※あいうえお順
※在籍期間の括弧内は指導者としての在籍期間
OB選手・監督コーチ
マーク・クルーン
(Marc Jason Kroon)
【生年月日】1973年4月2日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2005 - 2007
球界史上最速となる162kmを記録した剛腕クローザー。
クローザーとしては手の付けられない剛速球と最速で150k/hを超える変化球を武器にするも制球の悪さでしばしばピンチを招く典型的な劇場型であった。
松家 卓弘
(まつか たかひろ)
【生年月日】1982年7月29日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2005 - 2009
球界史上5人目、横浜では1965年にプロ入りした
新治伸治以来となる東大出身のプロ野球選手として話題を呼んだ。
マットホワイト
(Matthew Joseph White)
【生年月日】1977年8月19日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2007 - 2008
来日当初は先発で起用されたものの打ちこまれたため途中から中継ぎに転向した。
球のスピードはないが変化球のキレで勝負する技巧派左腕。
マット・ホワイトサイド
(Matthew Christopher Whiteside)
【生年月日】1967年8月8日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2003
守護神を期待されて来日するも救援失敗が続きシーズン途中に自由契約となった。
松原 誠
(まつばら まこと)
【生年月日】1944年1月13日【役職】選手・コーチ【ポジション】内野手【在籍期間】1962 - 1980, (1982 - 1984, 2004)
永きに渡り大洋の主砲として活躍し続けた、球団史上初となる2000本安打達成者。
チームが低迷期でまた王貞治というチートプレイヤーがいたため、優勝経験・タイトル受賞経験が一度もない「無冠の帝王」。
万永 貴司
(まんえい たかし)
【生年月日】1972年7月7日【役職】選手・コーチ【ポジション】内野手【在籍期間】1994 - 2006, (2007 - 2009)
内野のユーティリティプレイヤー。スーパーサブ的存在で98年の日本一にも貢献した。
三橋 直樹
(みつはし なおき)
【生年月日】1980年12月2日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2006 - 2009
神奈川出身のドラ4右腕。先発・リリーフとして登板したが力不足の感は否めず在籍4年で退団となった。
光山英和
(みつやま ひでき)
【生年月日】1965年11月20日【役職】選手【ポジション】捕手【在籍期間】2002
近鉄時代は梨田昌孝の後の正捕手候補の1人として山下和彦や古久保健二と争った。
その後はトレードの駒や戦力外を繰り返しながら横浜に流れ着く。しかし再起する事はなく1年限りで退団となった。
南 竜介
(みなみ りゅうすけ)
【生年月日】1981年7月9日【役職】選手【ポジション】外野手【在籍期間】2000 - 2006
元は投手だったが制球難のため野手転向、しばらくして守備固めで起用されるようになったが程なくしてトレードに出された。
(むらた しゅういち)【現所属球団】読売ジャイアンツ
【生年月日】1980年12月28日【役職】選手【ポジション】内野手【在籍期間】2003 - 2011
横浜の00年代後半を代表した4番打者で「横浜ベイスターズ」最後の4番打者。広角に打ち分けるスラッガーで自称・愛称は「男村田」。
たまに(よく?)そっくりさんのケデブ氏が入れ替わる。
森 大輔
(もり だいすけ)
【生年月日】1982年8月31日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】2004 - 2006
2003年のドラ1左腕。爆弾持ちなのを承知の上でドラフト指名に踏み切ったものの、やはり怪我に悩まされ1軍出場のないまま退団となった。
森笠 繁
(もりかさ しげる)
【生年月日】1976年10月4日【役職】選手【ポジション】外野手【在籍期間】2009 - 2010
好みのタイプはときめきメモリアルヒロイン「藤崎詩織」、通称「ときメモ森笠」。
盛田幸妃
(もりた こうき)※94~97年の登録名は盛田 幸希(もりた こうき)
【生年月日】1969年11月21日【役職】選手【ポジション】投手【在籍期間】1988 - 1997
セットアッパー・クローザーとして90年代を中心に活躍した。
近鉄移籍後に脳腫瘍が見つかり医師からは野球を諦めなければいけないかもしれないと言われた。しかし手術後は驚異的な回復力を見せ見事に復活を遂げた「奇跡のリリーバー」。
最終更新:2012年10月30日 00:40