428 :ひゅうが:2013/01/16(水) 16:39:40
――前項(日本大陸形成史)で考察したように、「巨大化したユーラシア大陸の一部を地球史的な大イベントに便乗し分裂させ『日本大陸』あるいは『日本亜大陸』を形成する」というアイデアには一定の賛意が得られたものと考える。
そこで今回は、形成されたであろう日本大陸およびその周辺の自然環境を考察し、それに影響されるであろう日本大陸世界の内実についても考察を広めてみたいと思う。

1、 日本大陸の気候誌

a 全景

日本大陸は前項でも記述したように、のちのユーラシア大陸となる超大陸パンゲアにくっついていた「バルティカプレート」「アムールプレート」「オホーツクプレート」といった古い(6億年前までに形成)大陸陸塊とその周辺の大陸地殻(2億5000万年前までに形成)の上に火山性地殻(第三紀から第四紀までに形成され現在も成長中)を付加したものである。
言い方を変えれば、史実日本の福井県から飛騨山脈にかけて散在している古い地殻の背骨を強化し、史実では沿海州にかけて形成された大陸断裂帯をはるか内陸にまで移動させ巨大化した日本列島そのものということができるだろう。

したがって、日本大陸は古い地殻部においては大陸性の、山岳や中規模以下の島嶼部においては史実日本列島によく似た火山性の構造であるということができる。
これは、山岳地帯がヒマラヤ山脈のような大陸の衝突によって形成されたものではないために5000メートル級以上の高さには発達し得ず、アルプス山脈のように高緯度かつ氷河期の寒帯にないために氷河構造が大規模化し得なかったことに由来している。
ただし北海道亜大陸部から樺太部においては氷河地形の発達を無視することができず、この影響を強く受けるものと考えられる。
しかし土壌については山岳地帯から放出される火山灰の影響で酸性度が強いと想定できる。

これらの条件の結果として、九州亜大陸部においては台湾と同等相当の亜熱帯性気候を呈し、本州においては亜熱帯から温帯性気候から亜寒帯気候を、津軽海峡ないしは北海道亜大陸南部以北においては亜寒帯から寒帯気候を呈し、中央脊梁山脈により太平洋側と日本海側、そして瀬戸内海側の気候が区分される構造にあると考えられる。


b 日本海側の気候

気候的には東シナ海から日本海沿岸を対馬海流が北上し太平洋側を黒潮が北上する状況に変化はない。
しかし、ユーラシア大陸から分離する地殻の力を史実よりも1億年ほど長く受け続けている日本大陸の経度線に対する傾斜がさらに深まることが考えられるため、対馬海峡から日本海は史実世界よりさらに広大化し樺太沿岸から南下するリマン海流はコリオリの力を強く受け沿海州から朝鮮半島方面により強く南下するようになるだろう。
逆に対馬海流は玄界灘方面から日本大陸方面へ偏って北上するようになり、樺太西岸沖においてリマン海流と衝突するようになる。
これらの結果として北大西洋海流と同様、日本大陸の日本海側は温暖化し、かつ気候の温暖期と寒冷期の気候の差は大きくなると思われる。
前述の樺太西岸沖の海流衝突部に加え、史実よりは小さくなるであろう対馬海流の分流部は沿海州沖ではなく朝鮮半島東部から南東部沖においてリマン海流主流と衝突し、いずれも濃霧が生じる条件が整うことになる。
同時に、寒冷化した朝鮮半島東部から沿海州部においては上空に寒気団が形成されやすくなり氷核を日本海側に供給するようになるだろう。そのため、暖流である対馬海流部から一気に上昇する上昇気流の湿った空気にこれが供給されると「日本海側の豪雪」としてよく知られる高い降水量の由来となる雲が形成されるようになる。
簡単にいえば、沿海州から朝鮮半島北部にかけて供給されていた降水量は日本大陸方面へ流れることとなる。
しかし日本大陸の巨大化の結果として、日本海側の降水量は史実とあまり変化がないものと考えられる。
ただし、北緯50度以上に位置するであろう日本大陸世界の北海道中部においても現状の北海道とほぼ同様の降水量を期待できること、さらには冬季における豪雪地帯が同地近辺まで北上することが考えられること、さらには対馬海峡の広大化によって日本海側へ台風が抜ける機会が多くなるであろうことを強く指摘しておく。

429 :ひゅうが:2013/01/16(水) 16:40:13
b 太平洋側の気候

太平洋側においては、フィリピン沿岸を北上する黒潮が沿岸を通り、津軽海峡で分流を発し北海道亜大陸から中千島沖において千島海流と合流する流れをとる。
北海道亜大陸形成時に北米プレートとユーラシアプレートの間を通っていることからベーリング海が広大化しているであろうこと、さらにはカムチャッカ半島が大きくえぐられているであろうことを考えればオホーツク海の樺太から北海道亜大陸中北部にかけては若干温暖化しているであろう。
というのも、ベーリング海峡からコリオリの力によって西岸沿いに南下して来るであろう強力な北極からの寒流は海峡の広大化によりその勢いを若干弱め、一部は間宮海峡方面へオホーツク海北岸沿いを南下するものの、大半は史実では暖流が太平洋側へ緩やかに抜ける東経160度線沿いに西太平洋に抜ける。
さらには日本大陸自体が経度線に対する傾斜を深め、黒潮に対しさらに急角度をとるために史実以上に北上するためである。
簡単に述べると、黒潮は傾斜を深めた日本列島沿いに、まるで川の蛇行部は外側が深くなるという簡単な原理に沿うように北上するようになるのである。
このため、日本大陸太平洋側は比較的温暖かつ多雨であると想定できる。ただし東北部以北は温暖期を除けば緯度や日照量の関係からヨーロッパ・ロシアに近い気候になることは避けられない。
これらの変化の結果、オホーツク海中部以北においては濃霧の発生を阻止し得ないが日本海側と同様に氷核が供給されることにより北海道亜大陸中部以北においては緯度のわりには降水量が多くなると思われる。
以上以外は基本的に史実日本と変化はないものの、対馬海峡広大化によって台風がそちらに抜けることが増えるために夏季の台風洪水害のもとになる大量降水は減少するであろう。
しかし、大陸化によって河川が巨大化しているために被害規模についてはまったく同様となることになる。


c 瀬戸内側の気候および総括

瀬戸内海側については瀬戸内海が大きくなっていることから雲の発生が促進され水の供給も増加している。
しかしながら四国亜大陸において大陸自体が巨大化しているために降水不足の状況に変化はないだろう。
ただし、大陸地殻の形成から帯水層が地表に露出することも考えられ、かつ地表傾斜の方向が日本大陸形成時に受けた圧力が太平洋プレートの圧力よりも強かったために変化し、瀬戸内海側に向けて流れる河川は史実よりも増えていると考えられる。
また、瀬戸内海についても最大深度は増しているだろう。

以上想定したものを総括すれば、日本大陸各地においては史実のような地域を区切った極端な気候変動は最低限である。
しかし日本大陸自体が巨大化しているために結果的には各地において多様な気候がみられることに変わりはないといえるだろう。




2、 日本大陸の民族誌

a 日本大陸の人類について その1

拙著「日本大陸形成史」において第三紀から第四紀にかけては日本大陸の脊梁山脈および火山地帯の形成期と位置付けた。
よって、地殻変動が大陸自体の大きさにより地下のマントルを封じることができるようになる第四紀中期に至るまで地表の半分以上はアイスランド島同様に火山性の土壌に覆われ生物層は豊かとは言い難い。
しかし、火山性土壌の上に森林層が形成されるようになる第四紀中期以降には温暖な気候に加え希少元素豊富な火山灰土壌が栄養飽和状態となるため、日本大陸分裂以前の豊かな落葉樹林を取り戻すことになるだろう。
さらには、氷河期の到来により海水面が下がり、アムール川河口や北海道亜大陸河川から大量の淡水が供給されて津軽海峡がある程度狭隘化することによって陸橋が構築される状況に変化はなく大型の動物類がユーラシア大陸北部から渡来するという事象にも変化はない。

430 :ひゅうが:2013/01/16(水) 16:40:47
これにより日本列島においては豪州大陸やニュージーランドにおいて生存したような巨鳥類や有袋類は大型肉食獣により自然淘汰を余儀なくされる。
そのニッチを埋めるのは小型獣に加え、日本大陸の森林地帯に適応可能な大型象、そしてサーベルタイガーなどのこれらを狩る肉食獣となるだろう。
そして、マンモスやナウマンゾウなどの大型肉食獣を追って、シベリア経由で日本列島に古モンゴロイド・アルタイ系の人類が渡来することもまた変化はない。(多くは氷河期に凍結したベーリング海をわたり北米大陸へと移住するが一部集団が日本列島へ向かう)
また、南方のスンダランドから北上してくるタイ・ドラヴィダ系の人類も沿岸地方に定住しはじめることも同様である。
これらの移入は紀元前5万年頃から紀元前2万年頃にかけて連続的に行われる。

こうして日本列島に大きく分けて二種類の人類が混在する状況となるが、史実考古学的に1万6500年前(青森県)には既に土器が製造されていることから、彼らは既にある程度の定住を開始していたとも思われる。

この状況が一気に加速され、そして絶えるのは紀元前1万1900年ごろから紀元前9千500年ごろにかけて発生したヤンガードリアス期と呼ばれる厳しい亜氷期の到来と終焉が理由である。
北米五大湖氷河の崩壊によって海水循環が乱されたことによって起こったこの氷期によってシベリア地域は一気に寒冷化。
現在のシベリア諸民族のもとになる人々が樺太経由で日本列島へ一気に流れ込むことになったのちに一気に温暖化へと向かい、海によって日本大陸は大陸と隔てられることになったのである。
温暖化にともなって日本大陸に取り残された人類は定住を本格的に開始。
縄文式土器に代表される独自の文化の花を咲かせるに至る。この頃までに日本人の基層が構築されたと考えられる。
すなわち、山岳地帯において獣を追う人々、定住し森林から得られる資源を利用し(場合によってはある程度の自然農耕を営みつつ)交易に従事する人々、そして海を通じて漁労に従事する人々の三種である。
彼らは大陸とは南西諸島・長江ライン、ないしは対馬海峡・朝鮮半島ラインの2本のみでほどよく隔絶されつつも連絡した状況で資源交易のネットワークを構築し、農耕以前の社会に特有の広域での人々の混交を開始することになった。
(当初は日本大陸中央構造線に特産のヒスイや黒曜石などがその対象となり、のちにそれは干し貝や木の実などの食料にかわっていった)
このうち漁労に従事する人々は、当初のタイ系から長江流域に定住していた古モンゴロイド・チベット系の人々に変わり、彼らの移入は細々とではあるが続いたはずである。これがのちのち重要な意味を持つ。
そして、縄文時代中期(紀元前3000年ごろ)に至ると、栗を利用した森林農業が登場。上記のうち定住民の人口増加が他を圧倒するようになる。
また、中華大陸において夏王朝が滅び、殷王朝による軍事的征服が開始されると長江から漁労民たちのネットワークを通じて本格的に稲作が伝来。
史実においてわずか半世紀ほどの時間で本州島北端まで稲作が北上していることを考えれば、大規模灌漑を経ていない陸稲栽培は遅くとも1世紀ほどで日本大陸全土を席巻するだろう。
そして、大陸と隔絶されている状況において稲作を開始するのは縄文の人々以外にあり得ない。
農耕によって人口を増加させた縄文の定住民たちはやがて全土へと広がっていく。
ただし、北海道亜大陸から樺太にかけては稲作に適さず、縄文時代中期以前の三者混交状態が維持されることだろう。

431 :ひゅうが:2013/01/16(水) 16:45:53
【あとがき】――とりあえずここまで。
あまり変化はありませんが、稲作伝来が少し早まっています。
この頃の縄文時代人は豪州大陸や北米大陸と同様の部族社会でしょう。
しかし、史実の交易ネットワークや土器の「流行」が各地に波及している状況を考えると好奇心においては史実とほぼ変わりないものと考えています。

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最終更新:2013年03月07日 21:09