187 :yukikaze:2014/09/16(火) 00:12:49
思ったより早くできた。まあ手直しだからねえ。
第三幕投下いたします。

  戦後夢幻会ネタSS――前史「栄光ある敗北」

3 崩壊する帝国

さて、アメリカ側がキングの個人的欲求により次の作戦案を進めていく中、相手方の大日本帝国はどうであったかというと、輪をかけて酷いものであった。
確かに彼らは未だ有力な水上艦隊を有し、火力や機械化はともかく練度は維持されていた有力な師団も多数抱えていた。
戦前の総力戦研究所が予想していた南方航路の途絶もかろうじて維持されており、そこからもたらされる各種資源は大日本帝国にまだ戦えるだけの力を与えていた。

だが、そんな努力も大日本帝国に突き付けられている現状においては無力であった。
確かに彼らは数多の海戦においてアメリカ海軍に大打撃を与え続けていた。
正規空母12隻、軽空母4隻、戦艦12隻、重巡以下は多数。
日本海軍で例えるならば、連合艦隊がそのまま消滅したと言っていい被害であり、大抵の国家ならば継戦を断念してもおかしくない程の損害といっても過言ではない。
しかし、相手は常識をどこかに置き忘れた世界最大の国力を持つアメリカ合衆国である。
彼らが一般に公開している情報を読み解くだけで、彼らの手元には、日本海軍が死力をかけて沈めたのと同じだけの数の艦艇が今なお残っているのである。
そこにはもはや戦術的勝利の積み重ねではどうにもならない程の、絶望的なまでの国力差があった。

そしてこの状況にさらに追い打ちをかけたのがアメリカ陸軍航空隊の存在である。
1945年1月にパラオのペリリュー島に中規模の専用基地が設営されたことにより、アメリカ陸軍航空隊は日本に対し本格的な戦略爆撃を開始した。
もっとも、日本との距離や基地の規模等を考えれば、この本土爆撃は費用対効果としては失格であった。
要撃を防ぐために高高度を飛ぼうとすれば必然的に爆弾の搭載量は減少し(約2トン)、かといって標準の爆弾搭載量(5トン)で出撃した場合、高度3千メートル程度で且つその飛行の大半を巡航速度で進撃しなければならなかった。
勿論、前者では高高度の爆撃の為に碌な被害を与えることはできず、後者の場合は被害は与えられてもその損害は目を覆わんばかりの代物であった。欧州よりはましとはいえ、日本本土の防空網も、主に太平洋側では不完全ながらも防空戦のネットワーク化が達成されていたからだ。
ついでにいえば、上記爆撃ミッションは、あくまで四国や九州への爆撃の場合である。
関東を爆撃するには、前者の搭載量で後者の速度と高度で進撃しないといけないのである。
3月10日に半ば奇襲で東京の下町に焼夷弾を叩き込み、数千人の犠牲者と、下町を半壊させたことが本土爆撃の最大の戦果と言えるという事実が、それを物語っていると言えるだろう。

188 :yukikaze:2014/09/16(火) 00:13:25
その一方で、日本の喉首を徐々に締め上げていたのが機雷投下である。
流石に防備の硬い鎮守府付近には投下できなかったものの、ごく少数の機体が夜陰に紛れて無数の機雷をばらまいた事は日本の海上流通において無視できないダメージを与えることになる。
無論、日本の港湾がアメリカの機雷に覆われたのでもなければ、日本の商船が次々に被雷するという訳でもない。
だが、地雷と同様、機雷という物は「そこにあるかもしれない」というだけで、相手方に多大な負担とコストを与えるのである。綿密な捜索によって安全が確保されるに及んで初めて入港できるのであって、当然のことながら商船の回転効率は大幅に下落し、効率改善の為に半ば強引に入港させた商船が、貴重な資源ごと沈没した事件が出て以降は、ますます回転速度が落ちることになった。、
こうなってしまっては、実質的にその商船団は撃沈されてしまったのと同じであった。
どれだけ船があろうとも、その荷が本土に陸揚げされなければ、その資源はないのと同じであるからだ。
潜水艦による被害がまた少しずつ増えつつも、護衛総隊の懸命の努力で保持されていた南方航路は、機雷の手によって結果的に失われようとしていた。

そう。もはや日本の戦争遂行能力は崩壊寸前であった。
どれだけ東条が統制経済を推し進め、監視を行っても尚、どうにもならなかった。
闇市や物資の横流しなどは半ば公然と行われ、実体経済以上に刷られた円の存在は、第一次大戦後のドイツマルクよりはまだマシという価値にまで下落した。
星野直樹が東条に提出したレポートでも「1945年中にあと一回決戦できるものの、後は逆さに振っても戦争など継続できるだけの余地はない。ついでに言えば帝国経済の崩壊は必至であり、莫大な借款を受けない限り、革命が起きても不思議ではない」という予測がつきつけられていた。
アメリカが沖縄に攻め込む直前の日本は、まさに絞首台の12階段にまで足をかけた状態と言えたであろう。

事ここに至れば、普通ならば降伏すら視野に入れた講和を真剣に考えないといけないのだが、この時期の大日本帝国においてはそれを望むべくもなかった。
講和の必要性を理解していなかった訳ではない。むしろ誰もが必要性を理解していた。
だが問題は、それを責任を持って執り行う者が上層部にほとんどおらず、数少ない人間も、講和の旗を振う事が出来なかったのである。

これは大日本帝国憲法の潜在的な欠点と言えるものであったのだが、大日本帝国憲法の本質は『独裁者を生まない』というものであった。
1人の絶対的権力者が権力を振るうのではなく、集団体制で物事を決していく。
その最大の例が天皇に対する規定であろう。
絶対不可侵の権力者と見られがちな戦前の天皇であるが、実際には天皇の行動は憲法によってさまざまに制限をされ、権力を振るう事を許されていない。
軍もまた、好き放題に予算を使えるわけではなく『議会の承認』がなければ何もできないのである。
そうであるが故に、戦前の日本においては、軍、政府、議会がそれぞれ独立をして、単独では絶対的権力を振るえないようにされていた。

だが、昭和に入ってこの特色は、日本という国家に致命的打撃を与えた。
各政治勢力が独立していた訳だが、逆に彼らの行動を1つに纏めるべき存在が不在であったが故に、各自バラバラに行動してしまい、国家戦略が迷走する危険性を有していたのである。
明治・大正においては、『元老』という誰からも一目置かれた英傑たちがいたお蔭で、その欠点は解消されていが、元老がいなくなったことでその欠点は表面化する。
東条が、首相兼陸相兼内相兼陸軍参謀総長という、無茶苦茶な人事を強行したのも、この欠点を少しでも解消するためであり、同時に円滑な戦争指導を行うためであったのだが、フィリピン戦での東条の権威失墜は、東条から軍の指揮権を剥奪させることになり、軍事と政治の乖離という、総力戦において悪夢と言っていい状況を生み出すことになる。

189 :yukikaze:2014/09/16(火) 00:14:58
一方、東条から軍の指揮権を剥奪した帝国軍であるが、彼らもまた、まともな戦争指導を行う能力はなかった。彼らは戦場で勝利する術は理解していた。(実行しているかどうかは別問題ではあるが)
だが、戦場での勝利を戦争の勝利に結びつける術は全く理解していなかった。
ただ漫然と「戦場で勝ては敵国は降伏してくる」と思い込んでいたか、あるいは「戦争を終わらせるのは政府の仕事」と、完全に丸投げをしているかのどちらかであった。
つまり彼らは戦場での勝利を全くと言っていいほど活用できなかったのである。
彼らに出来るのはせいぜいが、謀略モドキを使った交渉の真似事であり、その殆どが諸外国から鼻で笑われる程度の粗雑さであった。

結局、大多数の軍人が行き着いた答えは、もはや破綻しているのが明白な「一撃講和論」でしかなかった。
真珠湾から数えて4度も大艦隊を叩き潰し、更にレイテ沖では陸軍兵力にまで膨大な犠牲を与えたにも関わらず戦争を止めるどころか、前以上に強力な軍隊を組織しているという事実を目の当たりにしているのだが、彼らにはもうこの論理しか縋るものはなかった。
何しろ、連合国がこれまでに出している条件は『無条件降伏』なのである。
過酷と言われたヴェルサイユ条約よりもはるかに悪条件であるこの降伏条件を、責任を持って受け入れようとする者など、一撃講和論を支持する者の中には誰もいなかった。
当たり前である。誰も好き好んで、世間から叩かれるようなことをやりたくはなかったのだ。
大正デモクラシーの時に無用な長物扱いされて、戦争が起こったことによって権威が上がった事を知っている、軍部の人間にとって、自分自身の手でみじめな境遇になる決断など死んでもできる筈がなかった。
だからこそ彼らは、自分に都合の良いデータや予想を熱心に語ることによって、自分達の行動の正当性を必死になって補強していた。あるいはどこかの誰かのせいにすることで、自らに責任を及ぼさないようにすることを目論んでいた。
見苦しいを通り越して腐臭を放っていたというしかないであろう。
そしてそれは軍だけでなく、政治家や官僚もまた同じであった。

『無責任』

この時期の大日本帝国を表すのにこれ程相応しい言葉はなかったであろう。
誰もが目の前にある現実から目を逸らし、あるいはなかったことにしようとする。
チャーチルは「大英帝国最良の時であると言われるように振舞おう」と英独航空戦時に国民を鼓舞したが大日本帝国の場合は「皇紀2600年の中で最も見苦しい時」と言われても仕方がなかったであろう。
そして彼らのそのツケを払わされるのは現場の兵士達であった。
為政者が為政者としての責務を果たさない。
東条や米内のように責任を果たす覚悟はできていても、現段階でそれを表明した場合、強硬派がクーデターを起こし、完全に無秩序状態になる危険性が高い為、責務を果たすことができない。
この時すでに大日本帝国という存在は崩壊したと言っていいだろう。
そしてこの実質的に滅びた帝国に止めを刺すべく、1945年4月中旬、アメリカ海軍は『オペレーション・アイスバーグ』を発動させることになる。

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最終更新:2020年05月04日 14:44