僕の代わりに覚えておいて

掛け算の順序問題について(オリジナル記事再掲)

2011/7/22
「掛け算の順序問題について」の僕の記事のみ再掲します。前の記事が荒れたので、この記事に関するコメント・トラックバックは受け付けません。これはただの記録です

掛け算の順序問題について(山のように追記あり)
いくつものブログやツイッターで「掛け算の順序」が話題になりました。
これについて、すでに少々時間が経ってしまったきらいはあるのですけど、考えたことなど、書いてみます。

問題の発端は、ある小学校での掛け算の文章題です。実際の問題はトリッキーな引っ掛け問題になっていて、そこについても議論があり、それはそれで重要です。でも、ここでは素直な問題になおして考えることにします。

問題「リンゴが3個置かれた皿が5枚ある。リンゴは全部で何個か」

これを掛け算で解くわけです。答はもちろん

式: 3×5 = 15 答:15個

でいいのですけど、これを

式: 5×3 = 15 答:15個

と書いたらどうか。
掛け算には交換則が成り立つので、どちらでも正しいはずです。ところが、解説によれば「式を作る」段階では後者は誤りなので「ダメ」とのことでした。
どうも、初等教育の一部では、交換則が成り立っていても、式を作る際には決まった順序がある、という了解事項があるようです。これを「ダメ」にしない先生もいるので、必ずしも絶対的な決まりではないのですが、いっぽうには強硬に「ダメ」と考える先生もおられる。ダメとする理由は、要するに「逆に書くのは掛け算の考えかたがわかっていない証拠だから」ということみたいです。

これはいくつかの問題を含んでいます。とりあえず、大前提として、3×5 = 5×3 は明らかなので(これも明らかでないと言うような「高尚な」話はここではなんの意味もない)、それを踏まえてもなお(1)文章題から掛け算の式に直すときに、「正しい順序」などというものがあるのか(2)書く順序で「考えかた」が測れるのか、のふたつが問題でしょうか。しかし、おそらく(2)は「無理」でしょう。考えかたを知りたければ、きちんと言葉で書かせればいいわけで、なにも式の順序なんかで測る必要はありません。というわけで、ここでは(1)の問題をとりあげます。

なお、元の話は逆順の答案にバツをつけたというものなので、「バツ」の意味をどう捉えるかという議論もあります。バツをつけてから理由を説明すればいいとか、いろいろな意見があります。しかし、僕の意見は「どちらの順に書いても、無条件に正しい」です。どんな意味の「バツ」もありえず、「無条件に正しい」です。

この「掛け算の順序問題」は何十年も前から時折盛り上がる議論のようです。ただ、昔は「掛ける数」「掛けられる数」の順序の議論だったのに対し、今は「いち単位あたりの量」と「いくつ分」の順序の問題になっているのですね。

どうやら、現在の掛け算教育はいわゆる「水道方式」の考えかたに基づくようです。水道方式が強く批判されていた時代を思い出すと、隔世の感・・・って、あまりよく知りませんが。
そこで、水道方式による教えかたについて、遠山啓などの書いた本にあたってみました。古書店で立ち読みしたので、文献は引用できません。すみません。

水道方式以前の方法では、「累加」つまり「3を5回足す」という意味で掛け算を導入します。水道方式の説明では、このやりかたでは「0回足す」や「1回足す」に出会ったときにつまづくのが問題、とされているらしいのですが、それは累加で教えない理由としては瑣末にすぎるように思います。もっとも、遠山の考えはもっと深いところにあるようで、「量の概念の導入」が強調されています。

水道方式では掛け算を

「いち単位あたりの量」×「いくつ分」

で導入します。上の問題でいうと「皿一個あたりのリンゴの数」×「皿が5枚」です。遠山の本では、式の書き方はいろいろありうるが、単位あたり量であることがわかるように「単位」を書くのがいいだろうというふうに書かれていました。つまり

式: 3(個/枚)×5(枚) = 15(個) 答:15個

みたいな感じ。こういうふうに単位(というべきかどうか)を書けば、何をしたかは明らかなので、

式: 5(枚)×3(個/枚) = 15(個) 答:15個

でも考えかたはわかります。もっとも、遠山の本では順序を慎重に守っていて、逆順の例は見つかりませんでした。たぶん、遠山自身は「この順序で定義した」と考えているのでしょう。ただ、「逆ではいけない」とも書いていないようです。どのみち、すぐに交換則が導入されます。

いっぽうで遠山は逆順も間違いではないことを指摘しています。といっても交換則を使うのではなく、「いち単位あたりの量」×「いくつ分」の順番は変えない。僕が見た例では、うさぎの耳を挙げて、「1匹あたり耳は2」×「5匹」でも「片耳が5」×「両耳分」でもいいと説明していました。たとえば今の例では、「リンゴを1個ずつすべての皿に1回配る」×「配った回数」と考えてもいいということです。少なくとも、このふたつの考え方に優劣があるわけではなく、どちらでもいいというのが遠山の考えだと思います。
これは「交換できるんだから、どちらでもいい」という僕の意見とは違うのですが、しかし、「順序は任意」であることには違いないようです。

いずれにしても、これはあくまでも掛け算の「導入時」の教え方の問題です。初めて掛け算を習うときには、いろいろつまづく点があるので、どのように教えるのが最もよいかについては、長い議論があります。結果として今は水道方式が主流なら、それはそれでいいのだと思います。僕にはそれ自体を云々するだけの知識も蓄積もありません。
どのみち、「いち単位あたりの量」×「いくつ分」でいつまでも押し通すわけにはいかないし、よしんばがんばってそういうロジックで通したとしても、それほどいいことはないでしょう。分数×分数を無理やりそのロジックで説明しようとするのが、建設的とも思えません。あくまでも導入時の論理だと思います。

しかし、どのように導入しようと、3×5 = 5×3であるという事実は変えようがありません。交換則を習おうが習うまいが、交換則は成立しています。「実数同士の掛け算は順序によらない」は「習ったから成立する」というものではなく、実数の掛け算の基本的な性質ですから。
文章題を数式に直すときには順序が決まっている、などというのは、誰かが勝手に言っているローカルルールに過ぎません。これは「日本だけのルール」それも「日本の初等教育だけのルール」です。最初の教え方としてはかまいませんが、日本だけのルールを「正しいルール」であるかのように押し付けられては困ります。
3×5と書いていいものは、5×3と書いてもいいはずです。それは、なんの留保条件もなく「正しい」はずです。正しいものを「なんらかの意味で適切ではない」とする教え方がいいとは僕は思いません。交換則を習っていようが習っていまいが、正しいものは正しいので、これはどうしようもありません。
僕が言っているのは、「本当は順序が決まっているが、考えかたさえ合っていれば、逆順でも正解にすべき」とかいうことではなくて、「無条件にどちらも正しい」です。「どちらがより適切」もありません。どちらも同様に適切な解です。
もし、考えかたが正しいかどうかを知りたいから順序を気にすると言いたいかたには、「どちらの順序で書いてあったとしても、それだけでは考え方が正しいかどうかなどわからない」と言っておきます。「正しい」順序で書いているからといって、考え方が正しいかどうかなんてわかりません。


ところで、この話の議論を見ていると、中には「割り算や引き算には順序があるから、足し算と掛け算も順序をつけたほうがいい」と主張する人もいました。これはあんまりだと思うので、それでは「ダメ」と言っておきます。実数の足し算と掛け算が順序によらないのは、基本的性質です。割り算や引き算には順序があり、足し算と掛け算は順序によらない、と教えるのが筋です。
さらに謎な意見としては、実数なら順序によらないが、行列では掛け算も順序によるのだから、順序があると教えておいたほうがいいというものもありました。小学二年生に掛け算を教えるのに、行列のことまで考える意味がどこにあるのかまったく理解できませんが、「実数なら交換できて行列なら交換できない」と教えればいいだけのことです。他の問題を持ってきてもしかたありません。
ちなみに、行列だって転置してしまえば逆順にできます。実数の掛け算を逆順に書くことが、行列では「交換」にあたるのか「転置」にあたるのかは、決まっていません。

いずれにしても、掛け算の交換則は小学二年で習います。つまり、割り算や引き算や行列の例をどれほど持ち出したところで、小学二年のうちに、「掛け算は順序によらないもの」と教えられるのです。この手の「割り算や引き算は」とか「行列は」とかいう意見は、本題とはまったく関係ない議論であるわけです。

[追記]
「順序をつけて教えるな」と言っているわけではありません。最初は順序を決めたほうが子どもが理解しやすいというなら、それでいいのだと思います。問題は、「そのように教えたから、それ以外の解は適切ではない」という考えかたです。どのように教えようと、「正しい解は正しい」としか言いようがないので、教えた順序で書かなくてもなんら不適切ではありません。
順序をつけて教えれば、交換則を習う前なら、大多数の子どもは教えられたとおりに書くでしょう。しかし、中には違う書き方をする子もいるわけです。それは、交換則を知っているからかもしれないし、違う流儀を好んでいるからかもしれません。もちろん、なにか勘違いしているかもしれない。でも、教えられたとおりに書いたって、勘違いしているのかもしれない。
だいじなのは、「どう教えたにしても、それ以外の書き方も正解である」ということで、「正しいものは正しい」で話は尽きています。

[追記]
たとえば、小学生レベルの算数では○でも大学生の数学なら×になるような例はいくらでもあります。これは、高度な数学を習うにつれて、要求が精密になるからです。しかし、小学生レベルの算数で×だったものが大学生の数学では○などということは、あってはいけないはずです。

[追記]
えーっとね、「試験で×にされた」とか、そういう話をしたいわけではないんですよ。「ひと皿に3個のリンゴ、皿は5枚」という設定が試験に出ようが出まいが、そんなことは瑣末なので。
問題にしたいのは、それを「3×5」と書くか「5×3」と書くかには「決まりがある」と信じている人が少なからずいることです。実際にはそんな決まりなどどこにもなく、「3×5でも5×3でもよい」です。そんなものは自分の好き嫌いで決めればいい。
実際は「どちらでもいい」なのに、「どちらでもいい」ことを嫌って「いっぽうが正しい」と言う人が少なからずいることに危機感をおぼえているのです

[追記]
上に、今は「いち単位あたり量」×「いくつ分」と教えるらしい、と書いたとおり、掛け算の「意味づけ」はそのときどきの「教育界での主流」によって変わるようです。この事実ひとつだけでも、「意味づけ」が単に「教えるための便法」であることは明らかです。それは掛け算の本質とは別の「教え方」の問題にすぎません。教える際の意味づけはひと通りではないし、そしてその「意味」はいつまでも引き摺ってはいけないものなのです。
「教えるための便法」とさえ認識していれば、こんなわけのわからない問題が起きるはずはないんですけどね。
いったんそう決めてしまうと、それがドグマになってしまい、なぜそう決めたかという本質的な理由が見失われてしまうということでしょう

[追記]
黒木さんもだいたい僕と同じこと(だと思う)を書いていました
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/LaTeX/20101123Kakezan.htmlLink
僕と違って、懇切丁寧

[追記]
難しい数学の話はしていません。
掛け算を最初に習う小学二年で交換則も教えられます。ですから、小学校で習う掛け算は「可換な演算」です。また、整数以外の掛け算も小学生のうちに習います。その程度の範囲での話です。
また、小学生は演繹的な証明を求められません。「交換則を証明する前に使ってはいけない」という意見もツイッターで見ましたが、そもそも小学生は証明しません。そういう小学生に何を求めているのかわからない議論は、この話とはなんの関係もありません。

[追記]
「数学的に正しいものは正しい」という書き方を過剰に読み取ろうとするかたが少なからず(コメント欄だけではなく)おられるようなのですが、「数学的に正しい式なら何を書いてもいい」などというナンセンスな話はしていません。数学的に正しい式だけを並べて「数秘学」を行うことはいつでも可能ですが、それはナンセンスです

— posted by きくち at 11:21 pm

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最終更新:2014年05月10日 00:44
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