865 :四〇艦隊の人:2013/11/11(月) 14:18:54
黄海海戦

日露戦争開戦直後に大日本帝国海軍とロシア帝国海軍との間で行われた海戦。
日本海軍はモニター艦を投入し旅順軍港を艦砲射撃、ロシア艦隊を軍港から引きずり出した後に艦隊戦を仕掛け、これを撃滅、ロシア海軍太平洋艦隊はほとんどの艦船と日本海の制海権を喪失した。
この状況を打開するためロシア海軍は第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)を編成、地球を半周しての増援派遣を余儀なくされる事となる。

・参加戦力
・日本海軍
・第一艦隊
第一戦隊(戦艦八隻:三笠、朝日、初瀬、敷島、富士、八島、生駒、伊吹)
第三戦隊(防護巡洋艦八隻:千歳、高砂、笠置、吉野、鞍馬、浜松、夕張、鶴見)
他駆逐艦二〇、水雷艇一二

・第二艦隊
第二戦隊(装甲巡洋艦八隻:出雲、磐手、浅間、常盤、八雲、吾妻、阿蘇、天城)
第四戦隊(防護巡洋艦八隻:浪速、高千穂、新高、明石、身延、妙義、清澄、瑞垣)
他駆逐艦二〇、水雷艇一二

・第三艦隊
第五戦隊(砲艦六隻:松島型六隻)
他巡洋艦一二、駆逐艦二〇、水雷艇一二

・ロシア海軍
戦艦七隻(ツェサレーヴィチ、レトヴィザン、ペレスヴェート、ポルタヴァ、ペトロパブロフスク、セヴァストポリ、ポベーダ)
装甲巡洋艦一隻(バヤーン)
防護巡洋艦八隻(パルラーダ、ディアナ、アスコリド、ボヤーリン、ノーウィック、ザビヤーカ、ラズボイニク、ズジギート)
砲艦・水雷砲艦六隻(グリミヤシチー、アッワヘジヌイ、ギリヤーク、ボーブル、フサードニク、ガイダマーク)
駆逐艦一八隻

ウラジオストック巡洋艦隊の主な戦闘艦艇
装甲巡洋艦三隻(ロシア、グロモボーイ、リューリク)
防護巡洋艦一隻(ボガトィーリ)
水雷艇一七隻

仁川港に所在した戦闘艦艇
防護巡洋艦一隻:(ヴァリャーグ)
砲艦一隻:(コレーエツ)


866 :名無しさん:2013/11/11(月) 14:26:07
・前史
一八九五年の下関条約に対する独仏露の三国干渉は日本政府に危機感を与えると同時に、「次の敵はこいつら、中でも一番近いロシアである」という確信を抱かせることとなった。
そのため、対露戦争に備えるべくイギリスと同盟、イギリスから強力な艦船を輸入すると共に、それらの国産化を進めることになる。
一九〇二年の義和団事件をきっかけにロシアは満州に進駐。それと共に朝鮮に対する圧力を高めていく。
日露間での外交交渉は妥協点を見出せずに決裂。
一九〇四年二月八日、ついに大日本帝国はロシア帝国に宣戦布告、同時にロシア太平洋艦隊の拠点である旅順軍港と、仁川湾に入港していたロシア軍艦二隻を奇襲攻撃した。

・戦闘の経過
二月八日日本海軍は第五戦隊を旅順港の沖合い24キロの海域まで進出させ旅順港内を砲撃、大落角で落下した32センチ砲弾は戦艦ツェサレーヴィチ、レトヴィザンの甲板を打ち抜き弾薬庫付近で爆発、瞬時に轟沈させ、戦艦ポルタヴァ、ペトロパブロフスク、防護巡洋艦パルラーダ、アスコリド、ボヤーリンは大破航行不能、戦艦ペレスヴェート、セヴァストポリ装甲巡洋艦バヤーンを中心とした艦が第五戦隊を追い払うべく出撃するも、待ち構えていた日本海軍第一、第二戦隊に袋叩きにされて頓挫、夜間には駆逐艦、水雷艇が夜間攻撃を繰り返し、こうした攻撃が三月末まで繰り返された結果旅順のロシア太平洋艦隊は壊滅、そのまま第二戦隊は返す刀でウラジオストック巡洋艦隊と交戦、グロモボーイ、リューリク、ロシアの三隻の撃沈に成功する。
こうしてロシア太平洋艦隊は無力化され、同年四月の第三軍集団の総攻撃により、旅順要塞が陥落。ロシア太平洋艦隊は消滅することとなる。

・戦闘が各方面に与えた影響
戦術レベルでは大口径砲弾が大落下角で降り注ぐと、当時の戦艦といえども致命的な損傷を被ることがあるという事実が発覚した。このため日本海軍はこの後にイギリスに発注する金剛型巡洋戦艦の設計について水平装甲の強化と垂直装甲の傾斜かを病的なまでに主張し、イギリス側造船官を辟易させている。

戦略レベルではロシア太平洋艦隊の壊滅によって制海権を得た日本側は満州に常時百万以上の陸軍部隊を張り付かせることに成功。またロシア側は太平洋艦隊の壊滅により今後の戦略に重大な損失を被る事となる。特にバルト海で編成中だった第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)の扱いについて喧々諤々の議論が交わされ、結局三ヶ月の時間を空費しながらも出航させたた事は、日露戦争とロシア帝国の去就に大きな影響を及ぼしたといわれている。

政略レベルではこの少し後に陸上で行われた遼陽会戦と並んで連戦連勝の日本軍と、負け続けるロシア軍という対比により日本国内では北進論が過熱、このままウラジオストックを剥ぎ取り三国干渉の意趣返しをするべきという論調の記事が新聞の一面に載る等、ロシアを侮る意見が強くなっていき、当時の閣僚の一人が対応に苦慮したと日記に書き残している。

外交レベルでは日本軍の予想外の、そしてある意味予想通りの精強さが世界を驚愕させ、日本の負けはほぼ無くなったと見たイギリス、アメリカは戦後の見返りをにらみ、日本への資金、物資の援助を加速させることとなった。
また、ロシアの戦費調達は悪影響を受け、ロシア国内の不満は徐々に高まり、最終的には市民の抗議デモに対して軍部隊が発砲するという事態にまで発展する事となる。


867 :四〇艦隊の人:2013/11/11(月) 14:31:20
・総評
日本海軍が経験した初の大規模海上作戦であり、結果的には大勝利といえるが実態はドタバタとしたものであり、失敗も多々見られた。しかし有色人種が多数を占める国である日本がロシアを下す戦争の始まりとも言える戦いであり世界史に大きな影響を与えたとされる。
また、今後の戦艦の設計にも重大な影響を与えた。


以上、終わり!
前の三つよりは突っ込みどころが少ないはず……きっと!

 

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最終更新:2014年01月14日 21:15