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屍骸花――




「今までさ、何にも不思議に感じなかった?」

 薄明かりの中、少女たちが輪になっていた。まるで、これから百物語を始ようかと言わんばかりに、五人の少女たちは一つの蝋燭を皆で取り囲んでいる。互いに互いの手を握り合い、心細げに肩を寄せ、恐怖に身を震わせる少女たち。
 この様子だけを見れば、少女たちは百物語のために集められた女生徒たちのようにも見えた。

「鈴ちゃん……、不思議って……何が?」

 一人の女生徒が、語り部に対し、おずおずとそう切り返す。 
 鈴と呼ばれたその語り部の少女は、嬉々として話を続けた。

「夜の校舎が危ないなんて事、誰もが知ってる。どのくらい危険かってことも、改めて言う必要もないくらい。にもかかわらずさ、夜間の外出は後を絶たない。誰だけ注意しても絶対に。志筑は、そのことについて、何か疑問を抱いたことは無いかな?」

 鈴はそう微笑み、志筑を見つめる。志筑は思わず隣に座る少女の方を見た。少女は気味悪そうに小さく首を振る。

 ――私に振らないで。

 少女は目でそう告げ、志筑を突き放した。
 志筑は返答に迷う。鈴が何を言いたいのか、この場にいる誰もが理解できた。疑問に対する答えと呼べるものが、今、目の前にある。
 しかし、

「わ、わからない……」

 志筑は結局そう答えるしかなかった。答えたくないとも志筑は言えない。答えたくない、そう答えることで、逆にその答えを認めてしまうような、そんな気が志筑はした。
 鈴は志筑の答えにくすくすと笑う。まるで、志筑の心の内を見透かしているかのように。

「そっか」

 そう言って、鈴は蝋燭の灯りに視線を移した。志筑は、ほっと胸を撫で下ろす。



 少女らがここに閉じ込められて、何時間が経過しただろうか。
 放課後、鞄に教科書を詰めていたところまでは、誰もが覚えている。しかし、そこから先の記憶が無く、気がついたら、少女らはここに連れ込まれていた。
 教卓の上で、蝋燭の明かりだけが揺らめく、窓一つ無い、異様な雰囲気の教室。手元には携帯電話も鞄も時計も無い。外部と連絡を取る手段なども何一つ無い。机や椅子も無く、教卓だけが黒板の前に設置されていた。その教卓の下には、何本もの蝋燭が散らばっている。

 教室の扉は固く閉じられ、うんともすんともしない。唯一の外との繋がりは、扉の上に開いていた小さな換気口のようなものだけ。そこから廊下を見渡すことは可能だった。
 しかし、その廊下もこの教室と同様、窓が無かった。廊下の先は長く続いており、蝋燭の明かりだけでは廊下の先まで見渡すことはできない。

 その穴から外に出ることはできないか。
 そのように考える者がいた。試してみたところ、十人のうち七人が、その穴を通り抜けられた。
 わけの分からないこのような状況下ではあるが、通り抜けられる者がいたのは、彼女らにとって幸いに思えた。
 互いに顔を見合わせ、とりあえずどうするべきかを話し合った結果、半分はここで助けを待とうと言うことになった。
 穴を抜けれる者のうち五人は、助けを呼びに外へ出る。うち二人は、穴を抜けれない三人と一緒にここに残る、それで決まった。
 考えたくはないが、血の踊り場事件――今の状況がそれと関係があるというのなら――それぞれ均等に五人ずついれば、たとえ何か起こっても対処できるだろうと判断した。


 しかし、先ほどの鈴の話から、さらにどれほど待てども待てども、助けは来ない。
 教室は不気味なほど、何も起こらず、まるでそのときを待っているかのように、蝋燭の本数だけがじりじりと減っていく。もし明かりが無くなってしまえば……、底抜けの暗闇が少女らを待っている。そんな恐ろしい想像が少女らの頭を過ぎった。少女たちの間に、焦りが芽生え始める。

 そんなときだった。

「ねえ」

 鈴は再び突然口を開いた。

「な、なに? 鈴ちゃん……」
 何が可笑しいのか鈴はこの状況を楽しんでいるようにも、志筑にはどことなく感じられた。他の者たちも、そんな彼女を不快に感じているのか、耳を塞ぎ、彼女とは目も合わせようとしない。
 それでも、志筑は鈴とはこの学園に入学する以前からの幼馴染であった。長い付き合い故に、志筑は鈴を親友にように感じていた。鈴は確かに普段から怪しい言動の多い少女ではある。しかし、志筑はそれ以上に、鈴の良い面を知っていた。
 だからこそ志筑は、鈴を信じていた。自分がここに残ると行ったとき、鈴もあの穴を抜けることができるのに、私と一緒にここに残ってくれた。それが志筑には嬉しかった。(今となっては、どっちの選択が正しかったのかも分からないが)
 鈴と一緒なら、たとえ灯りが絶えても怖くなんかない。志筑はそう感じた。

 しかし、そんな志筑を嘲笑うかのように言う。

「ねぇ、見てきてよ、外」

「――へ?」

 突然の鈴の言葉に、志筑は鈴が何を言ってるのか理解できなかった。志筑はきょとんとして、鈴の顔を見つめた。
 しかし、鈴はそんな志筑の戸惑いを知ってか知らずか、火のついた蝋燭を志筑に向ける。

「志筑、生徒会に入ってたよね?」

 鈴が何を言わんとしているか、志筑はその瞬間に悟る。
 志筑は皆の冷たい視線を感じた。

「ほら」

 鈴は志筑の手を取り、志筑の手に蝋燭を握らせた。

「イヤなんて言わないよね? 志筑は生徒会だもん。私たちを守る義務があるでしょ?」

 鈴はそう言って、にっこりと笑った。
 それに合わせて皆が口々に言い出す。

「そうね。ここは志筑さんが適任ね」

「……お願い、します」

「志筑さん、ごめん。でも、私、通れないから……」

 志筑は狼狽した。

「わ、私……」

 確かに、志筑は血の踊り場事件が起こる前から、生徒会に在籍はしている。しかし、志筑は血の踊り場事件が起こり、生徒会の役割が変化したとき、生徒会を抜けようと思った。
 志筑の能力は戦闘には向いていない。志筑はずっと機会を窺っていた。生徒会が一番大変な時期に抜ける。それは、仲間を見捨てるみたいで、志筑は嫌だった。結局、その機会は訪れず、志筑は未だに生徒会に在籍している。 

「イヤなの?」

 鈴にそう迫られたとき、志筑は嫌だとは言えなかった。志筑の中の責任感が、志筑からその選択肢を奪う。
 志筑は無言で首を振り、扉の方へと向かった。扉の上の換気口を見上げる。
「い、行ってくる……」
 震える声でそう告げて、志筑は換気口の縁に手をかけた。


 ・
 ・
 ・


 ひそひそと教室がざわめいている。
 噂話が周囲を飛び交う。

 ――また人がいなくなったんだって。

 ――えー……、私が休んでる間にまたぁ? 今度はだれさ。

 ――B組の子。十人以上消えたらしいよ。寮にも帰ってなかったみたい。

 ――十人? 生徒会は何をやってたの?

 ――それがねー、志筑さんって知ってる?

 ――志筑さんって……、生徒会の?

 ――うん。彼女もそのいなくなった子たちの中に入ってるんだってぇー。

 ――まじで……

 ――それでね、昨日から生徒会も大慌てでさぁー、すっっっごく大変そうでねぇ。




「花ちゃん」







「花ちゃん」













「花ちゃん!」



「ほぇ?」


 花はハッと我に返り、驚いて顔をあげる。そこにはクラスメイトの桜ひよりの顔があった。

「ほぉーら、やぁっぱり聞いてなかったぁ!」

 花はきょろきょろと、自分の周囲を見渡す。
 いつのまにか、友人三人が、自分の周りを取り囲んでいた。

「なぁに?」

 花はそう尋ねる。
 ひよりは、頬を膨らませていた。そんな彼女の代わりに、白数みぞれがそれに答える。

「肝試し中止にしようって話」

「きも……、だめし……?」

 花は首を傾げる。
 二人のやり取りを横目で見ていたひよりは、それを聞いてまた声を荒げた。

「約束したじゃんッ! 明日、皆で肝試ししようってさァ!?」

「覚えてる?」

 みぞれが花に尋ねる。花はまた首を傾げた。

「分からない、です」

 花はそう言って俯く。
 信じられないという顔のひよりと、苦笑いを浮かべるみぞれ。

「ま、まぁ、花ちゃんはあの時も、今みたいにぼぉーっとしてたから。ちゃんと言わなかった私たちが悪いよ」
「みぞれは……、花ちゃんを甘やかしすぎ……」
 ひよりの言葉にみぞれは笑う。
「ひよりには負けるよ」


「でね」

 そのやり取りをずっと見守っていた姫鷺わずかが、そこでやっと口を開く。

「中止にしようって提案したんだ、私が。まぁ、こんなのはいつものことだけど。騒ぎのすぐ後だしね。で、中止に賛成二名。うちとみぞれね。で、反対が今んとこひよりだけ。私はやる気ないけど、みぞれは花がやるなら行くってさ」

(みぞれは花が心配なんだろうな)
 わずかは心の中でそう付け加える。

「うん、そういうこと。花ちゃんはどうする? 肝試ししたい?」
 みぞれは窺うように花に尋ねる。
 花は、普通の子であった。クラスで目立つ方ではなく、どちらかというと暗い感じの少女。そのせいか花は、中々クラスに馴染むことができず、ずっと孤立していた。
 ひよりとみぞれは、花の件があるまで、同じクラスでありながら、まともに会話を交わしたことが無かった。しかし、二人は示し合わせたかのように、それぞれ、ほぼ同時に花に対してアプローチを始めた。
 初めはただのお節介に過ぎなかった。それがいつのまにか、二人は花を「何とかしてあげなくちゃ」と、そう思い込むようになる。
 そして、それぞれが「花ちゃん改造計画」なるものを立ち上げ、二人のお節介は壮大な計画へとシフトして行った。

 偶然、同じ人間と接触し、偶然、同じ計画を立ち上げた。にも関わらず、二人が互いに手を取り合うことは無かった。
 周りは二人を見て、お互いに協力すればいいのに、と常に思っていた。だが、二人の関係は変わらない。互いに互いを避けていたのだ。

 二人の関係に変化を与えたのは、二人にとって共通の友人であった姫鷺わずかの存在である。
 ひよりとみぞれの争いは激化の一途を辿っていた。互いに互いを、自分の計画の障害と認知しており、陰湿な足の引っ張り合いを繰り返していたのだ。
 わずかは、二人の間に挟まれた。悪口の伝言や、嫌がらせの手伝い。何でも手伝わされた。わずかは断れなかった。
 だが、争いがしだいに熾烈化していくにつれ、わずかの怒りのボルテージは上がっていった。。

 そして、最後の最後、どっちに味方するかこの場で決めろと要求され、わずかはブチギレた。
 暴力こそふるわなかったが、わずかの勢いに圧倒されて、二人は何も言えなくなった。

 結果、二人は互いに協定を結んだ。協力関係となったのだ。ひよりとみぞれの関係は、単なるクラスメイトから、花ちゃんをめぐる争いの好敵手(ライバル)へと変わった。

 だからと言って、二人の考えが変わるわけでもない。
 あくまで花の自主性を優先したいと考えていたみぞれに対し、一方のひよりは荒療治も辞さない考えだった。
 今回の肝試しの件についてもそうだ。ひよりとみぞれは、花に対する方針で意見が対立することが度々ある。今回は、花の意志を尊重するなら、という条件付きでみぞれは、ひよりの肝試しという提案を了承した。

「私は……」

 そこまで言いかけ、花は思案している様子だった。
 三人がじっと、それを待つ。わずかは内心いらいらとしていたが、ひよりとみぞれは黙って花を見守っていた。
 しばらくして、ようやく花は答えた。

「やってみたい、です」

「そう」
 みぞれはそう言ってパッと微笑んだ。ひよりは、先ほどの脹れっ面がまるで嘘のように、嬉しそうに口元を綻ばせていた。
 ただ一人、わずかだけがその様子に目を細めている。

「あのさ、今さら水を注すようで悪いけど」
 わずかはそう前を置きした。
「私たちなら大丈夫だよね」
 みぞれとひよりは顔を見合わせる。
「……ひよりとみぞれに関してはさ、私もそんなに心配してないよ? 二人とも強いしね。たださァ、その子連れてって何かあったとき、そん時はどうするの? この子ために、二人は自分の命を投げ捨てたりしないよね?」
 わずかのその問いに、ひよりとみぞれの二人はきょとんとしている。
「もし、それでも私たちが行くなら、わずかちゃんはどうするの?」
「うん、わずかはどうすんの?」
 二人はわずかをじっと見つめる。私はどうするか……。
 わずかの額に嫌な汗が伝った。わずかは冗談でしょ? と笑ってみせる。
「もしかしてさぁ、それって脅迫のつもりなの? 好きにすればァ? 私はやる気ないって最初から……」
「それでも、私たち二人が花ちゃんを連れていくなら、わずかも私たちについて来てくれるんでしょ?」
 みぞれが真顔でわずかにそう尋ねる。
「もしかしてさァ、わずかァ。自分が行かなかったら、中止になるとか思ってたー? 花ちゃんが初めて自分でやりたいって言ってくれたんだよ? 私たちは行くから」
 ひよりもそう言う。
「……」
 わずかは後ずさる。わずかは、こう言うときの二人の団結力が苦手だった。
 みぞれはにっこりとわずかに笑みを向ける。
「生徒会や番長グループに言いつけても無駄だよ。何でかは……。ごめん、その話題は関係ないね」
 みぞれは言いかけて、ペコリとわずかに頭を下げる。
 言いかけていたに過ぎないが、わずかには、みぞれが言いかけていたことの意味が分かった。

 ひよりは生徒会に所属し、みぞれは番長グループに所属している。わずかは……かつて、血の踊り場事件の模倣犯だった。……未遂ではあったが。みぞれがわずかをその直前で拿捕し、たまたま付近を警戒中であったひよりの手にわずかは引き渡した。尋問したのもひよりである。
 わずかは、未遂とは言え、人を殺そうとした事を後悔していた。わずかは当時、陰湿ないじめを受けていた。魔がさしたのである。今、わずかは自分を止めてくれた二人に対して、言葉では言い尽くせないほどに感謝をしていた。
 面倒見のいい二人は、花に対してと同じように、わずかに対しても面倒見が良かった。わずかは、いつしか二人と親友とも呼べるような関係になっていた。
 だからこそ、その間に割って入り、ひよりとみぞれを振り回す花の存在が、わずかは苦手だった。

 わずかが、みぞれにかける言葉を考えているうちに、ひよりが口を開く。
「みぞれ。わずかは分かってるよ。わずかは私たちを心配してくれてるだけだよ。ねッ?」
 ひよりはわずかににっこりと笑んでウィンクした。
 わずかには、この二人を止めることはできなかった。わずかは、そのことを後悔することになる。
 あの時、私が強硬に譲らなければ、二人も考え直してくれたかもしれない、と。

 ・
 ・
 ・

 花はずっと俯いていた。
 今日は満月であった。月明かりがあるとは言え、辺りは薄暗い。
 みぞれは、花の耳元で囁いた。
「……具合悪いなら、引き返そうか?」
 みぞれのその提案に対し、花は小さく首を振る。ひよりは先ほどから、ちらちらと花を横目で見ていた。じっと黙りこくって一言も発しない花。そんな花をひよりも心配しているようだった。
「こんなの悪ふざけなんだから、辛いならあんまり無理しなくていいよ」
 ひよりもみぞれに同調して、花の耳元で囁く。
 二人の言葉に対し、花の表情は前髪に隠れて見えない。

 花の口元がわずかに動く。

 何も知らない。
 みんな知らない。
 みんなあんな綺麗になるのに。あんな綺麗にしてあげれるのに……。

 ――クスッ

 花の口元が不気味に歪んだ。
 夜風がさっと吹き荒れ、彼女らの周囲をを巻き上げる。

「……え?」

 わずかは息の飲む。その刹那、ひよりとみぞれはハッとする。
 瞬きほどの時間だった。そのほんの一瞬の間に、花の姿が目の前から忽然と消えたのだ。

「花ちゃん!?」

 ひよりが叫ぶ。

「花ちゃんッ!!」

 ひよりとみぞれは大声で、花の名を呼んだ。
 しかし、花の返事はない。

 二人が花を呼んでいる間、わずかはただ一人沈黙していた。 
 わずかは見ていた。視界から花が消えるその瞬間、花の口元が怪しく歪むのを。わずかは背筋が寒くなるのを感じる。
 だが、わずかは口を噤む。もし、このことを二人に言ったとして、だから何だと言うのだ。嫌な予感は確かにある。だが、これは、あくまで自分の直感であって、何の根拠もないことである。
 わずかはそう自分に言い聞かせることで、自分をごまかした。わずかは怖かったのだ。もし、このことをひよりとわずかに告げて、信用されなかったら……嫌われたら……それは、わずかにはとても耐えられることではない。
 とりあえず、わずかは二人の手前、花を探そうとした。しかし、いざ、花のことを呼ぼうとしてわずかは戸惑う。
 私は彼女のことを何て呼んでいたのだろう。
 そのときになって、わずかはようやく気づいた。自分と彼女の関係は、協定を結ぶ以前のひよりとみぞれの関係と同じであったことに。
 なぜ、ひよりが今回の件を企画し、みぞれがあんなもの言いをしてまで私の参加を強く望んだのか、その理由が少し垣間見れた気がした。


 ・
 ・
 ・

 志筑が去ってから、さらに何時間が経っただろうか。
 先に外へ出た五人同様、志筑は未だに帰ってこない。助けも来ない。
 蝋燭はすでに絶えていた。暗闇だけが広がっている。

 ある少女は震えていた。隣に座る少女はそんな彼女をそっと抱き寄せている。
「大丈夫だよ」
 そう言いながら、少女の頭を撫でる。
 何も見えない暗闇の中、互いの体温だけが唯一の心のより所であった。

「志筑さん……一人だけ逃げたんじゃ……」

 誰かがふとそんなことを漏らした。

「志筑が逃げる訳ない!」

 その呟きに誰かが異を唱える。

「志筑が一人だけ逃げる訳ないんだよ……」

 その声は鈴だった。その時、ふっと一陣の風が舞い起こる。
 誰か戻ってきたのだろうか。 
 少女らの一人がすっと立ち上がる。そして、闇の中へと問いかける。

「志筑、さん?」

 だが、闇の向こうから返事はない。
 暗闇の中、彼女は必死に目を凝らす。かすかな物音。しかし、やはり、暗闇。その姿は見えない。
 彼女が闇の中へと、さらに一歩、足を踏み入れようとした。そのとき、隣の少女が彼女ののスカートの裾をつかむ。

 掠れるような声で、隣の少女が言う。
「行ったら、ダメ……」
 それは鈴の声だった。数時間前までの怪しい雰囲気は、完全に消え失せている。その声は何かを恐れ震えている。
「大丈夫だよ。ちょっと見てくるだけだから」
 少女は、鈴の手をそっと掴み、スカートから外す。
 そして、少女は闇の中へと消えた。


 ――クスッ


 笑い声が静寂を貫く。


 ――クスッ

 冷たい一風が、少女たちの間を駆ける。
 風が流れて来た方を、皆が見つめた。何かが、闇の中、瞬いたような気がしたのだ。

 ――クスクスッ

 不気味な笑い声だけが、教室の中に木霊する。

「し、志筑ちゃん、なの……? ねぇ?」

 闇の中に消えた少女がそう問いかけた瞬間、後方の闇の中に青白い光が灯されていく。

「――え?」

 少女が振り返ると同時に、少女の生命は、まるで蝋燭に灯った小さな灯りのように、儚く掻き消えた。



 ・
 ・
 ・


「花ちゃん……」

 みぞれは、途方に暮れてそう呟いた。
 みぞれは、ひよりに冷たい視線を送る。ひよりは蹲り、青ざめた顔で頭を抱えていた。

「私が……私が悪いんだ……。私が花ちゃんを……」


 ひよりはそうぶつぶつと呟く。わずかは、そんなひよりにどんな風に声をかけるべきか分からなかった。
 一方、みぞれは冷ややかだった。もちろん、みぞれは、自身にも責任の一端を感じていた。ひよりだけを責めることはできない、それも分かっている。だが、態度にこそ出さないが、内心、みぞれはひよりに失望した。
 ひよりは完全に冷静さを欠き、自分を責めることで自分の中に閉じこもっていた。彼女の気持ちは分かる。だからこそ、より一層、それはみぞれを失望させたのだ。
 ひよりの元に行こうとするわずかを、みぞれは無言で制する。

「ひより。ひょっとしたら、花ちゃん、私たちとはぐれて、一人、部屋に帰っちゃったにかもしれないからさ。見てきてくれない?」

 そうみぞれはひよりに言った。
 ひよりは、みぞれを見上げる。ひよりの目には涙が湛えていた。

「で、でもぉ……。部屋はさっき……」

 あの消え方は異常だった。部屋に帰る? 花ちゃんの部屋は最後に確認したはずだ。もし、部屋に帰ったなら、私たちより先に帰ってなきゃおかしい。

「見てきてくれない?」

 何か言おうとするひよりに、みぞれはもう一度、今度は強い口調でそう言う。
 しかし、その口調には、わずかに憐憫が含まれていた。
 みぞれは、ひよりの元まで行き、彼女に何事かを囁く。
 ひよりは、みぞれの顔を凝視し、そして気まずそうに、みぞれから視線を逸らした。

「うん…、わかった……」

 彼女に気圧されるように、ひよりはそう答えた。

「私たちは、第二校舎の方を探してくるから」

 みぞれはそう告げ、わずかの手を牽く。ひよりの脇を通り過ぎる瞬間、わずかはひよりの顔を見た。
 腕で、目元を隠しているひより。唇を噛み締めて、嗚咽をこらえているひより。

「みぞれ……!」

 わずかはそう声を発した。
 しかし、みぞれは振り返らなかった。

「行こう」

 みぞれはそう言った。

「けど……!」

 わずかはみぞれの方を見る。みぞれのその表情を見て、わずかは顔を伏せた。わずかはみぞれにそれ以上、何も言わなかった。


 ・
 ・
 ・

 ひよりは寮の方へと独りとぼとぼ歩いていた。
 足取りは重く、気分は沈んでいる。それでも、一縷の望みを託して、彼女は周囲に気を配る。それくらい判断力はまだ残っていた。
 しかし、怪しい人影も、怪しい物音も一切しない。そうこうしているうちに、見上げればそこには寮棟があった。

(あ、もう着いたんだ……)

 ひよりの気分はさらに沈んでいく。

 私は何てバカなんだろう。

 ひよりは思った。

 今にして気づく、私はみぞれに対して、単に意地を張っていただけなのかもしれない、と。
 みぞれに花ちゃんを取られたくない。みぞれよりも花ちゃんの近くにいたい。そんな私のつまらない意地が、この結果を招いた。
 こんなことになり、生徒会のみんなにも顔向けができない。志筑がいなくなって、ただでさえ、みんなが気を張り詰めてた。それなのに、私は浮かれて、舞い上がって、こんなことになって、生徒会のみんなを裏切ってしまったんだ。
 バカだ、何てバカなことをしたんだろう。悔んでも悔み切れない。

 ひよりは、延々とそんなことを考えていた。
 ひよりはふと後ろを振り返る。






 ごめん……、みぞれ。ごめん。
 ひよりは、虚空に向かい謝罪をする。それが気休めにもならないということはひよりも分かっている。

 ひよりはあの場から逃げた。
 あのとき、みぞれはひよりの耳元で囁いた。

 ――これ以上、あなたが首を突っ込んでいいの?





 そう尋ねられたとき、ひよりは、みぞれが何を考えてるのか分からなかった。しかし、その後、

 ――後は私にまかせて。

 そう微笑む彼女の顔を見て、ひよりはみぞれの真意を悟った。
 みぞれは、花の件に関して、全ての責任を自分一人で背負う気なのだ。
 生徒会の立場は今、非常に危い。生徒会は、度重なる事件を前に、生徒たちを守ると言っておきながらも、完全に無力だった。
 事件に関して、何の手がかりもつかめていない。そこに、昨日の事件が重なる。

 ――学園という限られた空間で、十人もの生徒が集団失踪した。しかも、その失踪者の中には、生徒会のメンバーが含まれている。

 これによって、生徒会に対する不信感はさらに高まった。その上、ひよりまでもが、このような不祥事を起こしてしまえば、生徒会はさらに危い立場へと追い込まれる。今、必死に信頼を取り戻そうと、動いている他のメンバーにまで迷惑がかかってしまう。

 だからこそ、ひよりは、みぞれに気持ちに甘えてしまった。

 みぞれは番長グループに所属している。番長グループは生徒会とは対立する立場にある。だからこそ、ひよりの置かれている状況が理解できた。
 ひよりとみぞれはよく似ている。よく似ている分、違う部分というのは一層引き立って見える。だからこそ、同じ部分もより引き立つ。
 もし、ひよりが同じ立場なら、きっとひよりも、みぞれと同じことをしただろう。しかし、そこで、みぞれは逃げない。冷静に対処し、決して逃げないがみぞれという少女であった。一方、ひよりは逃げてしまった。混乱したあげく友達に責任を押し付けて、一人、逃げ帰った。

 肝試し。こんな大変なときに、そんなものを企画したのは間違いだった。しかし、そんなことは、ひよりもみぞれも分かっていた。分かっていた上で、二人は対策もしていた。
 元々、今回の事件の調査は、ひよりとみぞれの担当であった。示し合わせた訳ではないが、ひよりは生徒会を代表して立候補し、みぞれは番長グループを代表して立候補していた。どうせ同じことを調べるなら、協力した方が早いと、二人は手を組むことにした。

 それだけなら、まだ良かった。しかし、二人はその調査に、花とわずかを巻き込んでしまう。二人は、今回の調査をきっかけに、花に自信を付けさせてあげることはできないかと考えた。もちろん、余計なお節介ではあるが。
 もし、犯人を見つけることができれば、花にとっても大きな自信となり、少しは自分たちに心を開いてくれるかもしれない、と。

 ひよりとみぞれには過信があった。たとえ花がいても、彼女を守りながら、無事に帰ることは可能だという。しかし、それでも、二人は一応は念を押して、わずかを今回の計画にも巻き込んだ。私たち二人にわずかも混ざれば、何が起ころうが怖くないとさえ二人は考えていた。ちなみに、肝試しという名称を花に用いたのには、彼女を委縮させないため、という意図があった。

 だからといって二人は油断はしなかった。
 予め決めていたより危険のないルートを、きちんと選んでいた上に、花の左右と後方をきちんとガードしていた。
 それでも、花は忽然と姿を消した。

 今、ひよりは、みぞれのことも心配していた。もし、二人の身にも何か起これば……。そんな不安がひよりの心をかき乱す。
 わずかも、確かに魔人の中では、能力で人を殺せるという意味では、比較的強力な部類に入る。しかし、わずかはそれだけだった。実際、みぞれに拿捕されており、一方、みぞれとひよりの力はというとほぼ互角だった。
 互いに互いの力が互角なら、対等の立場で事に当たれる。しかし、みぞれとわずかは違う。おそらく、みぞれはわずかを守ろうとする。そうなれば、みぞれは十分な力を発揮できないどころか、下手をすれば隙を生むことになる。
 ひより自身、逆の立場ならそうである。だからこそ、みぞれが心配なのだ。

 けれども、ひよりは引き返すことができなかった。

 いまさら私が二人の元へ戻る資格なんかない。

 ひよりはその負い目から、みぞれが置かれている状況を直視できなかった。自分の中の弱さに気付き、ひよりの心は折れかかっていたのだ。
 ひよりは自分の掌を見つめる。
 か細い少女の手がそこにはあった。強い自分、理想の自分、みんなを守れる自分。ひよりにとって、それを叶えるためについていたはずの両手は、今は涙で濡れていた。

 ――私はバカだ。最低だ。最悪だ。分かってたのに、分かってたんだ。全て分かっていたのに、それでも逃げた。こんなにも、自分がろくでなしだったなんて、こんなにも救いようがないやつだったなんて。いったいどの面下げて、二人の場所へ戻るって言うんだ。

 ひよりは、両手で自分の顔を覆う。
 惨め。その言葉は、そのときのひよりの心情を一言で表していた。

 どれだけ時間が経っただろうか。ひよりを独り、声を殺してさめざめと泣いた。
 泣き明かして、もう涙も枯れ果てたころ、ひよりはおもむろに顔を上げた。時計を見る。短針はもう午前二時を過ぎていた。
 ここにてもしょうがない、部屋に帰ろう……。そう思ったとき。
 道沿いに生い茂っている木々の隙間から何かが蠢く。

 ――――ッ!

 ひよりは咄嗟に、戦闘態勢を取る。物音の正体が花や二人とは限らない。むしろ模倣犯である可能性の方がずっと高い。仮に生徒会や番長グループだとしても、彼らなら見回りの途中に、あのような物陰に潜むようなことはまずない。それぐらいの状況判断が可能なほどには、ひよりの気力も回復していた。

「…ょ…ちゃ……」

 じっと音のする方をひよりは見つめる。物陰からひどくか細い声がしていた。まるで、今にも死んでしまいそうな少女の声。

「ひ……より…………」

 その声は、自分がよく聞き慣れた者の声で――……。
 ひよりは、その声の主を知っていた。
「と、冬夏ちゃんッ……!?」
 ハッとして、ひよりは茂みの中に飛び込んだ。

 飛び込んだ先、血の匂いが広がる。
 そこには――志築冬夏――腹部を大量の血で染めた少女が、ぐったりとした様子で木に寄りかかっていた。


 ・
 ・
 ・

 To Be Continued.


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