240 :ひゅうが:2016/07/25(月) 23:49:24
神崎島ネタSS――幕間「いざ生きめやも」
――1937(昭和12)年3月29日 三菱飛行機
「おい、本庄。二郎は?」
「あいつなら…ほら。」
三菱飛行機設計課の黒川圭介係長は、「ああ」とあきれたように溜息をついた。
帰り際に通りかかった本庄季郎技師が肩をすくめる。
彼の一期後輩にあたる設計技師 堀越二郎は、一心不乱に製図台に向かい、何かを書き続けていた。
「あいつ…」
黒川は、またはじまったかと頭を抱えた。
「そんなにすごかったのか?例の島の機体は。」
「すごいなんてものじゃないですよ。」
「全金属単葉戦闘機や爆撃機なのは知っているが、引き込み脚か?」
「いやそれが…何キロでていたと思います?」
本庄は深刻そうな顔でいう。
彼は、日本海軍初の長距離爆撃機となった96式陸上攻撃機の設計主務者だった。
もっとも、速度や航続距離の実験機をそのまま爆撃機に仕立て上げたようなものだったため彼はその出来に満足していないのだが。
だいいち、防弾タンクなしの爆撃機など…
だからあの演習は――
「いや?まさか300ノット超えか?」
「400ノットです。」
「よ…」
剃りこまれた彼の側頭部がいっそう青くなる。
「400!時速740キロか!?」
「少なくとも720以上は出してました。二重反転プロペラに2500馬力液冷エンジンを積んだ機体で。
レーサーじゃない戦闘機で、です。」
「参ったな…うちのが270ノット超えであたふたしているってのに。」
この間納入された九試単戦は大幅な改設計ののちに96式艦上戦闘機となった。
次はいよいよ引き込み脚と思われていたが、それどころではないすさまじい代物が生まれていたのだ。
「もちろん、それだけじゃないんだろう?」
「はい。艦上戦闘機は空冷でしたがこちらも毎時700キロは超えてましたね。
爆撃機は高度1万以上を飛ぶくせに毎時600以上という怪物…そんな4発や6発の機体が100機以上も飛来したんですよ。」
もう笑うしかないですよ。と本庄はいった。
独逸で乗ったユンカースのG.38旅客機(日本では92式重爆として極秘運用)どころではない。
漏れ聞いた性能が確かなら、超大型の6発機は1万5000キロを飛べるという。
この間の提督来日のときに世界の度肝を抜いた超大型飛行艇が一点ものと思われたのに対し、4発機ですら100機以上が投入されているのだ。
「なんとも…それで陸海軍省担当の連中があたふたしていたのか…」
空技廠はお祭り騒ぎらしいぞ。と黒川はいった。
「もっともこれは日本中がか。」
「何かあったんですか?私らは演習場から夜行で直帰だったのですが。」
「聞いていないのか?1週間前に首相がブチ上げただろう。日本版五か年計画とそれに基づく特別予算。」
「あああれですか。会期を延長しても審議するとかで議会は大荒れだとか。」
ところが、今日可決されたんだ。と黒川はいう。
「え?昨日の今日ですよ?」
「どうも…な。反対していた野党連中がころっと賛成にまわった。いろいろきなくさい話も聞こえてくるが、どうも…」
千代田の御城からの御指図らしい。と黒川は低い声でいった。
「それは…」
本庄の顔も引きつる。
周囲を見回し、誰も見ていないことを確認して本庄も声を落とした。
「大丈夫なんですか?わが帝国は。」
「知らん。昨年の一件以来、何かのタガが外れてしまったのかも――いやこれ以上は言うまい。」
どうも口が軽いのはいかんな。と黒川は頭を掻いた。
そして声を張り上げる。
「二郎。いいから休んでおけ!どうせまたすぐに忙しくなるんだ!嫁さんを泣かせるなよ!」
――なお、史実での堀越二郎の妻はもちろん当時健在であることを付け加えておく。
241 :ひゅうが:2016/07/25(月) 23:51:30
【あとがき】――あれ見てたらどうしても書きたくなってしまった。後悔はしていない。
252 :ひゅうが:2016/07/26(火) 00:13:09
なお、これから堀越=サンの「グリフォンよこせ」「工作精度上げろ」の嵐が…
257 :ひゅうが:2016/07/26(火) 00:27:10
なお、「できるわけないだろ!」と返され、しぶしぶ大出力空冷発動機にすることにしたようです。
同じようなことをしてすごすご引き下がった川崎も…
最終更新:2023年11月12日 15:42