290 :yukikaze:2014/07/17(木) 01:53:14
  戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」

6 ブルズ・ラン

宇垣艦隊がサンベルナルジノ海峡を突破した時、ハルゼー艦隊の行動は低調であった。
もっとも、それはハルゼーが一部で言われるような怠惰であった訳ではない。
正確に表現するならば『身動き取れなかった』と言うべきであろうか。
何故か? 偏にハルゼー艦隊の艦隊の練度の低さにあった。
幾度か言及したが、この時期のアメリカ海軍の熟練乗組員の割合は危機的と言われるほど低いものであった。
真珠湾・ソロモン・マリアナ沖と、戦前並びに戦争後に訓練して一人前になった乗組員は、ことごとくが死傷し、その欠けた穴を新人で埋めるという悪循環を繰り返していた。
第7艦隊の練度が低かったのも、少しでも優秀な乗組員がいたら、支援艦隊よりも正規艦隊に配属することを、キングが強く求めていたからであった。
マッカーサーの艦隊なんぞ、キングにとっては他国の海軍程度の感覚でしかなかった。
こうしたアメリカ海軍の必死の努力によって、個艦運用に関してはぎりぎり合格レベルの練度になったものの、艦隊全体の運動という点については、マリアナ沖と比べると目を覆わんばかりのレベルであった。
実質的に準備期間が2月程度しかなかったことを考えれば無理もない話であった。

そして夜間に大艦隊を整然と動かせると考える程ハルゼーは楽天的ではなかった。
基本的な事は出来るであろう。
だが仮に宇垣艦隊がレイテ湾ではなく自分の艦隊に突撃したら?
はっきり言って手の打ちようがない。
個々の艦は奮戦をするであろう。練度が水準以上の戦艦部隊ならば、満足できる戦隊運動も可能であろう。
だが、艦隊での運動に不慣れな空母や新たに加わった駆逐艦はパニックを起こすであろうし、そうなったら艦隊は大混乱のまま撃ち減らされることになる。
頭の痛い事に小沢機動艦隊も急速に接近中なのである。
混乱が立て直せないまま小沢に殴り掛かられれば今度こそ終りである。
邪魔のいない中、連合艦隊は悠々とレイテの陸軍を殲滅するであろう。

故にハルゼー艦隊は慎重に行動せざるを得なかった。
偵察により、小沢機動艦隊の前衛に金剛級戦艦4隻が控えているのを知れば猶更であった。
金剛級の強力な砲撃力と高速力の組み合わせがいかに恐ろしいかは、アメリカ海軍はソロモン海で高い授業料を払わされたのだ。
最高のタイミングで横から殴られれば、それこそ一大事である。

かくしてハルゼー艦隊は、艦隊四方に濃密な索敵網を形成し、予想よりもやや近くに小沢艦隊がいることを発見すると、自身が保有していた艦載機、合計700機の内、直援隊を除く500機程度の攻撃隊を都合3波に分けて出撃させる。
ハルゼーがこれほどまでに果敢に攻め立てるのは、偏に主力艦隊である小沢機動部隊を一撃で叩き潰した上で、いまだ行方の分からない宇垣艦隊を捕捉撃滅するためであった。
敵艦隊のレイテ湾への到着予想時刻が正午位であることを考えると、彼が焦りを覚えるのも無理はないであろう。

だが、彼の焦りを嘲笑うように、彼のもとに凶報が2つ入る。
まず第一報は、サマール沖で哨戒任務に就いていたスプレイグ艦隊から発せられた悲鳴の如き電報であった。
そこには宇垣艦隊がまるで通り魔のごとく彼の艦隊に殴り込み、一方的ともいえる展開で蹂躙しているという内容であった。
この通信は、やがて唐突に途絶え、何度返信を試みても二度と返答はなかった。
勿論、それが何を意味しているか理解できない程、彼らは無知ではなかった。
そしてもう一つの凶報は、第一次攻撃隊が多数の戦闘機の迎撃にあい、大被害を受けてしまったという事であった。
攻撃隊の報告によると、この時に小沢機動艦隊の上空にいた直援機の数はおよそ90機。搭載機数の差を考えると(日本側の艦載機数は、この時期では最大でも350機程度)異様ともいえる直援隊の数であった。
この数に、航空参謀たちは「こちらの攻撃が速かったので敵は防御に専念しているのでは」と推測したのだが、第二波攻撃隊の直援にもこれに近い数字であったことが判明した時、アメリカ海軍はこれまでとは違う異質さを理解することになる。

291 :yukikaze:2014/07/17(木) 01:54:10
元々日本海軍は、艦隊航空が劣勢である為、攻撃隊の比率を多くする傾向があった。
マリアナ沖海戦でも搭載機数の6割以上が艦爆・艦攻であった。
だが、この直援隊の数を見れば、少なくとも半分以上の割合で戦闘機を積んでいる計算になる。
そして第三次攻撃隊の攻撃が、敵の空母機動部隊の一グループを仕留めるも、多数の直援隊の防衛により、艦爆・艦攻隊の被害が無視できないレベルの被害を受けている事が判明した時ハルゼーは思わず怒鳴りつけたという。

『ジャップの野郎。空母部隊に戦闘機部隊ばかり積みやがったな!!』

ハルゼーの言葉は当たらずとも遠からずであった。
この時日本海軍機動艦隊(空母3 軽空母4 航空戦艦2)が腹に抱えていた艦載機数は220機。その8割が戦闘機という物であった。
と・・・言っても、別に日本海軍はファイタースイープをしたい為に置いたのではない。事実はもっと悲惨であった。
マリアナ沖での大被害は、日本海軍母艦航空隊の屋台骨をへし折るものであり、特に被害が続出した艦爆や艦攻隊は、ようやく再建が始まったレベルであった。
その為、母艦に乗せられる航空機としては戦闘機しかめぼしいものはなく、それも全搭載数と比べれば6割あれば御の字レベルであった。
これはこれまでの海戦において、戦闘機部隊の被害は比較的少なく、壊滅した艦爆・艦攻隊と比べても部隊の立て直しが容易であった事と、これまでの戦訓から戦闘機部隊の比率を高めることで、艦隊の安全度を高めようという流れが1942年から始まり南方からの資源の安定供給に成功したことで大量の戦闘機パイロットの育成に成功したのである。(水上艦隊の士官達はこの流れに賛同し、空母機動艦隊の士官達は戦闘機重視の流れに消極的だったのは興味深いが)

そして連合艦隊司令長官になった南雲は、従来の戦技ではもはや空母機動艦隊に対して攻撃を加えても被害が甚大であるとして、戦闘機部隊の比率を高めることで、敵攻撃隊に打撃を与え、結果として敵空母機動艦隊の戦力を低下させる方針を出したのである。
現状を考える限り、消極的ではあったが、南雲の採れる策はこれしかなかった。
そして南雲はマリアナ沖での勝利の立役者である電探による航空管制を艦隊でも可能にするべく、伊勢と日向を「航空指揮艦」として、後部飛行甲板を通信指揮所として様々な機器を備え付けるなどして、有機的な航空機の運用を果たそうとしている。

この結果、日本海軍は効果的な直援により、ハルゼー艦隊の攻撃機140機余りを撃墜。更に同数の機体に無視できない損害を与えるという大戦果を挙げたものの、飛鷹級及び千歳級は多数の爆弾や魚雷を受けて、隼鷹を除いて全滅。
また幸運艦と言われた瑞鶴は飛行甲板を損傷して大破。
伊勢級も最も激しく防空火力を叩きつけた事から目の敵にされてしまい、そろって大破という大被害を受けてしまう。
それでも小沢提督は、生き残っていた大鳳と翔鶴、そして戦闘行動可能であった金剛級3隻(霧島は被雷2による速度大幅低下により退避)をもって、なお前進を継続。
ハルゼー艦隊に対する猛烈な圧力をかけ続け、事実上ハルゼー艦隊の最大の武器である空母艦載機を宇垣艦隊に向けさせることを封じている。
ハルゼーにとって、幾ら攻撃隊がいないからといって、この部隊が戦闘機隊の直援の元空母機動艦隊に殴りこまれたら元も子もないからだ。
結局、小沢艦隊の進撃は、大鳳と翔鶴が力尽き、小沢提督も負傷したことで、次席指揮官の鈴木中将が撤退を命じた事で終わりを告げるのだが、彼らは完璧に任務を果たしている。
宇垣艦隊にとって脅威であった空母艦載機は、この海戦において振われることは完全になくなったからだ。
そして、生き残った戦闘機部隊はフィリピン北部に避退し、貴重な戦力として利用されることになる。
小沢艦隊は自らの壊滅と引き換えに、宇垣艦隊の道を切り開いたのである。

もっとも、宇垣艦隊に危機がないとは言えなかった。
太平洋艦隊司令部の叱責ともいうべき電文に激怒したハルゼーは、前日に編制していた水上砲戦部隊に対して、全速力で宇垣艦隊への追尾を命じたのである。
勿論、その指揮を執るのはハルゼーであった。
それでも、彼らが宇垣艦隊のレイテ湾の突入前までに捕捉できるかというと、絶望的としかいえない状況であったわけだが。

そして11月1日正午。
旗艦大和から勝利の凱歌ともいうべき電文が放たれることになる。

「天佑マサニ我等ノ手ニ有リ、全艦突撃セヨ」

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最終更新:2020年05月04日 13:41