トランプ配りについての論考

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*メタメタさんのblog「メタメタの日」より 「a×b=b×a―交換法則について(3)」から関係部分だけ抜粋  http://ameblo.jp/metameta7/entry-11800156726.html かけ算のイメージ(第12回)  3×4=4×3 上の式を見たら、たいていの人はあたりまえだと思う。何故イコールが成り立つのかと理由を問われたら、だって両辺が(という用語を使うか、左も右も、と言うかの違いはあっても)どっちも12じゃないかと答えるか、かけ算では交換法則(という専門用語を忘れていなければ)が成り立つから、と答えるだろう。さらに、左辺の3と右辺の3は同じか、と問われたら、同じに決まっているじゃないかと答えつつ、何か落とし穴があるのか、だから数学は嫌なんだと不審感を顔に浮かべるだろう。  確かに、3×4=4×3であるように、3=3であり、4=4である。 しかし、×の左(前)にある左辺の3は「かけられる数」と言い、×の右(後)にある右辺の3は「かける数」と言う(同様に、左辺の4は「かける数」、右辺の4は「かけられる数」)と、小学2年の秋に教わったことになっているが、覚えている人は少ないだろう。(「かけられる数」は、後に「被乗数」、「かける数」は「乗数」と教わる。)  つまり、3×4=4×3 の式は、3と4の数の意味も明記すれば、  被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 となる。 (中略)  かけ算を「同数累加」で教えていた時代(1980年代半ばまで)は、被乗数は同数累加の「同数」、乗数は「累加数」であった。つまり、   3×4=3+3+3+3=●●●+●●●+●●●+●●●   4×3=4+4+4=●●●●+●●●●+●●●● ということだった。左辺の3は、●●●というモノの個数であり、右辺の3は、●●●●というモノを加えるハタラキの回数となる。モノとハタラキでは大変な違いがある。しかも、乗数(かける数)は倍数のことだから、3×4は「3の4倍」、4×3は「4の3倍」となり、明らかに左辺と右辺の意味は違う。 (数行略)  日本の算数教育では、遠山啓が、かけ算を同数累加で「定義」することに反対し、3×4の答えを「3+3+3+3」で求めても「4+4+4」で求めてもよいと、同数累加をかけ算の答の求め方の一つにまで貶めた。(「6×4、4×6論争にひそむ意味」『遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5』114~121頁、初出は『科学朝日』1972年5月号)そして、現在の日本の算数教科書のかけ算の導入は、遠山の考えの線に沿っている。  (中略)  3×4=4×3 の交換法則の理解は、次の2通りとなろう。 (1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3(同数3×累加数4=同数4×累加数3) (2)因数3×因数4=因数4×因数3 (1)の左右の辺は異なる事態を表しているが、結果(積)が等しいから、等号が成立している。 (2)式の数は、(1)式の数の被乗数・乗数の意味を捨象して、数をさらに抽象化している。左右の辺で表された事態は同一の事態であり、表記の仕方が異なるだけである(結果は当然等しい)。 (中略)逆に(1)を具象化すると、次の(3)式になる。 (3)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3 (3)は、遠山啓らの数学教育協議会が1950年代後半から提唱した「量の理論」に基づく式である。「数」についての交換法則ではなく、具体的な「量」についての交換法則だから、(中略) いずれも左右の辺が表している事態は異なるが、かけ算の結果(積)が等しいから、等号が成立している。  左右の辺が表している事態が異なるということでは、(1)の場合と同様だが、(1)は抽象的な数の式だから、  被乗数3×乗数4=●●●+●●●+●●●+●●●  =●●●   ●●●   ●●●   ●●●  被乗数4×乗数3=●●●●+●●●●+●●●●  =●●●●   ●●●●   ●●●● と、合同なアレイ図でイメージすることができ、同一のアレイ図に対する分節(見方)の違いと解釈することが可能となる。つまり、被乗数を乗数に、乗数を被乗数に交換できるから交換法則が成り立つという理屈になる。  しかし、(3)式は、具体的な量の式だから、左辺と右辺の異なる事態はどこまでいっても異なる事態のままで同一の事態にはならない。「1あたり量」の数値を「いくら分の量」の数値に、「いくら分の量」の数値を「1あたり量」の数値に交換することはできない。(中略)こういう理屈から、銀林さんは、「1あたり量×いくら分」の乗法では「交換法則は成り立たない」と言った。(『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』11頁、2008年)つまり銀林さんは、「1人あたり3個×4人分」の式の数量を入れ替えて、「1人あたり4個×3人分」と書くと違った状況になるから、量のかけ算では交換法則は認められないと考えるようだ。  しかし、銀林さんの師の遠山啓は、「1人あたり3個×4人分」の状況でも「トランプ配り」を考えて「1回あたり4個×3回」と書けば「1あたり量4×いくら分の量3」の式を表せることを示した。(前掲論文、1972年初出)つまり、  1人あたり3個×4人分=1回あたり4個×3回 という形で、  1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3  という「量についての交換法則」が成り立つとしたわけだが、正直なぜこんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。(中略) 量についての交換法則は、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 で、良いではないか。 つまり、3×4=4×3 のかけ算の交換法則の伝統的な理解は、 (1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 だが、数については、 (2)因数3×因数4=因数4×因数3 量については、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 でいいのではないか。 (ここまでblog記事の引用) **以下関係するコメントから重要な論点を引用。 http://ameblo.jp/metameta7/entry-11800156726.html#cbox *2 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono1) >つまり、3×4=4×3 の式は、3と4の数の意味も明記すれば、 >  被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 >となる。 正しい。 >しかし、「かける数」という言葉はまだしも、「かけられる数」という言葉は、たいていの人は忘れているだろうし、言葉は忘れていなくても、3×4のいったいどっちが「かけられる数」で「かける数」かは途惑うだろう。 当たり前。ただ「3×4」と書いただけでは「どちらが乗数でどちらが被乗数かは明らかでない」。 小学校で算数を習ったときは「被乗数×乗数」としただけのこと。 【重要】だからといって「3×4も4×3もどちらも同じ。」というのはトンデモ。 然様なことを主張する思考停止した連中には以下の質問をしたい。 1)「どちらも同じ」の「同じ」とは如何いう意味か? 2)3×4や4×3と同数累加の関係はどう付けるか? 注)ひとつの数式表現に2つ以上の意味を付与することは(敢えてそう断らない限り)してはならない。 このことは数学または広く自然科学の議論をするときの原則である。 これがお分かりにならない方は「掛け算の順序」について意見を述べる資格はない。 >かけ算を「同数累加」で教えていた時代(1980年代半ばまで)は、被乗数は同数累加の「同数」、乗数は「累加数」であった。つまり、 >  3×4=3+3+3+3=●●●+●●●+●●●+●●● >  4×3=4+4+4=●●●●+●●●●+●●●● >ということだった。左辺の3は、●●●というモノの個数であり、右辺の3は、●●●●というモノを加えるハタラキの回数となる。モノとハタラキでは大変な違いがある。しかも、乗数(かける数)は倍数のことだから、3×4は「3の4倍」、4×3は「4の3倍」となり、明らかに左辺と右辺の意味は違う。 まったく正しい。 >そう言われて、3×4=4×3という式を見直しても、やはり左右の3や4にそんな違いがあるとは思えない。どう見ても同じ3であり、4である。 指摘が非論理的である。「違いがあると思えない。」という根拠が書かれていない。 3と4の順序が異なるではないか。「そんな違い」がある。 nomisuke 2014-03-20 20:29:38 *3 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono2) (上の続き) >日本の算数教育では、遠山啓が、かけ算を同数累加で「定義」することに反対し、3×4の答えを「3+3+3+3」で求めても「4+4+4」で求めてもよいと、同数累加をかけ算の答の求め方の一つにまで貶めた。 >(「6×4、4×6論争にひそむ意味」『遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5』114~121頁、初出は『科学朝日』1972年5月号) これがまったく事実であるなら、確かに遠山はおかしなことをしたのだと思う。 ただ好意的に言うならば「一つ分×いくら分」という言い方によって「一つ分」に対する「いくら分」をハタラキの数と(そのハタラキを数学的に明示せずに)意識したかったのではないか。これは想像である。 >被乗数・乗数という概念が不要であることは、素因数分解の場合にはっきりする。 >  30=2×3×5 >のように、素因数が3つ以上ある場合に、因数を被乗数・乗数に区別することは無意味である。であるならば、 >  6=2×3 >と素因数が2つの場合にも、被乗数・乗数を区別することは無意味であろう。 当たり前。ただし貴殿の書き方はおかしい(又は意図的に過ぎる)。 「被乗数・乗数という概念が不要であることは、素因数分解の場合にはっきりする。」 ではなく 「被乗数・乗数という概念が不要な場合があることは、素因数分解の場合にはっきりする。」 とすべきだろう。もし貴殿のような言い方をすれば 「被乗数・乗数という概念がいかなる場合にも必要であることは、饅頭3個5皿の場合にはっきりする。」 という非論理的言い方も許されることになる。これは 「被乗数・乗数という概念が必要な場合があることは、饅頭3個5皿の場合にはっきりする。」 とすべきなのは言うまでもない。(続く) nomisuke 2014-03-20 20:31:32 *5 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono4) (上の続き) >左右の辺が表している事態が異なるということでは、(1)の場合と同様だが、(1)は抽象的な数の式だから、 >被乗数3×乗数4=●●●+●●●+●●●+●●● >=●●● > ●●● > ●●● > ●●● >被乗数4×乗数3=●●●●+●●●●+●●●● >=●●●● > ●●●● > ●●●● >と、合同なアレイ図でイメージすることができ、同一のアレイ図に対する分節(見方)の違いと解釈することが可能となる。つまり、被乗数を乗数に、乗数を被乗数に交換できるから交換法則が成り立つという理屈になる。しかし、(3)式は、具体的な量の式だから、左辺と右辺の異なる事態はどこまでいっても異なる事態のままで同一の事態にはならない。「1あたり量」の数値を「いくら分の量」の数値に、「いくら分の量」の数値を「1あたり量」の数値に交換することはできない。(さやえんどう型で、さやの外枠を外すことができないから、アレイ図のようにさやの数と1つのさやの中の豆の数を交換して見ることができないということになる。)こういう理屈から、銀林さんは、「1あたり量×いくら分」の乗法では「交換法則は成り立たない」と言った。(『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』11頁、2008年) これは(何処かに明記された)銀林の考えか?メタメタさんの考えか? 何れにしろ意義がある。要するに「(1)も(3)も左右の辺の表わす「事態」は異なるが、(1)はアレイ図の合同という説明がつくのに対して、(3)は「然ういう」簡便な説明が思いつかない。其れ故に~」という議論ではないか。これは「思いつかないから」ちがう。と言っているに過ぎない。非科学的である。(続く) nomisuke 2014-03-20 20:36:01 *6 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono5) (上の続き)【今回のコメントの中心的部分】 >しかし、銀林さんの師の遠山啓は、「1人あたり3個×4人分」の状況でも「トランプ配り」を考えて「1回あたり4個×3回」と書けば「1あたり量4×いくら分の量3」の式を表せることを示した。(前掲論文、1972年初出)つまり、 >  1人あたり3個×4人分=1回あたり4個×3回 >という形で、 >  1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3  >という「量についての交換法則」が成り立つとしたわけだが、正直なぜこんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。 これは正に小生が上に書いた批判に答えたのではないか。「正直なぜこんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。」というのは理解が浅い。きちんと論理的な道筋に沿った議論だ。そう理解しないと遠山がトランプ配りを持ち出した理由は理解出来ないだろう。斯く言う小生も「今回の貴殿の解説」を読んでやっと「遠山が何故トランプ配りなどという屁理屈を持ち出したのか」が理解できた。貴殿が今回書かれたこういう文脈で持ち出したのであるのだから「屁理屈」でも「こんな面倒なこと」でもない。筋が通っている。また、「貴殿が今回書かれたこういう文脈で持ち出したのであるのだから」遠山のトランプ配りにそれ以上の意味を探してはならない。(それ以上の意味に用いる=「掛け算順序否定派」の連中がやっていること。) 分かったこと:遠山が「トランプ配り」を持ち出した正しい文脈。掛け算順序否定派の連中はその文脈を無視して単に何処かで読んで知ったこととして「トランプ配り」を持ち出しているだけだから「ハナシが通じない」。思考停止しとるから当然のこと。 nomisuke 2014-03-20 20:39:58 *7 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono6) (上の続き) (中略) >量についての交換法則は、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 >で、良いではないか。 駄目だ。根拠なしである。 >つまり、3×4=4×3 のかけ算の交換法則の伝統的な理解は、 >(1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 >だが、数については、 >(2)因数3×因数4=因数4×因数3 >量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 >でいいのではないか。 駄目だ。根拠なしである。 nomisuke 2014-03-20 20:42:27 *8 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) >つまり、3×4=4×3 のかけ算の交換法則の伝統的な理解は、 >(1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 >だが、数については、 >(2)因数3×因数4=因数4×因数3 >量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3 これが正しく「論理的」な考え方。これ以外は非論理的であろう。 nomisuke 2014-03-20 21:11:37 *11 ■Re:論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) nomisukeさん >「量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3」 すると、タコ3匹の足の数について、3×8の式を書くと、 3本/匹×8匹 と解するということですか。 メタメタ 2014-03-20 22:49:58 *18 ■Re:Re:論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) メタメタさん >「量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3」 >すると、タコ3匹の足の数について、3×8の式を書くと、3本/匹×8匹 と解するということですか。 小生は、貴殿の「提案」 「量については、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 とすればよい。」 には何の「数学的根拠」もない故採用する必要なし。正しい交換法則は 「量については、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3」 である。と述べたまで。 「タコ3匹の足の数について、3×8の式を書くとき」どう解釈するかというハナシはしていない。が。貴殿がお望みなので解説する。タコ3匹の足の数は  1当り量=8本  いくら分(ハタラキの数)=3 で  8×3 だ。交換法則を使うと  8×3=3×8 もしどうしても右辺を量の演算と思いたければ  8本×3=3本×8 でよい。ただし3本はタコの足ではない。単に3本という「本数」だ。コレこそ貴殿等の好きな「抽象化」であるよ。タコのことは忘れ給え。笑。 nomisuke 2014-03-20 23:25:19 *28 ■Re:Re:Re:論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) nomisukeさん >「3本はタコの足ではない」 了解です。 朝日新聞の「ハナマル先生」で、3×8の式を書いたら生徒がいたら、黒板に3本足のタコの絵を書いた先生は間違っているということで意見が一致しました。 次は、3×8の式を書いた生徒は、3匹×8本/匹の意味で書いたのであり、この式を数学的に間違いだとする理由はどこにあるのか、と議論に入れます。 3×8=24 でタコの足の総数を24本とする計算のどこにも数学的な不都合はありません。 メタメタ 2014-03-21 01:28:08 *32 ■蛸の足 >次は、3×8の式を書いた生徒は、3匹×8本/匹の意味で書いたのであり、この式を数学的に間違いだとする理由はどこにあるのか、と議論に入れます。 いや入れないな。其の前に まづ3×8がどういう意味で書かれたのかはその式からは推測出来ないことは承知していることをお断りする。したがって「3×8だけを見て」「この式を数学的に間違いだとする」かどうかの議論は(少なくとも小生にとっては)無意味である。 んで。3匹×8本/匹について議論する前に  8本×3 等について正しい結論を出すべきだね。 トランプ配りのように数え方を変えて議論するのも意味無し。以下蛸の足8本をセットとして数える場合の式について述べる。 小生の意見(=正しい結論)は以下の通り。 8本×3 ◯ 3本×8 ❌ 8×3本 ❌ 3×8本 △(m×3=m+m+mとしたのなら❌)(3×m=m+m+mとしたのなら◯) 四番目のものは◯の場合があるから◯とは言えない。 これ以上付け加えることはないが、上の意味の掛け算において3×8も8×3もどちらでも同じ(阿呆な連中故「どっちでも同じ」という言葉遣いをする(笑))というのはトンデモであることはしつこく言っておく。 nomisuke 2014-03-21 18:09:10 *77 ■Re:Re:奇妙な算数限定ルール Sparrowhawkさん >小学校でも中学でも一般社会でも >☆:かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,(その計算を)「1あたり×いくら分」と表記するとき「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違い まったくその通り。(詰まらんケチのつかんように表現を勝手に改めたが御容赦いただきたい)。 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違いではないと主張する「掛け算順序否定派」の連中の論拠は、これまで観察した所 1)「1あたり×いくら分」と表記するのはローカルルールだから。 又は 2)数学の仕組みとして、「2×8本」も「8本×2」もどちらも同じであるから。 のどちらかであろう。 1)はそもそも☆で言っている事を「論理的に」理解していない。 そう反論されると2)を持ち出す。ところが「2)が正しく☆は間違い」とする事自体「数学の仕組み」に則っていない。 即ち1)を主張するのは「非論理的」なことと「論理的」なことの区別のつかぬ連中。2)を主張するのは「数学の仕組み」における論理性が理解できぬ連中。どちらもどうしょうもない。 >「教師が考えた「小学生のためのルール」を全小学生に強制している。」 >というシュプレヒコールだけが空っぽの空間に谺する。 nomisuke 2014-03-24 07:59:17 *78 ■Re:Re:Re:奇妙な算数限定ルール nomisukeさん もうひとつあります。 「1あたり」は「1匹あたり」と解釈しないことも可能である。いわゆる「トランプ配り」と言ってきたものです。 nomisukeさんもコメント18でこの考え方をご理解いただけたものと、私がコメント28で朝日新聞報道のハナマル先生の教え方の間違いについて「意見の一致」をみたと書いたものです。 この観点を落とされたのは、単なるミスなのか、今までの数年間の議論をきちんとフォロウされていないのかのどちらかでしょう。 (以下略) メタメタ 2014-03-24 13:30:01 *79 ■Re:メタメタさん メタメタさん 「この観点を落とされたのは、単なるミスなのか、今までの数年間の議論をきちんとフォロウされていないのかのどちらかでしょう。」 小生が(貴殿との対話が始まった時点で)その観点に引導を渡したことをお忘れか?貴殿もそれを諾としたではないか。 1)以上に「明後日の方向」を向いた観点故すっかり忘れておった。というのが正直な所。 「掛け算順序否定派」の連中のチマチマした「非論理的」論拠を網羅的に分類して承知するほど酔狂ではない。「今までの数年間の議論」といっても1)と2)そして今回御指摘のあった3)の繰り返しだろうがな。こちらから見ればその繰り返しに過ぎん。 それはさておき。「もうひとつあります。」という以上これで全部だろうな? 文句が出んように、付け加える。御指摘に感謝する。 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違いではないと主張する「掛け算順序否定派」の連中の論拠は、これまで観察した所 1)又は 2) 又は 3)トランプ配りとして考え「1当り」を「蛸一匹当り」と考えない場合は「2本×8」となる。 の何れかであろう。 これでよろしいか。文句はないかな?笑。 んで。この3)も1)と同様☆で言っている事を「論理的に」理解していないだけ。3)を主張するのも「非論理的」なことと「論理的」なことの区別のつかぬ連中である。よおく御覧なさい。☆では 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違い と言っているのである。 nomisuke 2014-03-25 01:17:04 *80 ■追記(ホソク説明) ホントに分からんのかもしれんと心配になった。(メタメタ氏以外の読者もおられるかもしれん)。 よろしいか。☆では 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違い と言っているのである。トランプ配りをして蛸の足を切って配り直しても 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違いではない とどうして言える?以前はお分かりであった(左様なお返事をいただいた)ハズであるが、今回は(笑)お分かりにならんのか? 小学生でも分かる理屈(ロンリ)であるゾ。 お分かりであれば「分かった」 お分かりでなければ「分からん」 間違っていると思うのであれば「何処がどう間違っているか」お返事いただきたい。 nomisuke 2014-03-25 01:25:18 *82 ■トランプ配り フォロウしとらんワケではない所か、そんじょそこらの「掛け算順序否定派」より余程「トランプ配り」の意味が分かっていることを書いておく。もっともこれは貴殿に御教示いただいたことだ。  2×3=3×2 はアレイ図で説明できるが  2本×3=3本×2 を直接「一つ分×いくつ分」の意味で説明するのは難しかった。銀林はできないと思っていた。そこで遠山が「トランプ配り」を考えれば 上の交換法則も「一つ分×いくつ分」の意味で説明できるとした。もっとも「直接的説明」とは遠山も言っていなかった。しかしアレイ図に書かなくても説明できるとした。 「トランプ配り」の位置付けはこうであった。 それを分かりもしない連中が「トランプ配りで考えると」  2×3 も 3×2 もそもそも同じ事(笑)それ故  2本×3 も 3×2本 もそもそも同じ事(笑)などとトンデモ解釈に誤用し始めた。これが「掛け算順序否定派」の現状。まったく非論理的。まったくのトンデモである。 nomisuke 2014-03-25 01:58:17
*メタメタさんのblog「メタメタの日」より 「a×b=b×a―交換法則について(3)」から関係部分だけ抜粋  http://ameblo.jp/metameta7/entry-11800156726.html かけ算のイメージ(第12回)  3×4=4×3 上の式を見たら、たいていの人はあたりまえだと思う。何故イコールが成り立つのかと理由を問われたら、だって両辺が(という用語を使うか、左も右も、と言うかの違いはあっても)どっちも12じゃないかと答えるか、かけ算では交換法則(という専門用語を忘れていなければ)が成り立つから、と答えるだろう。さらに、左辺の3と右辺の3は同じか、と問われたら、同じに決まっているじゃないかと答えつつ、何か落とし穴があるのか、だから数学は嫌なんだと不審感を顔に浮かべるだろう。  確かに、3×4=4×3であるように、3=3であり、4=4である。 しかし、×の左(前)にある左辺の3は「かけられる数」と言い、×の右(後)にある右辺の3は「かける数」と言う(同様に、左辺の4は「かける数」、右辺の4は「かけられる数」)と、小学2年の秋に教わったことになっているが、覚えている人は少ないだろう。(「かけられる数」は、後に「被乗数」、「かける数」は「乗数」と教わる。)  つまり、3×4=4×3 の式は、3と4の数の意味も明記すれば、  被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 となる。 (中略)  かけ算を「同数累加」で教えていた時代(1980年代半ばまで)は、被乗数は同数累加の「同数」、乗数は「累加数」であった。つまり、   3×4=3+3+3+3=●●●+●●●+●●●+●●●   4×3=4+4+4=●●●●+●●●●+●●●● ということだった。左辺の3は、●●●というモノの個数であり、右辺の3は、●●●●というモノを加えるハタラキの回数となる。モノとハタラキでは大変な違いがある。しかも、乗数(かける数)は倍数のことだから、3×4は「3の4倍」、4×3は「4の3倍」となり、明らかに左辺と右辺の意味は違う。 (数行略)  日本の算数教育では、遠山啓が、かけ算を同数累加で「定義」することに反対し、3×4の答えを「3+3+3+3」で求めても「4+4+4」で求めてもよいと、同数累加をかけ算の答の求め方の一つにまで貶めた。(「6×4、4×6論争にひそむ意味」『遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5』114~121頁、初出は『科学朝日』1972年5月号)そして、現在の日本の算数教科書のかけ算の導入は、遠山の考えの線に沿っている。  (中略)  3×4=4×3 の交換法則の理解は、次の2通りとなろう。 (1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3(同数3×累加数4=同数4×累加数3) (2)因数3×因数4=因数4×因数3 (1)の左右の辺は異なる事態を表しているが、結果(積)が等しいから、等号が成立している。 (2)式の数は、(1)式の数の被乗数・乗数の意味を捨象して、数をさらに抽象化している。左右の辺で表された事態は同一の事態であり、表記の仕方が異なるだけである(結果は当然等しい)。 (中略)逆に(1)を具象化すると、次の(3)式になる。 (3)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3 (3)は、遠山啓らの数学教育協議会が1950年代後半から提唱した「量の理論」に基づく式である。「数」についての交換法則ではなく、具体的な「量」についての交換法則だから、(中略) いずれも左右の辺が表している事態は異なるが、かけ算の結果(積)が等しいから、等号が成立している。  左右の辺が表している事態が異なるということでは、(1)の場合と同様だが、(1)は抽象的な数の式だから、  被乗数3×乗数4=●●●+●●●+●●●+●●●  =●●●   ●●●   ●●●   ●●●  被乗数4×乗数3=●●●●+●●●●+●●●●  =●●●●   ●●●●   ●●●● と、合同なアレイ図でイメージすることができ、同一のアレイ図に対する分節(見方)の違いと解釈することが可能となる。つまり、被乗数を乗数に、乗数を被乗数に交換できるから交換法則が成り立つという理屈になる。  しかし、(3)式は、具体的な量の式だから、左辺と右辺の異なる事態はどこまでいっても異なる事態のままで同一の事態にはならない。「1あたり量」の数値を「いくら分の量」の数値に、「いくら分の量」の数値を「1あたり量」の数値に交換することはできない。(中略)こういう理屈から、銀林さんは、「1あたり量×いくら分」の乗法では「交換法則は成り立たない」と言った。(『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』11頁、2008年)つまり銀林さんは、「1人あたり3個×4人分」の式の数量を入れ替えて、「1人あたり4個×3人分」と書くと違った状況になるから、量のかけ算では交換法則は認められないと考えるようだ。  しかし、銀林さんの師の遠山啓は、「1人あたり3個×4人分」の状況でも「トランプ配り」を考えて「1回あたり4個×3回」と書けば「1あたり量4×いくら分の量3」の式を表せることを示した。(前掲論文、1972年初出)つまり、  1人あたり3個×4人分=1回あたり4個×3回 という形で、  1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3  という「量についての交換法則」が成り立つとしたわけだが、正直なぜこんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。(中略) 量についての交換法則は、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 で、良いではないか。 つまり、3×4=4×3 のかけ算の交換法則の伝統的な理解は、 (1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 だが、数については、 (2)因数3×因数4=因数4×因数3 量については、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 でいいのではないか。 (ここまでblog記事の引用) **以下関係するコメントから重要な論点を引用。 http://ameblo.jp/metameta7/entry-11800156726.html#cbox *2 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono1) >つまり、3×4=4×3 の式は、3と4の数の意味も明記すれば、 >  被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 >となる。 正しい。 >しかし、「かける数」という言葉はまだしも、「かけられる数」という言葉は、たいていの人は忘れているだろうし、言葉は忘れていなくても、3×4のいったいどっちが「かけられる数」で「かける数」かは途惑うだろう。 当たり前。ただ「3×4」と書いただけでは「どちらが乗数でどちらが被乗数かは明らかでない」。 小学校で算数を習ったときは「被乗数×乗数」としただけのこと。 【重要】だからといって「3×4も4×3もどちらも同じ。」というのはトンデモ。 然様なことを主張する思考停止した連中には以下の質問をしたい。 1)「どちらも同じ」の「同じ」とは如何いう意味か? 2)3×4や4×3と同数累加の関係はどう付けるか? 注)ひとつの数式表現に2つ以上の意味を付与することは(敢えてそう断らない限り)してはならない。 このことは数学または広く自然科学の議論をするときの原則である。 これがお分かりにならない方は「掛け算の順序」について意見を述べる資格はない。 >かけ算を「同数累加」で教えていた時代(1980年代半ばまで)は、被乗数は同数累加の「同数」、乗数は「累加数」であった。つまり、 >  3×4=3+3+3+3=●●●+●●●+●●●+●●● >  4×3=4+4+4=●●●●+●●●●+●●●● >ということだった。左辺の3は、●●●というモノの個数であり、右辺の3は、●●●●というモノを加えるハタラキの回数となる。モノとハタラキでは大変な違いがある。しかも、乗数(かける数)は倍数のことだから、3×4は「3の4倍」、4×3は「4の3倍」となり、明らかに左辺と右辺の意味は違う。 まったく正しい。 >そう言われて、3×4=4×3という式を見直しても、やはり左右の3や4にそんな違いがあるとは思えない。どう見ても同じ3であり、4である。 指摘が非論理的である。「違いがあると思えない。」という根拠が書かれていない。 3と4の順序が異なるではないか。「そんな違い」がある。 nomisuke 2014-03-20 20:29:38 *3 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono2) (上の続き) >日本の算数教育では、遠山啓が、かけ算を同数累加で「定義」することに反対し、3×4の答えを「3+3+3+3」で求めても「4+4+4」で求めてもよいと、同数累加をかけ算の答の求め方の一つにまで貶めた。 >(「6×4、4×6論争にひそむ意味」『遠山啓著作集・数学教育論シリーズ5』114~121頁、初出は『科学朝日』1972年5月号) これがまったく事実であるなら、確かに遠山はおかしなことをしたのだと思う。 ただ好意的に言うならば「一つ分×いくら分」という言い方によって「一つ分」に対する「いくら分」をハタラキの数と(そのハタラキを数学的に明示せずに)意識したかったのではないか。これは想像である。 >被乗数・乗数という概念が不要であることは、素因数分解の場合にはっきりする。 >  30=2×3×5 >のように、素因数が3つ以上ある場合に、因数を被乗数・乗数に区別することは無意味である。であるならば、 >  6=2×3 >と素因数が2つの場合にも、被乗数・乗数を区別することは無意味であろう。 当たり前。ただし貴殿の書き方はおかしい(又は意図的に過ぎる)。 「被乗数・乗数という概念が不要であることは、素因数分解の場合にはっきりする。」 ではなく 「被乗数・乗数という概念が不要な場合があることは、素因数分解の場合にはっきりする。」 とすべきだろう。もし貴殿のような言い方をすれば 「被乗数・乗数という概念がいかなる場合にも必要であることは、饅頭3個5皿の場合にはっきりする。」 という非論理的言い方も許されることになる。これは 「被乗数・乗数という概念が必要な場合があることは、饅頭3個5皿の場合にはっきりする。」 とすべきなのは言うまでもない。(続く) nomisuke 2014-03-20 20:31:32 *5 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono4) (上の続き) >左右の辺が表している事態が異なるということでは、(1)の場合と同様だが、(1)は抽象的な数の式だから、 >被乗数3×乗数4=●●●+●●●+●●●+●●● >=●●● > ●●● > ●●● > ●●● >被乗数4×乗数3=●●●●+●●●●+●●●● >=●●●● > ●●●● > ●●●● >と、合同なアレイ図でイメージすることができ、同一のアレイ図に対する分節(見方)の違いと解釈することが可能となる。つまり、被乗数を乗数に、乗数を被乗数に交換できるから交換法則が成り立つという理屈になる。しかし、(3)式は、具体的な量の式だから、左辺と右辺の異なる事態はどこまでいっても異なる事態のままで同一の事態にはならない。「1あたり量」の数値を「いくら分の量」の数値に、「いくら分の量」の数値を「1あたり量」の数値に交換することはできない。(さやえんどう型で、さやの外枠を外すことができないから、アレイ図のようにさやの数と1つのさやの中の豆の数を交換して見ることができないということになる。)こういう理屈から、銀林さんは、「1あたり量×いくら分」の乗法では「交換法則は成り立たない」と言った。(『算数の本質がわかる授業②かけ算とわり算』11頁、2008年) これは(何処かに明記された)銀林の考えか?メタメタさんの考えか? 何れにしろ意義がある。要するに「(1)も(3)も左右の辺の表わす「事態」は異なるが、(1)はアレイ図の合同という説明がつくのに対して、(3)は「然ういう」簡便な説明が思いつかない。其れ故に~」という議論ではないか。これは「思いつかないから」ちがう。と言っているに過ぎない。非科学的である。(続く) nomisuke 2014-03-20 20:36:01 *6 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono5) (上の続き)【今回のコメントの中心的部分】 >しかし、銀林さんの師の遠山啓は、「1人あたり3個×4人分」の状況でも「トランプ配り」を考えて「1回あたり4個×3回」と書けば「1あたり量4×いくら分の量3」の式を表せることを示した。(前掲論文、1972年初出)つまり、 >  1人あたり3個×4人分=1回あたり4個×3回 >という形で、 >  1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3  >という「量についての交換法則」が成り立つとしたわけだが、正直なぜこんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。 これは正に小生が上に書いた批判に答えたのではないか。「正直なぜこんな面倒なことをしなければならないのかと思ってしまう。」というのは理解が浅い。きちんと論理的な道筋に沿った議論だ。そう理解しないと遠山がトランプ配りを持ち出した理由は理解出来ないだろう。斯く言う小生も「今回の貴殿の解説」を読んでやっと「遠山が何故トランプ配りなどという屁理屈を持ち出したのか」が理解できた。貴殿が今回書かれたこういう文脈で持ち出したのであるのだから「屁理屈」でも「こんな面倒なこと」でもない。筋が通っている。また、「貴殿が今回書かれたこういう文脈で持ち出したのであるのだから」遠山のトランプ配りにそれ以上の意味を探してはならない。(それ以上の意味に用いる=「掛け算順序否定派」の連中がやっていること。) 分かったこと:遠山が「トランプ配り」を持ち出した正しい文脈。掛け算順序否定派の連中はその文脈を無視して単に何処かで読んで知ったこととして「トランプ配り」を持ち出しているだけだから「ハナシが通じない」。思考停止しとるから当然のこと。 nomisuke 2014-03-20 20:39:58 *7 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono6) (上の続き) (中略) >量についての交換法則は、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 >で、良いではないか。 駄目だ。根拠なしである。 >つまり、3×4=4×3 のかけ算の交換法則の伝統的な理解は、 >(1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 >だが、数については、 >(2)因数3×因数4=因数4×因数3 >量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 >でいいのではないか。 駄目だ。根拠なしである。 nomisuke 2014-03-20 20:42:27 *8 ■論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) >つまり、3×4=4×3 のかけ算の交換法則の伝統的な理解は、 >(1)被乗数3×乗数4=被乗数4×乗数3 >だが、数については、 >(2)因数3×因数4=因数4×因数3 >量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3 これが正しく「論理的」な考え方。これ以外は非論理的であろう。 nomisuke 2014-03-20 21:11:37 *11 ■Re:論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) nomisukeさん >「量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3」 すると、タコ3匹の足の数について、3×8の式を書くと、 3本/匹×8匹 と解するということですか。 メタメタ 2014-03-20 22:49:58 *18 ■Re:Re:論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) メタメタさん >「量については、 >(4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3」 >すると、タコ3匹の足の数について、3×8の式を書くと、3本/匹×8匹 と解するということですか。 小生は、貴殿の「提案」 「量については、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=いくら分の量4×1あたり量3 とすればよい。」 には何の「数学的根拠」もない故採用する必要なし。正しい交換法則は 「量については、 (4)1あたり量3×いくら分の量4=1あたり量4×いくら分の量3」 である。と述べたまで。 「タコ3匹の足の数について、3×8の式を書くとき」どう解釈するかというハナシはしていない。が。貴殿がお望みなので解説する。タコ3匹の足の数は  1当り量=8本  いくら分(ハタラキの数)=3 で  8×3 だ。交換法則を使うと  8×3=3×8 もしどうしても右辺を量の演算と思いたければ  8本×3=3本×8 でよい。ただし3本はタコの足ではない。単に3本という「本数」だ。コレこそ貴殿等の好きな「抽象化」であるよ。タコのことは忘れ給え。笑。 nomisuke 2014-03-20 23:25:19 *28 ■Re:Re:Re:論理飛躍満載に見えるが。。。(sono7) nomisukeさん >「3本はタコの足ではない」 了解です。 朝日新聞の「ハナマル先生」で、3×8の式を書いたら生徒がいたら、黒板に3本足のタコの絵を書いた先生は間違っているということで意見が一致しました。 次は、3×8の式を書いた生徒は、3匹×8本/匹の意味で書いたのであり、この式を数学的に間違いだとする理由はどこにあるのか、と議論に入れます。 3×8=24 でタコの足の総数を24本とする計算のどこにも数学的な不都合はありません。 メタメタ 2014-03-21 01:28:08 *32 ■蛸の足 >次は、3×8の式を書いた生徒は、3匹×8本/匹の意味で書いたのであり、この式を数学的に間違いだとする理由はどこにあるのか、と議論に入れます。 いや入れないな。其の前に まづ3×8がどういう意味で書かれたのかはその式からは推測出来ないことは承知していることをお断りする。したがって「3×8だけを見て」「この式を数学的に間違いだとする」かどうかの議論は(少なくとも小生にとっては)無意味である。 んで。3匹×8本/匹について議論する前に  8本×3 等について正しい結論を出すべきだね。 トランプ配りのように数え方を変えて議論するのも意味無し。以下蛸の足8本をセットとして数える場合の式について述べる。 小生の意見(=正しい結論)は以下の通り。 8本×3 ◯ 3本×8 ❌ 8×3本 ❌ 3×8本 △(m×3=m+m+mとしたのなら❌)(3×m=m+m+mとしたのなら◯) 四番目のものは◯の場合があるから◯とは言えない。 これ以上付け加えることはないが、上の意味の掛け算において3×8も8×3もどちらでも同じ(阿呆な連中故「どっちでも同じ」という言葉遣いをする(笑))というのはトンデモであることはしつこく言っておく。 nomisuke 2014-03-21 18:09:10 *77 ■Re:Re:奇妙な算数限定ルール Sparrowhawkさん >小学校でも中学でも一般社会でも >☆:かけ算とは1あたりからいくら分を求める計算であるとし,(その計算を)「1あたり×いくら分」と表記するとき「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違い まったくその通り。(詰まらんケチのつかんように表現を勝手に改めたが御容赦いただきたい)。 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違いではないと主張する「掛け算順序否定派」の連中の論拠は、これまで観察した所 1)「1あたり×いくら分」と表記するのはローカルルールだから。 又は 2)数学の仕組みとして、「2×8本」も「8本×2」もどちらも同じであるから。 のどちらかであろう。 1)はそもそも☆で言っている事を「論理的に」理解していない。 そう反論されると2)を持ち出す。ところが「2)が正しく☆は間違い」とする事自体「数学の仕組み」に則っていない。 即ち1)を主張するのは「非論理的」なことと「論理的」なことの区別のつかぬ連中。2)を主張するのは「数学の仕組み」における論理性が理解できぬ連中。どちらもどうしょうもない。 >「教師が考えた「小学生のためのルール」を全小学生に強制している。」 >というシュプレヒコールだけが空っぽの空間に谺する。 nomisuke 2014-03-24 07:59:17 *78 ■Re:Re:Re:奇妙な算数限定ルール nomisukeさん もうひとつあります。 「1あたり」は「1匹あたり」と解釈しないことも可能である。いわゆる「トランプ配り」と言ってきたものです。 nomisukeさんもコメント18でこの考え方をご理解いただけたものと、私がコメント28で朝日新聞報道のハナマル先生の教え方の間違いについて「意見の一致」をみたと書いたものです。 この観点を落とされたのは、単なるミスなのか、今までの数年間の議論をきちんとフォロウされていないのかのどちらかでしょう。 (以下略) メタメタ 2014-03-24 13:30:01 *79 ■Re:メタメタさん メタメタさん 「この観点を落とされたのは、単なるミスなのか、今までの数年間の議論をきちんとフォロウされていないのかのどちらかでしょう。」 小生が(貴殿との対話が始まった時点で)その観点に引導を渡したことをお忘れか?貴殿もそれを諾としたではないか。 1)以上に「明後日の方向」を向いた観点故すっかり忘れておった。というのが正直な所。 「掛け算順序否定派」の連中のチマチマした「非論理的」論拠を網羅的に分類して承知するほど酔狂ではない。「今までの数年間の議論」といっても1)と2)そして今回御指摘のあった3)の繰り返しだろうがな。こちらから見ればその繰り返しに過ぎん。 それはさておき。「もうひとつあります。」という以上これで全部だろうな? 文句が出んように、付け加える。御指摘に感謝する。 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違いではないと主張する「掛け算順序否定派」の連中の論拠は、これまで観察した所 1)又は 2) 又は 3)トランプ配りとして考え「1当り」を「蛸一匹当り」と考えない場合は「2本×8」となる。 の何れかであろう。 これでよろしいか。文句はないかな?笑。 んで。この3)も1)と同様☆で言っている事を「論理的に」理解していないだけ。3)を主張するのも「非論理的」なことと「論理的」なことの区別のつかぬ連中である。よおく御覧なさい。☆では 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違い と言っているのである。 nomisuke 2014-03-25 01:17:04 *80 ■追記(ホソク説明) ホントに分からんのかもしれんと心配になった。(メタメタ氏以外の読者もおられるかもしれん)。 よろしいか。☆では 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違い と言っているのである。トランプ配りをして蛸の足を切って配り直しても 「1匹あたり8本の2匹分の足を2×8本と書く」のは間違いではない とどうして言える?以前はお分かりであった(左様なお返事をいただいた)ハズであるが、今回は(笑)お分かりにならんのか? 小学生でも分かる理屈(ロンリ)であるゾ。 お分かりであれば「分かった」 お分かりでなければ「分からん」 間違っていると思うのであれば「何処がどう間違っているか」お返事いただきたい。 nomisuke 2014-03-25 01:25:18 *82 ■トランプ配り フォロウしとらんワケではない所か、そんじょそこらの「掛け算順序否定派」より余程「トランプ配り」の意味が分かっていることを書いておく。もっともこれは貴殿に御教示いただいたことだ。  2×3=3×2 はアレイ図で説明できるが  2本×3=3本×2 を直接「一つ分×いくつ分」の意味で説明するのは難しかった。銀林はできないと思っていた。そこで遠山が「トランプ配り」を考えれば 上の交換法則も「一つ分×いくつ分」の意味で説明できるとした。もっとも「直接的説明」とは遠山も言っていなかった。しかしアレイ図に書かなくても説明できるとした。 &u(){「トランプ配り」の位置付けはこうであった。} &bold(){それを分かりもしない連中が}「トランプ配りで考えると」  2×3 も 3×2 もそもそも同じ事(笑)それ故  2本×3 も 3×2本 もそもそも同じ事(笑)&bold(){などとトンデモ解釈に誤用し始めた。}これが「掛け算順序否定派」の現状。まったく非論理的。まったくのトンデモである。 nomisuke 2014-03-25 01:58:17

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