659 :ひゅうが:2016/08/01(月) 21:18:57
神崎島ネタSS――「三匹がゆく! in Britain」その6
――1937(昭和12)年5月10日 ロンドン 日本大使館
「テートクぅ!!」
跳んだ。いや飛んだ。
全員が一致した感想を抱く。
空中で一回転した金剛は、ようやくのことで、秩父宮殿下とともに神崎島から飛来することができた神崎提督に飛び込んだ。
「あ!ずるい!…じゃなかった。何をやってるの!」
足柄の一喝に、いわゆる大好きホールドで固まっていた金剛はすたっと床に降り立ち、ものすごい勢いで壁際に後ずさった後、軽く腰を折り来客に向けて淑女の礼をとった。
「よい細君を選ばれましたな。」
ウィンストン・チャーチル卿が顔をくしゃっと丸めて揶揄するかのようにいった。
「いえ閣下。」
金剛が(若干赤くなりながら)割って入った。
「私たちがよい夫を選んだのです。」
「それはそれは。」
肩をすくめる大きな男。
「とまれ、御無事で何よりです。」
チャーチルは、奥様方に、と花束を手渡して深々と頭を下げた。
「わが不手際により命を危険にさらしてしまい申し訳ありません。」
「なるほど。」
今度は利根が目を細めた。
「今回のことは――なかったことになるのじゃな。」
「遺憾ながら。」
少しも悪く思っていない風にチャーチルが述べた。
顔をしかめようとして、足柄はやめた。
この手の人物ならこちらの反応をもって後出しにするアメの質を変えることをやりかねない。
「苦境は理解しております。わが主たる陛下の苦境と同様に。」
先ほどまで金剛の頭をなでていた神崎提督は俗に東洋的と称される微笑を浮かべてそう返す。
つまりは、かなり怒っている。
「そういっていただけると幸いですな。」
チャーチル卿はほっとしたように言ってのけた。
よくやる。
660 :ひゅうが:2016/08/01(月) 21:19:29
「そのかわり、閣下への最大限の便宜を図るように、と陛下から承っております。
かくのごとき無礼はまったくわが国の本意ではありません。」
その通り。
本当なら政府関係者がそろって謝罪詣でにこの日本大使館へ列をなさねばならず、王室からの使者がきていてもおかしくはない。
せめて見舞いに来るべきなのに…
だが英国側の苦境もわかる。
はかったかのように今回の拉致未遂事件は、戴冠式を前にし、かつ先王のせいで王制への信頼が揺らいでいるという最悪の時期に行われていた。
この大イベントを前に、政府関係者は物理的に動きがとれない。
王室は言わずもがなである。
「戴冠式の席順におきましては――」
「それは結構。」
神崎がいった。
その程度で済ませるつもりはない、ということだった。
ああ、その抜身のような殺意も素敵。と足柄は顔をゆるめかけ、顔を能面に保つのに苦労した。
「と、いいましても。」
正式な政府関係者でない自分ができることは限られる、と言外にチャーチルはいった。
言質はとらせない。
無理を通そうとすれば、その横車をたてにして逆に日本側の関係改善の意志なしと判断されかねない。
英国側も、日本側の足元をみていた。
自分たちも被害者だとある意味開き直ったともいえる。
「なに。ちょっとしたお願いを聞いていただければいいのです。」
神崎は、わざわざ日本本土から空輸してきた短いメッセージを手渡す。
「…これは!」
チャーチルの顔が思い切り引きつる。
「貴国のエンペラーの決意はわかりました…しかし、私の身からは善処するとしか申し上げられません。」
それで結構。と神崎はいった。
「君たちの危地を国益に変える私を軽蔑するかい?」
「いいえ。」
真っ先に足柄は返した。
「私たちの運命はあなたと共に。」
おあついことで。と肩をすくめたチャーチルは、間違いなく胸焼けを起こしていた。
662 :ひゅうが:2016/08/01(月) 21:20:06
【あとがき】――というわけで幕間的な話。すでに真相に気付いている模様。
最終更新:2023年11月15日 20:43