35 :ひゅうが:2014/09/07(日) 00:35:35
戦艦「モンタナ」級

全長:280.9m
全幅:37.2m
喫水:11.1m
基準排水量:67840トン
満載排水量:73940トン

最大速力:30.5ノット (ユナイテッドステーツ級と共通の機関を使用)

主砲:Mk.8(J)45口径18インチ(46センチ)砲連装4基

装甲:舷側:406ミリ+178ミリ二重装甲
   甲板:154ミリ+55ミリ(最大)
   主砲塔防盾:650ミリ(111号艦用のものを転用 最大値)
   主砲塔天蓋:270ミリ(同上)

武装:Mk.39 54口径5インチ連装砲10基20門
   Mk.33 3インチ連装砲(砲塔型)10基20門
   40ミリ単装機関砲18基
   12.7ミリ機関砲連装10基(内艦橋4基)

同型艦:「モンタナ(BB-67)」「オハイオ(BB-68)」



【概略】――アメリカ海軍が歴史上最後に完成させた「戦艦」。
主砲として有名な大和型戦艦のものを転用し国産化した46センチ砲8門を有し、空母機動部隊に追随できるだけの速力を有する高速戦艦である。
反面、装甲は耐41センチ砲相当となったものの主砲塔周辺には未完成に終わった大和型4番艦(111号艦)の装甲を転用しており46センチ砲に対しても一定の防御力を有している。
本艦は、大戦後にソ連海軍が開始した「大海軍計画」に対抗するために大戦中の計画を発展させる形で計画され、日米の合作じみた装備で完成したことで知られている。


【計画と建造】――第2次大戦中、アメリカ海軍は深刻な脅威に直面した。
日本海軍が建造した最強戦艦「大和」型やその先達たちによる化け物じみた水上戦闘能力がそれである。
1ダース以上もの戦艦を海底に送り込まれ、一時は太平洋において稼働戦艦がアイオワ級の「ミズーリ」1隻となってしまったあたりがその恐ろしさを表しているといえるだろう。
そればかりでなく、上陸橋頭保に対して行われた艦砲射撃は戦術核攻撃すら上回る大被害を陸軍に強要していた。
それ以前から、これへの対抗は大戦中から考えられていた。
その解答が、両洋艦隊計画における最後の戦艦「モンタナ」級である。
長砲身41センチ砲12門を有しほぼ完全な41センチ砲防御を施された戦艦をもって、アメリカ海軍は大和型戦艦に対抗するつもりだった。
だが、真珠湾攻撃後に不足していた空母の量産と、のちにミッドウェー級といわれる超大型空母の建造計画が優先されたことから計画は遅れに遅れ、そして1943年には中止に追い込まれてしまう。
それ以前のソロモン海の死闘において、大和型は化け物じみた性能を発揮して新鋭戦艦を撃沈していたのだが、それでもアイオワ級やサウスダコタ級の数をそろえればたかが16インチ砲戦艦2~3隻を圧殺できるはずであるし、何より空母機動部隊の整備こそが勝利への近道であったからだ。

だが、1944年、アメリカ海軍は激震に襲われる。
まず6月、準備不足のままに実施されたマリアナ沖海戦においてミッドウェーを数倍した大敗北で空母機動部隊が壊滅。
ついで、レイテ沖海戦においてアメリカ海軍は恐るべき事実を知ることになったのだ。
それは、退却する宇垣艦隊のしんがりとなった戦艦武蔵が放った砲弾の不発弾が回収されたことにはじまる。

「日本のヤマト・タイプは18インチ砲を搭載せり」

衝撃的であった。
だがそれで納得できる点もある。主砲弾50発近くや魚雷10発以上を叩き込まれるまで戦闘能力を維持していた怪物の持つ装甲はそれくらいの巨砲に耐えられるものでなければならないからだ。
海軍はスローダウンしていたアイオワ級5番艦と6番艦の建造を急ぐとともに、モンタナ級の建造を検討しはじめる。
そして、それから数か月後の1945年4月。
戦艦大和とその眷属どもは、こともあろうにアメリカ海軍戦艦部隊を殲滅寸前にまで追いつめて沖縄本島に沈んでいった。
この戦いに生き残ったアメリカ海軍水上砲戦部隊にとって、いつかは出現するであろう超ヤマト・タイプへの対抗は至上命題ともいってよかった。
それならば超大型空母と艦載機の組み合わせでもよいと思われたが、要は感情の問題でもある。
太平洋の中央で殴りあうならまだしも、陸上機や機動部隊の直俺を受けた戦艦がいかに厄介かはレイテと沖縄で証明されているという理由もあった。

36 :ひゅうが:2014/09/07(日) 00:36:07

そんな彼らにひとつの追い風が吹く。
大戦終結後、ソ連が開始した大海軍計画の中に、6隻の「ソビエッキー・ソユーズ」級戦艦と、「スターリングラード」級巡洋戦艦が含まれていたのである。
海軍は震撼した。
太平洋や大西洋ではなく、地中海や極東の日本海を突入してくる「超ヤマト・タイプ」戦艦。悪夢以外の何物でもない。
これに対する策として、空軍が計画中であった対艦核攻撃が挙げられていたのだが、それだけで足りるとは海軍には思えなかった。
クロスロード作戦における実験艦(等間隔にならべられた計測器つき輸送船)のデータ収集によると、戦艦の装甲版は核攻撃を受けても表面が焦げるだけで直接撃沈に至っていないからだ。
ゆえに――海軍は核攻撃機も運用できる新鋭の「ユナイテッドステーツ」級超大型空母6隻の建造とあわせ、5隻の「モンタナ」級戦艦の建造を決定する。
レイテで2個軍団を丸焼きにされていた陸軍もこれを支持した。
なんといっても、海上艦艇の大口径砲の威力を彼らは「身を以て」味わっていた。

計画は、艦載機の開発と新型空母の概念研究に手間取る空母と違い、素体となる巨大戦艦の図面が存在していたモンタナ級が優先された。
当時のアメリカ海軍が保有していた「ポスト条約型戦艦」はわずか3隻。
しかも水上砲戦能力は、アイオワ級戦艦はお世辞にも良好とは言い難かったのだ。
その補充は急務とされたのである。
ここで、日本占領軍から彼らに朗報が入る。

「室蘭において、ヤマト・タイプの主砲砲身16門および主砲塔の装甲材を発見。状態は極めて良好。製造機材も同様。」

「あの」大和型戦艦の主砲を持った戦艦を作れる。
その誘惑に海軍は勝てなかった。即刻、日本側技術者に出させた概算で「16インチ3連装砲塔と18インチ連装砲塔は重量がほぼ一緒」という結果が出たことも彼らを本気にさせた。
かくして1946年12月7日、極東情勢が緊迫化の度合いを増す中で1番艦「モンタナ」がフィラデルフィア海軍工廠において、2番艦「オハイオ」がニューヨーク海軍工廠において同時に起工。
翌年5月には3番艦「メイン」がノーフォーク海軍工廠において起工されるなど、建造は着々に進んでいった。
大戦後の予算縮小の流れの中にあっても、本級とユナイテッドステーツ級の建造計画は優先的に処理されており、これに続いていよいよユナイテッドステーツ級の建造が開始されようとしていたまさにその時、海軍にとっての悲劇が発生する。

「空軍による『ユナイテッドステーツ』級航空母艦の撃沈」

それがその大事件の名前だった。
独立したばかりのアメリカ空軍は海軍の金のかかる艦隊整備計画ではなく自軍の戦略爆撃機量産計画を優先するように議会に嘆願し、これに成功したのである。
そればかりではなく、核攻撃によってあらゆる海軍艦艇の無力化が可能という主張から、進水し艤装中であった「モンタナ」級の解体すら彼らは主張していた。
のちに、「提督たちの反乱」といわれる海軍の大反対によってこれは通らなかったものの、進水したばかりの3番艦「メイン」を「撃沈」され、さらには4、5番艦「ニューハンプシャー」「ルイジアナ」をも潰された海軍は、意地でも「モンタナ」級を完成させる決意を固めた。

1950年3月、占領下にもかかわらず出国を許されていた牧野茂や西島亮二といった元海軍技官たちがアメリカ海軍の技師たちとともに見守る中、「モンタナ」と「オハイオ」は海軍に引き渡され、半世紀に及ぶ長い艦歴を開始した。
「モンタナ」の処女航海ともなった極東周遊に際し、朝鮮戦争という歴史的事件が発生するのであるが、それはまた別の話である。

架空戦記16
171 :ひゅうが:2014/11/06(木) 13:50:09
ちなみになぜモンタナなのに愛称が「ビッグY」なのか。
それは将兵のある意味忌避感が由来しています。

上官に対する最大の侮辱は、尻ポケットに両手を突っ込んで尻を上官に向けることです。
要するに「俺の××を云々」というわけです。
となると、そのまんまモンタナ級を「ビッグM」とすれば?つまりそういうことです。「マイティM」だとさらにひどく…
愛称として「モンティ」ですとまぁいいのですが、今度はいまいち強そうに思えません。戦力比が15倍にならないと攻勢に出そうもありませんし米国陸軍にはあまり縁起のいい名前ではありません。
モンタナ級は米陸海軍にとってはあの怪物の後継者として怪物じみたカッコよさが求められるのです。
結果、頭文字とは対極にある「モンティ」の末尾の「Y」の字がとられ、大和を念頭に「ビッグY」と呼ばれることになった…というわけです。

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最終更新:2016年08月16日 10:31