30 :パトラッシュ:2012/07/23(月) 20:26:09

<トリューニヒト・ノートについて>

 自由惑星同盟最後の指導者となったヨブ・トリューニヒトについて、同時代人の評価は毀誉褒貶さまざまなものがあるが、彼の支持者と同様に彼を強く排斥する者も、その卓越した政治的嗅覚と洞察力は(多分に嫉妬交じりながら)認めていた。トリューニヒトは常に同盟市民が何を求めているか的確に読み、それがどのような結果をもたらすか冷徹に分析し、どうすれば自分はそこから最大の政治的利益を得られるのか見通すことにかけては比類ないプロであったからこそ、同盟の最高権力の座にまで上り詰めたのだ。反トリューニヒト派として知られるヤン・ウェンリー提督が「もしトリューニヒト氏が銀河帝国に生まれていれば、たとえ農奴の息子であっても皇帝すら支配する権力者になりおおせただろう」と、先輩で友人でもあるアレックス・キャゼルヌ中将に語っていたが、トリューニヒトの才能を認めていなければ出てこない発言であり、逆説的な高評価といえよう。

そのトリューニヒトがなぜ大日本帝国と内郭連合に対して、公然たる内政干渉であるトリューニヒト・ノートを政府として出したのか。これが「日銀同盟」との最終戦争を引き起こして同盟滅亡と自らの死をも招いた以上、トリューニヒトらしからぬ政治的大失敗であり、その決断理由が問われる。当時の彼は記者会見などでは政府の公式論しか述べておらず、銀河帝国軍に逮捕され「不逞なる叛乱軍どもの首魁」として処刑されるまでの間に、自ら下した決断に関する資料や発言も残しておらず、あったとしても銀河帝国側は公表していない。従っていかなる証拠や証言、証人もないが、彼がどのような思考の果てにあの決断に至ったのか、同盟末期の政治的・社会的状況から、ある程度の推測は可能である。

 第一に、トリューニヒト政権成立当時、同盟の経済状況が極めて悪かったことがある。長年の銀河帝国との戦争で疲弊した同盟経済は軍事偏重の形に歪に変形し、特に民生技術は大きく遅れていた。軍隊に働き盛りの人材を取られ、その多くが戦争で死傷したため中間層・テクノクラート層が育たず、貧富の格差が拡大して消費も低迷し、財政は危機的状態に陥って久しかった。しかるに大日本帝国と内郭連合では、銀河帝国の成立期からほぼ一貫して戦争を経験せず、経済的発展に集中できる状態が続いていた。

このため、日本との交易を開始した同盟経済界はほどなく、そのあまりに大きな経済的・技術的格差に愕然とした(この点はフェザーンも同じである)。しかし、いったん高性能で低価格な日本の科学技術製品を知ると手放せなくなり、国交樹立後数年で巨額の対日貿易赤字を抱えるに至った同盟経済界には、日本との交易を続ければいずれは飲み込まれてしまうと危惧する声が高まり、いっそ日本の優れた経済力・技術力を実力で奪ってしまえという「帝国主義的な」欲望が膨れ上がっていったのだ。

31 :パトラッシュ:2012/07/23(月) 20:26:54

 第二に、当時の大日本帝国と内郭連合が巨大な宇宙要塞を同盟との国境宙域に展開していたものの常備の宇宙艦隊は同盟に比べ少なく、軍事力自体は同盟の半分以下だと同盟軍部や市民に思われていた。一朝有事の際には艦隊を一挙に十倍以上に拡大できる技術力があると知らなかったためであるが、一方、同盟は帝国に比べ人口が半分以下ということもあり、百五十年に及ぶ戦争で軍事的には常に劣勢を強いられ続け、ダゴン星域の会戦とブルース・アッシュビー提督の時代を除いて負け続けていた。こうした閉塞状況を打破するため「大日本帝国を打倒してその経済力・技術力を支配下に置き、国力を増強させて近い将来に銀河帝国を滅ぼす」という、まことに自分勝手で都合のよい安易な筋書きが同盟市民の前に提示され、多くの市民が与野党を問わず夢を託したのだ。トリューニヒトも当然、いち早くそうした流れを読んで、「この世論に逆らうのは難しい」と考えたに違いない。

 第三に、大日本帝国を実質的に支配する夢幻会という秘密組織の存在が、トリューニヒトが最高評議会議長に就任後まもなく知られたことがある。対日侵略政策に惹かれる経済界の支持も厚かったトリューニヒトが、「そのような要求自体が恥知らずだ」と国民をたしなめられなかったのは確かだ。もしロイヤル・サンフォード前政権期であれば逆に強く反対したであろうと推測する声もあるが、民主共和制こそ最高だと数百年にわたり教え込まれてきた同盟市民から「非愛国的な政治家」と糾弾されかねない仮定である。

 当初、自由惑星同盟は大日本帝国を立憲君主国と認めて国交を樹立したが、それでもなお銀河帝国と日本を同一視する意見が、同盟市民の間には根強かった。ルドルフ大帝と銀河帝国へのアンチテーゼとして成立した同盟では、幼少時から強力な反帝国教育が実施されていたが、不利な情勢を強いられ続ける長年の戦争と毎年のように量産される戦死者が積もり積もった結果、当時の反帝国感情はアンチを通り越してヘイトの域にまで達していた。このため実質的な政治体制は異なったが同じ「帝国」を称し、しかも日本は銀河帝国打倒への協力を求める同盟側の度重なる要請を、一貫して拒否し続けた。日本側としては自分たちに利益のない他者の戦争に巻き込まれたくなかっただけだが、同盟では「結局、日本も帝政国家だから銀河帝国に心情的に味方しているのだ」と受け取る市民が多かった。憂国騎士団をはじめとする超国家主義者が、そうした考え方をネットで広めていたことは紛れもない事実であり、同盟議会でも同じ論理で対日批判を行う議員が相次いでいた。そうした時期に夢幻会の存在が知られたため、「やはり大日本帝国は立憲君主制を装った絶対主義国家だ」という短絡的な反日世論が一気に高まったのである。

32 :パトラッシュ:2012/07/23(月) 20:27:42

 従ってトリューニヒト・ノートは、当時の同盟世論と政治的潮流の「幸福な結婚」の結果生まれた嫡出子なのだ。その誕生は一部を除くすべての政治家・軍人・経済人・市民に、帝国において皇太子が誕生したような喜びをもって歓迎された。トリューニヒト・ノートが日本側に提示された段階でトリューニヒト政権の支持率が最高を記録し、その内容に対して有権者の九割以上が賛成した当時の世論調査の結果が、それを証明している。

 無論、トリューニヒトも同盟の完勝を無条件に確信していたわけではない。その証拠に今回、初めて公表されるが、彼は大日本帝国政府に対してトリューニヒト・ノートを提示した直後、腹心の部下であるウォルター・アイランズ駐日大使を通じて、近衛文麿首相に極秘の書簡を送っていた。その内容は以下の通りである。

『今回、自由惑星同盟最高評議会の名で大日本帝国政府に外交文書1366号(原注:いわゆるトリューニヒト・ノートの同盟側の正式名称)を送付せねばならなくなったことは、最高評議会議長として極めて遺憾である。私は初めて同盟政府特使として貴国を訪問して以来、一貫して両国の友好と平和を望んできたと断言できるし、その意志は現在も全く変わっていない。しかしながら私は国民の選挙によって権力を付託された立場にあり、国民の望む政策を拒否できる立場にはないことを日本側には理解してほしいと希望する。従って私は、今後の両国関係を円滑に進めるため、以下のような方策を提案したい。
① 同盟政府と日本政府は、今回の件は両国の外交的・経済的関係とは別個の問題であることに合意し、今回の同盟側の要請を協議する場を中立的立場の場所に設置する。
② 両国政府は今回の件をあくまで外交協議によってのみ議論し、軍事的方法は一切使わないことに合意する。
③ 日本政府は同盟政府に対し、停滞している科学技術供与交渉の再開と早期の妥結を約束する』

一読してわかる通り、軍事的方法は使わないなどと述べながら、実際は軍事力を背景にした帝国主義的恫喝外交により同盟側に都合のいい形で落としどころを探ることで前述の同盟側の諸問題を解決し、同盟軍部・経済界・市民に一定の満足を与えようというのがトリューニヒトの考えであったことは明白だ。彼は最初に大日本帝国を訪れた同盟代表団を率いて天皇陛下とも会見しており、その目で日本の実力を見ている。日本の軍事力が(誤解されていたように)同盟に比べて少なくとも相当苦戦するのは確実であり、「戦争なしで実質的な利益を得られるのならば」と、政治家らしい算盤をはじいたことを証明している。この秘密書簡には長く戦争を経験していなかった日本が、同盟との全面戦争に踏み切らず自分の提案に従って落としどころを探るだろうとの判断がにじんでいる。皮肉なことに彼は、日本政府の政治的理性を信頼していたからこそトリューニヒト・ノートを出したのだ。

33 :パトラッシュ:2012/07/23(月) 20:30:02

しかし、内政面では優れた政治家であったトリューニヒトも、対日外交については同盟市民並みに無知であった。先の近衛首相宛て秘密書簡も、日本が地球時代、列強に不平等条約を強制された歴史を再現するに等しいことを理解していない明白な「上から目線」であるし、アメリカ合衆国が提示した「ハル・ノート」を受けて日本が太平洋戦争に踏み切った歴史的事実を知っていたか疑わしい。いわばトリューニヒトは意識せず、日本にとってもっとも許せない行為をしてしまったのだ。日本政府がトリューニヒト・ノートを第二のハル・ノートとみなし、即座に国交断絶と在住同盟市民の追放を通告した際、誰よりもトリューニヒト自身が驚愕で声もなかったと、彼の補佐官が一部政治家に洩らしている。日本側の宣言が報道された後、トリューニヒトが市民に冷静になるよう何度も呼びかけている事実からも、その狼狽ぶりが知れる。しかし、激高する同盟市民と軍部が戦争へと突き進む中、即時開戦に消極的態度を示したトリューニヒトは与党議員からも「対日宥和政策をとるのか」と突き上げられる羽目に陥った。いわばトリューニヒト・ノートを出す前はヒューイ・ロングであり、出した後はネヴィル・チェンバレンになってしまったのだ。

ことここに至ってトリューニヒトは、ようやく自分の致命的な外交上の失敗を自覚したに違いない。日本侵攻作戦に同盟軍が大敗し、「日銀同盟」が結ばれて二正面作戦が必至になると、日本から追放され帰国したアイランズを国防委員長に据えて直接戦争を指導したが、もはや大勢は決していた。銀河帝国軍の侵攻を前に多くの政治家や高級軍人が首都を脱出する中、トリューニヒトだけは最後まで踏み止まり、帝国軍に逮捕され処刑されるに至る。彼の胸にいかなる思いが去来したか知るすべはないが、少なくともトリューニヒト・ノートを提示した責任者である自分が、日本に亡命を認められはしないと考えていたのは明らかであり、最後は最高指導者としての責務を全うしたといえる(実際、日本はサンフォード元議長や元情報交通委員長ウィンザー女史、元国防委員長ネグロポンティ、元統合作戦本部長ドーソン大将や元宇宙艦隊参謀フォーク准将、旧同盟議会議員ら高官数百人の亡命を拒否し、彼らの乗った艦船を追い返している)。しかし、結果責任で評価される限り、彼は亡国の指導者として人類の歴史に汚名を刻み続けるだろう。現在、銀河帝国新領土総督府(旧同盟最高評議会ビル)正面に掲げられた「征軍帝」ルードヴィッヒ一世の肖像画と、旧アーレ・ハイネセン像跡に建設された巨大なルドルフ大帝像が、その証人である。
――宙京帝国大学宇宙総合歴史研究所編著『自由惑星同盟滅亡史』第一巻序説第三節より

34 :パトラッシュ:2012/07/23(月) 20:33:16

※先日、KY様作「日銀同盟」の勝手な続編を投稿した際、あのしたたかで有能な政治家であるトリューニヒトが「トリューニヒト・ノートを出す」などという愚挙をするものか、いろいろな意見が出ました。

そこで「なぜトリューニヒト・ノートが出されるに至ったのか」というテーマで、「あり得たかも知らない歴史」を妄想してみました。

意見があればお寄せください。なお、wiki掲載は自由です。

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最終更新:2012年07月23日 22:35