659 :ひゅうが:2014/06/30(月) 22:44:03

戦後夢幻会ネタ――その2「平和の希求~1956年~」


――西暦1956(昭和31)年1月3日 極東 日本国 首都東京


窓の向こうの街並みは、彼が知っているものとは大きく変わっていた。
焦土の黒はもはやどこにもなく、新たに建造されたビル群やネオンサインがその灯火をまたたかせていた。
少し排気ガスの匂いがきついあたりも、彼が知るアメリカに近い。

未明に降った雪はまだ溶けておらず、それが冬晴れの空の青とあわせて空気を引き締めているようだった。
それだけではない。街頭のいたるところに掲げられている半旗は、今日が日本人たちにとっていかなる意味を持っているのかを如実に示していた。
まぁ仕方あるまい。
前を通り過ぎただけであるソ連大使館の前では日本人の「キドウタイ」が目を光らせており、その殺気じみた勢いに3階建ての建物はカーテンを閉じて対応するしかないようだった。

――15年前、この国の北辺に無慈悲な太陽が生まれた。
人類は、その惨状に震撼した。
使った当の本人たちでさえも。
だからこそ、その仇敵となった日本人は朝鮮戦争の休戦時に国交を回復しつつもその火中の栗を拾わされたハトなんとかという政治家は右派でありながらも国のすべてからバッシングを受けて政治的生命を絶たれていたということをアメリカ人たちはよく知っていた。


「お忙しい中、このようなところにおいでいただきありがとうございます。
上院議員閣下。」

「こちらこそ、光栄です。提督。」

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは、かつて南方で自分の命を救った男に対して大きな感謝をこめて一礼した。
彼がネズミ輸送中に衝突した駆逐艦「天霧」は、夜間の輸送任務中であるために救助こそ行わなかったが海面に浮き輪を投げ入れていた。
そうでなければ彼は海に投げ出された乗組員全員を救い出すことができなかっただろうし、負傷後の傷を悪化させすぎない程度の「無理」で生還を果たすことはできなかっただろう。
元帝国海軍第四艦隊第二十駆逐隊司令であり、現在は日本国防軍海上幕僚長をつとめる阿部俊雄大将は、要するに彼の命の恩人なのだった。


「アイゼンハワー閣下もお変わりなく?」

「ええ。近頃は難しいことが次々に起こっていますからね。また日本を訪問したいといっていましたがいつになることかと苦笑しておられました。」

ケネディに親書を持たせた合衆国大統領ドワイト・アイゼンハワーはこの前年に日本を訪問しており、朝鮮戦争時に結ばれた日米安全保障条約の改訂を果たしている。
前任者であるウォレスと違って親日というわけではなかったが、「問題児」パットン元帥らを通じてつながりは強い方であった。

「スエズの国有化や、台湾の独立投票問題、そして南北ベトナム。とかく世界は騒がしいですからね。」

二三の雑談で二人は笑った。
副大統領のニクソンではなく、対立する民主党議員であるケネディが(極秘で)指名された理由などの疑問はつきないのだが、今はこの少しだけ年上の人物との会話を楽しむ方がよい、とケネディも思っていた。

「ところで、本日お呼びしたのは私たちがつかんだ気になる情報と、ちょっとした提案をしたいからなのです。」

「提督が政治的な何がしかをされるのはサイレント・ネイヴィー的にどうでしょうか?」

「後生大事にそんなものを守っていたから私たちは日米戦を防げなかったのですよ。
それに、これがはじめてというわけでもありません。」

阿部が肩をすくめる。
そういえば、この目の前の人物は終戦前後にインペリアル・パレス周辺で暗躍していたらしい。
なるほど、見た目通りの軍服を着た軍人というわけでもないらしい。

661 :ひゅうが:2014/06/30(月) 22:44:34
「口頭のみでの必要が?」

「そうですね。あまり公にしたくないから私が狩出されたようなものです。
特に、北と南の方の話題ですから。」

北、といったところで彼の目が細まった。

「DPRK?」

「USSRですね。どちらかというと。」

それはそれは、とケネディは内心で冷や汗を感じていた。
日本人は、第2次大戦の帰趨をともすれば決したともいわれるゾルゲ事件以後にかの北の国に独自の情報網を構築しているらしい、とはケネディも聞いていた。
日本へ発つらしいという話を聞きつけたらしいフーヴァーという名のFBI長官が内容をこちらにも教えてほしいと接触する程度に、それは重視されているとも聞く。
ローゼンバーグ事件やら、赤い耳事件といった戦後アメリカを揺るがした一大スキャンダルも発覚点はこの極東の島国であるといううわさも。

「ソ連軍は、ハンガリーへの侵攻作戦立案を完了しました。
ワルシャワ条約諸国の離脱は何があっても許さないとブレジネフ派が押し切ったようです。」

爆弾が投下された。

「ど、どこからの情報ですか?」

水交社という看板を今も昔も掲げ続ける建物の一室に、何か得体のしれないものが舞い降りたようにケネディは感じた。

「詳細は勘弁を。私たちは彼女ら…いえ彼らを『オリガ』あるいは『クレムリンの枢機卿』と呼んでいます。
旧帝政時代から。御内聞に願いますけれどね。」

ニヤリ、と阿部は悪戯が成功した子供のように笑う。
この話が本当なら、日本人たちはロシアの中枢の、とてつもなく高位の場所に信頼すべき伝手を持っていることになる。
ん?
オリガ?
どこかでその名前は――

「司令官はイワン・コーネフ元帥。スターリングラードの英雄にしてソ連地上軍総司令官。投入予定兵力はおよそ15万人。
もしもハンガリーが改革路線を転換しなければ、早ければ8月にも部隊は動く予定とのことですね。」

ケネディは口をパクパクさせ、あわてて手で覆った。

「さらに、現在モスクワではユーゴとベトナムへ『右派』のレッテル張りが進行中です。
よほど気に入らなかったのでしょうな。
ホー・チ・ミン氏の統一協定順守と、バオ・ダイ元首の地位継承容認は。連中、中華の背後に基地がほしいらしい。」

「待ってください。驚くべきことばかりで――」

ケネディはコーヒーをゆっくり飲み込みながら頭を回転させる。
ソ連をトップとしたワルシャワ条約機構と違い、東アジアの共産党系政権の扱いは流動的だ。
そもそもあのスターリンが毛沢東を信用しなかったことが理由なのだが、それに加えてマラッカ海峡をのぞむ南シナ海方面への影響力を欲したソ連は、1954年に事実上南北に分断されたベトナムへの影響力を増大させていた。
海南島に立てこもる国民党や、その置き土産ともいえる南部の諸軍閥への対処に追われる赤い中華にとっては面白くないことこの上ない。
満州駐留ソ連軍の地位問題もあいまって、中ソ関係は極めて微妙であった。

そのため、アメリカ国務省は「ベトナムにおいてはソ連を妨害し、中ソ対立はこれを煽る」という中華重視路線をとるか、それとも日本を中核とした封じ込め政策をさらに強化するかで意見が対立していた。
いずれの場合においても、ディエンビエンフーを経たジュネーヴ協定によって今年予定されているベトナム全土での国民投票の実施は反故にするべきというところで意見は一致している。

662 :ひゅうが:2014/06/30(月) 22:45:12

要するに、「南ベトナムに民主的な政権を樹立し、ベトナム統一を妨害することでソ連の影響力増大を抑止するべき」と彼らは考えていたのだった。
これには、伝統的な親中派である海南島系の流れも存在している。
彼らは、台湾の独立の可否を問う住民投票をこの流れで大きく変えることを考えていた。
すなわち、海南島と台湾を国民党系政権により統一させるという蒋介石の希望を実現することで、大陸への接近の対価とするという政治的取引でもある。

だが――

この提督が言った言葉が本当なら、流れは大きく変わる。
8月、そう、8月前後にはジュネーヴ協定による国民投票の期限がくる。
そしてそれには台湾の住民投票を重ねることができるのだ。
コメコンから除外された「自主管理社会主義」のように、アジアにおいても合衆国は「親米的な」国家を手に入れることができる。
もしも、国務省案を強行すれば?

今度こそ、北ベトナムはソ連側に走るだろう。
ハンガリーが軍靴に踏みにじられた後ともなれば、合衆国国民は軍事介入を声高に叫ぶかもしれない。


「議員。おわかりですか。あの熱帯林は魔境です。
中途半端な軍事介入はむしろ害悪。20万の歩兵でしらみつぶしにしてようやく全土平定ができるくらいです。
かつての帝国陸軍が中華ではまった泥沼に足を踏み入れるのはおすすめしません。」




――この数日後、パンナム航空機で帰途に就いたケネディと、アイゼンハワーが何を話したのかについては未だに記録が公開されていない。
しかし、1956年6月12日に実施された台湾の住民投票は国民党でも共産党でもなく「独立」が選択され、続く8月1日に実施が強行された南北ベトナムの国民投票では「統一」が選択された。
米ソにとってはまったく意外なことに、南北両ベトナム元首の握手と「ベトナム民主国」の成立は比較的ではあるがスムーズに進行したのである。
これとほぼ同時、8月23日に欧州で発生したハンガリーにおける蜂起、そしてソ連軍の軍事介入は世界に大きな衝撃を与えたために注目こそされなかったものの、この成功は東南アジアにおいてインドネシア―ベトナム―フィリピン―海南島―台湾という巨大な反ソ国家の複合体が誕生したことを意味している。

ただし、アメリカにとっては残念なことにすべてがバラ色の展開とはならなかった。
背後に反ソかつ反中国家が誕生したことにより誰よりもあせった赤い中華はヴェトナムの隣国への政治的働きかけを強化する。

後世、クメール・ルージュと呼ばれる恐るべき組織への胎動はここに開始されたのである。

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最終更新:2014年07月09日 22:03