、京都大学総合格闘技サークル「KUWF」とも交流があり、合同興行を行ったりしていた。 団体の規模は小さいが、プロ仕様のリングを所持している。 **概要 大学内での位置付けは「無所属公認団体(体育系)」である。 1995年4月、プロレス研究会がなかった佛教大学(かつてはBWAという団体もあったようだが、何度か結成と自然消滅を繰り返していた)に、プロレス研究会を創設しようと数人の有志が立ち上がり、プロレス格闘技研究会としてスタートした。(なぜ格闘技と名が付いたのかは後述) 当初は本当にプロレスと格闘技を研究して、時折格闘技経験者がスパーリングを行なうというサークルであったのが、方針転換し学生プロレスを行なう団体と変化していった。 1996年から現在まで、佛教大学の学園祭「鷹陵祭」で興行を行なっており、一部でカルト的人気を博している。また、学園祭以外で年2回程度の興行を学内で行なっている。 2009年秋より、ミニ興行と題してリングを建てず、マットのみを敷いて若手育成目的の試合を行っている。 2010年、西宮の児童館で子ども会興行と題して試合を行った。 2011年6月牧野にあるCLUB BOPにてクラブ興行を行った。 ファイトスタイルは、お笑い・コミックが中心ではあるが、最近では比較的ストロングスタイルも見られるようになってきた。 **現在の所属選手 純心ラッシャー圭佑 第5、6代W-CROSSミドル級チャンピオン 代2代W-CROSSタッグチャンピオン 2012年学園祭興行で引退。 得意技は純心ドライバー、サミング、4の字固めなど。 ゴリケルJr.ハヤト 第7代W-CROSSヘビー級チャンピオン 第2代W-CROSSタッグチャンピオン W-CROSSホームページ管理人。 純心ラッシャー圭佑とは寝屋川の中学の同級生。 2012年学園祭興行で引退。 得意技はゴリラ式パワーボム、マシンガン逆水平チョップ、ラリアットなど。 オタクTHE武道 元気玉やスターダストブレイカー、牙突零式などのオタク技を駆使する。 なお、学生ではない。 プリンス・デブビット (パンパンマン) 初代ギャグウェルター級チャンピオン 元ネタとなっている某プロレスラーには全く似ていない。 2012年学園祭で、金玉乱太郎とのタッグで、第3代タッグ王者となった。 得意技は太っとスタンプ、ローフライフローなど。 ジョージ高橋 現会長。第8代ミドル級王者。 10月に骨折し、現在はリハビリ中。 12月に復帰予定。 得意技はドデカバー、ハッピーターン、キットカット、バームロールなど。 天才 得意技は天才バスター、エジソン、ライト兄弟(兄)、ライト兄弟(弟)、ライト兄弟(妹)、ライト兄弟(母)など。 女性からの人気が高いレスラー。 明邑真輔 得意技はボマイェ、スイングDDT。 2012年学園祭で初勝利。 金玉乱太郎 現副会長。2012年学園祭で、プリンス・デブビットとのタッグで第3代タッグ王者となった。 読み方は[きんぎょくみだれたろう]である。 得意技は伊賀之伝説、続・伊賀之伝説、天下取りジャーマンスープレックスホールドなど。 ブラジリアン・カストロ・クレイジー 選手入場の際、トイレから現れる。 好物は主に茶色いもの。 得意技はコブラツイスト、サンパウロ、ブルーレット~おくだけ~など。 **主なタイトル ・W-CROSSミドル級選手権⇒W-CROSSヘビー級選手権に変更 ・W-CROSSタッグ選手権 ・ギャグウェルター級 **学生プロレス開催の経緯 前述したとおり、当初は学生プロレスを行なう団体ではなかった。 しかし、95年の秋頃、メンバーの1人が「学プロをやろう!」と思い立った。 とはいえ、学生プロレスを実際にやろうとしていた人間がその1人しかおらず、興行は実質上不可能であったのだが、1995年秋の大学祭シーズンに、京都産業大学「リベルツ」の興行を観戦し、リベルツの興行スタイルに感銘を受け、交流を図ろうと当時のリベルツ会長と文通を行い、リベルツ側も交流を快諾。さらに、それが縁で京都大学総合格闘技サークル「KUWF」との交流も開始。 これにより、自団体のレスラーは1人しか居ないが、他団体から選手を派遣してもらうことにより、何とか興行を打てる段階にまでこぎつけたのだった。 そして翌96年秋、もう1人レスラーが加入し、鷹陵祭で興行を行なうことが決定した。 **奇跡の興行 1996年11月1日、鷹陵祭初日の夕方5時からの開催であった。この時間帯は開催場所となった(そして学生プロレスを行なえる学内唯一の場所と言ってもいい)中庭で、特に何も予定が無く空いている、鷹陵祭実行委員会よりスポットライトは貸してくれる、音響機器も使用できるという条件が揃ったため行なえたのだった。 しかし、当日は午後3時まで大雨が降り、間違いなく中止と思われていたのだったが、開始1時間前の4時になり雨が小降りになり、やがて開催に支障がない程度まで天候が回復。鷹陵祭実行委員会も開催にゴーサインを出したのだった。 そして興行は関係者の予想以上に観衆(500人前後)が集まり、大成功のうちに幕を閉じた。 興行終了後15分ほどで再び大雨が降ってきて、関係者は「法然さんが雨を止めてくれたんだ」と中庭に設置してある法然像に感謝の一礼をしたのだった。 この成功が無ければ、今日までW-CROSSが存続していなかったかもしれない。 **「格闘技」と名が付いた理由 団体設立申請時に、「プロレス研究会」では軽く見られがちになるのではないか、下手すれば許可が下りない可能性もある。ならば「格闘技」という名称をつけて箔を付けようということになり、「プロレス格闘技研究会」としたようだ。 ちなみにW-CROSSという名称は95年に「プロレス格闘技研究会という名称は微妙に長い」という声が上がり、愛称として名づけられた。もちろん意味は業界用語で言うところの「裏切り」。良い意味で人々の期待を裏切ろうという意志が込められている。 余談だが、顧問探しに奔走していた時、とある教授にお願いに伺った。その教授は茶道部の顧問をしており、当然難色を示されたのだが、メンバーの1人が、 「茶道も武道も同じ道です!」 と言い放ち、教授も何故か納得して顧問を引き受けてくれたのだった。 **他団体と交流しない理由 同じ京都のDWA、RWFとの交流は全く無いといっていい状況である(創立当時は一部メンバーが交流を図ろうとしていた。個人的に知り合いにはなっていた。ターナーザインサートこと現・新日本プロレスの棚橋選手とか) これは、「レベルはRWFやDWAには遠く及ばない」という意識や、ファイトスタイル(見せ方)の違いもあったためだと考えられている。 2009年秋、KWA(関西大学)との交流が図られ、2010年春、お互いの興行の手伝い等で交流を深め、遂に5月に交流戦が実現した。 **動画配信 YOUTUBEやニコニコ動画にて数試合の動画をUPしている。今後も主要な試合は随時UPしていく予定である。 2011年度の鷹陵祭興行においては、ツイキャスにて生放送配信された。 ***エピソード ・第一回の学生プロレス開催前、学生課より呼び出しがかかり、安全性についての説明などが求められたが、学生プロレスがブックがあるエンターテイメントであることを説明すると納得し、逆に当時の学生課長より「それは面白い!ぜひやってくれ!」と応援された。 ・現在のリングは、京都の某格闘技ジムより安価で譲渡されたものである。 ・興行の最後は、最近「1.2.3.ブッダー!」で締められることが多い。以前はアゴの長い人がやる「ダー」だったが、ひねりが無いことと、商標登録に引っかかることから、「仏教系の大学なんだからそれらしい文言で」と考えた挙句、このようになった。 ・数年前までは、本当に毎年1人ずつ留年者が出ていた。が、最近は学業成績は優秀のようである。 ・98年ごろまでは、季刊「W-CROSS」を発行していた。学内で200部程度を無料配布していたが、4日程度で無くなるほどの人気を博していた。中でも、「プロ研潜入ルポ」(北○の拳をセリフだけ変えたもの)は、一部マニア間で絶賛された。 ・鷹陵祭興行は、ゲストコンサートなどの「裏」で行なわれることが多い。前述したように、その時間帯は会場となる中庭ががら空きとなるためである。その年のゲストコンサートに誰が来るかによって、観客動員に差が出るようである。 ・春に新入生を勧誘しても、全く集まらないことが多かった。むしろ、秋に鷹陵祭興行を見て、「自分もやりたい」と思うことが多かったようだ。だが、それも1人程度で、その人間は「1年に1人の大物」と言われ、もてはやされた。 ・学生プロレス開始から3年間は、ビールケースにマットを敷いたリングもどきで試合をしていた。ただ、作りが粗雑だったようで、とある選手は「2日熱が出て、1週間は自慰行為が出来なかった」とダメージが残った事を述懐している。 ・かつて京都大学KUWFで、元RWF(試合が行なわれた当時はKUWF所属)の「んこ天小森」と、レイザーラモンHGの中の人というドリームマッチが行なわれたが、その時使用されたリングはW-CROSSのものである。 ・最近では練習生期間を経てデビューするというプロも真っ青の仕様になっている。 ・W-CROSSとリベルツ合同のOB会が結成されており、年に数回興行を行ったり、鷹陵祭では試合を提供することがある。 ・鷹陵祭興行のリング設営時には、ここ数年は大きいお友達が大喜びするBGMが流されており、一部マニア層から好評を博している(らしい?) ・「秋のチンポコマグニチュード大会」を開催する旨を学内ポスターにて告知した際、学生から「大会名も選手名(金玉乱太郎のことと思われる)も卑猥すぎる」とのクレームを受けた。試合は普通に行われた。 ・2012年度の学園祭では、選手サイン入りブロマイドを入場者プレゼントとして配布。意外にも大好評だった。サイン会、握手会、写真撮影会も行い、各選手のもとにファンの列ができるほど好評だった。しかし、その日のメインマッチで勝利したにも関わらず、金玉乱太郎のみ誰からもサインを求められなかった。 **興行日程 2012年12月中旬予定 試合日程は決定次第、ホームページ、ツイッター、学内看板にて告知。

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