391 :四〇艦隊の人:2014/01/15(水) 00:41:08
アドミラル級戦艦

アドミラル級戦艦とはアメリカ合衆国海軍が建造した戦艦の艦形の一つである。
アメリカ海軍が建造した最後の戦艦かつ最強の戦艦であり、日本海軍が保有した大和型戦艦と共に海軍史上四隻しか存在しないギガ・ドレッドノート級と呼ばれることもある。
また世界で唯一建造中の設計変更で航空母艦から戦艦に艦種が変更された艦でもある。

基準排水量  一一五四〇〇t
満載排水量  一五八九〇〇t
全長       三四七m
全幅       五三m
機関       重油専燃缶一二缶・オールギヤードタービン一二基六軸 出力 三八〇〇〇〇HP
最大速力   二八.〇kt
航続距離   一六kt/八〇〇〇浬
武装      Mk.11 20インチ50口径砲三連装四基
Mk.39 5インチ連装速射砲二〇基
40mm機関砲四連装五三基
20mm機関砲単装五八基
航空艤装   カタパルト二機
艦載機     水上機六機
装甲
舷側装甲   主甲帯四九〇mm/二〇度傾斜+八〇mmバックプレート
甲板装甲   主装甲甲板三六〇mm(外舷部四〇〇mm)+八〇mmバックプレート
砲塔装甲   前楯六五〇mm+八〇mmバックプレート
天蓋四一〇mm
バーベット   最大六三〇mm
CIC       四五〇mm
司令塔     六〇〇mm
発電機     主機:ターボ発電機二〇〇〇kw×一二基、補機:ディーゼル発電機一〇〇〇kw×二〇基
乗組員     四三九五人
同型艦     ウィリアム・S・パイ(BB‐74) マシュー・C・ペリー(BB‐75)

・建造経緯
一九四一年二月、アメリカ合衆国海軍はエセックス級航空母艦の量産と平行して、大改装を繰り返してきたとはいえ旧式化が進むユナイテッド・ステーツ級航空母艦の代艦として四隻の大型航空母艦の発注を行った。
後の軍事マニアに幻の超空母と呼ばれるプレジデント級航空母艦である。
このプレジデント級航空母艦は基準排水量九万トン、速力33ノットでアングルドデッキと島型艦橋、大型のカタパルト三機を備え、各種艦載機一三〇機を運用しようという計画で起工され、一九四二年の十二月まで建造が進められてきた。
しかし、ようやく彼女の船体が完成し内部の工事に入ろうとしたとき、ある事件が起きる。
太平洋戦争の開戦である。

・建造中止
一九四二年一二月の開戦と同時に行われたトラック沖海戦で、アメリカ合衆国海軍空母機動部隊は事実上壊滅した。
投入した搭乗員の八割の未帰還、そして戦艦八を始めとする多数の艦艇の喪失という事実は、アメリカ海軍の軍備計画を根底から覆した。
航空母艦の喪失こそ無かったが、航空母艦の戦闘力とは艦載機であり、艦載機の無い航空母艦は置物以外の何物でもないのである。
しかも開戦直前アメリカ海軍は航空母艦の大量建造を開始しており既にエセックス級三隻が完成し訓練中、二隻が最終艤装段階まで工事が進んでいた。
そんな中でいまだ船体すら未完成の大型空母には何の価値も無く建造は無期限の中止、最悪解体して損傷した戦艦の補修資材にしようという案すら出ていた。
しかし、海軍上層部のある決定が彼女の運命を帰ることになる。
プレジデント級航空母艦の建造中止と、戦艦への設計変更である。

・設計変更
トラック沖海戦の結果はアメリカ海軍に致命傷と言っても良い打撃を与えた。
世界平均をはるかに凌ぐ六〇%以上の命中率を誇る艦上攻撃機のパイロット達や、命中率九〇%弱の急降下爆撃機のパイロット達、そして条約切れから整備を続けてきた新鋭戦艦群、その殆どがわずか一日にして失われたのである。
しかもその対価として得られた大物は比較的旧式の戦艦五隻、航空母艦二隻と重巡洋艦二隻のみ。
航空母艦の存在意義に疑問符が突きつけられたのである。
そんな中で日本海軍が新たな超大型戦艦を建造しているという情報もそれを後押しした。
当然アメリカ海軍の航空派はそれに反発したが、確固たる実績が無いためその声は押しつぶされ、一九四三年一月プレジデント級航空母艦の建造中止と、戦艦への設計変更が決定されたのである。


392 :四〇艦隊の人:2014/01/15(水) 00:42:43
・戦艦ウィリアム・S・パイ
アドミラル級戦艦はかなりの突貫工事で建造された。一九四三年の一月末に戦艦への設計変更が決定された後、一九四三年の三月頭に戦艦としての設計図を仮の文字がつくが完成させ、以降も細かい手直しを繰り返しつつ、一九四五年の二月に就役させたこと、そして建造されたアドミラル級戦艦に船としてはほとんど問題が無かった事は、アメリカ合衆国の優れた造船技術を表している。
しかし、巨大な砲塔と艦上構造物、そして艦全体に張り直された分厚い装甲により艦の安定性は悪化、それの是正のために取り付けられた大型のバルジは優れた水中防御力を艦に与えたが、速力を公試二八ノットにまで落としてしまった。
さまざまな困難を乗り越えてプレジデント級航空母艦ジョージ・ワシントン改めアドミラル級戦艦ウィリアム・S・パイは一九四五年二月一日に、エイブラハム・リンカーン改めマシュー・C・ペリーは同年二月二三日にそれぞれ完成し海軍に引き渡された。

・Operation Dawn Hammer(夜明けの鉄槌作戦)
しかし、両艦が米海軍に引き渡された一九四五年、既にアメリカ合衆国は太平洋の制海権を失っていた。
西海岸で防御戦闘を続ける米陸軍は三回にわたって日本側の上陸作戦をはじき返してきたが、日本側が新須賀航路の再確立に成功した結果、新須賀から出撃してくる日本重爆部隊による圧力が上昇した事により、次の上陸作戦があった場合守りきることは不可能であると主張していた。
太平洋側に存在する艦艇で戦闘能力を維持している主力艦はアイオワ級戦艦ミズーリただ一隻のみで、パナマ運河も出口付近で日本の潜水艦の待ち伏せを受けて大型輸送船が関門をふさぐ形で沈没して以来復旧がまったく進んでいなかった。
こんな状況下で復仇を叫ぶ国民と大統領に押し切られた海軍は最後の大博打に打って出る。
新鋭のアドミラル級戦艦を含む大西洋艦隊を太平洋に回航し、西海岸沖を遊弋する日本艦隊を撃滅、西海岸を救援するこの作戦は、戦艦ミズーリを中心に西海岸で生き残った艦艇で編成される囮艦隊とあわせて、『Operation Dawn Hammer(夜明けの鉄槌作戦)』と名づけられ、総司令官にはハルゼー中将が任じられた。
一九四五年三月一六日、戦艦七、空母四を中心とする大西洋艦隊総勢一一〇隻の艦隊がノーフォークから出撃した。

・第二次西海岸沖海戦
一九四五年四月七日日本空母部隊が米空母部隊を発見、攻撃隊を発進させたことを合図として、太平洋戦争の終幕となる艦隊決戦が、そして世界史上最後の大規模水上艦隊決戦が幕を開いた。
ハルゼー提督の下で空母部隊を指揮するスプルーアンス提督は投入できる空母と艦載機隊の錬度から考えて、最終的に戦艦同士の砲撃戦でかたをつけるほか無いと判断し、空母の艦載機を全て戦闘機で固めて囮にすることを決断、この策は見事に的中し、スプルーアンス提督は航空母艦四隻全てを失うも戦艦部隊への攻撃を阻止することに成功した。
またこのころ戦艦ミズーリ以下十隻が日本海軍の後詰の空母部隊に対して突撃を行ったが、日本側の航空攻撃により大きな損害を出し、ミズーリが戦艦加賀、長門との砲戦に敗れたことで失敗、しかしこの混乱により後詰艦隊は主力空母部隊に合流することが困難となってしまう。
対する日本側の小沢提督は空母部隊が囮であることを認識しつつも戦艦部隊の所在が不明であったため、空母部隊に攻撃を集中させた結果、艦載機部隊に大きな被害を受け戦艦部隊への攻撃がほとんど行われない結果となってしまう。
こうして決着は戦艦同士の砲撃戦にゆだねられることとなった。


393 :四〇艦隊の人:2014/01/15(水) 00:43:22
・狂気(狂喜)の宴
一九四五年四月八日、山口多門中将率いる日本海軍の戦艦大和以下一二隻を中心とする日本海軍第一、第二艦隊、ウィリアム・フレデリック・ハルゼー・ジュニア中将率いるアメリカ合衆国海軍の戦艦ウィリアム・S・パイ以下七隻の戦艦を中心とするアメリカ合衆国海軍大西洋艦隊が会敵、大和の放った主砲の一撃によって最後の決戦が始まった。
後に世界最後の艦隊砲撃戦と伝えられる、東太平洋海戦の第二次戦闘の始まりである。
アメリカ側は二隻のアドミラル級が大和型を押さえている間に日本の旧式戦艦六隻を撃破して数の優勢に持ち込もうと試み、日本側は主隊が敵の本隊を抑えている間に、天城型四隻と重巡部隊でアイオワ級二隻とグアム級三隻を排除して米艦隊を挟み撃ちにしようと目論んだ。
砲撃戦は熾烈を極め、砲戦開始から二〇分、日本艦隊主隊の七番目を走っていた戦艦尾張が米ルイジアナ級戦艦ルイジアナの砲弾により轟沈。
その一五分後に今度はルイジアナが上総型戦艦上総、下総の攻撃により大火災で航行戦闘不能。
さらにその一五分後、尾張の轟沈により艦隊からはぐれる形になった八番目の紀伊がモンタナ級メインとの砲撃戦に敗れて避退。
それと時をほぼ同じくしてアイオワ級イリノイが天城型四隻に袋叩きにされて沈黙。
その三分後グアム級ハワイが阿蘇、六甲の攻撃で爆沈。
さらにその二〇分後天城型赤城と刺し違える形でアイオワ級ケンタッキーが沈没、赤城は復旧作業が続けられるもこの日の一七時頃浸水がさらに増して復旧不能と判断され、駆逐艦舞風の魚雷により撃沈処分となる。
砲戦開始一一〇分、五六センチ砲弾のもたらす衝撃に耐え続けてきたアドミラル級マシュー・C・ペリーの艦橋が倒壊、これを好機と見た山口提督は大和、武蔵の二艦による統制砲撃を実行、その一五分後マシュー・C・ペリーが大破航行不能となったことにより大勢は決した。
砲戦開始一三〇分、山口提督は水雷戦隊に肉薄攻撃を発令、水雷戦隊が突撃を開始し、上総型越後、豊後とルイジアナを始末した上総、下総にたたかれていたルイジアナ級ジョージアに肉薄雷撃を敢行しこれを撃沈。
砲戦開始一八〇分、単艦になっても大和、武蔵との戦いをやめなかったウィリアム・S・パイがついに沈黙、この段階で砲撃戦は終了、以降追撃戦に移る。
山口提督の降伏勧告に対し、ハルゼー提督は「No,thank you」と返答。
一九四五年四月八日一三四五時、アメリカ合衆国海軍最後の戦艦アドミラル=ウィリアム・S・パイはハルゼー提督と戦死した乗組員二三二〇名と共に太平洋に沈んでいった。

・アドミラル級戦艦の評価
同級は航空母艦から設計変更されたという経緯があるものの、紛れも無くアメリカ合衆国の建造した最強にして最高の戦艦である。
戦力として明らかに格上である大和型戦艦の五六センチ砲弾の直撃を二十発以上にわたって受けても尚戦闘能力を維持し続けた、という事実は同級の設計とつぎ込まれた技術が極めて高いレベルにあったことを示している。
またバルジ装着による速力の低下も、二九ノットの大和型に遅れることなく食いついて来た事から実際それほどでもなかったと思われる。


408 :四〇艦隊の人:2014/01/15(水) 11:56:34

>>403>>405
必ずしもそうとは限らないかも知れません。
この戦闘での日本側の大型艦の損害をまとめると
・喪失
戦艦 紀伊 尾張 赤城
重巡 湯殿

・大破
戦艦 長門
重巡 阿蘇

・中破
戦艦 大和 武蔵 上総 越後 天城
重巡 六甲 有珠 雲仙

となります。
さらに損傷の修理のため本土に向かっていた上総が潜水艦に雷撃を受けて沈没、下総が大破しているので事実上日本の戦艦戦力は壊滅状態になってしまいました。
ちなみに下手人の潜水艦はご想像通りのアイツです。


412 :名無しさん:2014/01/15(水) 13:19:34

>下手人の潜水艦はご想像通りのアイツです

ま た ア ル バ コ ア か

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最終更新:2014年12月21日 01:54