明治維新第一世代 | 明治維新第二世代 | 明治維新第三世代 | 大正期以降 | |
体制派(政府) (開明派=親英米派) |
大久保利通 | 伊藤博文・山県有朋 | 桂太郎 ※西園寺公望はフランス留学後にリベラル化 |
⇒日本の保守の源流 (*5) |
‡征韓論で対立(*1) | ‡対大陸方針を巡り対立(*2) | |||
反体制派(在野) (攘夷派=親大陸派) |
西郷隆盛 | 頭山満 (玄洋社、戦前の在野右翼の巨頭、アジア主義) |
内田良平 (黒龍会、大陸浪人) |
⇒日本の右翼の源流 |
∥不平等条約改正問題で共闘(*3) | ‡日露戦争への対応を巡り対立(*4) | |||
中江兆民 (ルソー『民約論』紹介者、『平民の目覚まし』) |
幸徳秋水 (平民新聞、のち大逆事件で刑死) |
⇒日本の左翼の源流 |
(*1) | 征韓論は、本来は同じアジアの隣邦である朝鮮・支那と結んで欧米列強に対抗することを目指した政論(=後のアジア主義(大アジア主義)であり、「朝鮮がそれに同意せず日本の足手まといになってしまう場合は、已む無く討つ」とするものだったが、戦後の教育では「朝鮮を討つ」とする部分だけを切り取って「明治維新政府の朝鮮侵略の野望」と一方的に歪曲して記述されている。 |
(*2) | 伊藤博文ら政府側は、清朝の明治維新を手本とする改革(立憲君主制の樹立)を支援。一方、頭山・内田ら在野右翼は、孫文らの中華革命派を全面的に支援して対立した。 ⇒頭山・内田や孫文らの日本政府の制止を振り切っての革命運動が一時的に実って、辛亥革命が起こり清朝が滅亡したが、その後の大陸情勢は混迷を極め、日本が大東亜戦争敗戦に至るまで大陸に深く関わらざるを得ない事態を招いた(「同種同文」幻想に基づく「アジア主義」が失敗の元凶⇒詳しくは 辛亥革命~中国近代化運動の実際へ) |
(*3) | 頭山満・中江兆民は共に西郷隆盛を政治の師と仰ぐ盟友であり、明治22年(1889)の黒田清隆首相・大隈重信外相の不平等条約改正案に強固に反対しこれを頓挫させた。 |
(*4) | 頭山の弟子筋の内田良平は日露主戦論を唱え、中江の直弟子の幸徳秋水は非戦論を唱えて、反体制派どうしで対立し、ここに日本の右翼・左翼の対立構図が出現。 |
(*5) | なお、日本のリベラル(自由主義)の源流は板垣退助(自由党)・大隈重信(立憲改進党)で、彼らは時宜に応じて伊藤・山県が中核を占める明治政府に参画・離脱を繰り返した。このほかフランス留学後の西園寺公望もリベラル。 |
(要点)
日本の右翼・左翼の源流は、共に西郷隆盛の 征韓論 にあり、支那・朝鮮などのアジア隣邦と結んで欧米列強を排除しようとする拡大された攘夷論(のちの「アジア主義」)がその思想の根底にあった。
⇒現在でも右翼・左翼とも、こうした排欧米的な主張を基本姿勢として根強く保持していることに注意。
団体・組織 | 事例 | 参考ページ | ||
① | 頭山満・内田良平の在野右翼 | ⇒ | 孫文の辛亥革命の最大の貢献者だったが、革命後に孫文にあっさり満州割譲の約束を反故にされる。 | 辛亥革命~中国近代化運動の実際 |
② | 近衛首相のブレイン(尾崎秀実・革新官僚) | ⇒ | 尾崎はコミンテルン工作員確定、革新官僚も怪しい人物多し。 | 当ページ下部参照 |
③ | 戦後のエセ右翼 | ⇒ | そのまんま外国人(約3割)。現在も日本を貶める活動に従事。 | エセ右翼の正体 |
④ | 日本共産党 | ⇒ | 結党時からコミンテルンの下部組織。戦後も各界に32年テーゼを信奉する隠れマルキスト多し。 | 日本共産党の正体 |
⑤ | 日本社会党(現、社会民主党) | ⇒ | 朝鮮労働党の友党。村山談話。その他反日活動多し。 | 旧社会党の正体 |
⑥ | 民主党 | ⇒ | 民団が全面的にバックアップ。朝鮮総連や支那系組織も密かに支持。破壊活動はこれからが本番。 | 民主党の正体 |
コミンテルン並に日本共産党に対する認識について コミンテルン即ち国際共産党はロシア革命の成功に伴い誕生したもので、ロシアに於ける一九一七年の二月及十月の両革命を期としロシア共産党が政権を獲得するに及んで革命の指導者たるレーニンは第二インターナショナルとは全く別個に世界各国の共産主義者の参加を得て一九一九年三月モスコーに於て第三インターナショナルを結成したのであって之が現在のコミンテルンであり其の本部をモスコーに置き、各国の共産党を支部として傘下に収めて居ります。コミンテルンは世界革命を遂行して世界共産主義社会の実現を目的とする共産主義者の国際的組織であります。即ちコミンテルンは世界各国の無産階級運動の指導部、参謀本部として多数の労働者農民を糾合し革命手段により資本主義社会機構を打倒し世界各国にプロレタリアートの独裁政権を樹立し全世界のプロレタア独裁国家の結合を創設し階級を徹底的に打破し以て共産主義社会の第一段階である社会主義社会を実現せんことを目的とした国際的結社であります。コミンテルンは此の目的実現の為革命の戦術戦略を規定し常に其の支部たる各国共産党を指揮統制しているのでありまして現に其の日本支部たる日本共産党に対しても昭和二年の所謂二七年「テーゼ」、昭和七年の所謂三二年「テーゼ」等、其の他を以て日本に到来すべき革命の性質を規定し日本に来るべき革命はブルジョア民主主義革命で其の革命は急速にプロレタリア革命に転化するものとし或は革命の性質は急速にプロレタリア革命に成長するブルジョア民主主義革命なりとして、天皇制の打倒をスローガンとすることを規定して居ります。従ってコミンテルンは世界革命の一環として我国に於ても共産主義革命を遂行して我国体を変革し、私有財産制度を廃止しプロレタリア独裁を樹立し此の過程を通じて共産主義社会を実現せんとするものであることは勿論であります。 コミンテルンの日本支部たる日本共産党は大正十一年佐野学、堺利彦、荒畑勝三等に依り結成せられましたが大正十二年夏所謂第一次日本共産党事件として検挙せられ次いで大正十五年十二月福本和夫、渡邊政之輔、三田村四郎等により所謂第二次日本共産党の組織が確立されましたが之亦昭和三年所謂三・一五事件として検挙され其後度々再建に次ぐに検挙が繰り返されて組織を破壊され茲数年来は国内に於ける党の活動は全く無力無活動の状況に在ると考えられます。日本共産党はコミンテルンの支部として其の指揮統制下にコミンテルンの目的とする世界共産主義社会の実現の為日本に於て革命を遂行し我国体を変革し私有財産制度を廃止しプロレタリア独裁を樹立し此の過程を通じて我国に共産主義社会を実現せんとする結社であります。 ゾルゲ諜報団の本質及目的任務について 吾々の諜報活動はゾルゲを中心とした一団の活動でありますが、私の上海以来の経験判断からすれば此の一団はコミンテルンの特殊部門たる諜報部門とも称すべきものの日本に於ける組織である事は明瞭でありました。其の理由は上海に於けるスメドレー女史の交渉から此のグループに参加するに至った事、鬼頭銀一事件の調書を入手して読んで見ると同人がコミンテンルンの命に依り活動した旨が明になっている事、吾々のグループの各人の国籍が雑多である事、米国共産党員なる宮城(与徳)が参加して居た事等から斯様に判断したのであります。其の後日本に於けるゾルゲとの永い交際の結果、屡々狭義のソ連防衛の意味の諜報が要求されて居るのを知りましたので私達の蒐集した情報はソ連政府にも直接利用せられて居るのではないかとも感じて居りました。 (以下省略) |
近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。 近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。 ①「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること、 ②一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを支援していること、 ③「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること、 ④米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを考えるものも出てきていること、 以上から近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている、と結論づけている。 |
大日本帝国は、立憲自由主義議会制デモクラシーを開花させ、精強な陸海軍力を保有していたにも拘わらず、尾崎秀実を幕僚とする近衛内閣が出現するや忽ち破滅への道を歩み始め、わずか八年で明治維新以来蓄積してきた国富を失い焦土と化したのである。
国家権力(司法、立法、行政、統帥、報道に浸透する共産主義勢力の諜報謀略活動は、国家の死命を制する恐ろしい魔力を秘めている。
GHQによって破壊されたスパイ防止法を始めとする防諜能力の再生強化を怠った戦後日本の経済繁栄は、いつ消えてもおかしくない風前の灯火、砂上の楼閣にすぎず、我が国の生命は累卵の危うきに瀕しているのである。