520 :yukikaze:2015/09/27(日) 13:10:30
難産でした。ええ・・・難産でした。

<96式装輪装甲車>

全長:   7.70m
全幅:   2.50m(通常ver。増加装甲付だと2.60m)
全高:   2.30m
全備重量: 20.0t(通常ver。増加装甲付だと22.0t)
乗員:   2名+8名
エンジン: 三菱6SY31WA 4ストローク直列6気筒液冷ターボチャージド・ディーゼル
最大出力: 600ps
最大速度: 100km/h
航続距離: 500km(外部燃料タンク使用時だと900km)
武装:   12.7mm重機関銃M2or96式40mm自動てき弾銃

西暦1996年に国防陸軍が採用した装輪式装甲車。愛称は『キューロク』

これまで国防陸軍において、装輪式装甲車はアメリカから供与されていたM8以外は導入はされていなかった。
これは当時の道路事情によるものであるが、戦後急速に道路網整備が進んでも、アメリカからM113の大量導入が成功したお蔭で、その動きは低調であった。
それでも、1980年代にはドイツからNBC防護車を購入し(地味に購入の順番を後に回され、アメリカから「いい加減にしろバカヤロウ」と怒鳴られた)、軽機動装甲車を導入したりもしたのだが、本格的な装輪式装甲車の導入はまだであった。

にも拘らず、国防陸軍が装輪式装甲車を導入したのは訳があった。

まず最大の理由は、M113の戦略的な機動力の低さにあった。
M113自身は大変優れた傑作APCであり、その信頼性と調達のしやすさで、国防陸軍のハートをがっちりと掴んでいたのであるが、如何せん設計が古すぎ、戦術的な機動はともかくとして、国内での部隊の緊急展開という点では不満が残るものであった。
特に冷戦終結により否応なく軍縮の波が押し寄せようとしている状況では、広域に展開できる能力を保持するというのは喫近の課題であった。

次の理由は、ある困った男の思い付きであった。
渡辺という、度々舌禍を起こしては内外から批判を受けていたこの総理は、1992年12月自由党の内紛の末に内閣を成立させて以降、国際的なイメージを高める為に、リベラル色の強い方針を打ち出すのだが、その中で彼が積極的に進めたのが、国防軍のPKO派遣であった。

「冷戦が終わった今、我が国は国連の旗の下での平和維持活動にも汗を流さないといけない。国際協調は我が国の国是である」

と、大見えを切った渡辺の真意はどうだったかはわからないが、少なくとも国防陸軍にとっては「余計な任務を増やしやがって」という気分であった。
幸いにも、国防軍という重要な票田を取り込むことに血道をあげていた渡辺や小沢は、当該任務を受け入れる代わりに、人員の削減を当初よりも減らすようにしたのだが、問題はPKOに使用する機材であった。

521 :yukikaze:2015/09/27(日) 13:11:15
確かに軽装甲機動車を日本は保有し、PKO任務にも十分に対応できる能力を有していたのは事実だが、ガーリ事務総長が提案するPKOでは、危険度が高い地域にも派兵されかねないのである。
そしてこれまでの流れを見ると、住民に対しして過度な圧迫を持たせるような機材は御法度であり、そうした点でもM113は適しているとは言えなかった。

そして最後の理由はいささか生臭いものであった。
国防陸軍は装甲車のハイの部分を八七式歩兵戦闘車、ローをM113で賄う予定であったのだが、八七式は大変高価格であり、冷戦が終了した今、予定した数(国防軍としては、機動打撃戦力である、第五第七、第九、富士の部隊に配備させる予定であった)を揃えるのは不可能であると判断した。
そうなると当然三菱は大損をすることになることから、新型装輪装甲車を最低でも350両。可能ならば750両近い数を配備させることで、何とか詫びをする必要が生じたのであった。(三菱側は1,000両以上を望んだが、そうなると日立が臍を曲げることから、勘弁してもらうことになる。なお日立側には、2000両近い数のM113後継車両について、日立を主軸に考えていると了解を得る)
企業努力に胡坐をかいた場合どうなるかを、彼らは空軍のgdgd劇を見てよく理解していたのであった。

かくして、1993年6月に、国防陸軍は正式に三菱を主契約者として、新型装輪式装甲車の開発に取りかかることになる。


外見上のそれは、史実NBC偵察車に類似している。
主な相違点としては、以下の通り。

  •  操縦室両側の側面ドアは廃止
  •  車体側面側はモジュラー装甲となっており取り外しが可能(輸送時は18.0t。装甲最大時は22.0t)
  •  車体の高さは史実と比べて3.2mから2.3mに減少(NBC車では後部車体の高さがあがり、史実同様3.2m)

操縦席フロントガラスの大きさ並びに左右側面に2ヶ所の防弾ガラス付の視察窓があることから、被弾時に問題が生じてるという批判があるが(ピラーニャと比較して煩い軍事評論家モドキがいた)、重紛争時においては、フロントガラス及び視察窓には装甲シャッターで囲まれており、乗員の保護するようになっている。
また、車体が船型になっていないことから地雷に弱いと、前述したモドキから批判を受けているが、被雷による被害を軽減するため、操縦手席+助手席は第1軸より前に迫り出して設置。エンジン~ミッションなど主要コンポーネントを操縦手席+助手席の後ろ右側(前四輪からも内側)にオフセットしてエンジン・ルームを配置し、その左側を助手席とキャビンを連絡する通路に充てることで、爆圧の直上を避けると共に、万が一被弾した際の、操縦者の脱出の容易さを確保している。
更に言えば、底面にも着脱式の装甲を添付できるようにしたり、地雷等の炸裂時の大きな衝撃から乗員を守るためにヘッドレスト・シートベルト付耐衝撃シートを配備。IED対策として、側面をモジュラー装甲にして、防御力を高めていたりと、普通に対策は取られていた。
なお、通路の半ばに車長展望塔兼銃座を設け、車長が定位置の助手席から銃座に移る際にも、銃手を別に配員した場合、助手席の車長が操縦手と銃手に指示を下すにも、都合が良いように工夫されている。

サスペンションはトーションバー(捩り棒)方式が採用されており、タイヤは車内から空気圧の調整が可能で若干の被弾であれば走行が可能である。
通常は第3軸及び4軸による4輪駆動であるが、第1軸及び第2軸に装着されているクラッチを作動させることによって、全輪駆動を可能にしている。
全8輪が独立懸架であるため、後2軸にアクセル・ビーム式を採るストライカー系列よりも接地性に優れている。
さらにユニークな点として、前2軸―後2軸間でトルク配分する特殊なセンター・デフを用いている。
センター・デフは4軸出力であり、それぞれのプロペラ・シャフトは右 第1―2輪、左 第1―2輪、右 第3―4輪、左 第3―4輪を個別に駆動する。
仮に被雷しても、破損がセンター・デフから分岐したプロペラ・シャフトの1系統に止まる限り、8輪中6輪の駆動力が保たれ得る。また前軸―後軸間で適正にトルク配分する事により、不整地の発進加速に於いて空転及びそれによるスタックを生じ難くし、装輪装甲車としては良好な不整地走破性をもたらしている。
なおエンジンはコスト削減の為に、87式歩兵戦闘車のエンジンを流用している。

522 :yukikaze:2015/09/27(日) 13:11:48
武装については、12.7mm重機関銃M2か96式40mm自動てき弾銃の装備となっている。
当初予定では、1:10の割合でてき弾銃の割合を多くする予定であったが、遮蔽物に隠れているゲリラへの掃討戦では威力が不足として、5:5の割合になっている。
また、近年では乗員防護の為に、リモコン式に改修する動きも出ている。

防御については、通常状態においてNATO AEP-55 STANAG 4569基準において、レベル4を達成していると見られている。
また重装甲タイプにおいては、モジュラー内部が中空装甲形式になり、RPGなどにもある程度は対応できるようになっている。(ただし重装甲タイプでは、ややトップヘビー気味になってしまい、横転の危険性が向上し、路外走破性能も劣るというリスクはある)

また、近年のネットワーク化に伴い、96式にも後付けで戦術インターネットを核とするデジタルC4ISR機能用装備品を取り付けることは可能になっている。
ただし高価であることからなかなか配備は進んでおらず、現在コストダウンに向けて調整中である。

同車両は、1997年2月に『96式装輪装甲車』として正式採用され、97年度以降、年間40両近いペースで配備が進んでいる。(当初価格は1億5千万円。量産化により現在では1億円を下回っている。)一時期、広島の第八師団だけでなく、宮城の第六師団も同車両に転換しようとする動きもあったが、前述の取り決め及び東日本大震災での装軌式車両の働きによって、立ち消えになっている。
同車両は、車体が大きい事も相まって、ファミリー化がしやすく、翌年にはNBC偵察車が採用され(採用されていきなり東海村JCO臨界事故で活躍した)、指揮車両や工兵輸送車、救急車タイプもある。
また、近年ではM113を利用した対空車両の後継車両の母体として計画が進められている。

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最終更新:2021年04月05日 09:28