665 :ひゅうが:2016/06/27(月) 03:13:18
ネタ「wikiped○a風 神崎島概略」


神崎島


【島としての神崎島】

神崎島(かんざきじま、かんざきとう)は、フィリピン海西部に位置する島で、その全域が神崎鎮守府管区である。人口は158,047人(20XX年12月1日現在)。

面積は7万9215平方km。これは、北海道島の101.5%に相当する。本州や台湾などの主要6島のうち2番目の大きさとなる。
この島は日本帝国領土の中では本州につぐ第2位、世界の島々の中ではアイルランド本島に次ぐ21位の大きさに相当する。

昭和初期までは一般的に付属諸島を含めて常世 補陀落 ニライカナイなどと呼ばれていたが、1937(昭和12)年、日本本土との交通路が安定したことにより再発見され、日本領土に編入された。


【地方公共団体としての神崎島】

神崎島とそれに付随する島々(蓬莱諸島 女御諸島 常世諸島 沖津諸島 南波照間諸島 中ノ鳥島諸島 竜宮島 兜率島 補陀落島)からなる地方公共団体が、神崎島鎮守府である。
行政機関のみをさして南島大宰府といわれることもあるが、正式には神崎島鎮守府であり、法律上は現在日本帝国内で唯一の「総督府」にあたる。
神崎島はその全域が神崎島鎮守府管区に指定されており、入境には厳格な審査が必要とされる。
主要都市は10あり、いずれも日本本土の中規模地方都市と同等の人口しか有しない。
にもかかわらず、神崎島鎮守府には高度な自治権が与えられており、日本帝国海軍の数割に相当する海軍と錬度の高い陸空軍を保有する。
これは、古代以来軍事組織を有する鎮守府の伝統に加えて島域の特殊性、そして昭和初期に鎮守府が果たした役割に対する報償であるともいわれている[要出典]。


【名称】

この島の総鎮守である常世神宮が鎌倉時代に編纂したといわれる「神前島志」によれば、日本神話の蛭子神(日瑠仔神)が葦船にのって流されたところこの海域にとどまり、流した涙が真砂となりそれが集まって島ができたという。
そのため、古来は「神前島」と記した。
古代以来の神官の家系であり、鎮守府提督(総督)をつとめる神崎氏や、島の特殊性からくる外界との隔絶性から「神崎」の字があてられたのは鎌倉時代以降である。
1937(昭和12)年の日本領編入に際してはこの字をそのまま転写した。

後述の通り、1937(昭和12)年から現在まで神崎島を管轄するのは、宮内省外局となる神崎島鎮守府である。
よく間違われるように大本営の直接指揮下にはなく、管区外ではあくまでも帝国政府と帝国陸海空軍の要請により軍事行動を行うことになる。
1940年代の地方制度改革とともに地方自治法に定める別表地域として現在に至る。

666 :ひゅうが:2016/06/27(月) 03:14:04
【地理・地域】

神崎島本島は面積7万9215平方km。これは、北海道島の101.5%に相当する。本州や台湾などの主要6島のうち2番目の大きさとなる。
この島は日本帝国領土の中では本州につぐ第2位、世界の島々の中ではアイルランド本島に次ぐ21位の大きさに相当する。
樺太(同第23位)よりやや大きく、台湾島3万5,980平方㎞の約2倍の大きさである。 これは九州と四国を合わせた面積5万5050平方㎞を上回る。
北の本州とはフィリピン海(神崎水道)で隔てられており、定期海上航路と航空航路によって日本本土と結ばれている。
東は小笠原諸島、西は大東諸島と南西諸島、南は南洋諸島に向かい合い、こちらからも定期航路がある。

周辺には、黒潮と小笠原暖流、フィリピン海還流が流れており気候は温暖である。

神崎島は二等辺三角形の底辺を大きくくびれさせたような形をしており、南西部には熱帯雨林が広がり中央部から東部にかけては広葉樹林が、北部には山岳が広がっている。
このうち、北西部には湿地帯が、都市周辺には耕作地がある。
このため、島の面積の9割以上が森林と山岳地帯である。
都市は、各地に点在しており、それらを結ぶ形で運河と鉄道、道路が設けられているが広がりは限られている。

一級河川は2本ありこれを結ぶ形で大運河がめぐらされている。
北部の山岳地帯には最高峰である天叡山(神崎富士)がそびえる。

島南部の補陀落湾には中心都市である神崎市があり、また広大な軍港施設と工業地帯が立地する。
また、補陀落島南部から常世諸島にかけてと、島の反対方向の北東の蓬莱湾には海底油田・ガス田が立地する。
補陀落湾内には補陀落島が立地し、石油精製施設とともに滑走路を備えた空軍基地が存在する。
島の西部には兜率島が存在するが、全域が兜率神宮の神域となっており立ち入りが禁止されている。
北西沖に浮かぶ竜宮島は船舶の行き来が多く、また漁船向けの風待ち地としても有名である。
鎮守府管区内の島嶼としては、南波照間諸島と竜宮島、中ノ鳥島諸島が帝国海軍管理地であり、立ち入りが制限されている。
また、この島の全域が「神崎島国立自然公園」に指定されており、開発には神崎島鎮守府の制限を受ける。


【支庁】

神崎島鎮守府には本庁のほかに5つの支庁があり、いずれも内に軍港都市を含む。
管轄区域は以下の通り。

  • 本庁(南西・中央部・補陀落湾)
  神崎市
  • 新見支庁(西部・兜率島・沖津諸島・南波照間諸島)
  新見市
堤森市
  • 降井支庁(北部・蓬莱諸島・竜宮島)
  降井市
  岩麗市
  • 辺勢田支庁(中東部)
  辺勢田市
  鐘谷市
  • 緋洲支庁(南東部・常世諸島・女御諸島)
  緋洲市
  茂那須市
  • 逸糸支庁(北東部)
  逸糸市

【地域区分】
  神北地方:降井支庁から天叡山地全域
  神西地方:新見支庁
  神央地方:本庁から補陀落湾岸
  神東地方:辺勢田支庁から逸糸支庁
  神南地方:緋洲支庁
生活圏とほぼ一致しており、また天叡国・新見国・神前国・勢田国・緋洲国の旧五国名にほぼ相当する。

667 :ひゅうが:2016/06/27(月) 03:14:41
【歴史】

[神崎島の神話][神崎島の歴史]も参照
  • 先史時代

時間がゆがんでいると称される異常な現象により推定は不可能であるが、縄文時代までには人類が渡来していたと思われる。

  • 提督政権

6世紀までには常世神宮を中心とした政権が成立。
全島を統括する祭政一致体制がとられていた。
580年、中国南朝陳王朝からの侵攻を受けて大きな被害を受けるも、これを撃退。(第一次神崎島攻防戦)
これを機に「提督」と呼ばれる君主的存在が島の首長となる。


  • 鎮守府政権

1185(元暦2)年、源平合戦に敗れた平維盛一行が渡来。
律令にのっとり行政組織として「太宰府」を、軍事組織として「鎮守府」が設置される。
1274(文永11)年、元寇別働隊が島に襲来。同時期にこの島特有の「艦娘」が現れはじめたことによりこれを撃退。
以後、1281(弘安4)年と1285(弘安8)年、1292(正応5)年、1301(正安3)年にいずれも百隻以上の軍船による侵攻が行われる。
特に1301(正安3)年には400隻が襲来(元朝の崩壊過程で難破したとの説あり)した。
しかし、これ以後は島側からは「あたかも幻のごとく見えるのみ」で航路を渡れなくなったことから軍事侵攻はなくなった。


  • 神崎島孤立
[神崎島幽世説]も参照

以後は、時折日本本土や海外からの難破船が渡来するのみであり、それ以外では時折「艦娘」が出現するのみで神崎島は孤立状態に陥った。
同じころに太平洋へ進出した欧州諸国がこの海域を通るものの、いずれも海であり大島を認めていないことから何らかの理由[神崎島幽世説][神崎島転移説]で一時的に地球上から消えていたという説がある。
この海域での幻島の目撃例が多いことと何らかの関連も示唆されている。
この問題は「カンザキジマ・ケース」として物理学界でも結論が出ていない。
とはいえ、日本本土や世界の情報は知られており鎮守府は維持され続けた。


  • 明治維新

鎖国体制の緩みとともに日本近海での外国船の出没や難破が続出し、神崎島でも欧州列強の脅威は認識しはじめていた。
また、この頃になってから渡来する「希船」が大幅に増加。
日本本土との連絡が試みられるも、一度も成功しなかった。
しかし、難破船は増え続け、やがて旧幕府所属、大蔵省所有艦の鳳凰丸や旧官軍の陽春丸(米国船ダイミョウ)の難破渡来によって島側は明治維新を知ったという。[要出典]


  • 畝傍難破

1886(明治19)年、防護巡洋艦畝傍が神崎島沖合において難破。
これに伴い廻航委員のうち生存者20名あまりが鎮守府での本格的な海軍教育に従事した。
鎮守府はこのときを近代海軍創立としている。
なお以後の神崎島の海軍艦艇は日本海軍所属艦と酷似しているが、それについての理由は明らかになっていない。


  • 日本領編入
[神崎島再発見]も参照

1937(昭和12)年1月、定期哨戒に出ていた神崎島鎮守府所属の駆逐艦「吹雪」は蓬莱諸島沖の自然変針点(この海域を出ようとしてもいつのまにか元の海域へ戻っている点)を超えて北進したことを確認。
これに伴い、伊豆諸島沖を演習のために航行中の帝国海軍戦艦「長門」を中心とした連合艦隊主力と会同に成功し、日本本土に神崎島の出現が報告された。
この再発見と、同月の鎮守府提督 神崎博之大将の帝都東京訪問により1月8日付で神崎島は日本領に編入された。
[神崎・近衛協定]も参照


  • 第二次世界大戦

日本領編入に伴い、帝国陸海軍駐留部隊が周辺島嶼に配備されたものの、その戦略的な位置から神崎島には常に領有権の問題がつきまとった。
特に隣接するフィリピンや、ちょうど周囲を日本領に囲まれる形となったグアム島を有するアメリカは領有権に疑問符をつけつつ近海の哨戒を密とした。
さらには欧州での第二次世界大戦勃発に伴い、同海域でも緊張が高まり――(以下略)

668 :ひゅうが:2016/06/27(月) 03:21:03
【あとがき】――接触ものを書こうとしたら、こんなのしかできなかった。解せぬ…
そろそろ引退時かなぁ。
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最終更新:2023年11月05日 17:05