4 :yukikaze:2014/07/14(月) 01:06:09
スレ立て乙です。では記念にレイテ沖海戦第四幕を。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」

4 決戦開始

―――我、日本海軍ノ全力出撃ヲ確認セリ

この報を潜水艦から聞いた時、アメリカ海軍第三艦隊司令部は色めき立つことになる。
これまでさんざん煮え湯を飲まされてきた連合艦隊が遂に出撃してきたのだ。
今度こそアメリカ海軍が凱歌を上げてみせると思うのは無理もなかったであろう。

もっとも、第3艦隊司令部に不安要素がなかったかと言えば嘘になる。
最大の不安要素は、マリアナ沖海戦から碌に準備期間を置かずに作戦を発動したことにより生じる練度不足であった。
戦艦や巡洋艦等は、マリアナ沖で日本海軍が空母を執拗に狙ったお蔭で、最小限の損害(それでも大型巡洋艦4隻が海の底に転属したが)で済んだものの、前述のとおり、空母4隻は最低限の艦隊運動しか訓練しておらず、また、輪形陣の外周に配備していたが故に、マリアナ沖で大きな被害を受けた駆逐艦群も、かなりの数が取り替えられたために、個艦の練度はともかく、艦隊の運用には不安を抱えていた。
また、母艦航空隊についても、ソロモン並びにマリアナで2度も全滅してしまっていた事で、実戦経験の長いパイロットが大きく減ってしまい、その大半が、訓練はしっかりしているものの、実戦経験に乏しいパイロットが主力であり、更に言えば対艦攻撃訓練についても、あまりしたことがなく対地攻撃ならともかく、対艦攻撃においては能力が不足するのではと見られていたのである。

この要因が、フィリピン沖海戦において、ハルゼーの行動を縛り続けていたと言える。
彼自身は、日本海軍母艦航空隊も又相当の損耗をしており、恐らく自分達よりも練度は下であると考えていたものの、艦隊運用については日本海軍の方が上であり、仮にこちらが敵空母機動艦隊に拘束されている時に、日本海軍水上艦隊が突撃してくれば、
それこそ艦隊が壊滅しかねないと判断していた。
ソロモン海において、日本海軍の夜戦の技量に散々悩まされ続けていたハルゼーだからこそ、彼は日本海軍水上艦隊の恐ろしさを適切に理解していた。
何しろあの時の一連の海戦で、アメリカ海軍が戦前に保有していた空母と巡洋艦部隊はその悉くが沈められたのである。彼にとってはあまりにも苦すぎる教訓であった。

5 :yukikaze:2014/07/14(月) 01:08:44
だからこそ10月30日早朝、日本海軍空母機動艦隊を発見しようと、北方に向けて索敵機を放ち、そして同じころに、第7艦隊所属の護衛空母から、有力な日本海軍水上艦隊が、フィリピン群島中間部の狭隘な水域に突入したことを知らされた時、彼はためらうことなく、敵水上艦艇に攻撃隊を繰り出せる2個任務部隊(正規空母4隻、軽空母4隻)に全力攻撃を命じている。
日本海軍の狙いがレイテ湾の奥底に集結している輸送船団であるのは誰の目にも明らかであり、彼らの戦力を考えれば、第7艦隊で防げるかは突破される恐れが高いからだ。
故に、ハルゼーは艦隊をゆっくりと南下させつつ、日本海軍空母機動艦隊が襲来する前に、時間の許す限り、水上部隊を叩き潰すよう命令した。

10月30日午前10時35分。早期に決着をつけようとするハルゼーの意思の表れか、宇垣中将率いる第一遊撃部隊に放たれた攻撃部隊は、戦爆連合併せて100機であった。
後の空母機動艦隊決戦を考えれば、過剰ともいうべき戦力であったが、水上艦隊が幾ら恐ろしいとはいえハルゼーにとって敵の主力は空母機動艦隊なのである。
そうであるが故に、遊撃戦力である敵水上艦隊を早期に撃破し、空母機動艦隊決戦に専心できるようにしなければ意味がないのである。
戦力の集中を手掛けたという点でも、ハルゼーが堅実な指揮官であったと言えるであろう。

だが、この第一次攻撃隊は、ハルゼーの期待を大きく下回ることになる。
まず誤算の一つが、敵水上艦隊が防空任務に軽空母2隻を従えていた事である。
<瑞鳳>と<龍鳳>は、一部対潜用に九七式艦攻を積んでいる以外は、全て戦闘機で艦載機を固めており露天係止も含めて、双方合わせて60機近い戦闘機を運び込んでいた。
勿論、全戦闘機を最初から繰り出すことなどあり得る事ではなく、第一次攻撃隊が襲来した時に、艦隊上空に陣取っていたのは24機程であり、本来ならば数で押しつぶされるはずであった。
だが、第一次攻撃隊が襲来した時、艦隊を守護していた戦闘機は70機程度存在していた。
これは、序盤の空襲で被害を蓄積されながらも辛うじて戦力保持に成功していた第二航空艦隊が、艦隊直援として派遣した基地航空艦隊の戦闘機であったのだが、一部には、富永中将の失態で全軍に恥を晒した第四航空軍所属の生き残った戦闘機が、汚名を返上する為に出撃したものもあった

6 :yukikaze:2014/07/14(月) 01:11:11
次の誤算が、敵に戦闘機部隊はいないと考えていたハルゼー艦隊は、戦闘機の比率を30機程度とする代わり、攻撃隊の比率を大目にしたことであった。これにより、第一次攻撃隊は自軍よりも多い敵戦闘機部隊の奇襲を受けた時、直援部隊が効果的な防衛戦を行い難い状況に陥ることになる。
そして最後の誤算が、日本海軍水上艦隊の弾幕密度が、マリアナ沖の時よりもはるかに密度が高かったことによるものである。
マリアナ沖の母艦航空部隊の被害を重く見ていた古賀と南雲は、今後、敵母艦航空隊との決戦において劣勢になる可能性が高く、その為には艦隊防空の強化を図る必要性があることに意見が一致。
この時期、<北上><大井>を除く、生き残っていた5,500t型の防空巡洋艦化(史実五十鈴と同じ)及び扶桑型の防空戦艦化(中央砲塔2基を取り払い、その代わり多数の高角砲と機銃を装備している)の完了だけでは満足せず、妙高型・高雄型の防空巡洋艦化(史実摩耶と同じ)並びに、他の艦艇にも高角砲や機銃を可能な限り装備させている。
特に効果的だったのは、各大型艦から発射される多連装式の対空ロケット砲であり、その特性から迅速に次弾発射できないという欠点はあったが、一斉に射点についた雷撃機が多数撃破・撃墜するという戦果を挙げることに成功する。艦艇にとって何より怖いのは魚雷による攻撃だからだ。

もっとも、数が数であるため、日本側も無傷で済むわけはなく、<愛宕>に爆弾が4発命中し大破。
防空巡洋艦の<鬼怒>が撃沈。各大型艦艇も1~2発ずつ爆弾を受けることになる。
ただし攻撃隊の規模を考えると、従来の状態ではこれに倍する被害を受けたことは確実であり、南雲司令長官が、松田千秋少将から航空機に対する最新の回避運動をまとめた冊子を受け取り、最新の戦訓を反映させたそれを連合艦隊全所属の艦艇に強く訓練させたことも、被害を局限させたことに繋がっている。

かくして第一次攻撃隊が実質失敗したハルゼーは、午後三時までの間に、都合二波、合計180機余りの攻撃隊を繰り出すことになる。
本来ならば、四波位は出せる筈であったのだが、第一次攻撃隊の被害が予想よりひどく、そのに再整備で使える機体が少なかった(ただし、翌日には大分復旧できている)のと、第二次攻撃隊を出撃させた直後に、小沢機動艦隊を発見し、しかもその進撃速度が予想以上に速かったために、ここで航空機部隊を過剰に消耗することは現に慎むべきであるという幕僚陣の反対が出たためである。
この進言を受け入れたことが、ハルゼーの失策の第一ポイントとされるわけだが、それでも二波180機の攻撃のみならず、第7艦隊第3護衛空母群、第4護衛空母群(それぞれ5隻)も、攻撃ポイントにいた事から合計60機程度の攻撃隊を繰り出しており、ハルゼーの第三派が戦場から離脱する頃には、<瑞鳳><阿賀野>沈没、<龍鳳>は大破。<武蔵>が被雷2により2ノットほど速度を低下し、<高雄>も脱落という被害を受け、午後3時25分に、宇垣提督は全艦艇に一斉反転を命令している。
そしてこの光景を見たハルゼー艦隊は、宇垣艦隊は突入を断念したと判断。
以降、明日確実に激突するであろう小沢機動艦隊への対処を最優先にすると決断している。
確かに、何隻もの大型戦艦が爆弾による損傷で煙を吹き、中には速度を低下させたり、幾分傾いたりしている姿を見れば、そう判断するのは無理もなかった。

しかし、歴史はこの決断を以て、フィリピン沖海戦の勝敗は決したと断じることになる。

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最終更新:2017年10月06日 09:54