612 :yukikaze:2014/07/19(土) 00:25:52
なんかもう止めるべきかねえと思いつつも、一応これについては
責任もって終わらせるのが筋なんだろうねえ。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」

7 煉獄

1944年11月1日正午。
この時、未だレイテ湾の奥に遊弋していたアメリカの大船団は、狂乱の渦に巻き込まれていた。
つい先日までは、フィリピンを解放する正義のガンマンとして意気揚々とレイテに揚陸した彼らであったが、実は自分達が海の悪魔であるリヴァイアサンによって蹂躙されるだけの存在でしかなかったことを理解せざるを得なかったからだ。

この時レイテ湾にいたのは、船団の7割近い数の輸送船団に、2個軍団12万人もの陸兵。
その殆どが無防備な姿でその身を曝け出しているのだから、その状況に歓喜するなと言う方が無茶であろう。
これだけの規模の船団と陸兵が失われた場合、フィリピン作戦どころか今後の対日戦スケジュールすら根底から崩れるのである。
だからこそ、生き残った偵察機部隊によって状況を知った宇垣提督は、絶望的な気分で最後の抵抗を示そうとするキンケイド艦隊を見つけると、即座にこう命令を下した。

『蹂躙セヨ』

ある者は嬉しさのあまり口笛を吹き、ある者は獰猛な笑みを浮かべながら、文字通り最大船速をもって敵艦に襲い掛かった。
この時、キンケイド艦隊に残っていたのは、軽巡<ナッシュビル>を除けば、駆逐艦4護衛駆逐艦8隻であり、昨日からの戦果に意気天を衝く連合艦隊を相手にするには、時間稼ぎにもならない代物であった。
せめて護衛空母群がいればまた話は違っていたかもしれないが、5つに分かれていた護衛空母群の内、2個は26日から29日までの空爆により弾薬が損耗したことで、ウルシー環礁に引上げ中であり、1個はフィリピン北部を空爆中で間に合わず、1個は前日の無理な攻撃が祟って戦力は回復できず、そして最後の1個はサマール沖で破壊神によってスクラップにされていた。
今更ながらにキンケイドはハルゼー艦隊が何の役にも立っていないことを嘆いたとされるが、無い袖は振りようもなく、更に彼のその嘆きもそう長くは続かなかった。

会敵から15分後。最後の砦を悠々と踏みつぶした宇垣艦隊は、ついにその目前にレイテ湾を見ることになる。
ここに来るまでの間に、武蔵は20ノットにまで速度を低下させ、<三隈><筑摩><妙高>も損傷を受けるなど、徐々に徐々に被害は蓄積されていたものの、もはやそのようなものは関係がなかった。それを補って余りあるものが目の前にあるからだ。
日本海軍の勝利と栄光。それはもはや約束されたものとなった。
そして旗艦大和が、勝利を宣告するかの如く、最後の電文を全ての通信帯に向けて発信した。

『天佑マサニ我等ノ手ニ有リ、全艦突撃セヨ』

613 :yukikaze:2014/07/19(土) 00:26:33
その瞬間、レイテ湾は煉獄へと変貌した。
必死になって逃げまどう輸送船団を猟犬のごとく追い回す水雷戦隊。
絶望的なまなざしで高角砲を打つ大型輸送艦に、無慈悲に20センチ砲を放つ重巡部隊。
そして、弾薬やガソリンを満載した艦に、大口径砲を叩き込むことで、その船のみならず周囲を巻き込む大火災や大爆発を何度も現出する戦艦部隊。
破壊と殺戮の宴はレイテ全体を覆い、そこから逃げ出そうともがく船団は、あるものは駆逐艦に万遍なく砲撃を受けてボロ雑巾のように沈められ、あるものは重雷装艦による魚雷攻撃によってまとめて漁礁に任務を替えられ、不運なものは友軍同士の衝突によって身動きが取れなくなったところを、大和の主砲で消し飛ばされていた。
彼らから立ち上る黒煙はレイテ全体を覆いつくし、皮肉にも、味方の航空攻撃があったとしても視界不良により困難な状況になる程のものになっていた。

そして煉獄は、レイテ湾から近辺の陸地へと拡大しつつあった。
ある程度輸送船の数を減らしたところで、戦艦部隊は持てるすべての通常弾と三式弾を大量の物資と逃げまどう兵隊でひしめき合う海岸とその近辺のジャングルめがけて叩きつけた。
戦艦6隻。46センチ砲18門 41センチ砲16門 35.6センチ砲16門。
その圧倒的な火力が、碌に防護陣地も遮蔽物もない箇所に打ち据えられたのである。
これを地獄と言わずして何というのであろうか。
戦後、生き残ったアメリカ兵の多くが、この猛烈な艦砲射撃にトラウマを覚え、酷い者は少しの物音でもパニックを起こすようになるのだが、それも無理はないと言えるものであった。
大和の一斉射で1個歩兵中隊が根こそぎ吹き飛ばされる光景を何回も見せつけられては、トラウマになるなという方が無理である。
おまけに、物資の誘爆やジャングルへの零式通常弾や三式弾による火災発生は、ジャングルに避退した米兵を火炎地獄によって焼きつくし、更に海風と熱風により火災旋風が発生し沿岸部を蹂躙するという、両軍ともに全く想定していなかった事態までおこり、米軍の被害は加速度的に上昇することになる。

午後2時30分。一方的な砲撃を終えた宇垣艦隊は、小沢機動艦隊がその囮としての役目を果たした事を知り、燃え盛るレイテを後にブルネイへと帰還することになる。
3万人ものかつてアメリカ兵だったものと、そして同数の行方不明者。
これに加えて数万名もの重軽傷者。第7艦隊のこれまでの被害も含めると、戦死者と行方不明者だけで9万人近い人間が失われるという大損害であった。
欧州の東部戦線での殴り合いに比べればまだマシではあるが、太平洋戦線で考えれば、文字通り壊滅的な打撃と言ってよかった。
唯一の救いは、マッカーサーが1個師団と共にタグロバンにおり、この被害を受けなかったことと日本陸軍がこの好機を全く活用できなかったことではあるが、この破滅を前にすれば何の慰めにもならなかった。

レイテはアメリカ陸軍の墓標と化し、そして太平洋戦争中、二度とアメリカ軍が上陸することはなかった。

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最終更新:2020年05月04日 13:43