20 :ひゅうが:2015/02/02(月) 16:18:50


日本国防海軍 装甲航空母艦「大鳳(Ⅱ)」(CVA-04)



全長:310m
全幅:41.1m(最大77.9m)
喫水:11.2m
基準排水量:6万2200トン
満載排水量:7万7010トン

機関:SBL改Ⅱ高温高圧缶・複合蒸気タービン4基4軸(26万1600馬力)
速力:最大35ノット

武装:Mk.25(J) GMLS 8連装ミサイル発射機4基
   67式30ミリ多銃身機関砲 連装5基(艦橋前後+右舷1基左舷2基)

装甲:耐1トン徹甲弾頭装甲(左右両舷主要防御区画+甲板)
   ミサイル被帽破砕装甲(水線上全面)

搭載機数:最大85機(通常はCTOL機60機+ヘリ12機)

就役:1970(昭和45)年3月7日
退役:2012年6月19日


【解説】―――日本国防海軍が戦後はじめて建造した装甲空母。
名前は、太平洋戦争後期において新世代の空母として活躍し、その設計を航空母艦「信濃」へと引き継いだ同名艦からとられている。
東京五輪後の1965年に策定された第三次防衛力整備計画に基づき、退役する空母「葛城」「笠置」の代艦として建造が決定した。
これと引き換えに、海軍では建造が進んでいた「天津風」型ミサイル駆逐艦の調達を5隻で断念。以後、70年代にかけては戦車や航空機の更新に重点が置かれた。
なお、当初予定では2隻の調達が想定されていたものの艦載機の性能向上と予算上の都合から本艦に続くのは、40年近く後の「瑞鶴(Ⅱ)」型装甲空母となる。


当初は米国の売り込みなどもあり、エンタープライズ級原子力航空母艦の機関を購入して使用することも考えられていたがメンテナンスなど問題が多いことにより断念。
通常動力型空母として設計された。
そのかわり、原子力動力の場合は機関室防御へ充てられていた装甲材を甲板と舷側に配するという以後の日本空母の基本となるスタイルがここで確立。
加えて、増大し続けるソ連原潜の魚雷攻撃や、核機雷による攻撃も考慮して船体は幅広のバルジをもった戦艦に近い形状となっている。
艦首には大和型戦艦以来踏襲される球状艦首と信濃のエンクローズドバウを採用。
当初からアングルドデッキを持ち、幅広の船体に支えさせることでひとまわり大きいフォレスタル級以上のゆったりした飛行甲板を実現している。
当時の主力となったF-8戦闘機だけでなく、米海軍が配備したF-4Hや改良型のF-4J、そしてその後継機も発着艦可能なように長い船体がとられた。
そのために国防空軍戦闘機であるF-4EJが演習では(多分にソ連への示威的な意味で)本艦などにおりるほか、冷戦末期には同盟国であるアメリカのF-14トムキャット戦闘機が頻繁に発着艦訓練を行っている。

武装は、日本海への突入などが考慮されたために多い。
同規模のフォレスタル級やエンタープライズ級が装備したミサイル発射機だけでなく、国産であり、対空・対水上両用となる30ミリ多銃身機関砲が配され、現在でいうCIWS的な役割を果たしている。
さらには、船体の装甲は、ソ連海空軍が配備しつつあった重対艦ミサイルに耐え得る装甲を主要防御区画と甲板に張り、それ以外の部分も被害極限をするために一定程度の装甲が施されるなど日本が置かれた戦略環境が反映されている。
この点は、第2次大戦後に世界へ展開せざるを得ずに膨大な燃料を艦内へため込まざるを得なかったフォレスタル級などとよく対比される。

本艦とともに国防海軍の主軸を担った「信濃」が日本本土近海で遊弋することが多かったのに対し、メンテナンススケジュールがあった場合は本艦は積極的に外洋へ展開。
NATO諸国やアジア諸国に対する親善航海などを実施したことで知られている。
そのためか船体の老朽化は比較的早く、さらには冷戦後の艦載機の性能向上もあって艦内に用意された弾薬庫スペースの不足や搭載装備の旧式化が目立ってきたことから艦齢40年程度をもって「信濃」ともどもの代艦建造が決定。
21世紀初頭にかけて就役する「瑞鶴(Ⅱ)」型装甲空母にあとを譲った。

しかし、退役間近であった2011年、東日本大震災の発生に際しては武装をおろした直後の本艦が救助用ヘリコプターのプラットフォーム兼、被災者の受け入れ先となるという思わぬ機会に恵まれた。
この際に、緊急出港する本艦が記念艦となった「信濃」に対し敬礼をささげる姿は、その年の報道写真大賞を受賞したことで記憶に新しい。

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最終更新:2015年02月15日 12:08