270 :yukikaze:2014/08/05(火) 00:43:24
ならばMonolith兵殿に代り某が投下を。

  戦後夢幻会ネタSS――「謀略家達の遊戯 1956年」

ダレス兄弟は憂鬱であった。
一般には『反共の闘士』と目されていた彼ら兄弟であったが、ホワイトハウス内では『使えない兄弟』としての評価が定着しつつあったのである。
そして今日の会合でも又その評価が補強されようとしていた。

「一応質問したいのだがね。君達の敵は一体どこのだれなのかね?」

リチャード・ニクソン副大統領は、皮肉に満ちた顔と声で兄弟に問いかける。

「ヨシダ元総理とアドミラルアベから非公式的にだが抗議が来たぞ。火遊びをするな。
 枢機卿の価値がわかっていないのかと。全く同感だ」

その言葉に2人は唇をかむ。
確かに今回の一件はベストについたシミとしてはあまりにもひどすぎた。
日本の口の軽い外相や未だにアカにシンパシーを感じたり、純粋に金や女に溺れた馬鹿な外務官僚が何人路頭に迷おうが、アメリカの国益にとっては些事ではあるが彼らの行動すべてが吉田や阿部の掌の上でしかなかったというのなら話は別である。

「ジョージ・パットン元帥のコメントも教えてやろうか?」
「結構です。予想はつきます」

弟のダレスCIA長官が硬い声で返答する。
今やワシントンDCにおいて最大の親日家であり、日米相互理解のために文化的交流を熱心に行っているパットン元帥である。
下手をしなくても、日本に滞在中、ミカドから貰ったとされる馬に跨り、同じく帰任時に貰った名刀を片手に、国務省やCIAに殴り込みをかけかねない程、激怒しているに違いない。

「まあそれでも『クレムリンの枢機卿』の正体がわかれば御の字だったが、一体何をやっているのやら」

271 :yukikaze:2014/08/05(火) 00:43:56
ダレス兄弟はもう何も言い返せなかった。
日本の首相や外務省に圧力をかけて、吉田と吉田機関上層部のみが正体を知っている『クレムリンの枢機卿』の情報を手に入れ、とかく日本に先をこされがちな対ソ情報の優越を図ろうとしたのだが、日本の外務省の予想以上の機密管理のなさと、台湾独立によりもはや国務省内でも傍流となっていた親中派が、功績を立てようと焦りすぎたことにより、『クレムリンの枢機卿』と目されたKGB高官が、突如処刑され、更にソ連内部での徹底的なスパイ狩りの結果、アメリカが苦労して作り上げたソ連内での諜報網すら機能マヒを起こしたのである。
ダレス国務長官は、同盟国外務省のあまりもの無能さに罵声を挙げ、同時に親中派の暴走に頭を抱えたとされるが、ある一通の差出人不明の手紙が、彼の元に送られた時に彼は自分が道化でしかなかったことを悟らざるを得なかった。

「親愛なる国務省長官閣下」から始まるその手紙は、皮肉と諧謔に包まれていた。
彼も吉田機関も今回の一件について予想できたこと。
故に、彼も吉田機関もこの企てを最大限利用させてもらったこと。
そして彼は最後にこう結んでいた。

「これで私の講義は終わりだ。礼には及ばん。高い授業料を払ってもらったのだから」

末尾に、クレムリンの枢機卿という文字があった時、彼はすぐさま差出人を全力で探そうとしたが無駄であった。
便箋、封筒、タイプライター、インク、全てが、大量に且つ広範囲に出回っていたものでありそれらをもって特定するのは絶望的と言ってよかった。
いや・・・仮に特定したとしても、それが本当に『クレムリンの枢機卿』であるか実証することはできず、更なるカウンターを受ける可能性すらあったのだ。
国務省及びCIAにおいて、暴走した人間の処罰と並行して『クレムリンの枢機卿』への対処に喧々諤々の議論が行われることになるのだが、それも表向きは経済問題で特使として派遣された下村治が、アイゼンハワー大統領に告げた一言で終わりを告げることになる。

「『クレムリンの枢機卿』はお怒りです。国務省及びCIAのあまりの出来の悪さに。特別講義が無駄になったと」

国務省とCIAの政治的凋落が決定づけられたのはこの瞬間であった。
引き際を理解できない将帥など害悪でしかないことをを誰よりも理解しているアイゼンハワーにとって、この両者の存在はあまりにも無様にすぎた。
彼は下村に謝罪の言葉を告げると、この両者の行動への責任は取らせることを明言し、ダレス兄弟がその事実に気づいた時にはすべてが終わっていた。

ソ連本土における諜報網の壊滅、日本外務省内にいた手ごろな情報源の消滅、そして何より『クレムリンの枢機卿』からの徹底的な不信感と、彼がいる限りアメリカは、ソ連情報において吉田機関に先手を取られ続けられるという事実。
そのどれもが政治的に失脚をする上において十分すぎる理由であった。

「ダレス兄弟。ご苦労様でした。できるなら政治以外の場でお会いしたいですね」

アイゼンハワーのこの言葉が、彼らの評価がアイクの中でどうであったかを示すものであった。

これ以降、アメリカは新国務長官のハーターのもと、強硬な反共主義を緩め、比較的穏当な路線へと転換することになる。
これにより、キューバ革命が起きても尚、新指導者となったカストロとの間に友好関係を築くことに成功し、第二次中東戦争での中東の混乱を最小限に抑え込むことにも成功し、ソ連の影響力を封じ込めることに成功している。
後に『自由と繁栄の輪』とされる、この封じ込め政策によって、アメリカは中東や東南アジアにも大きく影響力を伸ばし、そして対外紛争を可能な限り避けることに成功したことで、アメリカ経済は好調を保ち続け、資本主義国家の経済が一気に上向きになることになる。
後世、冷戦で西側諸国が勝利したのは、この時の発展が大きな要因であるとされることが多い。

皮肉にも、アメリカは謀略家達の遊戯に負けたことによって繁栄の道を歩み始めたのであった。
もっとも国務省とCIAの失墜は、アメリカの対外諜報能力を確実に下げたことは否めず、結果として1970年代、これまで弱小組織と見られていたクメール・ルージュが、毛沢東の支持の元、カンボジアを制圧した時、完全に後手に回ることになる。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2021年04月05日 01:15