864 :ひゅうが:2016/07/08(金) 16:24:12
神崎島航空工廠(神廠) 局地戦闘機「天燕」


全長:11.5 m
全幅:10.7 m
全高:4.5 m
翼面積:24.3 ㎡
空虚重量:4188 kg
全備重量:5416 kg
最大離陸重量:5590 kg
エンジン:ロールス・ロイス グリフォン 83 V型液冷12気筒エンジン
機械式二段二速過給機付き(2340 hp )
最大速度:730km/h(高度 6000 m)
     777km/h(亜酸化窒素噴射時)
実用上昇限度:12190 m
航続距離: 2200km(大型増槽装着時)
上昇率:19.3 m/s n
武装:30ミリ機関砲×2(Mk108) 20ミリ機関砲×2(99式2号五型)


【解説】――神崎島鎮守府が陸上用に配備した局地戦闘機。
名前の由来は、俊足をしられるアマツバメ(雨燕)の別名から。
もとになったのは、マーチン・ベイカーMB5戦闘機。
これは、21世紀現在も熱心なファンがおり、リノ・エアレース展示用のレプリカ製作が行われるなど比較的資料が豊富な機体であったことや、鋼管式の頑丈で生産の容易な機体だったこと、そしてエンジンが90年代まで運用されていた記録の多く複製の手間が少ないものだったためである。
しかし、神崎島以外での運用には大きな困難が伴う。
主機が、液冷エンジンの最高峰であるロールスロイス・グリフォンの発展型(83)だったこと、そして対爆撃機用に搭載された大型の30ミリ機関砲はプレス製造式であり弾頭も薄殻榴弾という特別製の機関砲弾を装備していた。
さらには、増加燃料タンク(増槽)は史実においてペーパータンクと呼ばれたこれも特別製のタンクである。
さらに二重反転プロペラは特別製の幅広ブレードであった。
風防が一体成型型プレキシグラス製なのは言うまでもない。
これらのことから、生産と整備は1937年時点のいかなる国も不可能である。
そのため、この機体を目にした帝国陸海軍は首都防空用に本機を採用するか、それともまだ配備しやすい空冷機を導入するかで頭を悩ませたという。


採用にあたっては、航続距離の延伸と内翼側機銃の30ミリ機関砲への換装が実施され、これらによる重量増加と安全性確保のために最大速度は原型機の毎時740キロから730キロに低下。
しかし、緊急噴射用に追加された亜酸化窒素噴射器(水メタノール噴射よりもエンジンへ与える影響が低い)を用いれば777キロというレシプロ戦闘機の限界に近い韋駄天ぶりを発揮。
史実におけるB-50(B-29)やB-36ですら3発程度の命中で撃墜可能なMk-108機関砲の薄殻榴弾とあわせて、爆撃機対策の切り札として期待されている。

なお、Mk-108機関砲は史実1940年開発、グリフォンエンジンは、原型のマーリンエンジンが1936年開発であり、MB5自体がその二世代前のMB2ですら初飛行していないために特許上は問題ない(ひどい話である)。

866 :ひゅうが:2016/07/08(金) 16:38:23
蛇の目の花園にたまにある「きれいな英国面」の象徴みたいな機体ですw
飛燕の名をいただこうかと思ったけど、やめにしました。
ちなみにこいつ、二重反転プロペラ。
これのひとつ前のMB3は、毎時668キロを「1942年時点で」記録するも試作機が失われたことでお蔵入り。
こいつは1945年5月に初飛行するも、戦争が終わりかけだったので航空ショー以外で日の目をみませんでした。

日本本土決戦が起きていれば、こんなのが日本本土上空を乱舞していたことでしょう(ひどい話である)。

883 :ひゅうが:2016/07/08(金) 17:21:04
手元の資料あさってみたら、正規で1240キロの航続距離がありますので、燃料タンク縮小してもう少し速度を上げてもいいかもしれませんね。
速度は730キロにしときましょうかw

720 :ひゅうが:2016/08/07(日) 23:37:30
15キロほど増速お願いします。
過小評価してたみたいですから。


最大速度を720kmから730kmへ
亜酸化窒素噴射時の速度を762㎞から777㎞へ
+ タグ編集
  • タグ:
  • 艦これ
  • 神崎島
  • 設定
  • 航空機

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2023年11月12日 15:48