944 :yukikaze:2014/07/22(火) 00:03:39
それではカーテンコールです。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」

9 饗宴の果てに

フィリピン沖海戦の結果は全世界を驚愕に陥れた。
万全の態勢で攻め寄せたと思われていたアメリカ軍は、日本軍の死力を超えた防戦の前に、大敗を喫したのだ。
戦艦だけでも9隻沈み、大規模な侵攻船団はレイテで壊滅。
死者が陸海軍併せて12万名。重度の負傷者も入れれば15万名近くを1戦で失ったのだ。
今後の戦争スケジュールに影響を及ぼすには十分過ぎる打撃であった。

このアメリカの大敗に各国の反応はさまざまであった。
ドイツのヒトラー総統は歓喜した。
彼は日本海軍の偉大な勝利を讃える演説をすると共に、アメリカの戦争脱落が近い事を高らかに歌い上げドイツの勝利が近づいていると獅子吼した。
この彼の確信は、最終的には翌月行われた「ドイツ機甲部隊最後の勝利」と呼ばれるバルジの戦いを引き起こすことになる。
対照的にイギリスのチャーチル首相は苦虫をかみつぶしていた。
太平洋でのアメリカの大敗は、日本の降伏スケジュールの大幅な遅れを意味するものであり、それは日本に奪われている植民地解放が遅れる事でもあるからだ。
忌々しいことに今回の勝利で、水面下で接触していた独立指導者たちがイギリスに距離を置き始め、植民地人の中には日本人の強さにあこがれを持ち始める者が増えだしたのだから猶更であった。
中華民国の蒋介石総統は頭を抱えていた。
夷を以て夷を制する筈が、日本軍の強さは彼の想像以上の強さであり、逆に彼らの方が屈服されかねない勢いであった。彼はアメリカに更なる援助を要請すると共に、密かに日本との停戦へのパイプを作ることも考慮し始めるようになった。彼にとって大事なのは自分の権力なのだ。
この状況を最も楽しんでいたのはソ連のスターリンであった。
欧州並びに極東でのソ連の価値がますます上がることが明白であったからだった。
彼は如何にして利益を上げられるか策謀に勤しむことになる。

各国がこのような思惑を抱いている中、渦中の両国はどうかというと政治的混乱に陥っていた。

945 :yukikaze:2014/07/22(火) 00:05:06
まず日本である。
国民は純粋に海軍の勝利に沸き立っていた。
正規空母2隻、そして巨大戦艦武蔵を失ったのはショックであったが、9隻の戦艦と15万人もの死傷者を相手に強いたのである。国民は「連合艦隊の大反撃」に喝采を上げ、アメリカが降伏を申し出る日も近いと勝手な憶測を立てていた。
だが、軍上層部においては大勝利を祝うどころか、海軍の怒りが爆発していた。
海軍にしてみれば、空母機動艦隊を壊滅させ、至宝というべき武蔵を失いながらも、アメリカ陸軍の大半をレイテで撃滅したにもかかわらず、その残存部隊をむざむざ逃がした陸軍の失態に堪忍袋の緒が切れたのだ。
実際、レイテの大勝を聞いて意気軒昂になった第14方面軍は、既に敗残兵であるとしてレイテでゲリラと戦っていた1個旅団の部隊を、マッカーサーが籠っているタグロバンに攻め込ませたが、本気になったマッカーサーに叩き潰された挙句、負傷者も含む全部隊の撤退をむざむざ許したのであった。
第14方面軍は旅団長を処罰することで事態を収拾させようとしたのだが、フィリピン戦以来続く第14方面軍の失態がそれで帳消しになるはずもなく、天皇の面前で古賀軍令部総長に面詰された東条は、第14方面軍関係者の徹底的な処罰と、自身の陸相及び参謀総長職の辞職を表明するに至った。
勿論、対外的には「国家戦略に集中するため」とされていたが、今回の一件で東条の権力が失墜したのは事実で、冬に行われた内閣改造では、遂に海軍から引導を渡された嶋田に代わって、副総理兼海相として米内光政が、陸相に中立派の阿南惟幾が、陸軍参謀総長に東条と仲が悪い梅津美治郎と、軍に対する発言権は格段に縮小している。
もっとも、東条は自身が考えていた「一撃講和論」が画餅に終わった事で、もはや戦争の行末に絶望し、死に場所を探し求めるかのような心境を抱いていたことが、この頃の彼の日記からうかがえる。

そして大敗を喫したアメリカであるが、日本のそれが嵐だとしたら、アメリカのそれは天変地異であった。
それはそうだろう。アメリカ建国史上最悪の大敗北なのである。
欧州でも極東でも優位に立ちつつあった中での敗北なのだから、猶更風当たりは強かった。
その中でも怒り心頭だったのが、陸軍――いや、マッカーサーであった。
半ば八つ当たりのごとく攻め込んできた日本陸軍を撃破し、撤退する際も一番最後に乗船することで「不屈の男 マック」「悲劇の将軍」とイメージ戦略に成功し、株が下がることはなかったものの、悲願のフィリピン奪回を崩壊させた海軍への怒りは凄まじかった。
マッカーサーは自分達が建てた戦略がいかに優れていたかを事細かに説明してのけ、そしてここまでしたのになぜ負けたのか理解できないと、暗に海軍の失態を強調してのけていた。
陸軍上層部にしても、これからの戦略と戦後の政治的発言権を考えれば、マックを諌めるどころか、全力でマックのサポートに当たり、アメリカ国内において陸軍は文字通り同情される存在になった。
そして陸軍への同情は、同時に歴史的敗北を引き起こした海軍への断罪へとつながっていく。
大手マスメディアや市民たちは口々に海軍の無能を叫び、レイテで戦死した将兵達の家族の声を紹介し、それが更に海軍への批判へとつながった。
ワシントンと海軍が、被害のあまりもの凄まじさに報道管制を敷こうとしたのも裏目に出た。
海軍と政府は真実を隠そうとしているというマスコミの追及に、政府は釈明に追われることになり、事態は、議会による大統領権限の縮小という事態にまで話は及ぼうとしていた。
議会にしてみれば、前人未到の第四選を果たしたルーズベルトの権力にどこかで歯止めをかけないと万が一独裁者になった時が危険であると考えたのだ。
ヒトラーが民主的に独裁者になったのを考えればその懸念も無理はない事であった。
彼らはルーズベルトの能力は認めていたが、ルーズベルトが独裁者になるのを認めるつもりはなかった。
そして議会側の戦争指導に対する追及と、連日のマスコミの批判はもともと体が頑健でないルーズベルトの心身を蝕むことになり、遂に11月15日に、議会の答弁中ルーズベルトは倒れ、そのまま執務不能に陥ることになる。

946 :yukikaze:2014/07/22(火) 00:05:36
この事態に連合国側は恐慌状態になる。
戦争期間中に政治的空白が起きるという最悪の状況など誰も望んでいないからだ。
唯一ほくそえんでいたのがスターリンであり、彼はこの混乱を利用して、祖国に更なる利益を得ようと画策するのだが、それはまた別の話である。
結果的に、ルーズベルトが倒れてから3日後、大統領専属の医師及び大統領夫人の『大統領が意識を回復する可能性はなく、回復したとしても障害が残って執務することは不可能』という宣言を以て、副大統領であるウォーレスが、新大統領に昇格することになる。
民主党の保守派からは嫌われており、一時期は副大統領になれるかの危機にも陥っていたウォーレスであったが、長年、ルーズベルト政権を支え続けてきた彼の大統領昇格は、議員や有権者からも概ね好意的に捉えられ、また、保守派も、反共であり且つ軍事費にメスを入れていたトルーマンが副大統領に即座に指名されたことで、矛を収めている。
トルーマンも「ウォーレスならば」と彼を支えることを表明し、ウォーレスも議会に協力を求めた事から議会も彼には協力的で、バルジの戦い以後の苦境にも大統領を支える事で、ヒトラーの言う「アメリカの脱落」どころか「危機時におけるアメリカの真の強さ」を証明することになる。
もっとも、今回の敗戦で海軍の政治的発言力は地に落ちてしまい、ニミッツ太平洋艦隊司令長官は辞職。
ハルゼー大将も二階級降格の上予備役編入、ミッチャー中将も休養を名目に空母機動艦隊司令官の職をキング子飼いのマケイン中将に奪われることになる。
もっとも、キングも部下に責任を負わせて子飼いのお気に入りを空母機動艦隊司令官にしたとして、海軍内の声望を極度に低下させ、それが「キングの大博打」と呼ばれる沖縄侵攻作戦へとつながっていく。


戦後、フィリピン沖海戦を語る上で、必ず触れられるifがある。

―――ハルゼー艦隊が最低でも31日夜半にフィリピン中央部から南部へと布陣しなおせば、アメリカ海軍の勝ちではなかったかと。

事実、戦後の査問委員会でも、この点を指摘され、結果的にハルゼーは『米海軍史上最悪の敗北をした提督』として、即日予備役編入され、歴史上から姿を消すことになる。

確かにこのifは魅力的なifではある。
仮にサマール沖に布陣しなおすことが出来れば、圧倒的な航空戦力で宇垣艦隊を押しつぶすことは可能であっただろう。
そうなればレイテ沖の悲劇が起きる可能性もなくなるのである。
だが、事実はそうならなかった。
ハルゼーの航空機部隊は遂に宇垣艦隊を捉える事は出来ず、レイテ湾に突入する宇垣を阻めなかった。

ハルゼーは、多くのこの人間から同種の質問を受け、そして沈黙で答えた。
彼は死ぬまでこの話題について論評しなかったが、ただ一度だけ、ある人物の新聞でのコメントを読んで静かに涙を流したとされる。

『私がハルゼー提督と同じ立場にあったとしても、彼以上の行動を成し得たとは到底思えない。彼は与えられた条件下において最善の策を取り続けた。
 多くの人は私をレイテの勝者というが、私はそう思ってはいない。
 そう簡単に評価できるほどあの海戦は甘くはなかった』

男の名前は、小沢治三郎退役海軍大将と言った。

架空戦記系ネタ86
750: yukikaze :2017/04/30(日) 13:40:23
取りあえず修正版を投下します。

戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」 9 饗宴の果てに

(修正前)
戦争期間中に政治的空白が起きるという最悪の状況にアメリカ政界は混乱し、そしてそれは戦争指導の混乱に繋がることになる。連合国にとって最悪の危機であり、そしてスターリンが野心を増長させた要因でもあると言われている。
結果、1週間の政治的空白の後、現副大統領であるウォーレスが大統領となり、次期副大統領のトルーマンが副大統領になることが決定された。

(修正後)
この事態に連合国側は恐慌状態になる。
戦争期間中に政治的空白が起きるという最悪の状況など誰も望んでいないからだ。唯一ほくそえんでいたのがスターリンであり、彼はこの混乱を利用して、祖国に更なる利益を得ようと画策するのだが、それはまた別の話である。
結果的に、ルーズベルトが倒れてから3日後、大統領専属の医師及び大統領夫人の『大統領が意識を回復する可能性はなく、回復したとしても障害が残って執務することは不可能』
という宣言を以て、副大統領であるウォーレスが、新大統領に昇格することになる。
民主党の保守派からは嫌われており、一時期は副大統領になれるかの危機にも陥っていたウォーレスであったが、長年、ルーズベルト政権を支え続けてきた彼の大統領昇格は、議員や有権者からも概ね好意的に捉えられ、また、保守派も、反共であり且つ軍事費にメスを入れていたトルーマンが副大統領に即座に指名されたことで、矛を収めている。

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最終更新:2020年05月04日 13:51